2020年09月
2020年09月06日
三田市の近代建築探索レポ日記
丹波篠山市やその周辺の市町村の近代建築探索はそこそこ行ったのに、そういえば三田市はまだ行ってないなという事に気付き、思い立っては吉日とやらで向かう事にしました。
まずは郊外の相野駅へ。

旧相野郵便局。三田市下相野。明治32年。新しく見えますが、明治期の古い郵便局です。

背後は町屋っぽいようで、看板建築みたいな感じ。軒飾りとかが良い。現在は喫茶店のようですが、結構似合ってますね。開店していたら入ってたな。ただ、Googlemapで見ても店舗表示が無かった。休業しているのかも。
三田市街へ。

旧九鬼家住宅資料館。三田市屋敷町。明治8年頃。

三田藩家老職の家柄だった九鬼家の当主・九鬼隆範が明治8年頃に建てたもの。

1階が和風建築で2階が洋風という擬洋風建築ですね。内部も1階が和風、2階が洋風らしいです。1階は常時公開していますが、2階は期間限定の公開のようでこの日は公開してませんでした。

O邸。三田市屋敷町。大正から昭和初期頃か。立派な洋館が付属する大きなお屋敷です。

別角度から。

M邸。三田市屋敷町。大正12年。設計は西村伊作。

スパニッシュ風の白い洋館と広い庭がいかにもお屋敷と言った感じ。国登録有形文化財です。

いこいの家さんだ。三田市屋敷町。昭和初期頃か。

現在はNPO法人が使用していますが、建物の造りや門構えを見ると個人宅だったのでしょう。

近くにM邸があることから、この一帯は高級住宅地だったのかもしれません。この建物も大きな建物です。

W邸。三田市三田町。洋館は大正から昭和初期か。

伝統的な日本建築の主屋に付属する白亜の洋館。商家の事務所だったのかも。

旧I邸。三田市相生町。昭和初期。

中々洒落た洋館住宅ですが、現在は空き家でだいぶ痛みが。

リニューアルされて蘇ってほしい気はありますが、このままだといずれ取り壊しかも…

玄関周りとかも結構凝ってていい感じなんだけどなぁ。

旧辻井医院。三田市中町。昭和初期。ちょうど内装工事をしていて写真が撮りづらかったですが、玄関から内部がちらっと見えました。現在は個人宅のようです。

2階の窓が特徴的。

小島医院。三田市中町。昭和初期。旧辻井医院のお隣さん。

旧辻井医院と小島医院との並び。現代のスズラン灯も良いアクセントです。

旧辻井医院と小島医院の近くにある商店建築。何となく気になったので撮影。

三田市中央町にある廃墟。

造りからして元商店だったのかな。1階腰回りのスクラッチタイルから昭和初期かなぁと。この建物もいずれ消えそうな気がする…。
ここで、前から行きたかった「人と自然の博物館」へ。専用駐車場が無いことを知らずしばらくうろうろ。結局向かいのイオンに駐車…。
人と自然の博物館を後にし三田市郊外へ。

旧木器郵便局。三田市木器。昭和5年。

白亜の可愛らしい洋館です。今は個人宅?
さらに郊外へ。ここに素晴らしい洋館が…

O邸。三田市川原。明治18年。のどかな田舎の農村に突然現れる洋館と大きなお屋敷。

秋景楼と呼ばれるこの擬洋風建築は当時大庄屋の家柄だった当主がサロンとして建てたもの。

田舎の農村に突如現れた洋風の建物に当時の人は度肝を抜かれたことでしょう。当主は神戸の大工に依頼し、その大工は大阪の洋館を手本に建てたそう。それにしても明治初期に都市部ならまだしもこんな農村に洋館を建てちゃうセンス。もしかしたら前述の明治8年築の旧九鬼家住宅資料館を見て影響を受けたのかもしれませんね。

洋館の正面と主屋側は洋風そのものですが、目立たない右側は伝統的な土蔵造り。

そして正門の長屋門と一体化という珍しい造り。

門は固く閉ざされてました。農村の田園風景に映える白亜の明治初期の擬洋風建築。素晴らしいものでした。
帰りにちょっと寄り道。

丹波篠山市福住にある旧郵便局。恐らく大正から昭和初期のもの。

現在は雑貨屋さんとして使用され、中にいたお姉さんと色々お話。

実はリニューアル前からこの建物は知ってて写真を撮ってました。


そして改装工事中の様子も…。
古い洋館がこうして再度リニューアルされて大切にされている姿を見ると嬉しくなりますね。
まずは郊外の相野駅へ。

旧相野郵便局。三田市下相野。明治32年。新しく見えますが、明治期の古い郵便局です。

背後は町屋っぽいようで、看板建築みたいな感じ。軒飾りとかが良い。現在は喫茶店のようですが、結構似合ってますね。開店していたら入ってたな。ただ、Googlemapで見ても店舗表示が無かった。休業しているのかも。
三田市街へ。

旧九鬼家住宅資料館。三田市屋敷町。明治8年頃。

三田藩家老職の家柄だった九鬼家の当主・九鬼隆範が明治8年頃に建てたもの。

1階が和風建築で2階が洋風という擬洋風建築ですね。内部も1階が和風、2階が洋風らしいです。1階は常時公開していますが、2階は期間限定の公開のようでこの日は公開してませんでした。

O邸。三田市屋敷町。大正から昭和初期頃か。立派な洋館が付属する大きなお屋敷です。

別角度から。

M邸。三田市屋敷町。大正12年。設計は西村伊作。

スパニッシュ風の白い洋館と広い庭がいかにもお屋敷と言った感じ。国登録有形文化財です。

いこいの家さんだ。三田市屋敷町。昭和初期頃か。

現在はNPO法人が使用していますが、建物の造りや門構えを見ると個人宅だったのでしょう。

近くにM邸があることから、この一帯は高級住宅地だったのかもしれません。この建物も大きな建物です。

W邸。三田市三田町。洋館は大正から昭和初期か。

伝統的な日本建築の主屋に付属する白亜の洋館。商家の事務所だったのかも。

旧I邸。三田市相生町。昭和初期。

中々洒落た洋館住宅ですが、現在は空き家でだいぶ痛みが。

リニューアルされて蘇ってほしい気はありますが、このままだといずれ取り壊しかも…

玄関周りとかも結構凝ってていい感じなんだけどなぁ。

旧辻井医院。三田市中町。昭和初期。ちょうど内装工事をしていて写真が撮りづらかったですが、玄関から内部がちらっと見えました。現在は個人宅のようです。

2階の窓が特徴的。

小島医院。三田市中町。昭和初期。旧辻井医院のお隣さん。

旧辻井医院と小島医院との並び。現代のスズラン灯も良いアクセントです。

旧辻井医院と小島医院の近くにある商店建築。何となく気になったので撮影。

三田市中央町にある廃墟。

造りからして元商店だったのかな。1階腰回りのスクラッチタイルから昭和初期かなぁと。この建物もいずれ消えそうな気がする…。
ここで、前から行きたかった「人と自然の博物館」へ。専用駐車場が無いことを知らずしばらくうろうろ。結局向かいのイオンに駐車…。
人と自然の博物館を後にし三田市郊外へ。

旧木器郵便局。三田市木器。昭和5年。

白亜の可愛らしい洋館です。今は個人宅?
さらに郊外へ。ここに素晴らしい洋館が…

O邸。三田市川原。明治18年。のどかな田舎の農村に突然現れる洋館と大きなお屋敷。

秋景楼と呼ばれるこの擬洋風建築は当時大庄屋の家柄だった当主がサロンとして建てたもの。

田舎の農村に突如現れた洋風の建物に当時の人は度肝を抜かれたことでしょう。当主は神戸の大工に依頼し、その大工は大阪の洋館を手本に建てたそう。それにしても明治初期に都市部ならまだしもこんな農村に洋館を建てちゃうセンス。もしかしたら前述の明治8年築の旧九鬼家住宅資料館を見て影響を受けたのかもしれませんね。

洋館の正面と主屋側は洋風そのものですが、目立たない右側は伝統的な土蔵造り。

そして正門の長屋門と一体化という珍しい造り。

門は固く閉ざされてました。農村の田園風景に映える白亜の明治初期の擬洋風建築。素晴らしいものでした。
帰りにちょっと寄り道。

丹波篠山市福住にある旧郵便局。恐らく大正から昭和初期のもの。

現在は雑貨屋さんとして使用され、中にいたお姉さんと色々お話。

実はリニューアル前からこの建物は知ってて写真を撮ってました。


そして改装工事中の様子も…。
古い洋館がこうして再度リニューアルされて大切にされている姿を見ると嬉しくなりますね。
丹波市山南町の近代建築探索レポ日記
終戦から75年目となる2020年8月15日、丹波市山南町の近代建築の探索をしてきました。
まずは山南町の奥地区へ。

旧小川村役場。丹波市山南町奥。昭和12年。

現在は資料館として使用されているようです。

正面には石製の門柱があります。

旧小川村役場の前にある小川村道路元標。年号のチェックを忘れた…

奥公民館。旧小川村役場の近くにあります。

玄関部分は格天井。大正から昭和初期頃の建築に思えます。

よく手入れされた中庭がありました。
東へと向かいます。

途中で見かけた戦前っぽく見える倉庫。丹波市山南町村森。
さらに東へ。

谷川駅。丹波市山南町池谷。昭和13年。昔懐かしい木造駅舎。

谷川駅の扁額が掲げられた入口。

谷川駅内部。この雰囲気も懐かしいですね。
去年取り壊し前に訪問した八木駅を思い出します。昭和9年に建てられた八木駅はすでに取り壊され、新しい駅へと生まれ変わろうとしています。戦前の木造駅舎も随分と少なくなりました。

谷川駅の近くにある和洋折衷っぽい住宅。

主屋に付属する感じの離れになってます。応接用だったのでしょうか。
さらに東へ。篠山川沿いにある県道77号線を進むと…

今回のメインの目的地、旧上久下村営水力発電所に到着。

旧上久下村営水力発電所は、大正11年に完成した村営の水力発電所でした。
古絵葉書・氷上郡上久下村営水力発電所

発電所としての役目は終えましたが、国登録文化財として修復され保存されています。

1階部分から。

入口。旧上久下村営水力発電所は当初から2階が入口となっており、道路と入り口をつなぐコンクリート製の橋も当時からの貴重な物です。

2階内部は直下の篠山川から発見された丹波竜を紹介する展示室となっています。

1階部分は発電所時代の雰囲気をそのまま残しています。

私はこういう雰囲気の方が好みですね(^^)

旧上久下村営水力発電所の直下の篠山川にある丹波竜発見の地のマーク。
このあと、車を停めていた丹波竜のお土産屋さんのある観光施設で休憩。

男子トイレ内の注意書き。何故インターネットに詳しい某弁護士のイラストがww
丹波市山南町の探索を完了し、帰路に就く途中に…

全くノーマークだった建物が。場所は丹波篠山市黒田。

近寄ってみました。どう見ても戦前の公民館建築。

別角度から。この場所、浄法寺というお寺の看板が掲げられていました。後で調べてみると、浄法寺は黒田公民館の一部となっているそうで、この建物自体は黒田公民館のようです。

内部も当時の姿が良く残されていました。
丹波市山南町の近代建築探索の旅でしたが、丹波篠山市で思わぬ出会いがあり充実した探索となりました。
まずは山南町の奥地区へ。

旧小川村役場。丹波市山南町奥。昭和12年。

現在は資料館として使用されているようです。

正面には石製の門柱があります。

旧小川村役場の前にある小川村道路元標。年号のチェックを忘れた…

奥公民館。旧小川村役場の近くにあります。

玄関部分は格天井。大正から昭和初期頃の建築に思えます。

よく手入れされた中庭がありました。
東へと向かいます。

途中で見かけた戦前っぽく見える倉庫。丹波市山南町村森。
さらに東へ。

谷川駅。丹波市山南町池谷。昭和13年。昔懐かしい木造駅舎。

谷川駅の扁額が掲げられた入口。

谷川駅内部。この雰囲気も懐かしいですね。
去年取り壊し前に訪問した八木駅を思い出します。昭和9年に建てられた八木駅はすでに取り壊され、新しい駅へと生まれ変わろうとしています。戦前の木造駅舎も随分と少なくなりました。

谷川駅の近くにある和洋折衷っぽい住宅。

主屋に付属する感じの離れになってます。応接用だったのでしょうか。
さらに東へ。篠山川沿いにある県道77号線を進むと…

今回のメインの目的地、旧上久下村営水力発電所に到着。

旧上久下村営水力発電所は、大正11年に完成した村営の水力発電所でした。
古絵葉書・氷上郡上久下村営水力発電所

発電所としての役目は終えましたが、国登録文化財として修復され保存されています。

1階部分から。

入口。旧上久下村営水力発電所は当初から2階が入口となっており、道路と入り口をつなぐコンクリート製の橋も当時からの貴重な物です。

2階内部は直下の篠山川から発見された丹波竜を紹介する展示室となっています。

1階部分は発電所時代の雰囲気をそのまま残しています。

私はこういう雰囲気の方が好みですね(^^)

旧上久下村営水力発電所の直下の篠山川にある丹波竜発見の地のマーク。
このあと、車を停めていた丹波竜のお土産屋さんのある観光施設で休憩。

男子トイレ内の注意書き。何故インターネットに詳しい某弁護士のイラストがww
丹波市山南町の探索を完了し、帰路に就く途中に…

全くノーマークだった建物が。場所は丹波篠山市黒田。

近寄ってみました。どう見ても戦前の公民館建築。

別角度から。この場所、浄法寺というお寺の看板が掲げられていました。後で調べてみると、浄法寺は黒田公民館の一部となっているそうで、この建物自体は黒田公民館のようです。

内部も当時の姿が良く残されていました。
丹波市山南町の近代建築探索の旅でしたが、丹波篠山市で思わぬ出会いがあり充実した探索となりました。