2023年05月18日

生駒市の近代建築探索レポ日記(宝山寺獅子閣一般公開見学)。

GW真っただ中の2023年5月3日に奈良県の生駒市の近代建築探索をしてきました。この日から、宝山寺獅子閣の一般公開が行われており、それに合わせて向かう事にしました。
まずは生駒駅の周辺から。

1.パレス温泉 本町










パレス温泉。本町。レトロな銭湯です。
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この看板がいい味出しています。
2.パレス温泉










建築は大正後期頃だとか。4月まで営業されていたようですが、私が訪れたときはすでに閉店していました。
生駒駅に戻り、隣の鳥居前駅からケーブルカーに乗り宝山寺駅へ。

3.宝山寺駅 元町 大正7年










生駒鋼索鉄道宝山寺駅。大正7年。鳥居前駅〜宝山寺駅間のケーブルカーは日本初の営業用ケーブルカーだそうで、開業した日の8月29日は「ケーブルカーの日」なんだとか。
4.宝山寺駅










駅舎内部。
5.宝山寺駅










ステンドグラス。
6.宝山寺駅










ホームへの通路。
7.宝山寺駅










運転室。日本初の営業用ケーブルカーの駅舎が開業当時のまま残されているのは貴重ですね。
宝山寺駅を出て、宝山寺へと向かいますが、その前に周辺を探索。

8.シエル 門前町










シエル 門前町。
9.シエル










大正期頃と思われる洋館。現在は雑貨屋さんのようです。

10.旧門前駐在所 門前町 昭和初期










旧門前駐在所。本町。
11.旧門前駐在所










昭和初期頃と思われる小さな建物。玄関部分の赤い照明が交番だった名残を伝えています。
現在は休憩所。

12.廃洋館 門前町










廃洋館。門前町。
13.廃洋館










洋館は昭和初期頃と思われますが、外観に手が加えられているっぽいです。
門柱はオリジナルのまま。スクラッチタイルをアクセントに使ってます。
14.廃洋館










この廃洋館は長くはないでしょうね。

15.宝山寺










長い参道を通り宝山寺へ。

16.宝山寺獅子閣 門前町 明治15年










宝山寺獅子閣。門前町。明治15年。国指定重要文化財。建てたのは大工の吉村松太郎。
17.宝山寺獅子閣










この獅子閣を建てるために横浜で3年間学んだとか。明治初期に流行った典型的な擬洋風建築です。
18.宝山寺獅子閣










玄関を通ってすぐ広い洋室のホールがあります。
20.宝山寺獅子閣










実は獅子閣の洋室はこのホールだけ。
19.宝山寺獅子閣










玄関のステンドグラス。
22.宝山寺獅子閣










奥の扉のステンドグラス。明治初期のステンドグラスはただの色板ガラスをはめただけのものが多く、絵画のステンドグラスになるのはもう少し後になります。
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洋室のホールの隣の部屋は和室。
23.宝山寺獅子閣










しかし、外観は洋風なので、窓も洋風のアーチ窓になります。
24.宝山寺獅子閣










2階へ。この螺旋が素晴らしい。
25.宝山寺獅子閣










2階ベランダ。
27.宝山寺獅子閣










ベランダから外観を望む。
31.宝山寺獅子閣










2階の装飾柱のアカンサスの柱頭飾り。
26.宝山寺獅子閣










南面は外回廊になっていて、見張らせるようになります。
28.宝山寺獅子閣










2階内部の部屋は完全な和室。
29.宝山寺獅子閣










天井は格天井という格式高いもの。客殿として建てられたそうですが、やはり寺院で客をもてなすためにはメインの部屋は和室である必要があったのでしょう。
30.宝山寺獅子閣










ただし、階段の手摺は洋風の装飾です。
32.宝山寺獅子閣










獅子閣の南側は麓側に面しており、1階2階とも外回廊になっていて、見晴らしを考えた造りになっています。また、懸け造りとなっています。
33.宝山寺獅子閣










南面の外観。

宝山寺獅子閣を後にし、宝山寺近辺を探索。
36.洋館住宅










洋館住宅。門前町。下見板張りの洋館住宅です。
35.洋館住宅










入り口側。
34.洋館住宅 門前町










気になる背後の建物は後程。

37.洋館住宅 門前町










近くの洋館住宅。

38.洋館付き住宅 門前町










洋館付き住宅。門前町。上記の2棟の洋館住宅が隣り合って建っています。当時の分譲地だったのでしょうか。

39.断食静養院 門前町 大正7年










静養院断食療養所。門前町。大正7年。
40.断食静養院










何か凄い名前の施設。
41.断食静養院










断食療法というものがあるらしく、どうやらこの静養院断食療養所は日本最初で最古の施設だそう。
42.断食静養院










静養院断食療養所の門柱。ここからが敷地ですが、建物まで結構長いです。
43.断食静養院










遠くから。施設は結構大きいです。
再び宝山寺駅へと向かい、今回のもう一つの目当ての場所へ。

44.生駒山上遊園地飛行塔 菜畑町 昭和4年










生駒山上遊園地飛行塔。菜畑町。昭和4年。日本最古の大型遊具と言われる建物。
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鉄骨部分を拡大すると、山型鋼(L字型鋼)をリベットで接合しています。戦前の鉄骨は山型鋼が主流で接続もリベット止めが主流。現在主流となっているH型鋼やハイテンションボルト接合は戦後になってからです。
45.生駒山上遊園地飛行塔










この飛行塔、戦時中に奈良海軍航空隊の防空監視塔として接収され使用されたため、金属供出を免れた経緯があり、その結果、貴重な建造物が現代にまで伝えられる結果となりました。
生駒山山上遊園地を後にし、再び生駒駅へ。さらに東へ。

46.洋館付き住宅 東新町










洋館付き住宅。東新町。
47.洋館付き住宅










歩いていて偶然発見。典型的な洋館付きの文化住宅。
48.洋館付き住宅










現在は空家のようです。

49.生駒ふるさとミュージアム(旧生駒町役場) 山崎町 昭和8年










旧生駒町役場。山崎町 昭和8年。
50.生駒ふるさとミュージアム(旧生駒町役場) 










地方都市の役場らしい和風の庁舎です。
51.生駒ふるさとミュージアム(旧生駒町役場) 










現在は生駒ふるさとミュージアムとして利用されていますが、内部の室内は展示室となり面影が全くないのが残念かな。

生駒市には数年前まで他にも洋館が残されていたようですが、現存していないのは残念でした。
それでも宝山寺獅子閣を始め色んな近代建築に出会えた探索でした。

besan2005 at 11:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 奈良県 | 近代化遺産

2023年05月05日

和歌山市の近代建築探索レポ日記

0.和歌山城










2019年1月4日に探索した和歌山市の近代建築探索レポ日記です。記事を書いてる2023年からはもう4年が経つので、失われている建物もあるかもしれません。

1.旧日本勧業銀行和歌山支店 六番丁 大正14年










旧日本勧業銀行和歌山支店。六番丁。大正14年。
2.旧日本勧業銀行和歌山支店










大正時代の建物とは思えないモダンさ。現・みずほ銀行和歌山支店

3.旧和歌山郵便局電話分室 十一番丁 大正15年 山田守










旧和歌山郵便局電話分室。十一番丁。大正15年。
4.旧和歌山郵便局電話分室










設計はあの山田守。山田守は逓信省関連の建物を多く設計しています。

5.うどんの大田萬 本町










大田萬。本町。元は服飾店だったようですが、現在はうどん屋さんになっているようです。
この時はまだ空家でした。

6.下見板張りの大型洋館 本町










下見板張りの大型洋館。中之島町。北方面に向かっていて、たまたま見つけた建物。
7.下見板張りの大型洋館








個人宅には見えないので、何かの施設だったのでしょうか。航空写真を見たら、工場のようにも見えます。

8.下見板張りの洋館










学校に見えなくもないですが。
9.下見板張りの洋館










別棟の建物。こちらも大型の建物です。

10.本町小学校の空襲跡










姶成国民学校(現・本町小学校)の和歌山大空襲の痕が残る塀。
昭和20年7月9日の和歌山大空襲の際に焼け焦げた塀が残されています。

11.旧和歌山紡績紀ノ川工場 五筋目 大正8年










旧和歌山紡績紀ノ川工場。五筋目。大正8年。
12.旧和歌山紡績紀ノ川工場










昭和16年に大和紡績となり、現在は倉庫として使用されています。
13.旧和歌山紡績紀ノ川工場










大きな煉瓦建築です。

14.煉瓦の工場建築 西布経










旧和歌山紡績紀ノ川工場の煉瓦建物の近くにある煉瓦建築。西布経。
15.煉瓦の工場建築










これも和歌山紡績紀ノ川工場の建物の一部だったのでしょうか。

16.紀勢本線高架橋 西布経










南海本線高架橋。西布経。高欄のデザインを見たら古そうに見えますが…
17.紀勢本線高架橋










どうでしょうか?

18.旧西本組本社ビル 小野町 昭和2年













旧西本組本社ビル。小野町。昭和2年。
19.旧西本組本社ビル










西本組はかつて存在した大手の土木建築会社。
20.旧西本組本社ビル













現在はテナントビルとなっていますが、街のランドマークになってます。
21.旧西本組本社ビル













正面玄関の三角ペディメントが目を引きます。
22.旧西本組本社ビル










中に入らせてもらいました。
23.旧西本組本社ビル










内部の壁も当時のまま生かされており、良い雰囲気です。
24.旧西本組本社ビル










奥の階段室。
25.旧西本組本社ビル













階段も良い感じです。
26.旧西本組本社ビル













3階にはお手洗いがありました。

27.和歌山県庁 小松原通 昭和13年










和歌山県庁。小松原通。昭和13年。現存する数少ない戦前の県庁舎。
28.和歌山県庁










正面階段。
29.和歌山県庁










1階階段室。
31.和歌山県庁










正面のレリーフは、保田龍門作「丹生都比賣命」(昭和14年)
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2階階段。
32.和歌山県庁










正面のレリーフは、保田龍門作「高倉下命」(昭和14年)
30.和歌山県庁










正庁の間。ちょうど年始の挨拶がされた後でした。
竣工当時の絵葉書

33.戦前ビル 湊通丁南










戦前のビル。湊通南丁。偶然見つけた建物。
34.戦前ビル













屋上の高欄といい、戦前で間違いないと思い撮影。
35.戦前ビル










背面。元は何の建物だったんでしょう。倉庫かもしれませんが。

36.洋館住宅 湊通丁南










洋館住宅。湊通南丁。先ほどの戦前ビルの隣にある洋館。

37.滋野医院 真砂丁 大正10年










滋野医院。真砂丁。大正10年。
38.滋野医院










現役の立派な洋館医院。
39.滋野医院










玄関のステンドグラス。待合室をちょっと見せてもらいましたが、そちらも立派でした。
40.滋野医院










滋野医院に隣接して建つ洋館。恐らく院長さんの自宅でしょう。昭和初期っぽく見える大きく立派な洋館。

41.洋館付き住宅










洋館付き住宅。藪ノ丁。

42.真砂浄水場発電機室 吹上 昭和11年










真砂浄水場発電機室。真砂。昭和11年。真砂浄水場にある建物。
43.真砂浄水場北送ポンプ室 大正14年










こちらは北送ポンプ室。大正14年。もう一つ、南送ポンプ室もあるのですが、上手く撮影できませんでした。

44.鈴木邸 吹上町










S邸。吹上町。洋館付きの大きなお屋敷。

45.旧制和歌山中学校図書館 吹上 昭和4年










旧制和歌山中学校図書館。吹上町。昭和4年。現在は桐蔭高校の同窓会館。

46.旧紀陽織布社宅 鷹匠町 大正9年










旧紀陽織布社宅群。鷹司町。大正9年。
47.旧紀陽織布社宅










近代建築好きには割と知られている建物。煉瓦の建物がずらりと並びます。
49.旧紀陽織布社宅













一番端に当時の面影を残す1棟があります。1階が煉瓦造で2階が木造だったようですが、住み心地はどうだったんでしょうね。

50.藤谷邸 堀止東










F邸。堀止東。大きなお屋敷の一角にモダンな洋館があります。

51.洋館付き住宅 新堀東










新堀東にある洋風長屋。

52.島村邸 堀止東 大正15年 あめりか屋










S邸。堀止東。大正15年。大きな洋館住宅。設計・施工、あめりか屋。
53.島村邸










玄関部分のステンドグラス。

54.がんこ六三圓 堀止西 大正末期










がんこ和歌山六三園。堀止西。大正末期。相場師だった松井伊助の別邸だったお屋敷。
55.がんこ六三圓










現在はがんこチェーンの店舗となっています。お昼はここでいただきました。
56.がんこ六三園













六三園の敷地には日本建築だけでなくこのような煉瓦建築や
57.がんこ六三園










洋館も残されています。これは浴室棟。

58.郭家住宅 今福 明治6年










郭家住宅。今福。明治6年。
59.郭家住宅













元は郭百甫医院だったコロニアル様式の住宅兼医院。貴重な明治初期の洋館。
60.郭家住宅










しかし私が訪ねたときはだいぶ老朽化が進んでいました。
62.郭家住宅













現在、郭家住宅の保存の要望が出され、保存会が活動されています。修復保存され、通年公開されることを願っています。

63.旧陸軍歩兵第61連隊正門 砂山南










陸軍歩兵第61連隊正門。砂山南。
64.旧陸軍歩兵第61連隊歩哨舎










陸軍歩兵第61連隊歩哨舎。連隊の敷地は若山商業高校と西和中学校の敷地となってますが、この正門と歩哨舎が記念として残されています。

65.旧和歌山陸軍墓地忠霊塔 西高松 昭和16年










旧和歌山陸軍墓地忠霊塔。西高松。昭和16年。忠霊塔の建設に当たり、個人墓の墓標は万性寺に移されました。

66.岩崎邸 松ヶ丘 










I邸。松ヶ丘。昭和初期頃。
68.岩崎邸










ハーフティンバーのオシャレな洋館。

69.綿貫邸 東小二里町










W邸。東小二里町。大きなお屋敷に付属する洋館。

70.廃墟の洋館 松ヶ丘










廃墟の洋館。松ヶ丘。
71.廃墟の洋館










1階壁のタイルは陽刻のテラコッタになっており、贅を尽くした感じとなっています。

73.洋館付き住宅 西高松










洋館付き住宅。西高松。屋根が傷んでいるようで修理中でした。

74.洋館付き住宅群










洋風長屋。秋葉町。新堀東にある洋風長屋と同じタイプですね。

75.前田邸 秋葉町










M邸。秋葉町。

76.旧中原嘉吉邸 和歌浦東 昭和3年










旧中原嘉吉邸。和歌浦東。昭和3年。大きな屋敷にある立派な洋館。
77.旧中原嘉吉邸










中原嘉吉は染色業で財を成した人物。

78.旧由良山荘(旧由良浅次郎邸) 和歌浦東 明治43年










旧由良山荘(旧由良浅次郎邸)。和歌浦東。明治43年。廃墟界隈では有名な山の上に建つ巨大な洋館。元は由良浅次郎の自邸。由良浅次郎は合成染料の国産化などで財を成した人物。
現在は廃墟となっているこの巨大洋館、こちらのサイトによると、内部もかなり贅を尽くしたもので、超一級の洋館だと分かります。ちなみにここで真珠湾攻撃の密議がされたとも(本当かなぁ?)
洋館は老朽化が進んでいるとはいえ、丈夫に造られているのか、写真を見る限り痛みは少なく感じます。是非内部を見てみたいとはいえ、許可なく入ると不法侵入に・・・。文化財指定される価値は十分ある一級のこの洋館、なんとか修復保存して公開・活用されてもらいたいものですが。


besan2005 at 12:18|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 和歌山県 | 近代化遺産

2023年03月08日

京都市役所本庁舎屋上に残る高射機関砲座について。

1.外観全体










武田五一の設計により第1期工事の昭和2年と第2期工事の昭和6年に完成した京都市役所本庁舎。以前は建て替えの話もありましたが、本庁舎の歴史的価値が認められ、免震等の改修により保存が決定しました。その京都市役所本庁舎ですが、あることをきっかけに戦時中に高射機関砲が設置され、その高射機関砲座の遺構が残されていると知りました。

2.資料













所蔵書籍による記載。「語りつぐ京都の戦争と平和」より。これによると、京都市役所本庁舎の屋上にある円形のコンクリート構造物は、高射機関砲の砲座だったと書かれています。また、市内には西大路七条西、深泥池北の京都博愛病院の裏山、将軍塚、伏見区久我に高射砲陣地があり、これ以外にも花山天文台の南にも高射砲陣地があったことが判明しています。
京都市役所は近代建築という観点で何度も公私ともに訪れていましたが、高射機関砲座が残されていることは全く知らなかったため、それについては着目していませんでした。そこで近くですし用事がてら京都市役所へ向かう事にしました。

6.地上から










河原町通り側から見た京都市役所本庁舎。今まで気づかなかったですが、屋上に怪しい円形のものが見えます。

7.地上から










アップにしましたが、1ヵ所が開口しています。今まで新しく作られたタンクかなと思ってスルーしていましたが、これは確かに。近くで観察するために屋上へと向かいます。

16.屋上全体










京都市役所本庁舎の屋上は屋上庭園に整備され、平日であれば誰でも入ることができます。

3.東側砲台










京都市役所本庁舎東側の階段室の塔屋屋上にあるコンクリートの円形構造物。これが京都市役所本庁舎の屋上に残る高射機関砲座のようです。円形のコンクリート構造物は高射機関砲の障壁。
4.東側砲台障壁










拡大。コンクリートの型枠の感じを見ると、最近のものではなくやはり戦前の特徴を感じます。
11.平面図











京都市役所のHPで公開されていた本庁舎実施設計の平面図より引用。高射機関砲座の障壁は円ではなく、螺旋状になっています。これは恐らく開口部の前面を塞いで被害をより少なくするためと思われ、大牟田市の宮浦高射砲陣地の砲座の類例があるようです。
13.西側階段室内部










東側階段室塔屋の内部。屋上の高射機関砲座へと上がる梯子や階段は無いため、外付けの梯子で登ったのでしょう。その梯子が残ってないか探してみましたが、庭園側には痕跡はなく、裏側は入ることができないため、確認はできませんでした。

8.西側砲台










続いては西側階段室塔屋屋上の高射機関砲座。東側にある障壁は西側にはありませんが、円形の砲座は残されています。
9.西側砲台










西側階段室塔屋。
10.西側砲座上空













京都市役所HPの現在の市庁舎整備工事の写真より引用。ちょっと分かりづらいですが、確かに西側階段室塔屋屋上に円形の砲座が残されています。
12.改修前






こちらも京都市役所HPの市庁舎整備基本構想の写真より引用。改修前の京都市役所本庁舎の写真を見ると、本来は西側階段室塔屋の高射機関砲にも障壁があったことが分かります。
市役所古絵葉書001








所蔵の竣工時の京都市役所本庁舎。西側階段室塔屋の上部には何も無く、東側もそれらしい構造物が確認できないことから、本来は無かったものだということが分かります。
13.西側階段室内部










西側塔屋の内部にも屋上に上がる階段や梯子が無いことから、外付けの梯子で登っていたことが分かります。

市役所庁舎の建物を戦時中に防空砲台として利用した例として、大牟田市役所庁舎があります。こちらは高射機関砲座の他に防空監視哨や防空監視員詰所が残されています。恐らく戦時中に後から増築されたものでしょう。京都市役所本庁舎も防空監視哨があったはずだと思いますが、それらしい建物は見当たりません。

14.塔屋













恐らくですが、京都市役所はこの中央に建つ塔屋を防空監視哨及び防空監視員の詰所として利用したのではないでしょうか。高い構造物な上に開口部も小さめで都合が良かったのだと思います。ただし、大牟田市役所の方も中央に塔屋を建てていながら防空監視哨を造っているため、京都市役所にも本来は塔屋とは別の防空監視哨があった可能性もあります。

15.市役所から御所方面










京都市役所本庁舎から京都御所方面を望む。京都市に配置された高射砲陣地は京都市街の防空目的の他に京都御所の防空も重要任務だったのではないかと思われます。
京都市内の高射砲陣地2















最初に紹介した所蔵書籍に記述のある高射砲陣地と花山天文台南の高射砲陣地の場所を配置してみました。※花山天文台南の高射砲陣地に関しては、いつもお世話になっています盡忠報國様のブログ「大日本者神國也」に詳細なレポ記事があります。
右の古写真は国土地理院公開の航空写真より引用。分かったものだけ引用しましたが、はちょっと怪しいかも。
各高射砲陣地の位置を見ますと、市街地もですが、京都御所・梅小路機関区・京都駅など重要施設の防空を考慮した感じに思えますね。

京都市には空襲が無かったと思われがちですが、他の都市みたいな市街地丸ごと焼き尽くす大規模空襲は無かったものの、空襲自体は何度もありました。大きいものでは西陣・馬町・太秦の空襲があります。
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所蔵書籍「語りつぐ京都の戦争と平和」に記載のある体験談では、上京区と中京区の空襲では、高射砲の砲撃音を聞いたとあります。どこの高射砲かは不明ですが、場所的に一番近いのは京都市役所になります。この証言によるなら、防空砲台として機能はしていた可能性はあります。

今回確認した京都市役所本庁舎屋上の高射機関砲座の遺構ですが、京都市役所公開資料を見ますと、障壁がパース図や平面図に描かれており、市側は恐らく理解して保存したように思えます。もしそうだとするなら、是非解説板を設置して欲しいところですが…。
あと、防空監視員や高射機関砲部隊の戦時日誌等の資料による裏付けが欲しいところですので、もし現存しているのならぜひ確認してみたいところです。

※2023年5月24日追記
京都市防空総本部組織図ブログ用










歴彩館で資料を探していたら、昭和19年8月17日の京都市公報に、京都市防空総本部の組織図がありました。

本庁舎記述










その中に「本廰舎防空要員ノ給養實施ニ關スル事項」「本廰舎ノ防衛ニ關スル事項」の記述があり、京都市役所庁舎の防空を担当する要員がいたことが分かります。高射機関砲座に関する直接的な記述は今回は見つけられませんでしたが、京都市役所庁舎の防空を担当する要員がいたことが確認できたため、これが一応、京都市役所庁舎の屋上に高射機関砲座が存在した証明の1つになるでしょうか。
今後も調査を継続していきたいと思います。

※2023年5月27日追記
朝日新聞 京都市役所砲台記事ブログ用







朝日新聞平成20年10月5日版「習慣まちブラ小路上ル下ル」に京都市役所屋上の高射機関砲座についての記事がありました(朝日新聞京都総局提供)。記事によれば、京都市の記録には無いが、「太平洋戦争中、大砲を置いて空襲に備えた。」や「師団街道を通って、深草の部隊が防衛に来ていた」という複数の証言が紹介されています。この証言が正しいなら、陸軍の部隊が高射機関砲座を担当していたことになるため、市や府の記録に無いのもうなづけます。

昭和28年撮影の京都市役所ブログ用







『「京」なかぎょう : 中京区制60周年記念誌』に掲載されている、昭和28年に撮影された京都市役所庁舎。屋上の東西の塔屋の上には砲座のコンクリート障壁が見えます。
砲台




砲座の拡大。現在は失われている西側の砲座のコンクリート障壁が写されています。
少なくとも昭和28年の写真で確認できることから、時代的に考えても意味もなくこんなものを作る理由がありませんので、やはり戦時中に作られた砲座の障壁と考えていいかと思います。



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2023年03月05日

京都市右京区嵐山・嵯峨野界隈の近代建築探索レポ日記

渡月橋










日本や世界で有数の観光地、京都市右京区の嵐山・嵯峨野界隈の近代建築を探索してきました。
嵯峨嵐山は神社仏閣や渡月橋など、まさに京都と言ったイメージの観光地ですが、市内中心部より数は少ないものの、洋風建築の近代建築もいくつか残されています。今回はそれらを探索。
まずは、JR嵯峨嵐山駅の南側に位置する嵐山地区へ。

1.嵯峨郵便局 大正10年










旧嵯峨郵便局。大正10年。JR嵯峨嵐山駅の旧駅舎が取り壊された現在、嵯峨嵐山界隈では一番有名な近代建築かも。近年までクラフト工房の店として使用されていましたが、現在はイギリス式の紅茶とスコーンの専門店となっています。

嵯峨駅舎









取り壊し前に撮影したJR嵯峨嵐山駅の旧駅舎。明治28年築の洋風駅舎で、京都市内でも最古に当たる洋風駅舎でしたが、高架駅化工事に伴い残念ながら取り壊し。残っていたら、国登録有形文化財にはなってたかも。
渡月橋方面へ。

2.西邸










N邸。渡月橋の近くに切妻屋根の同じ形をした洋館が並んでいる一角があります。
3.嵐山の洋館住宅群










恐らく戦前に区画整理され分譲されたエリアのようです。
4.嵐山の洋館住宅群










この洋館は建売だったのでしょうか?
5.嵐山の洋館住宅群










多くの住宅は外観が改装されていますが、N邸は当時と思われる外観が保たれています。
6.ベランダ










このベランダの柵は当時の物でしょうか。
6.洋館住宅群の煉瓦










切妻屋根の洋館が建ち並ぶ向かいには赤煉瓦の基礎の板塀を持つ住宅が並びます。こちらも同じ形の住宅が並んでおり、当時の建物と思われます。
ここから少し東へ。

7.早川邸










H邸。2軒の洋館が1つになっている感じに見える住宅。右側の方は表札無しなので空き家のようですが、左側は表札有。しかし、住人かいるようには見えませんでした…
ここから北に上がり車折神社方面へ。

8.六宇洞 写経道場










六宇洞。隣にある報徳寺の関連の建物と思います。写経道場の看板が出てましたが、報徳寺の庫裏かも。
9.六宇洞










建物は寺院風のデザインの中に洋風の要素も含むちょっと珍しい外観。お寺の施設なので寺院風の外観にしつつも、住宅としての性格のある建物だから洋館っぽい外観も取り入れたんでしょうか。
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車折神社は枝垂れ梅が満開でした。
嵐山界隈の探索はここまで。次はJR嵯峨嵐山駅の北側、嵯峨野エリアへと向かいます。

10.HATA邸










H邸。住宅地の狭い道を進んだ奥まった所にある洋館。アメリカンスタイルっぽい外観の洋館です。
11.HATA邸










本格的な洋館で、しっかりとした設計者の手によるものに思えます。昭和初期でしょうか。
設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書には記載がありません。

12.今井邸










I邸。ハーフティンバーのこちらも本格的な洋館住宅。
13.今井邸










こちらも大規模な洋館で、設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書に記載なし。
見た感じは、あめりか屋設計の昭和初期の洋館に思えるのですが。

14.秋山邸










A邸。こちらも昭和初期と思われる洋館住宅。昭和初期に良く使われた丸窓が玄関部分にあります。
15.秋山邸










外観のデザイン的に、熊倉工務店の設計のように思えますが、これも京都市近代化遺産調査報告書に記載は無し。
16.秋山邸










裏側にベランダがあるようです。

これにて阿鷲山・嵯峨野界隈の近代建築探索は終了。嵐山地区は古くからの景勝地ですが、中流家庭向けと思われる分譲地に建つ洋館群が見られる一方、嵯峨野は本格的な大型の洋館が残り、高級住宅地だった可能性が考えられています。嵯峨野の3件の洋館はどれも本格的で、名のある建築家か建設会社が設計しているような印象ですが、どれも京都市近代化遺産調査報告書に記載はなく不明なのが残念です。


besan2005 at 11:48|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2023年02月19日

京都市・西七条〜西京極〜西院〜壬生界隈の近代建築探索レポ日記

今回は京都市の西七条から西京極、西院、壬生界隈の近代建築探索をしました。
西院と壬生界隈の近代建築探索については、2019年11月27日に行っており、今回はその補足探索も兼ねていますので、過去記事の方もご覧ください。
京都市・二条〜西院〜壬生・大宮界隈の近代建築探索レポ日記

JR梅小路西駅からスタート。


1.第一工業製薬 下京区東久保町 昭和12年 










第一工業製薬本館。下京区東久保町。昭和12年。
2.第一工業製薬










3階建ての大きなオフィスビル。
6.第一工業製薬










かっては本館の横に同じ昭和12年築の工場棟と研究棟が建っていました。
3.第一工業製薬









工場棟と研究棟が建っていた頃の写真。だいたい20年くらい前。
4.第一工業製薬









現在は本館のみ残され、跡地にはマンションが建てられています。
このまま西へ。

7.日下部邸 下京区梅小路石橋町










K邸。下京区梅小路石橋町。洋館付き住宅ですが、洋館部分が大きく目立ち、主屋は控えめ。門柱も当時の物のようです。

8.旧工場か 下京区西七条中野町







旧工場。下京区西七条中野町。町工場でしょうか。和風の工場棟。
9.旧工場か







縦に長い建物です。

10.洋館付き住宅 下京区西七条南西野町










洋館付き住宅。下京区西七条南西野町。2棟の建物は接続しており、長屋的な構造になっています。

11.ハピネスハウス 下京区西七条比輪田町










ハピネスハウス。下京区西七条比輪田町。現在は何に使われているか不明。

12.岩井たばこ店 下京区西七条南衣田町










岩井たばこ店。下京区西七条南衣田町。七条通りには戦前の古い商店建築がちらほら残されていますが、このたばこ屋さんは戦前の文字とかが残っていて中々貴重。
13.岩井たばこ店










建物の雰囲気も良い感じですね。
14.岩井たばこ店










壁面にある「たばこ」の文字。軒周りの装飾も良い感じ。
15.岩井たばこ店










正面にはマークと「印判彫刻」「諸印刷」の文字があり、印刷関係の業務もしていた感じです。
ここから北上し右京区へ。

16.宝田工業 右京区西京極南庄境町










宝田工業。右京区西京極南庄境町。玄関側の角を丸く仕上げている手が込んでいる事務所建築。
17.宝田工業










こういったモザイクタイル張りの建物もあまり見なくなりましたね。
18.宝田工業










現在は使われていないようで空き家状態。良い建物だと思うので、再活用されればいいのですが。

19.京都友禅文化会館 右京区西京極豆田町 1968年










京都西陣文化会館。右京区西京極豆田町。戦後建築の昭和43年(1968年)の築ですが、レトロモダンなその雰囲気が気になって撮影。最近のアパートはポストモダン的な要素が多く、こういった純粋なモダニズム建築のアパートは少なく、やはりレトロな雰囲気を感じます。
20.京都友禅文化会館










かつてはモダンな建物だったこのアパートもすでに築55年。もう老朽化の影響が出ていそうな気がします。まだまだ入居できるようですが、今後どうなるか。

21.勝浦邸 右京区西京極西川町










K邸。右京区西京極西川町。主屋に2階建ての洋館が付属する住宅。もしかしたら、商店だったかも。
22.勝浦邸










喫茶リエは洋館の隣にある別の建物。

23.北尾邸 右京区西京極西川町










K邸。右京区西京極西川町。
25.北尾邸










外観は中々本格的な洋風。なんとなく元医院だった気がします。
24.北尾邸










立地は三角形の土地に建っているためか、不定形な形です。

26.旧西京極変電所 右京区西京極畑田町










旧西京極変電所。右京区西京極畑田町。現在の西京極変電所の横に建つ建物なので、建物の形などから変電所の旧建屋ではと思います。

27.旧西京極変電所










見た感じは昭和10年代の建築に見えます。取り壊さず倉庫か何かに再利用したのでしょうか。
ここから阪急に乗り西院へ。

28.京都市農業協同組合西院支部 右京区西院春日町










京都市農業協同組合西院支部。右京区西院春日町。農協の建物で、春日神社の隣にある建物。
29.京都市農業協同組合西院支部










元々は公民館とかそんな感じの建物だったのでしょうか。奥に洋館が付属しています。
次は東へ進み壬生方面へ。

30.理容那須 中京区壬生森町










理容那須。中京区壬生森町。外観はシンプルですが、中々味のある建物。

31.理容那須










いつまでも現役で続けて欲しいです。

32.芥川医院 中京区壬生森町










芥川医院。中京区壬生森町。前回訪問済みの建物。理容那須はこの芥川医院のすぐ近くで、なんで前回の探索で理容那須をスルーしてしまったのか。戦前の個人医院の洋館はどれも素晴らしいものが多いです。

33.芋松温泉 中京区壬生森町










芋松温泉。京都市中京区壬生森町。これも前回訪問済み。最近はこういう趣のある銭湯も減りましたね。

34.翠明荘 中京区壬生森町










翠明荘。中京区壬生森町。芋松温泉の向かいにある古いアパート。向かいなのに何故前回スルーしたのか。
35.翠明荘










で、このアパートですが、普通のアパートにしては雰囲気がなんか違う。
36.翠明荘










入口に唐破風が。あと玄関脇に意味深な丸窓とのぞき窓っぽいのが。
これ、遊郭関連の建物じゃないかと。普通、アパートの入口にこんな唐破風屋根は設けない。
20230218_101425










近くの通りには遊郭建築っぽい建物が並んでいたり。壬生には確かに壬生寺近辺に遊郭街があったそうですが、ここは少し離れているのが気になります。小規模な遊郭街が゛あったのでしょうか。
ここから二条駅方面へ。

37.植村邸 中京区壬生神明町










U邸。中京区壬生神明町。洋館付き住宅ですが、戦後かもしれません。

今回の探索はこれで終了。まだ未探索エリアだった西七条〜西京極界隈の物件を把握することができ、前回の探索で見逃した物件も埋めることが出来ました。

besan2005 at 11:54|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2023年02月12日

奈良市内の近代建築補足探索レポ日記(2023年2月11日)

4年前の2019年1月12日に探索した奈良市内の近代建築ですが、その後記事にするにあたりチェックしたところ、4年前の探索範囲で結構見逃している物件が多くあり、今回改めて補完するため補足探索をしてきました。4年前の探索分の記事と合わせてご覧いただけたらと思います。
奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
また、有名物件なので何度も見ているけど、いつもスルーしていた建物もこの際なので紹介したいと思います。

今回は近鉄新大宮駅からスタートし、前回探索範囲をなぞる形で回っていきます。
1.水野邸 芝辻町







M邸。芝辻町。童話に出てくるような可愛らしい洋館が付属しています。

2.権隋邸 法蓮町







G邸。法蓮町。住人の方のお名前はとても珍しい名字。庭木の手入れをしている人がいたのであまり近づけませんでしたが、中々レベルの高い洋館です。
3.権隋邸







背面。窓の先端が尖る尖頭アーチっぽいデザイン。昭和初期頃でしょうか。

4.洋室のある和洋折衷住宅 法蓮町







洋室付き住宅。法蓮町。
5.和洋折衷住宅







見づらいですが、玄関脇に小さな洋室が付属しています。現在は空家のようでいずれ姿を消しそうです。

6.堂浦邸 法蓮町







D邸。法蓮町。2019年に探索した際に訪問したI邸のすぐ隣の住宅。何故見落としたんだろうか。小さな洋館ですが、前面にドンとあるので存在感があります。

7.佐保会館 北魚屋西町 昭和3年







佐保会館。北魚屋西町。昭和3年。奈良女子大学の同窓会館の建物。実は4年前の探索時にこれを見ているのですが、その時は何故か写真を撮らなかった。

8.波多腰邸 西笹鉾町







H邸。西笹鉾町。奥に大き目の洋館が見えますが取りづらい・・・。

10.旧南都銀行手貝支店 手貝町 昭和15年







旧南都銀行手貝支店。手貝町。昭和15年。国宝・転害門の隣にある銀行。昭和15年の銀行建築と言えば、RC造のモダニズム建築かもしくは古典建築が主流だったと思いますが、奥に見えている転害門との調和を考えてか、和風の木造建築となっています。近年リフォームされ、転害門観光案内所として使用されています。

11.洋風商店建築 手貝町







12.洋風商店建築 手貝町







旧南都銀行手貝支店と同じ通りに並ぶ洋風の看板建築。

13.鼓阪小学校講堂 雑司町 昭和11年







鼓阪小学校講堂。雑司町。昭和11年。転害門の裏、東大寺の敷地に隣接する小学校。そのためか、建物自体はRC造ですが、外観は日本建築。当時から歴史的な景観に関しての配慮があったんですね。

14.奈良ホテル







2019年の探索でも訪問した奈良ホテル。辰野金吾設計の名建築は言うまでもないです。
15.奈良ホテルの防空壕







今回訪問したのはこれを見るため。実はこれは防空壕。
16.奈良ホテルの防空壕







宿泊者を空襲から守るために造られた防空壕は、銅鑼で知らせたそうです。

15.活活邸 紀寺笠屋街







活活亭。紀寺笠屋町。昭和初期頃の洋館住宅を再利用した鰻料理店。
16.活活邸







割とリーズナブルな値段で食べられるお店だったようですが、ネットの情報では2020年から休業をしているらしく、私は訪問した際はちょっと荒れ気味で、もう廃業かもしれません。食べログの写真を見ると、1階は和室。2階へ上がる階段はセセッション風の手摺で、是非見たかったですが…。

17.濱田邸 高畑町







H邸。高畑町。2019年にも訪問し、記事にも書いてますが、4年前には存在した手前の民家が更地になっており、全体が見渡せる状態になっていました。

19.スクラッチタイルの門柱 高畑町







スクラッチタイルの門柱・塀柱。高畑町。奥の住宅は建て直されているようですが、門と塀の柱が昭和初期頃の感じに見えるので掲載。

20.松居邸 紀寺町







M邸。紀寺町。これと同じような小型の丘屋根の洋館が付属する住宅は、2019年探索時の高畑町のK邸にもありました。

21.洋館付き住宅群 紀寺町







洋館付き住宅群。紀寺町。3軒ほどあります。

22.松原邸 紀寺町







M邸。紀寺町。奈良市内の洋館が付属する住宅の洋館は、切妻屋根で妻側を向けているのが多いですね。

23.イケダ醤油煉瓦倉庫 肘塚町 明治〜大正







イケダ醤油煉瓦倉庫。北京終町。大正10年頃。京終駅へと向かう途中の住宅街にある大きな煉瓦建築。
24.イケダ醤油







妻側。

25.京終駅 京終町 明治31年







JR京終駅。京終町。明治31年。JR桜井線の駅。
26.京終駅







レトロな木造駅舎ですが、近年リフォームされ、駅員室は喫茶店となっています。
27.京終駅







ホーム側から。大切に使われているのはいいですね。
28.京終駅







京終は「きょうばて」と読みます。由来はかつての平城京の外れという意味。日本でも有数の難読駅名・難読地名ですね。この京終駅から電車に乗りJR奈良駅へ。京終駅から奈良駅は1駅。

29.旧奈良駅舎 三条本町 昭和9年







旧奈良駅舎。三条本町。昭和9年。RC造の駅舎ですが、外観は寺院の仏塔をイメージした和風の要素のある建物。2001年の立体交差化で取り壊しが検討されましたが、地元住民や観光客から保存を望む声が湧きあがり、2004年に北東へ18m曳家して保存することが決定。2009年に奈良市総合観光案内所としてオープンしました。
30.旧奈良駅舎







内部も和の要素を取り入れたデザインで、天井は折上格天井となっています。現役の頃に行ったことありますが、現在は観光案内所という性格か寺院建築の柱や梁を模したオブジェとかが置かれてちょっと邪魔かな・・・。ちなみに建物内にはスタバもありますので、一息つくにはいい感じの建物です。

31.羽田邸 杉ヶ町







H邸。杉ヶ町。
32.羽田邸










もしかしたら、事務所建築だったのかもしれません。表札は一応ありましたが、上から消されているような感じにも見え、空き家かもしれません。

33.三条会館ビル 旧帝国実業貯蓄銀行 角振町 大正12年













三条会館ビル。角振町。大正12年。元は帝国実業貯蓄銀行。奈良市の繁華街である三条通りに面するレトロビル。昔から知られている建物で、幾度もテナントが変わり改修もされてきました。現在はうどん屋さんが入っています。

34.南都銀行本店 大正15年










南都銀行本店。橋本町。大正15年。設計・長野宇平治。旧六十八銀行奈良支店だった建物で、三条通りのランドマークと言える建物であり、奈良市を代表する近代建築。
35.南都銀行本店










京都市内もですが、20年ほど前はまだ戦前の古典様式の銀行が多く残されていましたが、銀行の合併や再編で10年ほど前から次々と姿を消し、今では貴重な存在となっています。この南都銀行本店は大切に保存されているようです。

36.日本聖公会奈良基督教会 登大路町 昭和5年










日本聖公会奈良基督教会。昭和5年。登大路町。まるで寺院のような教会。奈良という土地に合わせて寺院風の建築で建てられているのが面白いですね。

0.旧大阪電気軌道富雄変電所 富雄北 大正3年







旧大阪電気軌道富雄変電所。富雄北。大正3年。2023年1月29日の富雄丸山古墳現地見学会に行った際に訪問。保存運動があり、以前はレストランとして再利用されていたみたいですが、現在は再び空き家となっているようで、今後どうなるかが気になります…。

これで奈良市内の近代建築の補足探索は終了。一応把握している建物は廻れたかなと思います(奈良国立博物館は有名すぎるのでスルー)。しかし、まだ場所を把握していない物件が少しあり、また新たな物件が見つかる可能性もあるので、それからまた溜ったら再度補足探索をして追加記事を書きたいと思います。奈良市と洋風建築って中々結びつかないように見えますが、結構残されていたりしますので。

besan2005 at 11:22|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 奈良県 | 近代化遺産

奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)

奈良市内の近代建築探索のレポ日記です。今から4年前の2019年に1度探索を行いましたが、その後改めてチェックすると、結構スルーしている物件が多く、2023年2月11日に補完するための補足探索を行いました。そこで2019年1月12日の探索分と補足探索である2023年2月11日の探索分の2つに記事を分けることに。今回は2019年1月12日の探索レポ日記です。
2023年2月11日の補足探索レポ日記の記事はこちら

近鉄奈良駅から移動し、まずは奈良市内の西側からスタート。

1.スクラッチタイルの洋館 芝辻町










M邸。芝辻町。
2.スクラッチタイルの洋館













スクラッチタイル張りの背の高い洋館。軒周りの装飾が良い感じです。


3.松村邸 北市町 昭和初期













M邸。北市町。これはまた雰囲気のある洋館。
4.松村邸










一部改装されていますが、ドイツ風っぽい良い感じの洋館。昭和初期頃。
5.松村邸













入り口部分も凝ってますね。ここから北上。

6.洋館付き住宅 法連町










洋館付きの住宅。法蓮町。
7.洋館付き住宅










洋館付き住宅は割と見ますが、この住宅の洋館は結構大型。腰回りは板張りでデザインも凝ってます。表札が取り外されていてもしかしたら空家かも。

9.長谷邸










H邸。法蓮町。先ほどの洋館付きの住宅から同じ通りを少し北上した所にある住宅。
洋館のデザインに少しだけ差があるのみで、洋館の外観や規模、奥の主屋も含めてほぼ同じ。一体は分譲住宅地だったんでしょうか。

10.稲田邸 法連町










I邸。法蓮町。1階が洋館で2階が和風建築の和洋折衷住宅。
12.洋館住宅 多門町










洋館住宅。多門町。大きく取られた窓が特徴的です。

13.二塚・今西邸 多門町










F邸。多門町。
11.稲田邸










先ほどのI邸とよく似た造りの和洋折衷住宅です。

14.洋館付き住宅










T邸。東包永町。洋館自体はそこまで大きくないですが、主屋が小さめで路地が狭いため、大きく見えます。

15.廃屋の洋館住宅 西笹鉾町










廃屋の洋館。西笹鉾町。すでに廃墟化しており荒れていますが、結構立派な洋館です。
16.廃屋の洋館住宅










元は医院だったのかもしれません。昭和初期頃でしょうか。
※2023年2月11日、消失を確認しました。

17.旧奈良警察学校 西笹鉾町 昭和16年










旧奈良警察学校。西笹鉾町。昭和16年。

18.旧奈良警察学校










元は警察学校という建物ですが、外観は昭和初期の小学校建築っぽいです。

19.旧奈良警察学校










玄関部分の車寄せとかいかにも昭和戦前期といったデザイン。現在は天理教関連の施設として使用。


20.吉田邸 半田西町










Y邸。半田西町。
21.吉田邸










どことなく土蔵っぽい雰囲気を持つスクラッチタイルの洋館。

22.旧鍋屋交番 半田横町 昭和3年










旧北魚屋町交番。半田横町。昭和3年。現在は案内所として使用されています。

23.奈良女子大学本館 宿院町 明治42年










奈良女子大学本館。宿院町。明治42年。

24.奈良女子大学










※奈良女子大学の写真は2019年4月30日の一般公開の際に撮影したものです。
女子大の建物らしく、瀟洒で可憐な美しい洋館。国指定重要文化財。
26.奈良女子大学守衛所 明治42年










奈良女子大学守衛所。明治42年。
25.奈良女子大学奉安殿 昭和9年










敷地内には昭和9年に建てられた奉安殿が現存しています。
IMG_3118










本館1階廊下。
IMG_3130










1階部屋。
IMG_3134










2階講堂。2019年4月30日の奈良女子大学一般公開の際のレポ日記は改めて別記事にて書きたいと思ってます。

27.中西邸 登大路町










N邸。登大路町。昭和初期頃のかなり大型の洋館。

28.中西邸










どことなくスパニッシュの雰囲気を持ちつつも控えめな装飾の洋館は、京都の分譲住宅で多く建てられた熊倉工務店やあめりか屋っぽさを感じますがどうでしょうか。
29.中西邸










側面。
30.中西邸










アーチ窓にはステンドグラスがありました。

32.洋館付き住宅 今在家町










洋館付きの住宅。今在家町。擬石洗い出しの荒壁仕上の小さな洋館が付属しています。

33.江戸川ならまち店 下御門町










江戸川ならまち店。下御門町。かなり大きなお屋敷を飲食店に再利用した建物。洋館部分は応接室だったのでしょうか。

34.旧奈良県物産陳列所 登大路町 明治35年










旧奈良県物産陳列所。登大路町。明治35年。奈良公園内にある和洋折衷の名建築。国指定重要文化財。

35.喜多邸 芝辻町 大正14年










K邸。芝辻町。大正14年。
36.喜多邸










食用細菌の研究を行っていた会社のオーナーの住宅だった洋館。
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工場の建物も残されていて、現在はカフェとして使用されています。

37.旧奈良市水道計量器室 東之阪町 大正11年













旧奈良市水道計量器室。 東之阪町。大正11年。現在は使われておらず、史跡といった形で残されています。

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旧奈良監獄。般若寺町。明治42年。貴重な明治の監獄建築。設計は山下啓次郎。奈良少年刑務所の閉鎖により、ホテルとして再活用されることになり改修前の一般公開が2018年11月24日に行われました。
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地下や中庭は中世ヨーロッパの古城のような雰囲気でした。旧奈良監獄の一般公開のレポ日記は別記事にしていますので、そちらをご覧ください。
※旧奈良監獄・一般公開見学レポ日記

38.奈良ホテル 高畑町 明治42年 辰野金吾










奈良ホテル 高畑町。明治42年。辰野金吾設計の名建築。
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ラウンジ。
P1030576










階段室の天井。
P1030560













奈良ホテルといえば、この赤膚焼の擬宝珠が有名ですね。奈良ホテルに関しては
また別記事にしたいかなと。
15.奈良ホテルの防空壕







※2023年2月11日撮影。
奈良ホテルの敷地内には防空壕も残されています。これは補足編で触れます。

39.ゲストハウスたむら 高辻町










ゲストハウスたむら。高辻町。洋館付きの住宅を宿泊施設に再利用したもの。割と手ごろな値段で宿泊でき、この洋館内で手作り朝食を頂けるようで、いつか泊まってみたいかなと。
ここから、高畑町の住宅街へ。

40.並川邸 高畑町










M邸。高畑町。ログハウス風の洋館。

41.旧足立邸 高畑町 大正6年










H邸。高畑町。
42.濱田邸










昭和初期頃の洋館でしょうか。
17.濱田邸 高畑町







2023年2月11日の補足探索時に再度訪問したら、前の住宅が更地となり、洋館の全体が確認できるようになってました。
42.旧足立邸正門










旧足立邸。高畑町。大正8年。洋画家・足立源一郎の自邸として建てられた洋館。昭和3年に洋画家・中村義夫が譲り受け自邸としました。
18.旧足立邸







現在は「たかばたけ茶論」という喫茶店になってますが、開店が14;00からと待っていられないので、敷地外から撮影して終了。

43.河井邸 高畑町










K邸。高畑町。

43.青山邸 高畑町










A邸。高畑町。鎧戸のある洋館。

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T邸正門・塀。高畑町。かなり立派な門と塀のある住宅。奥の住宅は最近のものですが、この門の立派さを見ると、かつては相当な洋館が建っていたのかもしれません。

44.高畑町の煉瓦塀










煉瓦塀のある長屋。高畑町。

45.洋館住宅 高畑町










表札不明の洋館。高畑町。

46.洋館住宅 高畑町










洋館住宅。高畑町。昭和初期頃と思われる大きな洋館住宅。
47.洋館住宅










表札が外されており、現在は空家のようです。
48.洋館住宅










側面。マントルピースの煙突があることから、内部も手が込んでいそうです。
49.洋館住宅










ステンドグラスもありました。このまま空き家状態で失われていくのは勿体ないなぁ。

50.洋館住宅 高畑町










洋館住宅。高畑町。もしかしたら戦後かもしれませんが、一応掲載。

51.洋館住宅 高畑町










洋館住宅。高畑町。2階窓が鎧戸です。

52.平屋の洋館住宅 高畑町










平屋の洋館住宅。高畑町。旧足立邸の向かいにありました。
高畑町を後にし、近鉄奈良駅方面へ。

寛永堂










寛永堂。東向中町。元銀行だそうで、内部に装飾を施した柱が残されています。


IMG_0994













これにて2019年の奈良市内の近代建築探索レポは終了。今回探索した範囲で見逃した物件と有名すぎていつも撮影せずスルーしていた建物を含めて4年後の2023年に補足探索を行いましたので、次回はそちらのレポ日記を書きたいと思います。

6奈良市内某所の廃洋館













※建物の性格上、具体的な場所は明かせませんが、奈良市内に明治〜大正期築の大型の洋館の廃墟が存在します。
13奈良市内某所の廃洋館













廃墟化してかなり荒れてますが、外観を見てもかなりハイレベルな洋館と分かります。
17奈良市内某所の廃洋館










室内にはマントルピースやシャンデリアの座繰りが残されており、その豪華さが伺えます。奈良市内の戦前の洋館住宅としては、古さ・規模・デザイン性ともに随一かと思われます。
以前訪問した際のレポ日記を別記事にして書いております。
奈良市内某所にある明治〜大正期築の廃墟の洋館・探索レポ日記
※具体的な場所はお答えできません。以前、荒らしに近い無礼なコメントがあり、リンク先の記事のコメント欄は閉じています。当記事でも同様のコメントに関しては即削除します。



besan2005 at 09:26|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 奈良県 | 近代化遺産

2023年01月29日

富雄丸山古墳・現地見学会レポ日記

富雄丸山古墳現地説明会資料001













造り出し部分の埋葬施設から国宝級の発見があったと大きく報道された、奈良市にある富雄丸山古墳の現地見学会に行ってきました。
富雄丸山古墳は4世紀後半に築造された径109mの国内最大の円墳です。明治時代に墳頂部にある埋葬施設が盗掘され(出土したとされる副葬品は京都国立博物館が所蔵。国指定重要文化財)、昭和47年に埋葬施設が発掘調査されています。今回大発見があった場所は墳丘の裾に近い造り出しの部分から見つかった埋葬施設。ここから国内でも例を見ない盾形銅鏡と巨大な蛇行剣が見つかりました。



国宝級の発見と言われる盾形銅鏡と日本最大の蛇行剣はメディアにも注目され、続々と報道されまし
た。
盾形銅鏡と蛇行剣は保存処理中のため見れませんが、発掘現場の公開が28日と29日に行われ、28日は1400人、29日は3100人余りが見学に来たとか。さすがに注目されています。
私も29日の午前中に富雄丸山古墳の現地見学会に参加してきました。

1.富雄丸山古墳待機列







一般公開の開始時間の1時間前である9時に到着。すでに40人くらい並んでいました。
2.富雄丸山古墳盾型銅鏡







受付の机に置かれていた盾形銅鏡の実物大パネル。
3.富雄丸山古墳盾型銅鏡







実際見ると大きく感じます。
4.富雄丸山古墳蛇行剣







蛇行剣の実物大パネル。237cmの国内最大の蛇行剣は実際見るとめちゃデカい。
5.富雄丸山古墳円筒埴輪







出土した円筒埴輪。こちらは実物。
6.富雄丸山古墳説明板













富雄丸山古墳の説明板。史跡指定はされていませんが、国内最大の円墳という事で周囲は公園化され保存されています。今回の発見で史跡指定される可能性は十分あります。
7.富雄丸山古墳遠景







いよいよ、発掘現場の富雄丸山古墳へ。遠くに見えるのが富雄丸山古墳です。
8.富雄丸山古墳墳丘裾部







墳丘裾部の葺石。
9.富雄丸山古墳埴輪列







墳丘裾部の円筒埴輪列と葺石。かつては巨大な円墳の全体を葺石で覆い、円筒埴輪を巡らせていました。
10.富雄丸山古墳U区







U調査区。ここでも大きな発見がありました。
11.富雄丸山古墳鰭付円筒埴輪







U調査区の鰭付円筒埴輪。そして・・・
12.湧水施設形埴輪







湧水施設形埴輪。井戸のような湧水施設を模した埴輪だそうですが、こんな埴輪見たこと無い。
13.湧水施設形埴輪







盾形銅鏡と巨大蛇行剣ばかりに注目が行ってますが、この湧水施設形埴輪も大発見。
14.墳頂部







墳頂部。かつてはここに富雄丸山古墳の主の埋葬施設がありましたが、明治時代に盗掘されました。一部の出土品は京都国立博物館に所蔵され国指定重要文化財となってますが、もし盗掘されていなければどれだけの発見があったのだろうと思うと残念ですね。

15.造り出し粘土槨







そしてこれが今回、盾形銅鏡と国内最大の蛇行剣が出土した造り出し部分の埋葬施設。
粘土槨(ねんどかく)という木棺を粘土で覆った形の埋葬施設です。
16.造り出し粘土槨













粘土槨には盾形銅鏡と蛇行剣の実物大パネルが置かれていました。
富雄丸山古墳現地説明会資料002













現地見学会資料にある出土状況の写真。こんなの出てきたらビックリしますわ。
ちなみに盾形銅鏡と蛇行剣は粘土槨の外側から出土したもので、粘土槨の内部はまだ発掘されていません。これから調査されるとのことで、どんな発見があるか楽しみです。
20.2号墳







こちらは2号墳。横穴式石室墳なので、6世紀代まで時代が下ります。
21.3号墳







3号墳は盗掘されているようです。
18.遠景







見学を終えた10時ごろには見学者もだいぶ増えてきました。
19.NHK







NHKの取材班も。いずれNスぺで特集して欲しい。

富雄丸山古墳の現地見学会は貴重な発見のあった場所を感じさせるまたとない体験となりました。
今後、粘土槨の調査、そして盾形銅鏡と蛇行剣の一般公開に期待したいですね。


besan2005 at 21:09|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 奈良県 | 遺跡

2023年01月22日

姫路市網干区の近代建築探索レポ日記

去年2022年12月29日に行った、たつの市の近代建築探索の翌日、12月30日に行った姫路市網干区の近代建築探索レポ日記です。ちなみにちょうど1年前に姫路市の市街地の近代建築探索を行ってまして、ブログ記事にもしておりますので、そちらもご覧ください。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。


1.網干商工会館 興浜 昭和15年







網干商工会館。興浜。昭和15年。
2.網干商工会館







中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
3.網干商工会館







玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。

4.丸万料理鮮魚店 興浜







丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。


5.旧山本邸 興浜 大正7年







旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
6.旧山本邸







毎月2回、日曜日に公開しているようです。

7.知原眼科 新在家







知原眼科。新在家。
8.知原眼科







大正〜昭和初期くらいでしょうか。

9.旧網干銀行本店 新在家 大正12年







旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。

10.旧長久医院 余子浜 昭和5年







旧長久医院。余子浜。車が・・・・
11.旧長久医院







別角度から。昭和初期くらいですかね。

12.旧銭湯 余子浜







旧銭湯。余子浜。現在は閉業。

13.林商店 余子浜







林商店。余子浜。2階部分が洋風です。

14.金井時計店 新在家







金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
15.金井時計店







軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。

16.旧赤穂塩務局網干出張所 新在家 明治33年頃







旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
17.旧赤穂塩務局網干出張所







別角度から。
18.旧赤穂塩務局網干出張所













廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
19.旧赤穂塩務局網干出張所倉庫







木造倉庫もいくつか残されています。

19.旧タムラ技研本社 新在家







旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。

20.大和産業 新在家







大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。

21.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
22.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







アメリカンスタイルの素敵な洋館。
24.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。

25.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。

26.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
27.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
28.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







正面バルコニー。
29.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。

30.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所 新在家







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
31.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。

36.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場発電所







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。

32.旧岡田燐寸製造所倉庫 新在家 昭和初期







旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
33.旧岡田燐寸製造所倉庫







かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
34.旧岡田燐寸製造所倉庫







周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
35.旧岡田燐寸製造所倉庫







裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。

以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。


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2023年01月21日

京都市上京区(御所周辺〜西陣)の近代建築探索レポ日記

2019年5月11日に探索した御所〜西陣までの近代建築探索レポ日記です。一部、それ以前に訪問し現在は失われている建物も合わせて紹介します。上京区は物件が多く今回の記事はかなり長くなります。それでも全ては抑えきれていませんが。

さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
1.洋館付き商店 左京区聖護院川原町










洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。

2.十両 左京区聖護院山王町










十両。左京区聖護院山王町。
3.十両










料理屋さんのようですね。

ここから上京区へ。
4.旧京都中央電話局上分局 上京区駒之町 吉田鉄郎 大正13年










旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。

5.高嶋医院 上京区俵屋町










高島医院。俵屋町。
6.高島医院













この洋館が診察室だったんでしょうか。

7.旧第一銀行丸太町支店 上京区東東椹木町 昭和2年 西村好時










第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。


8.石田・新井邸 上京区新烏丸頭町










I・A邸。新烏丸頭町。

9.石田・新井邸










洋館付きの住宅が並んでいます。

10.高木邸 上京区松蔭町 昭和7年 藤井厚二










T邸。松蔭町。昭和7年。
11.高木邸










あの藤井厚二の設計です。

12.吉田商店 上京区荒神町













吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
13.西川薬品 上京区宮垣町










西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?

14.岡村邸 上京区東桜町










O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
15.岡村邸










こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。

16.石田邸 上京区東桜町










I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。

17.京都府立医科大学附属旧図書館上京区梶井町 昭和4年 










京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
京都府立医大講堂









かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
18.京都府立医科大学附属旧図書館 










ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
19.京都府立医科大学附属旧図書館 










2階階段室。
23.京都府立医科大学附属旧図書館 










レトロな傘立て。
21.京都府立医科大学附属旧図書館 













入り口のドア。
20.京都府立医科大学附属旧図書館 










3階階段室。
22.京都府立医科大学附属旧図書館 













3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。

24.二宮邸 上京区宮垣町










N邸。宮垣町。
26.宮垣邸










大きめの洋館が付属する住宅。

27.旧山口玄洞邸 上京区梶井町 大正12年










旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
28.旧山口玄洞邸










武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
29.旧山口玄洞邸










玄関のステンドグラス。
30.旧山口玄洞邸










この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
31.旧山口玄洞邸










離れの建物。倉庫だったかな?

32.聖ドミニコ女子修道院 上京区梶井町










聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。

33.上山邸 梶井町










U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。

34.石崎邸 上京区新夷町 大正15年 藤井厚二










I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
35.石崎邸










玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。

35.三共不動産 梶井町










三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。

35.了徳寺洋館 梶井町 旧伏見宮邸 昭和2年










旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
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「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。

36.塩路邸 梶井町










S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。

36.山本邸










Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
36.山本邸 梶井町










鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。

 36.藤田邸 扇町 










F邸。扇町。
37.藤田邸













中々存在感のある洋館です。

38.木村邸 突抜町










K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。

39.洋館付き住宅










洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。

40.石野邸 藪之下町










I邸。藪之下町。
41.石野邸










結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。

43.鈴木邸 桜木町










S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。

44.洋館住宅 相国寺門前町










洋館住宅。相国寺門前町。
45.洋館住宅










同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。

長田学舎2










長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
長田学舎 相国寺北門前町










現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。

京都大学室町寮 竹園町 昭和17年







京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
京都大学室町寮2







吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
京都大学室町寮3







入口も当時のままで雰囲気あります。

46.勝間邸 柳図子町 大正13年 藤井厚二










K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。

47.バザールカフェ 岡松町










バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。

48.宇之助 築山北半町










宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。

49.焼肉ホルモンニューみよし 北公次室町










焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。

50.旧柳本邸 観三橘町 昭和4年 上野伊三郎










旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
51.旧柳本邸










設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。

52.松浦邸 観三橘町










M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。

62.室町通りの旧理髪店













理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。

56.山内邸 元土御門町 大正11年










Y邸。元土御門町。大正11年。
57.山内邸










付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。

58.下川邸 仲之町










S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。

60.山本邸










Y邸。一松町。
59.山本邸 一松町










昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
61.山本邸













門は和風なんですね。


63.キョーラク 龍前町













キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。


64.野村邸 西橋詰町










N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。

65.きらく堂薬局 大黒町










きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。

66.福本邸 菱屋町










F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。

68.木村邸 天秤町










K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
69.木村邸













小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。

70.無風洞 中務町










無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。

71.松永邸 松之下町










M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。

73.協織株式会社 元伊佐町 大正10年










協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。

74.旧西陣織物館 大正3年 本野精吾










旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。

75.旧西陣織物会館事務所 元伊佐町 昭和11年













旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。

76.旧西陣小学校 幸在町 昭和10年








旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
77.旧西陣小学校








戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。

78.BARBERやまぎし 下石橋南半町










BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。

79.昌栄織物 如水町










昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。

80.浅田商店 聖天町










浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
81.浅田商店










こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。

82.浄福寺診療所 大黒町










浄福寺診療所。大黒町。
83.浄福寺診療所








昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。

84.洋館付き住宅 聖天町










洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。

85.理容室いこい 大猪熊町










理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。

86.國定織物 大猪熊町










國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
87.國定織物










洋館には凝った装飾が。

88.三上邸 牡丹鉾町













M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。

90.吉岡邸 末広町










Y邸。末広町。

91.山田立志堂 南上善寺町













山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。

92.西陣接骨鍼灸院 三軒町










西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。

93.茨木邸 二番町










I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。

京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記

さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。

38.桂弘薬局 米屋町










桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。

53.青柳邸 観三橘町 大正11年 武田五一










旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
54.青柳邸










外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。

55.旧富岡鉄斎邸書庫(旧府議会議員官舎) 薬屋町 大正期










旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。


護王神社南の洋館4










旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
護王神社南の洋館2













主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
大井邸・大正期の洋館










その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・

上京区役所2










上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
上京区役所1










1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。

梅香荘2017年12月取り壊し1










梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
梅香荘2017年12月取り壊し2










その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。

旧みずほ銀行西陣支店










みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。

西陣には他にも
旧びわこ銀行西陣支店









京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
山口銀行西陣支店1









山口銀行西陣支店2








旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。


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2023年01月14日

旧三井家下鴨別邸特別公開レポ日記

2022年8月の夏の文化財特別公開で公開された旧三井家下鴨別邸へ行った際の記事です。
旧三井家下鴨別邸は1階と庭園は普段から公開していますが、2階と3階は特別公開の日にしか入ることができません。今回は2階まででしたが、行ってみることにしました。

1.三井下鴨別邸正門







旧三井家下鴨別邸の正門。
2.三井下鴨別邸外観







旧三井家下鴨別邸の主屋。旧三井家下鴨別邸は元々明治13年に木屋町に建てられていた三井家の別邸を大正14年に三井家の祖霊社のある現在地の下鴨神社南の敷地に移築。増築を行い竣工しました。三井家の祖霊社は明治42年に完成しましたが、その敷地には元々屋敷があったらしく、旧三井家下鴨別邸の移築建築の際、元々の屋敷にあった茶室は残し旧三井家下鴨別邸の茶室としたようで、修理の際に慶応四年の年号がある棟札が見つかっています。旧三井家下鴨別邸は戦後、財閥解体により三井家から国へと移譲。国有地となった旧三井家下鴨別邸は昭和24年に京都家庭裁判所の官舎となりました。平成19年に官舎は廃止となり、平成24年に重要文化財に指定。修復され現在は文部科学省に移管されています。
3.三井下鴨別邸玄関







旧三井家下鴨別邸は江戸時代末期の茶室、明治時代の主屋、大正時代の玄関棟からなる近代和風建築です。写真は玄関棟。ここから入ります。
4.応接室







玄関入ってすぐの所にある洋室の広間。和風を基調とした旧三井家下鴨別邸の中で、玄関両脇にある応接室と洋室広間は数少ない洋風の部屋です。現在はレストランになっています。
5.1階座敷







1階座敷。旧三井家下鴨別邸の部屋で一番広い部屋。
6.1階座敷







1階座敷の床の間。
17.1階座敷次の間







1階座敷次の間。
10.1階8畳間







1階座敷次の間。奥には坪庭が。
11.1階中庭







坪庭部分。
32.1階廊下







1階廊下。
34.1階廊下










1階廊下。
18.1階座敷水屋













1階座敷の水屋。茶室だけでなく座敷でも茶を立ててたようです。
13.1階3畳間







1階3畳間。奥の板戸の絵は江戸時代後期の画家、原在正の作。
7.三井下鴨別邸蹲







1階座敷の縁側にある蹲。奥の建物が慶応4年の茶室。
8.三井下鴨別邸蹲







蹲。庭園へは1階の縁側から降りれます。
9.三井下鴨別邸庭園から







庭園側から見た旧三井家下鴨別邸。こうして見ると大きな建物です。三井家所有時は祖霊社の休憩所として使用されていたようです。
14.百日紅







庭園には百日紅や
15.桔梗







桔梗や
16.蓮







蓮の花が咲いていました。再び建物へ。
19.2階座敷







2階座敷。
21.2階座敷








庭園側は濡れ縁となっており、庭園を眺めることができます。木屋町時代は高瀬川側になってました。
22.2階座敷から







2階座敷から眺める。庭園。庭園は池泉回遊式。
20.2階座敷床の間







2階座敷の床の間。
23.2階4畳半間







2階4畳半間。
24.2階6畳半間







2階6畳半間。2階の上には中3階の部屋と3階望楼がありますが、今回の特別公開はここまで。
3階の特別公開も年に何回かあるようです。
25.2階東階段







2階東側階段の横には浴室と便所があります。
26.2階東階段







東側階段の手摺。
27.2階東階段








手摺のデザインは結構モダンなデザインで、大正14年移築時の物かと思います。
28.脱衣所







脱衣所の洗面台。
29.浴室













2階浴室。ちなみに1階には2ヵ所浴室があります。
30.2階便所







2階便所。当時としては珍しい洋式。これも大正期のものでしょう。1階にも3ヵ所便所があります。
31.2階洗面台













洗面台。水回りは近代的な方が使い勝手がいいのか、洋式で統一されています。
旧三井家下鴨別邸は取り壊しの話もあったようですが、近代和風建築としての価値が認められ、修復され重要文化財に指定されたことで、新たな京都観光の1つとして人気となっています。この日も多くの観光客が訪ねていました。



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2023年01月08日

たつの市の近代建築探索レポ日記

昨年、2022年12月29日に年末年始の休暇を利用して、兵庫県たつの市の近代建築探索をしてきました。
まずは本竜野駅前を探査。

1.洋風商店 龍野町堂本







駅前にある商店建築。たつの市龍野町堂本。
2.洋風商店







角の部分のベランダが良い感じです。
3.洋風商店







現在は使われていないようですが、元は美容室だったようです。

4.洋風商店 龍野町富永







洋風商店建築。たつの市龍野町富永。
5.洋風商店







事務所建築かもしれません。

7.田中邸







T邸。たつの市龍野町富永。
6.田中邸 龍野町富永







塔屋のある大きな建物。新しい建物かなと思いましたが・・・

9.田中邸







側面の窓がアーチになっていて古さを感じたので、一応撮影。

10.富永橋 龍野町富永







富永橋。たつの市龍野町富永。多分昭和初期。
11.富永橋そばの建物








12.富永橋そばの建物







富永橋の側にある建物。

13.ガレリアアーツ 龍野町富永







ガレリアアーツ。たつの市龍野町富永。揖保川の側に立つ洋風建築。

14.ガレリアアーツ







ツイッターで頂いた情報では元銀行だったとか。
ここから揖保川を渡り龍野城のある対岸の街へ。

15.洋風アーチ門のある屋敷 龍野町下川原







揖保川の対岸にある洋風アーチ門のあるお屋敷。たつの市龍野町下川原。
16.洋風アーチ門のある屋敷







アーチ門部分。中々の門構え。スパニッシュ風ですね。
17.洋風アーチ門のある屋敷













装飾部分。
18.洋風アーチ門のある屋敷







通用門の装飾。

19.3階建ての建物 龍野町下川原







3階建ての和風建築。リノベートされています。

20.大阪屋 龍野町下川原







大阪屋。たつの市龍野町下川原。洋風の商店建築。

21.古林医院 龍野町下川原







古林医院。たつの市龍野町下川原。
22.古林医院







町屋造りの病院。
23.古林医院







玄関部分も趣あります。

25.古林邸







F邸。たつの市龍野町下川原。楼閣付きの立派な4階建て木造建築。

26.洋風住宅 龍野町旭町







洋風住宅。たつの市龍野町旭町。この辺りには龍野町遊郭がありました。

28.龍野町遊郭建築 龍野町旭町







龍野町遊郭の建物。たつの市龍野町旭町。まさに遊郭建築といった大きな建物。
29.龍野町遊郭建築







置屋建築でしょうか。
30.龍野町遊郭建築







正面からでは入りきれないくらい大きい建物。

31.カネヰ醤油 龍野町上川原







カネヰ醤油。たつの市龍野町上川原。煉瓦の宇建が中々洒落てます。
32.カネヰ醤油







カネヰ醤油の工場。煉瓦の煙突が見えます。

33.遊郭建築か 龍野町上川原







近くにある気になった建物。

34.商店建築 龍野町旭町







商店建築。たつの市龍野町旭町。たまたま見つけた建物ですが、中々のインパクトがあり思わず撮影。
35.商店建築







全体にタイルを貼っていますが、かなり年季が入ってます。戦後建築かもしれませんが、この古色ぶりは中々のもの。

36.半壊の洋館 龍野町柳原







廃墟の洋風住宅。たつの市龍野町柳原。ほぼ半壊していて、近いうちに姿を消すでしょう。

37.旧龍野醤油協同組合本館(大正ロマン館) 龍野町上霞城 大正13年







旧龍野醤油協同組合本館。たつの市龍野町上霞城。大正13年。
38.旧龍野醤油協同組合本館(大正ロマン館)







たつの市を代表する近代建築の1つ。現在は大正ロマン館として使用され、内部にも入れますが、この日は年末休館で入れず…

39.満田邸 龍野町上霞城 







M邸。たつの市龍野町上霞城。
40.満田邸







かなり立派な洋館付き住宅。

41.うすくち龍野醤油資料館 昭和7年







うすくち龍野醤油資料館。たつの市龍野町大手。昭和7年。たつの市を代表する近代建築の1つ。
42.うすくち龍野醤油資料館







元々はヒガシマル醤油の本社屋でした。たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の街。
43.うすくち龍野醤油資料館







そしてここも年末休館で入れず。29日まではやってて欲しかったなぁ。

ふるさと 龍野町立町







ふるさと。たつの市龍野町立町。外観が洋風の小料理屋さん
44.ふるさと







軒下の装飾。
45.ふるさと













玄関部分のタイル張り。

46.洋風住宅 龍野町立町







洋風外観の住宅。たつの市龍野町立町。2階窓がT邸のようなアーチ窓です。

47.旧中川医院 龍野町立町 明治30年







旧中川医院。たつの市龍野町立町。明治30年。貴重な明治の擬洋風建築。現在はカフェになっていますが、やはりお休み…

48.元理髪店 龍野町本町







旧理髪店。たつの市龍野町本町。洋風の散髪屋さん。
50.元理髪店







現在は廃業しているようですが、内部を覗くとそのまま残されていました。

51.写真の店トラヤ 龍野町川原町







写真の店トラヤ。たつの市龍野町川原町。洋館の写真館。
52.写真の店トラヤ







玄関部分が意匠的です。大正期の建物でしょうか。

53.サイレントリリィ 龍野町川原町







サイレントリリィ。たつの市龍野町川原町。 
54.サイレントリリィ







現在は雑貨店。大きな窓がモダンさを出してます。

55.サイレントリリィ







2階の装飾。折り紙の風車のような変わった装飾。

56.金葉会 龍野町川原町







金葉会。たつの市龍野町川原町。何かの会館だったのでしょうか。

58.川原町公民館







川原町公民館。たつの市龍野町川原町。
57.川原町公民館 龍野町川原町







スクラッチタイルを外壁に用いた昭和初期らしい外観。
59.川原町公民館







ただし、建物自体は木造の看板建築だと分かります。

60.杉原邸 龍野町川原町







S邸。たつの市龍野町川原町。
61.杉原邸







建物の半分が洋館で、半分が和風という変わった建物。

62.山下邸 龍野町曰山







Y邸。たつの市龍野町曰山。明治36年。まるで神戸の北野にあるようなレベルの高い洋館。
63.山下邸







明治36年築という古さも貴重。相当な資産家が建てたと思われる洋館。
65.山下邸







たつの市の洋館住宅としては一番のレベルの高さかと。
66.山下邸







玄関のアーチ窓にいるフクロウの像。内部とかも凄いんだろうなぁとは思いますが、何せ個人宅なので。最近外壁を塗り直しているようで、大切に使われていることが分かります。

67.ヒガシマル醤油第二工場事務所 龍野町曰山







旧ヒガシマル醤油第二工場事務所。たつの市龍野町曰山。たつの市の中心街から少し外れた場所にある工場。昭和初期でしょうか。
68.ヒガシマル醤油第二工場事務所







今は工場としては使われていないかも。

70.洋館平屋 龍野町曰山







洋風の平屋住宅。たつの市龍野町曰山。ヒガシマル醤油第二工場の近くにあります。

71.洋室のある町屋 龍野町曰山







洋室のある町屋。たつの市龍野町曰山。洋室部分は応接室だったんでしょうね。元商家かな。

73.洋館付き住宅







洋館付き住宅。たつの市龍野町中霞城。玄関部分が良い感じですね。

74.中塚邸 龍野町中霞町







N邸。たつの市龍野町中霞城。主屋を中心に洋館と洋風の玄関が付属する住宅。
76.中塚邸







洋館部分。背後の主屋も洋館側は外観が洋風になってます。
75.中塚邸







玄関部分も洋風。もしかしたら個人医院だったのかも。

77.ドイツ風洋館住宅 龍野町中霞町







ドイツ風の洋館住宅。たつの市龍野町中霞城。塀の奥に本格的な洋館住宅がありました。昭和初期でしょうか。
78.ドイツ風洋館住宅







門も意匠的。やや和風っぽくも見えますが。
79.ドイツ風洋館住宅







門の格子から敷地内を拝見。表札も出ていないため、空き家っぽいです。

80.近代和風建築 龍野町中霞町







数寄屋風近代和風建築。たつの市龍野町中霞城。元料理旅館でしょうか。レベルの高い数寄屋建築がありました。

81.常木邸 龍野町下霞城







T邸。たつの市龍野町下霞城。
82.常木邸







中々本格的な洋館が付属した住宅がありました。昭和初期でしょうか。

83.下見板張りの平屋 龍野町下霞町







下見板張りの平屋建物。たつの市龍野町下霞城。ちょっと気になった建物。
20221229_125651







向かいに建つ和風建築も良い感じでした。

84.加瀬タイル 龍野町下川原







加勢タイル。たつの市龍野町下川原。駅へと向かう途中に見つけた建物。

85.加瀬タイル







建物は町屋造りですが、タイル店だけあって本来は漆喰を塗るはずの壁はモザイクタイルでびっしりと貼られています。
86.加瀬タイル













1階部分に貼られたモザイクタイルで書かれた「タイル衛生陶器」の文字。
87.加瀬タイル













反対側には「KASETILE」の文字。タイル店としての誇りと自信を感じる細工です。

20221229_102423







20221229_104331







たつの市は播磨の小京都と言われるくらい古い建物が多く残る風情ある街で、近代建築にも多く出会えました。ただ、年末ということで普段なら内部に入れる建物が軒並み休館だったのが残念。龍野城も外観は見れましたが、本丸御殿は入れず・・・。機会があったら今度は入りたいですね。

ヒガシマル醤油







上にも書きましたが、たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の醤油の街。
うすくち醤油ラーメン







その醤油の街たつの市で頂いた「うすくち醤油ラーメン」。たつの市の薄口醤油を使用したラーメンはあっさりかつ醤油の風味や出汁が良く効いていて美味しかったです。


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2022年12月25日

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構探索レポ日記

兵庫県福崎町にかつて大阪陸軍航空補給廠姫路出張所という陸軍の施設がありました。
大阪陸軍航空補給廠姫路出張所は大阪陸軍航空支廠の機材や燃料の管理部門として昭和17年に完成しました。
今回、福崎町の近代建築探索のついでに大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の遺構の探索もすることにしました。ただし、遺構の詳細に関してはあまり分からなかったので、いつもお世話になっています「大日本者神國也」の管理人、盡忠報國様よりアドバイスを得て探索しました。
※大日本者神國也 大阪陸軍航空補給廠姫路出張所
しかし、目当てにしていたいくつかの遺構に関しては確認できなかったり、辿り着けなかったりと未探索に終わった遺構もあり、不完全燃焼な結果に。なので、当記事は探索できた遺構のみ紹介いたします。
なので、詳細な情報が知りたいという事でしたら、盡忠報國様のブログの記事を閲覧される方が良いかと思います。

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構配置図










大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構位置図。
戦後、大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の跡地は町の誘致により養鶏場が完成しますが、杜撰な経営により新たに工業団地となることが決定し、現在は福崎工業団地となっており、その際に主要な遺構はほぼ取り壊されたものと思われます。現在は敷地の中心から離れた箇所や山中に残された遺構が点在する形となっています。

1.正門







\橘隋L渦箸力討稜鴫阿力討忙弔気譴討い泙后L膸イ寮廚残っています。
2.正門







裏側。国旗を掲揚していた金輪が残されています。かつては門扉の金属製の蝶番がありましたが、恐らく戦後すぐに取られたものと思われます。

3.裏門







⇔¬隋B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の遺構では一番知られているもので、正門と違い門柱は2つ残さています。写真は敷地外から。
4.裏門







敷地内から。蝶番が全て取られています。
5.裏門説明板







裏門の脇には説明板が設置されています。

6.コンクリート構造物







コンクリート構造物。裏門の敷地内側のすく近くにある遺構。

7.コンクリート構造物







何の遺構かは不明。盡忠報國様は焼却炉ではと書かれています。

8.土堤







づ敖蕁B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の敷地を区切る境界の土堤。
9.土堤







断面は三角形です。

この他にも山中に乾燥火薬庫の跡が2ヵ所あり、火薬庫基礎や石垣擁壁や貯水槽が明瞭に残っているようですが、向かったはいいものの、進入路が全く分からず断念。 消化不良の残念な結果となりました。
あと、周辺には地下壕もいくつか残されているようです。

besan2005 at 12:15|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

舞鶴市・博奕岬防空砲台遺構見学レポ日記

舞鶴市の博奕岬にかつて明治時代に陸軍により建設された探照灯と太平洋戦争中に海軍が建設した防空砲台がありました。現在、海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっているため立ち入り禁止となっていますが、今回、フォロワーさんの粘り強い交渉により、海上自衛隊の方々の案内のもと、博奕岬防空砲台の遺構を見学することが出来ました。(2022年6月24日見学)。
交渉をしてくださったフォロワーさん、案内をしてくださった海上自衛隊の広報の方々には貴重な体験をさせて頂き、厚く御礼を申し上げます。

さて、博奕岬防空砲台ですが、上記の通り元々は明治33年に陸軍の探照灯が造られていました。その後、演習砲台として使用され、
昭和16年に海軍が敷地を取得。防空砲台として再利用されます。
博奕岬防空砲台 舞鶴海軍警備隊戦時日誌昭和17年10月20日









アジア歴史資料センター所蔵「舞鶴海軍警備隊戦時日誌(C08030485700)」より昭和17年10月20日撮影の博奕岬防空砲台。

博奕岬防空砲台遺構位置図








博奕岬防空砲台各遺構配置図。(管理人作成)

博奕岬防空砲台は昭和17年11月に完成します。
海軍の防空砲台は舞鶴市内に舞鶴湾を囲むように8ヵ所設置され、槇山・浦入・建部山のように明治期の陸軍の砲台を利用したものもありましたが、倉梯山防空砲台のように新たに設置された砲台もありました。
10年前に探索した倉梯山防空砲台のレポ日記。

博奕岬防空砲台は前述の通り海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっており、山頂の博奕岬防空砲台がある場所へと向かう山道の入り口には大きなゲートがあり、立ち入り禁止となっています。今回は海上自衛隊の方々の案内のもと、ゲートを通り向かうことになりました。

1軍道擁壁石垣










舗装路をそのまま登ると明治期の陸軍時代と思われる石積擁壁が出現。灯台へ至る舗装路もかつては軍道だったことが分かります。

2灯台前門柱













舗装路を登りきると灯台が見え、その手前にコンクリート製の門柱が現れます。

20220624_130707







岬の山頂にある博奕岬灯台灯台。最近外壁がリフォームされて綺麗になってますが、大正11年築。

IMG_1766













灯台の近くにある石製の門柱。明治期の物でしょうか。

3指揮所壕










灯台を過ぎさらに進むと、上部に荒廃した戦後の監視所の建物がある箇所に。その下のコンクリートの地下壕がかつての指揮所壕でした。

4指揮所壕










指揮所壕の入り口。

5指揮所壕入り口










指揮所壕の入り口に入ると、奥に木製の引き戸があります。

6指揮所壕内部










内部は物置になってましたが戦時中の当時のままでした。

7指揮所壕脇階段













指揮所壕入口脇の階段。戦時中も壕の上に監視の建物があったそうで、戦後に新たに建て替えたようです。

8指揮所壕脇の柵










指揮所壕の周りを囲むコンクリートの柵柱。

9指揮所壕近くの貯水槽










指揮所壕の近くの貯水槽。

IMG_1813










指揮所壕を過ぎ、しばらく歩くと道が分かれており、下へ下る道の方を進んでいくと、自衛隊の施設だったと思われる半ば廃墟と化した建物が見えてきます。そして、その建物の玄関の前に、

17地下式弾薬庫前高射砲座










高射砲の砲座がありました。8センチ高角砲の砲座と思われます。

10地下式弾薬庫










そしてさらに奥にコンクリートの弾薬庫壕が。

12地下式弾薬庫鉄扉










鉄扉も残されています。開いていたので入ってみました。

13地下式弾薬庫内部










14地下式弾薬庫内部










内部の奥壁は煉瓦になってましたが、どうも元々はもっと奥まであったのを途中で煉瓦で塞いだようにしか・・・。理由は不明ですが。

11地下式弾薬庫前貯水槽










弾薬庫壕前の貯水槽。

16地下式弾薬庫前木造建物










弾薬庫壕前、自衛隊施設に付属している木造建物。これも防空砲台時代の物で、別のフォロワーさんが紹介していた東京湾要塞金谷砲台の看守営舎によく似た造りですしかし、痛みもなく綺麗に残っています。

18埋第五号境界石













再び岬の上の道に戻り、そこから岬の先端に向かって尾根道を進みます。その尾根上に立つ「埋第五號」の境界石。見かけたことの無い珍しいタイプ。

19すり鉢状台座










尾根道を進んでいくとこのようなすり鉢状の台座が現れます。何かを据え付けていたボルトが見えるので、当初は砲座かと思ってましたがどうも違うのではという意見がメンバーから。探照灯は別の箇所にあるので、施設リストから聴音機か高角双眼鏡の台座ではと考えてます。

20すり鉢状台座正門










先ほどのすり鉢状台座の手前にはコンクリートの門柱と柵柱が。柵柱には未だに有刺鉄線が残されていました。

21貯水槽










一旦指揮所壕の場所まで戻り、今度は弾薬庫壕と高角砲座のあった地点の反対側の尾根下へ。
整地した平坦地となっており、小さな貯水槽などがありました。

22有蓋式退避壕










その脇にコンクリート製の半地下式の壕のようなものが。
20220624_135725







現地形を見ると、どうも当時は入り口前はスロープ状となってて、中に逃げ込めるようになっていたっぽいです。退避壕だったのでしょうか。

23電灯室










灯台まで戻り、灯台南東側の岬の最高所にある箇所へ。戦国期の山城の横堀のような土塁が回る道を歩いていくと、明治の陸軍時代の探照灯のあった電灯所に至ります。

24電灯室発電機台座










明治期の砲台の掩蔽部と同じ形ですが、奥に煉瓦の電灯井があるので、明治期から電灯所として造られていたようです。ただ、発電機は改められたのかコンクリートの台座となってました。

IMG_1839










内部から。入口脇に木製の壊れた古い椅子が放置されていました。当時の物でしょうか?

25電灯室井










電灯井。ここから探照灯を出し入れしていました。

26電灯室井上から










電灯所の上。先ほど下から見上げた電灯井の穴が見えます。かつてはどうやら屋根が掛けられていたようです。

IMG_1844










電灯所上部の周辺には探照灯の物らしきガラス片が大量に散乱していました。厚さは1cmくらいある分厚いもので、やや黄色がかってました。探照灯の撤去の際に割れたか破壊したのでしょう。

27電灯室門柱










電灯所を過ぎてすぐの所に立派な石製の門柱が建っていました。明治期の物の様で、この門柱の先も軍道らしき道が麓に向かって伸びているので、かつての正門だったのかもしれません。

28貯水槽か










門柱を過ぎて軍道跡を進むと水槽らしきものが見えました。他の旧軍遺構では見たことの無い造りです。雨水を貯めた水溜でしょうか。

29沈砂槽










さらに下って行くとコンクリート製の水槽がありました。形から恐らく沈砂式の浄水槽だったと思われます。

30発電室










電灯所から伸びる軍道跡を下って行くと灯台に至る舗装路に出ます。舗装路をそのまま下って行くと舗装路から枝に延びる旧軍道があり進むと煉瓦造の発電機室の建物が見えてきます。

31発電室門柱










発電機室の前にも石製の門柱と柵柱がありました。

33発電室










屋根は失われてますが煉瓦の躯体は 良好に残されており素晴らしいです。

32発電室内部










内部には煉瓦造の発電機の台座が残されています。明治期の探照灯時代から発電機室として作られたものです。

IMG_1868










発電機室の背後の一角。燃料を入れていたスペースでしょうか。

IMG_1859













木製の窓枠も残されていました。アーチ部分は丁寧に削って作られたもので木材もしっかりしたもので明治期の仕事の丁寧さが伺えます。昭和戦中期の細工の粗さとは対照的です。

34発電室脇基礎










発電機室の脇にある煉瓦基礎の建物跡。何の施設だったかは不明。

35発電室貯水槽










コンクリートの貯水槽。これは防空砲台時代のものと思われます。

38兵舎跡への石橋










発電機室を過ぎ、軍道跡を進むと石橋がありました。

36兵舎跡への石橋










37兵舎跡への石橋










小さな谷に架けた石橋ですが、石積の擁壁も相まって、まるで庭園のような優雅さを感じますw

39石橋脇の井戸










石橋の脇にある井戸。井戸枠は煉瓦積みでした。

40兵舎跡










石橋を過ぎると見えてくる兵舎跡の基礎。当時使われていた食器類の破片が散らばってました。

20220624_150903







便所跡。どうやら防空砲台時代の物のようです。

20220624_150845







反対側から。

20220624_150818













内部を見ると、やはり戦前のようですね。

今回の博奕岬防空砲台の見学会は、フォロワーさんの交渉により実現したもので、海上自衛隊の協力のもと正式な探索をすることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
というわけで、博奕岬防空砲台のある博奕岬は無許可での立ち入りは厳禁です。
そのあたりの話も隊員さんに聞いたのですが、海上自衛隊の敷地内なので、無断の侵入者があれば当然警ら隊がやってくること、海上自衛隊には逮捕権が無いので厳重注意で済むが、これが海上保安庁となると、逮捕される恐れがある(博奕岬灯台は海上保安庁の管轄で、立ち入り禁止区域)とのこと。
施設自体は老朽化しており現在は使われていませんが、以上の理由で無断進入は厳禁なのでご理解いただけたらと思います。博奕岬防空砲台の遺構に関しては拙い内容ですが、当記事で感じて頂けたらと思います。


besan2005 at 11:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年12月18日

村野藤吾の設計・ルビノ京都堀川見学&宿泊レポ日記

1.ルビノ京都堀川外観







2022年12月15日、京都市にあるホテル、ルビノ京都堀川に宿泊を兼ねた見学をしてきました。
ルビノ京都堀川は公立学校関係の宿泊施設として、1972年に完成しました。設計は戦前・戦後のモダニズム建築の大家として知られる村野藤吾。京都市内にある村野藤吾の設計のホテルと言えば、ウェスティン都ホテルや都ホテル京都八条、ザ・プリンス京都宝ヶ池等がありますが、ツイッターのフォロワーさんが、このホテルも村野藤吾の作品だとつぶやいており、興味を持ったこと、さらには来年2023年3月31日に閉館ということもあり、宿泊料金も一般のビジホ程度いう価格もあって宿泊兼見学をしてみようと思いました。まずは外観。ホテルについたのは夜だったので、写真は翌朝の撮影になります。
2.ルビノ京都堀川パルコニー







角のベランダ。
5.ルビノ京都堀川客室棟







客室棟の外観。出窓は村野藤吾が好んだデザイン。
6.ルビノ京都堀川玄関







正面玄関。ここからはホテルに着いた前日の夜の撮影。

7.ルビノ京都堀川柵







玄関横にある柵。これも村野藤吾のデザインでしょうか。
では中に入りましょう。
8.ルビノ京都堀川ラウンジ







玄関ホール脇のロビー。
9.ルビノ京都堀川ラウンジ







この手摺の感じは村野藤吾っぽさが出てますね。
10.ルビノ京都堀川玄関ホール照明







玄関ホールの天井の照明。70年代のモダンさを感じます。
フロントでチェックインして、ホテルの人に許可をもらい、教えてもらいながら館内を探索。
まずは、一番村野藤吾らしさを感じるメインの場所へ。
11.ルビノ京都堀川階段







中央玄関。
12.ルビノ京都堀川階段







ルビノ京都堀川で一番の見所。
13.ルビノ京都堀川階段







3階まで続く赤絨毯の階段はレトロモダンな懐かしさも感じさせます。
14.ルビノ京都堀川階段







上から。
15.ルビノ京都堀川階段手摺







手摺の装飾。
16.ルビノ京都堀川階段







村野藤吾といえば階段。この絶妙なカーブの造作は素晴らしい。
17.ルビノ京都堀川階段







何度も上り下りしてましたw
次も階段ですが、ちょっと隠れた場所の穴場な階段へ。
しかし、ここはより村野藤吾らしさの出ている階段でした。
18.ルビノ京都堀川非常階段







1階から6階の屋上まで続く非常階段。
19.ルビノ京都堀川非常階段







一見、何の変哲もない無機質な階段に見えますが、この手摺に注目。
20.ルビノ京都堀川非常階段







この絶妙な手摺のカーブのデザインはまさに村野藤吾といった感じなのです。

23.ルビノ京都堀川非常階段6階







ウェスティン都ホテルもですが、村野藤吾と言えば階段の手摺と言われるほど、その優美な曲線が言われますが、このルビノ京都堀川の非常階段の手摺もまさにそんな感じ。
24.ルビノ京都堀川非常階段6階







特に最上階のこの手摺の優美な曲線は必見。
25.ルビノ京都堀川非常階段6階







手摺の優美な曲線は、女性らしさを感じるような柔らかな美しさを感じました。
26.ルビノ京都堀川非常階段6階







上から階段をのぞき込む。
28.ルビノ京都堀川非常階段













実際に手摺を伝いながら上から下まで何度か上り下りしてみましたが、階段の踊り場のカーブとかでも誘導されるような感じに伝うことができ、また、持つのに程よい高さと斜度で、美しさだけでなく機能性も考えられている感じでした。まさに機能美。
27.ルビノ京都堀川3階非常階段







十分に非常階段を堪能したあとは、2階と3階のフロアを探索。
まずは2階から。
30.ルビノ京都堀川2階小階段







2階にある小階段。
31.ルビノ京都堀川2階大宴会場前







2階大宴会場前のフロア。奥は吹き抜けになっています。
こちらも手摺が見どころ。
32.ルビノ京都堀川吹き抜け照明







吹き抜けの照明。この下にエスカレーターがあるのですが、封鎖されていました。
33.ルビノ京都堀川大宴会場扉







大宴会場の扉。
34.ルビノ京都堀川2階ロビー







2階ロビー。
35.ルビノ京都堀川2階ロビー







モダンなデザインですが、どことなく和風な感じもします。
36.ルビノ京都堀川2階カウンター







2階の小カウンター。格子の造りがいい感じ。
38.ルビノ京都堀川1階照明







天井の照明も昔のモダンな雰囲気があります。
25.ルビノ京都堀川2階宴会場扉







2階宴会場のガラス扉。こういう模様の入ったガラス戸も見なくなりましたねぇ。
40.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下。
39.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下の鏡台にも装飾が。
41.ルビノ京都堀川2階会議室







会議室の雰囲気もいわゆるレトロモダンさを感じる雰囲気です。
42.ルビノ京都堀川3階ロビー







次は3階へ。3階のロビー。
43.ルビノ京都堀川3階ロビー







3階のロビーは2階のロビーに比べて開放感があります。
44.ルビノ京都堀川3階フロア照明







天井の照明のデザインは、何となくアールデコっぽさを感じます。
45.ルビノ京都堀川和室広間







これは翌日撮影した和室の大広間。実は同じ日に中学校の修学旅行生が宿泊していて、
修学旅行生が出発した後に撮影させてもらいました。まだ蒲団がw
46.ルビノ京都堀川3階チャペル







3階の奥にあるチャペル。ルビノ京都堀川は結婚式場としても使われていました。
47.ルビノ京都堀川3階チャペル







チャペル前の部屋。かつては多くのカップルがここで結婚式を挙げたのでしょうね。
48.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







チャペル前の照明。チャペルらしく華やかな証明です。
49.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







正面の照明も花をモチーフにした華やかなもの。
50.ルビノ京都堀川3階チャペル扉







チャペルの扉。チャペルには入れなかったのは残念。
22.ルビノ京都堀川非常階段階数







さて、本日泊る客室へと向かいます。これは先ほど見学した階段の階数表。
文字がいい感じ。
51.ルビノ京都堀川5階廊下







本日泊る部屋は5階。廊下を歩き部屋へ。
52.ルビノ京都堀川客室







本日のお部屋。部屋はビジホと変わらないシンプルさ。
55.ルビノ京都堀川客室照明







56.ルビノ京都堀川客室照明







しかし、設備の照明にレトロさを感じニヤニヤ。
53.ルビノ京都堀川客室







机や椅子は木目を生かした家具調のもの。
57.ルビノ京都堀川客室椅子















特にこの椅子のデザインは気になりました。
村野藤吾の家具を調べた感じでは木目を生かした家具が多いようで、村野さんの得意とするカーブも家具にはよく取り入れられているようです。この椅子には曲線が少なくどうかなと思いましたが、背もたれの折れの部分が丁寧な造りで、もしかしたらと感じました。どちらにせよ、最近のホテルでは見かけない木製の椅子ですから、開業時からのものの可能性があります。
58.ルビノ京都堀川客室机







机の脚は先に向かうにつれ細くなる造り。村野さんのデザインのテーブルを見ていると似たようなデザインです。ちなみにホテルの方に聞いたら、客室の家具は村野藤吾のデザインかは分からないけど、開業当初からのものだそう。とすると、村野藤吾のデザインの家具の可能性もありますね。閉館後はどうなるんだろう。
54.ルビノ京都堀川客室







ベッドと横の照明装置は当初からのもので間違いないかと。柔らかな木調の調度品に触れながら一夜を過ごします。
59.ルビノ京都堀川客室からの眺め







客室から眺める京都の夜明け。おはようございます。
60.ルビノ京都堀川レストラン







客室から出たあとは無料の朝食(パンと飲み物のみ)を頂くために1階のレストランホールへ。
20221216_082951







照明とかを眺めたり。
61.ルビノ京都堀川レストラン







以前はレストランをやっていたそうですが、今はもう営業していないとか。
4.ルビノ京都堀川玄関







朝食とコーヒーを頂き、ルビノ京都堀川を後にしました。
62.ルビノ京都堀川ルームキー







ルビノ京都堀川の今後についてチェックアウト時にスタッフの方に聞きました。
閉館後は別の施設に使われるかもしれないが、老朽化もあり今後の予定は未定とのこと。
今年で開業50年ですから致し方が無い面もありますが、村野藤吾のデザインがふんだんに見られるホテルが無くなるのは惜しい気もします。これまで戦後のモダニズム建築には全く興味が無かった自分ですが、改めて鑑賞すると、丁寧にデザインされた階段や手すり、内装など見所満載で、さらには懐かしさを感じるレトロモダンな雰囲気に大いに楽しめ満足することが出来ました。
閉館まであとわずか。機会があれば訪れてみてください。


besan2005 at 11:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 商業施設

2022年12月04日

加西市の近代建築探索レポ日記

兵庫県福崎町の近代建築探索を行った同日(2022年12月3日)に、通過点だった加西市の北条町の近代建築も帰りに探索してきました。加西市の近代建築探索は同じ加西市にある姫路海軍航空基地跡の探索や、川西航空機姫路製作所鶉野工員宿舎街の探索時に訪問した建物もいくつかあるので合わせて紹介します。
※翌週の2022年12月10日に新たに確認した建物含めて補足探索をしてきました。後半に追記しています。

西村医院










西村医院。加西市中野。大正〜昭和初期。
西村医院 加西市中野










地方の戦前の個人医院らしい佇まいの洋館。
西村医院2










当時の外観が良く残されていていいですね。

法華口駅 大正15年










北条鉄道法華口駅。加西市東笠原町。大正15年。北条鉄道には他にも古い木造駅舎が残されています。

38.松乃屋食堂 加西市北条町







松乃屋食堂。加西市北条町。
39.松乃屋食堂







昔ながらの激渋食堂の雰囲気が漂う建物。
40.松乃屋食堂







昔のマークの入ったアサヒビールの看板が良いですね。
41.松乃屋食堂







隣には古い日本建築が。壁に古いメニュー表とかあり、かつては料理旅館だったっぽいです。ただ、現在は閉業しているのか、隣の食堂も閉まっていました。

42.植田鉱油店 加西市北条町







植田鉱油店。加西市北条町。
43.植田鉱油店







洋館部分に店名と装飾を施しています。

43.西村医院 加西市北条町







西村医院。加西市北条町。昭和初期頃。
44.西村医院







外観はかなり改装されていますが、一部戦前の洋館の面影が残されています。
うーん、逆光・・・
45.西村医院







背面に回ると当時の面影が少し残されていました。

加西市の近代建築の探索はここまでですが、他にもまだ未探索の建物がいくつか残っていますので、探索が完了したら、この記事に追加したいと思います。

※12月10日補足探索分
探索を行いました翌週の12月10日に補足探索を行いました。事前に把握していた未訪問の物件に加え、公民館建築を含めた新たな物件を把握したため、補完のために再探索しました。

1.法華口駅 加西市東笠原町 大正15年







まずは前回も訪問した北条鉄道法華口駅。加西市西笠原町。大正15年。国登録有形文化財。
2.法華口駅







内部の待合室。綺麗にリフォームされています。
3.法華口駅







別角度から。現在は駅の待合室だけでなく、地域のイベントにも使用されているようです。
5.法華口駅







ホーム下の踏切から。朝焼けに照らされるホームがいい感じでした。
4.法華口駅







駅舎には古い駅名標があります。
戦争末期の昭和20年3月31日、試験飛行のため鶉野飛行場を飛び立った紫電改がエンジントラブルを起こし失速。運悪く法華口駅を出発した列車と接触し列車は横転。12人の犠牲者が出る事故が起きています。
北条鉄道には古い木造駅舎が法華口駅を含めて3つあり、全て国登録有形文化財となっています。
まずはそれらの木造駅舎を巡ります。

6.播磨下里駅 加西市王子町 大正7年







北条鉄道播磨下里駅。加西市王子町。大正7年。国登録有形文化財。
こじんまりとした可愛らしい駅舎。
7.播磨下里駅







正面から。
8.播磨下里駅







背面。後ろの付属屋はトイレ。
9.播磨下里駅







入口部分の待合室。昔のままですが、入り口にドアが無いので冬は寒そう。
10.播磨下里駅







現在は無人駅なので、旧駅員室も待合室として使用されています。
12.播磨下里駅







駅舎にある古い駅名標。
11.播磨下里駅







ホーム。

13.播磨長駅 加西市西長町 大正4年







北条鉄道播磨長駅。加西市西長町。大正4年。国登録有形文化財。
こちらも可愛らしい木造駅舎。
14.播磨長駅







別角度から。
15.播磨長駅







待合室。やはり冬は寒そう。かつてはストーブとか置いてたんでしょうか。
16.播磨長駅







窓口も当時のまま。旧駅員室を見たかったのですが、法華口駅や播磨下里駅と違い、地域の施設として使用されていて、関係者以外立入禁止になってました。
18.播磨長駅







駅舎に付けられた古い駅名標。
17.播磨長駅







ホーム。懐かしい風景。北条鉄道の3つの木造駅舎は、地域の人々に愛され大切にされているのが良く感じ取れました。
北条鉄道を後にして次の場所へ。

19.福住東町公民館 加西市福住 昭和8年







福住東区公民館、加西市福住。昭和8年。
20.福住東町公民館







地区でも良い立地の小高い丘に建ってます。
21.福住東町公民館







背面。外壁は今はトタン張りですか、かつては下見板張りだったのでしょう。

22.旧賀茂郵便局 加西市福住 昭和8年







旧賀茂郵便局。加西市福住。昭和8年。
福住東区公民館の近くにある建物。こちらは外観のオリジナルを保ってますね。
23.旧賀茂郵便局







田舎の小さな集落でも戦前の郵便局は立派なのが多いですね。
24.旧賀茂郵便局







玄関の屋根に掲げられた「賀茂郵便局」の文字が入った棟瓦。
25.旧賀茂郵便局







玄関入口の賀茂郵便局の扁額。貴重な戦前の洋館建築ですが、扉の隙間から内部を覗くと、荷物が山積みになって一杯に…。現在は物置扱いになっていていつ無くなるか分からない感じ。
地区の歴史を物語るとともに、いい建物だから、公民館と同じく利用して欲しいですが。
ここから北条町方面へ向けて北上。

26.旧西村織物工場 加西市北条町 昭和初期







旧西村織物工場。加西市北条町。昭和初期頃。閑静な住宅地の中に当時の建物群がそのまま残されています。これは正門。
27.旧西村織物工場







事務所棟と思われる建物。

28.旧西村織物工場







敷地内側から。
29.旧西村織物工場







工場棟。
30.旧西村織物工場







少し離れた場所に建つ6棟が連続する工場棟。
31.旧西村織物工場







敷地外から。当時の姿をよく留めています。
32.旧西村織物工場







敷地の隅には小さな煉瓦倉庫があります。
33.旧西村織物工場







敷地内から。右手側に鉄扉の入口がありました。燃料庫でしょうか。
旧西村織物工場は現在は使われておらず、どうやら廃墟状態のようです。敷地の塀も道路側はブロック塀で仕切られていますが、正門側やノコギリ屋根の工場棟のある裏側は塀すらなく、正門の脇門も開け放ち状態。朽ちていくのを待つだけのように見えますが、今後どうなるのでしょうか。
ここからは他サイトでは現時点(2022年12月11日)で紹介されてない物件を紹介。

34.東南公民館 加西市北条町







東南公民館。加西市北条町。
35.東南公民館







昭和初期頃の築と思われます。先週訪問した福崎町の井ノ口公民館と同じスタイルの地方の田舎に多い下見板張りの公民館建築。
36.東南公民館







正面。離れた場所には火の見櫓もあります。(撮り忘れ)

37.西谷公民館 加西市西谷







西谷公民館。加西市西谷。
39.西谷公民館







こちらも同じく下見板張りの公民館建築ですが、西谷公民館はペンキが塗られており、華やかな印象を受けます。これも昭和初期かな。
38.西谷公民館







正面。玄関の造りとか見ても井ノ口公民館や東南公民館と同じ感じで、設計者とか同じなのかなと思ったりします。以前探索した加東市・小野市の探索で訪問した公民館建築もよく似た造りで、1つは播磨地域の建築家、内藤克雄が手掛けており、これらの公民館も内藤克雄が関わったりしていたのかもしれません。
40.西谷公民館







裏側。
41.西谷公民館







公民館の裏側には古い倉庫が2棟ありました。
42.西谷公民館







基礎が煉瓦のモルタル塗りの倉庫。感じからして燃料庫だったものでしょうか。
20221210_093656













公民館の側には火の見櫓も残されていました。

43.旧織物工場 加西市畑町







加西市から福崎町へと向かう途中にたまたま見かけた古い木造の洋風工場。加西市畑町。
44.旧織物工場







これは!?と思い慌てて立ち寄ることに。
45.旧織物工場







手前の長大な建物は工場棟だったようで、後ろへ回るとノコギリ屋根になってました。
旧西村織物工場と同じ織物工場だったのでしょうか。
46.旧織物工場







事務所棟と思われる洋館。
47.旧織物工場







中々立派です。外観とかペンキが塗り直されている感じに見えるので、今でもお住まいなのかも。
旧西村織物工場と比べても小規模で、工場棟も2棟しか無いから、元々は敷地が広かったのかと思ってたのですが、戦後すぐの航空写真を見たらどうもそうではないようです。
以上で加西市の近代建築探索は終了となります。

besan2005 at 12:03|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

福崎町の近代建築探索レポ日記

2022年12月3日に兵庫県福崎町にある近代建築を探索してきました。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

1.旧辻川郵便局 西田原 大正12年







旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。
2.旧辻川郵便局







地方で多くあった洋館の官公庁の建物。
3.旧辻川郵便局







壁の青さが空の青さに映える美しい建物。
4.旧辻川郵便局







正面玄関の飾り。
5.旧辻川郵便局







窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

6.旧大澤医院 西田原







旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。
7.旧大澤医院







中々、モダンな外観です。
8.旧大澤医院







一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、
9.旧大澤医院







遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

10.井ノ口公民館 西田原







井ノ口公民館。福崎町西田原。
11.井ノ口公民館







地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。
12.旧井ノ口公民館







逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。
13.旧井ノ口公民館







正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。
14.旧井ノ口公民館火の見櫓













戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

15.上村商店 福崎新







上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。
16.上村商店













妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

17.志水歯科医院 福崎新 大正9年頃 







志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。
18.志水歯科医院







主屋に付属して洋館が建っています。
19.志水歯科医院







付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科







旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。
21.旧眼科







実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

22.旧眼科







この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。
23.旧眼科







洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。
24.旧眼科







時代を感じる観音開きの縦長窓。

25.旧眼科







26.旧眼科







妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

29.大野酒造正門







歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。
27.大野酒造事務所か 福田







かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

28.大野酒造事務所か







裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

31.大野酒造物置







事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。
30.大野酒造井戸







門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。
32.大野酒造







すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

33.大野酒店 福田 大正期か







大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

34.津川邸 福田







T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

35.旧神崎郡役所 西田原 明治19年 







福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。
36.旧神崎郡役所







いかにも明治の洋館と言った外観。
37.旧神崎郡役所







福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。

※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。
48.福田区公民館 福崎町福田







福田区公民館。福崎町福田。
49.福田区公民館







洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。
50.福田区公民館







敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

51.旧神谷公民館 福崎町高岡







旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。
52.旧神谷公民館







玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?
53.旧神谷公民館







玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。
54.旧神谷公民館







公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。

以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。



besan2005 at 11:27|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年11月20日

旧愛宕駅・愛宕山ホテル跡探索レポ日記

火伏の神様で知られる愛宕神社の総本宮、愛宕神社のある愛宕山には、戦前までケーブルカーやホテル、遊園地がありました。

吉田初三郎鳥瞰図昭和5年









※所有の吉田初三郎作「愛宕嵐山鳥瞰図」昭和5年に描かれている愛宕鋼索鉄道。
昭和5年、愛宕神社の参詣者を目的とした鉄道として開業。現在の阪急嵐山駅から麓の清滝駅までの平坦線、清滝から愛宕山八合目にある愛宕駅までの鋼索線の2つの路線から構成されていました。
25.昭和10年代








※所有の愛宕駅の絵葉書。昭和10年前後。
日本地理体形 昭和4年










※所有の昭和4年刊「日本地理大系 近畿編」より、愛宕鋼索鉄道の図版。
愛宕山鉄道の開業と共に、昭和4年に愛宕山遊園地と愛宕山スキー場が、昭和5年には愛宕山ホテルが開業しました。しかし、戦時中の昭和19年に不要不急線に指定され愛宕山鉄道は廃業。ホテルや遊園地、スキー場も閉鎖されました。戦後、再開の計画もありましたが、結局復活することはなく現在に至ります。
現在、愛宕鋼索鉄道の路線跡や愛宕駅の建物、愛宕山ホテルと愛宕山遊園地の遺構が廃墟状態で残されています。実はこの記事を書いている2022年から15年前の2007年に一度探索をし当ブログの記事にもしています。※旧愛宕鉄道関連遺構探索 しかし、当時撮影した写真のいくつかが失われていること、ブログの写真も消えてしまっていることから、15年ぶりに改めて詳細な写真撮影を目的とした探索に赴きました。
清滝







朝7時に清滝に到着。15年ぶりの愛宕山登山です。
水口屋旅館







八合目付近の水尾分かれを少し上った場所から脇に伸びる道を進めば旧愛宕駅に着きます。
脇道を入ってすぐに表れるコンクリートの遺構。
44.水口屋旅館跡







かつて「水口屋旅館」だった建物の遺構です。
45.水口屋旅館跡







1階は木造で、半地下部分がコンクリートになっています。
かつては参詣客の宿泊で賑わっていたようです。

4.愛宕駅







約1時間で8合目の旧愛宕駅に到着。15年経って体力的にちょっと不安がありましたが、15年前と同じペースで登ってこられました。
5.愛宕駅







15年ぶりの旧愛宕駅。

23. 2007年の愛宕駅










15年前の2007年に撮影した旧愛宕駅。15年経ってやはり老朽化が進んでいるようです。
6.愛宕駅







初夏に訪れた15年前と比べ、秋に訪問した今回は落葉で駅舎が見やすくなってますが、木もいくつか伐採されているようです。あと、以前は無かった説明板がありました(2015年設置)。
7.愛宕駅







横から。
8.愛宕駅







斜面側から。
9.愛宕駅







斜面側のベランダ下。
10.愛宕駅







ホーム側から。

11.愛宕駅1階







1階内部。1階は待合室や売店があったようです。
13.愛宕駅1階







反対側から。
12.愛宕駅1階







内部は15年前とそんなに変わらないような気がしましたが、床のいくつかに穴が開いてて、地階の機械室が見えた状態になっており怖かったです。
13.愛宕駅タイル







15年前は注目してなかったけど、1階壁の腰回りのタイルが褐色釉をかけた布目タイルで、もしかしたら泰山タイルかも!?と思いましたが、詳細は不明。また調べたいと思います。
14.愛宕駅1階







階段から2階へ。
15.愛宕駅階段







階段踊り場から。
24.2007年の愛宕駅










15年前の2007年撮影の同じアングル。窓の鉄枠が失われています。
16.愛宕駅階段







2階から階段を望む。
17.愛宕駅2階







2階部分。2階には愛宕食堂という食堂があったようです。
2階も老朽化が進み、コンクリートは溶解しかかっており、鍾乳石みたいに垂れている箇所がいくつもあります。
18.愛宕駅2階







2階窓から。ここは鉄枠がまだ残ってました。
19.愛宕駅2階







かつては外を眺めながら食事していたんでしょうね。ベランダはちょっと怖くて行けませんでした。
20.愛宕駅機械室







外に出て地下の機械室へ。ここにはかつてケーブルカーのケーブル巻上機がありました。
21.愛宕駅機械室







風雨にさらされる1階・2階と違い、地下の機械室の状態は割と良かったです。
22.愛宕駅の崩壊







旧愛宕駅は確実に崩壊が進んでいます。ホーム側の柱はコンクリートが崩壊し鉄筋のみで支えている状態に。駅舎が完全に崩壊することはすぐには起きないと思いますが、柱の倒壊や床の崩壊は10年持たずに起きるかもしれません。現在は立ち入り禁止にはなっていないので自由に見学できますが、いずれは立ち入り禁止になるかもしれません。現状でも割と危険かと思います。

次に、旧愛宕駅の向かいから登ったところにある愛宕山ホテル跡へ。
26.愛宕山ホテル







旧愛宕山ホテルの愛宕駅側の玄関部分。かつては自動ドアがあったようです。
27.愛宕山ホテル玄関タイル







玄関ホールのタイル張りの床。
28.2007年の愛宕山ホテル










15年前の2007年の時はもっと床のタイルがはっきりと見えてました。
どうやら数年前の台風とかで荒れてしまったようです。
29.愛宕山ホテル







斜面を降り、麓側のホテル壁面。石積風の外壁は15年前と変わらぬ姿でした。
30.愛宕山ホテル







1階部分に上がってきました。

33.愛宕山ホテル







愛宕神社参詣道側の玄関。ここからロビーに通じていました。
34.愛宕山ホテル







奥にある石積みのオブジェ。花を生けた花瓶とか置かれていたのでしょうか。
31.愛宕山ホテル







ロビー内部。愛宕山ホテルは洋室15室、和室1室の小さなホテルでしたが、食堂や浴室も完備し、ホテルからの眺望も良く、宿泊客には好評だったようです。
愛宕山ホテルフロントか







ロビーにあるアーチ部分。先ほどの参詣道側から入った目の前にあり、この横に別の出入り口もあることから、フロントだったと思われます。
32.愛宕山ホテルタイル







ロビー内部にはタイルが貼られています。施釉された横長のスクラッチタイルで、スクラッチタイル自体は昭和初期に流行ったものですが、ほとんどは素焼きなため、施釉のスクラッチタイルは余りありません。泰山タイルでは施釉のスクラッチタイルを製造していたようですが・・・・
35.愛宕山ホテル







従業員用と思われる出入り口。

愛宕山ホテル1階ロビー







ロビー奥の一画。

36.愛宕山ホテル







1ヵ所個室がありました。麓側に面していて、大きな窓付きです。何の部屋だったんでしょうか。
37.愛宕山ホテル













窓から見る景色。かつては木々も無く眺望は良かったことでしょう。
愛宕山ホテル1階ロビー







愛宕山ホテルは1階が鉄筋コンクリート造、2階は木造だったようで、現在は1階部分のみが残されています。
38.愛宕山ホテル背面







愛宕山ホテルの背面。
39.愛宕山ホテル倉庫か







コンクリート造の建物が独立して建っています。
40.愛宕山ホテル倉庫か







内部。何の建物だったかは分かりませんが、倉庫とかだったのでしょうか。

41.愛宕遊園地跡







愛宕山ホテルの背後には愛宕遊園の跡があり、飛行塔や山上テント村の跡が残されています。
42.愛宕山ホテル遺物







その近くには、大量の陶磁器やガラス瓶の散乱した場所が。
43.愛宕山ホテル遺物







愛宕山ホテルの食堂で使われていた食器が廃業と共に廃棄されたあとだと思います。
食器は和食器や洋食器だけでなく、レンゲも落ちていたので、和洋中のメニューが揃っていたと思われます。残念ながら全て破損していました。もしかしたら、割れていない食器は訪れた人が持って帰ったのかも。15年前は電球が落ちているのを見たことあります。

46.紅葉







15年振りに訪問した旧愛宕駅と愛宕山ホテル跡の廃墟。やはり15年前と比べて緩やかに風化しつつあるようです。90年ほど前は多くの参詣客や観光客で賑わった旧愛宕駅・愛宕ホテル跡・愛宕遊園跡。この日は行楽シーズンもあってか多くの登山客とすれ違いました。しかし、旧愛宕駅方面へ行く人はほぼ皆無。参詣道の賑わいをよそに、これらの廃墟群はかつての賑わいの面影を残しつつ静かに山へと溶け込んでいくようでした。



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2022年11月13日

京都モダン建築祭・参加建築見学レポ日記

京都モダン建築祭001













京都市では初の試みである京都の近代建築公開イベント「京都モダン建築祭」が11/11から13日までの3日間、開催されました。クラウドファンディング出資者でもある私は、初日の11日に参加いたしました。
一番見たかった大丸ヴィラのツアーは残念ながら落選。パスポート(1500円)で見れる建物のうち、普段非公開とまだ内部を見たことが無い戦前建物に絞って回ることに。
今回巡ったのは・・・
革島医院・元成徳中学校・旧寺江家住宅・八竹庵・京都ハリストス正教会・平安女学院大学明治館・聖アグネス教会・京都市役所本館・時忘館・京都市京セラ美術館。
まずは、今回一番の目的である革島医院へ。
※今回記事で紹介する建物の内部写真は全て撮影OKの箇所のみです。見学可でも撮影NGの場所は当然載せていません。またSNS等へのUPに関しては、革島医院での事前注意事項を含め、少なくとも私の時は一切言及されていませんでしたので、撮影OK箇所=SNS等へのUP可と判断させていただきます。

2.革島医院







まず到着したのは革島医院。昭和11年築の洋館医院で、あめりか屋の設計。
普段内部を見る機会が無いため、今回どうしても見たかった建物。

1.革島医院 昭和11年 設計・あめりか屋







10時開場の30分前に到着しましたが、すでに20人ほどの待機列が。やはりここが一番の目当ての人が多かったようで。
24.革島医院











10時になった時点で先頭から15人ほどだけ整理券を配られ、残りは近くの公園へ移動。そこで、待機列をさらに作ることになったのですが、スタッフさんが不慣れなのか動かない。仕方なく私含めて待機者で列整理をする羽目に。さらに1時間ごとに見学人数の整理券を渡すと言われ、後方の人からこのまま何時間も待てというのかと不満続出。結局、10時40分にすでに並んでいた人に対しては整理券が配られましたが、段取りや対応の不手際が目立ちました。
3.革島医院







私の回は11時に入場。事前の注意事項として案内のスタッフさんから説明ありましたが、
〇撮影不可の場所では絶対撮影しないこと。
〇必ず5人1組で行動すること(少しでも外れたら怒られました)
〇荷物は事前に待合室に置くこと
〇室内のものには一切触らないこと(ドアノブや手すりもダメ)
とかなり制約が厳しかったです。確かに痛みは多く、個人宅であるから今回問題起きたら次回からは公開してくれなくなる可能性があるのでピリピリするのは分かりますが、だからと言ってちょっと外れただけで声を荒げなくてもいいのに。正直、スタッフに気を使いながら見学という感じになって落ち着かなかったですね。あと、「私らはただの案内スタッフだから、専門的質問されても答えられない」というのはどうよ?ある程度は頭に入れとくべきじゃないの?
あと、見学時の注意事項で立ち入り禁止箇所や撮影不可の箇所はかなり細かく指示され、見学中もその都度指示がありましたが、SNS等へのUPに関しては一切言及がなかったので、私としては赤字に書いた上記の判断で行かせてもらいます。
まぁ、とりあえずめったにない機会なのでワクワクしつつ内部へ。
4.革島医院







玄関部分。腰回りのタイルは布目タイルで恐らく泰山タイルかと。後に書きますが、革島医院の建設に当たり、泰山製のタイルを用いることと書いてありました。
6.革島医院







玄関上部の丸窓。
6-2.革島医院







こちらも丸窓。
7-2.革島医院







受付と投薬口。治療費・薬代即納と書いてます。ツケはダメという事ですかね。
戦前からのものでしょう。

5.革島医院







待合室。ここで荷物を置くように言われました。
8.革島医院







待合室のステンドグラス。アールデコ調。

7.革島医院







玄関ホールのタイルの構造物。手洗いだったのでしょうか。タイルは泰山タイルの可能性あり。

9.革島医院







1階の階段。
11.革島医院







階段の横に診察室と処置室。内部を見せてもらいましたが、撮影は不可。
10.革島医院







1階廊下。左の部屋が処置室。つまり手術室。
12.革島医院







階段踊り場。

13.革島医院







2階廊下。2階は病室になってます。
14.革島医院







反対側から。
15.革島医院







病室の丸窓。
16.革島医院







病室番号。
17.革島医院













病室廊下には戦前のものらしい注意書きが今でも。
18.革島医院













病室内で自炊してた人がいたのか・・・
19.革島医院







病室内1。
20.革島医院







ベッド堅そう・・・
21.革島医院







病室内2
22.革島医院







病室内3。こちらは他と違い収納があります。
23.革島医院







角部屋。窓が大きく作られ、採光が多くなるようになってます。サンルーム的な感じだったのでしょうか。
撮影不可でしたが、資料の展示室も見学。建築設計で目に付いたのは「外壁ニ鉄柵ヲ設ケテ蔦ヲ這ワス事」「外壁腰部分ハ泰山製ヲ用ル事」の記述。外壁の蔦は当初から這わせる形だったようで、タイルも泰山タイルを用いるよう決められていたようですね。
ピリピリした中の見学でしたが、貴重な体験が出来ました。

25.元成徳中学校 昭和6年







次に向かったのが元成徳中学校。
26.元成徳中学校







昭和6年築のレトロな学校建築。
27.元成徳中学校







玄関ホール。
28.元成徳中学校







受付ですかね。
28-2元成徳中学校







1階廊下。アーチが良い雰囲気。
29.元成徳中学校







1階階段。この階段が良い感じ。
30.元成徳中学校







この造形!アールデコでいいのかな。素晴らしい。
31.元成徳中学校







階段を登っていきます。
32.元成徳中学校







踊り場から。
33.元成徳中学校







踊り場のアーチ窓。
34.元成徳中学校







階段上から。
35.元成徳中学校







階段上がった所の教室の角はなんとカーブに仕上げられてました。凄く仕事が丁寧。
このカーブ、めちゃお気に入り。
36.元成徳中学校







2階廊下。
37.元成徳中学校







もう一つの階段。
38.元成徳中学校







階段の装飾。
39.元成徳中学校







3階廊下。元成徳中学校は広々としてゆったり見学できました。
素敵なレトロ校舎、新道小学校が無くなった今、ここはいつまでも残ってほしいですね。

40.旧寺江家住宅 昭和10年 設計・橋本工務店







次に向かったのが旧寺江家住宅。昭和10年築。設計・橋本工務店。
以前探索で外観だけはチェックしてたんですが、内部に入るのは初めて。
41.旧寺江家住宅







洋館部分外側。
42.旧寺江家住宅







洋館内部。
43.旧寺江家住宅







洋館内部の別アングル。オシャレですねぇ。
45.旧寺江家住宅







洋館の奥はお座敷になってます。
44.旧寺江家住宅







床の間。
46.旧寺江家住宅







京都の町家らしい坪庭。
47.旧寺江家住宅







通り庭の天井高いなぁ。
48.旧寺江家住宅







おくどさん。今も現役なのかな。素敵な町屋建築でした。

49.八竹庵







次に向かったのは八竹庵。元紫織庵で旧川崎邸。取り壊しの危機にあった建物。武田五一設計の洋館があり、昔入ったことがあるのですが、再び中に入るのは10年ぶりかも。
50.八竹庵







のはずでしたが、パスポートとは別に入場料1700円!?うち1000円は文化財としての維持管理費ということらしく分からんでもないですが、さすがに高い・・・。期間中くらいは割り引いて欲しかった。
なのでここはスルー。

100.ハリストス正教会













お次は京都ハリストス正教会。明治36年築の重要文化財。設計は京都府庁旧本館を設計した松室重光。
中では解説をされてました。撮影不可なので内部を拝見して撤収。
ちなみに京都府庁旧本館も公開されてますが、私は何度も行ってるので今回はパス。

50.平安女学院大学明治館 明治28年







次に向かったのは、平安女学院大学明治館。建物は有名でもちろん知ってましたが、場所柄、中に入るのは初めて。
51.平安女学院大学明治館







明治28年築の煉瓦建築。歴史を感じます。
52.平安女学院大学明治館







正面玄関のレリーフ。
53平安女学院大学明治館







1階階段。
54.平安女学院大学明治館







さすが明治建築と言った華やかな造りです。
55.平安女学院大学明治館







1階部屋。
59.平安女学院大学明治館







1階のシャンデリア。
56.平安女学院大学明治館







階段踊り場。
57.平安女学院大学明治館







2階講堂。
58.平安女学院大学明治館







天井の造りも凝ってます。
60.平安女学院大学明治館







講堂の暖炉。暖炉は各部屋にあります。
62.平安女学院大学明治館







3階階段。
61.平安女学院大学明治館







3階部屋。
64.平安女学院大学明治館







3階広間の暖炉。暖炉のデザインは全部同じっぽいです。
63.平安女学院大学明治館







古いオルガン。明治のころからのものでしょうか。

65.聖アグネス教会 明治31年 設計・ガーディナー







続いて隣の聖アグネス教会へ。明治31年築。設計・ガーディナー。この建物も有名で、何度も外観は見ているけど、中に入るのは初めて。一応、日曜礼拝やクリスマスには入れるみたいですが。
66.聖アグネス教会







内部空間は広々としていて開放感があり、さすが教会という感じ。
67.聖アグネス教会







祭壇も広い。
68.聖アグネス教会







ここの空間、いい感じ。
69.聖アグネス教会







70.聖アグネス教会







71.聖アグネス教会







72.聖アグネス教会













この日は天気も良く、光が差したステンドグラスがとても美しかったです。
平安女学院大学明治館や聖アグネス教会では学生さんが親切に案内してくれました。ありがとうございました。

73.京都御幸町教会 大正2年 設計・ヴォーリズ建築事務所







続いて京都では聖アグネス教会と同じく煉瓦の教会で知られる京都御幸町教会。大正5年。設計・ヴォーリズ建築事務所。ここは日曜礼拝で自由に見学でき、礼拝後は写真も自由に撮れるので、以前入ったことがあった記憶がある建物。
74.京都御幸町教会







聖アグネス教会より装飾がシンプルで、ステンドグラスも無いので派手さは無いですが、逆に落ち着いた雰囲気を感じます。
75.京都御幸町教会







祭壇。
76.京都御幸町教会







階段。
77.京都御幸町教会







階段の手摺のこのカーブの造詣がたまらなくいい!
79.京都御幸町教会







2階へ上ると堂内が見渡せます。
このあと、旧島津製作所のフォーチュンガーデンに行ったのですが、かなり並んでいて断念。

81.京都市役所 昭和6年







というわけで、京都市役所へ。京都市役所はしょっちゅう中に入っているし、改修前の市議会場の一般公開にも行きましたが、正庁の間はまだ見たこと無かったので。
82.京都市役所







まずはちらっと市議会場へ。
改修で議長席が大きく造り替えられたんですよねぇ。
P1120258










こちらは改修前の市議会議場の議長席。やはり重厚な改修前の方が良かったなぁ。
83.京都市役所







そして目当ての正庁の間へ。
84.京都市役所







さすが正庁だけあって装飾が凝ってます。
ここから地下鉄に乗り東山で降りて岡崎方面へ。

85.時忘舎(旧竹中精麦所) 大正5年







時忘舎。大正5年。元は竹中精麦所という工場だった建物。
86.時忘舎







この辺よく歩いてますが、初めて知りました。今はオシャレなカフェになっており、改めて行きたいと思ったり。
87.時忘舎







高い天井。
88.時忘舎







元々は応接室だったのかな。
89.時忘舎







名前のごとく、ここでお茶をしていたら時を忘れそう・・・
90.時忘舎







オシャレですねぇ。
91.時忘舎







奥の部屋は和室を改装したっぽい。
今回の一般公開で人気でそうですね。
本来なら取り壊しの予定だった工場がこうしてオシャレなカフェに生まれ変わっているのは素晴らしい。

92.京都市京セラ美術館 昭和8年







最後に訪れたのは京都市京セラ美術館。ここもお馴染みの場所ですが、今回の目当ては普段非公開の貴賓室。
93.京都市京セラ美術館







貴賓室だけあって流石豪華。和風を基調とした京都美術館なので、貴賓室も天井は格天井になってたりと和風のスタイルを感じます。
94.京都市京セラ美術館













この扉のブドウの彫刻が凄かった。
95.京都市京セラ美術館







暖房施設も金蒔絵っぽい和風デザイン。

以上で私の京都モダン建築祭は終了しました。
今回初の試みとはいえ、やはり革島医院とかウェストイン都ホテルとかフォーチュンガーデンとか人気ある建物には希望者が殺到し早々に打ち切りになったり、革島医院も土日の見学のやり方で2転3転して混乱を招いたのは大きな反省点だと思います。まぁ私は一通り希望の建物を見れたから良かったですが、遠方から来て見れずに終わった人とかは納得いかなかったでしょう。次回もやるなら、大いに反省して次に生かして欲しいです。私は今回パスした旧西陣織物館や武徳殿、新たに公開される建物があればそちらを中心にめぐりたいですね。あと、大丸ヴィラを次こそは見たい!


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2022年09月04日

高砂市の近代建築探索レポ日記

2022年8月12日に兵庫県高砂市の近代建築の探索をしてきました。
まず向かったのは。

1.梅ヶ枝湯 次郎助町







梅ヶ枝湯。次郎助町。
2.梅ヶ枝湯







昭和初期くらいでしょうか。レトロな銭湯です。
3.梅ヶ枝湯







側面は煉瓦壁。なんと薪でお湯を沸かしているっぽい!?
4.梅ヶ枝湯







「水」の文字のある石の覆い。

5.旧高砂通運本社 鍛冶屋町 昭和14年







旧高砂通運本社。鍛冶屋町。昭和14年。
6.旧高砂通運本社







今は鰻屋さんになっているようです。

7.旧三星化学合資会社 鍛冶屋町 昭和5年







旧三星化学合資会社。鍛冶屋町。昭和5年。
8.旧三星化学合資会社







装飾に富んだ中々いい感じの建物ですが、現在は空家?以前はカフェだったようですが。
そのまま南へ。

9.M邸 釣船町  







M邸。釣船町。明治〜大正期?
10.M邸







大きな洋館です。三菱製紙の社宅だったとか。
11.M邸







反対側から。
ここから西へ。

12.出汐館(旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華クラブ) 西畑町 昭和11年







旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華倶楽部出汐館。西畑町。昭和11年。
13.出汐館





スパニッシュ様式の洋館が2棟並んでます。
14.出汐館





東側の洋館。
16.出汐館










東側の洋館のステンドグラス。
15.出汐館





西側の洋館。
17.出汐館










西側の洋館のステンドグラス。
18.出汐館





道路側から。現在も倶楽部施設として使用されているようです。

19.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か 沖浜町





カネカ工業高砂工場の社宅街にある洋館。沖浜町。
20.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か





もしかしたら、倶楽部建物かもしれません。
ここから引き返し東へ。

21.カネカ工業高砂工場事務所か





カネカ工業高砂工場事務所。宮前町。
奥に見える洋館。さすがに近づけないので離れた場所から撮影。

22.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所 南本町 昭和10年





旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所。南本町。昭和10年。
23.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





横に付属する派出所が消防会館に比べ装飾的なのは、警察としての威厳を示そうとしたのでしょうか。
24.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





背面から。
ここから少し東へ。

25.洋館付き住宅 東宮町





洋館付き住宅。東宮町。

20220811_104242





旧銭湯。西宮町。
この近くに煉瓦倉庫があるんですが、完全に忘れてました…
再び西へ。

26.三菱製紙魚町倶楽部 魚町 明治35年





三菱製紙魚町倶楽部。魚町。明治35年。
立派な洋館です。ただ、庭木が邪魔して上手く撮影できない。
一般公開されているらしいですが、この日は閉まってました。

27.片岡医院 横町 昭和10年代





片岡医院。横町。昭和10年代。中々洒落た洋館。今は医院は止めて個人宅かも。

28.旧高砂銀行本店 北本町 昭和7年





旧高砂銀行本店。北本町。昭和7年。古典様式のこれぞ昭和初期の銀行と言った佇まい。
現在は高砂商工会議所として使用。

29.デラコンチャ 北本町





デランコッチャ。北本町。洋風の商店建築。
30.デラコンチャ





現在は雑貨店。デランコッチャってどういう意味だろう。
ここから東へ。

31.鍛冶医院 高瀬町





鍛冶医院。高瀬町。昭和初期頃?

32.鍛冶医院





片岡医院と同じく洒落た洋館の医院です。

33.由井邸 高瀬町





Y邸。高瀬町。
34.由井邸





モダンな洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
35.由井邸





反対側から。
36.由井邸





玄関にはステンドグラスがあります。

清水町会館





清水町会館。清水町。古そうで気になった建物。

37.古い住宅 船頭町





旧高砂湯。船頭町。
38.古い住宅





何となく気になって撮影した建物。後で調べたら高砂湯という銭湯だったそうで、
数年前までは高砂湯の看板があったようです。今は住宅になっているようです。

39.旧清栄館(元映画館) 大正期





旧清栄館。清水町。大正期。
40.旧清栄館





かつては映画館だったそう。現在は焼酎専門店セイエイカン。居酒屋もやってます。
ここから川沿いに北上。

20220811_113834





川沿いの古い建物。藍屋町。
20220811_113909





船着き場関係の建物でしょうか。

41.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場煉瓦建物。栄町。明治34年〜大正6年頃。
42.三菱製紙高砂工場





大きな煉瓦建築です。

43.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場。栄町。明治34年〜大正7年。
44.三菱製紙高砂工場 





付属建物の横にある煙突は、加古川市にあった陸軍飛行場から飛び立つ航空機の妨げになるとのことで一度半分にされ、戦後に撤去された部分を再度作り直したらしいです。

20220811_114954





山陽電鉄加古川橋梁。大正11年。長さ約330mの山陽電車の鉄橋では一番長い鉄橋。
100年超えた今でも現役。

以上で高砂市の近代建築探索を終了。高砂市は三菱製紙など戦前からの大規模工場があったせいか、今でも数多くの戦前の建物が残されていました。


besan2005 at 11:18|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年08月06日

青野原陸軍演習場高岡廠舎(青野原俘虜収容所)遺構探索レポ日記

1.説明板







兵庫県加西市にあった青野原陸軍演習場高岡廠舎の遺構を探索してきました。
青野原陸軍演習場高岡廠舎は明治32年に開設された青野原陸軍演習場の演習廠舎であった大門演習廠舎が手狭になったため、明治45年に新たに設置された演習廠舎でした。

大門廠舎位置図










兵庫県加西市・青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構探索レポ日記
大正3年、第一次世界大戦の俘虜として日本に来たドイツ軍俘虜をしゅうようするため、高岡演習廠舎の南側に新たに青野原俘虜収容所が建設されました。大正8年、青野原俘虜収容所の閉鎖に伴い、俘虜収容所の施設はそのまま高岡演習廠舎として再利用されました。

高岡廠舎001








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門。

高岡廠舎002








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門と廠舎建物。

日記016青野原演習場へ出発













※祖父の一等兵時代の日記にある青野原陸軍演習場の記載(昭和14年11月9日)
昭和に入っても青野原陸軍演習場は祖父が在籍した福知山市の歩兵第20連隊はじめ、各地から部隊が演習に来たようで、それらの兵士を収容する廠舎施設が必要だったようです。
青野原陸軍演習場高岡演習廠舎は戦後、大門演習廠舎と同じく住宅地となって現在に至り、大門演習廠舎ほどではないですが、演習廠舎時代の建物や遺構がいくつか残ります。

高岡廠舎配置図













※青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構位置図。
以下はこの遺構位置図に従い紹介します。

2.廠舎1







‐骸坊物1。民家の一部となっています。
3.廠舎2







裏側。

4.廠舎3







⊂骸坊物2。こちらも民家の1部になってますが、外観は当時の姿を留めています。
5.廠舎前井戸







廠舎建物の前にある煉瓦の井戸枠のある井戸。

6.将校用風呂棟







将校用風呂棟。兵庫県登録文化財として高岡演習廠舎で唯一内部公開されている建物。
7.将校用風呂棟2







将校用風呂棟の内部。
8.将校用風呂棟3







かまど?風呂の焚口にしては位置がおかしい。後世のものかも。
9.将校用風呂棟4







浴槽。現代のユニットバスより狭いです。

10.井戸







ぐ羝唯院将校用風呂棟の向かいにあります。

12.井戸







グ羝唯押L渦箸良瀉脇發砲△蠅泙后

11.コンクリート基礎







Ε灰鵐リート基礎。何かの建物の基礎だったのが残されています。

13.貯水槽







貯水槽。高岡演習廠舎の北側にありますが、戦後のものかもしれません。
ちなみに大門演習廠舎の外周には陸軍の境界杭が何本も残されていますが、高岡演習廠舎では1本も見かけませんでした。

高岡演習廠舎は大門演習廠舎より遺構の数は少ないですが、俘虜収容所だったという歴史的経緯があったためか、大門演習廠舎には全くなかった案内板や説明板が設置されており、見学しやすくなっています。

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2022年07月30日

第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構探索レポ日記

2022年6月24日、フォロワーさんと舞鶴市の旧軍遺構探索ツアーで、海上自衛隊舞鶴造修補給所に残る旧軍遺構を見学してきました。この場所、昭和20年の終戦の段階で第三十一海軍航空廠の敷地だったそうです。
第三十一海軍航空廠といえば、宮津市栗田半島にある現・関西電力エネルギー研究所と栗田漁港の敷地にあった水上機製造専用の工廠だったことは知られており、私も何度か探索を行いましたが、舞鶴市の東舞鶴軍港内にもあったのは知りませんでした。
※過去に探索した第三十一海軍航空廠関連の記事。
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠官舎・工員宿舎遺構配置図








宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

海上自衛隊舞鶴造修補給所の敷地がかつて第三十一海軍航空廠だったと知ったのは、舞鶴市の公式HPである「舞鶴鎮守府エリア 1945年 舞鶴鎮守府家屋営造物配置図」を見たのがきっかけでした。
以下、このサイトに表記されている情報を元に記事を書いていきます。各遺構の名称は、第三十一海軍航空廠時代の名称で表記します。

第三十一海軍航空廠浜地区工場遺構配置図









※第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構配置図。
この舞鶴造修補給所の敷地となっている第三十一海軍航空廠についてですが、現在、確たる資料が見つけられず、この施設が当時どのように呼ばれていたかも不明です。とりあえず現段階では「第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)」としておきます。

海上自衛隊の隊員さんの案内で敷地内へ。

1.起重機(5トンクレーン)1







ゝ重機。船からの荷物を上げたり降ろしたりする5tクレーンです。白線で旋回範囲を書いてある通り、現役のクレーンです。赤れんがパークからも見えるクレーンです。
P1020696










こちらは現役ではありませんが、呉市のアレイからすこじまにある起重機のクレーンと同じですね。
2.起重機台







起重機台の部分。
3.起重機銘板







操縦室には「製造 昭和16年」の文字が。海軍時代から現役の古参。
ただし、クレーンのアーム部分は見る限り戦後に交換したように見えます。
ちなみに宮津市栗田の第三十一海軍航空廠の開設は昭和18年。この起重機はそれより2年古いため、元々は海軍の別の施設で、昭和18年以後に第三十一海軍航空廠の敷地となったと思われます。

6.啓正式格納庫1







啓正式格納庫。木造の大きな建物です。
7.啓正式格納庫2







啓正式格納庫とは移動式の格納庫のことらしいですが、この建物、移動できるんでしょうか。
8.啓正式格納庫3







内部は当時の鉄骨が残されています。格納庫時代の姿を留める貴重な建物です。
P1330504










対岸の赤れんがパークから見た啓正式格納庫。

4.汽缶場







2消談蟒ね工場(左奥)とさゴ名譟2消談蟒ね工場の写真を撮り忘れていた失態。
5.汽缶場洗面台







汽缶場の洗面台。コンクリート製の長いもの。汽缶場という施設という事で、煤とか色んなものが顔や服に付着したのを洗ったのでしょう。
9洗濯場










こちらは宮津市の栗田半島にある第三十一海軍航空廠工員宿舎街跡に残る洗濯場の洗い場。似たような感じですね。あと、舞鶴市の朝来地区にある第三海軍火薬廠跡にもコンクリート製の洗面台が残されています。

9.事務所か







セ務所としていますが、上記の舞鶴市のHP掲載の配置図では位置が違います。しかし、建物の造り、基礎の煉瓦など明らかに戦前の物。とりあえず事務所の建物と仮定しておきます。
10.事務所か







反対側より。

11.自動車庫







自動車庫。改造されてますが、面影は残されています。

P1050373










舞鶴造修補給所の遺構は赤れんがパークから起重機と啓正式格納庫を見ることができるため、以前からその存在は知ってましたが、他にもいくつか遺構が残されていること、また終戦時には第三十一海軍航空廠の敷地だったことは初めて知る成果となりました。

IMG_4768










ちなみに背後の東山には木造2階建ての司令部建物を丸ごと収めた、巨大な地下壕が残されています。
舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年07月03日

舞鶴平海兵団(現・舞鶴教育隊)遺構見学レポ日記

1.舞鶴教育隊







2022年6月24日に舞鶴市にある舞鶴教育隊を見学してきました。
0.平海兵団001








舞鶴教育隊は元々、旧海軍の平海兵団の敷地でした。舞鶴海兵団は舞鶴鎮守府開庁とともに設立。しかし、大正12年のワシントン海軍軍縮会議により舞鶴鎮守府は要港部へと格下げ。舞鶴海兵団は廃止され、旧舞鶴海兵団の敷地は海軍機関学校の敷地として使用されました。
昭和14年の鎮守府再昇格により海兵団も復活。しかし敷地は海軍機関学校となっていたため、東舞鶴の平地区に昭和15年に新たに設置されました。
舞鶴教育隊戦後001








戦後、平海兵団の敷地はそのまま海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地となり、現在に至ります。
舞鶴教育隊の敷地内には庁舎を始め平海兵団時代の建物が数多く残っていたのは知っていたのですが、施設の性質上、中々見学できる機会がありませんでした。今回、フォロワーさんのご尽力と海上自衛隊の隊員さんの協力により見学する機会を得ることが出来ました。ありがとうございました。
平海兵団歩哨舎跡







2枚目の古絵葉書の端に写ってますが、かつて正門の前には歩哨舎がありました。今でも基礎が残ります。正門も当時の物がそのまま使われています。

舞鶴教育隊(旧平海兵団)遺構配置図









平海兵団遺構配置図。この位置図に沿って紹介していきます。
2.庁舎1







(審な蔀痛槁庁舎。昭和10年代らしいモダニズムデザインの建物。筑波海軍航空基地の本部庁舎に似た感じですね。
3.庁舎2







正面に車寄せを設けた威厳ある造り。
4.庁舎国旗掲揚台













正面上部には国旗掲揚台が残されています。軍艦の艦橋を模した感じに見えます。
5.庁舎内部







玄関内部。階段も当時のまま。

6.自動車庫







⊆動車庫。鉄骨造りの建物です。
7.自動車庫2







現在も車庫として使用されていますが、平海兵団当時の車両より大型化しているため、収まり切れません。
8.自動車庫







内部の様子。
自動車庫背面







背面。

9.水上機格納庫







水上機格納庫。2棟残されています。
水上機格納庫







旧軍の航空機の格納庫自体、多くが失われている中、ここはちゃんと残されているのが貴重。

10.桟橋







せ袈供コンクリートの部分とかに当時の意匠が見えます。

11.覆土式弾薬庫1







ナづ攫芦侈庫。
12.覆土式弾薬庫迷彩







戦後にコンクリート壁が塗り直されましたが、塗装の剥がれた部分に当時の迷彩を確認することが出来ました。

13.弾薬庫1







γ凸庫。やや小高い場所にあります。
14.弾薬庫2







入り口部分。現在は使われていないようです。

15.ボイラー実習室1







平屋のコンクリート建物。開口部を大きく取った特異な建物。
16.ボイラー実習室2







かつて背面部には煙突があったようです。そのため、軍艦の機関のボイラーの実習等を行う施設だったのではと推測。現在はダメコン用の木材を保管する建物として使用。

17.機関講堂1







木造建物。教育隊では機関講堂と呼んでるようですが、当初の用途は不明。しかし規模の大きさからやはり講堂か実習棟だったのでしょうか。
18.機関講堂2







側面から。
19.機関講堂3







反対側から。現在は使用されておらず、内部もかなり痛みが激しく、今年中に取り壊される予定とのこと。

20.烹炊場







木造建物。教育隊では烹炊場と呼ばれ、炊事の演習場だったようです。当初の用途は不明。この建物も今年中に取り壊しとのこと。

21.便所1







便所。
22.便所2







平海兵団当時から便所だった建物で、建物の前半分は現代用に改修されてますが、後半分は当時のままとのこと。
23.便所3







手前の防火水槽も当時の物。
24.便所4







背面から。この建物も今年中に取り壊されるようです。
ちなみに便所の奥に写る白い建物も当時の木造建物で、こちらは今後も使用されるとか。

25.木造建物







木造建物。長大な建物。
26.木造建物2







こちらは今でも使われています。

28.風呂場2







風呂場。正面に屋根付き廊下が付属します。支えの柱は旧陸軍の建物でも時々見る形ですね。
27.風呂場1







背面から。

29.演武場1







演武場。鉄骨造の大きな建物。現在も演武場として使用されています。
30.演武場2







内部を見せてもらいました。鉄骨の小屋組みが凄い。

舞鶴海兵団兵舎










兵舎。現在は建て替えられて現存していませんが、かつては現隊舎の場所に平海兵団時代の兵舎があり、近年まで隊舎として使用されていました。写真は10年ほど前に軍港クルーズ船から撮影したかつての兵舎。

31.戦艦長門主砲弾













舞鶴教育隊の敷地には旧海軍時代のゆかりのものがいくつか置かれています。これは戦艦長門の主砲弾。
32.川内主錨







庁舎の脇には軽巡洋艦・川内の主錨が置かれています。
33.川内主錨







解説板。昭和17年に舞鶴海軍工廠で改装時に外されたもので、昭和52年にここに置かれたようです。
それまではどこにあったんだろう。

今回はフォロワーさん・海上自衛隊の隊員さんのご尽力により、普段は見れない舞鶴教育隊の敷地に残る平海兵団時代の遺構を見ることが出来ました。ありがとうございました。



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2022年05月06日

舞鶴市・愛宕山防空砲台探索レポ日記

1愛宕山防空砲台遠景










※2021年4月11日再探索分追加。加筆修正。
東舞鶴の海上自衛隊舞鶴教育隊の東に標高282m比高差270mの愛宕山があります。中世(室町期)に山頂に泉源寺城が築かれましたが、戦時中に海軍の防空砲台が築かれました。山城関連のブログに泉源寺城跡を取り上げたサイトがあり、そちらのレポを拝見すると山頂の砲台施設は中世の泉源寺城の曲輪を再利用したような感じで、砲台跡やコンクリートの構造物が見られ、どうやら愛宕山防空砲台の遺構が残されていることが分かりました。しかし、あくまで中世山城である泉源寺城跡をメインに取り上げているため、防空砲台の遺構に関してはちょろっと写真に写っている程度。そこで実際に探索し愛宕山防空砲台としてのレポを計画しました。

愛宕山防空砲台配置図修正版











今回の探索で確認した愛宕山防空砲台の遺構群。同じ防空砲台である倉梯山防空砲台に比べると規模が小さく見劣りする感じではありましたが、それでも各遺構群が多数現存し、また倉梯山防空砲台と比べて防空砲台として探索した人がおらず、知られていない遺構という点でも探索する価値はあったかと思います。
愛宕山防空砲台発電施設群











麓から旧軍道と思われる道を登っていくと4合目あたりで削平地に到達します。そこは愛宕山防空砲台の発電施設エリアと思われ、冷却用の水槽・発電機室跡・燃料庫と思われるコンクリート壕が残されています。
2愛宕山防空砲台水槽










冷却水用の水槽。
3愛宕山防空砲台発電機室










発電機室の建屋跡。恐らく木造の建屋だったのでしょう。
7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台2










7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台










建屋の中には発電機の台座と思われるコンクリートの台座があり、脇には冷却水を流していたと思われる排水溝があります。
愛宕山防空砲台発電機室平面図













簡易的ですが、発電機室の平面図。
4愛宕山防空砲台燃料庫壕










一番山側にある燃料庫壕。愛宕山防空砲台で唯一現存していると思われるコンクリート壕です。
5愛宕山防空砲台燃料庫壕内部1










燃料庫壕の内部。ほぼ同じ時期に造られた倉梯山防空砲台と同じ感じの造り。
6愛宕山防空砲台燃料庫壕内部2










内部から。
8愛宕山防空砲台燃料庫壕上部遺構










燃料庫壕の上にはコンクリートの構造物があります。
9愛宕山防空砲台燃料庫壕煙突










燃料庫壕の上部にある通気口らしきもの。
10愛宕山防空砲台コンクリート残骸










発電施設エリアを過ぎ、少し上がった場所にあるコンクリートの残骸。
11愛宕山防空砲台軍道










上記のコンクリート残骸辺りから軍道と思われる道が九十九折れで山頂まで続いています。
愛宕山防空砲台山頂遺構群修正







山頂部の各遺構配置図。
12愛宕山防空砲台軍道分かれ道










山頂付近の軍道分かれ道。恐らく中世の泉源寺城跡の帯曲輪や城道遺構を再利用していると思われる軍道で、真っ直ぐ向かうとコンクリート壕の残骸と便所跡。右の登り道を進むと山頂に出ます。右の登り道は主郭へと至る虎口への道を再利用したものではと考えられます。
まずはまっすぐの道を進みます。
13愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸










大量のコンクリートの残骸。明らかに破壊された跡です。
14愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸2










コンクリートの残骸の上にはアーチ状に残るコンクリートの構造物が。
これはコンクリートの壕の残骸ではないでしょうか。別のサイトでは「砲側庫の残骸と思われる」としています。
15愛宕山防空砲台便所跡1










先ほどのコンクリート壕の残骸の側にあるコンクリート構造物。
16愛宕山防空砲台便所跡2













便所跡で、未だに便壺が残されてました。
19愛宕山防空砲台浄化槽1










コンクリート壕の残骸の上部にあるコンクリートの構造物。
20愛宕山防空砲台浄化槽2










3つ連なる水槽状の造りのコンクリートの構造物には水を通せる穴があけられていることから、貯水槽ではと思います。下の便所や兵舎等に配水していたのでしょうか。
21愛宕山防空砲台煉瓦構造物










浄化槽の横にある煉瓦の壁。用途は不明ですが、浄化施設に付随する施設だったのでしょうか。この構造物のものと思われる煉瓦が下のコンクリート壕の残骸と一緒に散らばっていました。愛宕山防空砲台で煉瓦構造物を確認したのはここだけです。
17愛宕山防空砲台機銃砲座跡










便所跡から西側へ回り込むと穴が2ヵ所開けられた場所に出ます。用途は不明。
18愛宕山防空砲台コンクリート残骸










先ほどの機銃砲座跡を上がった山頂にあるコンクリートの残骸。ただの残骸ではなく、形が割と保たれており、この場所に何か施設があったことをうかがわせます。
23愛宕山防空砲台高角砲座










山頂部分にある砲座1。引渡リストにある12cm高角砲座かと。
22愛宕山防空砲台円形台座










高角砲座跡の南側にあるコンクリートの円形台座。下部の土が流失して半分浮いた危険な状態となっています。何の台座だったかは分かりません。
26砲座2










砲座2。
27コンクリート構造物










砲座2に隣接するコンクリート構造物(2021年4月11日確認遺構)
観測所の遺構ではと思われます。
26砲座3










砲座3。
25愛宕山防空砲台山頂砲座4










砲座4。
26機銃座










機銃座。引渡リストの13mm機銃の銃座と思われます。
28コンクリート基礎建物










山頂部から東に進み下がった場所にある遺構(2021年4月11日確認遺構)。中世の泉源寺城跡の曲輪に造られた建物のコンクリート基礎。
29コンクリート基礎建物










泉源寺城跡の曲輪をほぼ生かして建てられた建物跡で、旧軍遺構としてだけでなく、中世の山城跡でもこれくらいのスペースの曲輪なら駐屯できる建物が建てられるという一つの目安になる面白い箇所です。
30境界柵










さらに東に進んだ尾根上にコンクリートの柵柱が並んでいます(2021年4月11日確認遺構)。
31境界杭













柵柱の側に「海界2」の境界杭がありました。これで愛宕山防空砲台の東側の境界を確認できました。西側の境界ですが、谷を越えた西側の尾根上に松ヶ崎防空機銃砲座があったようで、その西端辺りになるのでしょうか。

愛宕山防空砲台の山頂部分はは中世の泉源寺城跡の縄張を完全に破壊して造られた防空砲台ではなく、泉源寺城跡の縄張を最大限利用して造られた防空砲台という所に特色があります。かつて丹後一色氏の居城だった建部山城の遺構を完全に破壊して造られた建部山堡塁とは違い、中世の泉源寺城跡と昭和の戦時中の防空砲台の2つの遺構を観察できる面白い遺構となっています。


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2022年05月05日

京都市左京区(哲学の道〜北白川界隈)の近代建築探索レポ日記

2018年2月17日探索分のレポ日記です。今回は京都市左京区の哲学の道を北上し北白川界隈を探索しました。スタートは南禅寺近くから。
1岡崎天王町の洋館3










岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。

2アトリエ茉莉花 南禅寺北ノ坊町 










アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。
3アトリエ茉莉花3










昭和初期と思われる洋館の住宅。

4小川邸 鹿ケ谷下宮ノ前町 大正11年










小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。

13唐崎邸1 鹿ケ谷上宮ノ前町 大正から昭和初期










K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。
16唐崎邸2










正面から。
17唐崎邸3










戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。

5青木邸1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前










A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。
6青木邸2













中々可愛らしい洋館。

7桜鹿荘1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前 近年改修













桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。
9桜鹿荘3










敷地内にある煉瓦の小屋。

10旧藤井繁次郎邸 鹿ケ谷桜谷町 昭和11年










旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。
P1100877










藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。
P1100878










設計・施工は鴻池組。
P1100880










敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。

P1050466










ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。
P1050467










P1050469










P1050478










戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。

13田中邸1 鹿ケ谷寺ノ前町 1947年以前










T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。
14田中邸2










住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。
15田中邸3










玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。

18内田邸 浄土寺下南田町の洋館付き住宅1










U邸。浄土寺下南田町。
19内田邸浄土寺下南田町の洋館2










小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。

20岡本邸1 浄土寺下南田町 大正から昭和初期










O邸。浄土寺下南田町。
21岡本邸2










平屋の洒落た洋館です。

22水谷邸1 浄土寺南田町 昭和初期










M邸。浄土寺南田町。昭和初期。

23水谷邸2










哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。
24水谷邸3










窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。

31洋館付き住宅 銀閣寺町










洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。

25株式会社なかじま 浄土寺石橋町 










株式会社なかじま。浄土寺石橋町。
26株式会社なかじま2










小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。

30中山邸 浄土寺石橋町










N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。

27高折邸1 銀閣寺前町










T邸。銀閣寺前町。
28高折邸2










主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。

29ノアノア 橋本関雪邸洋館 昭和4年










レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。

32清家邸 銀閣寺前町










K邸。銀閣寺前町。
33清家邸










中々大きな洋館です。

1旧岡本医院 浄土寺石橋町 大正〜昭和初期







旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。
2旧岡本医院







昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。
3旧岡本医院







背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。
4旧岡本医院







玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。

5可〇医院 浄土寺西田町







元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。
6可〇医院







横から。
7可〇医院







玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。

35旧神戸邸 浄土寺西田町 昭和6年 あめりか屋










旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。

36京都大学人文科学研究所 北白川東小倉町 昭和5年 東畑謙三










京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。

37貝塚邸 北白川御倉町










K邸。北白川小倉町。
38貝塚邸










植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。
39貝塚邸










背後から。

40洋館住宅 北白川小倉町










表札不明の洋館。北白川小倉町。

41CEAMisson 北白川小倉町










C邸。北白川小倉町。
42CEAMisson










昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。
43CEAMisson










現在は外国人の方のお住まいのようです。

44滝本邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
45滝本邸










京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。
46太田邸 北白川東小倉町










O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。

47竹内邸 北白川東小倉町










T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。

48洋館付き住宅










表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。

49桂邸 北白川小倉町










K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。

50澤井邸 北白川東小倉町










S邸。北白川東小倉町。
51澤井邸










昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。

53堀井邸










H邸。北白川東小倉町。
52堀井邸 北白川東小倉町 藤井厚二










庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。

54革島邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
55革島邸










角の入り口は後から作られた物ですかね。

56河村邸 北白川小倉町 昭和6年 あめりか屋










K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。

57鈴木邸 北白川小倉町










S邸。北白川小倉町。
58鈴木邸










小さな洋館が付属していますね。

59芥川邸 北白川小倉町










A邸。北白川小倉町。

60芥川邸










白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。

61旧喜多源逸邸 北白川伊織町 昭和元年 藤井厚二










旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。
62旧喜多源逸邸










藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。

63旧駒井家住宅 北白川伊織町 昭和2年 ヴォーリズ










旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。
64旧駒井家住宅










ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。

65銀月アパート 北白川伊織町










銀月アパート。北白川伊織町。
66銀月アパート










昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。
67銀月アパート










外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。
68銀月アパート










ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。
69銀月アパート










玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。

70和洋折衷建築 田中西樋ノ口町










百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。
71和洋折衷建築










1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・

72商店建築 田中西樋ノ口町










これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。

73旧池田邸 北白川追分町 昭和2年 藤井厚二










旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。
74旧池田邸










藤井厚二設計の住宅建築。
76旧池田邸










2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。

77京大施設 北白川追分町










旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。

8大野邸 岡崎西天王町 明治期







O邸。岡崎天王町。
9大野邸







下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。
10大野邸







背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。
11大野邸













2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。

以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。

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2022年05月03日

京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記

※2021年11月3日分探索の都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記と探索エリアが一部重複しており、同じ建物を取り上げている部分があります。
2018年5月12日に行った近代建築探索のレポ日記で、今回は二条城〜四条〜御所南界隈を中心に一部四条エリアの探索となります。
まず、二条駅からスタート。

1喜多尾邸 西ノ京職司町 大正〜昭和初期













K邸。西ノ京職司町。
2喜多尾邸













1階部分が塞がれてますが、元は商店だったんでしょうか。

3西村邸 西ノ京北聖町 大正〜昭和初期










N邸。西ノ京北聖町。よく見かける洋館付き住宅。
4西村邸










でも、こういう戦前の洋館付き住宅ってちょっと憧れます。
南方面へ。

5中西医院 今新在家西町 大正〜昭和初期













中西医院。今新在家西町。大正〜昭和初期。
6中西医院













小さいながらも中々いい感じの洋館。
7中西医院













街中の細い道に面して建つ白亜の洋館。当時はランドマークだったのでしょう。
東方面へ。

8川部邸 中京区宗林町 大正〜昭和初期










K邸。宗林町。大正〜昭和初期。
9川部邸










現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。

11ふくさの一商 中京区六角町 大正〜昭和初期










ふくさの一商。六角町。大正〜昭和初期。
12ふくさの一商










呉服関係の建物のようです。
13ふくさの一商










中々モダンです。
14宮内歯科医院 中京区小結棚町 大正〜昭和初期













宮内歯科医院。小結棚町。大正〜昭和初期。スクラッチタイルの外壁の洋風の個人医院、京都市内では割と見かけます。

15膳處漢ぽっちり 中京区天神山町 昭和10年










膳處漢ぽっちり。天神山町。昭和10年。以前は呉服商だった記憶。
16膳處漢ぽっちり










今は中華料理店となってます。中々のお値段なので入る機会が・・・

17旧明倫小学校 中京区山伏山町 昭和6年










旧明倫小学校。山伏山町。昭和6年。京都市内に残る昭和戦前期の小学校建築の中でもひときわ豪華な小学校。特に講堂は必見ですが、イベント事とかでないと見れないのが残念。現在は京都芸術センター。

18旧明倫幼稚園 中京区山伏山町 昭和14年










旧明倫幼稚園。山伏山町。昭和6年。旧明倫小学校の向かいにある建物。建築時期が同じでデザインも似通っているので、同じ設計者かと。

19岩瀬歯科 中京区阪東屋町 昭和初期










岩瀬歯科医院。東屋町。昭和初期。1階の階段か気になります。

20辻医院 中京区阪東屋町 昭和初期










辻医院。車屋町。昭和初期。四条通から東洞院通を北に上がった場所にある洋館。昔から目立つ建物。隣に岩瀬歯科医院の建物があります。
21辻医院










背面。かつてはいくつものテナントが入る雑居ビルみたいな感じだったのでしょうか。デザイン的にも優れた建物なので、残り続けて欲しいです。
22洋館付き住宅










S邸。場所失念。洋館付き住宅の大きな建物。周囲にいつくかヒントとなる店や薬局写ってますが、検索しても該当のものが出てこず・・・

24武田邸










T邸。丸屋町。昭和初期。※現存せず。2棟並ぶ洋館。
23武田邸 中京区丸屋町 昭和初期










元々集合住宅として建てられた感じです。

25村上開新堂 中京区常盤木町 昭和初期













村上開進堂。常盤木町。昭和初期。京都でも有名な老舗の洋菓子店。
26京都アンティークセンター 中京区常盤木町 昭和初期













京都アンティークセンター。常盤木町。昭和初期。

27旧森田牛乳 中京区指物町 大正14年













旧森田牛乳店。指物町。大正14年。割と知られている建物。
28旧森田牛乳













白亜のモダンな洋風ビル。壁にあの仁丹の町名標があるのが良いですね。

29たこ焼き大文字 中京区大文字町 昭和初期










ニュー大文字。大文字町。昭和初期。
30たこ焼き大文字













現在はお好み焼き屋さんのようですが、2階の凝った装飾を見ると、かつてはどんなお店だったんでしょうか。

31小林裕史写場 中京区行願寺門前寺町 昭和初期













小林裕史写場。行願寺門前町。昭和初期。
32小林裕史写場













中々立派な建物。戦前の写真館はこれだけの建物が建てられるくらい需要があったんですね。

33森川邸 中京区松本町 昭和初期










M邸。松本町。昭和初期。
34森川邸













すっきりとした外観の洋館住宅。

35タツミ写真館 中京区魚屋町 昭和初期










タツミ写真館。魚屋町。昭和初期。
36タツミ写真館










先ほどの小林裕史写場もですが、戦前の写真館はどこも立派な建物ですね。今と違い当時はかなり需要があり、地域の主要な施設でもあったのでしょう。

37南部邸 中京区笹屋町 昭和初期













N邸。笹屋町。昭和初期。
38南部邸













2階建てのアーチ窓の中々洒落た洋館。2018年当時は左側に町家がありました。

39大久保司法書士事務所 中京区笹屋町 昭和初期










大久保司法書士事務所。笹屋町。昭和初期。
40大久保司法書士事務所










かつては企業の事務所だったのでしょうか。大きな洋館です。

42寿山荘 










寿山荘。大炊町。明治29年。
41寿山荘 中京区大炊町 明治29年










実業家、中江種造の邸宅だった屋敷。敷地内に煉瓦造の洋館があり、隣から少しだけ見れます。

43京都ハリストス正教会













京都ハリストス正教会。明治36年。京都府庁旧本館を設計した松室重光の設計。2021年に重要文化財となりました。

44A岡邸 中京区俵屋町 昭和初期










A岡邸。俵屋町。昭和初期。奥まった場所にある洋館。

45小杉邸 中京区天守町 昭和初期 あめりか屋










K邸。天守町。昭和初期。
46小杉邸










あめりか屋設計の立派な洋館住宅。
47小杉邸










ステンドグラスの窓もあります。

48杉島法律特許事務所 中京区壺屋町 昭和初期










杉島法律特許事務所。壺屋町。昭和初期。大きな洋館付きの住宅。かつては結構な方のお屋敷だったのでしょう。

49橋田邸 中京区左京町 昭和初期










H邸。左京町。昭和初期。近代建築界隈では有名な建物。
50橋田邸 










元医院だった気がする立派な洋館。京都市内でも有数の近代建築だけにいつまでも残ってほしいです。
51橋田邸













入口の扉も当時の物でしょうか。立派な造りです。

52上西邸 中京区少将井御旅町 昭和初期













U邸。少将井御旅町。昭和初期。
53上西邸













堂々たる洋館を付属するお屋敷。応接室だったんでしょうね。

54二条薬業会館 中京区玉屋町 昭和11年













二条薬業会館。玉屋町。昭和11年。
55二条薬業会館













こちらも近代建築界隈では知られた建物ですね。

57伽 中京区松竹町 昭和初期










御料理伽。松竹町。昭和初期。
58伽













現在は料理店となってますが、以前は何の建物だったのでしょう。商店かな。

59嘉祥閣 中京区西方寺町 昭和初期










嘉祥閣。西方寺町。昭和初期。
嘉祥閣は能楽堂のようです。伝統芸能の能楽堂に洋館は面白い取り合わせですね。

61高木理容室










高木理容室。東竹屋町。昭和初期。見た瞬間「おおっ!」と思ったレトロ感満載の散髪屋さん。
60高木理容室 中京区東竹屋町 昭和初期










1階部分の洋風造に2階の和風造の取り合わせもそそられますが、ちゃんと現役なこと、看板も建物に合わせたレトロ感なのが最高。いつまでも続けて欲しいです。

これにて中京区の二条城〜四条、京都御苑南界隈の近代建築探索は終了。中京区は広いのでまだ未探索、未チェックの物件があるので、その辺りも網羅したいところです。


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京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記

※今回の探索レポ日記は2018年5月12日に探索した「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」と探索エリアが重複しており、一部同じ建物を紹介しています。

古写真・古絵葉書ブログの待賢尋常小学校校舎改築記念の古絵葉書の記事を書くため、旧待賢小学校の写真撮影と先月行われた旧新道小学校お別れ一般公開後の様子を見に、2021年11月3日に二条駅界隈から旧待賢小学校〜旧新道小学校までのルートで探索してきました。
まずは二条駅周辺の界隈。
2奥井邸










O邸。聚楽廻東町。
1奥井邸 中京区聚楽廻東町 










中々立派な洋館付き住宅です。

3日本聖公会京都聖三一教会 昭和5年










日本聖公会京都聖三一教会。聚楽廻中町。昭和5年。どことなく和風の教会です。

4瀬川邸 中京区寿楽廻西町










S邸。聚楽廻西町。
5瀬川邸










前面に洋館を備えた住宅。窓の上に小さな装飾があります。
ここで引き返し東へ。

6中小路邸 上京区主税町 昭和初期










N邸。主税町。
7中小路邸













擬石造の洋館が前面に建ちます。2階の出窓は後付けでしょうか。

8龍宮温泉 中京区主税町










龍宮温泉。主税町。レトロな温泉。戦前かもしれません。

9新美邸 中京区主税町










N邸。主税町。
10新美邸










やや改造されていますが、戦前の住宅建築と思われます。門や塀も当時の物っぽい感じ。

11横井米穀店 中京区主税町










横井米穀店。主税町。古い商店建築。
ここで少し戻り南へ。

旧京都市児童院 昭和6年 (1)










旧京都市児童院。主税町 昭和6年。
旧京都市児童院  (2)










現在は京都市児童福祉センターの建物の1つとして使用されています。昭和初期らしい中々オシャレな建物です。

中路邸










N邸。主税町。大きな日本建築の角に小さな洋館が付属しています。角に造ったことで一つのアクセントになってますね。別のサイトで紹介された写真には窓に猫ちゃんがいて可愛い写真になってました。
さらに東へ。

12タイル張り洋館 中京区主税町










タイル張りの洋風商店。主税町。恐らく昭和初期の建物かなと。

13日暮荘 中京区主税町










日暮荘。主税町。昭和初期頃の洋館付き住宅を宿泊施設としてリノベートした建物。
14日暮荘










サイトを見たら当時の雰囲気が良く残されているようです。まぁまぁ手頃なのでいつかは泊ってみたいかなと。

15佐々木邸 中京区主税町










S邸。主税町。こちらも良い感じの洋館付き住宅。
このまま丸太町通を進みます。

16待賢小学校










旧待賢小学校。藁屋町。昭和13年。今回の目的の1つ。
17待賢小学校










当時としてはモダンな校舎だったことでしょう。現在はコミュニティーセンター等に利用されているようです。
ここから一気に烏丸通方面へ。なお、今回と探索エリアが被る形の「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」の記事を作成しますので、そちらも合わせてご覧ください。

18洋風の蔵 中京区冷泉町










洋風の倉。冷泉町。コンクリートブロックでしょうか。

19中嶋医院 中京区御池之町










中嶋医院。御池之町。
20中嶋医院










洋館付き住宅の医院ですが、洋館部分が診察室だったのでしょうか。

21町田邸 中京区御池之町










M邸。下妙覚寺町。見づらいですが奥に洋館があります。

22洋風商店 中京区塗師屋町










洋風の商店。塗師屋町。
23洋風商店










戦後建築かもしれませんが、気になったので撮影。
このまま北方向へ。

24ヒカリ美容室 中京区仁王門町突抜町










ヒカリ美容室。仁王門突抜町。
25ヒカリ美容室













中々立派な洋館建築。現在は廃業でしょうか。

26吉田商店 中京区仁王門町










吉田商店。仁王門町。レトロな洋風商店。
27吉田商店










玄関脇にある看板が中々味があって良いです。

28杉島法律事務所 中京区壺屋町










杉島法律特許事務所。壺屋町。戦前の洋館付き住宅を再利用したものでしょうか。

29平野邸 中京区三本木町 昭和初期










H邸。三本木町。
30平野邸










丸窓もあり昭和初期の住宅と思われます。
31平野邸










玄関部分にはステンドグラスの窓も。
32平野邸










玄関上部のステンドグラス。
33平野邸













玄関横のステンドグラス。ステンドグラスのある家って憧れますね。
東方面へ。

34南部邸 中京区笹屋町










N邸。笹屋町。中々立派な洋館。
35南部邸













実は4年前の探索では洋館の左側に日本建築がありました。洋館だけ残された感じです。
35大久保書士事務所 中京区笹屋町










大久保司法書士事務所。笹屋町。大き目の洋館。何かの企業の事務所だったのでしょうか。
ここから東へ。

36西本邸 中京区梅ノ木町













N邸。梅ノ木町。スクラッチタイル張りの洒落た洋館。
ここから一気に三条通方面へ。

37梅園 三条寺町










梅園三条寺町店。天性寺前町。三条寺町角の喫茶店。以前は洋食屋さんで何度か行ったことあります。今の店になってからは敷居が高くてなかなか入りづらいw

38舟田邸 中京区松ヶ枝町










F邸。松ヶ枝町。
39舟田邸










元喫茶店でしょうか。新しくも見えますが、京都市近代化遺産調査報告書掲載の建物。
五条通まで下り、旧新道小学校方面へ。

40武藤医院 東山区博多町










武藤医院。博多町。新しく見えますが、よく見ると玄関周りや壁面の装飾など戦前らしさが垣間見られます。
42武藤医院










気になる建物なので撮影。

43西村邸 東山区博多町










N邸。博多町。背後に大きな洋風倉庫が建っています。

IMG_2594










旧新道小学校はこの時はまだ健在でした。
IMG_2599










旧宮川町歌舞練場の方は完全に覆われていました。


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2022年04月09日

名張市の近代建築探索レポ日記

0.名張駅







伊賀市の近代建築探索の翌日、2日目の探索地は名張市。
※伊賀市の近代建築探索レポ日記
近鉄名張駅からスタートし、市街地へ。

1.常盤湯 上本町 昭和初期







旧常盤湯。名張市上本町。昭和初期。
2.常盤湯







古い商店街(といってもほとんど閉業&住宅地化しつつあるアーケード街)の端にある旧銭湯。

20220403_074808







常盤湯のあるアーケード街。完全なシャッター通りで、元店舗自体も一般住宅へと建て替えられつつあります。残されたのは撤去費用も捻出できず放置されている老朽化したアーケード。地元もですが、各地方都市でよく見る光景です。

3.丁子屋 上本町







丁子屋。名張市上本町。気になった建物。
ここから近くにあるという大正期の古い洋館医院へ。

4.旧中村医院跡 新町 大正12年







すでに失われていました。現在は門柱があるのみ。ここにかつて大正12年築の洋館の医院があったそうですが。残念。
※参照・旧中村医院 ヘリタビ
気を取り直して次へ。

5.川地写真館 新町 大正10年







川地写真館。名張市新町。大正10年。3階建ての大きな建物。
6.川地写真館













元々はもっと華やかな外観だったようです。この地域のランドマーク的存在だったでしょうね。

6.中井家住宅 元町 昭和7年 国登録







中井家住宅。名張市元町。昭和7年。国登録有形文化財。
7.中井家住宅













元は個人医院だった洋館。
8.中井家住宅







9.中井家住宅







旧中村医院が失われた今、名張市では唯一となった貴重な戦前の洋館医院。

10.木屋町の洋館







洋風住宅。名張市木屋町。トイレを借りたローソンを出て歩いているときに見つけた建物。

11.ママン 榊町







ママン。名張市榊町。現在は喫茶店ですが、かつては料理店だったんでしょうか。

12.ちょいまる 中町 大正期







ちょいまる。名張市中町。大正期の建物だそう。外観から元銀行っぽく見えましたが、
13.ちょいまる







実は看板建築でした。商店だったのかな。

14.玉乃湯 榊町 昭和初期







旧玉乃湯。名張市榊町。昭和初期。
15.玉乃湯







洋風の外観の旧銭湯。近年廃業されたそうです。いい建物だけに何か再活用されればいいですが。
名張市の近代建築探索はこれで終了。名張市の近代建築は伊賀市と比べて数が少なくかつ狭い範囲に収まっているので2時間程度で回り切れました。時間があるので名張陣屋藤堂家屋敷へ。

16.名張陣屋太鼓門







旧名張陣屋藤堂家屋敷太鼓門。享保年間の築で、昭和10年に現在地の寿栄神社へ移築。

17.名張陣屋







名張陣屋藤堂家屋敷。元々は名張城という城があった場所に名張藤堂家が陣屋を構えたのが名張陣屋の始まりでした。

20220403_092804







20220403_092843







20220403_092956







かつては名張小学校・中学校も陣屋の敷地でしたが、明治期にほとんどが取り壊され現在は奥屋敷のみが現存。それでもかつての陣屋建築を忍ばせる建物として貴重です。
18.名張陣屋石垣







名張陣屋の南側に残る石垣。絵図にも描かれている石垣で、大部分が失われた名張陣屋にとって貴重な遺構。

これにて、伊賀市・名張市の近代建築探索は終了。今回も多くの良い建物たちに出会えた旅となりました。

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2022年04月04日

伊賀市の近代建築探索レポ日記

1.茅町駅 上野茅町 大正11年開業







4/2と4/3の1泊2日で三重県の伊賀市と名張市の近代建築探索の旅に出てました。
初日は伊賀市。伊賀鉄道茅町駅からスタート。何故茅町駅かというと、無料のレンタサイクルを借りれるからです。数は少ないですが。なので今回は自転車という機動力でサクサクと探索します。
その茅町駅。開業は大正11年。当時の駅舎か分かりませんが古いのは確か。戦前かと思います。

2.桑町集議所 上野桑町 大正期 







桑町集議所。伊賀市上野桑町。大正期。中々立派な洋館。
3.桑町集議所







伊賀市近辺では公民館ではなく集議所と言うようですね。
4.桑町集議所







内部の様子。

5.旧いとう旅館 上野桑町 明治〜大正期 国登録







旧いとう旅館。伊賀市上野桑町。明治〜大正期。国登録有形文化財。内部には豪華な格天井の大広間があるそうです。

6.菅原邸 上野池町 







S邸。伊賀市上野池町。大きな和風建築の民家。
7.菅原邸







脇には小さく可愛らしい洋館が付属しています。
8.菅原邸







格子窓の装飾。

9.寺町集議所 上野寺町







寺町集議所。伊賀市上野寺町。気になった建物。

10.日本聖公会上野聖ヨハネ教会 上野忍町 昭和12年







日本聖公会上野聖ヨハネ教会。伊賀市上野忍町。昭和12年。
11.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







地元の宮大工さんが建てたそう。中々いい雰囲気の建物。
12.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







玄関の外灯の装飾が可愛い。
14.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







定礎には消えかかってますが「1937」の文字があります。
13.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







内部も当時の面影が残されています。礼拝室見てみたかったですね。

15.小林建材店 上野忍町







小林建材店。伊賀市上野忍町。1階外壁が煉瓦という凝りよう。
ここから西方向へ。

16.石原邸 上野忍町







I邸。伊賀市上野忍町。
17.石原邸 上野忍町







奥に和洋折衷な主屋があります。
18.石原邸







門柱と塀が良い感じでした。

19.窪田邸 上野三之西町







K邸。伊賀市上野三之西町。
20.窪田邸







立派な洋館が付属しています。壁面のテラコッタの装飾も素敵。

21.ごんじゃ理容店 上野福居町







ごんじゃ理容室。伊賀市上野福居町。たまたま見かけた建物ですが、その魅惑の佇まいに思わず声がw
22.ごんじゃ理容店







いいですねぇ。玄関横の小さな縦窓もいい。ちゃんと営業中でした。

23.慈恵病院跡 上野福居町







次に大正期の建物である旧慈恵医院に向かったのですが建て替えられてました・・・
確か街角博物館になってたはずじゃ・・・
24.慈恵病院跡







何故か煉瓦の基礎はそのまま使われていました。
引き返す感じで今度は東へ。

25.旧平木自転車店 上野中町 大正11年 国登録







旧平木自転車店。伊賀市上野中町。大正11年。国登録有形文化財。
26.旧平木自転車店







通りのランドマーク的な建物。
27.旧平木自転車店













以前は上野文化センターという施設として使用されていましたが、近年当時の姿に復元してカフェとして利用されています。

30.北泉邸(旧上野警察署)







K邸。伊賀市上野丸之内。明治21年。国登録有形文化財。
29.北泉邸(旧上野警察署)







元々、上野警察署だった建物を昭和13年に現在地に移築。現在は個人宅です。
28.北泉邸(旧上野警察署) 上野丸之内 明治21年 国登録







ずっと見ていたい素敵な建物。
31.北泉邸(旧上野警察署)







しかし、明治の豪勢な洋館が個人宅だなんて贅沢過ぎる。維持は大変でしょうけど羨ましいですね。

31.上野高校明治学舎







次に向かった明治期の建物である上野高校の本館は改修中・・・

32.菅野酒造所 上野車坂町







菅野酒造所。伊賀市上野車坂町。和洋折衷の建物。

33.車坂町集議所 上野車坂町







車坂集議所。伊賀市上野車坂町。気になった建物。昭和初期ですかね。

34.上野農人町集議所 上野農人町







上野農人町集議所。伊賀市上野農人町。奥に木造の洋館建築があり、気になって何とか全体を把握できる場所を探しましたが、完全に建て詰まっていて確認できず。
35.上野農人町集議所







道側には洋風の車庫があります。奥の建物を見たかったなぁ。

36.村治邸 上野鍛冶町







M邸。伊賀市上野鍛冶町。これはいい洋館。
37.村治邸







看板建築ですがすごくいいですね。この建物。雰囲気あります。

38.横田歯科医院 上野魚町







横田歯科医院。伊賀市上野魚町。
39.横田歯科医院







昭和初期頃でしょうか。

40.歌乃ゆ 上野紺屋町







歌乃ゆ。伊賀市上野紺屋町。以前は銭湯でしたが、旧状に戻した上、現在はカラオケルームとして使用されています。

41.洋館付き住宅 上野丸之内







その近くで見つけた建物。和洋折衷ですかね。伊賀市上野丸之内。

42.忍者市駅(旧上野駅) 上野丸之内 大正11年







伊賀鉄道忍者市駅。伊賀市丸之内。大正11年。洋風の可愛らしい洒落た駅舎。
43.忍者市駅







しかし、忍者市駅ってなぁ・・・。元の上野市駅の方がいいと思うけどなぁ。
ちょっと南に戻って。

44.一乃湯 上野西日南町 大正15年 国登録







一乃湯。伊賀市上野西日南町。大正15年。国登録有形文化財。いまも現役の銭湯。
内部も雰囲気抜群なんでしょうね。
次に伊賀上野城の北方向へ。

45.消防団倉庫 小田町







消防団倉庫。伊賀市小田町。
46.消防団倉庫







中々古そうな建物。戦前には違い無さそう。
47.消防団倉庫







鬼瓦の装飾、見たこと無いデザインでした。

48.旧小田小学校本館 小田町 明治14年







旧小田小学校本館。伊賀市小田町。明治14年。これぞ明治の擬洋風建築。
49.旧小田小学校本館







内部は資料館として見学できます。
50.旧小田小学校本館













階段部分。
51.旧小田小学校本館







2階踊り場にはステンドグラスが。
52.旧小田小学校本館







戦前に使われていたピアノが置かれています。なんと弾いていいそう。調律はされてませんが。
53.旧小田小学校本館







バルコニーへ出られる部屋。
54.旧小田小学校本館







ステンドグラスが素敵ですね。
55.旧小田小学校本館







2階窓は上げ下げではなく引き戸でした。
56.旧小田小学校本館







窓からは満開の桜が見れました。

57.上水道水源地送水機関室 小田町 昭和11年 国登録







上水道水源地送水機関室。伊賀市小田町。昭和11年。国登録有形文化財。
58.上水道水源地送水機関室







いわゆるポンプ室ですが、バルコニーを設けたりと凝ってます。
59.上水道水源地送水機関室







戦前の建物ってたとえ機械の施設でもこだわって作ってますよね。

60.伊賀文化振興城 上野丸之内 昭和10年







伊賀文化振興城。伊賀市丸之内。昭和10年。伊賀市のシンボルの復興天守。
61.伊賀文化振興城







伊賀上野城は元々、築城の名手、藤堂高虎が築城し、以後藤堂氏が城主を務めましたが、現在の天守は昭和10年に地元出身の代議士・川崎克が私財を投じて建てたもの。それにしても昔のお金持ちは凄い。
62.伊賀文化振興城







伊賀上野城復興天守は木造で建てられています。
63.伊賀文化振興城







階段部分。城としてはありえないデザインで、いかにも戦前の木造和風建築と言った雰囲気を感じます。
64.伊賀文化振興城







3階部分は折り上げ格天井で、当時の政財界や華族の色紙がはめられています。
伊賀文化振興城は史実に忠実ではない復興天守ですが、今では得難い木材が使われており、近代建築として貴重な建物です。

65.俳聖殿 上野丸之内 昭和17年 伊東忠太 国重文 







俳聖殿。伊賀市丸之内。昭和17年。国指定重要文化財。
松尾芭蕉生誕300年を記念して建てられたもので、設計は伊東忠太。
66.俳聖殿







1階内部には松尾芭蕉の木造が安置されています。
一通り伊賀市内を探索したので、再び茅町駅へ。

67.洋館付き住宅 上野桑町







茅町駅へ向かう途中に見つけた洋館付き住宅。伊賀市上野茅町。
68.洋館付き住宅







未チェックの物件でした。現在は空家。

69.伊賀鉄道跨線橋 上野桑町 大正期







そして伊賀市最後の訪問先。伊賀鉄道跨線橋。伊賀市上野桑町。大正期。
70.伊賀鉄道跨線橋







煉瓦造の立派な跨線橋です。欄干の装飾もいい感じ。

20220402_170403







というわけで、伊賀市の近代建築探索を終え、翌日の探索地の名張市にあるホテルへ投宿。
次回は名張市の近代建築探索レポ日記となります。
※記事作成しました。名張市の近代建築探索レポ日記


besan2005 at 22:20|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2022年03月21日

兵庫県丹波市柏原町の近代建築探索レポ日記(柏原藩時代も含めて)

柏原陣屋










2016年6月に兵庫県丹波市柏原町を探索した時のレポ日記です。柏原町は織田家の柏原藩が治めていた町で、柏原陣屋を始め柏原藩時代の遺構や明治以後の近代建築がいくつか残る情緒ある街です。
まずは柏原藩の藩庁だった柏原陣屋へ。
1柏原陣屋長屋門1










長屋門。柏原陣屋時代の正門。
2柏原陣屋2










柏原陣屋の御殿は文政3年に再建されたものですが、明治維新後に解体され全体の1/5の玄関・式台・書院のみが残されています。
柏原陣屋内部1










柏原陣屋内部2










柏原陣屋内部3










それでも当時の陣屋建物が残されているのは貴重です。
その柏原陣屋の隣にあるのが。

1.氷上第一高等小学校 柏原町柏原 明治18年










旧氷上第一高等小学校。明治18年。
2.氷上第一高等小学校










現在は、たんば黎明館という観光施設として使用されています。
3.氷上第一高等小学校










1階廊下。明治期の洋館らしく華やかです。
4.氷上第一高等小学校










階段。
5.氷上第一高等小学校










2階廊下。
6.氷上第一高等小学校







室内の一部は休憩スペースに。
7.氷上第一高等小学校










雰囲気もあり、一息つくにはいい建物です。

8.柏原高校柏陵記念館 明治30年










旧柏原尋常中学校本館。明治30年。
9.柏原高校柏陵記念館 










現在は柏陵記念館として保存されています。
10.柏原高校柏陵記念館 







正面側は柏原高校の敷地に入らないと見れないので、見るには許可がいります。

11.旧柏原町役場 昭和10年 内藤克雄










旧柏原町役場。昭和10年。
12.旧柏原町役場










設計者は北播磨地域を中心に作品を残した内藤克雄。
内藤克雄の建物探索に関してはこちらの記事もどうぞ。
加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)
13.柏原町役場内部1







旧柏原町役場は丹波市役所柏原支所として使用されてましたが、支所機能が移転した後は観光案内所として使用されています。
14.柏原町役場内部2







当時の雰囲気が良く残されていました。
明治以後の近代建築はここまで。ここからはおまけ的な感じで柏原町の名所めぐり。

15.太鼓櫓













太鼓櫓。元々、柏原陣屋の大手門近くにあったものを現在地に移築したもの。

16.織田家墓所










織田家墓所。柏原藩の歴代藩主、織田家の墓所です。
17.織田家墓所










市街地から少し離れた場所にあるためか、なんだか寂しい雰囲気でした。

柏原八幡宮社殿










柏原八幡神社。小高い丘の上にある神社。羽柴秀吉が再建させた社殿が残る名刹です。
この神社の特徴は何と言っても境内に鐘楼と三重塔があること。
18.柏原八幡神社










柏原八幡神社三重塔。文化12年に再建された塔。
柏原八幡宮鐘楼










柏原八幡神社鐘楼。
明治初期に政府が発令した神仏分離令、そしてそれに伴い広まった廃仏毀釈運動。
古くからの神仏習合により多くの神社の中に建てられた塔や鐘楼といった仏教的建物、神社に付属した神宮寺は廃仏毀釈運動で悉く破壊されていきましたが、この柏原八幡神社は、神社内にあった仏教・経典類は廃棄されることなく全て元神宮寺だった乗宝寺へと移管。三重塔は八幡文庫に、鐘楼は時鐘としてそのまま残されるという全国的にも極めて珍しく円満に神仏分離が進められました。
その結果、現在では貴重な神仏習合の形を残す神社として今に伝わっています。



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2022年03月13日

新居家住宅見学会レポ日記

1.まいまい京都














京都市伏見区淀にある新居家住宅の見学会に参加しました。

2.新居邸外観







新居家住宅は大正15年に建てられた洋館付き住宅で、国登録有形文化財となっている住宅です。
現在も新居さんの個人宅で普段は非公開ですが、見学会に参加することが出来たので晴れて内部を拝見することが出来ました。
3.新居邸外観







この新居家住宅の見学会には過去に何度か応募していたのですが、中々抽選に受からず、3回目にしてようやく当選しました。過去に外観だけは見ていましたが。
4.新居邸洋館1階







洋館1階内部。比較的シンプルな内装ですが、雰囲気のある部屋です。
右側の棚の下は物入にはなっておらず、所有者様の不思議がっておられました。
5.新居邸洋館1階







奥のテーブルは後から購入されたものだそうですが、手前の椅子は当時の物だそう。
6.新居邸洋館1階







入り口方面。奥が玄関と和館です。
7.新居邸洋館1階







入口にあるカウンター。これは所有者様が後から設置したもの。照明は当時の物。
8.新居邸洋館1階







入り口部分のアーチ。
9.新居邸洋館暖炉













暖炉。タイルはなんと泰山タイル。貴重なものです。
次に2階へ。

10.新居邸洋館2階







2階部分。2階の窓にはステンドグラスがはめられています。
12.新居邸洋館2階







別角度から。
11.新居邸洋館2階







南側の窓のステンドグラス。
13.新居邸洋館2階







西側のステンドグラス。ステンドグラスは改修の際に外されていたのを再び戻したのだそう。
洋館は戦時中、久御山町にあった陸軍の航空隊の将校宿舎として使用されていたとのことで、以前は名前入りの服を掛ける棚があったそう。
お聞きした話では、久御山の航空隊が知覧へと向かう際、目立つ緑色の屋根の洋館の上空に来た際、翼を振って感謝の挨拶をして知覧へと向かったそうです。そう、知覧へ…
次に和館へ。

14.新居邸和館







玄関を入り向かって左が洋館、そして向かって右が和館となります。この部屋は表の間。
元々は別邸として建てられたもので、普通は玄関からの導線は廊下へと繋がるのですが、新居家住宅は玄関を上がった取次の間からすぐに洋館と和館の部屋に直結し、来客をもてなすための造りだとか。
来客は近くの京都競馬場の来客をもてなす用途もあったらしいです。当時の競馬は高貴な紳士の社交場でしたので。
15.新居邸和館







床の間。床柱はさすがの四方柾ですが、これだけのお屋敷に対して控えめで、本宅ではなく別邸だからではという理由が考えられるとか。
16.新居邸和館照明







照明も当時のまま。
17.新居邸和館襖







障子には矢の意匠が。新居家住宅の和館には矢を用いた装飾が多く見られます。
18.新居邸和館欄間







床の間平書院の欄間。
19.新居邸和館













縁側奥の付書院。縁側奥に造るのは珍しい。
次に離れへ。

20.新居邸和館離れ







昭和12年に完成した離れも書院造風の数寄屋造の部屋ですが、遊郭の意匠を取り入れているため、遊び心のある部屋です。遊郭建築の意匠を取り入れたのは、近くに橋本遊郭があったのもあるのだとか。
22.新居邸和館網代天井













向かって右側の天井は網代天井となり、分けられています。
24.新居邸離れ







床の間の横には塗り残し窓があり、通常の数寄屋建築や書院造の部屋とは違った造りです。
新居家住宅は元々別邸として建てられ、昭和19年に所有者様の先代が購入されたそうですが、本来は建物を取り壊して小さめの住宅に建て替える予定だったそうです。しかし、平成24年に京都市文化財保護課の勧めにより保存が決定。一部の改修を行い現在はこうして一般公開をする機会を設けるなど保存と周知に尽力されています。
私の実家も大正4年築の古い農家建築ですが、古い建物は今の生活事情から考えると使い勝手は悪く、また維持管理も大変。それを知っているだけに新居家住宅の所有者様の尽力は並大抵のものではないことは分かります。

25.河津櫻







新居家住宅の見学ついでに淀の河津桜を見てきました。まさに見ごろの満開で多くの人が駆け付け、中には美人のお姉さんをモデルに撮影会をしている人も。
26.河津櫻







河津桜の見ごろが過ぎた後は、いよいよ本格的に桜の季節ですね。


besan2005 at 21:23|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年03月09日

京都市右京区京北町他の近代建築探索レポ日記(公民館建築を訪ねて)

京都市右京区の京北町内に戦前の建築と思われる公民館建築が割と多く、さらに多くが知られていない建物なので探索をしてみようと思いました。
まずは隣町の南丹市から。

1.旧神吉小学校及時館 南丹市美山町神吉







神吉診療所。南丹市八木町神吉。旧神吉小学校及時館。
2.旧神吉小学校







2年ぶりの訪問。あの時と変わらず建っていました。その時の探索レポ日記。
※南丹市・京丹波町の戦前木造校舎&近代建築探訪レポ日記
3.旧神吉小学校







学校があった当時は記念館として残されていたようで、大正〜昭和初期の建物と思われます。
4.旧神吉小学校







正面にあるサイレンも当時のまま。
次に今回のメインの京都市右京区京北町へと入ります。

5.旧宇津郵便局 右京区京北町宇津







旧宇津郵便局。京都市右京区京北町宇津。
6.旧宇津郵便局







以前から一度見たかった昭和初期の洋館。
7.旧宇津郵便局







隣に現在の郵便局がありますが、やはり存在感はこちらの方が上。
8.旧宇津郵便局







屋根の棟瓦には今でも〒マークが。
9.旧宇津郵便局







建物の脇にはなんと公衆電話室が。これは珍しい。

10.下熊田公民館 右京区京北町下熊田







下熊田公民館。京都市右京区京北町下熊田。
11.下熊田公民館







静かな集落の中にある洋館。
12.下熊田公民館







水色の板壁が映える洒落た建物。
13.下熊田公民館







内部も当時の雰囲気が残されています。

14.下熊田公民館







背後の付属屋にある持ち送り。


15.塩田公民館 右京区京北町塩田







塩田公民館。京都市右京区京北町塩田。
16.塩田公民館







一部外観が改修されていますが、戦前の雰囲気は残されています。
17.塩田公民館







中々大きな建物。
18.塩田公民館







内部は壁に当時の面影が残されています。

19.筒江公民館 右京区京北町筒江







筒江公民館。京都市右京区京北町筒江。
20.筒江公民館







オリジナルの姿が良く残されています。
21.筒江公民館







しかも綺麗に保たれており、大切に使われていることが分かります。
22.筒江公民館







内部も当時の姿がそのまま残されています。
23.筒江公民館







給湯室はさすがに改修されていますが、いかにこの建物が愛されているかが分かります。

24.下中公民館 右京区京北町下中







下中公民館。京都市右京区京北町下中。
26.下中公民館







こちらも当時の姿が残されています。
27.下中公民館







34.大野公民館







内部も当時のままのようですね。
28.下中公民館







屋根にはサイレンの櫓が残されています。正午のサイレンとかを鳴らしていたのでしょう。

35.洋館 右京区京北町







探索中に見かけた気になる建物。
37.洋館







なんとなく元郵便局の建物に見えますが、詳細不明。
29.大野公民館 右京区京北町大野







大野公民館。京都市右京区京北町大野。
30.大野公民館







中々渋い雰囲気の建物。
31.大野公民館







元々は他の公民館と同じくペンキが塗られていたのかもしれません。
32.大野公民館







屋根のサイレンの櫓は和風。
34.大野公民館







内部も当時のままのようです。

38.周山の洋館







京北町内では一番かもしれない周山にある洋館。
39.周山の洋館







他の公民館より意匠に富んでいます。

40.周山の洋館







建物の感じから公民館よりも元役場だったように思えます。
現在は正面に増設された玄関から入るようですが、当時は左右の2ヵ所から出入りしていたようですね。
41.周山の洋館







屋根のサイレンの櫓。他の公民館と違いこちらは洋風。
44.周山の洋館







内部も当時のまま。
42.周山の洋館







43.周山の洋館







当時の付属屋も残されています。

45.田貫公民館 右京区京北町田貫







田貫公民館。京都市右京区京北町田貫。
46.田貫公民館







元々は田貫分校という学校だったようです。
47.田貫公民館







背面に当時の面影が残されていますね。
48.田貫公民館







建物の脇には、二宮金次郎像と記念碑がありました。
最後は帰りに立ち寄った南丹市にある公民館へ。

49.原和田公民館 南丹市美山町腹和田







原和田公民館か。南丹市美山町原和田。
50.原和田公民館







戦前かなと思われる公民館。
51.原和田公民館







内部も古そうです。所在地名から原和田公民館としましたが、玄関の額の文字は消えかかっていて読めませんでした。

これにて京都市右京区京北町の近代建築探索は終了。今回はほぼ知られていない戦前の公民館建築をメインに探索しました。他の近代建築サイトでは紹介されていない建物群、公民館に絞った下調べで予想以上に多く残されていることが分かり、大きな成果となりました。他の地域にもまだまだ残されているようで、引き続き探索をしたいと思っています。


besan2005 at 20:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年03月06日

朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記

2018年4月29日の探索分です。
朝来市和田山町の旧糸井中学校・旧糸井郵便局・廃洋館の記事はこちら。
まずは和田山町内。

1上垣医院 和田山 昭和5年







上垣医院。朝来市和田山町。昭和5年。

2上垣医院







田舎の個人病院とは思えない目を引く立派な洋館です。
3上垣医院













玄関部分。堂々たるもの。
4上垣医院結核病棟










上垣医院の本館の背後にかつては結核の隔離病棟がありました。10数年前に取り壊し。

5本町公民館 和田山







本町公民館。朝来市和田山町。昭和初期っぽい洋館の公民館。

6ユニタイトシステムズ和田山工場(旧竹田中学校) 久留引







旧竹田中学校。朝来市和田山町。現在は工場施設となってますが、本館と校舎が残されています。これは本館。玄関部分の車寄せに戦前の意匠が見られます。昭和初期でしょうか。
7ユニタイトシステムズ和田山工場(旧竹田中学校)







校舎の建物。

8竹田資料館 竹田







竹田資料館。朝来市和田山町。竹田城跡の麓にある洋館。元公民館建築でしょうか。
10竹田資料館







背面。資料館となってますが、中に入れませんでした。
P1110556










窓から内部を撮影。あまり活用されているようには見えません。
11竹田資料館







竹田資料館近くの建物。
次に神子畑方面へ。

12旧山口村役場 山口 大正14年







山口公民館。朝来市山口。大正14年。旧山口村役場。立派な庁舎です。
DSC_0789













村役場としては相当なもの。村の自慢だったことでしょう。

14神子畑鋳鉄橋 佐嚢 明治18年







神子畑鋳鉄橋。朝来市佐嚢。明治18年。国指定重要文化財。
16神子畑鋳鉄橋







明治前期の貴重な鋳鉄橋です。
32羽渕鋳鉄橋 羽渕 明治20年







羽渕鋳鉄橋。朝来市羽渕。明治20年。一度洪水により流された後、現在地に移築。

17神子畑公民館 佐嚢







神子畑公民館。朝来市佐嚢。和風の公民館です。
18神子畑公民館







敷地内にある車庫もしくは倉庫は洋風の意匠です。

19旧ムーセ邸 佐嚢 明治5年







旧ムーセ邸。朝来市佐嚢。明治5年。生野銀山のお雇い外国人、ムーセの住宅だった建物。
20旧ムーセ邸







明治20年に移築され、神子畑選鉱所の事務所として使用。現在は資料館として使用されています。

21神子畑選鉱所







その神子畑選鉱所跡。明延鉱山の選鉱所として明延鉱山が閉山した昭和62年まで稼働しました。
22神子畑選鉱所







近年まで巨大な建屋が残されていましたが、現在は撤去され公園となっています。
24神子畑選鉱所







建屋が無くなってもこの迫力は見応えあります。
27神子畑小学校体育館 昭和30年代







神子畑選鉱所の近くにある旧神子畑小学校講堂。戦後建築ですが、神子畑選鉱所の歴史を語る上で欠かせない建物。
30神子畑小学校校庭







講堂の脇の運動場には当時の遊具が残されていました。かつては多くの子供で賑わっていただろう運動場も今はひっそりとしていました。





besan2005 at 20:52|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

丹波市氷上町・青垣町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築探索レポ日記

兵庫県北部の丹波市氷上町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築の探索をしてきました。
同じ丹波市内の山南町、豊岡市街地の近代建築探索レポ日記は過去の記事にあります。
(丹波市柏原町は記事未作成。探索済み。)
※丹波市山南町の近代建築探索レポ日記
※豊岡市の近代建築探索レポ日記
※豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記
※朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記
まずは丹波市氷上町へ。

1.香良公民館 丹波市氷上町高良







香良公民館。丹波市氷上町香良。
2.香良公民館







典型的な下見板張りの昭和戦前の公民館建築ですね。
4.香良公民館







2棟ありそこそこ規模は大きいです。

3.香良公民館







玄関部分の額。その下には当時のものらしい玄関灯が。
綺麗に改修されて大切に使われています。いつもでも残ってほしいですね。
続いて丹波市青垣町へ。

5.消防団倉庫 丹波市青垣町







次の目的地へ向かう途中で見かけた古い建物。丹波市青垣町西芦田。
6.消防団倉庫







入り口部分に赤い照明があるので、元は消防団の倉庫だったと思われますが、戦前っぽい中々の古さ。
続いて青垣町の市街地へ。

9.商店建築 丹波市青垣町







洋風商店建築。丹波市青垣町佐治。小さいですが中々の雰囲気。

7.酒徳酒店 丹波市青垣町







酒徳酒店。丹波市青垣町市原。大正4年頃。中々の存在感のある洋風の外観の酒屋さん。
8.酒徳酒店







アーチ部分の屋号。
続いて朝来市和田山町の糸井へ。

11.旧糸井中学校







旧糸井中学校。朝来市和田山町高生田。
10.旧糸井中学校 朝来市和田山町







廃校となった木造校舎が残されています。
12.旧糸井中学校







昔懐かしい木造校舎。戦前の築と思われます。
13.旧糸井中学校







昔は地方の郊外によく見られた木造校舎も数がだいぶ少なくなりました。
14.旧糸井中学校







校舎の横にある付属屋。
15.旧糸井中学校







校舎の扉の一部が外されて中が見れる状態だったので覗いてみました。現在は倉庫として使用されているようで、内部は荒れ気味でした。いつまで残ってくれるのでしょうか。
旧糸井中学校を後にしもう少し奥へ。

16.旧糸井郵便局 朝来市和田山町







旧糸井郵便局。朝来市和田山町和田。
17.旧糸井郵便局







昭和初期頃でしょうか。玄関扉には今も「糸井郵便局」の文字が。
18.旧糸井郵便局







屋根の棟瓦には今も〒マーク。
19.旧糸井郵便局







1階屋根の軒下には、文化持ち送りが。実家の家にも使われているこの持ち送り。見かけると親近感湧きます。
50.灯りの家 宇治中之切町










伊勢市の近代建築探索で見かけた元郵便局建物「灯りの家」に似た建物ですね。

20.糸井の廃洋館 朝来市和田山町







その旧糸井郵便局の近くにほぼ倒壊している廃墟が。
21.糸井の廃洋館







所々残されている部分を見ると、かつては大きな洋館だったようです。
22.糸井の廃洋館







窓も鎧戸だったようで、相当レベルの高い洋館だったよう。
23.糸井の廃洋館







反対側に回ると木造の大きな倉庫が残されていました。こちらは倒壊してません。
24.糸井の廃洋館ストリートビュー










2013年のストリートビューを見ると、すでに2階部分の壁が落ちてますが、まだ形を保っています。
現在はストリートビューに写る扉のある壁が崩れ落ち、階段の手摺がむき出しになってます。
24.糸井の廃洋館ストリートビュー2









側面。2013年時点は何とか形を保っており、かつての姿を確認できます。感じからして元医院だったのでしょうか。ここ最近の大雨や大雪で倒壊してしまった感じです。かつての姿を見てみたかったですが。
次は養父市へ。
25.養父駅 養父市堀畑 明治41年







JR養父駅。養父市堀畑。明治41年。
26.養父駅







こちらも昔懐かしい木造駅舎。
27.養父駅







養父駅の額。
28養父駅







内部も当時のままに大切に使われています。いい雰囲気ですね。椅子に座っていると。何となく郷愁を感じます。
この近くに高田公民館という昭和初期頃の大型の洋館建物がストリートビューに写っており、楽しみに向かいましたが、残念ながら建て替え・・・。
続いて八鹿町方面へ。
29.八鹿駅 養父市八鹿町 昭和9年







JR八鹿駅。養父市八鹿町八鹿。昭和9年。
30.八鹿駅







養父駅と違い洋風の駅舎です。
31.八鹿駅







八芒星の窓がオシャレ。

32.郡是製糸八鹿工場事務所 養父市八鹿町 昭和3年







郡是製糸八鹿工場本館。養父市八鹿町。昭和3年。国登録有形文化財。
33.郡是製糸八鹿工場事務所







角に玄関を設けた堂々かつ美しい洋館事務所。
34.郡是製糸八鹿工場事務所







かつてここには広大な郡是製糸の工場がありました。現在跡地はやぶ市民交流広場となってます。
41.郡是製糸八鹿工場正門







郡是製糸の施設は本館、門衛所、正門が保存されています。
36.郡是製糸八鹿工場事務所







グンゼ株式会社八鹿工場のプレート。
35.郡是製糸八鹿工場事務所







本館はオリジナルの姿に改修され、交流スペースとして活用されています。
40.郡是製糸八鹿工場事務所







本館事務所のカウンター。
38.郡是製糸八鹿工場事務所







カウンター部分はアーチ型になっており、オシャレ。
39.郡是製糸八鹿工場事務所







奥の個室。事務所内の大部屋は打ち合わせされており撮影できず。
37.郡是製糸八鹿工場事務所







2階も見たかったですが、残念ながら立ち入り禁止。
40.郡是製糸八鹿工場門衛所







門衛所も保存されているのが素晴らしいです。今は物置ですが、こちらも何か活用して欲しいですね。
5郡是福知山工場事務所










外観は福知山市にある郡是製糸福知山工場の本館とよく似ています。八鹿工場の本館と同じ昭和3年の築ですし、同じ設計者もしくは郡是製糸内に設計・建築を担当する営繕課のような部署があったのかもしれません。
郡是製糸八鹿工場本館を後にし、周辺を探索。

41.郡是製糸八鹿工場工員宿舎







郡是製糸八鹿工場本館の側にある和風の建物。恐らく郡是製糸八鹿工場の工員宿舎だったものと思われます。福知山工場にもかつて同じような建物がありました。

41.諏訪町区公会堂 養父市八鹿町







諏訪区公会堂。養父市八鹿町八鹿。こちらも昭和初期でしょうか。

42.仲町公会堂 養父市八鹿町







仲町公会堂。養父市八鹿町八鹿。
43.仲町公会堂







玄関部分に戦前の建物としての意匠が残されています。しかし、入り口が分かりづらい。
44.仲町公会堂







対岸から見た仲町公会堂。割と大きな建物です。

45旧クリーニング店 養父市八鹿町







仲町公会堂近くにある洋館。養父市八鹿町八鹿。
46.旧クリーニング店







以前はクリーニング店だったらしいですが、元々の用途は不明。
47.旧クリーニング店







屋根は増築されてますが、軒周りの蛇腹装飾は残されています。
48.旧クリーニング店







玄関部分はペディメントの装飾。結構手が込んでおり、大正〜昭和初期の建物かもしれません。
なんとなく医院とかだったのかなと思ってますがどうでしょうか。

49.木村写真館 養父市八鹿町







木村写真館。養父市八鹿町八鹿。2階から上にオリジナルの姿が残されています。
50.木村写真館







1階と2階の間のモルタルにうっすらと「木村寫眞場」の文字が残されています。
次に豊岡市日高町方面へ。

51.水田医院 養父市八鹿町







旧水出医院。養父市八鹿町伊佐。

52.水田医院







大正〜昭和初期頃と思われる意匠に富んだレベルの高い洋館建築。
55.水田医院







玄関の「水出医院」の文字。
54.水田医院







素晴らしい建物ですが、空き家状態で荒れてます。何か再活用されればいいですが、狭い集落の中という立地のため、難しいでしょうね。
最後に向かったのは豊岡市日高町。

56.岩中公民館 豊岡市日高町







旧岩中公民館? 豊岡市日高町岩中。
57.岩中公民館







旧日高町役場へ向かう最中に見かけた建物。立地や雰囲気的に元公民館の建物に思えます。
58.岩中公民館







玄関に掲げられた額。恐らく「岩中公民館」の文字が書かれていたと思われますが、現在は消えてしまい判読不能。
59.岩中公民館







ガラス越しに内部を撮影。だいぶ荒れており、現在は使われていないようです。
60.岩中公民館







別方向から。床の間付きの立派な部屋だったようです。

61.旧日高町役場 豊岡市日高町 昭和10年







旧日高町役場。豊岡市日高町日置。昭和10年。
62.旧日高町役場







現在は江原河畔劇場という施設として再活用されています。旧日高町役場を保存し再活用されているのは素晴らしいですが、内部は扉を除き全て改修され面影が残されていないのが残念。せめて階段とか町長室とかはオリジナルの状態で保存して欲しかった。

これにて今回の近代建築探索は終了。丹波市・朝来市・豊岡市は中心部の探索は以前行いましたが、郊外はまだで、未探索だった養父市と合わせて探索したわけですが、結果、新たに確認した建物を含め結構良い近代建築を見ることが出来たのは成果でした。

高田公民館







ただ、養父市の高田公民館がすでに建て替えられていたのが残念でした。
旧高田公民館ストリートビュー







ストリートビューに写るかつての高田公民館。これを見た時、是非この目で見たいと楽しみにしながら向かったのですが…。まぁストリートビューの撮影時期が2013年でしたし。

besan2005 at 11:15|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年02月13日

兵庫県加西市・青野原陸軍演習場大門廠舎遺構探索レポ日記

3年前に探索した兵庫県加西市にある青野原陸軍演習場大門演習廠舎遺構のレポ日記です。
大門演習廠舎絵葉書ブログ用









※昭和10年代頃の大門演習廠舎正門。
青野原陸軍演習場大門演習廠舎は明治32年に開設した青野原陸軍演習場の宿舎等の施設として完成しました。姫路にあった陸軍第10師団所属部隊の演習場として使用され、戦後、青野原陸軍演習場は陸上自衛隊青野ヶ原演習場として引き継がれますが、大門演習廠舎は引揚者や戦災者の住居として使用され、現在は住宅地となっていますが、大門演習廠舎時代の建物等が今でも残されています。
※参照サイト・大日本者神國也 青野原陸軍演習場大門陸軍演習廠舎
大門廠舎位置図










今回探索した遺構の位置図。この位置図に沿って紹介していきます。

1.廠舎建物か










‐骸坊物。正門に一番近い場所にある平屋の建物。
2.廠舎建物か










背面。
IMG_5237










当時の正門部分から。
大門演習廠舎絵葉書ブログ用









昭和10年代頃の大門演習廠舎正門。左端に,隼廚錣譴觀物が写ってます。
2.廠舎建物付属屋










付属屋と思われる建物。
,鉢△2022年2月現在、取り壊され建っていた場所は更地となっています。

3.主官舎(演習場管理人宿舎)










主官舎。青野原陸軍演習場の管理人が住んでいた建物。退役将校が任務にあたったようです。
4.主官舎










横から。玄関部分は洋館で、他の廠舎とは一線を画します。演習場へ来た高級将校を招く応接的な面もあったのかもしれません。

5.廠舎建物か










ぞ骸坊物。下士官兵が寝起きする廠舎は長屋型で真ん中に通路があり間仕切りの無い建物ですが(イメージ的には座禅を組む禅堂みたいな感じ)、この建物は一軒家の造りなので将校用だったのでしょうか。
6.廠舎建物か










背面。

7.廠舎建物か










ゾ骸坊物。
8.廠舎建物内部










廃墟状態で入口から内部が確認できました。こちらは下士官兵用でしょうか。

10.廠舎建物か (2)










廠舎建物。現在は作業場。大きさ的に倉庫とかだったのでしょうか。

9.廠舎建物か










Ь骸坊物。現在は民家として使用されています。

11.廠舎建物










12.廠舎建物










┥骸坊物。当時の雰囲気を良く残す建物。現在は焼肉屋さんとなってますが、内部には当時の銃架が残されているそうです。

13.井戸跡










井戸跡。かつては覆屋があったものと思われます。

14.貯水槽跡










貯水槽。コンクリート製の大きなもの。現在は薮に覆われていて見づらいです。ちなみにこの先は演習場の敷地となるため入れません。

15.馬用水桶










馬水桶1。ここには軍馬を管理する厩舎があり、当時のコンクリート製の馬水桶が残されています。これは南側の馬水桶。

16.馬用水桶










馬水桶2。北側の馬水桶。と違いこちらはゴミが置かれておらず観察しやすいです。
18.馬用水桶










真横から。
17.馬用水桶













アップ。とは形状が違います。

19.コンクリート基礎










コンクリート基礎の建物跡。何の建物があったかは不明。
このすぐ近くに便所跡があったのですが、失われてしまいました。

20.演習用塹壕か










演習陣地跡? 廠舎から少し離れた山裾に、土塁と塹壕みたいな長方形の穴が掘られている場所があります。

20.境界杭













陸軍境界杭。大門演習廠舎の周囲にはいくつか境界杭が残されています。これは南側にあるもの。

21.境界杭










偉Ψ涯界杭。川の側の畑の中、写真ではポリバケツの脇にあります。

22.陸軍境界杭













盈Ψ涯界杭。池の北側にあります。

23.陸軍境界杭













歌Ψ涯界杭。池の北側、流入路の側にあります。
その他、南西側にある神社の敷地内にもいくつかあるようですが、立ち入れなかったので確認できませんでした。

戦車第6連隊正門1










青野ヶ原演習場近くには、昭和15年に移駐した戦車第6連隊の正門が残されています。
戦車第6連隊正門2










向かって左側の門柱。
戦車第6連隊正門3










向かって右側の門柱。

青野ヶ原演習場の周囲には他にも姫路陸軍病院青野原分院の正門とか残されてましたが、私が訪問した時にはすでに撤去されていました。 

besan2005 at 10:33|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

加古川市の近代建築探索レポ日記

加古川市の近代建築の探索をしてきました。
加古川市は日本毛織のお膝元の街で、日本毛織関連の近代建築が数多く残されているため、そちらを期待して向かいました。
まずは、解体か保存かで揺れている名建築へ。

1.旧加古川町公会堂 加古川町本町 昭和10年 置塩章







旧加古川町公会堂。加古川市加古川町本町。昭和10年。
2.旧加古川町公会堂







最近まで図書館として使用されていましたが、図書館移転により現在は閉鎖。現在、解体か保存かで揺れています。
3.旧加古川町公会堂







設計は置塩章。
P1090467










大阪城内にある大阪陸軍砲兵工廠化学分析場を設計した人物としても知られています。こちらも解体か保存で揺れてますね。
3.旧加古川町公会堂ステンドグラス







正面の窓にはステンドグラスがあります。内部の写真を見たら中々見事なもの。閉館前に行くべきだったなと後悔。なんとか保存活用して欲しいところですがどうなるか・・・。
旧加古川町公会堂を後にし周辺を回ります。

4.吉田邸 加古川町木村 







Y邸。加古川市加古川町木村。
5.吉田邸







玄関部分が可愛らしいです。

6.ROOM2 看板建築 加古川町寺家町







ROOM2。加古川市加古川町寺家町。看板建築の商家をカフェに改装したもの。この日は中には入りませんでしたが、ネットで内部の写真を見たら中々洒落た雰囲気でした。
ここから西へと向かいます。

7.由利邸 加古川町木村







Y邸。加古川市加古川町木村。煉瓦の煙突がある住宅ですが、戦前かどうかは微妙かも。

9.日本毛織木村町社宅郡







日本毛織木村町社宅群。加古川市加古川町木村。大正〜昭和初期。同じデザイン・規模の住宅が10棟ほど建ち並んでいます。
8.日本毛織木村町社宅郡 加古川町木村 大正〜昭和初期







主屋は和風ですが、塀は洋風で、玄関脇の出入り口がアーチになってる等、中々洒落た造りです。
10.日本毛織木村町社宅







ベランダのある裏側。
11.日本毛織木村町社宅







基礎は煉瓦造りで古さがあります。
12.日本毛織木村町社宅







ベランダの持ち送り。戦前の雰囲気を色濃く残す社宅群ですが、すでに全戸空家のようで、半数は半壊している廃墟状態。近いうちに姿を消すかもしれません。

13.日本毛織社宅か 加古川町木村







N邸。加古川市加古川町木村。社宅群の隣にある住宅。
14.日本毛織社宅か







主屋が新しく見えたのでどうかなと思いましたが、付属屋や塀が戦前っぽく見えたので一応抑えることに。もしかしたら主屋は外観をリフォームしただけかもしれませんし。

15.宝湯 加古川町本町







宝湯。加古川市加古川町本町。現在は廃業されているようです。

16.合名会社神田陶器商店 加古川町本町







合名会社神田陶器商店。加古川市加古川町本町。古くて大きい建物。
17.合名会社神田陶器商店







かつては倉庫だったのでしょうか。
18.合名会社神田陶器商店







入り口部分はアーチ。木の扉が良い雰囲気です。

19.神田家住宅洋館 加古川町 大正期













神田家住宅洋館。加古川市加古川町。大正期。国登録有形文化財。神田家は煉瓦やタイルなどの生産をしていたようで、先に紹介した合名会社神田陶器商店の経営者のお屋敷と思います。
20.神田家住宅洋館













玄関部分には国登録有形文化財のプレートがあります。

21.友藤たばこ店 加古川町本町







友藤たばこ店。加古川市加古川町本町。昔ながらのたばこ屋さん。たばこ屋さんを兼ねた雑貨店もほとんど見なくなりましたねぇ。

22.旧銭湯 加古川町本町







旧銭湯。加古川市加古川町本町。玄関に店名があるのですが、肝心の部分が消えてしまっており、銭湯名は分からず。

23.本町倶楽部 加古川町本町







本町倶楽部。加古川市加古川町本町。公民館ですね。
24.本町倶楽部







外観と造りからして昭和初期とかでしょうか。
25.本町倶楽部







玄関部分には立派な看板が。

26.日本毛織社宅郡 加古川町本町







次に日本毛織の社宅群エリアに入ります。ここは凄かった。

27.日本毛織社宅 加古川町本町 大正期







日本毛織社宅洋館。加古川市加古川町本町。大正期。
28.日本毛織社宅







立派な洋館を持つお屋敷。
29.日本毛織社宅







社宅で洋館が付属する建物はここだけです。偉いさんの官舎だったんでしょうか。
30.日本毛織社宅郡







33.日本毛織社宅郡







この界隈は当時の社宅群や工員宿舎が多く残されており、戦前の街並みがそのまま残っている状態。これ、ロケ地にもそのまま使えるのではと思えるくらいでした。

34.日本毛織社宅倶楽部1号舎 明治31年







日本毛織社宅倶楽部1号舎。加古川市加古川町本町。明治31年。アメリカンスタイルの素敵な洋館。
37.日本毛織社宅倶楽部1号舎







日本毛織の社員の倶楽部建物です。
36.日本毛織社宅1号舎













玄関部分に彫り物の装飾が置いてありました。
20220211_092917







玄関脇にあるゴミ捨て場。

37.日本毛織社宅倶楽部2号舎 明治44年







隣には日本毛織社宅倶楽部2号舎があります。明治44年築。
38.1号舎・2号舎







明治の洋館が並び建つ姿は圧巻です。
ここから加古川を渡りさらに西へ。

39.船頭公会堂 米田町







船頭公会堂。加古川市米田町。外観は改修されてますが、昭和初期くらいかなと思います。
40.船頭公会堂倉庫







敷地内にある下見板張りの倉庫。

41.日本毛織印南工場門衛所 米田町 大正8年







日本毛織印南工場門衛所。加古川市米田町。大正8年。
42.日本毛織印南工場







45.日本毛織印南工場







43.日本毛織印南工場







印南工場の敷地内には大正期の煉瓦建築が数多く残されています。
44.日本毛織印南工場













特にこの給水塔と思われる煉瓦の塔は遠くからでも目立つランドマーク的な建物。可能ならば敷地内をじっくり見学してみたいなぁ。

45.東平津公会堂 米田町







東平津公会堂。加古川市米田町。こちらも船頭公会堂と同じく昭和初期かなと。
この先にある井ノ口公会堂を見に行ったのですが、残念ながら新たな公会堂へと建て替えられてました。再び加古川を渡り東へ。

46.中国銀行加古川支店 加古川町粟津







中国銀行加古川支店。加古川市加古川町粟津。どこのサイトも取り上げてないので戦後の建物と思います。
47.中国銀行加古川支店







しかし、最近では少なくなった古典様式の銀行建築。たとえ戦後でも貴重かなと。私自身、古典様式の銀行建築は好きですし。仮に最近の建物だとしたらセンスいいですね。
1.中国銀行姫路支店 白銀町







そういえば、姫路市でも同じ中国銀行の古典様式の姫路支店を見ました。

48.貴伝名邸洋館 加古川町粟津







K邸洋館。加古川市加古川町粟津。大きなお屋敷に付属する洋館。
49.貴伝名邸洋館







ここのお屋敷に住まわれている方、かなり珍しい名前の方です。

50.大村株式会社 加古川町







大村株式会社。加古川市加古川町。
51.大村株式会社







煉瓦造の社屋があり、裏側は赤煉瓦ですが、表側はスクラッチタイル張りになってます。
52.大村株式会社







大正期くらいですかね。
53.大村株式会社







水路を挟んで同時期の建築と思われる大きな木造の倉庫があります。
最期に加古川駅方面へ。

54.准田土地住宅 加古川町篠原町 昭和初期







准田土地住宅。加古川市加古川町篠原町。習わ初期。ゴシック風の窓を持つ洋館付き建物。
55.准田土地住宅













軒周りの装飾も華やかです。
56.准田土地住宅







壁にはよく洋館の門扉や玄関にあるノック用に付けられた鉄輪を咥えたライオンと同じ装飾が。

57.旧日本毛織加古川工場6番倉庫 加古川町寺家町 大正11年 







旧日本毛織加古川工場6番倉庫。加古川市加古川町寺家町。大正11年。
58.旧日本毛織加古川工場6番倉庫







かつてこの一帯には日本毛織加古川工場の煉瓦建築がいくつも建っていましたが、再開発で取り壊され、現在はこの1棟のみ。加古川工場で最大の煉瓦建物だった6番倉庫は再活用されています。

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以上で加古川市の近代建築の探索終了。数年前より数は減ったものの、それでも数多くのレベルの高い近代建築が残されており、日本毛織のお膝元の街としての隆盛を感じ取ることが出来ました。


besan2005 at 07:59|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年02月06日

加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)

兵庫県の加東市と小野市にある近代建築を探索してきました。特に今回は北播磨地域を中心に活躍し多くの作品を残した内藤克雄の作品を多く尋ねる形となりました。西脇市の近代建築探索でもいくつか内藤克雄作品を見たので気になってはいました。
実は3年前に加東市の旧社町の方を探索してましたが、今回はそれ以外の地区小野市を補完する形で探索。まずは3年前の旧社町での探索分。
33.旧加東郡公会堂 加東市社 大正元年










旧加東郡公会堂。加東市社。大正元年。
34.旧加東郡公会堂










大規模な近代和風建築です。
35.旧加東郡公会堂










現在は明治館という施設に(完成は大正ですがw)。中に入りたかったけど閉まってました。
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玄関部分。めちゃいい感じです。中を見たかったなぁ。

36.旧社町公会堂 加東市社 昭和17年










旧社町公会堂。加東市社。昭和7年。
37.旧社町公会堂










ちょっと奥まったところにあって全体を捉え難いですが、昭和初期らしい雰囲気の良い洋館です。
38.旧社町公会堂










背面。
38.旧社町公民館の猫










屋根の上に可愛い三毛猫ちゃんがいました。

39.旧内山医院










旧内山医院。加東市上滝野。明治40年。
39.旧内山医院 加東市上滝野 明治40年










軽自動車1台がやっと通れるような感じの狭い路地の中に突如現れる白亜の洋館。
40.旧内山医院










明治の洋館らしい瀟洒なたたずまい。
41.旧内山医院










正面玄関。現在は個人宅のようですが、末永く残ってほしいです。

ここから今回の探索分(2022年2月5日探索)
1.旧東播銀行大門支店 加東市大門 明治9年







旧東播磨銀行大門支店。加東市大門。明治29年。
2.旧東播銀行大門支店







旧陸軍の演習場の宿舎だった大門廠舎(3年前に探索したけど記事をまだ書いてなかった!近日中に書きます)の近くにある洋館。明治期の建物らしく装飾に富んだ建物。しかしいつも前に車が停まってるのが・・・。3年前もそうだったなぁ。

3.沢辺営農組合格納庫 加東市沢辺







沢辺営農組合格納庫。加東市沢辺。他サイト等では取り上げられてない新たに確認した建物。
4.沢辺営農組合格納庫







一部改装されてますが、おおむねオリジナルの雰囲気を残しています。
5.沢辺営農組合格納庫







背面。建物の感じから旧公会堂ではと思います。となると、この地域の公会堂をいくつか手掛けた内藤克雄の作品の可能性も。

6.中古瀬公民館 加東市中古瀬







中古瀬公民館。加東市中古瀬。こちらも他サイトでは取り上げられてない新たに確認した建物。
7.中古瀬公民館







今回一番の収穫かも。建物のデザイン・造り・基礎を見ても間違いなく戦前物件。
8.中古瀬公民館







全体のデザインを見ると、この後巡る内藤克雄設計の旧東古瀬公会堂や旧浄谷町公会堂とよく似ています。詳細不明ですが、内藤克雄の作品の可能性があります。しかし、これほどの近代建築、なんでどこの近代建築サイトもスルーしてるんだろ。隣の地区の旧東古瀬公会堂はどこも取り上げてるのに。

8.旧東古瀬公会堂 小野市東古瀬 昭和10年 設計・内藤克雄







旧東古瀬公会堂。加東市東古瀬。昭和10年。
9.旧東古瀬公会堂







設計は内藤克雄。当時の外観が良く残されています。現在も公民館として現役。
23.長濱良三商店 加東市新定 昭和初期







長濱良三商店。加東市新定。昭和初期。
24.長濱良三商店







小さな集落に突如現れる立派な洋館。これも内藤克雄の設計。
25.長濱良三商店







玄関の看板。

26.旧東条町役場 加東市天神 昭和9年







旧東条町役場。加東市天神。昭和9年。
27.旧東条町役場







現在は個人宅。羨ましいw こちらも内藤克雄の設計。加東市の昭和初期の近代建築は内藤克雄がほとんど手掛けたんじゃないかと思うくらいの多さです。

次に小野市へと入ります。
10.内藤克雄設計事務所 小野市久保木町 昭和10年







旧内藤建築設計事務所。小野市久保木町。昭和10年。
11.内藤克雄設計事務所







内藤克雄の事務所兼自宅として自身が設計し建てたもの。当時の立派な洋館が残されています。
12.内藤克雄設計事務所













現在も多分ご子孫の内藤さんがお住まい。北播磨の近代に貢献したご先祖様のかつての本拠地の洋館を今も大切に受け継いでいらっしゃいます。

13.旧浄谷町公会堂 小野市浄谷町 昭和8年 設計・内藤克雄







旧浄谷町公会堂。小野市浄谷町。昭和8年。
14.旧浄谷町公会堂







こちらも内藤克雄の設計。先に訪問した中古瀬公民館・東古瀬公民館とよく似たデザイン。特に今回新たに確認した中古瀬公民館とうり二つで、中古瀬公民館が内藤克雄の設計ではと推測した理由の一つです。

14.本町の看板建築 小野市本町







本町の看板建築。小野市本町。

15.本町の看板建築







地方の町でよく見かけるシャッター通りと化したアーケードの商店街の一角にひときわ目立つ建物。意匠を凝らした正面にステンドグラスの窓。かつては洒落たカフェだったのでしょうか。
16.本町の看板建築







軒の装飾。

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この建物のあるアーケード通りと化した商店街もすでにシャッター通りを通り越し、商店は歯抜け状に壊され、跡地には新たに普通の民家がいくつも建てられていました。地元の商店街もですが、もう商店街としての機能は消え失せ住宅街へと変わりつつも、撤去費用の問題でアーケードは老朽化したまま放置状態。かつては雨でも傘無しでショッピングができると期待されて作られたアーケードが今では邪魔者でしかない状態になっているのは何とも皮肉なものです。時代の流れに合わなくなった地方のアーケード商店街はこうして消滅していくことでしょうね。

17.天理教加東分教会 小野市西本町







天理教加東分教会。小野市西本町。他サイトでは取り上げてませんでしたが、気になったので紹介。
18.天理教加東分教会







大和屋根風の大きく目立つ屋根。
19.天理教加東分教会







側面。昭和10年代とかでしょうかねぇ。


20.旧小野小学校講堂 小野市西本町 昭和11年 内藤克雄







旧小野小学校講堂。小野市西本町。昭和11年。

21.旧小野小学校講堂







西脇市の国指定重要文化財の西脇小学校校舎(未訪問)と並ぶ内藤克雄の代表作。現在は小野好古館。

22.旧小野小学校掲揚台 昭和15年







現・小野小学校の敷地内には、同じく内藤克雄の設計である昭和15年の国旗掲揚台があります。門扉が閉まってたため望遠での撮影ですが。

加東市・小野市の近代建築探索は以上となります。両市の近代建築探索ははからずも内藤克雄の作品を巡る形となったため、内藤克雄という建築家に少し興味が出てきました。個人的な感想としては1つの様式に捕らわれず用途や要望に応じて様々なデザインを卒なくこなす器用な人だったのかなと感じました。(逆に言えば作品に氏の個性があまり見受けられない・・・)
ともあれ、多くの内藤克雄の作品を見ることができた有意義な探索となりました。それに大物と言っていい新たな発見もありましたし満足な探索でした。

※余談。
28.廃墟カフェ 三田市四ツ辻 昭和26年







探索の帰りに気になってたカフェへ。兵庫県三田市の郊外にある、昭和26年築の旧医院を改装した「廃墟カフェ〜RUINS」へ。
29.廃墟カフェ







戦後建築ですが、中々良い雰囲気。外観はあえて改装せず古びた感じを残しています。
32.廃墟カフェ







元の玄関に残る大久保医院の看板。元々は本庄診療所という名前だったようです。

30.廃墟カフェ







内部はレトロでオシャレな感じに改装されています。
31.廃墟カフェ







柱に残る診察室の札。
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この日はオムライスを頂きました。卵を泡だて器で泡立て焼いた感じのようで、一風変わったオムライスでしたが、デミグラスソースを良くマッチした美味しさでした。

besan2005 at 08:27|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年01月31日

姫路市の近代建築探索レポ日記(姫路市街編)

0.姫路城







姫路市にある近代建築を探索してきました(2022年1月29日)。今回は姫路市街。姫路市には網干区に多くの良質な近代建築が残されていますが、今回は時間的に無理でしたので次回に。
※2022年12月30日に網干区の探索を行いました。姫路市網干区の近代建築探索レポ日記

まずは駅前の2号線に入り、そのまま西へ。

1.中国銀行姫路支店 白銀町







中国銀行姫路支店。姫路市白銀町。
近代建築のサイトに全然取り上げられてないので、戦後建築だと思います。恐らく昭和20年代後半かと。しかし、戦前の古典様式の雰囲気を残すこの建物のデザインは好きですね。

2.くにかね商店 白銀町







くにかね商店。姫路市白銀町。看板建築。

3.ひめしんリース 忍町







ひめしんリース。姫路市忍町。こちらも戦後建築ですが、外壁はタイル張りになってますね。

3.和洋折衷住宅 花影町







和洋折衷住宅。花影町。

4.山陽色素第二工場 千代田町 昭和6年







山陽色素第二工場。姫路市千代田町。昭和6年。かつては川沿いに大規模な煉瓦建物がありましたが、2013年に取り壊され、敷地内の奥に少し残るのみです。
山陽色素001









山陽色素002









20年ほど前に見学会で行ったときに撮影した写真。立派な煉瓦建築でしたが…。
北上し、姫路城方面へ。

5.洋館付き住宅 西新町







洋館付き住宅。姫路市西新町。
6.洋館付き住宅







かなり老朽化してますが、一応住人はいるようです・・・
ここから姫路城方面に向かうため東へ。

7.吉田洋服店 元町







吉田服装店。姫路市元町。

8.吉田洋服店







1階の木製の扉部分や窓部分は古そうです。ただ、正面は新しそう。現代の看板建築かな。

9.洋館住宅 龍野町







洋館住宅。姫路市龍野町。新しそうに見えます。ただ、センスはめっちゃいい!
ちなみにこの建物の向かいにかつては「澤田医院」というレトロな建物がありましたが、すでに更地になってました。

10.白鷺橋 本町 昭和8年







白鷺橋。姫路市本町。昭和8年。
13.白鷺橋







重厚な石造りの欄干は姫路空襲により高熱を受けボロボロになってます。
12.白鷺橋







反対側。
11.白鷺橋







全体。
14.白鷺橋













親柱の破損状況を見ると、いかに激しい熱を受けたか分かります。姫路空襲の状況を伝える貴重な建造物です。

15.旧第三十四銀行姫路支店 坂元町 大正15年







旧第三十四銀行姫路支店。姫路市坂元町。

16.旧第三十四銀行姫路支店







煉瓦造の重厚な銀行建築。現在は今井医院として大切に使用されています。

17.加藤邸 坂元町







K邸。姫路市坂元町。個人宅ですが、規模も大きく中々立派な住宅です。
18.加藤邸







かつては事務所建築か商店建築だったのでしょうか。


19.お食事処すず 綿町







お食事処すず。姫路市綿町。

20.お食事処すず







レトロな建物の食堂。他サイトの過去の記事を見ると、色んな店舗が何度か入れ替わってます。