2018年09月

2018年09月04日

鈴鹿海軍工廠遺構群探索レポ日記

旧鈴鹿海軍工廠範囲









鈴鹿海軍工廠は太平洋戦争中の昭和18年に完成した海軍工廠で、主に機銃や機銃弾や爆弾の信管を製造する軍需工場でした。工廠本体の敷地は現在のイオンモール鈴鹿から本田技研鈴鹿工場の南端に至る広大なもので、最盛期は1万人あまりが働いていました。さらには周囲に工廠職員の官舎や職員用の海軍共済病院、工員養成所などが建ち並んでいました。
鈴鹿海軍工廠昭和22年












※昭和22年米軍撮影の航空写真。国土地理院HPより。鈴鹿海軍工廠を撮影したもの。
鈴鹿海軍工廠はその規模の大きさから当然米軍の攻撃対象になっており、昭和20年7月24日に鈴鹿海軍工廠を狙ったと思われる空襲が開始。しかし目標は逸れ、工廠の東にある算所町に爆弾が投下されました。以後、鈴鹿海軍工廠は大きな被害もなく終戦。跡地はイオンモール鈴鹿や本田技研、旭化成鈴鹿工場の敷地となり、官舎街はそのまま住宅街となりました。
鈴鹿海軍工廠の建物はほとんど失われましたが、わずかに当時の建物や施設が残されています。
今回、それらの旧軍遺構を訪ねてみました。

まずは、海軍工廠の北側にあった平田町の官舎街。
ここは真北に対して45度くらいの傾きで枡目状の区画がされ、そこに甲号官舎と乙号官舎が建てられました。事前の下調べで現在の航空写真と昭和22年の米軍撮影の航空写真とを見比べていると、おそらく当時の官舎であろう住宅が複数現存しているのを確認。
平田町官舎群






平田町の現在の航空写真と昭和22年の米軍撮影の航空写真。区画は当時のままです。向きやプランを比べるとA〜Dの官舎は現存で間違いないと思います。
P1120707










平田町官舎A。門は後からのものと思います。現地では生垣であまり確認できませんでしたが、一部増築がある以外は官舎の建物をそのまま利用していると思います。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎2-3










平田町官舎B。この官舎はほぼ当時のままの姿だと思います。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎2-2










但し、現在は空き家でだいぶ傷んでいます。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎2-1










敷地の庭も荒れており、いずれ姿を消すのではと思います。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎1-1










平田町官舎C。こちらは現在も使われており、改修されてますが、建物自体は当時のままと思われます。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎1-2










裏側は比較的当時の姿を残している感じ。基礎のコンクリートは古いです。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎1-3










付属屋。当時のままっぽいです。何に使われていたかは不明。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎3-1










平田町官舎D。官舎Cの東隣にあります。近年のリフォームで綺麗になってますが、建物のプランを見ると、元官舎の建物だと思います。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎3-2










建物のそばには官舎Cにあるものと同じ付属屋があります。官舎Cと同じく米軍の航空写真にも写っています。
とりあえず、元官舎で間違いないだろうと思われる建物は4つでしたが、他にももしかしたら大幅な改造を受けてはいるがそのまま使われている元官舎はあるかもしれません。
鈴鹿海軍工廠平田町官舎4










鈴鹿海軍工廠平田町官舎6










鈴鹿海軍工廠平田町官舎7










鈴鹿海軍工廠平田町官舎8










その他、近辺に気になる建物をいくつか確認。古いコンクリートの基礎に同じようなプランの切妻屋根の平屋。さらにはセメント瓦でもしかしたらと撮影しましたが、帰宅後に米軍の航空写真で確認したところ、これらの建物のある場所には何もありませんでした。ただ、建物自体は古そうなので後に移築して再利用した可能性も考えられますが、その辺は分かりませんので保留にしています。

平田町官舎街を後にして、鈴鹿海軍工廠の本体部分の敷地へ。
鈴鹿海軍工廠銘板







鈴鹿海軍工廠の正門にあった銘板。現在はイオンモールと旭化成の南、大池三丁目交差点の東に移設されています。

次に本多技研工場の北端の道を西に進み海軍工廠時代の建物が残る平野町へ。
その本田技研工場の北端の道路に面した部分には土塁状の盛土に囲まれた堀のような部分が延々と敷地の西端まで続いています。
本多







赤線の部分です。
米軍の航空写真にも同じ個所に堀のようなものが確認できます。結構な規模で後からこんな堀を掘る意味もないですし、海軍工廠時代のものではないかと思われます。
P1120741










堀は弓道場になっていたり池になっていたり放置されていたり様々。一か所、水路のようなコンクリートの構造物が見えたので撮影しました。

本多技研工場の敷地を過ぎ、平野町へ。ここは鈴鹿海軍工廠の敷地内でしたが、小さな工場や住宅街になったおかげで、工廠時代の建物が多く残されています。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟1-1










鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟。火薬に高い圧力をかけて固体の爆薬を作っていた場所で、砲弾や弾薬や爆弾に火薬を充填していました。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟1-2










鈴鹿海軍工廠跡で数少ない当時の建物の一つ。現在はアパートのようですが、いつ失われてもおかしくない危うい状況。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟2-3










先ほどの建物から南に下った場所にある別の火管圧填工場棟。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟2-2










一見当時の建物には見えませんが、横のコンクリートの分厚い壁を見たら納得。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場棟2-1










この建物もアパートとして使われていますが、先ほどの建物と同じく予断は許されない感じ。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫1-1










火管圧填工場棟の周囲には火薬庫が3棟残されています。こちらは煉瓦造の火薬庫。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫1-2










町工場の敷地にあり、保存状態は良く大切にされているっぽいです。
煉瓦の壁面には防空用の墨塗りっぽい痕が残ってます。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫2-1










煉瓦の火薬庫の道から一本西の細い路地にある火薬庫。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫2-2










民家の物置になってます。こちらはセメント煉瓦っぽい作りです。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫3-1










上記の火薬庫から北上したところにある火薬庫。先ほどと同じ作りです。
鈴鹿海軍工廠火管圧填工場火薬庫3-2










20mほど離れた形で並んでいます。

平野町を後にし、製造した弾薬の試射場だった場所へと向かいます。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場着弾場1










鈴鹿海軍工廠山の手発射場着弾場。現在、鈴鹿リサイクルセンターの敷地内に残された巨大なコンクリート構造物。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場着弾場2










鈴鹿海軍工廠時代はここで製造された弾薬類の試射が行われました。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場着弾場3










かつては内部に土を詰め、それに向かって射撃していたようです。巨大で頑丈なコンクリートの構造物なので、撤去できずに残されたのでしょう。リサイクルセンターになる前は機銃弾の薬莢が多数転がっていたそうです。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫1-1










試射場の東の奈良池北側には試射に使う火薬庫がありました。地下式の巨大なコンクリートの火薬庫が2か所残されています。こちらは西側の火薬庫。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫1-2










鉄扉が残されていました。こういった金属のものは戦後に真っ先に盗られたので旧軍遺構で残されているのは珍しいです。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫1-3










扉は開いてました。中が気になりましたが手前の草が激しく生い茂っており断念。草刈りしたいw
(一応、刈払い機の資格は持ってるので使えるしw)
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫1-4










東側のコンクリート壁。この火薬庫は覆土式でしょうか。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫2-1










東側にあるもう一つの火薬庫。こちらは住吉神社のある丘の地下に作られている感じ。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫2-2










工事用のバリケードで前が塞がれていたようですが、何故か破壊されていて、東端は普通に開いていました。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫2-3










なので、ちょっとお邪魔して近くまで。こちらも鉄扉が残されています。鉄扉は閉じられ鍵がかけられているので入れませんが、ダイヤル式の鍵の跡?らしき穴があり、そこにカメラのレンズを入れてみました。
鈴鹿海軍工廠山の手射撃場火薬庫2-4










鉄扉の穴から撮影した火薬庫内部。流石に殺風景&不気味・・・ですが、火薬庫という性格かコンクリートの壁や柱は頑丈ですね。奥に光が見えますが、これは上に伸びてる通気口。煉瓦積みの通気口が丘の上に出ていて住吉神社の境内から行けるようですが、この時さんざん歩いていて疲れが来ていたのでヘタれて行かず・・・。内部の撮影をした後、そのまま立ち去りました。
ちなみに、ここの南にある有名な鈴鹿サーキットもかつては鈴鹿海軍工廠の射撃場跡だったそうで。
名称未設定-1













鈴鹿海軍工廠の遺構は広範囲に点在しているので、探索は車かバイク、せめて自転車があった方がいいかと思います。地図に今回巡った遺構とルートを示してみましたが、再び加佐登駅に戻るまで4時間。(出張先の宿舎の最寄り駅がJR線なので。)測ってみたら13km余りの行程となりました。
加佐登駅の北側には旧亀山陸軍病院や旧第一航空軍教育隊の遺構があるけれど、断念。
またの機会とします。できれば出張中の間に(笑)


besan2005 at 11:28|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 三重県
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