2011年09月

2011年09月18日

福知山陸軍衛戍病院関連と思われる建物。

fukuchiyamaishi2
福知山市の市役所裏にある伯耆丸公園には、かつて陸軍の衛戍病院がありました。
遺構としては、当時の石垣と名盤が残っていますが、それとは別に伯耆丸の登り口に
衛戍病院時代と推測される古い建物が現存しています。
fukuchiyamaishi3
その証拠となるのがこの通風口で、写真に写る真ん中の平屋の建物にあるものですが、
通風口のデザインが陸軍の☆マークになっています。
また、基礎がレンガ造りという明治期特有の作りになっていることも挙げられます。

これまではこの登り口からの観察しかしておりませんでしたが、
今回中庭部分に回ってもう少し調査致しました。
P1030495
まず古いと思われていた建物は、真ん中の棟の陸軍の☆マークの建物だけかと思いましたが、
その左隣の伯耆丸側の建物も煉瓦基礎を持つ下見板張りの古い建物であることがわかりました。
ただ、通風口は☆マークではありませんでしたが、衛戍病院時代とさほど時期差の無い建物かと思われます。
新しく見えたのは、道路側の面だけ改修していたからのようです。
P1030502
中庭跡と思われる位置からの撮影です。
上記の下見板張りの建物は2階建てです。
衛戍病院時代と思われる建物は、中庭跡から見ると結構規模のある建物のように見えます。
福知山衛戍病院 病室
衛戍病院時代の絵葉書。
どことなく面影が無いこともないかな?
P1030498
中庭の左端にある建物。
衛戍病院時代の建物かはわかりませんが、
戦前の建物の可能性は十分ありそう。
P1030500
小口面から。
当初の面影がそのまま残されている気がします。
この建物もモルタルで塗られて入るものの、
基礎は煉瓦のようです。

最初に説明した2階建ての木造建築もですが、
現在同じ市内の旧20連隊の敷地跡に残されている陸軍時代の建物と
外観がよく似ています。
旧演武場
こちらは旧演舞場。
明治31年の建物です。
その他に、旧軍属宿舎の建物が残ってますが、
特に旧軍属宿舎と上記の平屋の建物がよく似ております。

※参考サイトhttp://kanreport.blog58.fc2.com/blog-entry-53.html#cm

これらの建物はもしかすると全て旧衛戍病院時代のむ建物であった可能性があります。
さらに言えば、一番手前の旧福知山医師会館の建物も改修されているだけで
元は旧衛戍病院時代の建物であった可能性も十分ありえます。

※福知山医師会のサイトによると、「福知山医師会」と改称したのは昭和22年。
http://www.fukuchiyama.kyoto.med.or.jp/syoukai/syoukai-1.html
医師会が戦後まもなく旧衛戍病院の建物を払い下げられた可能性がある。

P1030496
建物の背後の伯耆丸登り口下には、当時のものらしき布積みの石垣があります。
ところどころ小さなレンガ積みがありますが、不明です。
P1030493
建物の近くの登り口脇に軍の境界石が残されています。
「陸境・・・」と刻まれているので、陸軍の境界石のようです。
このすぐ横にあと2本石柱がありますが、埋もれていて文字はわかりませんでした。
しかし、恐らく陸軍の境界石かと思われます。

besan2005 at 14:45|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府
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