2019年03月

2019年03月17日

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠周辺図






※今回探索した銀丘地区は第三十一海軍航空廠の中津工員宿舎街と判明しました。

宮津市の栗田半島に銀丘地区という集落があります。近くにはかつて舞鶴海軍航空隊の敷地だった宮津海洋高校があり、北には水上機生産工場だった第三十一海軍航空廠(現・関西電力エネルギー研究所)とその官舎街があり、昭和22年の写真を見ていたのですが舞鶴海軍航空隊の北西部に明らかに区画整理された箇所があることに気付きました。
銀丘地区







現在の銀丘地区と昭和22年の航空写真との比較。(GoogleMap及び国土地理院公開の航空写真より引用。)
同じプランの建物が整然と並びます。道路を挟んだ東側にある集落と比較して新たに区画整理されて造られた地区であることは一目瞭然で、舞鶴海軍航空隊に近いことから、舞鶴海軍航空隊に関する官舎街ではないかと推定しました。しかしネットで色々検索しても北側の第三十一海軍航空廠の官舎街に関してはヒットするものの、この銀丘地区に関しては全く情報が出てきませんでした。
※過去記事・第31海軍航空廠官舎群・探索レポ日記
そこで今回、実際に探索してみることにしました。
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銀丘地区には同じ規格と思われる古い住宅が数棟存在していました。いずれも南北に細長い平屋の建物。昭和22年の航空写真に写る建物と一致しています。
IMG_1728










※参考1・朝来海軍第三火薬廠第一製造部乙号官舎。規模の違いこそあれ、姿ヤブランはよく似ています。第三火薬廠第一製造部の遺構に関しては後日記事にします。
3官舎1










※参考2・過去に探索した宮津市鏡ヶ浦地区の第三十一海軍航空廠の官舎。造りがそっくりです。
9官舎5










11官舎6










※参考3・こちらは小田宿野地区の第三十一海軍航空廠の官舎。規模は大きいですが横長のプランに妻入り屋根つが付属するプランは共通しています。

第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

しかしながら、第三十一海軍航空廠や第三火薬廠と違い、確たる資料や情報がない状況で銀丘地区の古い建物が本当に官舎なのか、銀丘地区が舞鶴海軍航空隊に関する海軍用地だったのか確定させる情報が無く、いつもの「可能性がある」という形で終えようと集落の外周を回っていると…
IMG_2044













集落の外周北端に「海界」の文字が刻まれた境界柱が。海界とは海軍用地の敷地境界のこと。
つまりはここが海軍の用地だという事を示す石柱。
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IMG_2034













それと同様の境界柱と思われる石柱が集落の南端にも2本あるのを確認。崖の上だったり立ち入り禁止と書かれた場所の向こうにあったりして近くで確認できなかったのが残念でしたが。
無題












今回確認した遺構の箇所。海界の境界柱は銀丘地区を囲むように配置されており、銀丘地区が海軍用地たことが分かります。(集落西側の浦宮神社の境内も探索しましたが境界柱は確認できず、神社も用地の中に入っていた可能性があります。)
今回の探索で「海界」の境界柱を確認したことにより、銀丘地区が海軍用地であったという証拠を得ることが出来ました。


besan2005 at 20:36|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構
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