2009年09月

2009年09月25日

舞鶴要塞・金岬砲台跡

舞鶴要塞見学ツアー最後の場所となる金岬砲台跡は、槇山砲台跡のある同じ峰にあるようで、槇山砲台跡へ行く道路の途中にあるカーブ部分から伸びている旧軍道から向かいます。
普通に走っていたらまず気付かないけど、車を降りて良く観察したら、各砲台跡で通ったのと同じ幅員の道が伸びている。
山中の山道でこんな幅の広い道なんてまずないから、砲台跡探索にはいい目印になります。
道自体は広くしっかりしているので通行困難というわけではないけど、金岬砲台跡へ至る旧軍道に関しては、他の砲台跡と違い(まったく道の無くなった浦入砲台は除く。)人がほとんど通らなくなったためか、倒木が散在したり泥濘があったり、挙句の果てには途中大きく崩落している箇所があったりと状態はそんなによくない。しかし、そのおかげでこのあと目にする遺構の素晴らしさが保たれていたのかもしれませんが。

金岬砲台衛門2どれくらい歩いたか。
突如目の前に現れる衛門の門柱。
本当に突然現れるからびっくりするww
こちらは門柱だけでなく、脇の石柵も残っていて状態良好。


金岬砲台弾薬庫5そしてその先に見えてくるおなじみのデザインの弾薬庫。しかし、保存状態はこれまでで一番ではないだろうか。




金岬砲台弾薬庫1普通、弾薬庫の入口あたりとかは金物目当てで終戦のどさくさにはぎ取られ、その際に大きく破壊されることが多いんだけど、金岬砲台の弾薬庫は、金物自体は取られているけど、破壊の度合いがごく少ない。
煉瓦壁は焼き過ぎ煉瓦とかを使って巧みに変化を持たせて実に華やか。当然ゴミも落書きもなく本当にきれい。
金岬砲台弾薬庫内部1弾薬庫内部。
カビはしょうがないけど、それでもこの状態の良さは素晴らしい。
中に入っていて怖い感じが無いもの。



金岬砲台弾薬庫内部通路1各弾薬庫をつなぐ通路。
まるでダンジョンのような雰囲気。
これは廃墟では無い、遺跡だ。




金岬砲台跡は保存状態の良さだけではない。規模もかなりでかい。
弾薬庫も下に5つと上がった所に3つ。
そして、砲座と砲側庫が2つ以上。
葦谷砲台クラスかそれより大きい気もする。

金岬砲台砲側庫1
下の弾薬庫跡の階段を上がり、上の弾薬庫から左に向かうとある砲座等の石積みの擁壁。木々に埋もれる石積みの壁は、まるで古代遺跡のよう。


金岬砲台砲側庫4砲座跡の脇にある砲側庫。
吉坂や建部山にあったのと同じで、
内部も銃窓のあるクランク状の部屋ですが、規模が他よりでかい気がする。



金岬砲台砲側庫2砲側庫へと降りる階段も健在。
擁壁側のこの石の出っ張りはなんだろう。
砲座と砲側庫のセット、現地では2つ見学できますが、木々で藪になっている場所を覗くと
まだ続いているようで、3つ4つはありそうです。




写真の遺構のほか、トイレ跡と思われる煉瓦の建物跡や石積みの擁壁に囲まれた建物跡の基礎石。貯水槽などもあり、かなりの要塞跡だったことが分かります。それ以上に驚いたのは、途中の旧軍道や敷地内に明らかに他から持ってきたと思われる玉石が敷かれていたこと。他の砲台跡では見られなかったもので、思った以上にこの金岬砲台跡は重要拠点として位置していたのではと思われます。
さらに、当時使われていた遺物も敷地内に散乱していたのも驚き。
「日本麦酒鉱泉」のサイダー瓶やキリンビールの瓶。一升瓶や小瓶といった大正から昭和初期の瓶がそのまま転がっていたり、茶碗なども落ちていました。
金崎砲台は昭和6年に廃止にされ、その後は放置されたと思われますが、現役だった頃、砲台に勤務していた兵隊さんや将校たちは、時折運ばれてくるサイダーやビールを飲んで楽しんでいたのでしょう。
遺構としての砲台跡だけでなく、当時使われていた道具が70年以上そのまま残されているこの場所。他の砲台跡以上に生々しく当時の様子を伝えてくれるその姿に感動しきりでした。
もっと見ていたい気分に駆られましたが、なにせ最後の訪問地で時間も夕方になりつつあり、惜しみながら後にしました。

浦入砲台弾薬庫煉瓦壁22日にわたる舞鶴要塞見学ツアーは私にとって大変有意義なものとなりました。
特に一番トリとなった金岬砲台跡は予想を超える素晴らしさで大満足。ぜひとももう一度訪ねて見たいと思いました。
私一人では到底辿りつくことができなかった砲台跡を巡ることができたのは同行していただいた皆様のおかげでもあります。



ちなみに、私的これまで巡った舞鶴要塞の感動度をランキング。

1位・・・金岬砲台跡
2位・・・葦谷砲台跡
3位・・・浦入砲台跡
4位・・・建部山砲台跡
5位・・・吉坂堡塁跡
6位・・・槇山砲台跡

砲台跡にランク付けというのもヘンですがw
まぁ、個人の好みということで。

besan2005 at 01:03|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

2009年09月24日

舞鶴要塞・槇山砲台跡

建部山砲台跡を見学した後、お次は槇山砲台跡へ。
西舞鶴の湾の先にある砲台は、NHKやNTTの電波塔やパラグライダーの離陸場所があるせいか、山頂に至るまでの道は舗装され車でも行けるようで、こちらは本当に気軽に行ける砲台跡のよう。

一旦とれとれ市場に戻り、それぞれの車で向かうことになったが、
とれとれ市場がかなり込み合っており、長く路駐できないので、私はnagaiさんの車に便乗させてもらうことに。

槇山砲台までの道のりは舗装されているとはいえ、旧軍道をそのまま舗装したような感じなので、車一台分の幅員しかないうえにヘアピンカーブの連続。油断はできない…
その道の途中に…
槇山石橋建部山で見たのと同じアーチの石橋が。
やはりアーチ部分だけコンクリでそこから上の石積みの積み方が荒い…
改修したのかそれとも当初からこのままなのか・・・


槇山砲台弾薬庫6車で上がりきった先に弾薬庫跡が見えてきました。
舗装された道に沿って弾薬庫が並んでいます。
しかし、車で来れる位置にあるせいか、荒れ方がひどい。キッチンのシンクが放置されていたりゴミが散乱したり落書きがあったり…。肝試しでやってきたやつとかDQNが面白半分に荒らしていったのか。正直がっかり感とやるせなさで複雑な気分になりました。まぁ、落書きするやつはこういう近代化遺産の貴重な遺構なんて何とも思ってないんだろうけど。(旧日本軍憎しのあまり、客観的に近代の遺構として評価できずに侵略戦争に加担した砲台跡なんて壊せとか言ってる馬鹿もいますけどね。防備用の永久砲台が侵略ってwww)
まぁ、なんにせよこういう廃墟は人知れず山中にひっそりと眠り続けるのがいいのかも。雰囲気的にも遺構保存的にも。
もしくは完全に遺跡公園として整備してしまうとか。
中途半端なのがいけないんでしょうなぁ。
そう考えると、次に向かった金岬砲台は跡は素晴らしかった。

槇山砲台弾薬庫2弾薬庫を上がったところにある煉瓦理構築物。砲座っぽくは思えないのでなんの構造物なのか分かりません。
それに中途半端にへっこんだアーチの部分。窓でもないしなんでしょうかね。これ。

槇山砲台退避壕こちらは、弾薬庫跡からやや離れた場所にあるコンクリートの構造物。
恐らく、昭和期に作られた防空砲台用の退避壕でしょうか。中は結構広いです。




槇山砲台跡は遺構自体は立派でしたが、なんせ荒れ方が…
どうにか改修して再利用できる道はないでしょうかね。
舞鶴市内の各砲台跡の中で一番行きやすい場所だけに
もったいない気がします。

P9220084正直残念な状態になっていた槇山砲台跡でしたが、ここからの眺めは本当に素晴らしいものでした。
この写真は海側のものですが、西舞鶴の市街もきれいに見渡せました。
なるほど、これなら敵艦艇とかしっかり把握できるわ。



besan2005 at 23:59|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

舞鶴要塞・建部山砲台

2日目は西舞鶴側の要塞群を巡ることに。
最初に向かったのは建部山砲台。丹後富士として知られる建部山の頂上を削平して作られた砲台は、西舞鶴側の湾内を良く見渡せます。また、建部山は中世に城も築かれており、古くから要所として重要拠点だったことが分かります。

現在建部山はハイキングコースとなって気軽に登れますが、やはり砲台へ至るまでの道は中々大変wしかし、現在ハイキングコースとして再利用されている旧軍道は吉坂堡塁の軍道と同じく2mほどの幅員を持ち、また削られた部分の崖面は石積みで擁壁がつくられ、かなりしっかりと整備されていたことが分かります。
その砲台へ至る途中の道に…

建部山石橋3石積みで造られたかなり立派なアーチ橋が。さすが軍が作っただけあって100年経ってもそのまま残ってます。
アーチの基部はカーブが付けられ、
はっきり言って目立たない場所にあるのにこの凝りよう。しかし、アーチ部分は何故か石ではなくコンクリート。
ただ、アーチ上部のみコンクリートで、さらにコンクリ部分あたりから上の石積みの感じが下の方と違う積み方で、しかも粗いため、
もしかしたら、昭和期に改修したのかもしれません。

しばらく進むと突如煉瓦塀が。
・・・写真撮ってなかったです。
衛門跡らしき場所を通り、頂上に着くと目の前に。

建部山砲台弾薬庫1おなじみの弾薬庫が。
見なれたせいかやや感動が薄れていたけど、正直贅沢ですねw




建部山砲台弾薬庫内部2内部はカビが目立つものの、大きな損傷はなく、良い状態が保たれてます。
中はひんやり。




建部山砲台弾薬庫内部通路1こちらも各弾薬庫内をつなぐ通路があります。
吉坂よりやや痛みあり?




建部山砲台弾薬庫側階段1弾薬庫の脇にある階段。
ここを上がると砲座と砲側庫に至ります。
階段は石造で今もしっかり残ってます。






建部山砲台砲側庫2上がった先に見える砲側庫。
外壁は石積みっぽい。





建部山砲台砲側庫3砲側庫の入り口。






建部山砲台砲側庫内部2砲側庫内部は吉坂と同じくクランク状にして正面の壁に銃窓を設けています。
砲座に送る砲弾を置く場所のようですが、
砲兵の退避所とか指揮所の役目も果たしていたのかもしれません。


建部山砲台砲座1こちらが砲座跡。
石積みでしっかり残ってます。






建部山砲台自体は一般的によく見る砲台の感じなので、要塞跡とか砲台跡を見なれた人には目新しさがあまり無いかもしれませんが、
こちらはハイキングコースとして気軽に上がれますし、それなりに整備もされてますので、要塞見学入門編として初心者には見学しやすい砲台と思います。初めて見る分には十分なくらいの立派さですしね。

besan2005 at 23:17|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

舞鶴要塞・吉坂堡塁跡

舞鶴要塞見学ツアー初日午後は、福井県高浜町にある吉坂堡塁跡へ。
舞鶴市内ではないですが、場所は本当に舞鶴市と高浜町の境。
堡塁というのは、湾内に侵入する敵艦艇を迎撃する砲台とはまた別で、直接上陸してきた敵兵を食い止めるための要塞。
まさに堡塁こそが明治の城塞と言える性質を持つ要塞です。
この吉坂堡塁は、福井県側から侵入するであろう敵兵(ロシア兵)
を舞鶴に入れさせないように食い止める前線の砦だったのです。

場所は杉森神社の裏の山。関西電力が鉄塔の管理をしているためか、狭いながらも登山道が途中まで延び、道に迷うことはない…
んですが、かなりしんどいwしばらく上がっていくと途中から幅員が3mくらいある広い道が出現。これこそが堡塁に至る正規の道で、さすが軍が作っただけあって石で擁壁を作る立派なもの。
休みつつ頑張って上がっていくと…

吉坂堡塁付属堡塁衛門突如現れる門柱。
当時の衛門の跡で、こんなのが残っているのは意外。こういうのって大抵倒壊していると思ってたので。



吉坂堡塁付属堡塁2奥にあったのは、状態の良い弾薬庫跡。
煉瓦の入り口だけでなく、半地下に降りる階段も良く残ってます。







吉坂堡塁付属堡塁貯水槽ここは弾薬庫1つと貯水槽らしき施設、
それに指揮所らしき施設が3つ
並んでいます。こちらは貯水槽らしき遺構。






吉坂堡塁付属堡塁内部2こちらは指揮所か退避所と思われる遺構。
内部はクランク状に作られ、正面の壁には銃眼の窓が。
敵が容易に中には入れないように作ってます。





吉坂堡塁付属堡塁内部1指揮所らしき内部はドーム状になってました。作りは丁寧だけど内部は狭い。






実は最初に訪れたこの遺構は付属堡塁の跡で、いわば出城のようなもの。付属でこれだけ立派な施設を作ってますから吉坂堡塁はまさに舞鶴軍港防備の最重要拠点だったことが分かります。

付属堡塁を後にし、いよいよ本堡塁へ。

吉坂堡塁弾薬庫2まず見えてきたのが5つ並んだ弾薬庫跡。
もうこのタイプのデザインは共通ですね。
しかし、細部は微妙に違ってたりするのが面白い。



吉坂堡塁弾薬庫4弾薬庫前には階段も残存。
この作りは付属堡塁と同じだが、
敷地の広さは段違い。




吉坂堡塁弾薬庫内部2内部は各弾薬庫をつなぐ感じでつながっています。弾薬庫内は大きく広い。





吉坂堡塁弾薬庫1こちらは別のタイプの弾薬庫。






吉坂堡塁弾薬庫内部1内部はちょっと狭い。
吉坂堡塁の各施設は人があまり立ち入らないためか状態がかなり良い。




吉坂堡塁弾薬庫内部入口弾薬庫内部から。
雰囲気抜群。








たしかこの上に砲座と砲側庫があったのですが、写真撮り忘れ…

ところで、吉坂堡塁を見て回って感じたことですが、煉瓦の構築物等が思ったより多くなかったこと。規模の大きさから見たら少々拍子抜けでしたが、それよりも大規模な範囲に土塁を構築し、斜面を削り空濠なんかを設けています。正直そちらの土による防御施設のほうがメインのようにも感じました。
敵の戦艦を相手にする砲台とちがい、斜面を上がってくる歩兵を迎撃する堡塁は土の防御で十分だったのでしょうか。
確かにかなりの長さにわたって築かれた土塁による歩兵の射撃ラインは見事ですが、これを見ていると明治という近代なのに堡塁の防御自体は中世の山城とあんまり変わらないなと。
明治でも中世さながらの防御施設を取り入れているのは
私にとっては意外な発見でしたね。

なんせ、土塁と切岸(斜面を削って崖状にした部分)と空濠なんてまんま中世城郭ですし。知らない人が見たら、中世の城とカン違いするかも。

1日目はここまで。

besan2005 at 21:16|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

舞鶴要塞・浦入砲台跡

9月21日と22日に舞鶴要塞跡ツアーとして5つの砲台跡を巡りました。初日は浦入砲台跡と吉坂砲台跡。
まずは午前中に訪れた浦入砲台跡です。

浦入砲台は明治32年に完成した砲台で、現在関西電力舞鶴火力発電所のすぐ裏にあります。
というのも、火力発電所が浦入砲台の敷地を削って作っているので。というわけで、遺構本体も破壊されているのでは…と危惧していましたが。
浦入砲台砲座5道なき道を進み藪をかき分け、斜面を這いつくばって辿りついた先に見えたのは、見事な煉瓦の壁。かつて要塞砲の砲座として使われていたところです。軍の要塞なんだから実用本位でいいのに、半円の角の部分はしっかり隅石で構築するという凝りよう。
浦入砲台弾薬庫外面5砲座跡を下ると、発電所によって削られた法面の崖ギリギリに弾薬庫跡がほぼ完全に残されていました。
関電側が貴重な近代化遺産を残そうと配慮したのか、壊す手間と廃材処理が面倒だからあえて手を付けなかったのか分かりませんが、ともあれ、残してくれたことにはGJ!!
浦入砲台弾薬庫外面4木漏れ日の中にたたずむ煉瓦の構築物は美しい…





浦入砲台弾薬庫内部2弾薬庫内部はどうしても不気味に思えますけどねw
今となってはコウモリの巣。




思ったより砲座と弾薬庫の残りがよく、満足して帰路につこうと
行きとは違う尾根伝いを進んでいくと・・・

P9210023陸軍の石製境界杭発見。
でっかく「陸」と刻まれた立派なものですが、
境界杭自体は粗削りの適当に見えるもの。

ちなみに1mほど離れたすぐ横に「海界」と
刻まれた海軍のものらしき石製の境界杭も。
なんか、陸軍と海軍の意地の張り合いを思わせて面白いw


境界杭を後にし、さらに進むと…

浦入砲台水雷衛所外面アーチ3今までとは作りの異なる煉瓦の構築物が。
入口にはカマボコ状の楕円アーチ飾りも。
これは資料であまり見ない施設。




浦入砲台水雷衛所内部3内部は殺風景だけど、よく見ると入り口部分は内部側が広く外側が狭く作られている。
これは城郭の狭間と同じ効果を狙ってるのか?
しかし、これだけ空いていればあまり意味が無いような…

この楕円アーチの建物、nagaiさんのブログに寄せられたコメントによると水雷衛所ではないかとのこと。
水雷とは、魚雷やら機雷やら爆雷などの海で使う兵器の総称。
恐らくここでは港湾に施設する機雷を担当していたと思われるが、
詳細な資料があればより分かりやすいんですがね・・・
そういえば、歴史群像の「日本の要塞」に近年見つかったという
函館要塞の水雷司令部跡の写真が載ってましたが、
そんな感じの施設だったんでしょうか。

浦入砲台は思った以上に遺構が残り満足。
次は県境の吉坂堡塁跡へ。


besan2005 at 20:07|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新のお客様のご意見