2017年08月
2017年08月27日
綾部市内の近代建築探索+旧福知山医師会館探訪日記。
2017年8/26と8/27、綾部市内にある近代建築をいくつか探索してきました。
綾部市は実家の隣町で現在でも舞鶴へ行く際に通過する馴染みある街なのですが、
市内にある古い建物をそういえばしっかり見て回ってないなということに気付きまして。
あと、15年くらい前に訪問して現在どうなっているのか気になっている建物もあり、
改めて探索することにしました。
ちなみに今回はグンゼ関連の近代建築はスルーです。有名すぎるし保存も図られているから取り壊される危険も今の所なさそうだし。
まずは土曜日の8/26。

大本教本部の隣にある丹陽教会。大正13年の築だそうです。

塔屋が特徴的な教会。地方の小都市の境界としてはなかなか立派。
外壁はモルタルで覆われていました。構造はなんでしょう。

保壽堂(旧堀文具店)明治8年築。明治初期の擬洋風建築。土蔵建築の応用的な感じですが、地方小都市に明治初期の擬洋風建築が残っているのは貴重かと思います。
ここで市内中心部を離れ、福知山市との境に近い小貝地区へ。

荒賀自動車。旧綾部市農協連絡所。大正期。
15年前、私市丸山古墳を見に行こうとして通りかかったこの小貝地区で偶然見つけて驚いた建物。
小さな田舎の集落にこんな本格的な古い西洋館があるなんて。
あれから15年。どうなっているだろうと再び訪ねましたら無事健在していてホッとしました。

荒賀自動車の建物は老朽化はしていますが、軒周りや窓回りやドアなど外観はほぼ当時のままで、大切に使われていることが分かります。このまま末永く残ってほしいものです。

そして、荒賀自動車のすぐ近くにある旧佐賀村役場。大正5年。

この建物を最初に見たときも驚きました。先ほども書きましたがこんな小さな集落の中にこれほどの洋館が2つもあるなんて。

窓枠はアルミサッシに変えられていますが、全体の外観の姿はほぼ完全に維持されています。

玄関部分もドアも当時のまま。

車寄せの梁と柱は石製で、梁の部分に「佐賀村役場」の文字が刻まれています。
元々は福知山市側の佐賀地区にあったようですが、戦後に綾部市側のこの場所に移築されたとか。

内部は多少改変があるようですが、それでも状態は良く、地方の貴重な役場建築として今後も大切に保存してもらいたいですね。

綾部市を離れ向かったのは福知山市の旧福知山医師会館。
この建物、以前から背後の伯耆丸にあった旧陸軍福知山衛戍病院の建物の1つではないかと推定している建物で、もしそうなら唯一残る貴重な衛戍病院時代の建物ではないかと思っているものなのですが、今年4月に福知山医師会館がこの建物から移転すると知り、この建物の動向が気になって訪ねた次第です。

背後から。とりあえずまだ取り壊しなどは行われていませんでした。

正面にある看板。福知山医師会館の「福知山」の文字が外されましたが、その下に「天田郡」の文字が見え、この建物が戦前から医師会館として使用されていた可能性が出てきました。
まぁ、戦前に建てられた天田郡医師会館の看板を転用した可能性もありますが。
※古絵葉書・天田郡医師会館落成記念

ガラス越しに内部を撮影。内部もほぼオリジナルを保っているようです。


旧福知山市医師会館の本館と付属屋の基礎にある通風孔。
陸軍の星章があり、これがかつて陸軍の建物だった可能性を伺わせる証拠のものです。
また、背後には陸軍の境界石があります。
※12年前の訪問時のレポ。
ただし、大正12年に発行された福知山衛戍病院の写真帖には現存するこれらの建物らしいものは撮影されていません。陸軍の建物には間違いないはずですが、そういった理由で断定はできない感じです。
昭和初期には税務署となっており、もしかすると大正期に払い下げられた可能性もあります。
※古書籍・福知山衛戍病院写真帖(大正13年)
どちらにしろ旧陸軍時代の建物として、とくに付属屋は煉瓦基礎に下見板張りの明治期を思わせるオリジナルの外観が保たれており貴重な存在だと思いますが、医師会館の移転により空き家となり、取り壊しの可能性が出てきた状態。中庭部分は雑草で覆われかなり荒れていましたし。もし取り壊しになってもできれば建物の調査と通風孔の保存はしてもらいたいですが…。
日曜日の8/27。
綾部市の近代建築探索は昨日で終わる予定だったのですが、綾部市に移築されたという旧舞鶴海軍航空隊の格納庫が別の建物と勘違いしてしまい、改めて見に行くことに。

綾部市市民センター。
かつて宮津市栗田にあった水上機基地である旧舞鶴海軍航空隊の格納庫を昭和33年に移築し再利用したもの。格納庫だったという経緯もあってかなり大きい建物でした。

※古絵葉書・舞鶴海軍航空隊(栗田水上機基地)
古写真・古絵葉書ブログである拙ブログに旧海軍航空隊時代の絵葉書を記事にしてますが、絵葉書に写る格納庫と現在の移築後の建物とでは形が変わっています。話では躯体である鉄骨を払い下げられ建てられたようなので、躯体はそのままでも外観は改変されたようです。

ただ、一部のみ古い木枠の窓枠が残されていました。
旧舞鶴海軍航空隊時代の物かは分かりませんが、もしかするとと思い撮影。
この市民センターも別の場所に武道館と統合した新市民センターの建設の計画があり、
今年度から別の場所にて建築が始まるようです。
新市民センター完成後はそちらに移りますので、この建物は空き家になり取り壊しの可能性が出てきます。貴重な旧海軍時代の建物、見学は早いうちがいいかもしれません。

綾部市市民センターの近くにあった洋館。熊野新宮会館(旧京都府養蚕同業組合連合会事務所)
大正7年。一応使用されているようですが、こちらもだいぶ老朽化しており今後が心配な建物。

市民センターの背後には由良川が流れており、青色の鉄橋が架かってます。

綾部大橋というトラス橋で、昭和4年の完成。
洪水により幾度も流された由良川の橋。そこに架けられた鉄骨製の重厚なトラス橋はまさに永久橋と呼べる橋で、竣工時は市民の歓喜の声で沸いたと言います。
以後78年間、由良川の増水に耐え続け現在も現役で使用されています。

2005年、綾部大橋は国指定登録有形文化財に指定されました。
文化財になった綾部大橋は綾部のシンボルの一つとして存在し続けることでしょう。
2日に渡る綾部市と旧福知山医師会館の探訪を終えました。
今回はグンゼ関連の建物群はスルーしましたが、次回改めて訪問しようかと思ってます。
綾部市と言えばグンゼの建築群が有名ですが、それ以外にも近代建築が数多く残っているのを
知っていただきたいものですね。
綾部市は実家の隣町で現在でも舞鶴へ行く際に通過する馴染みある街なのですが、
市内にある古い建物をそういえばしっかり見て回ってないなということに気付きまして。
あと、15年くらい前に訪問して現在どうなっているのか気になっている建物もあり、
改めて探索することにしました。
ちなみに今回はグンゼ関連の近代建築はスルーです。有名すぎるし保存も図られているから取り壊される危険も今の所なさそうだし。
まずは土曜日の8/26。

大本教本部の隣にある丹陽教会。大正13年の築だそうです。

塔屋が特徴的な教会。地方の小都市の境界としてはなかなか立派。
外壁はモルタルで覆われていました。構造はなんでしょう。

保壽堂(旧堀文具店)明治8年築。明治初期の擬洋風建築。土蔵建築の応用的な感じですが、地方小都市に明治初期の擬洋風建築が残っているのは貴重かと思います。
ここで市内中心部を離れ、福知山市との境に近い小貝地区へ。

荒賀自動車。旧綾部市農協連絡所。大正期。
15年前、私市丸山古墳を見に行こうとして通りかかったこの小貝地区で偶然見つけて驚いた建物。
小さな田舎の集落にこんな本格的な古い西洋館があるなんて。
あれから15年。どうなっているだろうと再び訪ねましたら無事健在していてホッとしました。

荒賀自動車の建物は老朽化はしていますが、軒周りや窓回りやドアなど外観はほぼ当時のままで、大切に使われていることが分かります。このまま末永く残ってほしいものです。

そして、荒賀自動車のすぐ近くにある旧佐賀村役場。大正5年。

この建物を最初に見たときも驚きました。先ほども書きましたがこんな小さな集落の中にこれほどの洋館が2つもあるなんて。

窓枠はアルミサッシに変えられていますが、全体の外観の姿はほぼ完全に維持されています。

玄関部分もドアも当時のまま。

車寄せの梁と柱は石製で、梁の部分に「佐賀村役場」の文字が刻まれています。
元々は福知山市側の佐賀地区にあったようですが、戦後に綾部市側のこの場所に移築されたとか。

内部は多少改変があるようですが、それでも状態は良く、地方の貴重な役場建築として今後も大切に保存してもらいたいですね。

綾部市を離れ向かったのは福知山市の旧福知山医師会館。
この建物、以前から背後の伯耆丸にあった旧陸軍福知山衛戍病院の建物の1つではないかと推定している建物で、もしそうなら唯一残る貴重な衛戍病院時代の建物ではないかと思っているものなのですが、今年4月に福知山医師会館がこの建物から移転すると知り、この建物の動向が気になって訪ねた次第です。

背後から。とりあえずまだ取り壊しなどは行われていませんでした。

正面にある看板。福知山医師会館の「福知山」の文字が外されましたが、その下に「天田郡」の文字が見え、この建物が戦前から医師会館として使用されていた可能性が出てきました。
まぁ、戦前に建てられた天田郡医師会館の看板を転用した可能性もありますが。
※古絵葉書・天田郡医師会館落成記念

ガラス越しに内部を撮影。内部もほぼオリジナルを保っているようです。


旧福知山市医師会館の本館と付属屋の基礎にある通風孔。
陸軍の星章があり、これがかつて陸軍の建物だった可能性を伺わせる証拠のものです。
また、背後には陸軍の境界石があります。
※12年前の訪問時のレポ。
ただし、大正12年に発行された福知山衛戍病院の写真帖には現存するこれらの建物らしいものは撮影されていません。陸軍の建物には間違いないはずですが、そういった理由で断定はできない感じです。
昭和初期には税務署となっており、もしかすると大正期に払い下げられた可能性もあります。
※古書籍・福知山衛戍病院写真帖(大正13年)
どちらにしろ旧陸軍時代の建物として、とくに付属屋は煉瓦基礎に下見板張りの明治期を思わせるオリジナルの外観が保たれており貴重な存在だと思いますが、医師会館の移転により空き家となり、取り壊しの可能性が出てきた状態。中庭部分は雑草で覆われかなり荒れていましたし。もし取り壊しになってもできれば建物の調査と通風孔の保存はしてもらいたいですが…。
日曜日の8/27。
綾部市の近代建築探索は昨日で終わる予定だったのですが、綾部市に移築されたという旧舞鶴海軍航空隊の格納庫が別の建物と勘違いしてしまい、改めて見に行くことに。

綾部市市民センター。
かつて宮津市栗田にあった水上機基地である旧舞鶴海軍航空隊の格納庫を昭和33年に移築し再利用したもの。格納庫だったという経緯もあってかなり大きい建物でした。

※古絵葉書・舞鶴海軍航空隊(栗田水上機基地)
古写真・古絵葉書ブログである拙ブログに旧海軍航空隊時代の絵葉書を記事にしてますが、絵葉書に写る格納庫と現在の移築後の建物とでは形が変わっています。話では躯体である鉄骨を払い下げられ建てられたようなので、躯体はそのままでも外観は改変されたようです。

ただ、一部のみ古い木枠の窓枠が残されていました。
旧舞鶴海軍航空隊時代の物かは分かりませんが、もしかするとと思い撮影。
この市民センターも別の場所に武道館と統合した新市民センターの建設の計画があり、
今年度から別の場所にて建築が始まるようです。
新市民センター完成後はそちらに移りますので、この建物は空き家になり取り壊しの可能性が出てきます。貴重な旧海軍時代の建物、見学は早いうちがいいかもしれません。

綾部市市民センターの近くにあった洋館。熊野新宮会館(旧京都府養蚕同業組合連合会事務所)
大正7年。一応使用されているようですが、こちらもだいぶ老朽化しており今後が心配な建物。

市民センターの背後には由良川が流れており、青色の鉄橋が架かってます。

綾部大橋というトラス橋で、昭和4年の完成。
洪水により幾度も流された由良川の橋。そこに架けられた鉄骨製の重厚なトラス橋はまさに永久橋と呼べる橋で、竣工時は市民の歓喜の声で沸いたと言います。
以後78年間、由良川の増水に耐え続け現在も現役で使用されています。

2005年、綾部大橋は国指定登録有形文化財に指定されました。
文化財になった綾部大橋は綾部のシンボルの一つとして存在し続けることでしょう。
2日に渡る綾部市と旧福知山医師会館の探訪を終えました。
今回はグンゼ関連の建物群はスルーしましたが、次回改めて訪問しようかと思ってます。
綾部市と言えばグンゼの建築群が有名ですが、それ以外にも近代建築が数多く残っているのを
知っていただきたいものですね。