2021年05月

2021年05月27日

舞鶴市・蛇島ガソリン庫遺構探索レポ日記

0蛇島遠景









蛇島は東舞鶴側の舞鶴湾に浮かぶ東西約100m南北約260mの島で、室町時代には逸見氏による蛇島城が築かれた島でした。(現在も城跡遺構が残る。)
明治34年に舞鶴鎮守府が設置されて以後、舞鶴湾は軍港整備が行われ、この蛇島も海軍軍需部のガソリン庫として整備、大正11年に護岸や隧道式のガソリン庫が造られました。
蛇島鳥瞰図







※大正12年に吉田初三郎が描いた舞鶴鳥瞰図の中の蛇島。石積護岸や隧道式ガソリン庫らしきものが描かれている。
蛇島ガソリン庫は終戦まで使用され、戦後はアメリカ軍が接収。その後は国有地となり現在に至ります。近年、日本遺産の関連として市関係者らによる視察等がニュースに取り上げられ、一般公開の計画もありましたが、諸事情により中止。今回、フォロワーさんの尽力により上陸が実現。近畿地方財務局と舞鶴市役所の職員さん同行のもと、フォロワーさん数名と共に蛇島探索を行いました。関係機関の方々、お礼申し上げます。
1蛇島桟橋









チャーターした漁船に乗り10数分。蛇島に到着。当時の石積桟橋(配置図)へと接岸し上陸。当時のビットに縄をつなぎます。
蛇島遺構配置図








※蛇島ガソリン庫遺構配置図。

18荷揚げクレーン台座










桟橋の側にある荷揚げクレーン台座。配置図

19荷揚げクレーン台座









クレーンを固定していたアンカーボルトも残ってます。
20レール跡









そのクレーンから物資を運ぶ際に利用したレールの跡。配置図
蛇島には島の山を東西に貫く形で4本の隧道式ガソリン庫が残されています。
桟橋に一番近い南端のガソリン庫から見ていきます。
3蛇島ガソリン庫1東口









ガソリン庫1東口(配置図)。
13蛇島ガソリン庫1西口









ガソリン庫1西口(配置図)擁壁は石積みでガソリン庫の隧道部分はコンクリートと煉瓦積。
12通気口の塗料









ガソリン庫1の西口の通風孔には青色の塗装がされた木枠が残されていました。
5蛇島ガソリン庫1内部









ガソリン庫1内部。内部はモルタルで仕上げています。本来は隧道の真ん中にガソリンタンクを置くコンクリートの台座がありましたが、戦後に再利用しようとしたのか撤去され脇に置かれています。
トンネルの規模は長さが65〜70m、横幅3.6m、高さ3.5m。
5蛇島ガソリン庫2東口









ガソリン庫2東口(配置図6)。
6蛇島ガソリン庫2西口









ガソリン庫2西口(配置図7)。手前に防爆壁の土塁があります。この土塁は全ての開口部の前に造られています。
7蛇島ガソリン庫3東口









ガソリン庫3東口(配置図8)。
8蛇島ガソリン庫3西口









ガソリン庫3西口(配置図9)。
9蛇島ガソリン庫3内部









ガソリン庫3内部。こちらは台座が撤去されずにそのまま残ってます。かつてはこの台座の上に配管で繋がったタンクが置かれ、ガソリンを保管していたようです。
ガソリン庫4東口










ガソリン庫4東口(配置図10)。こちらは鉄扉が残されています。
※画像は同行のフォロワーさん提供。
9蛇島ガソリン庫4西口









ガソリン庫4西口(配置図11)。こちらも鉄扉が残されていました。
10蛇島ガソリン庫4内部









ガソリン庫4内部。ガソリン庫1〜3の内部はモルタル塗りで仕上げられていましたが、ガソリン庫4は煉瓦の躯体がそのままむき出しになってました。剥がれたような形跡もなく当時からこのままのようですが、理由は不明です。予算的なものでしょうか。
11蛇島ガソリン庫4タンク残骸









ガソリン庫4の内部にはガソリンタンクと思われる残骸が残されていました。
14スリット









ガソリン庫の正面石積擁壁には縦のスリットが入ってます。これは山から流れてきた水を隧道内部に入らないよう逃がすための排水溝です。山からの水はこのスリットを伝い、
15排水口









海側へと延びる排水溝を流れ、
IMG_4686









石積護岸に突き出た土管から海へと排出されます。
16未完成壕









ガソリン庫4のさらに北に横穴が開いてました。新たな隧道式ガソリン庫を作ろうとして中止したものでしょうか。
17コンクリート製土管









その側に当時の物っぽいコンクリートの土管が転がってました。
2蛇島護岸









島の半周は石積護岸で整備されています。報道等ではガソリン庫が造られた大正11年頃としてますが、舞鶴港のいたるところに残る石積護岸が鎮守府が設置されたころの明治後期頃の構築らしいので、この蛇島の石積護岸ももしかしたら先行して造られたものかもしれません。ガソリン庫の以前に何か海軍の施設があった可能性があります。

今回初めて蛇島の遺構を見ましたが、予想以上に状態が良く、確かに一般公開も可能のように思えました。島へ渡る手段など課題もありますが、いつか定期的な公開がされることを望みます。

おまけ。

タンカー1









タンカー2









島を去る前に隣の鳥島を見ていたら1隻のタンカーが通過。
この時は知らなかったのですが、後に流れてきたTLでJMU舞鶴事業所最後の新造船と知りました。
舞鶴海軍工廠開庁以来120年余りの歴史を持つ造船所。その長い造船の歴史をこの日閉じました。
以後、海上自衛隊の艦艇を中心とした修繕所として続くそうです。


besan2005 at 12:08|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年05月15日

大垣市の近代建築探索レポ日記

1/9の1日目の岐阜市の近代建築探索に続く2日目は、大垣市の近代建築を探索。

0ホテル1










0ホテル2










岐阜市の近代建築探索を終えて泊った大垣市のビジホ。
ビジホでも旅気分が味わえますね。私的には豪華で広いホテルの部屋より
これくらいの方が落ち着くw
0ホテル朝食







ビジホの朝食。まぁ豪華さは無いけどこれでも十分でした。ワッフルが意外と旨かったし。
さて、大垣市の近代建築探索開始です。まずはホテルの近くの物件から。

1三甲テキスタイル 室村町 大正3年










三甲テキスタイル煉瓦倉庫。室村町 大正3年。
2三甲テキスタイル










結構大きな煉瓦倉庫。
3三甲テキスタイル事務所










三甲テキスタイル事務所。こちらも大正3年の築。装飾に富む立派な事務所。

4看板建築 林町













看板建築の建物。林町。昭和初期頃?

5看板建築










純然たる洋風看板建築ですね。装飾が素晴らしい。
6看板建築










看板が残ってましたが、脱落してて元々の店名が分からず。
ここから国道258号線沿いを南下。
7唐破風のある近代和風建築 藤江町5丁目










唐破風のある立派な和風建築。藤江町5丁目。
8洋風看板建築 藤江町5丁目










洋風看板建築。藤江町5丁目。大正〜昭和初期頃?
9洋風看板建築










装飾は少ないけど、軒周りが戦前っぽいです。
10廃アパート 南頬町










南頬町を歩いていたら見かけた廃アパート。戦前物件ではないですが、何となく惹かれました。
11廃アパート










何となく哀愁を感じる雰囲気でした。
12西濃記念館 大井3丁目










西濃記念館。大井3丁目。大正期? 元西濃運輸の本社屋を移築したもの。
ここからずっと西へ。
13神鋼造機事務所 本今町










神鋼造機事務所。本今町。昭和初期頃? 
良い建物なので近くで見たかったけど、遠い場所からしか無理でした。
ここから再び戻る感じで北上。
14洋風看板建築 船町4丁目










洋風看板建築。船町4丁目。明治〜大正期頃?
15洋風看板建築













数ある看板建築の中でもこれは中々の古さを感じます。明治くらい遡るかも。

16洋館付き住宅 馬場町










洋館付き住宅。馬場町。大正〜昭和初期頃?

17洋館付き住宅










立派な洋館が付属するお屋敷ですが、すでに空き家。いずれ消えてしまいそう…。

18大規模洋館住宅 寺内町4丁目










探索前にGoogleMapで調べていて偶然発見した寺内町の大規模洋館。
昭和初期頃と思われる洋館は物凄く気になってましたが、通りの奥にある上に
明らかに私有地なので、ここからしか撮影できず。

19美濃庄商事 寺内町4丁目










美濃庄商事。寺内町4丁目。昭和初期頃?

20美濃庄商事










和洋折衷な感じの建物です。

21俵町










俵町の商店。

22碧雲堂印鋪 俵町










碧雲堂印鋪。俵町。大正〜昭和初期頃?

23槌屋看板 俵町










柿羊羹の槌屋本店の看板。この彫り物が素晴らしく思わず1枚。
ここから大垣市の中心部へ。

24旧大垣貯蓄銀行 郭町2丁目 昭和2年










守屋多々志美術館。郭町2丁目。昭和2年。

25旧大垣貯蓄銀行










元、大垣貯蓄銀行の建物。大垣市の近代建築でも大型の建物。

26旧大垣貯蓄銀行










角の装飾が良いですね。
次に向かったのは大垣城。

27大垣城天守







大垣城復興天守。大垣城の天守は戦前まで残ってましたが、残念ながら空襲で焼失。
で、その天守のすぐ近くで見つけた建物。

28大垣武徳殿 郭町 昭和13年










大垣武徳殿。郭町(大垣城内)。昭和13年。

29大垣武徳殿










武徳殿とは戦前に全国に造られた剣道場。有名な京都の武徳殿が本部。

30大垣武徳殿










しかし、すぐ近くの大垣城天守が空襲で焼失したのに、この建物は生き残ったのか。
まさに運命は紙一重なんだなぁ。現在は使われずやや荒れてきてます。
空襲を生き延びた貴重な戦前の木造建築、何とか活用して欲しいです。
大垣城を離れ西へ。

31スクラッチタイルの洋風看板建築 神田町1丁目










スクラッチタイルの洋風看板建築。神田町1丁目。昭和初期頃?
こちらも偶然見つけた物件。参考にした他サイトには載ってないもの。

32スクラッチタイルの洋風看板建築










結構立派な建物です。今回の中では武徳殿に次ぎ嬉しい出会い。

33イビデン西大垣変電所 西崎町4丁目 大正10年










イビデン西大垣変電所。西崎町4丁目。大正10年。

34イビデン西大垣変電所










大垣市内でも最大級の近代建築で、三甲テキスタイルの倉庫と並ぶ貴重な煉瓦建築。
足場が組まれていたから修理してるのかなと思ってましたが、ツイッターの情報で、
2021年の2月に解体されてしまったそうです。ギリギリのタイミングで見ることが出来ました。

35養老鉄道 西大垣駅 木戸町 大正2年










養老鉄道西大垣駅。木戸町。大正2年。昔懐かしの木造駅舎ですね。
このあと大垣駅に戻り、大垣市の郊外にある赤坂の近代建築群を探索しようと思いましたが、
13時出発のあと、戻りの電車が16時しかなく断念。結構ハイレベルな洋館がいくつかあるので、
あらためて探索したいと思います。あと、事前に参考にした他サイトにかなり立派な昭和初期頃の洋館住宅が紹介されてて是非見たかったのですが、数年前に取り壊し…。

さて、大垣市で頂いた昼食。
36朝日屋










朝日屋さん。昔ながらの定食屋さんですが、ここは特徴的なカツ丼が有名だそうで。

38朝日屋店内







有名店で人気のため店内は一杯で、通された場所はまんま田舎の民家の座敷w

37カツ丼







朝日屋さんのカツ丼。泡立ったふわふわの卵が乗ったカツ丼は口当たりがよく、
味付けも優しく美味しくいただきました。

besan2005 at 22:08|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 岐阜県 | 近代化遺産

岐阜市の近代建築探索レポ日記

今年の1月9日と1月10日に岐阜県の岐阜市と大垣市の近代建築を探索してきました。
今回は初日の岐阜市の近代建築。岐阜駅に到着して、まずは駅の南側を探索。
1那波邸 加納上本町










N邸。加納上本町。昭和初期頃? 
事前の下調べで参考にしたサイトには無かった偶然見つけた物件。元医院ぽい雰囲気でした。
2廣田邸 加納永井町










H邸。加納永井町。昭和初期頃? 洋館付き住宅。

3西本邸 加納村松町










N邸。加納村松町。大正〜昭和初期頃?  こちらも洋館付き住宅。
再び駅方面へ。
4金津遊郭時代の建物か 加納水野町










旧遊郭の建物? 加納水野町。昭和初期頃?
この辺りはかつて金津遊郭があったようで、今でも歓楽街の名残が残ってます。こういう感じの建物、京都市の五条楽園や大和郡山市の東岡遊郭で見かけましたね。軒周りには凝った装飾があります。
5洋風看板建築 元町3丁目










洋風看板建築。 元町3丁目。大正〜昭和初期頃? 
5洋風看板建築










現在は商店としては使われていないようです。
次は東へと向かい、戦前の住宅街だったと思われる場所へ。
6洋館付き住宅 東栄町1丁目










洋館付き住宅。東栄町1丁目。大正〜昭和初期頃?  小規模な洋館付き住宅。
7平田邸 雲井町1丁目










H邸。洋館付き住宅。大正〜昭和初期頃? 雲井町1丁目。
8平田邸










洋館部分は応接室だったんでしょうね。
9小石邸 月丘町3丁目










K邸。月丘町3丁目。大正期頃? 
10小石邸










こちらは立派な洋館がありました。

11豊島邸 花沢町3丁目










T邸。花沢町3丁目。大正〜昭和初期頃? 

12豊島邸










事前の下調べで参考にしたいくつかの近代建築のサイトにはどこも掲載されておらず、
この界隈を探索していて偶然見つけた物件。中々の発見でした。
13豊島邸










現在は個人宅ですが、元々は事務所だったようにも思えます。
14戦前の工場か 瑞雲町2丁目










戦前の工場棟? 瑞雲町2丁目。
15戦前の工場か










今は使われていないようです。
16高橋邸 瑞雲町3丁目










T邸。瑞雲町3丁目。大正〜昭和初期頃? 
この辺りは洋館付き住宅が多く残ってます。
17洋館付き住宅 瑞雲町2丁目










洋館付き住宅。瑞雲町2丁目。大正〜昭和初期頃? 
18洋館付き住宅










小さいながらもちゃんと洋館部分が造られています。無表札。
19洋館付き住宅 月丘町2丁目










洋館付き住宅。月丘町2丁目。昭和初期頃? 
20洋館付き住宅










中々モダンな住宅。表札は分かりませんでした。
西へと向かい、市街地の中心部へ。

21旧岐阜貯蓄銀行 徹明町 昭和12年 西村好時










てつめいギャラリー。徹明町。昭和12年。

22旧岐阜貯蓄銀行










旧岐阜貯蓄銀行の建物で、銀行建築を多く手掛けた西村好時の設計。

23旧岐阜貯蓄銀行










内部を見たかったけど、勝手に入るなみたいなことが入り口にあり、断念(´・ω・`)

24旧岐阜県庁舎 司町 大正13年 清水正喜










旧岐阜県庁舎。司町。大正13年。

25旧岐阜県庁舎










清水正喜の設計。保存されてますが、入れませんでした。

26旧青木医院 大工町 大正6年










旧青木医院。大工町。昭和6年。

28旧青木医院










白亜の洋館がかつての医院部分。

27旧青木医院










中々素敵な洋館です。

29洋館事務所 西材木町










戦前の事務所建築。西材木町。昭和初期頃? 

30洋館事務所










スクラッチタイル張りの洋館で、丸窓もあります。

31洋館事務所










丸窓部分。

32銅板張りの倉庫 今町1丁目










銅板張りの倉庫。今町1丁目。大正〜昭和初期頃? 

33藤華 湊町













藤華。湊町。大正〜昭和初期頃? 中々華やかな装飾のある看板建築。
ここから長良川を渡って北方面へ。

34旧診療所か 若竹町2丁目










元診療所の建物か。若竹町2丁目。大正〜昭和初期頃? 

35旧診療所か










こちらも事前情報はなく、偶然見つけた建物。

IMG_9806










玄関部分にある「日本医師會會員」のプレート。規模的に診療所かなと思いました。
現在は空き家。

36旧久保田外科医院 長良福光 昭和6年










旧久保田外科医院。長良福光。昭和6年。
IMG_9813










スパニッシュ風の中々オシャレな洋館です。

IMG_9811










正面。
IMG_9814










玄関部分。らせん状の柱が良いですね。

IMG_9812










丸窓の装飾も優雅でシャレてます。
この旧久保田外科医院が本日の探索の最北端。なので、再び南下します。
37忠節用水第二樋門 御手洗 昭和8年










忠節用水第二樋門。御手洗。昭和8年。

38忠節用水第二樋門










事前の情報が無きゃ間違いなくスルーしてました。

39鏡石水源地ポンプ室 鏡石 昭和5年 










水の資料館。鏡石。昭和5年。元は鏡石水源地のポンプ室。
40鏡石水源地ポンプ室










残念ながら休館中で、岐阜護国神社の境内からの撮影のみ。

41名和昆虫研究所昆虫記念館 大宮町2丁目 明治40年 武田五一










名和昆虫研究所昆虫記念館。大宮町2丁目。明治40年。

42名和昆虫研究所昆虫記念館










かの武田五一の設計。現存する武田五一の作品の中でも最古クラス。
中々素晴らしい洋館ですが、屋根窓がやたらデカくて重そうに見えます。

43名和昆虫博物館 大宮町2丁目 大正8年 武田五一










名和昆虫博物館。大宮町2丁目。大正8年。
44名和昆虫博物館










先ほどの名和昆虫研究所昆虫記念館の隣に建つ博物館。こちらも武田五一の設計。
明治・大正期の武田五一の作品が並んだ形で見れるのはここだけかも。

45館長







建物の前にモフモフの猫がいました。

46旧岐阜県洋服会館 米屋町 明治後期










旧岐阜県洋服会館。米屋町。明治後期。

47旧岐阜県洋服会館










紹介されているサイトでは明治後期とありますが、綺麗に改装されていて古さを感じません。
今はどこかの会社の事務所になっているっぽい?

48旧日下部合資会社事務所 米屋町 大正2年










旧日下部合資会社事務所。米屋町。大正2年。

49旧日下部合資医者事務所










優美な洋館で、かつてこの場所にあった日下部久太郎邸の敷地内に建つ、事務所兼応接の洋館とか。
かつては左側のマンション部分に邸宅があったようです。

49旧日下部合資会社事務所










玄関から内部を撮影。内部も当時の姿がそのまま残されています。
何か良い活用法があればいいのですが。
51洋館付き住宅 上竹町 










和洋折衷住宅。上竹町。大正〜昭和初期頃? こちらも偶然見つけた物件。
52洋館付き住宅










和洋折衷というか、和館と洋館を無理矢理組み込んで一緒にした変わった住宅。

IMG_9863










側面は出窓付きの洋風デザイン。

53洋館付き住宅










中々のお屋敷ですが、現在空き家のようで2階部分のベランダの手すりが崩壊しかかってます。
あまり長くは持たなそう・・・
岐阜市の近代建築は以上です。ここからはその他の気になった物件などなど。

IMG_9770










岐阜城の復興天守。今回は時間がなく行けなかった。代わりに御城印のみ確保。

IMG_9841










正法寺大仏殿。いわゆる岐阜大仏。大仏殿は江戸時代の寛政12年。
大仏はそれから32年後の天保3年に完成。
IMG_9840










岐阜市では有名な寺院ですが、今回の主旨とは別なので外観のみ撮影。

さて、せっかくなので岐阜市内でも有名なお店で食おうと向かったのがこちら。
IMG_9760










丸デブ総本店。地元では有名なラーメン店で、元々は大正6年創業の中華料理店。
めちゃ老舗の店で、有名店らしく店の前には行列が。
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しかし回転は速く割とすぐに入店。メニューは中華そばとワンタンのみ。
というわけで、中華そばネギ多めを注文。届いたのは丼なみなみスープの1杯。
スープは蕎麦かうどんの汁に近い感じで優しい味。美味しくいただきました。

次回は2日目の大垣市の近代建築探索の記事となります。


besan2005 at 13:00|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 岐阜県 | 近代化遺産

2021年05月05日

舞鶴市・空山防空砲台第一・第二聴測照射指揮所跡探索レポ日記

広域配置図









空山防空砲台位置図





去年、フォロワーさんの報告により舞鶴市の空山に防空砲台の遺構群が多数残されていることを知り、2020年12月13日に空山防空砲台の探索を行いました。その結果、砲座跡・指揮所跡・油庫・貯水槽等の多数の遺構を確認しました。その時の探索の記事についてはすでに公開しておりますので、そちらをご覧ください。

舞鶴市・空山防空砲台遺構探索レポ日記

しかし、前回は単独行動であったため、大規模な遺構の現存が想定される第一・第二聴測照射指揮所の遺構に関して、安全面の観点から見送っていました。そして今回、情報を頂いたフォロワーさんを含む数人のフォロワーさんと共に改めて未探索であった第一・第二聴測照射指揮所の探索を行う事にしました。第一・第二聴測照射指揮所には射撃用のS24号電波探信儀がそれぞれ設置されていました。

最初の探索地は第一聴測照射指揮所跡地。東側の峰に位置する箇所です。進入路は兵舎跡の裏より道が延びてるようなのでそちらから向かいます。
第一聴測照射指揮所遺構配置図







第一聴測照射指揮所跡遺構配置図。一応現地で描いた見取図を元に作成しましたが、
あくまで大体の位置であることをご了承ください。
1境界杭










かつての軍道跡の両脇に建つ境界杭。
2境界杭













海軍用地なので「海界」となっています。境界杭はコンクリート製。

5電探台座










3電探台座










境界杭は奥まで続き、それを目印に進んでいくと階段のある台座が。
4台座スリット










台座には2本のスリットが。これは探照灯の台座ではとのこと。
IMG_0276










そばに落ちていたケーブル。舞鶴周辺の防空砲台によれば、空山には追尾式150センチ探照灯が設置されていたとのこと。その探照灯がここに設置されていたようです。
7第一聴測照射指揮所跡










探照灯台座跡よりさらに奥に進むと、開けた場所が現れ、煉瓦やコンクリートの廃墟が現れます。ここが第一聴測照射指揮所の跡地。進駐軍による爆破により完全に破壊されています。
6便所跡










便所跡。第一聴測照射指揮所の跡地で比較的残存度の良い遺構。
8電動発電機室跡










電動発電機室跡。こちらも破壊されています。
9電動発電機室跡










内部。壁面は半分だけの状態になっています。躯体は煉瓦造で表面は化粧モルタル塗りで仕上げています。
この第一聴測照射指揮所跡地の背面に巨大な聴測所がありました。
10聴音機格納室










聴測所入口にある聴音機格納室。先のサイトでは97式聴音機となっています。
12聴測所入口










照射射撃専用電探があった箇所。直径約48m巨大なすり鉢状となっています。先のサイトによると、空山には13号電波探信儀1組、S24号電波探信儀2組があったとなっています。ここにはS24号電探が設置されていたようです。

第一聴測照射指揮所を後にし空山展望台へ戻った後、西側の峰にある第二聴測照射指揮所跡へ。
第二聴測照射指揮所遺構配置図







第二聴測照射指揮所跡遺構配置図。第一と同様に大体の位置を記したものですのでご容赦。
13境界杭









14境界杭










こちらも第一聴測照射指揮所と同じく軍道を挟む形で「海界」のコンクリート製の境界杭がありました。
15電探台座









16電探台座










さらに先に進んだ先には石垣が。
17電探台座










上部にはコンクリートの台座が。恐らく第一聴測照射指揮所でもあった探照灯の台座かと思われます。
18第二聴測照射指揮所跡










そしてその奥には第二聴測照射指揮所の跡地が。こちらも日本軍もしくは進駐軍の爆破により徹底的に破壊されています。
22便所跡










原形をとどめている便所跡。
19電動発電機室跡










第二聴測照射指揮所の電動発電機室跡は第一と違い躯体はほぼ完全に残されていました。
20電動発電機室跡










背面。
21電動発電機室跡










内部。第一と同じ煉瓦造に化粧モルタルで仕上げています。
23階段跡










照射射撃専用電探跡へと至る階段跡。第一では確認できませんでしたが、恐らくあると思います。
24聴音機格納室










聴音機格納室跡。こちらも土台は完存しています。
25聴測所入口










照射射撃専用電探があった箇所。第一とほぼ同規模のすり鉢状の地形で、こちらにもS24号電探が置かれていました。第二の方はコンクリート舗装が確認でき、電探へと引いていたケーブルを引き抜いた際の穴が開いていました。



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