2022年09月04日

高砂市の近代建築探索レポ日記

2022年8月12日に兵庫県高砂市の近代建築の探索をしてきました。
まず向かったのは。

1.梅ヶ枝湯 次郎助町







梅ヶ枝湯。次郎助町。
2.梅ヶ枝湯







昭和初期くらいでしょうか。レトロな銭湯です。
3.梅ヶ枝湯







側面は煉瓦壁。なんと薪でお湯を沸かしているっぽい!?
4.梅ヶ枝湯







「水」の文字のある石の覆い。

5.旧高砂通運本社 鍛冶屋町 昭和14年







旧高砂通運本社。鍛冶屋町。昭和14年。
6.旧高砂通運本社







今は鰻屋さんになっているようです。

7.旧三星化学合資会社 鍛冶屋町 昭和5年







旧三星化学合資会社。鍛冶屋町。昭和5年。
8.旧三星化学合資会社







装飾に富んだ中々いい感じの建物ですが、現在は空家?以前はカフェだったようですが。
そのまま南へ。

9.M邸 釣船町  







M邸。釣船町。明治〜大正期?
10.M邸







大きな洋館です。三菱製紙の社宅だったとか。
11.M邸







反対側から。
ここから西へ。

12.出汐館(旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華クラブ) 西畑町 昭和11年







旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華倶楽部出汐館。西畑町。昭和11年。
13.出汐館





スパニッシュ様式の洋館が2棟並んでます。
14.出汐館





東側の洋館。
16.出汐館










東側の洋館のステンドグラス。
15.出汐館





西側の洋館。
17.出汐館










西側の洋館のステンドグラス。
18.出汐館





道路側から。現在も倶楽部施設として使用されているようです。

19.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か 沖浜町





カネカ工業高砂工場の社宅街にある洋館。沖浜町。
20.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か





もしかしたら、倶楽部建物かもしれません。
ここから引き返し東へ。

21.カネカ工業高砂工場事務所か





カネカ工業高砂工場事務所。宮前町。
奥に見える洋館。さすがに近づけないので離れた場所から撮影。

22.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所 南本町 昭和10年





旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所。南本町。昭和10年。
23.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





横に付属する派出所が消防会館に比べ装飾的なのは、警察としての威厳を示そうとしたのでしょうか。
24.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





背面から。
ここから少し東へ。

25.洋館付き住宅 東宮町





洋館付き住宅。東宮町。

20220811_104242





旧銭湯。西宮町。
この近くに煉瓦倉庫があるんですが、完全に忘れてました…
再び西へ。

26.三菱製紙魚町倶楽部 魚町 明治35年





三菱製紙魚町倶楽部。魚町。明治35年。
立派な洋館です。ただ、庭木が邪魔して上手く撮影できない。
一般公開されているらしいですが、この日は閉まってました。

27.片岡医院 横町 昭和10年代





片岡医院。横町。昭和10年代。中々洒落た洋館。今は医院は止めて個人宅かも。

28.旧高砂銀行本店 北本町 昭和7年





旧高砂銀行本店。北本町。昭和7年。古典様式のこれぞ昭和初期の銀行と言った佇まい。
現在は高砂商工会議所として使用。

29.デラコンチャ 北本町





デランコッチャ。北本町。洋風の商店建築。
30.デラコンチャ





現在は雑貨店。デランコッチャってどういう意味だろう。
ここから東へ。

31.鍛冶医院 高瀬町





鍛冶医院。高瀬町。昭和初期頃?

32.鍛冶医院





片岡医院と同じく洒落た洋館の医院です。

33.由井邸 高瀬町





Y邸。高瀬町。
34.由井邸





モダンな洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
35.由井邸





反対側から。
36.由井邸





玄関にはステンドグラスがあります。

清水町会館





清水町会館。清水町。古そうで気になった建物。

37.古い住宅 船頭町





旧高砂湯。船頭町。
38.古い住宅





何となく気になって撮影した建物。後で調べたら高砂湯という銭湯だったそうで、
数年前までは高砂湯の看板があったようです。今は住宅になっているようです。

39.旧清栄館(元映画館) 大正期





旧清栄館。清水町。大正期。
40.旧清栄館





かつては映画館だったそう。現在は焼酎専門店セイエイカン。居酒屋もやってます。
ここから川沿いに北上。

20220811_113834





川沿いの古い建物。藍屋町。
20220811_113909





船着き場関係の建物でしょうか。

41.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場煉瓦建物。栄町。明治34年〜大正6年頃。
42.三菱製紙高砂工場





大きな煉瓦建築です。

43.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場。栄町。明治34年〜大正7年。
44.三菱製紙高砂工場 





付属建物の横にある煙突は、加古川市にあった陸軍飛行場から飛び立つ航空機の妨げになるとのことで一度半分にされ、戦後に撤去された部分を再度作り直したらしいです。

20220811_114954





山陽電鉄加古川橋梁。大正11年。長さ約330mの山陽電車の鉄橋では一番長い鉄橋。
100年超えた今でも現役。

以上で高砂市の近代建築探索を終了。高砂市は三菱製紙など戦前からの大規模工場があったせいか、今でも数多くの戦前の建物が残されていました。


besan2005 at 11:18|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年08月06日

青野原陸軍演習場高岡廠舎(青野原俘虜収容所)遺構探索レポ日記

1.説明板







兵庫県加西市にあった青野原陸軍演習場高岡廠舎の遺構を探索してきました。
青野原陸軍演習場高岡廠舎は明治32年に開設された青野原陸軍演習場の演習廠舎であった大門演習廠舎が手狭になったため、明治45年に新たに設置された演習廠舎でした。

大門廠舎位置図










兵庫県加西市・青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構探索レポ日記
大正3年、第一次世界大戦の俘虜として日本に来たドイツ軍俘虜をしゅうようするため、高岡演習廠舎の南側に新たに青野原俘虜収容所が建設されました。大正8年、青野原俘虜収容所の閉鎖に伴い、俘虜収容所の施設はそのまま高岡演習廠舎として再利用されました。

高岡廠舎001








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門。

高岡廠舎002








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門と廠舎建物。

日記016青野原演習場へ出発













※祖父の一等兵時代の日記にある青野原陸軍演習場の記載(昭和14年11月9日)
昭和に入っても青野原陸軍演習場は祖父が在籍した福知山市の歩兵第20連隊はじめ、各地から部隊が演習に来たようで、それらの兵士を収容する廠舎施設が必要だったようです。
青野原陸軍演習場高岡演習廠舎は戦後、大門演習廠舎と同じく住宅地となって現在に至り、大門演習廠舎ほどではないですが、演習廠舎時代の建物や遺構がいくつか残ります。

高岡廠舎配置図













※青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構位置図。
以下はこの遺構位置図に従い紹介します。

2.廠舎1







‐骸坊物1。民家の一部となっています。
3.廠舎2







裏側。

4.廠舎3







⊂骸坊物2。こちらも民家の1部になってますが、外観は当時の姿を留めています。
5.廠舎前井戸







廠舎建物の前にある煉瓦の井戸枠のある井戸。

6.将校用風呂棟







将校用風呂棟。兵庫県登録文化財として高岡演習廠舎で唯一内部公開されている建物。
7.将校用風呂棟2







将校用風呂棟の内部。
8.将校用風呂棟3







かまど?風呂の焚口にしては位置がおかしい。後世のものかも。
9.将校用風呂棟4







浴槽。現代のユニットバスより狭いです。

10.井戸







ぐ羝唯院将校用風呂棟の向かいにあります。

12.井戸







グ羝唯押L渦箸良瀉脇發砲△蠅泙后

11.コンクリート基礎







Ε灰鵐リート基礎。何かの建物の基礎だったのが残されています。

13.貯水槽







貯水槽。高岡演習廠舎の北側にありますが、戦後のものかもしれません。
ちなみに大門演習廠舎の外周には陸軍の境界杭が何本も残されていますが、高岡演習廠舎では1本も見かけませんでした。

高岡演習廠舎は大門演習廠舎より遺構の数は少ないですが、俘虜収容所だったという歴史的経緯があったためか、大門演習廠舎には全くなかった案内板や説明板が設置されており、見学しやすくなっています。

besan2005 at 11:55|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

2022年07月30日

第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構探索レポ日記

2022年6月24日、フォロワーさんと舞鶴市の旧軍遺構探索ツアーで、海上自衛隊舞鶴造修補給所に残る旧軍遺構を見学してきました。この場所、昭和20年の終戦の段階で第三十一海軍航空廠の敷地だったそうです。
第三十一海軍航空廠といえば、宮津市栗田半島にある現・関西電力エネルギー研究所と栗田漁港の敷地にあった水上機製造専用の工廠だったことは知られており、私も何度か探索を行いましたが、舞鶴市の東舞鶴軍港内にもあったのは知りませんでした。
※過去に探索した第三十一海軍航空廠関連の記事。
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠官舎・工員宿舎遺構配置図








宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

海上自衛隊舞鶴造修補給所の敷地がかつて第三十一海軍航空廠だったと知ったのは、舞鶴市の公式HPである「舞鶴鎮守府エリア 1945年 舞鶴鎮守府家屋営造物配置図」を見たのがきっかけでした。
以下、このサイトに表記されている情報を元に記事を書いていきます。各遺構の名称は、第三十一海軍航空廠時代の名称で表記します。

第三十一海軍航空廠浜地区工場遺構配置図









※第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構配置図。
この舞鶴造修補給所の敷地となっている第三十一海軍航空廠についてですが、現在、確たる資料が見つけられず、この施設が当時どのように呼ばれていたかも不明です。とりあえず現段階では「第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)」としておきます。

海上自衛隊の隊員さんの案内で敷地内へ。

1.起重機(5トンクレーン)1







ゝ重機。船からの荷物を上げたり降ろしたりする5tクレーンです。白線で旋回範囲を書いてある通り、現役のクレーンです。赤れんがパークからも見えるクレーンです。
P1020696










こちらは現役ではありませんが、呉市のアレイからすこじまにある起重機のクレーンと同じですね。
2.起重機台







起重機台の部分。
3.起重機銘板







操縦室には「製造 昭和16年」の文字が。海軍時代から現役の古参。
ただし、クレーンのアーム部分は見る限り戦後に交換したように見えます。
ちなみに宮津市栗田の第三十一海軍航空廠の開設は昭和18年。この起重機はそれより2年古いため、元々は海軍の別の施設で、昭和18年以後に第三十一海軍航空廠の敷地となったと思われます。

6.啓正式格納庫1







啓正式格納庫。木造の大きな建物です。
7.啓正式格納庫2







啓正式格納庫とは移動式の格納庫のことらしいですが、この建物、移動できるんでしょうか。
8.啓正式格納庫3







内部は当時の鉄骨が残されています。格納庫時代の姿を留める貴重な建物です。
P1330504










対岸の赤れんがパークから見た啓正式格納庫。

4.汽缶場







2消談蟒ね工場(左奥)とさゴ名譟2消談蟒ね工場の写真を撮り忘れていた失態。
5.汽缶場洗面台







汽缶場の洗面台。コンクリート製の長いもの。汽缶場という施設という事で、煤とか色んなものが顔や服に付着したのを洗ったのでしょう。
9洗濯場










こちらは宮津市の栗田半島にある第三十一海軍航空廠工員宿舎街跡に残る洗濯場の洗い場。似たような感じですね。あと、舞鶴市の朝来地区にある第三海軍火薬廠跡にもコンクリート製の洗面台が残されています。

9.事務所か







セ務所としていますが、上記の舞鶴市のHP掲載の配置図では位置が違います。しかし、建物の造り、基礎の煉瓦など明らかに戦前の物。とりあえず事務所の建物と仮定しておきます。
10.事務所か







反対側より。

11.自動車庫







自動車庫。改造されてますが、面影は残されています。

P1050373










舞鶴造修補給所の遺構は赤れんがパークから起重機と啓正式格納庫を見ることができるため、以前からその存在は知ってましたが、他にもいくつか遺構が残されていること、また終戦時には第三十一海軍航空廠の敷地だったことは初めて知る成果となりました。

IMG_4768










ちなみに背後の東山には木造2階建ての司令部建物を丸ごと収めた、巨大な地下壕が残されています。
舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年07月03日

舞鶴平海兵団(現・舞鶴教育隊)遺構見学レポ日記

1.舞鶴教育隊







2022年6月24日に舞鶴市にある舞鶴教育隊を見学してきました。
0.平海兵団001








舞鶴教育隊は元々、旧海軍の平海兵団の敷地でした。舞鶴海兵団は舞鶴鎮守府開庁とともに設立。しかし、大正12年のワシントン海軍軍縮会議により舞鶴鎮守府は要港部へと格下げ。舞鶴海兵団は廃止され、旧舞鶴海兵団の敷地は海軍機関学校の敷地として使用されました。
昭和14年の鎮守府再昇格により海兵団も復活。しかし敷地は海軍機関学校となっていたため、東舞鶴の平地区に昭和15年に新たに設置されました。
舞鶴教育隊戦後001








戦後、平海兵団の敷地はそのまま海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地となり、現在に至ります。
舞鶴教育隊の敷地内には庁舎を始め平海兵団時代の建物が数多く残っていたのは知っていたのですが、施設の性質上、中々見学できる機会がありませんでした。今回、フォロワーさんのご尽力と海上自衛隊の隊員さんの協力により見学する機会を得ることが出来ました。ありがとうございました。
平海兵団歩哨舎跡







2枚目の古絵葉書の端に写ってますが、かつて正門の前には歩哨舎がありました。今でも基礎が残ります。正門も当時の物がそのまま使われています。

舞鶴教育隊(旧平海兵団)遺構配置図









平海兵団遺構配置図。この位置図に沿って紹介していきます。
2.庁舎1







(審な蔀痛槁庁舎。昭和10年代らしいモダニズムデザインの建物。筑波海軍航空基地の本部庁舎に似た感じですね。
3.庁舎2







正面に車寄せを設けた威厳ある造り。
4.庁舎国旗掲揚台













正面上部には国旗掲揚台が残されています。軍艦の艦橋を模した感じに見えます。
5.庁舎内部







玄関内部。階段も当時のまま。

6.自動車庫







⊆動車庫。鉄骨造りの建物です。
7.自動車庫2







現在も車庫として使用されていますが、平海兵団当時の車両より大型化しているため、収まり切れません。
8.自動車庫







内部の様子。
自動車庫背面







背面。

9.水上機格納庫







水上機格納庫。2棟残されています。
水上機格納庫







旧軍の航空機の格納庫自体、多くが失われている中、ここはちゃんと残されているのが貴重。

10.桟橋







せ袈供コンクリートの部分とかに当時の意匠が見えます。

11.覆土式弾薬庫1







ナづ攫芦侈庫。
12.覆土式弾薬庫迷彩







戦後にコンクリート壁が塗り直されましたが、塗装の剥がれた部分に当時の迷彩を確認することが出来ました。

13.弾薬庫1







γ凸庫。やや小高い場所にあります。
14.弾薬庫2







入り口部分。現在は使われていないようです。

15.ボイラー実習室1







平屋のコンクリート建物。開口部を大きく取った特異な建物。
16.ボイラー実習室2







かつて背面部には煙突があったようです。そのため、軍艦の機関のボイラーの実習等を行う施設だったのではと推測。現在はダメコン用の木材を保管する建物として使用。

17.機関講堂1







木造建物。教育隊では機関講堂と呼んでるようですが、当初の用途は不明。しかし規模の大きさからやはり講堂か実習棟だったのでしょうか。
18.機関講堂2







側面から。
19.機関講堂3







反対側から。現在は使用されておらず、内部もかなり痛みが激しく、今年中に取り壊される予定とのこと。

20.烹炊場







木造建物。教育隊では烹炊場と呼ばれ、炊事の演習場だったようです。当初の用途は不明。この建物も今年中に取り壊しとのこと。

21.便所1







便所。
22.便所2







平海兵団当時から便所だった建物で、建物の前半分は現代用に改修されてますが、後半分は当時のままとのこと。
23.便所3







手前の防火水槽も当時の物。
24.便所4







背面から。この建物も今年中に取り壊されるようです。
ちなみに便所の奥に写る白い建物も当時の木造建物で、こちらは今後も使用されるとか。

25.木造建物







木造建物。長大な建物。
26.木造建物2







こちらは今でも使われています。

28.風呂場2







風呂場。正面に屋根付き廊下が付属します。支えの柱は旧陸軍の建物でも時々見る形ですね。
27.風呂場1







背面から。

29.演武場1







演武場。鉄骨造の大きな建物。現在も演武場として使用されています。
30.演武場2







内部を見せてもらいました。鉄骨の小屋組みが凄い。

舞鶴海兵団兵舎










兵舎。現在は建て替えられて現存していませんが、かつては現隊舎の場所に平海兵団時代の兵舎があり、近年まで隊舎として使用されていました。写真は10年ほど前に軍港クルーズ船から撮影したかつての兵舎。

31.戦艦長門主砲弾













舞鶴教育隊の敷地には旧海軍時代のゆかりのものがいくつか置かれています。これは戦艦長門の主砲弾。
32.川内主錨







庁舎の脇には軽巡洋艦・川内の主錨が置かれています。
33.川内主錨







解説板。昭和17年に舞鶴海軍工廠で改装時に外されたもので、昭和52年にここに置かれたようです。
それまではどこにあったんだろう。

今回はフォロワーさん・海上自衛隊の隊員さんのご尽力により、普段は見れない舞鶴教育隊の敷地に残る平海兵団時代の遺構を見ることが出来ました。ありがとうございました。



besan2005 at 11:06|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年05月06日

舞鶴市・愛宕山防空砲台探索レポ日記

1愛宕山防空砲台遠景










※2021年4月11日再探索分追加。加筆修正。
東舞鶴の海上自衛隊舞鶴教育隊の東に標高282m比高差270mの愛宕山があります。中世(室町期)に山頂に泉源寺城が築かれましたが、戦時中に海軍の防空砲台が築かれました。山城関連のブログに泉源寺城跡を取り上げたサイトがあり、そちらのレポを拝見すると山頂の砲台施設は中世の泉源寺城の曲輪を再利用したような感じで、砲台跡やコンクリートの構造物が見られ、どうやら愛宕山防空砲台の遺構が残されていることが分かりました。しかし、あくまで中世山城である泉源寺城跡をメインに取り上げているため、防空砲台の遺構に関してはちょろっと写真に写っている程度。そこで実際に探索し愛宕山防空砲台としてのレポを計画しました。

愛宕山防空砲台配置図修正版











今回の探索で確認した愛宕山防空砲台の遺構群。同じ防空砲台である倉梯山防空砲台に比べると規模が小さく見劣りする感じではありましたが、それでも各遺構群が多数現存し、また倉梯山防空砲台と比べて防空砲台として探索した人がおらず、知られていない遺構という点でも探索する価値はあったかと思います。
愛宕山防空砲台発電施設群











麓から旧軍道と思われる道を登っていくと4合目あたりで削平地に到達します。そこは愛宕山防空砲台の発電施設エリアと思われ、冷却用の水槽・発電機室跡・燃料庫と思われるコンクリート壕が残されています。
2愛宕山防空砲台水槽










冷却水用の水槽。
3愛宕山防空砲台発電機室










発電機室の建屋跡。恐らく木造の建屋だったのでしょう。
7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台2










7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台










建屋の中には発電機の台座と思われるコンクリートの台座があり、脇には冷却水を流していたと思われる排水溝があります。
愛宕山防空砲台発電機室平面図













簡易的ですが、発電機室の平面図。
4愛宕山防空砲台燃料庫壕










一番山側にある燃料庫壕。愛宕山防空砲台で唯一現存していると思われるコンクリート壕です。
5愛宕山防空砲台燃料庫壕内部1










燃料庫壕の内部。ほぼ同じ時期に造られた倉梯山防空砲台と同じ感じの造り。
6愛宕山防空砲台燃料庫壕内部2










内部から。
8愛宕山防空砲台燃料庫壕上部遺構










燃料庫壕の上にはコンクリートの構造物があります。
9愛宕山防空砲台燃料庫壕煙突










燃料庫壕の上部にある通気口らしきもの。
10愛宕山防空砲台コンクリート残骸










発電施設エリアを過ぎ、少し上がった場所にあるコンクリートの残骸。
11愛宕山防空砲台軍道










上記のコンクリート残骸辺りから軍道と思われる道が九十九折れで山頂まで続いています。
愛宕山防空砲台山頂遺構群修正







山頂部の各遺構配置図。
12愛宕山防空砲台軍道分かれ道










山頂付近の軍道分かれ道。恐らく中世の泉源寺城跡の帯曲輪や城道遺構を再利用していると思われる軍道で、真っ直ぐ向かうとコンクリート壕の残骸と便所跡。右の登り道を進むと山頂に出ます。右の登り道は主郭へと至る虎口への道を再利用したものではと考えられます。
まずはまっすぐの道を進みます。
13愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸










大量のコンクリートの残骸。明らかに破壊された跡です。
14愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸2










コンクリートの残骸の上にはアーチ状に残るコンクリートの構造物が。
これはコンクリートの壕の残骸ではないでしょうか。別のサイトでは「砲側庫の残骸と思われる」としています。
15愛宕山防空砲台便所跡1










先ほどのコンクリート壕の残骸の側にあるコンクリート構造物。
16愛宕山防空砲台便所跡2













便所跡で、未だに便壺が残されてました。
19愛宕山防空砲台浄化槽1










コンクリート壕の残骸の上部にあるコンクリートの構造物。
20愛宕山防空砲台浄化槽2










3つ連なる水槽状の造りのコンクリートの構造物には水を通せる穴があけられていることから、貯水槽ではと思います。下の便所や兵舎等に配水していたのでしょうか。
21愛宕山防空砲台煉瓦構造物










浄化槽の横にある煉瓦の壁。用途は不明ですが、浄化施設に付随する施設だったのでしょうか。この構造物のものと思われる煉瓦が下のコンクリート壕の残骸と一緒に散らばっていました。愛宕山防空砲台で煉瓦構造物を確認したのはここだけです。
17愛宕山防空砲台機銃砲座跡










便所跡から西側へ回り込むと穴が2ヵ所開けられた場所に出ます。用途は不明。
18愛宕山防空砲台コンクリート残骸










先ほどの機銃砲座跡を上がった山頂にあるコンクリートの残骸。ただの残骸ではなく、形が割と保たれており、この場所に何か施設があったことをうかがわせます。
23愛宕山防空砲台高角砲座










山頂部分にある砲座1。引渡リストにある12cm高角砲座かと。
22愛宕山防空砲台円形台座










高角砲座跡の南側にあるコンクリートの円形台座。下部の土が流失して半分浮いた危険な状態となっています。何の台座だったかは分かりません。
26砲座2










砲座2。
27コンクリート構造物










砲座2に隣接するコンクリート構造物(2021年4月11日確認遺構)
観測所の遺構ではと思われます。
26砲座3










砲座3。
25愛宕山防空砲台山頂砲座4










砲座4。
26機銃座










機銃座。引渡リストの13mm機銃の銃座と思われます。
28コンクリート基礎建物










山頂部から東に進み下がった場所にある遺構(2021年4月11日確認遺構)。中世の泉源寺城跡の曲輪に造られた建物のコンクリート基礎。
29コンクリート基礎建物










泉源寺城跡の曲輪をほぼ生かして建てられた建物跡で、旧軍遺構としてだけでなく、中世の山城跡でもこれくらいのスペースの曲輪なら駐屯できる建物が建てられるという一つの目安になる面白い箇所です。
30境界柵










さらに東に進んだ尾根上にコンクリートの柵柱が並んでいます(2021年4月11日確認遺構)。
31境界杭













柵柱の側に「海界2」の境界杭がありました。これで愛宕山防空砲台の東側の境界を確認できました。西側の境界ですが、谷を越えた西側の尾根上に松ヶ崎防空機銃砲座があったようで、その西端辺りになるのでしょうか。

愛宕山防空砲台の山頂部分はは中世の泉源寺城跡の縄張を完全に破壊して造られた防空砲台ではなく、泉源寺城跡の縄張を最大限利用して造られた防空砲台という所に特色があります。かつて丹後一色氏の居城だった建部山城の遺構を完全に破壊して造られた建部山堡塁とは違い、中世の泉源寺城跡と昭和の戦時中の防空砲台の2つの遺構を観察できる面白い遺構となっています。


besan2005 at 20:50|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年05月05日

京都市左京区(哲学の道〜北白川界隈)の近代建築探索レポ日記

2018年2月17日探索分のレポ日記です。今回は京都市左京区の哲学の道を北上し北白川界隈を探索しました。スタートは南禅寺近くから。
1岡崎天王町の洋館3










岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。

2アトリエ茉莉花 南禅寺北ノ坊町 










アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。
3アトリエ茉莉花3










昭和初期と思われる洋館の住宅。

4小川邸 鹿ケ谷下宮ノ前町 大正11年










小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。

13唐崎邸1 鹿ケ谷上宮ノ前町 大正から昭和初期










K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。
16唐崎邸2










正面から。
17唐崎邸3










戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。

5青木邸1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前










A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。
6青木邸2













中々可愛らしい洋館。

7桜鹿荘1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前 近年改修













桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。
9桜鹿荘3










敷地内にある煉瓦の小屋。

10旧藤井繁次郎邸 鹿ケ谷桜谷町 昭和11年










旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。
P1100877










藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。
P1100878










設計・施工は鴻池組。
P1100880










敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。

P1050466










ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。
P1050467










P1050469










P1050478










戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。

13田中邸1 鹿ケ谷寺ノ前町 1947年以前










T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。
14田中邸2










住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。
15田中邸3










玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。

18内田邸 浄土寺下南田町の洋館付き住宅1










U邸。浄土寺下南田町。
19内田邸浄土寺下南田町の洋館2










小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。

20岡本邸1 浄土寺下南田町 大正から昭和初期










O邸。浄土寺下南田町。
21岡本邸2










平屋の洒落た洋館です。

22水谷邸1 浄土寺南田町 昭和初期










M邸。浄土寺南田町。昭和初期。

23水谷邸2










哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。
24水谷邸3










窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。

31洋館付き住宅 銀閣寺町










洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。

25株式会社なかじま 浄土寺石橋町 










株式会社なかじま。浄土寺石橋町。
26株式会社なかじま2










小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。

30中山邸 浄土寺石橋町










N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。

27高折邸1 銀閣寺前町










T邸。銀閣寺前町。
28高折邸2










主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。

29ノアノア 橋本関雪邸洋館 昭和4年










レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。

32清家邸 銀閣寺前町










K邸。銀閣寺前町。
33清家邸










中々大きな洋館です。

1旧岡本医院 浄土寺石橋町 大正〜昭和初期







旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。
2旧岡本医院







昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。
3旧岡本医院







背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。
4旧岡本医院







玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。

5可〇医院 浄土寺西田町







元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。
6可〇医院







横から。
7可〇医院







玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。

35旧神戸邸 浄土寺西田町 昭和6年 あめりか屋










旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。

36京都大学人文科学研究所 北白川東小倉町 昭和5年 東畑謙三










京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。

37貝塚邸 北白川御倉町










K邸。北白川小倉町。
38貝塚邸










植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。
39貝塚邸










背後から。

40洋館住宅 北白川小倉町










表札不明の洋館。北白川小倉町。

41CEAMisson 北白川小倉町










C邸。北白川小倉町。
42CEAMisson










昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。
43CEAMisson










現在は外国人の方のお住まいのようです。

44滝本邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
45滝本邸










京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。
46太田邸 北白川東小倉町










O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。

47竹内邸 北白川東小倉町










T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。

48洋館付き住宅










表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。

49桂邸 北白川小倉町










K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。

50澤井邸 北白川東小倉町










S邸。北白川東小倉町。
51澤井邸










昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。

53堀井邸










H邸。北白川東小倉町。
52堀井邸 北白川東小倉町 藤井厚二










庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。

54革島邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
55革島邸










角の入り口は後から作られた物ですかね。

56河村邸 北白川小倉町 昭和6年 あめりか屋










K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。

57鈴木邸 北白川小倉町










S邸。北白川小倉町。
58鈴木邸










小さな洋館が付属していますね。

59芥川邸 北白川小倉町










A邸。北白川小倉町。

60芥川邸










白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。

61旧喜多源逸邸 北白川伊織町 昭和元年 藤井厚二










旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。
62旧喜多源逸邸










藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。

63旧駒井家住宅 北白川伊織町 昭和2年 ヴォーリズ










旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。
64旧駒井家住宅










ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。

65銀月アパート 北白川伊織町










銀月アパート。北白川伊織町。
66銀月アパート










昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。
67銀月アパート










外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。
68銀月アパート










ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。
69銀月アパート










玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。

70和洋折衷建築 田中西樋ノ口町










百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。
71和洋折衷建築










1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・

72商店建築 田中西樋ノ口町










これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。

73旧池田邸 北白川追分町 昭和2年 藤井厚二










旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。
74旧池田邸










藤井厚二設計の住宅建築。
76旧池田邸










2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。

77京大施設 北白川追分町










旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。

8大野邸 岡崎西天王町 明治期







O邸。岡崎天王町。
9大野邸







下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。
10大野邸







背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。
11大野邸













2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。

以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年05月03日

京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記

※2021年11月3日分探索の都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記と探索エリアが一部重複しており、同じ建物を取り上げている部分があります。
2018年5月12日に行った近代建築探索のレポ日記で、今回は二条城〜四条〜御所南界隈を中心に一部四条エリアの探索となります。
まず、二条駅からスタート。

1喜多尾邸 西ノ京職司町 大正〜昭和初期













K邸。西ノ京職司町。
2喜多尾邸













1階部分が塞がれてますが、元は商店だったんでしょうか。

3西村邸 西ノ京北聖町 大正〜昭和初期










N邸。西ノ京北聖町。よく見かける洋館付き住宅。
4西村邸










でも、こういう戦前の洋館付き住宅ってちょっと憧れます。
南方面へ。

5中西医院 今新在家西町 大正〜昭和初期













中西医院。今新在家西町。大正〜昭和初期。
6中西医院













小さいながらも中々いい感じの洋館。
7中西医院













街中の細い道に面して建つ白亜の洋館。当時はランドマークだったのでしょう。
東方面へ。

8川部邸 中京区宗林町 大正〜昭和初期










K邸。宗林町。大正〜昭和初期。
9川部邸










現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。

11ふくさの一商 中京区六角町 大正〜昭和初期










ふくさの一商。六角町。大正〜昭和初期。
12ふくさの一商










呉服関係の建物のようです。
13ふくさの一商










中々モダンです。
14宮内歯科医院 中京区小結棚町 大正〜昭和初期













宮内歯科医院。小結棚町。大正〜昭和初期。スクラッチタイルの外壁の洋風の個人医院、京都市内では割と見かけます。

15膳處漢ぽっちり 中京区天神山町 昭和10年










膳處漢ぽっちり。天神山町。昭和10年。以前は呉服商だった記憶。
16膳處漢ぽっちり










今は中華料理店となってます。中々のお値段なので入る機会が・・・

17旧明倫小学校 中京区山伏山町 昭和6年










旧明倫小学校。山伏山町。昭和6年。京都市内に残る昭和戦前期の小学校建築の中でもひときわ豪華な小学校。特に講堂は必見ですが、イベント事とかでないと見れないのが残念。現在は京都芸術センター。

18旧明倫幼稚園 中京区山伏山町 昭和14年










旧明倫幼稚園。山伏山町。昭和6年。旧明倫小学校の向かいにある建物。建築時期が同じでデザインも似通っているので、同じ設計者かと。

19岩瀬歯科 中京区阪東屋町 昭和初期










岩瀬歯科医院。東屋町。昭和初期。1階の階段か気になります。

20辻医院 中京区阪東屋町 昭和初期










辻医院。車屋町。昭和初期。四条通から東洞院通を北に上がった場所にある洋館。昔から目立つ建物。隣に岩瀬歯科医院の建物があります。
21辻医院










背面。かつてはいくつものテナントが入る雑居ビルみたいな感じだったのでしょうか。デザイン的にも優れた建物なので、残り続けて欲しいです。
22洋館付き住宅










S邸。場所失念。洋館付き住宅の大きな建物。周囲にいつくかヒントとなる店や薬局写ってますが、検索しても該当のものが出てこず・・・

24武田邸










T邸。丸屋町。昭和初期。※現存せず。2棟並ぶ洋館。
23武田邸 中京区丸屋町 昭和初期










元々集合住宅として建てられた感じです。

25村上開新堂 中京区常盤木町 昭和初期













村上開進堂。常盤木町。昭和初期。京都でも有名な老舗の洋菓子店。
26京都アンティークセンター 中京区常盤木町 昭和初期













京都アンティークセンター。常盤木町。昭和初期。

27旧森田牛乳 中京区指物町 大正14年













旧森田牛乳店。指物町。大正14年。割と知られている建物。
28旧森田牛乳













白亜のモダンな洋風ビル。壁にあの仁丹の町名標があるのが良いですね。

29たこ焼き大文字 中京区大文字町 昭和初期










ニュー大文字。大文字町。昭和初期。
30たこ焼き大文字













現在はお好み焼き屋さんのようですが、2階の凝った装飾を見ると、かつてはどんなお店だったんでしょうか。

31小林裕史写場 中京区行願寺門前寺町 昭和初期













小林裕史写場。行願寺門前町。昭和初期。
32小林裕史写場













中々立派な建物。戦前の写真館はこれだけの建物が建てられるくらい需要があったんですね。

33森川邸 中京区松本町 昭和初期










M邸。松本町。昭和初期。
34森川邸













すっきりとした外観の洋館住宅。

35タツミ写真館 中京区魚屋町 昭和初期










タツミ写真館。魚屋町。昭和初期。
36タツミ写真館










先ほどの小林裕史写場もですが、戦前の写真館はどこも立派な建物ですね。今と違い当時はかなり需要があり、地域の主要な施設でもあったのでしょう。

37南部邸 中京区笹屋町 昭和初期













N邸。笹屋町。昭和初期。
38南部邸













2階建てのアーチ窓の中々洒落た洋館。2018年当時は左側に町家がありました。

39大久保司法書士事務所 中京区笹屋町 昭和初期










大久保司法書士事務所。笹屋町。昭和初期。
40大久保司法書士事務所










かつては企業の事務所だったのでしょうか。大きな洋館です。

42寿山荘 










寿山荘。大炊町。明治29年。
41寿山荘 中京区大炊町 明治29年










実業家、中江種造の邸宅だった屋敷。敷地内に煉瓦造の洋館があり、隣から少しだけ見れます。

43京都ハリストス正教会













京都ハリストス正教会。明治36年。京都府庁旧本館を設計した松室重光の設計。2021年に重要文化財となりました。

44A岡邸 中京区俵屋町 昭和初期










A岡邸。俵屋町。昭和初期。奥まった場所にある洋館。

45小杉邸 中京区天守町 昭和初期 あめりか屋










K邸。天守町。昭和初期。
46小杉邸










あめりか屋設計の立派な洋館住宅。
47小杉邸










ステンドグラスの窓もあります。

48杉島法律特許事務所 中京区壺屋町 昭和初期










杉島法律特許事務所。壺屋町。昭和初期。大きな洋館付きの住宅。かつては結構な方のお屋敷だったのでしょう。

49橋田邸 中京区左京町 昭和初期










H邸。左京町。昭和初期。近代建築界隈では有名な建物。
50橋田邸 










元医院だった気がする立派な洋館。京都市内でも有数の近代建築だけにいつまでも残ってほしいです。
51橋田邸













入口の扉も当時の物でしょうか。立派な造りです。

52上西邸 中京区少将井御旅町 昭和初期













U邸。少将井御旅町。昭和初期。
53上西邸













堂々たる洋館を付属するお屋敷。応接室だったんでしょうね。

54二条薬業会館 中京区玉屋町 昭和11年













二条薬業会館。玉屋町。昭和11年。
55二条薬業会館













こちらも近代建築界隈では知られた建物ですね。

57伽 中京区松竹町 昭和初期










御料理伽。松竹町。昭和初期。
58伽













現在は料理店となってますが、以前は何の建物だったのでしょう。商店かな。

59嘉祥閣 中京区西方寺町 昭和初期










嘉祥閣。西方寺町。昭和初期。
嘉祥閣は能楽堂のようです。伝統芸能の能楽堂に洋館は面白い取り合わせですね。

61高木理容室










高木理容室。東竹屋町。昭和初期。見た瞬間「おおっ!」と思ったレトロ感満載の散髪屋さん。
60高木理容室 中京区東竹屋町 昭和初期










1階部分の洋風造に2階の和風造の取り合わせもそそられますが、ちゃんと現役なこと、看板も建物に合わせたレトロ感なのが最高。いつまでも続けて欲しいです。

これにて中京区の二条城〜四条、京都御苑南界隈の近代建築探索は終了。中京区は広いのでまだ未探索、未チェックの物件があるので、その辺りも網羅したいところです。


besan2005 at 12:02|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記

※今回の探索レポ日記は2018年5月12日に探索した「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」と探索エリアが重複しており、一部同じ建物を紹介しています。

古写真・古絵葉書ブログの待賢尋常小学校校舎改築記念の古絵葉書の記事を書くため、旧待賢小学校の写真撮影と先月行われた旧新道小学校お別れ一般公開後の様子を見に、2021年11月3日に二条駅界隈から旧待賢小学校〜旧新道小学校までのルートで探索してきました。
まずは二条駅周辺の界隈。
2奥井邸










O邸。聚楽廻東町。
1奥井邸 中京区聚楽廻東町 










中々立派な洋館付き住宅です。

3日本聖公会京都聖三一教会 昭和5年










日本聖公会京都聖三一教会。聚楽廻中町。昭和5年。どことなく和風の教会です。

4瀬川邸 中京区寿楽廻西町










S邸。聚楽廻西町。
5瀬川邸










前面に洋館を備えた住宅。窓の上に小さな装飾があります。
ここで引き返し東へ。

6中小路邸 上京区主税町 昭和初期










N邸。主税町。
7中小路邸













擬石造の洋館が前面に建ちます。2階の出窓は後付けでしょうか。

8龍宮温泉 中京区主税町










龍宮温泉。主税町。レトロな温泉。戦前かもしれません。

9新美邸 中京区主税町










N邸。主税町。
10新美邸










やや改造されていますが、戦前の住宅建築と思われます。門や塀も当時の物っぽい感じ。

11横井米穀店 中京区主税町










横井米穀店。主税町。古い商店建築。
ここで少し戻り南へ。

旧京都市児童院 昭和6年 (1)










旧京都市児童院。主税町 昭和6年。
旧京都市児童院  (2)










現在は京都市児童福祉センターの建物の1つとして使用されています。昭和初期らしい中々オシャレな建物です。

中路邸










N邸。主税町。大きな日本建築の角に小さな洋館が付属しています。角に造ったことで一つのアクセントになってますね。別のサイトで紹介された写真には窓に猫ちゃんがいて可愛い写真になってました。
さらに東へ。

12タイル張り洋館 中京区主税町










タイル張りの洋風商店。主税町。恐らく昭和初期の建物かなと。

13日暮荘 中京区主税町










日暮荘。主税町。昭和初期頃の洋館付き住宅を宿泊施設としてリノベートした建物。
14日暮荘










サイトを見たら当時の雰囲気が良く残されているようです。まぁまぁ手頃なのでいつかは泊ってみたいかなと。

15佐々木邸 中京区主税町










S邸。主税町。こちらも良い感じの洋館付き住宅。
このまま丸太町通を進みます。

16待賢小学校










旧待賢小学校。藁屋町。昭和13年。今回の目的の1つ。
17待賢小学校










当時としてはモダンな校舎だったことでしょう。現在はコミュニティーセンター等に利用されているようです。
ここから一気に烏丸通方面へ。なお、今回と探索エリアが被る形の「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」の記事を作成しますので、そちらも合わせてご覧ください。

18洋風の蔵 中京区冷泉町










洋風の倉。冷泉町。コンクリートブロックでしょうか。

19中嶋医院 中京区御池之町










中嶋医院。御池之町。
20中嶋医院










洋館付き住宅の医院ですが、洋館部分が診察室だったのでしょうか。

21町田邸 中京区御池之町










M邸。下妙覚寺町。見づらいですが奥に洋館があります。

22洋風商店 中京区塗師屋町










洋風の商店。塗師屋町。
23洋風商店










戦後建築かもしれませんが、気になったので撮影。
このまま北方向へ。

24ヒカリ美容室 中京区仁王門町突抜町










ヒカリ美容室。仁王門突抜町。
25ヒカリ美容室













中々立派な洋館建築。現在は廃業でしょうか。

26吉田商店 中京区仁王門町










吉田商店。仁王門町。レトロな洋風商店。
27吉田商店










玄関脇にある看板が中々味があって良いです。

28杉島法律事務所 中京区壺屋町










杉島法律特許事務所。壺屋町。戦前の洋館付き住宅を再利用したものでしょうか。

29平野邸 中京区三本木町 昭和初期










H邸。三本木町。
30平野邸










丸窓もあり昭和初期の住宅と思われます。
31平野邸










玄関部分にはステンドグラスの窓も。
32平野邸










玄関上部のステンドグラス。
33平野邸













玄関横のステンドグラス。ステンドグラスのある家って憧れますね。
東方面へ。

34南部邸 中京区笹屋町










N邸。笹屋町。中々立派な洋館。
35南部邸













実は4年前の探索では洋館の左側に日本建築がありました。洋館だけ残された感じです。
35大久保書士事務所 中京区笹屋町










大久保司法書士事務所。笹屋町。大き目の洋館。何かの企業の事務所だったのでしょうか。
ここから東へ。

36西本邸 中京区梅ノ木町













N邸。梅ノ木町。スクラッチタイル張りの洒落た洋館。
ここから一気に三条通方面へ。

37梅園 三条寺町










梅園三条寺町店。天性寺前町。三条寺町角の喫茶店。以前は洋食屋さんで何度か行ったことあります。今の店になってからは敷居が高くてなかなか入りづらいw

38舟田邸 中京区松ヶ枝町










F邸。松ヶ枝町。
39舟田邸










元喫茶店でしょうか。新しくも見えますが、京都市近代化遺産調査報告書掲載の建物。
五条通まで下り、旧新道小学校方面へ。

40武藤医院 東山区博多町










武藤医院。博多町。新しく見えますが、よく見ると玄関周りや壁面の装飾など戦前らしさが垣間見られます。
42武藤医院










気になる建物なので撮影。

43西村邸 東山区博多町










N邸。博多町。背後に大きな洋風倉庫が建っています。

IMG_2594










旧新道小学校はこの時はまだ健在でした。
IMG_2599










旧宮川町歌舞練場の方は完全に覆われていました。


besan2005 at 09:02|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年04月09日

名張市の近代建築探索レポ日記

0.名張駅







伊賀市の近代建築探索の翌日、2日目の探索地は名張市。
※伊賀市の近代建築探索レポ日記
近鉄名張駅からスタートし、市街地へ。

1.常盤湯 上本町 昭和初期







旧常盤湯。名張市上本町。昭和初期。
2.常盤湯







古い商店街(といってもほとんど閉業&住宅地化しつつあるアーケード街)の端にある旧銭湯。

20220403_074808







常盤湯のあるアーケード街。完全なシャッター通りで、元店舗自体も一般住宅へと建て替えられつつあります。残されたのは撤去費用も捻出できず放置されている老朽化したアーケード。地元もですが、各地方都市でよく見る光景です。

3.丁子屋 上本町







丁子屋。名張市上本町。気になった建物。
ここから近くにあるという大正期の古い洋館医院へ。

4.旧中村医院跡 新町 大正12年







すでに失われていました。現在は門柱があるのみ。ここにかつて大正12年築の洋館の医院があったそうですが。残念。
※参照・旧中村医院 ヘリタビ
気を取り直して次へ。

5.川地写真館 新町 大正10年







川地写真館。名張市新町。大正10年。3階建ての大きな建物。
6.川地写真館













元々はもっと華やかな外観だったようです。この地域のランドマーク的存在だったでしょうね。

6.中井家住宅 元町 昭和7年 国登録







中井家住宅。名張市元町。昭和7年。国登録有形文化財。
7.中井家住宅













元は個人医院だった洋館。
8.中井家住宅







9.中井家住宅







旧中村医院が失われた今、名張市では唯一となった貴重な戦前の洋館医院。

10.木屋町の洋館







洋風住宅。名張市木屋町。トイレを借りたローソンを出て歩いているときに見つけた建物。

11.ママン 榊町







ママン。名張市榊町。現在は喫茶店ですが、かつては料理店だったんでしょうか。

12.ちょいまる 中町 大正期







ちょいまる。名張市中町。大正期の建物だそう。外観から元銀行っぽく見えましたが、
13.ちょいまる







実は看板建築でした。商店だったのかな。

14.玉乃湯 榊町 昭和初期







旧玉乃湯。名張市榊町。昭和初期。
15.玉乃湯







洋風の外観の旧銭湯。近年廃業されたそうです。いい建物だけに何か再活用されればいいですが。
名張市の近代建築探索はこれで終了。名張市の近代建築は伊賀市と比べて数が少なくかつ狭い範囲に収まっているので2時間程度で回り切れました。時間があるので名張陣屋藤堂家屋敷へ。

16.名張陣屋太鼓門







旧名張陣屋藤堂家屋敷太鼓門。享保年間の築で、昭和10年に現在地の寿栄神社へ移築。

17.名張陣屋







名張陣屋藤堂家屋敷。元々は名張城という城があった場所に名張藤堂家が陣屋を構えたのが名張陣屋の始まりでした。

20220403_092804







20220403_092843







20220403_092956







かつては名張小学校・中学校も陣屋の敷地でしたが、明治期にほとんどが取り壊され現在は奥屋敷のみが現存。それでもかつての陣屋建築を忍ばせる建物として貴重です。
18.名張陣屋石垣







名張陣屋の南側に残る石垣。絵図にも描かれている石垣で、大部分が失われた名張陣屋にとって貴重な遺構。

これにて、伊賀市・名張市の近代建築探索は終了。今回も多くの良い建物たちに出会えた旅となりました。

besan2005 at 07:11|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2022年04月04日

伊賀市の近代建築探索レポ日記

1.茅町駅 上野茅町 大正11年開業







4/2と4/3の1泊2日で三重県の伊賀市と名張市の近代建築探索の旅に出てました。
初日は伊賀市。伊賀鉄道茅町駅からスタート。何故茅町駅かというと、無料のレンタサイクルを借りれるからです。数は少ないですが。なので今回は自転車という機動力でサクサクと探索します。
その茅町駅。開業は大正11年。当時の駅舎か分かりませんが古いのは確か。戦前かと思います。

2.桑町集議所 上野桑町 大正期 







桑町集議所。伊賀市上野桑町。大正期。中々立派な洋館。
3.桑町集議所







伊賀市近辺では公民館ではなく集議所と言うようですね。
4.桑町集議所







内部の様子。

5.旧いとう旅館 上野桑町 明治〜大正期 国登録







旧いとう旅館。伊賀市上野桑町。明治〜大正期。国登録有形文化財。内部には豪華な格天井の大広間があるそうです。

6.菅原邸 上野池町 







S邸。伊賀市上野池町。大きな和風建築の民家。
7.菅原邸







脇には小さく可愛らしい洋館が付属しています。
8.菅原邸







格子窓の装飾。

9.寺町集議所 上野寺町







寺町集議所。伊賀市上野寺町。気になった建物。

10.日本聖公会上野聖ヨハネ教会 上野忍町 昭和12年







日本聖公会上野聖ヨハネ教会。伊賀市上野忍町。昭和12年。
11.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







地元の宮大工さんが建てたそう。中々いい雰囲気の建物。
12.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







玄関の外灯の装飾が可愛い。
14.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







定礎には消えかかってますが「1937」の文字があります。
13.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







内部も当時の面影が残されています。礼拝室見てみたかったですね。

15.小林建材店 上野忍町







小林建材店。伊賀市上野忍町。1階外壁が煉瓦という凝りよう。
ここから西方向へ。

16.石原邸 上野忍町







I邸。伊賀市上野忍町。
17.石原邸 上野忍町







奥に和洋折衷な主屋があります。
18.石原邸







門柱と塀が良い感じでした。

19.窪田邸 上野三之西町







K邸。伊賀市上野三之西町。
20.窪田邸







立派な洋館が付属しています。壁面のテラコッタの装飾も素敵。

21.ごんじゃ理容店 上野福居町







ごんじゃ理容室。伊賀市上野福居町。たまたま見かけた建物ですが、その魅惑の佇まいに思わず声がw
22.ごんじゃ理容店







いいですねぇ。玄関横の小さな縦窓もいい。ちゃんと営業中でした。

23.慈恵病院跡 上野福居町







次に大正期の建物である旧慈恵医院に向かったのですが建て替えられてました・・・
確か街角博物館になってたはずじゃ・・・
24.慈恵病院跡







何故か煉瓦の基礎はそのまま使われていました。
引き返す感じで今度は東へ。

25.旧平木自転車店 上野中町 大正11年 国登録







旧平木自転車店。伊賀市上野中町。大正11年。国登録有形文化財。
26.旧平木自転車店







通りのランドマーク的な建物。
27.旧平木自転車店













以前は上野文化センターという施設として使用されていましたが、近年当時の姿に復元してカフェとして利用されています。

30.北泉邸(旧上野警察署)







K邸。伊賀市上野丸之内。明治21年。国登録有形文化財。
29.北泉邸(旧上野警察署)







元々、上野警察署だった建物を昭和13年に現在地に移築。現在は個人宅です。
28.北泉邸(旧上野警察署) 上野丸之内 明治21年 国登録







ずっと見ていたい素敵な建物。
31.北泉邸(旧上野警察署)







しかし、明治の豪勢な洋館が個人宅だなんて贅沢過ぎる。維持は大変でしょうけど羨ましいですね。

31.上野高校明治学舎







次に向かった明治期の建物である上野高校の本館は改修中・・・

32.菅野酒造所 上野車坂町







菅野酒造所。伊賀市上野車坂町。和洋折衷の建物。

33.車坂町集議所 上野車坂町







車坂集議所。伊賀市上野車坂町。気になった建物。昭和初期ですかね。

34.上野農人町集議所 上野農人町







上野農人町集議所。伊賀市上野農人町。奥に木造の洋館建築があり、気になって何とか全体を把握できる場所を探しましたが、完全に建て詰まっていて確認できず。
35.上野農人町集議所







道側には洋風の車庫があります。奥の建物を見たかったなぁ。

36.村治邸 上野鍛冶町







M邸。伊賀市上野鍛冶町。これはいい洋館。
37.村治邸







看板建築ですがすごくいいですね。この建物。雰囲気あります。

38.横田歯科医院 上野魚町







横田歯科医院。伊賀市上野魚町。
39.横田歯科医院







昭和初期頃でしょうか。

40.歌乃ゆ 上野紺屋町







歌乃ゆ。伊賀市上野紺屋町。以前は銭湯でしたが、旧状に戻した上、現在はカラオケルームとして使用されています。

41.洋館付き住宅 上野丸之内







その近くで見つけた建物。和洋折衷ですかね。伊賀市上野丸之内。

42.忍者市駅(旧上野駅) 上野丸之内 大正11年







伊賀鉄道忍者市駅。伊賀市丸之内。大正11年。洋風の可愛らしい洒落た駅舎。
43.忍者市駅







しかし、忍者市駅ってなぁ・・・。元の上野市駅の方がいいと思うけどなぁ。
ちょっと南に戻って。

44.一乃湯 上野西日南町 大正15年 国登録







一乃湯。伊賀市上野西日南町。大正15年。国登録有形文化財。いまも現役の銭湯。
内部も雰囲気抜群なんでしょうね。
次に伊賀上野城の北方向へ。

45.消防団倉庫 小田町







消防団倉庫。伊賀市小田町。
46.消防団倉庫







中々古そうな建物。戦前には違い無さそう。
47.消防団倉庫







鬼瓦の装飾、見たこと無いデザインでした。

48.旧小田小学校本館 小田町 明治14年







旧小田小学校本館。伊賀市小田町。明治14年。これぞ明治の擬洋風建築。
49.旧小田小学校本館







内部は資料館として見学できます。
50.旧小田小学校本館













階段部分。
51.旧小田小学校本館







2階踊り場にはステンドグラスが。
52.旧小田小学校本館







戦前に使われていたピアノが置かれています。なんと弾いていいそう。調律はされてませんが。
53.旧小田小学校本館







バルコニーへ出られる部屋。
54.旧小田小学校本館







ステンドグラスが素敵ですね。
55.旧小田小学校本館







2階窓は上げ下げではなく引き戸でした。
56.旧小田小学校本館







窓からは満開の桜が見れました。

57.上水道水源地送水機関室 小田町 昭和11年 国登録







上水道水源地送水機関室。伊賀市小田町。昭和11年。国登録有形文化財。
58.上水道水源地送水機関室







いわゆるポンプ室ですが、バルコニーを設けたりと凝ってます。
59.上水道水源地送水機関室







戦前の建物ってたとえ機械の施設でもこだわって作ってますよね。

60.伊賀文化振興城 上野丸之内 昭和10年







伊賀文化振興城。伊賀市丸之内。昭和10年。伊賀市のシンボルの復興天守。
61.伊賀文化振興城







伊賀上野城は元々、築城の名手、藤堂高虎が築城し、以後藤堂氏が城主を務めましたが、現在の天守は昭和10年に地元出身の代議士・川崎克が私財を投じて建てたもの。それにしても昔のお金持ちは凄い。
62.伊賀文化振興城







伊賀上野城復興天守は木造で建てられています。
63.伊賀文化振興城







階段部分。城としてはありえないデザインで、いかにも戦前の木造和風建築と言った雰囲気を感じます。
64.伊賀文化振興城







3階部分は折り上げ格天井で、当時の政財界や華族の色紙がはめられています。
伊賀文化振興城は史実に忠実ではない復興天守ですが、今では得難い木材が使われており、近代建築として貴重な建物です。

65.俳聖殿 上野丸之内 昭和17年 伊東忠太 国重文 







俳聖殿。伊賀市丸之内。昭和17年。国指定重要文化財。
松尾芭蕉生誕300年を記念して建てられたもので、設計は伊東忠太。
66.俳聖殿







1階内部には松尾芭蕉の木造が安置されています。
一通り伊賀市内を探索したので、再び茅町駅へ。

67.洋館付き住宅 上野桑町







茅町駅へ向かう途中に見つけた洋館付き住宅。伊賀市上野茅町。
68.洋館付き住宅







未チェックの物件でした。現在は空家。

69.伊賀鉄道跨線橋 上野桑町 大正期







そして伊賀市最後の訪問先。伊賀鉄道跨線橋。伊賀市上野桑町。大正期。
70.伊賀鉄道跨線橋







煉瓦造の立派な跨線橋です。欄干の装飾もいい感じ。

20220402_170403







というわけで、伊賀市の近代建築探索を終え、翌日の探索地の名張市にあるホテルへ投宿。
次回は名張市の近代建築探索レポ日記となります。
※記事作成しました。名張市の近代建築探索レポ日記


besan2005 at 22:20|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2022年03月21日

兵庫県丹波市柏原町の近代建築探索レポ日記(柏原藩時代も含めて)

柏原陣屋










2016年6月に兵庫県丹波市柏原町を探索した時のレポ日記です。柏原町は織田家の柏原藩が治めていた町で、柏原陣屋を始め柏原藩時代の遺構や明治以後の近代建築がいくつか残る情緒ある街です。
まずは柏原藩の藩庁だった柏原陣屋へ。
1柏原陣屋長屋門1










長屋門。柏原陣屋時代の正門。
2柏原陣屋2










柏原陣屋の御殿は文政3年に再建されたものですが、明治維新後に解体され全体の1/5の玄関・式台・書院のみが残されています。
柏原陣屋内部1










柏原陣屋内部2










柏原陣屋内部3










それでも当時の陣屋建物が残されているのは貴重です。
その柏原陣屋の隣にあるのが。

1.氷上第一高等小学校 柏原町柏原 明治18年










旧氷上第一高等小学校。明治18年。
2.氷上第一高等小学校










現在は、たんば黎明館という観光施設として使用されています。
3.氷上第一高等小学校










1階廊下。明治期の洋館らしく華やかです。
4.氷上第一高等小学校










階段。
5.氷上第一高等小学校










2階廊下。
6.氷上第一高等小学校







室内の一部は休憩スペースに。
7.氷上第一高等小学校










雰囲気もあり、一息つくにはいい建物です。

8.柏原高校柏陵記念館 明治30年










旧柏原尋常中学校本館。明治30年。
9.柏原高校柏陵記念館 










現在は柏陵記念館として保存されています。
10.柏原高校柏陵記念館 







正面側は柏原高校の敷地に入らないと見れないので、見るには許可がいります。

11.旧柏原町役場 昭和10年 内藤克雄










旧柏原町役場。昭和10年。
12.旧柏原町役場










設計者は北播磨地域を中心に作品を残した内藤克雄。
内藤克雄の建物探索に関してはこちらの記事もどうぞ。
加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)
13.柏原町役場内部1







旧柏原町役場は丹波市役所柏原支所として使用されてましたが、支所機能が移転した後は観光案内所として使用されています。
14.柏原町役場内部2







当時の雰囲気が良く残されていました。
明治以後の近代建築はここまで。ここからはおまけ的な感じで柏原町の名所めぐり。

15.太鼓櫓













太鼓櫓。元々、柏原陣屋の大手門近くにあったものを現在地に移築したもの。

16.織田家墓所










織田家墓所。柏原藩の歴代藩主、織田家の墓所です。
17.織田家墓所










市街地から少し離れた場所にあるためか、なんだか寂しい雰囲気でした。

柏原八幡宮社殿










柏原八幡神社。小高い丘の上にある神社。羽柴秀吉が再建させた社殿が残る名刹です。
この神社の特徴は何と言っても境内に鐘楼と三重塔があること。
18.柏原八幡神社










柏原八幡神社三重塔。文化12年に再建された塔。
柏原八幡宮鐘楼










柏原八幡神社鐘楼。
明治初期に政府が発令した神仏分離令、そしてそれに伴い広まった廃仏毀釈運動。
古くからの神仏習合により多くの神社の中に建てられた塔や鐘楼といった仏教的建物、神社に付属した神宮寺は廃仏毀釈運動で悉く破壊されていきましたが、この柏原八幡神社は、神社内にあった仏教・経典類は廃棄されることなく全て元神宮寺だった乗宝寺へと移管。三重塔は八幡文庫に、鐘楼は時鐘としてそのまま残されるという全国的にも極めて珍しく円満に神仏分離が進められました。
その結果、現在では貴重な神仏習合の形を残す神社として今に伝わっています。



besan2005 at 11:01|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年03月13日

新居家住宅見学会レポ日記

1.まいまい京都














京都市伏見区淀にある新居家住宅の見学会に参加しました。

2.新居邸外観







新居家住宅は大正15年に建てられた洋館付き住宅で、国登録有形文化財となっている住宅です。
現在も新居さんの個人宅で普段は非公開ですが、見学会に参加することが出来たので晴れて内部を拝見することが出来ました。
3.新居邸外観







この新居家住宅の見学会には過去に何度か応募していたのですが、中々抽選に受からず、3回目にしてようやく当選しました。過去に外観だけは見ていましたが。
4.新居邸洋館1階







洋館1階内部。比較的シンプルな内装ですが、雰囲気のある部屋です。
右側の棚の下は物入にはなっておらず、所有者様の不思議がっておられました。
5.新居邸洋館1階







奥のテーブルは後から購入されたものだそうですが、手前の椅子は当時の物だそう。
6.新居邸洋館1階







入り口方面。奥が玄関と和館です。
7.新居邸洋館1階







入口にあるカウンター。これは所有者様が後から設置したもの。照明は当時の物。
8.新居邸洋館1階







入り口部分のアーチ。
9.新居邸洋館暖炉













暖炉。タイルはなんと泰山タイル。貴重なものです。
次に2階へ。

10.新居邸洋館2階







2階部分。2階の窓にはステンドグラスがはめられています。
12.新居邸洋館2階







別角度から。
11.新居邸洋館2階







南側の窓のステンドグラス。
13.新居邸洋館2階







西側のステンドグラス。ステンドグラスは改修の際に外されていたのを再び戻したのだそう。
洋館は戦時中、久御山町にあった陸軍の航空隊の将校宿舎として使用されていたとのことで、以前は名前入りの服を掛ける棚があったそう。
お聞きした話では、久御山の航空隊が知覧へと向かう際、目立つ緑色の屋根の洋館の上空に来た際、翼を振って感謝の挨拶をして知覧へと向かったそうです。そう、知覧へ…
次に和館へ。

14.新居邸和館







玄関を入り向かって左が洋館、そして向かって右が和館となります。この部屋は表の間。
元々は別邸として建てられたもので、普通は玄関からの導線は廊下へと繋がるのですが、新居家住宅は玄関を上がった取次の間からすぐに洋館と和館の部屋に直結し、来客をもてなすための造りだとか。
来客は近くの京都競馬場の来客をもてなす用途もあったらしいです。当時の競馬は高貴な紳士の社交場でしたので。
15.新居邸和館







床の間。床柱はさすがの四方柾ですが、これだけのお屋敷に対して控えめで、本宅ではなく別邸だからではという理由が考えられるとか。
16.新居邸和館照明







照明も当時のまま。
17.新居邸和館襖







障子には矢の意匠が。新居家住宅の和館には矢を用いた装飾が多く見られます。
18.新居邸和館欄間







床の間平書院の欄間。
19.新居邸和館













縁側奥の付書院。縁側奥に造るのは珍しい。
次に離れへ。

20.新居邸和館離れ







昭和12年に完成した離れも書院造風の数寄屋造の部屋ですが、遊郭の意匠を取り入れているため、遊び心のある部屋です。遊郭建築の意匠を取り入れたのは、近くに橋本遊郭があったのもあるのだとか。
22.新居邸和館網代天井













向かって右側の天井は網代天井となり、分けられています。
24.新居邸離れ







床の間の横には塗り残し窓があり、通常の数寄屋建築や書院造の部屋とは違った造りです。
新居家住宅は元々別邸として建てられ、昭和19年に所有者様の先代が購入されたそうですが、本来は建物を取り壊して小さめの住宅に建て替える予定だったそうです。しかし、平成24年に京都市文化財保護課の勧めにより保存が決定。一部の改修を行い現在はこうして一般公開をする機会を設けるなど保存と周知に尽力されています。
私の実家も大正4年築の古い農家建築ですが、古い建物は今の生活事情から考えると使い勝手は悪く、また維持管理も大変。それを知っているだけに新居家住宅の所有者様の尽力は並大抵のものではないことは分かります。

25.河津櫻







新居家住宅の見学ついでに淀の河津桜を見てきました。まさに見ごろの満開で多くの人が駆け付け、中には美人のお姉さんをモデルに撮影会をしている人も。
26.河津櫻







河津桜の見ごろが過ぎた後は、いよいよ本格的に桜の季節ですね。


besan2005 at 21:23|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年03月09日

京都市右京区京北町他の近代建築探索レポ日記(公民館建築を訪ねて)

京都市右京区の京北町内に戦前の建築と思われる公民館建築が割と多く、さらに多くが知られていない建物なので探索をしてみようと思いました。
まずは隣町の南丹市から。

1.旧神吉小学校及時館 南丹市美山町神吉







神吉診療所。南丹市八木町神吉。旧神吉小学校及時館。
2.旧神吉小学校







2年ぶりの訪問。あの時と変わらず建っていました。その時の探索レポ日記。
※南丹市・京丹波町の戦前木造校舎&近代建築探訪レポ日記
3.旧神吉小学校







学校があった当時は記念館として残されていたようで、大正〜昭和初期の建物と思われます。
4.旧神吉小学校







正面にあるサイレンも当時のまま。
次に今回のメインの京都市右京区京北町へと入ります。

5.旧宇津郵便局 右京区京北町宇津







旧宇津郵便局。京都市右京区京北町宇津。
6.旧宇津郵便局







以前から一度見たかった昭和初期の洋館。
7.旧宇津郵便局







隣に現在の郵便局がありますが、やはり存在感はこちらの方が上。
8.旧宇津郵便局







屋根の棟瓦には今でも〒マークが。
9.旧宇津郵便局







建物の脇にはなんと公衆電話室が。これは珍しい。

10.下熊田公民館 右京区京北町下熊田







下熊田公民館。京都市右京区京北町下熊田。
11.下熊田公民館







静かな集落の中にある洋館。
12.下熊田公民館







水色の板壁が映える洒落た建物。
13.下熊田公民館







内部も当時の雰囲気が残されています。

14.下熊田公民館







背後の付属屋にある持ち送り。


15.塩田公民館 右京区京北町塩田







塩田公民館。京都市右京区京北町塩田。
16.塩田公民館







一部外観が改修されていますが、戦前の雰囲気は残されています。
17.塩田公民館







中々大きな建物。
18.塩田公民館







内部は壁に当時の面影が残されています。

19.筒江公民館 右京区京北町筒江







筒江公民館。京都市右京区京北町筒江。
20.筒江公民館







オリジナルの姿が良く残されています。
21.筒江公民館







しかも綺麗に保たれており、大切に使われていることが分かります。
22.筒江公民館







内部も当時の姿がそのまま残されています。
23.筒江公民館







給湯室はさすがに改修されていますが、いかにこの建物が愛されているかが分かります。

24.下中公民館 右京区京北町下中







下中公民館。京都市右京区京北町下中。
26.下中公民館







こちらも当時の姿が残されています。
27.下中公民館







34.大野公民館







内部も当時のままのようですね。
28.下中公民館







屋根にはサイレンの櫓が残されています。正午のサイレンとかを鳴らしていたのでしょう。

35.洋館 右京区京北町







探索中に見かけた気になる建物。
37.洋館







なんとなく元郵便局の建物に見えますが、詳細不明。
29.大野公民館 右京区京北町大野







大野公民館。京都市右京区京北町大野。
30.大野公民館







中々渋い雰囲気の建物。
31.大野公民館







元々は他の公民館と同じくペンキが塗られていたのかもしれません。
32.大野公民館







屋根のサイレンの櫓は和風。
34.大野公民館







内部も当時のままのようです。

38.周山の洋館







京北町内では一番かもしれない周山にある洋館。
39.周山の洋館







他の公民館より意匠に富んでいます。

40.周山の洋館







建物の感じから公民館よりも元役場だったように思えます。
現在は正面に増設された玄関から入るようですが、当時は左右の2ヵ所から出入りしていたようですね。
41.周山の洋館







屋根のサイレンの櫓。他の公民館と違いこちらは洋風。
44.周山の洋館







内部も当時のまま。
42.周山の洋館







43.周山の洋館







当時の付属屋も残されています。

45.田貫公民館 右京区京北町田貫







田貫公民館。京都市右京区京北町田貫。
46.田貫公民館







元々は田貫分校という学校だったようです。
47.田貫公民館







背面に当時の面影が残されていますね。
48.田貫公民館







建物の脇には、二宮金次郎像と記念碑がありました。
最後は帰りに立ち寄った南丹市にある公民館へ。

49.原和田公民館 南丹市美山町腹和田







原和田公民館か。南丹市美山町原和田。
50.原和田公民館







戦前かなと思われる公民館。
51.原和田公民館







内部も古そうです。所在地名から原和田公民館としましたが、玄関の額の文字は消えかかっていて読めませんでした。

これにて京都市右京区京北町の近代建築探索は終了。今回はほぼ知られていない戦前の公民館建築をメインに探索しました。他の近代建築サイトでは紹介されていない建物群、公民館に絞った下調べで予想以上に多く残されていることが分かり、大きな成果となりました。他の地域にもまだまだ残されているようで、引き続き探索をしたいと思っています。


besan2005 at 20:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年03月06日

朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記

2018年4月29日の探索分です。
朝来市和田山町の旧糸井中学校・旧糸井郵便局・廃洋館の記事はこちら。
まずは和田山町内。

1上垣医院 和田山 昭和5年







上垣医院。朝来市和田山町。昭和5年。

2上垣医院







田舎の個人病院とは思えない目を引く立派な洋館です。
3上垣医院













玄関部分。堂々たるもの。
4上垣医院結核病棟










上垣医院の本館の背後にかつては結核の隔離病棟がありました。10数年前に取り壊し。

5本町公民館 和田山







本町公民館。朝来市和田山町。昭和初期っぽい洋館の公民館。

6ユニタイトシステムズ和田山工場(旧竹田中学校) 久留引







旧竹田中学校。朝来市和田山町。現在は工場施設となってますが、本館と校舎が残されています。これは本館。玄関部分の車寄せに戦前の意匠が見られます。昭和初期でしょうか。
7ユニタイトシステムズ和田山工場(旧竹田中学校)







校舎の建物。

8竹田資料館 竹田







竹田資料館。朝来市和田山町。竹田城跡の麓にある洋館。元公民館建築でしょうか。
10竹田資料館







背面。資料館となってますが、中に入れませんでした。
P1110556










窓から内部を撮影。あまり活用されているようには見えません。
11竹田資料館







竹田資料館近くの建物。
次に神子畑方面へ。

12旧山口村役場 山口 大正14年







山口公民館。朝来市山口。大正14年。旧山口村役場。立派な庁舎です。
DSC_0789













村役場としては相当なもの。村の自慢だったことでしょう。

14神子畑鋳鉄橋 佐嚢 明治18年







神子畑鋳鉄橋。朝来市佐嚢。明治18年。国指定重要文化財。
16神子畑鋳鉄橋







明治前期の貴重な鋳鉄橋です。
32羽渕鋳鉄橋 羽渕 明治20年







羽渕鋳鉄橋。朝来市羽渕。明治20年。一度洪水により流された後、現在地に移築。

17神子畑公民館 佐嚢







神子畑公民館。朝来市佐嚢。和風の公民館です。
18神子畑公民館







敷地内にある車庫もしくは倉庫は洋風の意匠です。

19旧ムーセ邸 佐嚢 明治5年







旧ムーセ邸。朝来市佐嚢。明治5年。生野銀山のお雇い外国人、ムーセの住宅だった建物。
20旧ムーセ邸







明治20年に移築され、神子畑選鉱所の事務所として使用。現在は資料館として使用されています。

21神子畑選鉱所







その神子畑選鉱所跡。明延鉱山の選鉱所として明延鉱山が閉山した昭和62年まで稼働しました。
22神子畑選鉱所







近年まで巨大な建屋が残されていましたが、現在は撤去され公園となっています。
24神子畑選鉱所







建屋が無くなってもこの迫力は見応えあります。
27神子畑小学校体育館 昭和30年代







神子畑選鉱所の近くにある旧神子畑小学校講堂。戦後建築ですが、神子畑選鉱所の歴史を語る上で欠かせない建物。
30神子畑小学校校庭







講堂の脇の運動場には当時の遊具が残されていました。かつては多くの子供で賑わっていただろう運動場も今はひっそりとしていました。





besan2005 at 20:52|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

丹波市氷上町・青垣町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築探索レポ日記

兵庫県北部の丹波市氷上町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築の探索をしてきました。
同じ丹波市内の山南町、豊岡市街地の近代建築探索レポ日記は過去の記事にあります。
(丹波市柏原町は記事未作成。探索済み。)
※丹波市山南町の近代建築探索レポ日記
※豊岡市の近代建築探索レポ日記
※豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記
※朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記
まずは丹波市氷上町へ。

1.香良公民館 丹波市氷上町高良







香良公民館。丹波市氷上町香良。
2.香良公民館







典型的な下見板張りの昭和戦前の公民館建築ですね。
4.香良公民館







2棟ありそこそこ規模は大きいです。

3.香良公民館







玄関部分の額。その下には当時のものらしい玄関灯が。
綺麗に改修されて大切に使われています。いつもでも残ってほしいですね。
続いて丹波市青垣町へ。

5.消防団倉庫 丹波市青垣町







次の目的地へ向かう途中で見かけた古い建物。丹波市青垣町西芦田。
6.消防団倉庫







入り口部分に赤い照明があるので、元は消防団の倉庫だったと思われますが、戦前っぽい中々の古さ。
続いて青垣町の市街地へ。

9.商店建築 丹波市青垣町







洋風商店建築。丹波市青垣町佐治。小さいですが中々の雰囲気。

7.酒徳酒店 丹波市青垣町







酒徳酒店。丹波市青垣町市原。大正4年頃。中々の存在感のある洋風の外観の酒屋さん。
8.酒徳酒店







アーチ部分の屋号。
続いて朝来市和田山町の糸井へ。

11.旧糸井中学校







旧糸井中学校。朝来市和田山町高生田。
10.旧糸井中学校 朝来市和田山町







廃校となった木造校舎が残されています。
12.旧糸井中学校







昔懐かしい木造校舎。戦前の築と思われます。
13.旧糸井中学校







昔は地方の郊外によく見られた木造校舎も数がだいぶ少なくなりました。
14.旧糸井中学校







校舎の横にある付属屋。
15.旧糸井中学校







校舎の扉の一部が外されて中が見れる状態だったので覗いてみました。現在は倉庫として使用されているようで、内部は荒れ気味でした。いつまで残ってくれるのでしょうか。
旧糸井中学校を後にしもう少し奥へ。

16.旧糸井郵便局 朝来市和田山町







旧糸井郵便局。朝来市和田山町和田。
17.旧糸井郵便局







昭和初期頃でしょうか。玄関扉には今も「糸井郵便局」の文字が。
18.旧糸井郵便局







屋根の棟瓦には今も〒マーク。
19.旧糸井郵便局







1階屋根の軒下には、文化持ち送りが。実家の家にも使われているこの持ち送り。見かけると親近感湧きます。
50.灯りの家 宇治中之切町










伊勢市の近代建築探索で見かけた元郵便局建物「灯りの家」に似た建物ですね。

20.糸井の廃洋館 朝来市和田山町







その旧糸井郵便局の近くにほぼ倒壊している廃墟が。
21.糸井の廃洋館







所々残されている部分を見ると、かつては大きな洋館だったようです。
22.糸井の廃洋館







窓も鎧戸だったようで、相当レベルの高い洋館だったよう。
23.糸井の廃洋館







反対側に回ると木造の大きな倉庫が残されていました。こちらは倒壊してません。
24.糸井の廃洋館ストリートビュー










2013年のストリートビューを見ると、すでに2階部分の壁が落ちてますが、まだ形を保っています。
現在はストリートビューに写る扉のある壁が崩れ落ち、階段の手摺がむき出しになってます。
24.糸井の廃洋館ストリートビュー2









側面。2013年時点は何とか形を保っており、かつての姿を確認できます。感じからして元医院だったのでしょうか。ここ最近の大雨や大雪で倒壊してしまった感じです。かつての姿を見てみたかったですが。
次は養父市へ。
25.養父駅 養父市堀畑 明治41年







JR養父駅。養父市堀畑。明治41年。
26.養父駅







こちらも昔懐かしい木造駅舎。
27.養父駅







養父駅の額。
28養父駅







内部も当時のままに大切に使われています。いい雰囲気ですね。椅子に座っていると。何となく郷愁を感じます。
この近くに高田公民館という昭和初期頃の大型の洋館建物がストリートビューに写っており、楽しみに向かいましたが、残念ながら建て替え・・・。
続いて八鹿町方面へ。
29.八鹿駅 養父市八鹿町 昭和9年







JR八鹿駅。養父市八鹿町八鹿。昭和9年。
30.八鹿駅







養父駅と違い洋風の駅舎です。
31.八鹿駅







八芒星の窓がオシャレ。

32.郡是製糸八鹿工場事務所 養父市八鹿町 昭和3年







郡是製糸八鹿工場本館。養父市八鹿町。昭和3年。国登録有形文化財。
33.郡是製糸八鹿工場事務所







角に玄関を設けた堂々かつ美しい洋館事務所。
34.郡是製糸八鹿工場事務所







かつてここには広大な郡是製糸の工場がありました。現在跡地はやぶ市民交流広場となってます。
41.郡是製糸八鹿工場正門







郡是製糸の施設は本館、門衛所、正門が保存されています。
36.郡是製糸八鹿工場事務所







グンゼ株式会社八鹿工場のプレート。
35.郡是製糸八鹿工場事務所







本館はオリジナルの姿に改修され、交流スペースとして活用されています。
40.郡是製糸八鹿工場事務所







本館事務所のカウンター。
38.郡是製糸八鹿工場事務所







カウンター部分はアーチ型になっており、オシャレ。
39.郡是製糸八鹿工場事務所







奥の個室。事務所内の大部屋は打ち合わせされており撮影できず。
37.郡是製糸八鹿工場事務所







2階も見たかったですが、残念ながら立ち入り禁止。
40.郡是製糸八鹿工場門衛所







門衛所も保存されているのが素晴らしいです。今は物置ですが、こちらも何か活用して欲しいですね。
5郡是福知山工場事務所










外観は福知山市にある郡是製糸福知山工場の本館とよく似ています。八鹿工場の本館と同じ昭和3年の築ですし、同じ設計者もしくは郡是製糸内に設計・建築を担当する営繕課のような部署があったのかもしれません。
郡是製糸八鹿工場本館を後にし、周辺を探索。

41.郡是製糸八鹿工場工員宿舎







郡是製糸八鹿工場本館の側にある和風の建物。恐らく郡是製糸八鹿工場の工員宿舎だったものと思われます。福知山工場にもかつて同じような建物がありました。

41.諏訪町区公会堂 養父市八鹿町







諏訪区公会堂。養父市八鹿町八鹿。こちらも昭和初期でしょうか。

42.仲町公会堂 養父市八鹿町







仲町公会堂。養父市八鹿町八鹿。
43.仲町公会堂







玄関部分に戦前の建物としての意匠が残されています。しかし、入り口が分かりづらい。
44.仲町公会堂







対岸から見た仲町公会堂。割と大きな建物です。

45旧クリーニング店 養父市八鹿町







仲町公会堂近くにある洋館。養父市八鹿町八鹿。
46.旧クリーニング店







以前はクリーニング店だったらしいですが、元々の用途は不明。
47.旧クリーニング店







屋根は増築されてますが、軒周りの蛇腹装飾は残されています。
48.旧クリーニング店







玄関部分はペディメントの装飾。結構手が込んでおり、大正〜昭和初期の建物かもしれません。
なんとなく医院とかだったのかなと思ってますがどうでしょうか。

49.木村写真館 養父市八鹿町







木村写真館。養父市八鹿町八鹿。2階から上にオリジナルの姿が残されています。
50.木村写真館







1階と2階の間のモルタルにうっすらと「木村寫眞場」の文字が残されています。
次に豊岡市日高町方面へ。

51.水田医院 養父市八鹿町







旧水出医院。養父市八鹿町伊佐。

52.水田医院







大正〜昭和初期頃と思われる意匠に富んだレベルの高い洋館建築。
55.水田医院







玄関の「水出医院」の文字。
54.水田医院







素晴らしい建物ですが、空き家状態で荒れてます。何か再活用されればいいですが、狭い集落の中という立地のため、難しいでしょうね。
最後に向かったのは豊岡市日高町。

56.岩中公民館 豊岡市日高町







旧岩中公民館? 豊岡市日高町岩中。
57.岩中公民館







旧日高町役場へ向かう最中に見かけた建物。立地や雰囲気的に元公民館の建物に思えます。
58.岩中公民館







玄関に掲げられた額。恐らく「岩中公民館」の文字が書かれていたと思われますが、現在は消えてしまい判読不能。
59.岩中公民館







ガラス越しに内部を撮影。だいぶ荒れており、現在は使われていないようです。
60.岩中公民館







別方向から。床の間付きの立派な部屋だったようです。

61.旧日高町役場 豊岡市日高町 昭和10年







旧日高町役場。豊岡市日高町日置。昭和10年。
62.旧日高町役場







現在は江原河畔劇場という施設として再活用されています。旧日高町役場を保存し再活用されているのは素晴らしいですが、内部は扉を除き全て改修され面影が残されていないのが残念。せめて階段とか町長室とかはオリジナルの状態で保存して欲しかった。

これにて今回の近代建築探索は終了。丹波市・朝来市・豊岡市は中心部の探索は以前行いましたが、郊外はまだで、未探索だった養父市と合わせて探索したわけですが、結果、新たに確認した建物を含め結構良い近代建築を見ることが出来たのは成果でした。

高田公民館







ただ、養父市の高田公民館がすでに建て替えられていたのが残念でした。
旧高田公民館ストリートビュー







ストリートビューに写るかつての高田公民館。これを見た時、是非この目で見たいと楽しみにしながら向かったのですが…。まぁストリートビューの撮影時期が2013年でしたし。

besan2005 at 11:15|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年02月13日

兵庫県加西市・青野原陸軍演習場大門廠舎遺構探索レポ日記

3年前に探索した兵庫県加西市にある青野原陸軍演習場大門演習廠舎遺構のレポ日記です。
大門演習廠舎絵葉書ブログ用









※昭和10年代頃の大門演習廠舎正門。
青野原陸軍演習場大門演習廠舎は明治32年に開設した青野原陸軍演習場の宿舎等の施設として完成しました。姫路にあった陸軍第10師団所属部隊の演習場として使用され、戦後、青野原陸軍演習場は陸上自衛隊青野ヶ原演習場として引き継がれますが、大門演習廠舎は引揚者や戦災者の住居として使用され、現在は住宅地となっていますが、大門演習廠舎時代の建物等が今でも残されています。
※参照サイト・大日本者神國也 青野原陸軍演習場大門陸軍演習廠舎
大門廠舎位置図










今回探索した遺構の位置図。この位置図に沿って紹介していきます。

1.廠舎建物か










‐骸坊物。正門に一番近い場所にある平屋の建物。
2.廠舎建物か










背面。
IMG_5237










当時の正門部分から。
大門演習廠舎絵葉書ブログ用









昭和10年代頃の大門演習廠舎正門。左端に,隼廚錣譴觀物が写ってます。
2.廠舎建物付属屋










付属屋と思われる建物。
,鉢△2022年2月現在、取り壊され建っていた場所は更地となっています。

3.主官舎(演習場管理人宿舎)










主官舎。青野原陸軍演習場の管理人が住んでいた建物。退役将校が任務にあたったようです。
4.主官舎










横から。玄関部分は洋館で、他の廠舎とは一線を画します。演習場へ来た高級将校を招く応接的な面もあったのかもしれません。

5.廠舎建物か










ぞ骸坊物。下士官兵が寝起きする廠舎は長屋型で真ん中に通路があり間仕切りの無い建物ですが(イメージ的には座禅を組む禅堂みたいな感じ)、この建物は一軒家の造りなので将校用だったのでしょうか。
6.廠舎建物か










背面。

7.廠舎建物か










ゾ骸坊物。
8.廠舎建物内部










廃墟状態で入口から内部が確認できました。こちらは下士官兵用でしょうか。

10.廠舎建物か (2)










廠舎建物。現在は作業場。大きさ的に倉庫とかだったのでしょうか。

9.廠舎建物か










Ь骸坊物。現在は民家として使用されています。

11.廠舎建物










12.廠舎建物










┥骸坊物。当時の雰囲気を良く残す建物。現在は焼肉屋さんとなってますが、内部には当時の銃架が残されているそうです。

13.井戸跡










井戸跡。かつては覆屋があったものと思われます。

14.貯水槽跡










貯水槽。コンクリート製の大きなもの。現在は薮に覆われていて見づらいです。ちなみにこの先は演習場の敷地となるため入れません。

15.馬用水桶










馬水桶1。ここには軍馬を管理する厩舎があり、当時のコンクリート製の馬水桶が残されています。これは南側の馬水桶。

16.馬用水桶










馬水桶2。北側の馬水桶。と違いこちらはゴミが置かれておらず観察しやすいです。
18.馬用水桶










真横から。
17.馬用水桶













アップ。とは形状が違います。

19.コンクリート基礎










コンクリート基礎の建物跡。何の建物があったかは不明。
このすぐ近くに便所跡があったのですが、失われてしまいました。

20.演習用塹壕か










演習陣地跡? 廠舎から少し離れた山裾に、土塁と塹壕みたいな長方形の穴が掘られている場所があります。

20.境界杭













陸軍境界杭。大門演習廠舎の周囲にはいくつか境界杭が残されています。これは南側にあるもの。

21.境界杭










偉Ψ涯界杭。川の側の畑の中、写真ではポリバケツの脇にあります。

22.陸軍境界杭













盈Ψ涯界杭。池の北側にあります。

23.陸軍境界杭













歌Ψ涯界杭。池の北側、流入路の側にあります。
その他、南西側にある神社の敷地内にもいくつかあるようですが、立ち入れなかったので確認できませんでした。

戦車第6連隊正門1










青野ヶ原演習場近くには、昭和15年に移駐した戦車第6連隊の正門が残されています。
戦車第6連隊正門2










向かって左側の門柱。
戦車第6連隊正門3










向かって右側の門柱。

青野ヶ原演習場の周囲には他にも姫路陸軍病院青野原分院の正門とか残されてましたが、私が訪問した時にはすでに撤去されていました。 

besan2005 at 10:33|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

加古川市の近代建築探索レポ日記

加古川市の近代建築の探索をしてきました。
加古川市は日本毛織のお膝元の街で、日本毛織関連の近代建築が数多く残されているため、そちらを期待して向かいました。
まずは、解体か保存かで揺れている名建築へ。

1.旧加古川町公会堂 加古川町本町 昭和10年 置塩章







旧加古川町公会堂。加古川市加古川町本町。昭和10年。
2.旧加古川町公会堂







最近まで図書館として使用されていましたが、図書館移転により現在は閉鎖。現在、解体か保存かで揺れています。
3.旧加古川町公会堂







設計は置塩章。
P1090467










大阪城内にある大阪陸軍砲兵工廠化学分析場を設計した人物としても知られています。こちらも解体か保存で揺れてますね。
3.旧加古川町公会堂ステンドグラス







正面の窓にはステンドグラスがあります。内部の写真を見たら中々見事なもの。閉館前に行くべきだったなと後悔。なんとか保存活用して欲しいところですがどうなるか・・・。
旧加古川町公会堂を後にし周辺を回ります。

4.吉田邸 加古川町木村 







Y邸。加古川市加古川町木村。
5.吉田邸







玄関部分が可愛らしいです。

6.ROOM2 看板建築 加古川町寺家町







ROOM2。加古川市加古川町寺家町。看板建築の商家をカフェに改装したもの。この日は中には入りませんでしたが、ネットで内部の写真を見たら中々洒落た雰囲気でした。
ここから西へと向かいます。

7.由利邸 加古川町木村







Y邸。加古川市加古川町木村。煉瓦の煙突がある住宅ですが、戦前かどうかは微妙かも。

9.日本毛織木村町社宅郡







日本毛織木村町社宅群。加古川市加古川町木村。大正〜昭和初期。同じデザイン・規模の住宅が10棟ほど建ち並んでいます。
8.日本毛織木村町社宅郡 加古川町木村 大正〜昭和初期







主屋は和風ですが、塀は洋風で、玄関脇の出入り口がアーチになってる等、中々洒落た造りです。
10.日本毛織木村町社宅







ベランダのある裏側。
11.日本毛織木村町社宅







基礎は煉瓦造りで古さがあります。
12.日本毛織木村町社宅







ベランダの持ち送り。戦前の雰囲気を色濃く残す社宅群ですが、すでに全戸空家のようで、半数は半壊している廃墟状態。近いうちに姿を消すかもしれません。

13.日本毛織社宅か 加古川町木村







N邸。加古川市加古川町木村。社宅群の隣にある住宅。
14.日本毛織社宅か







主屋が新しく見えたのでどうかなと思いましたが、付属屋や塀が戦前っぽく見えたので一応抑えることに。もしかしたら主屋は外観をリフォームしただけかもしれませんし。

15.宝湯 加古川町本町







宝湯。加古川市加古川町本町。現在は廃業されているようです。

16.合名会社神田陶器商店 加古川町本町







合名会社神田陶器商店。加古川市加古川町本町。古くて大きい建物。
17.合名会社神田陶器商店







かつては倉庫だったのでしょうか。
18.合名会社神田陶器商店







入り口部分はアーチ。木の扉が良い雰囲気です。

19.神田家住宅洋館 加古川町 大正期













神田家住宅洋館。加古川市加古川町。大正期。国登録有形文化財。神田家は煉瓦やタイルなどの生産をしていたようで、先に紹介した合名会社神田陶器商店の経営者のお屋敷と思います。
20.神田家住宅洋館













玄関部分には国登録有形文化財のプレートがあります。

21.友藤たばこ店 加古川町本町







友藤たばこ店。加古川市加古川町本町。昔ながらのたばこ屋さん。たばこ屋さんを兼ねた雑貨店もほとんど見なくなりましたねぇ。

22.旧銭湯 加古川町本町







旧銭湯。加古川市加古川町本町。玄関に店名があるのですが、肝心の部分が消えてしまっており、銭湯名は分からず。

23.本町倶楽部 加古川町本町







本町倶楽部。加古川市加古川町本町。公民館ですね。
24.本町倶楽部







外観と造りからして昭和初期とかでしょうか。
25.本町倶楽部







玄関部分には立派な看板が。

26.日本毛織社宅郡 加古川町本町







次に日本毛織の社宅群エリアに入ります。ここは凄かった。

27.日本毛織社宅 加古川町本町 大正期







日本毛織社宅洋館。加古川市加古川町本町。大正期。
28.日本毛織社宅







立派な洋館を持つお屋敷。
29.日本毛織社宅







社宅で洋館が付属する建物はここだけです。偉いさんの官舎だったんでしょうか。
30.日本毛織社宅郡







33.日本毛織社宅郡







この界隈は当時の社宅群や工員宿舎が多く残されており、戦前の街並みがそのまま残っている状態。これ、ロケ地にもそのまま使えるのではと思えるくらいでした。

34.日本毛織社宅倶楽部1号舎 明治31年







日本毛織社宅倶楽部1号舎。加古川市加古川町本町。明治31年。アメリカンスタイルの素敵な洋館。
37.日本毛織社宅倶楽部1号舎







日本毛織の社員の倶楽部建物です。
36.日本毛織社宅1号舎













玄関部分に彫り物の装飾が置いてありました。
20220211_092917







玄関脇にあるゴミ捨て場。

37.日本毛織社宅倶楽部2号舎 明治44年







隣には日本毛織社宅倶楽部2号舎があります。明治44年築。
38.1号舎・2号舎







明治の洋館が並び建つ姿は圧巻です。
ここから加古川を渡りさらに西へ。

39.船頭公会堂 米田町







船頭公会堂。加古川市米田町。外観は改修されてますが、昭和初期くらいかなと思います。
40.船頭公会堂倉庫







敷地内にある下見板張りの倉庫。

41.日本毛織印南工場門衛所 米田町 大正8年







日本毛織印南工場門衛所。加古川市米田町。大正8年。
42.日本毛織印南工場







45.日本毛織印南工場







43.日本毛織印南工場







印南工場の敷地内には大正期の煉瓦建築が数多く残されています。
44.日本毛織印南工場













特にこの給水塔と思われる煉瓦の塔は遠くからでも目立つランドマーク的な建物。可能ならば敷地内をじっくり見学してみたいなぁ。

45.東平津公会堂 米田町







東平津公会堂。加古川市米田町。こちらも船頭公会堂と同じく昭和初期かなと。
この先にある井ノ口公会堂を見に行ったのですが、残念ながら新たな公会堂へと建て替えられてました。再び加古川を渡り東へ。

46.中国銀行加古川支店 加古川町粟津







中国銀行加古川支店。加古川市加古川町粟津。どこのサイトも取り上げてないので戦後の建物と思います。
47.中国銀行加古川支店







しかし、最近では少なくなった古典様式の銀行建築。たとえ戦後でも貴重かなと。私自身、古典様式の銀行建築は好きですし。仮に最近の建物だとしたらセンスいいですね。
1.中国銀行姫路支店 白銀町







そういえば、姫路市でも同じ中国銀行の古典様式の姫路支店を見ました。

48.貴伝名邸洋館 加古川町粟津







K邸洋館。加古川市加古川町粟津。大きなお屋敷に付属する洋館。
49.貴伝名邸洋館







ここのお屋敷に住まわれている方、かなり珍しい名前の方です。

50.大村株式会社 加古川町







大村株式会社。加古川市加古川町。
51.大村株式会社







煉瓦造の社屋があり、裏側は赤煉瓦ですが、表側はスクラッチタイル張りになってます。
52.大村株式会社







大正期くらいですかね。
53.大村株式会社







水路を挟んで同時期の建築と思われる大きな木造の倉庫があります。
最期に加古川駅方面へ。

54.准田土地住宅 加古川町篠原町 昭和初期







准田土地住宅。加古川市加古川町篠原町。習わ初期。ゴシック風の窓を持つ洋館付き建物。
55.准田土地住宅













軒周りの装飾も華やかです。
56.准田土地住宅







壁にはよく洋館の門扉や玄関にあるノック用に付けられた鉄輪を咥えたライオンと同じ装飾が。

57.旧日本毛織加古川工場6番倉庫 加古川町寺家町 大正11年 







旧日本毛織加古川工場6番倉庫。加古川市加古川町寺家町。大正11年。
58.旧日本毛織加古川工場6番倉庫







かつてこの一帯には日本毛織加古川工場の煉瓦建築がいくつも建っていましたが、再開発で取り壊され、現在はこの1棟のみ。加古川工場で最大の煉瓦建物だった6番倉庫は再活用されています。

59







以上で加古川市の近代建築の探索終了。数年前より数は減ったものの、それでも数多くのレベルの高い近代建築が残されており、日本毛織のお膝元の街としての隆盛を感じ取ることが出来ました。


besan2005 at 07:59|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年02月06日

加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)

兵庫県の加東市と小野市にある近代建築を探索してきました。特に今回は北播磨地域を中心に活躍し多くの作品を残した内藤克雄の作品を多く尋ねる形となりました。西脇市の近代建築探索でもいくつか内藤克雄作品を見たので気になってはいました。
実は3年前に加東市の旧社町の方を探索してましたが、今回はそれ以外の地区小野市を補完する形で探索。まずは3年前の旧社町での探索分。
33.旧加東郡公会堂 加東市社 大正元年










旧加東郡公会堂。加東市社。大正元年。
34.旧加東郡公会堂










大規模な近代和風建築です。
35.旧加東郡公会堂










現在は明治館という施設に(完成は大正ですがw)。中に入りたかったけど閉まってました。
IMG_5298










玄関部分。めちゃいい感じです。中を見たかったなぁ。

36.旧社町公会堂 加東市社 昭和17年










旧社町公会堂。加東市社。昭和7年。
37.旧社町公会堂










ちょっと奥まったところにあって全体を捉え難いですが、昭和初期らしい雰囲気の良い洋館です。
38.旧社町公会堂










背面。
38.旧社町公民館の猫










屋根の上に可愛い三毛猫ちゃんがいました。

39.旧内山医院










旧内山医院。加東市上滝野。明治40年。
39.旧内山医院 加東市上滝野 明治40年










軽自動車1台がやっと通れるような感じの狭い路地の中に突如現れる白亜の洋館。
40.旧内山医院










明治の洋館らしい瀟洒なたたずまい。
41.旧内山医院










正面玄関。現在は個人宅のようですが、末永く残ってほしいです。

ここから今回の探索分(2022年2月5日探索)
1.旧東播銀行大門支店 加東市大門 明治9年







旧東播磨銀行大門支店。加東市大門。明治29年。
2.旧東播銀行大門支店







旧陸軍の演習場の宿舎だった大門廠舎(3年前に探索したけど記事をまだ書いてなかった!近日中に書きます)の近くにある洋館。明治期の建物らしく装飾に富んだ建物。しかしいつも前に車が停まってるのが・・・。3年前もそうだったなぁ。

3.沢辺営農組合格納庫 加東市沢辺







沢辺営農組合格納庫。加東市沢辺。他サイト等では取り上げられてない新たに確認した建物。
4.沢辺営農組合格納庫







一部改装されてますが、おおむねオリジナルの雰囲気を残しています。
5.沢辺営農組合格納庫







背面。建物の感じから旧公会堂ではと思います。となると、この地域の公会堂をいくつか手掛けた内藤克雄の作品の可能性も。

6.中古瀬公民館 加東市中古瀬







中古瀬公民館。加東市中古瀬。こちらも他サイトでは取り上げられてない新たに確認した建物。
7.中古瀬公民館







今回一番の収穫かも。建物のデザイン・造り・基礎を見ても間違いなく戦前物件。
8.中古瀬公民館







全体のデザインを見ると、この後巡る内藤克雄設計の旧東古瀬公会堂や旧浄谷町公会堂とよく似ています。詳細不明ですが、内藤克雄の作品の可能性があります。しかし、これほどの近代建築、なんでどこの近代建築サイトもスルーしてるんだろ。隣の地区の旧東古瀬公会堂はどこも取り上げてるのに。

8.旧東古瀬公会堂 小野市東古瀬 昭和10年 設計・内藤克雄







旧東古瀬公会堂。加東市東古瀬。昭和10年。
9.旧東古瀬公会堂







設計は内藤克雄。当時の外観が良く残されています。現在も公民館として現役。
23.長濱良三商店 加東市新定 昭和初期







長濱良三商店。加東市新定。昭和初期。
24.長濱良三商店







小さな集落に突如現れる立派な洋館。これも内藤克雄の設計。
25.長濱良三商店







玄関の看板。

26.旧東条町役場 加東市天神 昭和9年







旧東条町役場。加東市天神。昭和9年。
27.旧東条町役場







現在は個人宅。羨ましいw こちらも内藤克雄の設計。加東市の昭和初期の近代建築は内藤克雄がほとんど手掛けたんじゃないかと思うくらいの多さです。

次に小野市へと入ります。
10.内藤克雄設計事務所 小野市久保木町 昭和10年







旧内藤建築設計事務所。小野市久保木町。昭和10年。
11.内藤克雄設計事務所







内藤克雄の事務所兼自宅として自身が設計し建てたもの。当時の立派な洋館が残されています。
12.内藤克雄設計事務所













現在も多分ご子孫の内藤さんがお住まい。北播磨の近代に貢献したご先祖様のかつての本拠地の洋館を今も大切に受け継いでいらっしゃいます。

13.旧浄谷町公会堂 小野市浄谷町 昭和8年 設計・内藤克雄







旧浄谷町公会堂。小野市浄谷町。昭和8年。
14.旧浄谷町公会堂







こちらも内藤克雄の設計。先に訪問した中古瀬公民館・東古瀬公民館とよく似たデザイン。特に今回新たに確認した中古瀬公民館とうり二つで、中古瀬公民館が内藤克雄の設計ではと推測した理由の一つです。

14.本町の看板建築 小野市本町







本町の看板建築。小野市本町。

15.本町の看板建築







地方の町でよく見かけるシャッター通りと化したアーケードの商店街の一角にひときわ目立つ建物。意匠を凝らした正面にステンドグラスの窓。かつては洒落たカフェだったのでしょうか。
16.本町の看板建築







軒の装飾。

20220205_101527







この建物のあるアーケード通りと化した商店街もすでにシャッター通りを通り越し、商店は歯抜け状に壊され、跡地には新たに普通の民家がいくつも建てられていました。地元の商店街もですが、もう商店街としての機能は消え失せ住宅街へと変わりつつも、撤去費用の問題でアーケードは老朽化したまま放置状態。かつては雨でも傘無しでショッピングができると期待されて作られたアーケードが今では邪魔者でしかない状態になっているのは何とも皮肉なものです。時代の流れに合わなくなった地方のアーケード商店街はこうして消滅していくことでしょうね。

17.天理教加東分教会 小野市西本町







天理教加東分教会。小野市西本町。他サイトでは取り上げてませんでしたが、気になったので紹介。
18.天理教加東分教会







大和屋根風の大きく目立つ屋根。
19.天理教加東分教会







側面。昭和10年代とかでしょうかねぇ。


20.旧小野小学校講堂 小野市西本町 昭和11年 内藤克雄







旧小野小学校講堂。小野市西本町。昭和11年。

21.旧小野小学校講堂







西脇市の国指定重要文化財の西脇小学校校舎(未訪問)と並ぶ内藤克雄の代表作。現在は小野好古館。

22.旧小野小学校掲揚台 昭和15年







現・小野小学校の敷地内には、同じく内藤克雄の設計である昭和15年の国旗掲揚台があります。門扉が閉まってたため望遠での撮影ですが。

加東市・小野市の近代建築探索は以上となります。両市の近代建築探索ははからずも内藤克雄の作品を巡る形となったため、内藤克雄という建築家に少し興味が出てきました。個人的な感想としては1つの様式に捕らわれず用途や要望に応じて様々なデザインを卒なくこなす器用な人だったのかなと感じました。(逆に言えば作品に氏の個性があまり見受けられない・・・)
ともあれ、多くの内藤克雄の作品を見ることができた有意義な探索となりました。それに大物と言っていい新たな発見もありましたし満足な探索でした。

※余談。
28.廃墟カフェ 三田市四ツ辻 昭和26年







探索の帰りに気になってたカフェへ。兵庫県三田市の郊外にある、昭和26年築の旧医院を改装した「廃墟カフェ〜RUINS」へ。
29.廃墟カフェ







戦後建築ですが、中々良い雰囲気。外観はあえて改装せず古びた感じを残しています。
32.廃墟カフェ







元の玄関に残る大久保医院の看板。元々は本庄診療所という名前だったようです。

30.廃墟カフェ







内部はレトロでオシャレな感じに改装されています。
31.廃墟カフェ







柱に残る診察室の札。
FKzZ0AvakAQvQ6b







この日はオムライスを頂きました。卵を泡だて器で泡立て焼いた感じのようで、一風変わったオムライスでしたが、デミグラスソースを良くマッチした美味しさでした。

besan2005 at 08:27|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年01月31日

姫路市の近代建築探索レポ日記(姫路市街編)

0.姫路城







姫路市にある近代建築を探索してきました(2022年1月29日)。今回は姫路市街。姫路市には網干区に多くの良質な近代建築が残されていますが、今回は時間的に無理でしたので次回に。
まずは駅前の2号線に入り、そのまま西へ。

1.中国銀行姫路支店 白銀町







中国銀行姫路支店。姫路市白銀町。
近代建築のサイトに全然取り上げられてないので、戦後建築だと思います。恐らく昭和20年代後半かと。しかし、戦前の古典様式の雰囲気を残すこの建物のデザインは好きですね。

2.くにかね商店 白銀町







くにかね商店。姫路市白銀町。看板建築。

3.ひめしんリース 忍町







ひめしんリース。姫路市忍町。こちらも戦後建築ですが、外壁はタイル張りになってますね。

3.和洋折衷住宅 花影町







和洋折衷住宅。花影町。

4.山陽色素第二工場 千代田町 昭和6年







山陽色素第二工場。姫路市千代田町。昭和6年。かつては川沿いに大規模な煉瓦建物がありましたが、2013年に取り壊され、敷地内の奥に少し残るのみです。
山陽色素001









山陽色素002









20年ほど前に見学会で行ったときに撮影した写真。立派な煉瓦建築でしたが…。
北上し、姫路城方面へ。

5.洋館付き住宅 西新町







洋館付き住宅。姫路市西新町。
6.洋館付き住宅







かなり老朽化してますが、一応住人はいるようです・・・
ここから姫路城方面に向かうため東へ。

7.吉田洋服店 元町







吉田服装店。姫路市元町。

8.吉田洋服店







1階の木製の扉部分や窓部分は古そうです。ただ、正面は新しそう。現代の看板建築かな。

9.洋館住宅 龍野町







洋館住宅。姫路市龍野町。新しそうに見えます。ただ、センスはめっちゃいい!
ちなみにこの建物の向かいにかつては「澤田医院」というレトロな建物がありましたが、すでに更地になってました。

10.白鷺橋 本町 昭和8年







白鷺橋。姫路市本町。昭和8年。
13.白鷺橋







重厚な石造りの欄干は姫路空襲により高熱を受けボロボロになってます。
12.白鷺橋







反対側。
11.白鷺橋







全体。
14.白鷺橋













親柱の破損状況を見ると、いかに激しい熱を受けたか分かります。姫路空襲の状況を伝える貴重な建造物です。

15.旧第三十四銀行姫路支店 坂元町 大正15年







旧第三十四銀行姫路支店。姫路市坂元町。

16.旧第三十四銀行姫路支店







煉瓦造の重厚な銀行建築。現在は今井医院として大切に使用されています。

17.加藤邸 坂元町







K邸。姫路市坂元町。個人宅ですが、規模も大きく中々立派な住宅です。
18.加藤邸







かつては事務所建築か商店建築だったのでしょうか。


19.お食事処すず 綿町







お食事処すず。姫路市綿町。

20.お食事処すず







レトロな建物の食堂。他サイトの過去の記事を見ると、色んな店舗が何度か入れ替わってます。

21.旧逓信省姫路電信局 総社本町 昭和5年 







旧逓信省姫路電信局。総社本町。昭和5年。
22.旧逓信省姫路電信局







現在は姫路モノリスという施設になってます。

23.姫路護国神社の石造建物 本町 昭和13年か







姫路護国神社境内にある石造建物。姫路市本町。トイレかなと思い近寄って見つけた建物。
24.姫路護国神社の石造建物







軒周りのデンティル装飾を見ても古そうに見えました。姫路護国神社は昭和13年創建とのことで、この建物もとりあえず昭和13年としておきます。公式サイト含め色々調べましたがこの建物の素性は分からず。休憩所でしょうか。よく見たら、空襲で破損した痕を補修したような部分も見えます。

25.姫路カトリック教会ザビエル館 本町







姫路カトリック教会聖ザビエル館。姫路市本町。旧陸軍第10師団司令部跡地に建てられている教会。師団司令部の付属建物を流用した可能性を考え、色々調べましたが、どうやら戦後建築のようです。外観は古そうに見えたんですけどねぇ。

26.旧陸軍第10師団長官舎 本町 大正13年







旧陸軍第10師団長官舎。姫路市本町。大正13年。こちらは正真正銘の旧陸軍の建物。
27.旧陸軍第10師団長官舎







オシャレな洋館です。かつては日本建築の主屋が接続していました。
28.旧陸軍第10師団長官舎郵便受け













正門の門柱にある木枠の郵便受け。

29.旧陸軍第10師団兵器庫・被服庫 本町 明治38年







旧陸軍第10師団兵器庫・被服庫。姫路市本町。明治38年。
30.旧陸軍第10師団兵器庫・被服庫







現在は姫路市美術館として使用されています。
0.姫路城







1枚目の姫路城は、この近くから撮影したもの。さすがに大きいです。
ここから姫路城の北側へ。

31.児島邸 坊主町







K邸。姫路市坊主町。
32.児島邸







可愛らしい小さな洋館付きの住宅です。

33.上月邸 坊主町







K邸。姫路市坊主町。大きなお屋敷に付属している洋館。

34.深沢邸 八代町







F邸。姫路市八代町。こちらも大きなお屋敷に付属する洋館。シャッターの目が粗いので、シャッター越しじゃない写真も撮ることは可能でしたが、さすがに不審者過ぎるので断念(笑)

35.山田邸 八代町







Y邸。姫路市八代町。
36.山田邸 八代町







白亜の洋館が付属しています。

37.西山邸 八代町







N邸。姫路市八代町。
38.西山邸







可愛らしい洋館が付属する住宅。この辺りは洋館付き住宅が多く存在します。
ここから東方面へ。

39.町裏浄水場 八代町 昭和4年







町裏浄水場。姫路市八代町。昭和4年。浄水場内に当時の洒落た建物が残されています。
しかし、立ち入り禁止なので、外からフェンス越しにズームして撮影。
40.町裏浄水場







管理棟?の洋館。かなりレベルの高い洋館です。
41.町裏浄水場







これはポンプ室の建物かな? ここから西中島地区まで北上。

42.洋風商店 八代町







洋風商店建築。姫路市八代町。

43.旧神戸銀行野里支店 大野町







旧神戸銀行野里支店。姫路市大野町。古びた掲示板に神戸銀行野里支店の文字がありました。
44.旧神戸銀行野里支店







戦後建築でしょうが、中々雰囲気のある建物。神戸銀行は昭和48年に太陽銀行と合併。その後、太陽神戸三井銀行→さくら銀行となり、現在の三井住友銀行となりました。この旧神戸銀行野里支店の建物は最近までお茶を扱う店舗として使用されていたようですが、現在は空家となってます。

45.洋風商店 大野町







野里通りを北上。洋風商店建築。姫路市大野町。

46.洋館付き住宅 大野町







洋館住宅。姫路市大野町。

47.看板建築 大野町







旧看板建築。姫路市大野町。野里通りを抜けて西中島地区へ。

48.有方邸 西中島







A邸。姫路市西中島町。

49.有方邸







小さな洋館の付いた住宅。


50.塚本邸 西中島







T邸。姫路市西中島町。中々オシャレな洋館のある住宅。
51.塚本邸







出窓が可愛らしいですね。琥珀というカフェとしても使用されているようですが、残念ながらこの日は閉まってました。本来なら開いている日だったはずなんですが。洋館の中、見たかったなぁ。

52.田村邸 西中島







T邸。姫路市西中島町。
54.田村邸







こちらも可愛らしい洋館のついた住宅。洋館付き住宅は多いですが、それぞれに個性がありますね。

55.Harb 西中島







Harb。姫路市西中島町。スクラッチタイルの洋館。元事務所でしょうか。
再び南下し八代町方面へ。

56.井ノ奥邸 八代町







I邸。姫路市八代町。

57.井ノ奥邸







こちらも可愛らしい洋館の付いた住宅。

58.旧田靡製麺本社屋 八代本町 昭和7年







旧田靡製麺本社。姫路市八代本町。昭和7年
59.旧田靡製麺本社屋













現在は縁というカフェとして使用されており、建物の側に改修の経緯を記した説明板があります。
60.旧田靡製麺本社屋







屋根には田靡製麺の社号があります。

61.洋館付き住宅 八代本町







洋館付き住宅。姫路市八代本町。
62.洋館付き住宅







ちょっと奥にあるため一部しか見えないのが残念。

63.洋館住宅 北八代1丁目







洋館住宅。姫路市北八代1丁目。

64.旧姫路高校本館 新在家本町 大正15年







旧姫路高校本館。姫路市新在家本町。大正15年。現在は兵庫県立大学のゆりの木会館となっています。
65.旧姫路高校講堂 新在家本町 大正15年







旧姫路高校講堂。大正15年。本館・講堂とも敷地内からの撮影は出来なかったので、外から撮影。
ここから南下。

66.煉瓦倉庫 南八代町







煉瓦倉庫。姫路市南八代町。
67.煉瓦倉庫







民家の倉のようですが、中々立派な煉瓦の倉です。しかし、窓が全然ない・・・。

68.洋館付き住宅 鷹匠町







M邸。姫路市鷹匠町。庭木で見づらい・・・

69.清水邸 山野井町







S邸。姫路市山野井町。物凄いインパクトのあった洋館。
70.清水邸







3階建てというのも珍しいですが、その外観も中々のもの。しかし、どういう様式の建物なんでしょうね。ドイツ風?
ここから再び姫路城の東へ。

71.勝原薬局 竹田町 昭和2年







勝原薬局。姫路市竹田町。昭和2年。
72.勝原薬局







かなり立派で豪華な薬局。元医院かなと思いましたが、どうやら当初から薬局だったようです。
73.勝原薬局







塔屋部分の棟。
74.勝原薬局







しかし、立派な建物ですねぇ。昔はこの辺りのランドマークだったんでしょう。

75.旧姫路信用金庫同心町出張所 同心町







旧姫路信用金庫同心町出張所。姫路市同心町。後から知りましたが、以前は姫路信用金庫同心町出張所の建物だったようです。現在は個人宅?
76.旧姫路信用金庫同心町出張所







一見新しく見えますが、基礎周りや外壁、柱を見るとかなり古そうです。大正期まであるかもしれません。
77.旧姫路信用金庫同心町出張所







元々は姫路信用金庫同心町出張所以前から銀行だったのかもしれません。詳細が気になります。

78.五軒邸の住宅







五軒邸の住宅。姫路市五軒邸。
77.五軒邸の住宅







奥に洋館らしきものが見えます。

79.龍田邸 五軒邸







T邸。姫路市五軒邸。
80.龍田邸







姫路市内には洋館付き住宅が多く残ってます。まだ他にもあるかも。

81.大森邸 五軒町







O邸。姫路市五軒町。洋館住宅。門も当時のままのようです。
ここから播但線のほうへ。

82.サンエス石膏事務所 神屋町







サンエス石膏事務所。姫路市神屋町。大きな洋館の事務所です。
83.サンエス石膏事務所







ぱっと見、昭和初期とかの建物に見えますが、あるサイトでは戦後すぐの航空写真に見かけないとの情報も。移築してきたのかもという意見ですが…。
これにて姫路市街の近代建築探索終了。朝8時30分に探索を開始して、探索を終えたのが15時。6時間半休みなしのぶっ通しで歩き回ったため、さすがにヘトヘトに。時間とスマホのバッテリーの件もあり、本当は網干区へも行けたらと思ってましたが、さすがに断念。またの機会に回すことにしました。それでも下調べでは見つけてなかった建物を含め、多くの建物に出会えて楽しい探索となりました。

besan2005 at 11:02|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2022年01月25日

京都市南区の近代建築探索レポ日記

4年前の2018年4月28日に探索した時のものです。まずは、京都駅の線路南あたりを探索。
2鈴木組










鈴木組。京都市南区八条坊門町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館住宅。
3鈴木組










鈴木組社屋の側にある戦前の防火用水の貯水槽。タイルで「用水」の文字を書いてます。

18六大新報社










六大新報社。京都市南区戒光寺町。大正から昭和初期。
19六大新報社










スクラッチタイルの素敵な洋館。
20六大新報社













六大新報社は真言宗関連の出版社。とある用事で内部を見たことありますが、当時のままの階段とか残されてました。
次に当時方面へ。

4中村邸 南区東寺町 昭和初期










N邸。京都市南区東寺町。昭和初期。
5中村邸













2階部分に当時の雰囲気が残ってます。

6武田邸 南区八条内田町










T邸。京都市南区八条内田町。スクラッチタイルの洋館。昭和初期でしょうか。

8無表札










無表札の建物。京都市南区八条源町。昭和初期。元事務所っぽい雰囲気の洋館です。

9大藪邸洋館 南区唐橋平垣町 大正期













O邸。京都市南区唐橋平垣町。大正期。町家建築の背後にある大きな洋館。
10大藪邸













こんなすごい洋館が残ってるとは…
11大藪邸










遠景から。お屋敷もかなり広大です。

12戦前のアパートか 南区吉祥院九条町










戦前のアパート? 南区吉祥院九条町。
13戦前のアパートか










蔦に覆われてしまってます。今でも住人がいるのでしょうか。

14浅田邸 南区東九条烏丸町 昭和初期










A邸。京都市南区東九条烏丸町。昭和初期。洋館付き住宅ですが、洋館部分も大きくベランダ部分も立派な造りです。

15洋風ビル 南区東九条烏丸町













洋風のビル。京都市南区東九条烏丸町。閉まっていたので今の用途は分かりませんでしたが、スクラッチタイルと軒周りの装飾で戦前物件と分かりました。
16洋風ビル













角地に建つビルで、三角形の平面プランになってます。

17稲垣医院 南区東九条北烏丸町 昭和初期










稲垣医院。京都市南区東九条北烏丸町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館医院。割と知られている建物ですね。

南区では吉祥院界隈は下調べの資料として使用した京都市近代化遺産調査報告書に掲載されてなかったので未探索ですが、もしかしたら残されている可能性もありますので、また探索してみたいと思います。


besan2005 at 18:41|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産

2022年01月23日

橿原市(大和八木周辺)・大和高田市・桜井市の近代建築探索レポ日記

2022年1月22日に大和八木駅周辺の橿原市から大和高田市、桜井市の近代建築を探索してきました。
まずは近鉄大和八木駅周辺から。
1.近畿リテールサービス西大寺管理事務所 内膳町 昭和16年







近畿リテールサービス西大寺管理事務所。橿原市内膳町。昭和16年。
2.近畿リテールサービス西大寺管理事務所







元々は変電所だったようです。


3.米田邸 八木町







Y邸。橿原市八木町。
4.米田邸







大きな洋館付き住宅です。
5.米田邸







大きなお屋敷です。

6.司学舎 八木町







司学舎。橿原市八木町。看板建築の建物。元商店と思いますが現在は学習塾。

IMG_3720











IMG_3721










八木町には古い商家の建物が残されています。

7.和洋折衷住宅 八木町







和洋折衷の住宅。橿原市八木町。
8.和洋折衷住宅







中々良い感じです。元医院とかそんな感じでしょうか。

9.畝傍高校 八木町 昭和8年







畝傍高校北館。橿原市八木町。昭和8年。北館と南館が残ってます。戦時中は海軍経理学校橿原分校として使用されたとか。機銃掃射の痕もあるようです。今回は見学許可を得てないので敷地外からの撮影ですが、いつかじっくり見学できる機会があれば・・・
10.畝傍高校資料館 昭和61年復元







その畝傍高校の敷地にある木造の建物。記念館らしく戦前のものかと思いましたが、昭和61年の復元だとか。

11.八木町の住宅







八木町にある住宅群。どことなく洋風の雰囲気。戦前の分譲住宅だったんでしょうか。

12.JR畝傍駅 八木町 昭和15年







JR畝傍駅。橿原市八木町。昭和15年。
13.JR畝傍駅







JR畝傍駅は紀元二千六百年記念事業で建てられた駅舎。
近鉄橿原神宮前駅も同じく紀元二千六百年記念事業で建てられています。
14.JR畝傍駅







貴賓室もあったようで、ここがその入り口かなと。
15.JR畝傍駅







駅舎入口の庇。
16.JR畝傍駅







内部も当時のまま。
17.JR畝傍駅







この木造トラスいいですね。今となっては少なくなった昔懐かしい木造駅舎。

18.旧六十八銀行八木支店 八木町 昭和3年







旧六十八銀行八木支店。橿原市八木町。昭和3年。
19.旧六十八銀行八木支店







いかにも戦前の銀行建築。現在はレストラン。

20.日本聖公会八木基督教会 南八木町 昭和11年







日本聖公会八木基督教会。橿原市南八木町。昭和11年。
21.日本聖公会八木基督教会







ロマネスク様式の教会ですが、どことなく和の雰囲気も感じられる素敵な教会。
22.日本聖公会八木基督教会







妻側の装飾。
次に今井町へ。

20220122_094545







寺内町として昔ながらの街並みが残されている観光地でもありますね。
そんな中にも洋館が。

23.濱田邸 今井町







H邸。橿原市今井町。
24.濱田邸







元医院だったそうです。大正から昭和初期頃でしょうか。
25.旧高市郡教育博物館 今井町 明治36年







旧高市郡教育博物館。橿原市今井町。明治36年。昭和4年からは今井町役場として使用。
26.旧高市郡教育博物館













現在は今井まちなみ交流センターとして使用。残念ながら2階は閉鎖。
橿原市の探索はここまで。再び大和八木駅へ戻り、大和高田市へと向かいます。


27.バーバーつちだ 大和高田市内本町







大和高田市最初の探索は、天神橋商店街から。まずはバーバーつちだ。大和高田市内本町。
28.バーバーつちだ







昭和初期でしょうか。軒周りには波模様があります。

29.ぜに宗 内本町







ぜに宗。大和高田市内本町。バーバーつちだの道を挟んだ向かい。

30.日本聖公会高田基督教会 本郷町 明治22年







日本聖公会高田基督教会。大和高田市内本町。明治22年。
31.日本聖公会高田基督教会







新しく見えますが、明治22年築とのこと。窓から内部が見えました。

32.堀江歯科医院 本郷町







堀江歯科医院。大和高田市本郷町。
33.堀江歯科医院







昭和初期くらいですかね。洋風建築ですがなんとなく土蔵造っぽい外観。

34.中央温泉 本郷町







中央温泉。大和高田市本郷町。まるでお寺か武家屋敷みたいな外観の銭湯。一応営業しているようです。

35.旧銭湯 北片塩町







旧銭湯。大和高田市北片塩町。中央温泉と同じ和風の銭湯。こちらは廃業。

36.和洋折衷住宅 北片塩町







洋風の外観の住宅。大和高田市北片塩町。

37.吉田邸 三和町







Y邸。大和高田市三和町。中々立派な洋館付きの住宅。
ここから再び内本町へ。

38.旧岡本歯科医院 内本町







旧岡本歯科医院。大和高田市内本町。
39.旧岡本歯科医院







町家風の外観ですが、よく見ると歯医者さんだった雰囲気が残ります。
40.旧岡本歯科医院







こちらは住居棟でしょうか。
岡本歯科医院







現在の岡本歯科医院も町家風の素敵な外観。

41.旧産業銀行高田支店 内本町 昭和2年







旧産業銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和2年。
42.旧産業銀行高田支店







堂々たる銀行建築。
43.旧産業銀行高田支店







現在は企業の社屋ですが、こうして大切に使われていると嬉しくなりますね。

44.三宅蒲団店 内本町







三宅蒲団店。大和高田市内本町。店名と電話番号は当時の物でしょうか。

45.旧吉野銀行高田支店 内本町 昭和8年







旧吉野銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和8年。
46.旧吉野銀行高田支店







ロマネスク風の銀行建築。現在は電気屋さんですが、大切に使われています。

47.旧宮城医院 内本町 大正15年







旧宮城医院。大和高田市内本町。大正15年。大正モダンな建物です。
48.旧宮城医院







宮城医院の文字。この本町通り沿いには多くの近代建築の建物が残されていて楽しい通りでした。他の建物が大切にされているので、この旧宮城医院も何か再利用されて欲しいですね。
大和高田市の探索はここまで。次に今回最期の探索地、桜井市へと向かいます。


49.櫻林亭洋館(冨田邸洋館) 桜井市桜井







櫻林亭洋館。桜井市桜井。駅前にある立派な洋館。
50.櫻林亭







小規模ですがハイレベルな洋館。大正期、もしかしたら明治期まで遡るかも。
現在は櫻林亭という宿泊施設となってますが、隣に「H」の表札がありもしかしたらH邸の洋館だったのかもしれません。

51.旧吉野銀行桜井支店 桜井 昭和5年







旧吉野銀行桜井支店。桜井市桜井。昭和5年。
52.旧吉野銀行桜井支店







最近改修されたようですね。以前の写真見ましたが、今の方がずっと素敵です。
現在はフレンチレストラン。

53.廃墟の建物 桜井







廃墟の建物。桜井市桜井。かなりボロボロ。元は工場の事務所だったんでしょうか。

54.スナツク1ねん1くみ 桜井







元スナックの建物。桜井市桜井。
55.スナック1ねん1くみ







「1ねん1くみ」というスナックだったようですが現在は廃業のようです。
外壁の下見板張りの感じ、2階のベランダの造りと持ち送りで戦前物件と判断。

56.桜井高校講堂 桜井 明治37年







桜井高校講堂。桜井市桜井。明治37年。
57.桜井高校講堂







煉瓦基礎の古い建物。記念館として残されているのでしょうか。歴史ある建物です。

58.旧藤桜会館 桜井 昭和16年







旧藤桜会館。桜井市桜井。昭和16年。
59.旧藤桜会館







桜井高校の敷地内にある建物。元同窓会館と思いますが、大切にされているようです。

60.洋風住宅 桜井







洋館住宅。桜井市桜井。
61.洋風住宅







下見板張りの住宅。昭和初期でしょうか。

62.日本聖公会桜井聖羅保教会 桜井 明治40年







日本聖公会桜井聖羅保教会。桜井市桜井。明治40年。

63.舟津書店 桜井







舟津書店。桜井市桜井。駅前にある看板建築。
今回の探索はここまで。ほとんどが割と知られている物件ばかりですが、初見の物ばかりで楽しい探索となりました。

橿原神宮駅前建物










今回時間の都合で橿原市の橿原神宮方面は探索はしませんでしたが、数年前に探索をしたことあります。ただ、その時の写真データを紛失してしまい、再び探索する必要が出てきました。その中でも現在は失われているこの建物の写真だけは残していたのは救いでした。


besan2005 at 20:25|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 奈良県 | 近代化遺産

2022年01月16日

松阪市の近代建築探索レポ日記

FHwsYzMaAAEfIG2







2021年12月29日の伊勢市の近代建築探索の翌日30日、宿泊地にしていた松阪市の近代建築探索を行いました。松阪駅の西側市街地一帯を中心に探索。

1.堀内邸 殿町










H邸。松阪市殿町。昭和初期頃かなと思われる洋館。
2.堀内邸










松阪市内でも一番立派な洋館住宅かも。

3.下見板の洋館 新座町










下見板張りの洋館。松阪市殿町。大きな洋館ですが、現在は空家。
殿町を一旦離れ、東方面へ。

4.魚元 白粉町










魚元。松阪市白粉町。

5.新道公会堂 大黒田町










新道公会堂。松阪市大黒田町。
6.新道公会堂










昭和初期くらいですかね。地方の集落でも時々見かけるスタイルの公会堂。

7.梶間邸 大黒田町










K邸。松阪市大黒田町。
8.梶間邸










洋館付き住宅が2棟接するように並んでいます。

8.洋館付き住宅 大黒田町










K邸近くの洋館付き住宅。松阪市大黒田町。
9.洋館付き住宅










この一帯は戦前に区画整理された住宅街だったのかもしれません。
再び殿町へ。

10.稲垣商会 殿町










稲垣商会。松阪市殿町。
11.稲垣商会










元々は個人宅だったのでしょうか。


12.赤壁校舎 殿町 明治41年










松阪工業高校資料館。松阪市殿町。明治41年。

13.赤壁校舎










元は三重県立工業学校製図室。通称・赤壁校舎。

14.御城番屋敷










赤壁校舎のある松坂工業高校の近くには、幕末に紀州藩士が詰めていた重要文化財の御城番屋敷群があります。
15.御城番屋敷










下級武士の住まいなので長屋造りですが、武家屋敷らしくちゃんと式台があります。
御城番屋敷は明治以後も旧藩士がそのまま住み続け、現在は藩士の子孫が現在も住みつつ維持に努めています。
16.御城番屋敷土蔵










御城番屋敷の土蔵。元々は松坂城隠居丸にあった土蔵を明治初期に現在地に移築したもので、松坂城で唯一現存する建物です。

17.洋館付き住宅 殿町










洋館付き住宅。松阪市殿町。御城番屋敷の側にある建物。

18.八千代 殿町 大正から昭和初期










料理旅館八千代。松阪市殿町。大正から昭和初期に建てられた大規模な料理旅館。
19.八千代










背面から八千代大広間。八千代は国登録有形文化財となっています。

20.中井珠算簿記学校 殿町










中井珠算簿記学校。松阪市殿町。
21.中井珠算簿記学校










戦後建築の可能性もありますが、昭和10年代のモダニズム建築で良く見られる雰囲気の建物なので、玄関部分のデザインも考慮してここは戦前の建物としておきます。門柱は確実に戦前。
阪内川を越えて北方面へ。

22.矢野邸 西之庄町










Y邸。松阪市西之庄町。洋館付きの大きな住宅。
23.矢野邸










洋館部分。応接室だったんでしょうね。

24.旧鐘紡綿糸松阪工場 外五曲町 大正12年










旧鐘紡綿糸松阪工場。外五曲町。大正12年。
25.旧鐘紡綿糸松阪工場










現在は松阪市文化財センターの展示施設となっています。

27.松坂城










再び阪内川を渡り、松坂城へ。
28.松坂城










蒲生氏郷が築いた松坂城は城内に建物こそ残されていませんが、縄張はほぼ完全に残され、かつての威容を感じ取ることができます。その城内にある建物。
26.旧飯南郡図書館 殿町 明治45年










松阪市立歴史民俗資料館。松阪市殿町。明治45年。元は飯南郡図書館だった建物。
立派な近代和風建築です。
松阪市は前日探索した伊勢市よりも近代建築の数は少なく感じました。それでも色々な建物に出会えたのは良かったです。ただ、数年前まで存在していた白粉町にあった大正時代の旧松阪水力電気本社の洋館がすでに取り壊されて見ることができなかったのが残念でした。他サイトの写真を見たら、いかにも大正期らしい素敵な洋館だったのに。

ところで・・・・
30.清水歯科










探索中に見かけたこの怪しげな城。最初に見たときは料理旅館か(アレな)ホテルかと思いましたが、気になるので表側に回り込むことに。
31.清水歯科













なんと歯医者さんでした。それでも城郭風の表門と唐破風のあるビル。そして背後の天守閣風の建物で、元々は料理旅館とかの別の建物を再利用したのではと思ってました。
32.清水歯科










現在は廃業され、背後の天守閣風建物は半ば廃墟化してました。で、後程知った事実。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にて紹介されていたようで、それによると、清水歯科の先代の院長さんが戦時中に特攻兵器の人間魚雷「回天」で戦死された長男の供養として建てたもので、「回天山暁ノ城」というそうです。※参照ツイート。
経緯を知るといろんな思いの詰まった建物になるわけですが、すでに廃業され廃墟化が進むこの城、いつまで存在し続けるか分からない状態になってきています。

besan2005 at 09:15|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2022年01月15日

伊勢市の近代建築探索レポ日記

昨年末(2021年12月29日)に三重県伊勢市を探索してきました。まずは近鉄伊勢駅北側から。

1.山口歯科医院 宮後2丁目










山口歯科医院。伊勢市宮後2丁目。

2.山口歯科医院










中々意匠を凝らした外観をしています。

3.山口歯科医院










建物自体は木造の建物にモルタル外壁で洋風のデザインを造ってますね。
次に東へ向かい河崎地区へ。


IMG_3451










IMG_3443










河崎地区は昔ながらの町家の建物が今でも多く残されている街並みです。


4.町家バル煉瓦建物 河崎2丁目










町家バルという町家を再利用した飲食店の敷地に残されている煉瓦建物。

5.町家バル煉瓦建物










古いものではありますが、用途は不明です。


6.竹内邸 河崎2丁目










T邸。伊勢市河崎2丁目。洋館付き住宅。
7.竹内邸










見難いですが洋館部分。

8.洋風卯建の住宅 河崎2丁目










巨大な洋風卯建のある町家。伊勢市河崎2丁目。
9.洋風卯建の住宅










かなりのインパクトです。

14.煉瓦倉庫 河崎2丁目










煉瓦倉庫。伊勢市河崎2丁目。

15.煉瓦倉庫










かつての工場か何かの煉瓦倉庫で大正くらいでしょうか。河崎地区を後にし南へ。

10.伊藤邸 吹上2丁目 大正〜昭和初期










I邸。伊勢市吹上2丁目。大正から昭和初期。伊勢市でも屈指の洋館。
11.伊藤邸










別角度から。
12.伊藤邸










左側の洋館。ドイツ風?でいいのかな?
13.伊藤邸










良い建物でした。次に伊勢神宮外宮方面へ。

16.山田館 本町 昭和2年










山田館。伊勢市本町。昭和2年。
17.山田館










外宮参道線に面する大型の近代和風建築。
18.山田館










玄関の唐破風部分。

19.旧山田郵便局電話分室 本町 大正12年










旧山田郵便局電話分室。伊勢市本町。大正12年。
20.旧山田郵便局電話分室










山田守の設計。スパニッシュ風のオシャレな外観。
21.旧山田郵便局電話分室










中庭部分。現在はレストランになってます。
外宮から西方面へ。

22.大豊和紙工業 大世古1丁目










大豊和紙工業。伊勢市大世古1丁目。
23.大豊和紙工業










古い木造の工場建築が残されています。
IMG_3493










工場入口にある石碑。伊勢神宮に和紙を納入していた工場のようです。

24.神都製紙事務所 大世古










神都製紙有限会社事務所。伊勢市大世古1丁目。近代和風建築の建物。

25.田中病院事務所 曽祢










田中病院事務所。伊勢市曽祢。元個人宅だったと思われる洋館付き住宅。

26.五月園 曽祢










五月園。伊勢市曽祢。

27.工場事務所か 曽祢










曽祢地区にあった気になる建物。工場の事務所建築でしょうか。

28.ゴブリ文具店 曽祢










ゴブリ文具店。伊勢市曽祢。
29.ゴブリ文具店










2階部分は改装されていますが、1階部分は当時の面影が残されています。
再び伊勢市駅方面へ。

30.伊勢市駅跨線橋 吹上










JR伊勢市駅の跨線橋。
31.伊勢市駅跨線橋













跨線橋の柱が戦前の物と思われる鋳鉄柱でした。
32.伊勢市駅跨線橋










同じ伊勢市駅にあるもう一つの戦前と思われる跨線橋。
次に東に向かい宇治山田方面へ。

33.宇治山田駅 岩淵 昭和5年 久野節










近鉄宇治山田駅。伊勢市岩淵。昭和5年。設計・久野節
34.宇治山田駅










伊勢神宮の参宮駅として建てられた大きな駅舎。伊勢市を代表する近代建築。
35.宇治山田駅










宇治山田駅内部のホール。当時の雰囲気が良く残されています。
36.宇治山田駅










この日も賑わってましたが、開業当時も多くの人で賑わってたことでしょう。
戦時中、宇治山田駅周辺は激しい空襲に晒されました。
このまま内宮方面へ。
37.神都印刷株式会社 岩淵










神都印刷株式会社。伊勢市岩淵。看板建築ですかねぇ。外宮近辺で見た神都製紙の関連会社かな。

37.神宮徴古館 神田久志本 明治42年 片山東熊


 







神宮徴古館。伊勢市神田久志本町。明治42年。伊勢市を代表する近代建築。
38.神宮徴古館










設計は赤坂離宮や京都国立博物館旧本館や東京国立博物館表慶館、奈良国立博物館旧本館を手掛けた片山東熊。いかにも片山東熊らしい宮廷建築です。
39.神宮徴古館










神宮徴古館は伊勢神宮の宝物等を展示する博物館として建てられました。
40.神宮徴古館










神宮徴古館正面玄関。かつては中央部分にドームがありましたが空襲で焼失しました。

47.神宮農業館 神田久志本 明治38年 片山東熊










神宮農業館。伊勢市神田久志本町。明治38年。こちらも片山東熊の設計。
47.神宮農業館 神田久志本 明治38年 片山東熊










神宮農業館は片山東熊作品では珍しい木造建築。
48.神宮農業館










神宮農業館は神宮と農産に関わる展示をしている博物館です。
次に皇學館大学の敷地へ。
41.神宮文庫 神田久志本 大正14年










神宮文庫。伊勢市神田久志本町。大正14年。
42.神宮文庫










神宮文庫は伊勢神宮が所蔵する図書を扱う図書館。
43.神宮文庫










洋風の外観に和風の千鳥破風を設けた和洋折衷の建物です。

44.皇学館大学記念館 神田久志本 大正8年










皇學館大学記念館。伊勢市神田久志本町。大正8年。
45.皇学館大学記念館










現在の皇學館大学の前身である神宮皇學館の本館だった建物。
46.皇学館大学記念館










全体的に近代和風建築の建物ですが、一部洋風の意匠が見れます。
いよいよ伊勢神宮内宮方面へ。

49.神宮道場 宇治浦田町 明治35年 伊東忠太 










神宮道場。伊勢市宇治浦田町。明治35年。伊東忠太の設計で旧神宮司庁。門は閉じてて見れず。

50.灯りの家 宇治中之切町










灯りの家。伊勢市宇治中之切町。
51.灯りの家










昭和初期頃の元郵便局とかだったのでしょうか。棟瓦に〒マークがあります。現在は雑貨屋さん。
52.灯りの家










2階部分の屋根にある持ち送り。これ、私の実家にある持ち送りと同じもの。
実家の持ち送り2







実家の持ち送り。
実家の持ち送り







昭和初期頃に全国的に流行った「文化持ち送り」というものだそう。

53.ゑびや商店 宇治中之切町










ゑびのや商店。伊勢市中之切町。外観の装飾が豊かな看板建築。
IMG_3577










おかげ横丁はすごい人でした。赤福本店なんて2時間待ち・・・
54.伊勢神宮










もちろん伊勢神宮内宮へも参拝。29日でも人が多かったです。大晦日や元旦はどうなっていたんだろう。
宇治山田駅ホーム










内宮参拝後、再び宇治山田駅へ。ここから翌日の探索地、松阪市へと向かい一泊。
次回は松阪市の近代建築探索のレポ日記となります。伊勢市には湾岸地域の大湊町にも多くの洋館が残されているようで、今年中に探索したいと思ってます。
※翌日探索した松阪市の近代建築探索レポ日記を執筆しました。



besan2005 at 20:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年11月28日

加西市・川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街探索レポ日記

無題











兵庫県加西市の鶉野の地にあった姫路海軍航空基地の北西側に昭和19年、川西航空機姫路製作所の組み立て工場が完成しました。これが鶉野工場で、姫路製作所にて生産された局地戦闘機の紫電及び紫電改の部品を組み立て、テスト飛行するために飛行場の側に造られた工場でした。
姫路海軍航空基地や川西航空機姫路製作所鶉野工場に関しては多くの情報がネットで上げられているため周知のものでしたが、昭和22年の航空写真を見ると、姫路海軍航空基地及び川西航空機姫路製作所鶉野工場の西側、現在の新生町の場所が明らかに工員宿舎街と思われる区画整理され長屋型の横長の建物が建ち並ぶ一画があるのに気づきました。
昭和22年新生町











※国土地理院HP公開、昭和22年航空写真に写る工員宿舎街。
川西航空機姫路製作所鶉野工場に関してはネットで検索すると結構出てきますが、この新生町のエリアに関しては情報が無く確証は得られなかったものの、ストリートビューで確認した建物の造りは、過去に海軍工廠等で見かけた長屋型の工員宿舎の造りと酷似したものでした。

2第四寄宿舎










※参考・三重県亀山市、鈴鹿海軍工廠関分工場第四寄宿舎。

鈴鹿海軍工廠平田町官舎B-3










※参考・三重県鈴鹿市、鈴鹿海軍工廠平田工員宿舎。
20鹿原地区工員宿舎1










※参考・京都府舞鶴市、朝来第三海軍火薬廠鹿原工員宿舎。

8朝来中工員宿舎9










※参考・京都府舞鶴市、朝来第三海軍火薬廠朝来中工員宿舎。

2年前から目を付けていたエリアでしたが、今回、姫路海軍航空基地の見学会に参加するため加西市に赴く予定が出来たことと、紫電改展示館のボランティアスタッフのおじさんの証言から、このエリアは間違いなく川西航空機姫路製作所鶉野工場の工員宿舎街と確定できたため、探索レポ日記を作成することにしました。
姫路海軍航空基地跡遺構探索レポ日記(2021年6月16日探索)

川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎遺構位置図











※今回探索した川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街の遺構位置図。
工員宿舎街のうち、南側エリアの遺構はは全く残されていませんでした。
しかし、北側エリアはほとんどの建物が残されている上に、何件かは当時の面影が残され、かつての工員宿舎街の雰囲気を感じることが出来ました。
以下、遺構位置図に沿って紹介していきます。写真に写る各建物は位置図で確認してください。

2.全景










川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街の全景。東側から。
1.全景










正面入り口と思われる箇所。北から。
3.工員宿舎1










撮影方向 0貳嵋迷Δ砲△訶貔召猟未蝓
4.工員宿舎2










撮影方向◆この通りの工員宿舎はオリジナルの外観が比較的良く残されています。
IMG_3249










窓に小さなベランダを設けるのも当時の工員宿舎の特徴でもあります。
6.工員宿舎4










撮影方向。南側の部分はいくつか取り壊されています。
5.工員宿舎3










撮影方向ぁ
7.工員宿舎3










窓部分にオリジナルの雰囲気を残しています。
7.工員宿舎5










撮影方向ァ撮影方向△猟未蠅鯣紳仟Δ寮沼Δら撮影。

8.工員宿舎6










撮影方向Α9員宿舎の半分だけ残されてリフォームされています。
13.工員宿舎







撮影方向А撮影方向,猟未蠅糧紳仟Δ寮沼Δら撮影。こちら側は工員宿舎が両側とも良く残されています。
9.工員宿舎7










工員宿舎┳梓僂呂なり改修されていますが、プランは当時のままのようです。
9.工員宿舎8











工員宿舎押6瓩で確認するのを忘れていた建物。ただ、外観は大きく改修されているようです。
今回、韻鉢欧旅員宿舎の確認を逃してしまいました。
10.集会所か










建物魁昭和22年の航空写真にも同じ場所に建物が写ってますが、他の工員宿舎とは規模や造りが異なっています。
11.集会所か










建物海稜慳漫

IMG_3268










建物海慮軸愽分。建物の造り、基礎ともに戦前であることは間違いないと思います。
ここでは集会所と仮定しておきます。

その他、周辺で気になったもの。

IMG_3250











工員宿舎街の北側民家にあるコンクリート塀。戦前の造りの可能性があり、参考として撮影。
IMG_3251










その隣に建つ空き家。戦前の古民家ですが、庇部分の柱の造りが通常の民家にはあまり見られず、どちらかというと軍関係とか軍事工場関連の建物とかに見られるような感じなので、参考として撮影。
IMG_3259










新生町公民館の前にある花壇に転用されたコンクリート製排水溝。戦前の可能性があるため撮影。
素掘り池







工員宿舎街の北側の畑地にある方形の大きな素掘りの池。戦時中のものか分かりませんし、工員宿舎街との関連も不明ですが、気になったので。

新生町に残る川西航空機姫路製作所鶉野工場の工員宿舎群は空き家も目立ち、痛みも目立ってきている建物も多くあります。リフォームされている建物以外はいずれ無くなる可能性があると思われます。

besan2005 at 12:38|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

2021年11月23日

舞鶴市・五老岳防空砲台西尾根遺構探索レポ日記

IMG_2970










舞鶴の観光スポットとして有名な五老岳。舞鶴湾を一望にできるスポットとして現在公園化され、山頂には五老岳スカイタワー等が建てられています。かつてここには海軍の五老岳防空砲台がありました。
※写真は五老岳公園から望んだ建部山。建部山の山頂には明治期の建部山堡塁砲台の遺構があります。
五老岳防空砲台は昭和16年より工事が行われ、終戦時には12.7cm連装高角砲2門、8cm高角砲4門、探照灯や指揮所・待避所・兵舎・弾薬庫・発電所・油庫・各種倉庫などがあり、五老山全体を防空砲台施設とした大規模なものでした。
この五老岳防空砲台は戦後に米軍が撮影したカラーフィルムの映像が残されています。
※米国国立公文書館 情報管理局公開資料


YouTubeにUPされた映像。

8センチ高角砲










米軍が撮影した五老岳防空砲台の12.7cm連装高角砲。
南側砲座と照射指揮所










米軍が撮影した五老岳防空砲台。北側から南側を望む。手前の建物は照射指揮所。奥にあるのが南側の砲座。現在は五老岳公園および電波の中継局となり遺構は滅失しています。

五老岳防空砲台は前述の通り公園化され、五老岳スカイタワー等の観光施設が建てられたため、ほとんどの防空砲台時代の遺構が消滅しています。
昭和22年写真








国土地理院HP公開、昭和22年撮影の五老岳防空砲台
※赤丸が探索範囲。

10.滅失地下壕










20年ほど前までは現在の第1駐車場の遊歩道階段付近に、コンクリート製の地下壕施設が残されていましたが、駐車場の整備により現在は滅失しています。
※『京都の戦争遺跡をめぐる』(つむぎ出版 1996年)より引用。
現在は五老岳防空砲台の遺構は完全に消滅している物と思われましたが、ツイッターのフォロワーさんが探索。西尾根上にいくつか遺構が残されていることが判明。今回私も探索してみることにしました。

五老岳防空砲台西尾根遺構位置図










※探索により確認した五老岳防空砲台西尾根遺構の位置図。
1.平坦地










五老岳公園第1駐車場へ入る手前のカーブ、日本郵政所有のガードフェンスのある敷地の脇に共楽公園へと至る山道があります。そこを進んでいくと西尾根の各遺構が存在します。
まずは西尾根へと向かう階段を下ると現れる平坦地。昭和22年の航空写真にも写っているため、何かしらの施設があったと思われます。コンクリート等の構造物は見当たりませんでした。
2.陶製ケーブル覆い










尾根道の脇に転がっていた陶製のケーブル覆い。
3.陶製ケーブル覆い













恐らく常滑製。土管を半分にしたような形で、地下ケーブルを覆っていたものです。
近くに発電施設があったものと思われます。同じ物を舞鶴市の空山防空砲台の探索時に確認しています。
舞鶴市・空山防空砲台探索レポ日記
舞鶴市・空山防空砲台第一・第二聴測照射指揮所跡探索レポ日記

4.溝状遺構










尾根上を掘り込んだ形の溝状遺構。フォロワーさんによると、さらに西側にあった探照灯を引き出すための溝ではないかのこと。

5.機銃座










溝状遺構の北側にある窪地。

6.機銃座か










同じくもう一つの窪地。フォロワーさんによれば探照灯を防護するための機銃座ではとのこと。

7.発電機室壕










溝状遺構の先にあるコンクリート構造物。
8.発電機室壕










上から。
9.発電機室壕内部










入口は土砂が蓄積し、内部には入れませんが、開口部から撮影すると、奥までは土砂が溜まらず、
良好な状態で残されていることが分かりました。恐らく発電機室と思われます。となると、近くに冷却用の貯水槽や燃料庫が残されている可能性があります。
現在、五老岳防空砲台で唯一現存が確認されたコンクリート構造物です。

フォロワーさんの成果の後追いとなる探索ですが、完全に消滅したと思われる五老岳防空砲台の遺構がまだ現存しているという確認が出来たのは大きな成果だと思います。
※位置図に記している8cm高角砲座跡の確認を今回見落としてました。次回、貯水槽等の確認も含めて追加探索したいと思います。

besan2005 at 20:37|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年11月21日

旧亀岡商工会館内部探索レポ日記

1.外観










今年の10/17に探索した旧亀岡商工会議所。前回は内部には入れず外観のみの見学でしたが、
今回、内部でちょっとした展覧会が内部全体で行われていると知り、更には今回が最後の内部を見れる機会という事で、再び旧亀岡商工会議所へと向かいました。
旧亀岡商工会館は昭和33年に保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初で、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用され今に至ってます。数年前までは半地下の1階に店舗があり、各階の部屋の一部も事務所として利用されていましたが、老朽化が進み来年2022年2月に解体が決定しました。

※前回の探索レポ日記
旧亀岡商工会館探索レポ日記
あれから1ヶ月。一気に冷え込んだせいか、建物の外壁を伝う蔦は赤く紅葉していました。
2.2階案内










正面玄関は2階にあります。玄関エントランスの案内図。
3.2階階段













1階階段。横のスクリーンが特徴的です。
4.2階標識










2階の表示。レトロなロゴです。
5.2階エレベーター










2階の物品運搬用のエレベーター。
IMG_3041










エレベーターのボタン。もう長い間使われてなかったようです。
まずは1階を探索。
6.2階廊下










1階廊下。
7.2階廊下










反対側から。左側は改装されています。
65.2階トイレドア










レトロな「TOILET」の文字があるドア。
8.2階部屋










1階の部屋。やや改装されています。
9.2階部屋










比較的新しく見える机と椅子。ちょっとしたオシャレなホテルの洋室にも見えます。
10.2階部屋ガンプラ










机には何故かガンプラと
11.2階アルペジオ










アルペジオのコミックが置かれていました。
12.2階休憩室










別の部屋の休憩室の表示。保津川観光会館当時の表示でしょうか。レトロな字体です。
13.2階休憩室










内部は廃品とかか放置されかなり雑多になっていました。かつての従業員の休憩部屋だったのでしょうか。
14.2階部屋










1階の小部屋。秋の柔らかな光が差し込んでいます。
15.2階家族風呂










1階には宿泊施設として機能していた保津川観光会館時代の名残を残す箇所があります。
ドアに家族風呂の文字がある浴場。
16.2階家族風呂













こちらは小さめの浴場。
17.2階家族風呂










隣には大き目の浴場があります。
18.2階家族風呂










大浴場の窓。
19.2階家族風呂蛇口










洗い場の蛇口。かつては多くの宿泊客で賑わっていたのでしょうか。
20.2階家族風呂手桶










洗い場にはまだ木製の手桶が残されていました。
21.2階家族風呂










床には外から吹き込んだ落ち葉がもう使われなくなって久しい大浴場の床を彩っていました。
22.2階家族風呂浴槽










浴槽のタイル。今ではもうタイル張りの浴槽も見かけなくなりました。
23.2階家族風呂窓










保津川観光会館時代の姿を色濃く残す家族風呂跡。宿泊客で賑わっていた様子が目に浮かびます。
24.3階階段










続いて3階へ。階段の手摺などのデザインがまさに戦後モダニズムといった感じです。
25.3階階段










中々良い雰囲気の階段。
26.3階窓










3階廊下の窓。保津川が良く見えます。
27.3階窓










見晴らしは良かったのでしょう。
28.3階廊下










3階廊下。
29.3階窓










3階小部屋の窓。
30.3階客室廊下










3階廊下。3階は宿泊客の客室だったようで、廊下を挟んで両側に部屋が並んでいます。
32.3階客室洗面所










廊下の洗面台。こういうのを見ると、かつては宿泊施設だったんだなと感じます。
33.3階客室










旧客室。元々は畳等が敷かれていたのでしょうか。
IMG_3048










木製のドアは当時のままのようです。
35.3階客室窓










旧客室の窓。
34.3階客室廊下窓










旧客室から廊下側の窓を見る。
36.3階客室










別の客室。
37.3階客室窓










保津川が良く見えます。保津川側の部屋の方が割高だったのかもしれません。
38.3階客室窓










亀岡駅側の客室からは新しくできた亀岡サンガスタジアムと去年開業したサンロイヤルホテルが見えます。かつての宿泊施設から今の宿泊施設を眺める。
39.3階客室










客室から廊下側を望む。
40.3階客室










この客室は何か凄いことになってました。
41.3階会議室










3階廊下奥にある大部屋。
42.3階名札










最近までは事務室として使用されていたようです。
不在の文字が寂しく感じます。
IMG_3069










3階角部屋。恐らく和室だったと思われます。
43.4階階段










続いて4階へ。
44.4階階段










4階階段。戦後モダニズムは基本私にとっては範疇外ですが、この階段のデザインは気に入りました。
45.4階階段










この手摺の感じのよさ。しばらく眺めていました。
46.4階和室集会所













4階にある和室集会所。
47.4階和室集会所










和室という性質からか、他の部屋より痛みが大きいです。
48.4階和室集会所










それでもかつては凝った造りだったことが分かります。
天井は船底天井。保津川下りも意識して採用したのでしょうか。
49.4階和室集会所










床の間もあります。
50.4階和室集会所床柱













床柱も杉の絞り柱。結構いい材を使ってます。
51.4階和室集会所室内灯










天井の照明。
52.4階和室集会所縁側










縁側。
53.4階和室集会所室内灯組木










縁側の照明のカバーは組木細工といった凝りよう。
54.4階和室集会所塗り残し窓










床の間の横、平書院は塗り残し窓になってます。
保津川観光会館時代は宴会場としても使用されていたのでしょうか。
数寄屋造と書院造を合わせた本格的な和室です。
55.4階廊下窓










4階小部屋から亀岡サンガスタジアムを望む。
56.4階洗濯場










4階洗濯室。宿泊客の浴衣などを洗濯していたのでしょうか。右のドアは便所。
57.4階廊下










4階廊下。右側は改修されて最近まで使われていたようで、セコムのロックがありました。
58.4階廊下窓から










4階廊下から外を眺める。
59.4階大会議室










4階廊下奥にある大きな部屋。大会議室だったのでしょうか。
60.4階大会議室










何故かぽつんと置かれているレトロな扇風機。部屋自体は綺麗に管理されています。
61.4階小部屋窓










4階窓。
IMG_3088










4階角の大部屋。今はゴミで溢れていますが、かつては宴会場とかだったのかもしれません。
IMG_3087










残された牡丹の部屋名表と思われるもの。ちなみに一般客向けの食堂は1階にありましたが、今回は入れませんでした。食堂へは玄関とは別の入口があり、そこから入って利用していたようです。
62.4階階段













4階までを見学し外に出ます。
63.紅葉










1ヶ月前はまだ青々としていた木々の葉はすっかり色づいてました。
64.遠景










今回の内覧で本当の見納めとなる旧亀岡商工会議所。
約60年間、保津川下りの観光客等を見続けてきたこの建物は、来年2月に姿を消します。


besan2005 at 21:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 商業施設

2021年11月15日

宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠周辺位置図










宮津市の栗田半島にあり、昭和18年に開設した水上機の製造工場である第三十一海軍航空廠。
航空廠の周辺には、第三十一海軍航空廠の工員宿舎や官舎のあった場所がそのまま住宅地となり、
当時の建物が民家として多く使われていたり、跡地もコンクリートの基礎や便所、風呂場、洗濯場など
当時の遺構が多く残されています。

※過去の探索レポ日記
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記
宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記
宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

ただし、航空廠のあった敷地自体は現在、関西電力のエネルギー研究所と農林水産センター海洋センターの敷地となり、航空廠の遺構はほぼ失われていると考えてました。
しかし、他の旧軍遺構サイトや最近得た舞鶴市所蔵の第三十一海軍航空廠の施設配置図を見ると、栗田漁港側と農林水産センター側の間にある丘陵を貫く感じで地下壕があったことが判明。そちらは恐らく残されていると考え、探索を計画しました。
ゲート







栗田漁港前は何度も行ったことあるのですが、このように漁港入口はゲートがあり、関係者以外立ち入り禁止の看板が立てられ、入れないものと思っていました。しかし、毎週土曜日以外は朝8時くらいから1時間程度漁港内で朝市が行われていることを知り、その間なら漁港内に入れる可能性を考え、事前に栗田漁港の事務所に確認を得て、11/14の日曜日早朝に向かいました。
何せ時間の制約があるため時間との勝負。とりあえず現地に6時30分くらいに到着しゲート前で待機。すでにゲートの鍵は開いており、事前の話では鍵が開いてたらゲート開けて入ってもいいと言われたけど、ここは待機(あとで地元の釣り客がゲート前に車を停めて普通に敷地内に入っていることを知る)。7時30分頃、ゲートが開いたので敷地内に入ることに。
第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











今回の探索結果による遺構位置図。まずは今回の一番の目的である地下壕の確認。

2.熱処理地下工場西口遠景










ゲートを通りまっすぐ進んだ突き当りの廃墟化したプレハブの建物の横に地下壕があります。
3.熱処理地下工場西口1










第三十一海軍航空廠地下壕西口。舞鶴市所蔵の施設配置図では熱処理地下工場となっています。
入口はコンクリートで塞がれてますが、結構大きな開口部であり、地下工場となると、内部はかなり広い空間があるのではないでしょうか。
4.熱処理地下工場西口2










上記の入口の北側、農林水産センターの敷地側にももう一つ入口がありました。
2連となっているようです。
隧道式の地下工場となっているため、農林水産センター側にも東口の開口部があるはずですが、農林水産センターの敷地は立ち入り禁止なので確認できませんでした。農林水産センターの敷地には自動車待避壕の記載もあり、そちらも現存している可能性があります。
今回の目的の地下壕入口の確認が出来たので、栗田漁港の敷地内をさらに探索。
5.滑走台










ゲートを通過してすぐの場所にある水上機滑走台。
6.滑走台










昭和22年の写真には、滑走台の背後に格納庫らしい大型の建物が写っています。
7.滑走台拡大










コンクリートが敷かれた滑走台。この部分はかつてのオリジナルと思われます。
詳しい方によると、交互に配置しているのは珍しいとか。

8.コンクリート部分










かさ上げ部分の下に残る当時のコンクリート。骨材は川砂利で、コンクリートの質から見ても当時の物と思われます。

さらに栗田漁港内を探索。
9.材料庫跡










舞鶴市所蔵の施設配置図には漁港の西側に材料庫が3棟あり、基礎等が残されていないか探索しましたが、見つけることはてきませんでした。
国土地理院の航空写真を見ると、昭和60年辺りから埋め立て等で栗田漁港の海側は大きく改変されており、その際に地下壕及び滑走台以外の遺構は滅失したと思われます。
第三十一海軍航空廠の遺構は前述の関西電力エネルギー研究所や農林水産センターの建設によりほぼ失われている中で、熱処理地下工場の地下壕入り口や滑走台が残されていることを確認できたのは一つの成果となりました。特に海側の滑走台は漁港で使用するのに都合が良かったのか、漁港改修の際にも失われず残されたのは奇跡と言っていいかもしれません。

besan2005 at 06:30|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年11月07日

池田市の近代建築探索レポ日記

2021年10月13日に探索した大阪府池田市の近代建築探索レポ日記です。
池田市には小林一三記念館はじめ結構近代建築が残っているようで、一度探索をしたいと思い出かけました。ちなみに隣町の兵庫県川西市にも大規模な洋館が残されています。そちらは後日。
まず、池田市の北端から。

2北村邸










K邸。木部町。昭和5年。
1北村邸 木部町 昭和5年










国道173号線沿いにある大きな洋館です。
3北村邸










裏側。
4北村邸車庫










車庫も当時のまま残っています。
国道173号線を南下。

5いけだピアまるセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正14年










いけだビアマルセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正4年
6いけだピアまるセンター










現在はコミュニティーセンターのようです。
7いけだピアまるセンター










車の通りが激しく、中々いい写真が撮れない・・・
国道171号線の西本町の交差点を東へ。

8落語みゅーじあむ 栄本町










落語みゅーじあむ。栄本町。判断に迷いましたが何となく古そうなので掲載。

9旧加島銀行池田支店 栄本町 大正7年










旧加島銀行池田支店。栄本町。大正7年。
10旧加島銀行池田支店










池田市内では稀少な煉瓦建築。
11旧加島銀行池田支店










加島銀行はNHKの朝ドラ「あさが来た」で主人公らが設立した加野銀行のモデルになった銀行ですね。
現在は別企業が使用しています。

12光フォトショップ 栄本町










光フォトショップ。栄本町。角地に建つ看板建築。
ここから商店街へ。

13旧池田電報電話局 栄本町 大正14年










旧池田電報電話局。栄本町。大正14年。

14旧池田電報電話局










スクラッチタイルのビル。近年までNTTが入ってたようですが、現在は空きビルのようです。
次に阪急池田駅の南側へ。

15大野邸 満寿美町










O邸。満寿美町。
16大野邸










マンションの隙間から洋館が見えました。昭和初期でしょうか。
17田中邸 満寿美町










T邸。満寿美町。洋館付き住宅の洋館部分が少し見えます。
ここから西にある室町地区へ。室町地区は阪急が開発した沿線の分譲住宅の1つで、今でもいくつかの近代建築が残されています。

18中野邸 室町










N邸。室町。
19中野邸










洋館付き住宅です。

20猪股邸 室町










I邸。室町。こちらも洋館付き住宅。室町地区の戦前の住宅は、洋館付き住宅がほとんどです。

21山口邸 室町










Y邸。室町。一見最近の住宅に見えますが、
22山口邸













細部を見ると、戦前の特徴が残されています。

23室町会館(旧室町倶楽部) 室町 明治44年










室町会館。室町。
24室町会館 昭和11年大改修










かつては室町倶楽部と呼ばれていた建物。
25室町会館










資料では明治44年築、昭和11年大改修とあり、それが正しいなら池田市でも最古級の近代建築になります。

26本多邸 室町










H邸。室町。
27本多邸










こちらも洋館付き住宅。
28本多邸













洋館部分。
29本多邸










通風孔らしいものがあったのでアップにしてみたら、ただの飾りでした。こういうのもあるんですね。

49岸本邸










K邸。室町。
50岸本邸










こちらも洋館付き住宅ですが、洋館部分が他の住宅と比べかなり立派です。
51岸本邸










洋館部分のアップ。

30坂井邸 室町










S邸。室町。大きなお屋敷です。
31坂井邸










蔵のような外観の洋風建物。内部は居住空間となっているようです。

32別所邸 室町










B邸。室町。

32洋館住宅 室町










建物の奥に見える洋館。室町地区では純粋な洋館住宅ですが、表札無し。BSアンテナがあるから空き家では無いと思いますが。
33洋館付き住宅 室町










無表札の洋館付き住宅。室町。
室町地区には他にも洋館付き住宅がいくつかあったようですが、私が廻った際はその何件かは見つけられず、取り壊されているようです。
室町地区を後にし、再び池田駅の北側へと出て東へ。

35池田泉州銀行本店










池田泉州銀行本店。城南2丁目。昭和27年。戦後建築ですが堂々たる古典様式の銀行建築。
36池田泉州銀行本店










20年くらい前はあちこちで見かけた昔の古典様式の銀行建築。近年はすっかり数が少なくなりました。
ここから北方面へ。

37中西邸 城南1丁目










N邸。城南1丁目。
38中西邸










奥まった場所にあり見づらいです。

39洋館付き住宅 上池田










無表札の洋館住宅。上池田。
40洋館付き住宅













2階建ての大きな洋館が付属しています。

42吉田邸










Y邸。上池田。
41吉田邸 上池田 コンクリートブロック造










大きな洋館が付属するお屋敷ですが、この洋館なんとコンクリートブロック造。
43吉田邸










コンクリートブロック造の建築と言えば、本野精吾と中村鎮。京都に本野精吾自邸や栗原邸、中村鎮建築事務所などが残されていますが、それと同じ造り。もしかしたら2人が設計に関わってたのかも。
※本野精吾邸一般公開レポ日記

そして、小林一三記念館へ。
44小林一三記念館 建石町 昭和12年










小林一三記念館。建石町。昭和12年。阪急グループ創始者の小林一三の自邸の洋館。さすがに豪華です。
45小林一三記念館










庭園側から。内部の居間や階段は豪華でしたが、撮影禁止のようなので外観のみ。ただし、他の部屋はかなり改造されており、それが残念でした。
46小林一三記念館










1階の食堂室は現在もレストランになってますが、要予約のようで断念。
47小林邸洋館










小林一三記念館の南隣にも洋館があります。こちらも小林一三の親族のお屋敷とか。
近代建築の探索はここで終了。最後に池田城を訪城しました。

池田城模擬天守1










池田城は在地領主の池田氏により築城されましたが、後に荒木村重が城主となりました。
どちらかと言えば、荒木村重の城としての方が有名かも。この時はコスモスが綺麗でした。
池田城模擬天守2










そしてこの天守。実際には無かった模擬天守なのですが、木造建築であり、外観も戦国期の雰囲気を出していて中々良い感じです。
池田城模擬天守3










模擬天守は展望台となっています。
池田城模擬天守4










模擬天守2階回廊から。木造であり外観の雰囲気もあって、戦国期の雰囲気を感じることができます。ただし、あくまで模擬天守。本来は無かったことをしっかり周知する看板が無いと勘違いする人がいそうですね。ともあれ、池田市のシンボルになっていることには間違いないようです。

besan2005 at 07:42|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 大阪府 | 近代化遺産

2021年10月23日

京都市・旧新道小学校、宮川町歌舞練場訪問レポ日記

1新道小学校正面










本日は京都市東山区にある旧新道小学校と宮川町歌舞練場を訪問しました。
新道小学校と宮川町歌舞練場は今年度中に取り壊され、跡地はNTT都市開発により大規模宿泊施設及び新歌舞練場を含めた一帯の開発が行われることとなり、旧新道小学校の一般公開が行われていることを知り、解体が始まった隣の宮川町歌舞練場と合わせて訪問することとしました。

2新道小学校










まずは旧新道小学校。現在残る建物は昭和11年から昭和12年に建てられた鉄筋コンクリート造の校舎。近年の少子化・ドーナツ化現象による児童数減少により平成23年に閉校しました。
その後は色んな団体等による再利用がされてきましたが、今回いよいよ再開発による取り壊しが決定しました。

3新道小学校










最近は閉校した小学校や中学校の校舎を再利用したり、もしくは一部保存して別の施設に建て替えという例が良く見られますが、旧新道小学校は全面建て替えとなりこの姿を見ることは出来なくなります。
今回、一般公開という機会を設けて頂いた関係者の方々には感謝です。
では、内部へ。

4新道小学校玄関










旧新道小学校玄関。

5新道小学校玄関タイル










玄関タイル。とても丁寧な仕事ですね。

6新道小学校平面図001













頂いたパンフにある旧新道小学校の平面図。

7新道小学校1階廊下










1階廊下。レトロな木造のドアや窓がいかにも戦前の学校建築といった雰囲気。

8新道小学校1階階段










1階階段。親柱と手摺は人造石かな。1階は入る箇所があまり無かったので2階へ。

9新道小学校2階廊下










2階廊下。
10新道小学校家庭科室










家庭科室らしいですが、キッチン無いですね。

11新道小学校2階廊下










曲がった先の2階廊下。

12新道小学校2階階段










2階階段。学校の階段・・・怪談では、4時44分とかにこの鏡の前に立つと、この世の者ではないものが写ったり・・・が定番ですね。
13新道小学校理科室










階段の先の突き当りにある理科室。

14新道小学校理科室










別角度から。

15新道小学校手洗い場










実験器具とかを洗ってた流し台。
16新道小学校理科準備室










理科室の隣の理科準備室。準備室とか懐かしい響き。
照明に貼られた「残置」の紙がいよいよ取り壊されることを物語ってます。

17新道小学校2階階段










2階階段から3階へ。

18新道小学校音楽室










2階の階段を上った3階のすぐ横にある音楽室。

19新道小学校音楽室










壇上で唄ったり演奏したりするためか、他の教室より教壇が広いです。

20新道小学校音楽室










合唱とかで唄ったりするため、児童側も段が造られています。丁寧な造りです。

21新道小学校3階廊下










3階廊下。

22新道小学校作法室










3階にある作法室。

23新道小学校作法室










格天井に付書院・床の間・床脇の天袋に地袋。違い棚は無いですが、教科書通りの書院造の和室。

24新道小学校作法室襖










作法室の襖。ちゃんと上部に欄間もある。

25新道小学校作法室天袋・地袋










床脇の天袋と地袋。違い棚がないですね。ちん潜りはあるのに。

26新道小学校作法室地袋










地袋の模様はカルタをあしらったもの。
26新道小学校作法室隙間













作法室は他の教室と同じ造りの中に入れ子状に和室を造ってます。
作法室







戦前の学校、特に女子教育ではお茶や生花、作法などの教育が盛んにおこなわれていました。
戦後も茶道部とかか使用していたんでしょうか。小学校の作法教室だと手を抜かずにちゃんと様式にのっとり丁寧に作られた書院造の作法室、しかも格天井という格式の高さ。こういった伝統的な部屋を手かけられるのは京都ならではでしょうが、学校側や職人がこの新道小学校の児童にはちゃんとした格式のある書院造の作法室でしっかり学んでほしいという願いがあったのかもしれません。

新道小学校講堂










校庭に出て講堂へ。
27新道小学校講堂










講堂はだいぶ改装されてましたね。新道小学校の紹介がビデオで流されてました。

28新道小学校講堂










講堂の窓。

31新道小学校校庭










再び校庭へ。かつては児童が休み時間で遊ぶ声で賑わっていたのでしょう。

29新道小学校














30新道小学校













訪問した日はいい天気で、風は寒かったものの、校舎内へは秋の柔らかな日差しが窓から差し込んできました。閉校し児童がいなくなった学校の建物は、他でも感じましたがやはり物寂しい感じがしますね。

続いて隣にある宮川町歌舞練場へ。

32宮川町歌舞練場










宮川町歌舞練場は大正5年に完成した大規模な近代和風建築で、春の京おどりの公演の場として知られていましたが、老朽化と旧新道小学校との一帯の開発により取り壊しが決定。訪問した時はすでに覆いがかけられていましたが、建物はまだ健在でギリギリ間に合いました。

33宮川町歌舞練場










反対側から。3年前の3月にこの一帯を探索し、新道小学校の前も通り写真に収めていたのに、なんで宮川町歌舞練場は写真に収めなかったのだろう…

34宮川町歌舞練場










大屋根部分。新たな宮川町歌舞練場もこの象徴的な大屋根を再現するらしいですが。

35宮川町歌舞練場階段
 









フェンスの隙間から。階段がちらっと見えます。

36宮川町歌舞練場










旧新道小学校の教室から見た宮川町歌舞練場。来年度には宮川町の歴史を伝えるこの象徴的な2つの建物は取り壊され姿を消します。


besan2005 at 20:10|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 学校建築

2021年10月17日

旧亀岡商工会館探索レポ日記

1亀岡商工会館










※11/21、内部の見学をしてきました。最後の内部公開です。

旧亀岡商工会議所内部探索レポ日記

亀岡駅南口にある亀岡サンガスタジアムの南側に半ば廃墟化した古いビルがあります。これは旧亀岡商工会館という建物で、昭和33年に完成した建物。老朽化により2022年2月末までに解体されることが決定しており、戦後建築ではありますが、記録に留めようと向かいました。
元々は保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初(噂では阪急嵐山駅から亀岡市まで沿線を延ばす予定があったとか)でしたが、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用されたとのこと。しばらくはそのまま宿泊施設・商業施設として使用されてたものと思われますが、私が知る限り(20年前)にはすでに半ば廃墟状態だったと思います。
2亀岡商工会館










近年まではテナントが1つ入り、あとは亀岡市関連の団体の事務所として使用されていたようですが、現在はほぼ使われていません。

3亀岡商工会館










亀岡商工会館の看板。

4亀岡商工会館










エントランス。自販機が現役で綺麗なのがミスマッチに見えます。

6亀岡商工会館










近年まで入っていたレストラン。

7亀岡商工会館










現在は看板も蔦に覆われ荒れ果ててます。

8亀岡商工会館










エントランスの照明。

5亀岡商工会館










エントランスの案内板。一応組合などの団体の文字がありますが、どうなんでしょう。もう訂正されずに放置されている気が。

9亀岡商工会館










内部。一応照明は点灯していたので、完全な廃墟ではないようです。

10亀岡商工会館










残存しているテナント名。花屋さんだったのでしょうか。

11亀岡商工会館










背面。元々は宿泊施設としても建てられた建物なのでかなり大きさがあります。
内部には当時の大浴場も残されているようです。※読売新聞記事より

12亀岡商工会館










裏側へ。
13亀岡商工会館










外階段が螺旋階段とは中々洒落てますが、ちょっと怖いかも。

14亀岡商工会館










裏側の2階以上はベランダになっており、かつての宿泊施設としての名残があります。
15亀岡商工会館










1階部分は広い空間で、売店か大食堂の空間だった感じに見えます。現在は希少生物の研究施設(アユモドキ)という張り紙がされていますが、ほぼ物置状態。

16亀岡商工会館













建物を一通り見て後にしました。昭和レトロ感と廃墟感を今に残す亀岡商工会館。あと数ヶ月でその姿を消していきます。

besan2005 at 09:09|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 商業施設

2021年10月11日

豊岡市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年4月28日に探索した際の日記です。
豊岡市は大正14年の北但大震災により豊岡市街は壊滅。関東大震災の例もあり、震災後豊岡市(当時は豊岡町)は震災復興事業として火災に強い不燃の建物を建てていきました。
現在も震災復興事業として建てられた昭和初期の建築物が多く残されています。
41中江種造邸








42中江種造邸







この日探索した近代建築の中に旧中江種造邸だった豊岡カトリック教会がありますが、
すでに独立した記事として書いてますので、こちらを参照してください。
豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記

まずは豊岡市中心街から。
※デジカメで撮影した写真が霞んだ感じで上手く撮れなかったので、スマホで撮影した写真を使ってます。

1豊岡市役所 中央町 昭和2年







豊岡市役所稽古堂(旧豊岡町役場)。中央町。昭和2年。国登録有形文化財。

2豊岡町役場








竣工当時の豊岡市役所。昭和27年に3階部分を増築して今の姿になりました。
3豊岡市役所










玄関ホール。ピアノが置いてあって誰でも弾けます。
4豊岡市役所







同じく玄関ホール。
5豊岡市役所













階段。豊岡市役所は新庁舎建設のため25m曳家して保存されました。


6旧兵庫県農工銀行豊岡支店 中央町 昭和9年 渡辺節建築事務所







旧兵庫県農工銀行豊岡支店。中央町。昭和9年。設計は渡辺節建築事務所。国登録有形文化財。
7旧山陰合同銀行豊岡支店













現在はレストランとして使用。入ってみたかったけど、ランチも中々のお値段で断念w

7京極湯 中央町







京極湯。中央町。旧兵庫県農工銀行豊岡支店の裏手のレトロな銭湯。
7京極湯2







現在は廃業しているっぽいですが、建物はいつまでも残ってほしいですね。
豊岡市のメインストリートである大開通りを西へ。

8アリス美容室 中央町 昭和初期







アリス美容室。中央町。昭和初期頃。
9アリス美容室













塔屋が特徴的な建物。

10大開通りの商店建築 中央町







大開通りの商店建築。昭和初期頃か。

11丸岡ふとん店 千代田町 昭和初期













丸岡ふとん店。千代田町。昭和初期。震災復興建築。

12つるや商店 千代田町 昭和初期













つるや商店。千代田町。昭和初期。これも震災復興建築。
大開通りから南の生田通りへ。

13経済協力会 千代田町 昭和初期







経済協力会。千代田町。昭和初期。
14経済協力会







左側1階部分が切り取られてガレージになっているなど改造はありますが、全体的に当時の姿を留めてます。

15洋館付き住宅の廃墟 千代田町







その隣にある倒壊寸前の洋館付き住宅。昭和初期頃か。
16洋館付き住宅の廃墟







良く残っているなと率直に思いました。かなり傾いてます。
17洋館付き住宅の廃墟







洋館部分。2021年現在、消失を確認。さすがにね・・・

18原邸 千代田町 旧医院か







H邸。千代田町。昭和初期か。

19原邸







現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。

20谷村邸 千代田町 元医院か 昭和初期







T邸。千代田町。昭和初期。装飾に富んだ建物で、元医院だった建物と思われます。
2021年現在、消失を確認。
再び大開通りへ。

21大開通の復興商店建築







大開通りの復興商店建築群。中央町。昭和初期。
22大開通の復興商店建築群







中々洒落てます。
23サルード 中央町













サルード。中央町。昭和初期。

24クロワッサン 中央町













クロワッサン。中央町。昭和初期。小さく可愛らしい建物。
25大開通の復興商店建築 中央町







ブティック・ストーク。大開通りの3棟並ぶ復興商店建築。中央町。昭和初期。

26大開通の復興商店建築 中央町







大開通りの2棟並ぶ復興商店建築。中央町。昭和初期。

27旧但馬銀行豊岡東支店 中央町













旧但馬銀行豊岡東支店。中央町。昭和初期。1階玄関周りに当時の装飾が残されています。
28大開通の復興商店建築







大開通りの和洋折衷建物。中央町。
29大開通の復興商店建築










大開通りの復興商店建築。中央町。昭和初期。モダンな建物。左隣に看板建築が並んでましたが、撮影し忘れ…。
ここから南北の通りである元町通りを北上。

30旧但馬貯蓄銀行 元町 昭和初期







旧但馬貯蓄銀行中支店。元町。昭和初期。和洋折衷の建物。
31旧但馬貯蓄銀行







後に高石医院として使用され、現在は豊岡画廊となっています。

32エンドー鞄 元町







エンドー鞄事務所。元町。昭和初期。スクラッチタイルの昭和初期らしい建物。

33橋本酒造 元町







橋本酒造。元町。昭和初期。全体的に和風ですが、1階腰回りを煉瓦積み風にしたオシャレな外観。

34橋本商店 元町







橋本商店。元町。昭和初期。双子の建物を1つにしてますが、元々は別店舗だったのでしょう。

35服部 小田井町 昭和2年







服部。小田井町。昭和2年。モダンな外観ですが、バルコニー、軒周りの装飾が凝ってます。
36服部







別角度から。
東の細い通りに入り南下。

37まるはSID 元町 昭和初期







まるはSID。元町。昭和初期。元は木和田商店事務所。いかにも昭和初期の建物。

38木和田商店 元町













木和田商店。元町。昭和初期か。銅板張りの商店建築。

39豊岡劇場 元町 昭和初期







豊岡劇場。元町。昭和2年。当時の装飾が現在も残されています。豊岡劇場は2012年にいったん閉館しましたが、2014年にクラウドファンディングによる募金等で再開。現在も映画館として稼働しています。
豊岡市中心街を離れ、南下。
40豊岡高校達徳会館 京町 明治29年







達徳会館。京町。明治29年。兵庫県指定文化財。旧豊岡中学校の本館で、現在は豊岡高校の記念館として保存されています。

以上で豊岡市の近代建築の探索を終了しましたが、参考にした近代建築のサイトに掲載されている建物のいくつかが失われていました。それとは別に確認できなかった建物、撮影を忘れた建物もあり、後日補完の意味を込めて再探索できたらと思います。  

besan2005 at 22:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2021年10月10日

伊根町・新井崎砲台跡、海軍監視施設(推定)探索レポ日記

無題









京都府伊根町にある新井崎砲台跡の探索レポ日記です。
新井崎砲台は舞鶴港の防衛のため、昭和10年に設置された陸軍の砲台で、21センチ加農砲が4門配備され、周辺には探照灯・弾薬庫・営舎などがあり、海軍の監視所もありました。
新井崎砲台













伊根町誌に収録されている新井崎砲台の配置図。
新井崎砲台遺構配置図









新井崎砲台遺構配置図。
現在、新井崎砲台跡地は砲台は新道により削り取られ消失していますが、それ以外の遺構がいくつか残されています。特に砲具庫などの建物が残されているのは貴重です。
1砲具庫










砲具庫。新井崎砲台跡に残されている唯一の木造建物。
2砲具庫










反対側から。
3砲具庫裏










裏側。現在は農機具倉庫になっていますが、当時の建物が今でも残されているのは貴重。
4油庫










砲具庫の横にはコンクリート造の油庫があります。
5井戸










砲具庫・油庫の前にある井戸。これも当時の物。
6井戸の上の境界杭













井戸の蓋の重しに再利用されている「陸」境界杭。
7井戸裏の石積










井戸の裏にある石積擁壁。
8貯水槽










砲具庫の裏に遺棄されたコンクリート製の貯水槽。
12便所










砲具庫の道を挟んだ畑の中にある便所跡の建物。コンクリート造の便所って珍しいかな。
9石積擁壁










10石積擁壁










農道脇に残る当時の石積擁壁。伊根町誌の配置図では、火薬置場や弾薬庫へと通じる道だった感じ。
道をたどって山側の方へ向かうと。
10防三六境界杭










境界杭が倒れていました。
11防三六境界杭










防三六の文字があります。ここから山中に入ると、
13観測所










観測所の跡が残されています。再び集落へ。
14防一八境界杭













防一八の境界杭。
15防一九境界杭













防一九の境界杭。
16陸境界杭










民家裏の畑に倒れている「陸」境界杭。他にも境界杭はありそうです。
さて、新井崎砲台の南の新井地区にも旧軍の施設跡があります。詳細は不明ですが、海軍の監視所や通信施設があったと言われています。以下、2018年11月23日に探索した際のレポ日記を再編集。

伊根町海軍関連遺構配置図









新井地区海軍関連施設遺構配置図。
新井崎砲台跡防火水槽1










新井崎砲台防火水槽2










新井集会所から集落側へ進むとある防火水槽。コンクリートの質や打設の感じが古そうなので撮影。
集落内を一通り見て回りましたが、遺構らしきものは確認できず。境界標柱とかあるかなと思ったのですが。次に向かったのが探照灯格納庫跡。
新井崎砲台探照灯格納庫1










新井崎神社の参道から経文岩への道を進むとコンクリートの壁が設置された大きな岩の洞穴に到着。
これは経文岩という古くからある洞穴ですが、ここに探照灯が設置されていました。コンクリートの壁はその時に設置されたものです。
IMG_0075













経文岩の説明板。普段は洞穴に探照灯が隠され、その都度引き出されていたようです。
新井崎砲台探照灯格納庫2










内部から。中はそこそこ広いです。
新井崎砲台探照灯格納庫4










探照灯格納庫のコンクリートの壁にあるボルト。
新井崎砲台探照灯格納庫5










壁はこれくらいの厚さ。
新井崎砲台探照灯格納庫3













内部にセメント瓦が1枚ありました。探照灯格納庫に関わる物でしょうか?
新井崎砲台探照灯格納庫6










壁の外側。黒い塗料が残されています。これは防空迷彩でしょう。戦時中は軍の施設はもちろん大型の建物には防空用として外壁を黒く塗られていました。
新井崎砲台見張り台1










探照灯格納庫の先は見晴らし台になってますが、手前の新しいコンクリートの擁壁の外側に古いコンクリートがあります。
新井崎砲台見張り台2










拡大。古いコンクリート擁壁には手摺の支柱らしき跡が残されています。断定はできませんが、コンクリートの古さから当時のものかもしれません。場所的に見張り台だったのかも。
新井崎砲台神社下擁壁










探照灯格納庫から見える新井崎神社の崖下にあるコンクリート擁壁。デジカメのズームで撮影し確認しましたが、打設の感じや古さから当時のものかもしれません。
新井崎砲台神社上コンクリ













新井崎神社の参道入り口の崖上にあるコンクリート構造物。こちらも古く気になったので撮影。
新井崎砲台コンクリート遺構群遠景










で、次に向かったのが新井集会所から探照灯格納庫へ向かう途中に気になっていた箇所。遠目で見ても明らかに整地をしたような地形が見て取れ、道らしきものが延びているので、この一帯を探索することに。薮の中をしばらく進むと・・・
新井崎砲台建物跡遺構1










なんと、コンクリートの基礎が!
新井崎砲台建物跡遺構2










どうやら建物の基礎のようですが、コンクリートは古く間違いなく海軍時代の関連遺構でしょう。
新井崎砲台建物跡遺構3










別アングルから。
新井崎砲台建物跡遺構4










コンクリートは探照灯格納庫と同じ感じの質です。鉄筋の跡が残されています。
昭和10年の時期ならコンクリートの質も戦時中ほど悪くはないでしょう。
新井崎砲台建物跡遺構5










建物の基礎は奥までまだ伸びているようですが何せ笹竹が生い茂っていて確認できず。
新井崎砲台建物跡遺構側コンクリート










建物跡遺構の海側にはコンクリートの擁壁らしきものが。同じ時期のものでしょう。
このコンクリート基礎の建物跡の北側辺りが比較的草木も少なく向こう側に回れそうなので、回り込んでみることに。
新井崎砲台推定弾薬庫跡1










目の前に現れたコンクリート構造物!
新井崎砲台推定弾薬庫跡2










これは凄い!見た瞬間鳥肌が・・・
新井崎砲台推定弾薬庫跡3










下の方には穴がいくつか空いてます。
新井崎砲台推定弾薬庫跡9













穴の断面。通風孔っぽいですね。壁の厚さは20cmくらいあったかも。結構分厚い。
新井崎砲台推定弾薬庫跡6










斜めからの俯瞰。コンクリートの壁の上には別の構造物が乗っかっていたようです。
新井崎砲台推定弾薬庫跡8










正面入り口側からの俯瞰。
弾薬庫プラン












簡単な平面図ですが、入り口は2ヵ所あるようです。

新井崎砲台推定弾薬庫跡5













入り口部分の壁。壁はコンクリートの下地の上に化粧モルタルを塗って整えてます。
中々手が込んでます。
新井崎砲台推定弾薬庫跡7










壁面全体には黒い塗料の跡が残されています。探照灯格納庫跡の壁にもあった防空迷彩の黒塗りの跡かと思われます。この建物は通信施設ではとのこと。
新井崎砲台弾薬庫跡側の建物跡










コンクリート建造物の南側、道側の場所にもコンクリート基礎の建物跡が。
新井崎砲台推定弾薬庫跡9










コンクリート建造物の側には古いガラス瓶や煉瓦片、瓦片、茶碗等が散乱していました。
緑の瓶はウイルキンソン炭酸の瓶。戦前からある清涼飲料水です。手前のはインクの瓶。いずれも瓶の形状やガラスの質・瓶の造りから戦前のもので間違いないと思います。赴任していた兵士が飲んだり使ったものでしょうか。瓦は一般の黒い瓦とは違う特殊なもの。海軍の建物の屋根を葺いていたものかもしれません。ちなみに最初に見たコンクリート基礎の建物跡の側で大日本麦酒の瓶を見つけました。関連の遺構は間違いなく戦前からのものと言えますね。
IMG_0114










先ほどのコンクリート構造物遺構群に隣接する道の脇に露出するコンクリート。
どうやらこの奥にも何かありそうですが、何せ薮で・・・。この日はあいにくの大雨でしたし。
新井崎砲台遺構か










コンクリート構造物の遺構群から北に少し進んだ場所に整地された箇所があります。明らかに建造物か構造物を建てるために整地した跡が見られますが、コンクリートの構造物は見られず断定はできません。
新井崎砲台遺構か2










平坦地へと延びる道の跡もありました。

新井崎砲台および新井地区の海軍関連施設遺構の探索は以上で終了。資料的なものは余り残されていませんが、現地には数多くの遺構が残されており、特に砲具庫などの建物が残されているのは貴重でした。


besan2005 at 09:19|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年10月09日

桑名市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月21日の探索分の記事です。
桑名市の近代建築と言えばジョサイア・コンドル設計の六華苑が有名ですが、それ以外にもいくつかの近代建築が残されていました。
まずは桑名駅から南下。

1松岡産業資料館 安永 昭和初期










松岡産業。安永。昭和初期頃。
2松岡産業資料館










昭和戦前期らしい中々雰囲気ある建物。ただ、この時はもう使われていなかった感じ。
資料館として使用されていたという話もありますが、不明。
3松岡産業資料館










2021年10月現在、この記事を書くためストビューで確認したら消滅していました。

4松岡邸 安永 洋館付き住宅










M邸。安永。松岡産業の隣にある住宅。
5松岡邸










洋館付き住宅です。

6松岡産業資料館近くの洋館 安永










松岡産業の近くにある洋風住宅。安永。ハーフチンバーの外観。昭和初期でしょうか。

7武藤外科医院 安永 昭和初期










武藤外科医院。安永。昭和初期。木造の割と大きな洋館。
外科医院だから病室もあったのでしょう。

9煉瓦造の三昧










武藤外科医院の近くの墓地にある煉瓦造の火葬場。和泉。
8煉瓦造の三昧 和泉













戦前の物であることは間違いないと思います。墓地内に造られた簡易火葬場は地域によっては「三昧」と呼ばれることも。煉瓦造だし中々良いデザインですが、火葬場という性質上、何となく近づきがたい雰囲気がw 桑名市にはもう一ヵ所墓地内の煉瓦造の火葬場を確認しています。
ここから北上。

10石取会館(旧四日市銀行桑名支店) 京町 大正14年










石取会館。京町。大正14年。旧四日市銀行桑名支店。国登録有形文化財。

11石取会館










現在は展示施設になっています。

12坂本木型木工事務所 京町










坂本木型木工事務所。京町。
13坂本木型木工










昭和初期頃でしょうか。壁面の装飾は社章ですかね。
14鍵助商店煉瓦倉庫 三之丸










鍵助商店煉瓦倉庫。三之丸。明治〜大正?
15鍵助商店煉瓦倉庫










探索していて突然目についた大きな煉瓦建物に驚き。
16鍵助商店煉瓦倉庫










拡大。諸戸邸の煉瓦倉庫並みの規模があります。当初から鍵助商店の建物だったのでしょうか。

17楽翁公百年祭記念宝物館 吉之丸 昭和9年













楽翁公百年祭記念宝物館。吉之丸。昭和9年。楽翁公は寛政の改革で知られる松平定信のこと。
老中引退後に息子の定永が桑名藩主となり、それに伴い、定信の藩士たちが桑名藩へ移封した縁で
顕彰の意味で建てられたもの。国登録有形文化財。

18楽翁公百年祭記念宝物館










鉄筋コンクリート造ですが、全体的に和風のデザインですね。
19楽翁公百年祭記念宝物館










玄関部分の照明の装飾。

20六華苑洋館 ジョサイアコンドル 大正2年










六華苑(旧諸戸清六邸)。桑名。大正2年。桑名市を代表する近代建築。ジョサイア・コンドル設計。国指定重要文化財。
21六華苑洋館










説明不要の名建築ですね。六華苑は初代諸戸清六の4男が自邸として諸戸邸に隣接して建てたもの。
22六華苑洋館










玄関ホール。

23六華苑洋館










1階食堂。
24六華苑洋館










2階階段。
25六華苑洋館










2階書斎。
26六華苑洋館










2階サンルーム。
27六華苑洋館










何度見ても素晴らしい建物。
次紹介するのは六華苑の南にある諸戸邸。初代諸戸清六の邸宅だったお屋敷。
実は諸戸邸の方は長期にわたる解体修復・整備事業で庭園を除き見学不可。あと、解体修復のために現在はその姿を見られなくなってます。
今回は業務で入った際に見せてもらったかつての姿と現在非公開の部分を紹介。

28諸戸邸主屋










諸戸邸主屋。解体修理前の2009年の撮影。明治22年築。
諸戸邸主屋










かつて諸戸家の主屋としてだけでなく、事務所としても使われていた建物。重要文化財。
諸戸邸主屋仏間天井










諸戸邸主屋の仏間の天井。一番格式のある部屋として使用されたようで、装飾を描き、漆塗りに仕上げた豪華な折上格天井。立ち合い時に撮影。
諸戸邸主屋客間










諸戸邸主屋の客間。付書院のある書院造の部屋。

32諸戸邸洋館







諸戸邸洋館。解体修理により蘇った洋館。明治24年築。
33諸戸邸洋館











34諸戸邸洋館










修理前の洋館の姿。黄色は当初の色だそうです。隣接する御殿と合わせて建てられました。御殿の方は写真が見当たらず。

31諸戸邸撞球場







撞球場。明治23年。解体修理後の撮影。
35諸戸邸洋室










諸戸邸主屋付属洋室。
36諸戸邸洋室










明治後期か大正期に増築されたもの。
37諸戸邸洋室内部










38諸戸邸洋室内部










39諸戸邸洋室内部










40諸戸邸洋室内部










内部の様子。
41諸戸邸洋室内部










天井。
42諸戸邸洋室内部










暖炉。この洋室の建物は現在解体修理中で見られません。
29諸戸邸煉瓦蔵










煉瓦蔵。明治28年。諸戸邸は現在長期修理・整備中で、全ての修復が終わるのはだいぶ先になるようですが、完成したらかつての豪奢なお屋敷の姿が見れることでしょう。
最後に偶然見つけた物件。


43大正天皇御銀婚式記念 東方 かつては火の見櫓あり










旭日の文様と「御銀婚式記念」の文字が彫られたコンクリートの建物。

46大正天皇御銀婚式記念










これは大正天皇の銀婚式を記念して建てられたもののようです。
45大正天皇御銀婚式記念










44大正天皇御銀婚式記念










かつては火の見櫓があったようです。
47大正天皇御銀婚式記念










内部は特に何もありませんでした。倉庫に使用されてたんでしょうか。

以上で桑名市の近代建築探索は終了。
実は他にもあるのですが、今回は時間の都合上行くことが出来ず。
特に諸戸家の3つ目の邸宅、諸戸徳成邸が保存運動もむなしく取得の予算等で折り合いが付かず、見ることが叶わず取り壊されたのは残念でした。


besan2005 at 12:26|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年10月03日

小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記(+後瀬山城・小浜城)

去年の2020年6月20日に探索した小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記です。去年の5月に新車に買い替え、せっかくだからとドライブがてらの探索でした。
まずは小浜市。コインパーキングに車を停め、西側から順に探索開始。

1都菓子舗 小浜鹿島 大正15年










都菓子舗。小浜鹿島。大正15年。
2都菓子舗










洋風の要素を持つ和菓子店です。

3高鳥歯科医院 小浜鹿島 大正14年 国登録










高鳥歯科医院。小浜鹿島。大正14年。国登録有形文化財。
4高鳥歯科医院










シャレた装飾のある地方の個人医院。
5高鳥歯科医院










玄関部分の装飾。当時はハイカラな建物の象徴だったんでしょう。

6白鳥会館 白鳥 明治22年










白鳥会館。白鳥町。明治22年。国登録有形文化財。
7白鳥会館










土蔵造の建物に洋風の煉瓦のアーチという擬洋風建築というか和洋折衷というか変わった建物。
明治21年の大火後に薬品製造販売会社の店蔵として建てられたものだそう。

8武藤写真館旧館 小浜竜田 大正13年 










武藤写真館旧館。小浜竜田。大正13年。当時のままの下見板張りの洋館。いい雰囲気。
ここから車で移動して、フィッシャーマンズワーフ方面へ。

9戦前建築か 小浜鈴鹿










途中で見かけた建物。小浜鈴鹿。
10戦前建築か










雰囲気的に、戦前建築で間違いなさそう。
ここから北上。
13日本聖公会小浜聖ルカ教会 千種 明治30年










日本聖公会小浜聖ルカ教会。千種町。明治30年。国登録有形文化財。
14日本聖公会小浜聖ルカ教会













設計はバーガミニー。小さな教会ですが、明治時代建築の貴重な建物。

11旧幼稚園 千種 昭和初期頃か










小浜聖ルカ教会旧幼稚園。千種。昭和初期頃。
12旧幼稚園










小浜聖ルカ教会のすぐ横の建物。旧幼稚園だったらしいですが、元々は司祭の住宅だったのかも。
ここから、南川・北川を渡り、小浜城方面へ。

15大手橋 城内 昭和14年










大手橋。城内。昭和14年。
16大手橋










南川に架かる今も現役の昭和戦前のRC橋。
17大手橋










大手橋の親柱にある竣工年の銘板。

18西津橋 山手 昭和14年










西津橋。山手。昭和14年。
19西津橋










北川に架かる橋で、大手橋と同じ年の竣工。
20西津橋










戦前のRC橋は雰囲気が良くて好きですね。
21西津橋













西津橋の親柱にある竣工年の銘板。

22小浜中学校旧図書館 雲浜 昭和11年 国登録










小浜中学校旧図書館。雲浜。昭和11年。国登録有形文化財。
23小浜中学校旧図書館










旧小浜尋常中学校の図書館だった建物。現在は洗心館という記念館。
ここから北にある住宅街へ。

29宮本邸洋館










M邸。山手。昭和初期か。偶然見つけた大きな洋館。
24宮本邸洋館 山手 大正から昭和初期か










植木の隙間から何とか撮影。相当な規模とレベルの洋館です。
27宮本邸洋館










同じく植木の隙間から。
26宮本邸洋館










門まで近づきましたが、人気が全然ない上に庭も荒れている…。一応表札はありましたが空き家っぽい。門柱はあったけど門扉はなし。
25宮本邸洋館










恐る恐る玄関前まで近づくことに。
28宮本邸洋館










玄関部分。警備会社のステッカーがありましたが、人気が全然ない上、所々痛みも。
一応管理されているようですが、常住されてないのかも。
というわけで、ここまでで退散。それにしても相当な規模とレベルの洋館。小浜市でも有数の近代建築の一つになると思います。
ちなみに今年(2021年)撮影のGoogleMapの航空写真を見たら、庭木が全て伐採され、作業用らしきワゴン車が2台停まってます。もしかしたら解体の日が近いのかも…。

30大下第三歯科医院 山手

 








大下第三歯科医院。山手。気になった建物。

31旧今村家住宅(田村邸) 山手 昭和7年










旧今村家住宅。山手。昭和7年。
33旧今村家住宅










ドイツ風(?)のオシャレな洋館住宅。
32旧今村家住宅










現在は別の方がお住まいですが、大切に住まわれているようです。

34大島邸 山手 昭和初期か










O邸。山手。昭和初期頃か。洋館付き住宅。
35大島邸










洋館部分のアップ。

36洋館付き住宅 山手










O邸の近くにある洋館付き住宅。昭和初期か。この近辺はこの建物を始め、旧今村家住宅、O邸などが集中し、戦前の住宅街だったようです。

小浜市の探索はこれで終了。他にもいくつかあるようですが、郊外にあったりしたので今回はスルー。
ここから西に向かい、高浜町へ。

37旧京都電灯高浜営業所 高浜町宮崎 昭和6年










旧京都電灯高浜営業所。高浜町宮崎。昭和6年。
39旧京都電灯高浜営業所










結構意匠に富んだ事務所建築にしては華やかな建物です。高浜町を代表する洋館。
38旧京都電灯高浜営業所










現在は高浜まちづくりネットワークという観光施設となっています。

40旧山口医院 高浜町事代 昭和8年










旧山口医院。高浜町事代。昭和8年。
41旧山口医院










いかにも戦前の地方の個人医院と言った雰囲気の洋館。しかし、私はこういった医院建築が好きですね。
42旧山口医院













玄関の装飾。独特な模様です。何という模様なんだろう。

43下見板張りの洋館 高浜町若宮










たまたま見かけた下見板張りの洋館。高浜町若宮。
44下見板張りの洋館










昭和初期頃かなぁ。


45旧劇場 高浜町事代










高浜町事代で見かけた大型の木造建物。戦前っぽい雰囲気で気になり観察してましたが、入り口の横にある小窓がチケット売り場のように見え、確証はないけど劇場か芝居小屋だったのではと推測。
ツイッターにてつぶやいたところ、元は「高浜座」という1960年代まで営業していた劇場だったという情報をいただきました。

旧高浜座










城山海水浴場の近くにあるこの旧高浜座。かつては近隣のみならず海水浴客も利用して賑わっていたのかもしれません。しかし今は廃墟状態。いずれ取り壊され町の記憶から消えていくのでしょうね。

以上で小浜市・高浜町の近代建築探索でした。

ここから攻城記録。
小浜市には知られている2つの城跡があります。1つは中世〜戦国期の後瀬山城。もう一つは江戸時代の小浜城。今回、その2つの城跡も訪問しました。
まずは、後瀬山城跡。
後瀬山城










後瀬山城は若狭国の守護大名、若狭武田氏の本拠地で、若狭最大級の中世城郭。山上に本丸等の城域を配置し、麓に現在の空印寺あたりに居館を設け守護所としました。
後瀬山城










若狭武田氏は丹後の守護大名、一色氏との戦いに勝利し、一時は若狭と丹後を支配する大名でしたが、越前の朝倉氏の攻撃により没落。後瀬山城は朝倉氏の支配となりましたが、織田信長との戦いで朝倉氏滅亡後は丹羽長秀が入城しました。
後瀬山城










現在、本丸周囲に残されている豪壮な石垣は、丹羽長秀が改修して造られたものです。
武田氏館跡










後瀬山城の麓にあった若狭武田氏の居館跡は江戸時代の京極氏時代に空印寺となりました。
若狭武田氏館整備図








空印寺の前にはかつて小学校がありましたが、移転により空き地となってました。ここも若狭武田氏の居館跡の一部で、案内板には史跡整備されかつての土塁や水堀・門を復元する予定のようです。

次は小浜城。
小浜城










小浜城は江戸時代初期にそれまでの若狭国の支配拠点だった後瀬山城に代わる城として京極高次により着工されましたが、完成を見ずして松江に転封。代わって入封した酒井忠勝が小浜城の築城を引き継ぎ完成。以後、明治維新まで酒井家が小浜藩の藩主を務めました。
小浜城縄張図













明治維新後は建物は取り壊され、堀は埋め立てられ、本丸以外は完全に失われました。
小浜城










小浜城










それでも天守台をはじめ、本丸の石垣が良く残されています。小浜城に関しては時期未定ですが、三層三階の天守を始めとした復元整備計画があるようです。
猫










小浜城跡で出会った猫さん。今の小浜城を守る城主かなw

小浜町鳥瞰図




最後に昭和8年に吉田初三郎が描いた「小浜町鳥瞰図」。私の所有資料。

おしまい。

besan2005 at 11:34|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 福井県 | 近代化遺産

2021年10月02日

津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

3年前の津市の近代建築探索レポ日記に続いて、その翌日に訪れた一身田町の近代建築探索レポ日記です。
まずは一身田駅に到着。

0一身田駅舎 大正12年










一身田駅。大正12年。レトロな木造駅舎。だいぶ少なくなりましたね。

0一身田駅舎










ホーム側から。

1旧落合運送 一身田 昭和12年










旧落合運送。昭和12年。
2旧落合運送










日通の社屋だったとも。現在はカフェとして使用され、室内も当時の姿が保たれているようですが、朝方に到着したので開店前でした。
まずは本山専修寺へ。
一身田町は浄土真宗高田派の本山・専修寺を中心とした寺内町で、鎌倉時代に専修寺が建立されて以来、室町時代には栄えはじめ、戦国期の兵火により焼失したものの、江戸時代の再建以後、専修寺と一身田町は栄えていきました。現在も寺内町としての雰囲気が良く残されています。

5専修寺山門










専修寺山門。宝永元年(1704)再建。重要文化財。

8専修寺唐門










専修寺唐門。天保15年(1844)再建。重要文化財。

6専修寺御影堂










専修寺御影堂。延宝7年(1679)再建。国宝。

7専修寺如来堂










専修寺如来堂。延享5年(1748)再建。国宝。

専修寺茶所










専修寺茶所。宝暦10年(1740)築。参拝者の接待所。重要文化財。

専修寺鐘楼










専修寺鐘楼。正徳3年(1713)再建。重要文化財。
9専修寺太鼓門










専修寺太鼓門。三層櫓は文久元年(1861)の築。重要文化財。

10専修寺太鼓門










まるでお城の櫓ですね。さて、この専修寺の境内に近代建築があります。
3旧一身田役場 大正4年










高田婦人会館。大正4年。旧一身田役場だった建物。

4旧一身田役場










玄関部分。

無題








この専修寺の境内の奥、賜春館に隣接して煉瓦造らしき洋館があるのをGoogleMapで見つけ、現地で何とか写真に収めたいと奮闘しましたが、どうしてもうまく撮影できませんでした。目視では確認は出来ましたが。専修寺の公式HPの境内図にも何故か描かれず、近代建築のどのサイトも載っていない謎の洋館です。
専修寺を後にし、再び一身田の街へ。

11和洋折衷商店










1階が洋風の商店建築。

12和洋折衷住宅










こちらは何となく洋風に改装されている町屋建築。

13荒木邸 










A邸。平屋の洋風住宅。昭和初期頃。
15荒木邸










反対側から
14荒木邸










拡大。いい雰囲気ですね。

16洋館付き住宅










洋館付き住宅。
17洋館付き住宅













洋館部分。玄関部分も装飾がされ凝ってます。

18一身田郵便局 昭和初期か










何の変哲もない建物。
19一身田郵便局










壁に説明板がありました。それによると元一身田郵便局だったようで、よく見ると軒周りに装飾が残されていますね。

20洋館付き住宅










洋館付き住宅。
21洋館付き住宅










洋館部分の拡大。こちらは和風の要素も入ってますね。

黒門跡










さて、一身田にはかつて遊郭がありました。専修寺の参拝客相手に設立したもので、明治初期には200もの数があったようです。恐らく「精進落とし」として利用したんだと思いますが、寺内町の中に俗世の遊郭があったとは何ともw 写真は黒門跡。

22一身田遊郭














23一身田遊郭










遊郭のあった場所には当時の物と思われる建物がいくつか残されています。
24一身田遊郭













洋風の意匠のある卯建。

一身田の探索はこれで終了。寺内町として知られている町ですが、近代建築も割と残されていました。

おまけ。
25猫の親子










一身田で出会った猫の親子。
26子猫










佇む子猫さん。あれから3年。大きくなっていることでしょう。
おしまい。


besan2005 at 20:36|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

津市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月27日に探索した津市の近代建築探索レポ日記です。
3年経ってしまいましたが、ようやく記事にしようと思い立ちました。
ちなみに、同じ津市にある久居駐屯地内の歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津衛戍病院の探索レポ日記は過去の記事に書いています。

※歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。

日本一短い駅名である津駅を降り、ここからスタート。

1大橋邸 広明町










O邸。広明町。

3大橋邸










残念ながら工事中で工事用シートに覆われてました。大正〜昭和初期頃でしょうか。

3昭和初期頃の洋館 広明町










近くにある洋館住宅。昭和初期頃。
4昭和初期頃の洋館










中々洒落た洋館です。
津新町まで向かい、そこから東へ。

5アドカフェ 南丸ノ内町










アド・カフェ。南丸之内町。
6アドカフェ










昭和初期頃でしょうか。入ってみたかったけどまだ開店前でした。

8廃墟の洋館付き住宅 南丸ノ内町










洋館付き住宅。南丸之内町。完全に廃墟化してました。

9アトリエンセン 南丸ノ内町










アトリエシンセン。南丸之内町。戦後かもしれませんが、近代建築のサイトで紹介されていたので。
昭和橋を渡り南へ。

10旧安濃津監獄正門 修成町 大正5年










旧安濃津監獄正門。修成町。大正5年。三重刑務所の前に保存されている建物です。
さらに南へ。

11旧今中歯科医院 岩田 










旧今中歯科医院。岩田町。和館の前に洋館が造られた歯科医院。
12旧今中医院










昭和10年代頃でしょうか。自信はありませんが。

13チョコホリック 岩田










チョコホリック。岩田町。だいぶ改装されてますが、腰回りとかに古さを感じます。
南東方向へ。

14日本基督教団阿漕教会 下弁才町津興 大正元年










日本基督教団阿漕教会。下弁才町津興。大正元年。白亜の美しい教会。

15旧伊藤医院 柳山津興 昭和16年










旧伊藤医院。柳山津興。昭和16年。
16旧伊藤医院










いかにも戦前の個人病院と言った佇まい。
17旧伊藤医院










良い雰囲気です。さらに北上。

18伊藤邸 船頭町津興










I邸。船頭町津興。昭和初期か。
19伊藤邸










偶然見かけた洋館付き住宅。ここから津城方面へ。

33津城巽櫓










津城丑寅櫓。その向かいに。

21土屋邸 丸之内










T邸。丸之内町。昭和初期頃か。

22土屋邸










下見板張りの雰囲気ある洋館。ここから近代建築が並ぶ大門町へ。

23洋館付き住宅 東丸之内










向かう途中で見かけた洋館付き住宅。東丸之内町。

24BARBAR横山 大門













BARBAR横山。大門町。軒周りの装飾、玄関周りなどレトロ感満載ですが、今は使用されてなさそう。

25旧四日市銀行津支店 大門 大正11年













旧四日市銀行津支店。大門町。大正11年。以前から知られている建物ですが、
この時はアーケードの撤去後でとても見やすくなってました。現在はオーデン大門ビルとして使用されています。国登録有形文化財。

26百五銀行大門町支店 大門 大正13年










百五銀行大門支店。大門町。大正13年。玄関部分のみ保存されています。

27旧大門百貨店 大門 昭和11年










旧大門百貨店。大門町。昭和11年。訪問した時は取り壊しの最中でした。

28旧大門百貨店










ただし解体工事が始まったばかりのようで、まだ建物は残されていました。ギリギリ間に合いました。

29旧大門百貨店













側面。1階はすでに解体が始まってます。

30旧大門百貨店










窓から見える壁面のタイル。大門百貨店は開業当初は売り場の他に企業の事務室や大食堂がありました。戦後、松菱百貨店となりましたが、松菱百貨店の移転後はパチンコ店や風俗店が同居する場末の雑居ビルとなってしまったそうです。末期は1階部分のみパチンコ店が営業する状態だったとか。もう消えゆく運命だったんでしょうね。
大門町を後にし、安濃川方面へ。

32松田邸










M邸。北丸之内町。洋館住宅。ここが最後の探訪先となりました。
で、その近くで見つけたもの。
電気通信省境界杭













「電気通信省用地」と刻まれた境界杭。電気通信省という聞きなれない官庁に調べてみたところ、戦前の逓信省が戦後に分離され、郵政省とともに設立した省庁であり、昭和27年に日本電信電話公社(現NTT)へと移行し廃止されたわずか3年間のみ存在した省庁のレアな境界杭と分かりました。

津市は今回の探索と久居駐屯地の探索、そして寺内町である一身田の探索も行いました。
津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

besan2005 at 10:56|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年09月26日

四日市市の近代建築探索レポ日記

2018年12月8日に探索した際のレポ日記です。記事を書こうと思いつつ3年余り経ってしまいましたが、いい加減記事にしようと思い執筆することにしました。
四日市市の近代建築探索は冨田浜駅からスタート。北方面に向かった後、南下して四日市市の中心部へと向かいました。今回はイオンモール四日市近くの旧東洋紡の煉瓦倉庫は時間の都合上スルー。

1アミカン本社屋










アミカン本社屋。昭和初期。富田浜元町。最初の訪問建物。国登録有形文化財。
2アミカン本社屋










スクラッチタイルの中々立派なビル。
3アミカン本社屋










塔屋部分の窓のデザインが良い感じ。

4アミカン戦前倉庫










アミカン敷地内のRC倉庫。
5アミカン戦前倉庫










こちらも戦前建築ですね。

6アミカン第三工場社屋










アミカン第三工場社屋。南富田町。昭和初期か。平屋の洋館が残されています。傷みが目立ちます。
7アミカン第三工場門衛所










門衛所。同時期の建築でしょうか。
ここから南下。


8戦前のRC住宅










海岸沿いを歩いていると、大規模な古いRC建築を発見。富田浜元町。
9戦前のRC住宅










一目見て、戦前の建物と分かりました。
10戦前のRC住宅










背面から。
11戦前のRC住宅










丸窓も見えます。
12戦前のRC住宅










建物は軒の水平ラインを強調したデザイン。インターナショナルスタイルという感じでしょうか。
同潤会青山アパートもそんな感じだっけ。
13戦前のRC住宅










正面玄関。
14戦前のRC住宅










内部をちょっと覗いてみました。これだけでは分からないですが、建物内は昔の面影を残していそうです。今回の探索で偶然見つけた建物で、他サイトでも一切取り上げられていない物件。航空写真で見たら相当大規模な邸宅ですが、いくら調べてもこの建物の素性は分かりませんでした。しかし、戦前のインターナショナルスタイルの邸宅としては一級の建築だと思ってます。今回最大の成果。
さらに南下。
15冨田浜病院の煉瓦塀










富田浜病院の煉瓦塀。
16冨田浜病院の煉瓦塀










古そうなアーチの煉瓦塀がありました。何の説明板も無かったですが、大正4年開業という富田浜病院に使われていた煉瓦塀かも。
17冨田浜の洋館










富田浜駅前の洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
18冨田浜の洋館










この写真を撮っているとき、オッサンに絡まれる事態に。
とりあえず穏便に済ませたけど、正直貼り倒したいくらいムカついた。
気を取り直して南下。

19冨田浜の洋館付き豪邸










富田浜の洋館付き大規模住宅。植栽で良く見えませんが、立派な洋館が見えます。
富田浜は現在は埋め立てられていますが、かつては海水浴場として知られ、戦前から別荘地として発展しました。その名残の洋館が残されています。
さらに南下。
20渡部邸 羽津甲










W邸。羽津甲。昭和初期か。羽津甲地区も戦前に区画整理された分譲地でした。
21渡部邸










立派な洋館付きの住宅です。
22渡部邸ステンドグラス











23渡部邸ステンドグラス










W邸のステンドグラス。個人宅でこれだけのステンドグラスを使用しているということは、相当財力のある家主だったんでしょう。
24木村邸 羽津甲










K邸。羽津甲。昭和初期か。W邸の向かいにある洋館。
25木村邸










背面。広い庭ですね。

26洋館付き住宅 羽津甲










気になった建物。新しいかも。羽津甲には他にも洋館付き住宅があることが分かりましたが、この時は気づかなかったのが残念。
ここから四日市市街地へと向かいます。
27早川邸 富士町










H邸。富士町。洋館付き住宅ですが、もしかしたら戦後かも。
28浅野屋










浅野屋。気になった建物。場所失念。

29大正館洋館 西新地













大正館洋館。西新地。大正期か。大正時代創業の料亭旅館。玄関脇にタイル張りの洋館があります。
30大正館













洋館部分。引きが取れないから部分的にしか撮影できない。

31旧四日市市立図書館 諏訪栄町 昭和4年










旧四日市市立図書館。諏訪栄町。昭和4年。国登録有形文化財。大正館の向かいの諏訪公園にある建物。昭和天皇御大典記念で建てられた図書館。
32旧四日市市立図書館










現在は市の施設として使用されています。
33旧四日市市立図書館










本をかたどったレリーフ。皇紀である2588の文字があります。
34旧四日市市立図書館










可愛らしいウサギの餅つきのレリーフ。
続いて四日市港方面へ。

35熊沢ビル 末広町 大正3年










旧熊沢ビル。末広町。大正3年。
36熊沢ビル










築100年以上となる古いビルです。
37熊沢ビル










バットレスと柱頭飾りが大正らしさを出してますね。現在も別企業の事務所ビルとして使用。
ここから一気に西へ。

38旧四郷村役場 西日野町 大正10年










旧四郷村役場。西日野町。大正10年。現在は郷土資料館として利用されています。
39旧四郷村役場










塔屋がシンボリックな立派な洋館です。
45旧四郷村役場













階段。アールデコ調ですかね。
41旧四郷村役場










踊り場のアーチ窓。
42旧四郷村役場










2階講堂。アールデコ調の天井の装飾が素晴らしい。郷土資料館という利用とはいえ、1階も2階も民俗資料とかが乱雑に置かれているのがちょっと…。もう少し建物を生かした展示にして欲しいですが。
43旧四郷村役場













塔屋へと上がる螺旋階段。
44旧四郷村役場










塔屋最上階。見晴らしは抜群。何の部屋だったか忘れました。
さらに西へ。

46ザ白梅クラシックガーデン 室山町










ザ白梅クラシックガーデン。室山町。醸造会社だったようです。

48亀山製糸室山工場










亀山製糸室山工場。室山町。明治36年。
47亀山製糸室山工場 室山町 明治38年










明治後期の装飾に富んだ木造の工場棟が残されています。
49亀山製糸室山工場










玄関部分の破風。所々に和風の要素があります。
亀山製糸室山工場










軒周りの凝った装飾とか工場の建物とは思えない豪華さ。
亀山製糸室山工場













工場棟というより学校か役場のような建物。
50亀山製糸室山工場










明治期の近代建築として、建物のレベル・規模ともに一級の建物ですが、現状はかなりの破損が…
51亀山製糸室山工場










裏側から。間違いなく文化財クラスの建物ですが、このままでは崩壊もしくは取り壊されるのを待つばかり。失われるには惜しい建物。何とかしてもらいたいものですが…。

以上で四日市市の近代建築探索を終えましたが、旧東洋紡の煉瓦倉庫を始め、訪問できてない建物がまだいくつかあり、それらは次の機会とします。

おまけ。
三毛猫駅長3







富田浜駅で出会った三毛猫さん。駅に住み着いているようですが、とても人懐っこい子でした。
三毛猫駅長1







膝にまで乗ってきたwしばし探索を中断し、遊んでました。
54三毛猫










あれから3年余り経ったけど、元気にしているかなぁ。

おわり。


besan2005 at 09:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年09月24日

旧京都大学大学院農学研究科附属農場建物の夜景(安満遺跡公園)

0遠景










昨日である2021年9月23日の高槻市の近代建築探索の際に訪れた安満遺跡公園の旧京都大学大学院農学研究科の付属農園の洋館群。夜に訪れたら雰囲気あるだろうなと本日、仕事終わりに車を飛ばして向かいました。

1本館










まずは本館。本館はレストランが入っていることもあり、唯一室内の明かりが灯っていました。雰囲気はまさにクラシックホテルの佇まい。
2本館










西側から。
3本館










東側から。
4本館西側出口










個人的に雰囲気が好きな西側入り口。
5本館正面玄関










正面玄関。
本館階段










階段。

6別館










別館。室内は消灯されているため全体的に暗いのが残念ですが、逆に玄関の明かりに照らされた部分がアクセントとなっています。
7蔬菜選別室










蔬菜選別室。
8蔬菜選別室










反対側から。
9別館










本館裏の建物。さすがにここは薄暗かったです。
10本館と蔬菜選別室間










本館と蔬菜選別室との間。洋館の建ち並ぶこの一角の夜景は、まるで異国の夜の街並みに迷い込んだかのような雰囲気を味わえました。
一帯が公園整備されてまだ1年くらいだったと思いますが、地元の高校生や家族連れが日没まで思い思いに過ごしていました。雰囲気の良さもあってすっかり市民に定着したようです。

besan2005 at 21:42|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 大阪府 | 近代化遺産

2021年09月23日

高槻市の近代建築探索レポ日記(2017年・2019年・2021年探索)

大阪府高槻市の近代建築の探索レポ日記です。高槻市の近代建築探索は2年前の2019年2月2日に行っていましたが、記事作成は行っていませんでした。今回、高槻市を代表する洋館住宅K邸が11月中に取り壊されると聞き、今回改めて探索。記事にすることにしました。今回は2年前の探索時の写真を交えて紹介していきます。

まずは今回の目的のK邸へ。


1川中邸 高槻町 昭和初期 あめりか屋










K邸。高槻町。昭和初期。あめりか屋設計の大規模な洋館住宅。スパニッシュ様式の外観です。

6川中邸










北側から。

2川中邸










※2019年2月2日撮影。西側から。現在左隣にはビルが建っているため、全体を見ることは出来ません。

3川中邸正門










正門。住宅と同じスパニッシュ様式のデザイン。

4川中邸通用門










通用門。

5川中邸門飾り










左側の装飾。

7川中邸煙突










煙突。可愛らしいデザインです。室内には大理石製の豪華なマントルピースがあります。

8川中邸ステンドグラス











9川中邸ステンドグラス










窓のステンドグラス。K邸にはステンドグラスが豊富に使われています。
K邸は前述の通り、2021年11月中に取り壊され、跡地はマンションになるようです。
文化財未指定の建物ですが、国登録有形文化財になってもおかしくない建物、様々な事情はあるのでしょうが、取り壊されるのには惜しい。しかし私にはどうしようもないので、せめて外観だけでも可能な限り記録に留めようと思い、今回訪問しました。

K邸を後にし、2019年にも探索した近隣の建物を訪問。

11花田邸










H邸。高槻町。昭和10年。K邸の南にある洋館。

10花田邸 高槻町 昭和10年










正面から。

花田邸










北側から。

12花田邸










建物のアップ。K邸よりやや和風っぽいです。

13昭和初期の住宅か 高槻町











戦前の住宅










K邸の北側にあった住宅。戦前らしい平屋の木造住宅でしたが、今回の探索で取り壊されているのを確認しました。2019年2月2日撮影。

14山中邸 高槻町 昭和初期










Y邸。高槻町。昭和初期頃か。

15山中邸










三角屋根が特徴の洋館。

18洋館住宅 高槻町 昭和初期か










表札無しの洋館。高槻町。昭和初期頃か。2019年に探索した際は〇〇ハウジングの表札があり改修中でしたが、今回確認すると、表札の文字が消えかかってました。ただし、空き家ではないようです。
19洋館住宅










玄関部分。左側には出窓付きの三角屋根の張り出し部があります。

20洋館住宅










庭側から。テラスがあります。


16鎌谷邸 高槻町 昭和初期か










K邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。平屋の小規模な住宅ですが、デザインのしっかりした洋館です。庭木で全体が見えませんが、玄関周りの意匠はレベル高いです。

16横田邸 高槻町










Y邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。見づらいですが、手前側に付属洋館があります。

17横田邸脇の煉瓦塀










Y邸の側にある煉瓦塀。現在Y邸と煉瓦塀の間は駐車場となってますが、かつてはここまでが敷地だったのかもしれません。

21高槻新温泉 高槻町










高槻新温泉。高槻町。現在は廃業していますがレトロな銭湯。

22高槻新温泉煙突










高槻新温泉の煙突。かつては地域のランドマークだったんでしょう。

23変電所










阪急電鉄の変電所。八丁畷町。戦前の建物だと思います。

次に紹介するのは2019年2月2日に探索した工兵第4連隊の遺構。
24工兵第4連隊正門










工兵第4連隊営門。城内町。明治41年頃。

工兵第4連隊営門










工兵第4連隊は明治41年に京都から移駐した部隊で、高山右近で知られるかつての高槻城の跡地に駐屯地が造られました。
25工兵第4連隊歩哨舎













歩哨舎。工兵第4連隊の跡地は現在、高槻市立第一中学校となっていますが、営門と歩哨舎と境界杭が残されています。

23高槻憲兵分遣隊の建物か










マンションの裏の木造建物。城内町。高槻商工会議所北側にあるマンションは、かつて高槻憲兵分遣隊の敷地でしたが、その裏に戦前と思われる古い平屋の木造建物が残されています。かつての高槻憲兵分遣隊の建物の一部だった可能性を含め、ここに紹介。

ここから再び今回の2021年9月23日探索分。
26大阪医科大学 大学町 昭和5年 ヴォーリズ建築事務所










大阪医科大学看護専門学校校舎。大学町。昭和5年。ヴォーリズ建築事務所設計。
国登録有形文化財。以前から知ってましたが、ちゃんと訪問したのは今回が初めて。
27大阪医科大学










建物の周囲は木々に覆われ撮りづらい。扉は閉まっていて中に入れませんでした。

28旧京都帝国大学化学研究所管理棟 大学町 昭和4年










旧京都帝国大学化学研究所管理棟。 大学町。昭和4年。大阪医科薬科大学内に残された建物。
29旧京都帝国大学化学研究所管理棟










周囲で工事がされていて、全体の写真が撮れず。この建物はどうなるんでしょうか。

このあと、最近整備された安満遺跡公園へ。
30京都大学大学院  八丁畷 昭和5年 大倉三郎設計










現在安満遺跡公園となっている一角はかつて京都大学大学院の付属農園で、昭和初期の洋風建築が数棟残されていました。それらの建物のいくつかが安満遺跡公園の施設として再活用されています。
31京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










京都大学大学院 農学研究科附属農場本館。八丁畷町。昭和5年。大倉三郎設計。
雰囲気のある洋館です。
京都大学大学院農園










2017年撮影。本館の前にある植栽は撤去され広々とした感じになりました。
33京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










東側から。
京大農学部










2017年撮影。この頃の方がクラシックホテルっぽい感じで雰囲気ありますが、撮影するには今の方が有難いかも。
32京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










西側から。
36京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










西側の出入り口。何気に好きな箇所。
34京都大学大学院 農学研究科附属農場本館階段室










階段も当時のまま。
35京都大学大学院 農学研究科附属農場内部










1階の一室。現在は無料休憩室。
本館2階










※翌日夕方撮影。本館2階。広い部屋です。
本館2階2










講堂か何かだったのでしょうか。
本館階段










2階から階段。
本館踊り場窓










本館踊り場のアーチ窓。

37京都大学大学院 農学研究科附属農場別館










京都大学大学院 農学研究科附属農場別館。昭和6年。
現在は弥生時代の大規模環濠集落だった安満遺跡の展示室。
京都大学大学院農園










2017年撮影。大きな木は伐採され見やすくなってます。この時はやや傷みが目立ちました。
39京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室











38京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室 昭和6年










京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室。昭和6年。収穫した野菜をチェックしてたのでしょうか。
京都大学大学院農園










2017年撮影。だいぶ古さが目立ちます。
40京都大学大学院 農学研究科附属農場別館










本館裏の建物。昭和6年。現在は貸しスペース。
本館裏便所










本館背後のトイレ。最初は新設されたものだと思ってましたが、これも当時のままのようです。

今回は取り壊されるK邸の見納め的な訪問を含めた高槻市の再探索と、過去の探索時の写真を交えた記事にしました。京都大学大学院の附属農場の建物群について、本館は再活用されると思ってましたが、別館含む4棟の建物は壊されると思ってました。それが全て残されたのは英断と思います。2017年までに取り壊された本館向かいの農場研究室他はありましたが、現在もかつての雰囲気が良く残されています。同じ昭和初期の洋館である取り壊し予定のK邸。公園の施設として再活用された京大大学院付属農場の5棟の建物群。近代建築の運命は紙一重だと改めて感じました。

1本館










※翌日、仕事終わりに再び安満遺跡公園に向かい、夜景を撮影してきました。
まるで異国の夜の街角にいるかのような抜群の雰囲気でした。

besan2005 at 21:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 大阪府 | 近代化遺産

2021年09月20日

西脇市の近代建築探索レポ日記


2021年8月21日に兵庫県西脇市の近代建築探索をしてきました。事前の下調べで結構な数の近代建築が残されていることは把握していましたが、実際に探索すると、未チェックの物件も多数存在することが分かりました。多くが西脇市の地場産業だった播州織の工場関連の建物でした。なお、昨今重要文化財に指定された西脇小学校校舎群ですが、時節柄、訪問してもまともに見学出来ないと判断し、今回は見送りました。

まず最初に向かったのは、旧来住邸。
1旧来住邸勉学洋館 西脇 昭和11年










旧来住邸勉学洋館。西脇 昭和11年。生糸商の豪商だった来住家の離れの洋館。主屋は大正時代の建築で、共に国登録有形文化財。現在は西脇情報未来館として一般公開されていますが、この時は休館中。設計者は内藤克雄。小野市・西脇市を中心とした北播磨で活躍した建築家で、先述の西脇小学校の設計をした人物でもあります。

2ときの郷 西脇 昭和11年










ときの郷。西脇 昭和11年。
かつてはT家の洋館だった建物。現在はワークグループ関連の団体が使用。設計は
内藤克雄。

3西脇市消防団第一分団本部 西脇  昭和10年










西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。
4西脇市消防団第一分団本部










かつての名称の消防屯所は消防団の詰所のこと。消防署ではなく消防団の詰所にしてはかなり立派な建物です。
5西脇市消防団第一分団本部










玄関部分のペディメントにある消防団の紋章。設計は
内藤克雄。
ここから杉原川を渡り西方面へ。
6洋風商店建築 西脇










洋風商店建築。西脇。軒周りに装飾があります。現在は空家?
7旧池田薬局 西脇










旧池田薬局。西脇。細い道を挟んだ向かいにある洋風商店建築。現在は廃業のようです。
8西脇温泉 西脇










西脇温泉。西脇。第一分団本部の近くの銭湯。まだ現役のようです。

9岡本洋服店 西脇










岡本洋服店。西脇。全体的に採光部を大きく取った開放的な建物。当時は中々オシャレだった建物だったのでしょう。
さらに西へ向かい、市街地の外れに。

10播州織物工場事務所 西脇










恐らく播州織の工場事務所。木造2階建ての大きな建物。現在は民家。
11播州織物工場 西脇










工場事務所の背面には、当時のノコギリ屋根の工場棟が残ります。
一旦旧来住邸方面へ。
12旧水田産婦人科医院 西脇 










旧水田産婦人科医院。西脇。旧来住邸の西側にある建物。
13旧水田産婦人科医院










ここは診察室のある本館のようです。昭和初期頃でしょうか。
14旧水田産婦人科医院










背面には病室と思われる2階建ての建物がありました。
再び杉原川を渡り、そこから南下。
15高籠商店綿糸布倉庫 西脇 










高籠商店綿糸布倉庫。西脇。以前は手前側に事務所らしき建物があったようです。播州織関連の倉庫だったようです。

16棚倉邸 西脇










T邸。西脇。

17棚倉邸










典型的な洋館付き住宅ですが、付属の洋館は中々良い感じです。

18蛭田理研 西脇 昭和3年










蛭田理研。西脇。昭和3年。大正2年に織布と工業薬品の販売会社として設立した会社。

19蛭田理研










西脇市でも1・2を争う大規模かつレベルの高い洋館です。住宅街のど真ん中にあり、細い路地を抜けると突然現れるこの洋館を見ると度肝を抜かれます。
20蛭田理研










玄関部分。
ここから北上。
21看板建築 西脇










看板建築の町家。西脇。しかし薄っぺらいですね。
22看板建築










正面だと立派なタイル張りの壁面です。
23洋館付き住宅 西脇










洋館付き住宅。西脇。これは戦後建築かも。

24テラサワ文具センター 西脇










テラサワ文具センター。西脇。

25テラサワ文具センター










だいぶ改装されていますが、戦前の建物らしい面影が残されています。

26モルタル塗り洋風住宅 西脇










洋風住宅。西脇。
27モルタル塗り洋風住宅










外壁をモルタル塗りで仕上げています。
28モルタル塗り洋風住宅










外壁も単純に塗るのではなく、変化を持たせた仕上にしています。

29元料理屋か 西脇










元料理屋?西脇。玄関部分の意匠が和風で元料理屋のように見えますが、元々の用途は不明。
30元料理屋か










反対側は増築しているようですね。
31元料理屋か










玄関の持ち送り部分。

32集会所か










町屋建築に挟まれた小さな建物。

32藤井福織布株式会社 西脇










藤井福織布株式会社。西脇。住居の主屋に接続する洋館ですが、洋館部分が事務所になっています。
32藤井福織布株式会社










事務所部分。中々味のある建物です。

33南旭町公会堂 西脇










南旭町公会堂。西脇。今回は訪問してませんが、規模は小さいものの、同じ西脇市内の旧下比延公会堂や大伏公会堂と同じデザイン。
34南旭町公会堂










玄関に掲げられた「公會堂」の扁額。竣工当時の物でしょうか。

35天理教東西脇分教会 西脇














天理教東西脇分教会。西脇。和風建築の横に接続した洋風建物。2階窓の格子が中々良い感じ。

36宇野邸洋館 西脇










U邸。西脇。主屋の隣に建てられている大き目の洋風建築。1階が洋風ですが、屋根が伝統的な入母屋屋根なのが面白いです。

37播州織物工場事務所か 西脇










織物工場の建物。西脇。播州織の工場だったのでしょうか。この建物は事務所棟かな。
38播州織物工場










工場棟。お馴染みのノコギリ屋根。
39播州織物工場










今は稼動していないっぽいですが、当時の木造の建物が良く残されています。

40播州織物工場










これも工場の建物。

41高瀬邸 播州織物工場洋館事務所 西脇










T邸。西脇。当初は織物工場の事務所だったと思われる建物。
42高瀬邸 播州織物工場洋館事務所










洋風の建物で装飾は少ないですが、軒周りとかに意匠が見られます。
43高瀬邸 播州織物工場洋館事務所










持ち送り?の飾り。

44戦前のビルか 西脇










近くの気になったビル。

45森永カルダス販売所 西脇










森永カルダス販売所。西脇。昭和初期くらいでしょうか。当初の用途は不明。

46村上歯科医院 西脇 昭和13年










村上歯科医院。西脇。昭和13年。
47村上歯科医院










西脇市を代表する近代建築の一つ。1階部分が和風になっています。

48村上歯科医院










玄関脇には丸窓もあります。
49旧藤原歯科医院 西脇 昭和初期










旧藤原歯科医院。西脇。昭和初期頃。いかにも戦前の洋館と言った雰囲気ですが、やはり痛みが。かつては左隣にも戦前の洋風商店建築がありましたが、現在は失われています。
さらに北上し、西脇停車場線へ。

50洋館付き住宅 西脇










洋館付き住宅。西脇。見た感じ商店か事務所だったのでしょうか。現在は空家で主屋の方は崩壊寸前。いずれ取り壊されるものと思います。

51洋館事務所か 西脇










洋風商店建築。西脇。元は店舗か事務所だったのでしょうか。

52洋風商店建築か 西脇










その向かいにある洋風の建物。こちらも商店建築だったように思います。

53元播州織物工場事務所か 西脇










住宅地の中にある建物。西脇。背後に工場棟があることから、工場の本館だったと思われます。現在は民家。

54製薬工場跡 西脇










しばらく北へ向かった先にある廃工場。
55製薬工場跡










現在は廃墟となってますが、当時の建物が多数残されています。織物工場かと思いましたが、どうやら製薬工場跡だったよう。
ここから北へ坂を上ります。

56旧事務所建物か 西脇










洋館建物。西脇。昭和初期頃か。元事務所?郵便局に見えましたが、〒マークが見当たらなかったので別の建物だったっぽい。

57美喜亭 西脇














美喜亭。西脇。大正〜昭和初期頃か。
58美喜亭














造りから料理旅館だったようです。織物業で儲けた人たちが宴会してたんでしょうか。全体を写せる引きのアングルが撮影できる箇所に後から気づき、結局こんな写真しか残せず。
美喜亭街灯










玄関前にある照明。美喜亭の文字の横に消えかかった「料理」の文字。意匠を凝らした近代和風の名建築ですが、だいぶ傷んでいます。現在は廃業し民家となっていますが、いずれ無くなりそうな感じです。

59荒木邸 西脇










A邸。西脇。昭和初期頃か。1階部分は改変がありますが、全体的に戦前の洋風住宅の雰囲気が良く残されています。

このA邸の向かいが旧来住邸の敷地の一角。ようやく一周してきました。
西脇市内は事前の下調べで多くの近代建築が残されているのを確認して向かいましたが、探索した結果、参考にした他サイトにも載っていない多くの近代建築が残されていることが分かり、多くの成果を得られた探索となりました。
今回都合で訪問できなかった西脇小学校・
旧下比延公会堂・大伏公会堂・市原駅記念館は後日訪問したいと思います。

旧今田郵便局










古市の洋館付き住宅










旧今田銀行










帰りに丹波篠山市の今田地区・古市地区にある近代建築を探索。
※丹波篠山市今田地区・古市地区の近代建築。
昭和10年代の旧郵便局や明治期の擬洋風建築の旧銀行などを訪問。

玉の助1







お昼は丹波篠山市にある卵かけご飯専門店の「玉の助」へ。
玉の助2







卵は産みたての濃厚な味。卵は食べ放題ではなく5つまでの制限でしたが、3つで十分でした。薬味と合わせて3種類の醤油で食す卵かけご飯は美味しかったです。


besan2005 at 21:13|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2021年09月12日

舞鶴朝来第三海軍火薬廠工員宿舎街(朝来中地区・吉野地区・鹿原地区)遺構探索レポ日記

工員宿舎街位置図








現在の舞鶴市の朝来地区一帯(日本板硝子工場〜舞鶴高専の奥の谷地)には朝来第三海軍火薬廠という広大な海軍の火薬工場がありました。戦後は払い下げられ、工場や学校、住宅地となりましたが、現在も多くの火薬廠時代の建物や遺構が残されています。特に舞鶴高専周辺の第二製造部は立地からそのまま放置され、多数の遺構が廃墟の状態で残されています。
旧海軍朝来第三火薬廠・空気炸薬成形工場・砲炸薬整形工場
舞鶴朝来第三海軍火薬廠第二製造部遺構探索レポ日記
※過去の記事。10年前の記事なので情報が古いです。近いうちに新たに確認した遺構などを追加して更新します。
また、日本板硝子工場の周辺にもいくつかの遺構が残されています。
舞鶴市・第三海軍火薬廠第一製造部遺構探索レポ日記
今回は新たに確認した工員宿舎街の遺構を探索・調査してきました。

まず向かったのは、朝来小学校の北側にある朝来中地区。ここは昭和22年の航空写真で明らかに第三火薬廠建設に際して区画整理されたような街割りとなっており、以前から目を付けていたエリアでした。
昭和22年朝来中地区・吉野地区












昭和22年米軍撮影航空写真(国土地理院HP公開写真より引用)
実際に現地を探索しましたが、かなりの数の工員宿舎が現存していることが分かりました。
この朝来中地区は舞鶴市の軍用地を示した資料にも、第三海軍火薬廠の研究資料にも未掲載の全く新たに確認出来た工員宿舎街となりました。

朝来中地区工員宿舎街遺構配置図








朝来中地区工員宿舎街遺構配置図。以下のレポはこの配置図に沿って書いていきます。

1朝来中工員宿舎1










工員宿舎街
当時の面影を生かした外観に改修されています。
工員宿舎1










中々いい雰囲気です。

2朝来中工員宿舎2










工員宿舎
民家となり外観の変更はありますが、おおむね当時の面影を残しています。

3朝来中工員宿舎3










工員宿舎
工員宿舎3










こちらは荒れていますが、一部当時の面影を残しています。

4朝来中工員宿舎4










工員宿舎
建物自体は半分に切り詰められているようです。ただ、外観は当時の面影を残しています。


5朝来中工員宿舎5・6










工員宿舎ァΝΑ
外観の改修はされていますが、プランは当時のままのようです。

7朝来中工員宿舎7







工員宿舎
外観・プラン共に当時のオリジナルの姿をよく留めています。

7朝来中工員宿舎8










工員宿舎
切り詰めた宿舎を集会所として利用されています。

8朝来中工員宿舎9










工員宿舎
外観、プランとも一番オリジナルの姿を残している宿舎です。
9朝来中工員宿舎9










反対側から。

9朝来中工員宿舎10










工員宿舎
切り詰めて増築されているため、面影は余りありません。

10朝来中工員宿舎11










工員宿舎
手前の建物に面影が残されています。

11朝来中工員宿舎12










工員宿舎
工員宿舎に次いで当時の面影を残す建物。
工員宿舎12










窓部分。

ところで、この朝来中地区を探索中に住民の方から声を掛けられました。何をしているのかと尋ねられ、第三海軍火薬廠の工員宿舎について記録をしていると話したら、理解をして頂き、貴重な詳細なお話を聞くことが出来ました。
この住民の方(以下、Sさん)も元工員宿舎に現在もお住まいで、奥様はかつてここで生活し、第三火薬廠に通っていたという方です。まず、大浴槽の跡を見せて頂きました。
12大浴場1










大浴槽跡。屋根は戦後に造られたもので、かつては大きな大浴場の建物があったとか。
13大浴場2