2021年09月

2021年09月26日

四日市市の近代建築探索レポ日記

2018年12月8日に探索した際のレポ日記です。記事を書こうと思いつつ3年余り経ってしまいましたが、いい加減記事にしようと思い執筆することにしました。
四日市市の近代建築探索は冨田浜駅からスタート。北方面に向かった後、南下して四日市市の中心部へと向かいました。今回はイオンモール四日市近くの旧東洋紡の煉瓦倉庫は時間の都合上スルー。

1アミカン本社屋










アミカン本社屋。昭和初期。富田浜元町。最初の訪問建物。国登録有形文化財。
2アミカン本社屋










スクラッチタイルの中々立派なビル。
3アミカン本社屋










塔屋部分の窓のデザインが良い感じ。

4アミカン戦前倉庫










アミカン敷地内のRC倉庫。
5アミカン戦前倉庫










こちらも戦前建築ですね。

6アミカン第三工場社屋










アミカン第三工場社屋。南富田町。昭和初期か。平屋の洋館が残されています。傷みが目立ちます。
7アミカン第三工場門衛所










門衛所。同時期の建築でしょうか。
ここから南下。


8戦前のRC住宅










海岸沿いを歩いていると、大規模な古いRC建築を発見。富田浜元町。
9戦前のRC住宅










一目見て、戦前の建物と分かりました。
10戦前のRC住宅










背面から。
11戦前のRC住宅










丸窓も見えます。
12戦前のRC住宅










建物は軒の水平ラインを強調したデザイン。インターナショナルスタイルという感じでしょうか。
同潤会青山アパートもそんな感じだっけ。
13戦前のRC住宅










正面玄関。
14戦前のRC住宅










内部をちょっと覗いてみました。これだけでは分からないですが、建物内は昔の面影を残していそうです。今回の探索で偶然見つけた建物で、他サイトでも一切取り上げられていない物件。航空写真で見たら相当大規模な邸宅ですが、いくら調べてもこの建物の素性は分かりませんでした。しかし、戦前のインターナショナルスタイルの邸宅としては一級の建築だと思ってます。今回最大の成果。
さらに南下。
15冨田浜病院の煉瓦塀










富田浜病院の煉瓦塀。
16冨田浜病院の煉瓦塀










古そうなアーチの煉瓦塀がありました。何の説明板も無かったですが、大正4年開業という富田浜病院に使われていた煉瓦塀かも。
17冨田浜の洋館










富田浜駅前の洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
18冨田浜の洋館










この写真を撮っているとき、オッサンに絡まれる事態に。
とりあえず穏便に済ませたけど、正直貼り倒したいくらいムカついた。
気を取り直して南下。

19冨田浜の洋館付き豪邸










富田浜の洋館付き大規模住宅。植栽で良く見えませんが、立派な洋館が見えます。
富田浜は現在は埋め立てられていますが、かつては海水浴場として知られ、戦前から別荘地として発展しました。その名残の洋館が残されています。
さらに南下。
20渡部邸 羽津甲










W邸。羽津甲。昭和初期か。羽津甲地区も戦前に区画整理された分譲地でした。
21渡部邸










立派な洋館付きの住宅です。
22渡部邸ステンドグラス











23渡部邸ステンドグラス










W邸のステンドグラス。個人宅でこれだけのステンドグラスを使用しているということは、相当財力のある家主だったんでしょう。
24木村邸 羽津甲










K邸。羽津甲。昭和初期か。W邸の向かいにある洋館。
25木村邸










背面。広い庭ですね。

26洋館付き住宅 羽津甲










気になった建物。新しいかも。羽津甲には他にも洋館付き住宅があることが分かりましたが、この時は気づかなかったのが残念。
ここから四日市市街地へと向かいます。
27早川邸 富士町










H邸。富士町。洋館付き住宅ですが、もしかしたら戦後かも。
28浅野屋










浅野屋。気になった建物。場所失念。

29大正館洋館 西新地













大正館洋館。西新地。大正期か。大正時代創業の料亭旅館。玄関脇にタイル張りの洋館があります。
30大正館













洋館部分。引きが取れないから部分的にしか撮影できない。

31旧四日市市立図書館 諏訪栄町 昭和4年










旧四日市市立図書館。諏訪栄町。昭和4年。国登録有形文化財。大正館の向かいの諏訪公園にある建物。昭和天皇御大典記念で建てられた図書館。
32旧四日市市立図書館










現在は市の施設として使用されています。
33旧四日市市立図書館










本をかたどったレリーフ。皇紀である2588の文字があります。
34旧四日市市立図書館










可愛らしいウサギの餅つきのレリーフ。
続いて四日市港方面へ。

35熊沢ビル 末広町 大正3年










旧熊沢ビル。末広町。大正3年。
36熊沢ビル










築100年以上となる古いビルです。
37熊沢ビル










バットレスと柱頭飾りが大正らしさを出してますね。現在も別企業の事務所ビルとして使用。
ここから一気に西へ。

38旧四郷村役場 西日野町 大正10年










旧四郷村役場。西日野町。大正10年。現在は郷土資料館として利用されています。
39旧四郷村役場










塔屋がシンボリックな立派な洋館です。
45旧四郷村役場













階段。アールデコ調ですかね。
41旧四郷村役場










踊り場のアーチ窓。
42旧四郷村役場










2階講堂。アールデコ調の天井の装飾が素晴らしい。郷土資料館という利用とはいえ、1階も2階も民俗資料とかが乱雑に置かれているのがちょっと…。もう少し建物を生かした展示にして欲しいですが。
43旧四郷村役場













塔屋へと上がる螺旋階段。
44旧四郷村役場










塔屋最上階。見晴らしは抜群。何の部屋だったか忘れました。
さらに西へ。

46ザ白梅クラシックガーデン 室山町










ザ白梅クラシックガーデン。室山町。醸造会社だったようです。

48亀山製糸室山工場










亀山製糸室山工場。室山町。明治36年。
47亀山製糸室山工場 室山町 明治38年










明治後期の装飾に富んだ木造の工場棟が残されています。
49亀山製糸室山工場










玄関部分の破風。所々に和風の要素があります。
亀山製糸室山工場










軒周りの凝った装飾とか工場の建物とは思えない豪華さ。
亀山製糸室山工場













工場棟というより学校か役場のような建物。
50亀山製糸室山工場










明治期の近代建築として、建物のレベル・規模ともに一級の建物ですが、現状はかなりの破損が…
51亀山製糸室山工場










裏側から。間違いなく文化財クラスの建物ですが、このままでは崩壊もしくは取り壊されるのを待つばかり。失われるには惜しい建物。何とかしてもらいたいものですが…。

以上で四日市市の近代建築探索を終えましたが、旧東洋紡の煉瓦倉庫を始め、訪問できてない建物がまだいくつかあり、それらは次の機会とします。

おまけ。
三毛猫駅長3







富田浜駅で出会った三毛猫さん。駅に住み着いているようですが、とても人懐っこい子でした。
三毛猫駅長1







膝にまで乗ってきたwしばし探索を中断し、遊んでました。
54三毛猫










あれから3年余り経ったけど、元気にしているかなぁ。

おわり。


besan2005 at 09:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年09月24日

旧京都大学大学院農学研究科附属農場建物の夜景(安満遺跡公園)

0遠景










昨日である2021年9月23日の高槻市の近代建築探索の際に訪れた安満遺跡公園の旧京都大学大学院農学研究科の付属農園の洋館群。夜に訪れたら雰囲気あるだろうなと本日、仕事終わりに車を飛ばして向かいました。

1本館










まずは本館。本館はレストランが入っていることもあり、唯一室内の明かりが灯っていました。雰囲気はまさにクラシックホテルの佇まい。
2本館










西側から。
3本館










東側から。
4本館西側出口










個人的に雰囲気が好きな西側入り口。
5本館正面玄関










正面玄関。
本館階段










階段。

6別館










別館。室内は消灯されているため全体的に暗いのが残念ですが、逆に玄関の明かりに照らされた部分がアクセントとなっています。
7蔬菜選別室










蔬菜選別室。
8蔬菜選別室










反対側から。
9別館










本館裏の建物。さすがにここは薄暗かったです。
10本館と蔬菜選別室間










本館と蔬菜選別室との間。洋館の建ち並ぶこの一角の夜景は、まるで異国の夜の街並みに迷い込んだかのような雰囲気を味わえました。
一帯が公園整備されてまだ1年くらいだったと思いますが、地元の高校生や家族連れが日没まで思い思いに過ごしていました。雰囲気の良さもあってすっかり市民に定着したようです。

besan2005 at 21:42|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 大阪府 | 近代化遺産

2021年09月23日

高槻市の近代建築探索レポ日記(2017年・2019年・2021年探索)

大阪府高槻市の近代建築の探索レポ日記です。高槻市の近代建築探索は2年前の2019年2月2日に行っていましたが、記事作成は行っていませんでした。今回、高槻市を代表する洋館住宅K邸が11月中に取り壊されると聞き、今回改めて探索。記事にすることにしました。今回は2年前の探索時の写真を交えて紹介していきます。

まずは今回の目的のK邸へ。


1川中邸 高槻町 昭和初期 あめりか屋










K邸。高槻町。昭和初期。あめりか屋設計の大規模な洋館住宅。スパニッシュ様式の外観です。

6川中邸










北側から。

2川中邸










※2019年2月2日撮影。西側から。現在左隣にはビルが建っているため、全体を見ることは出来ません。

3川中邸正門










正門。住宅と同じスパニッシュ様式のデザイン。

4川中邸通用門










通用門。

5川中邸門飾り










左側の装飾。

7川中邸煙突










煙突。可愛らしいデザインです。室内には大理石製の豪華なマントルピースがあります。

8川中邸ステンドグラス











9川中邸ステンドグラス










窓のステンドグラス。K邸にはステンドグラスが豊富に使われています。
K邸は前述の通り、2021年11月中に取り壊され、跡地はマンションになるようです。
文化財未指定の建物ですが、国登録有形文化財になってもおかしくない建物、様々な事情はあるのでしょうが、取り壊されるのには惜しい。しかし私にはどうしようもないので、せめて外観だけでも可能な限り記録に留めようと思い、今回訪問しました。

K邸を後にし、2019年にも探索した近隣の建物を訪問。

11花田邸










H邸。高槻町。昭和10年。K邸の南にある洋館。

10花田邸 高槻町 昭和10年










正面から。

花田邸










北側から。

12花田邸










建物のアップ。K邸よりやや和風っぽいです。

13昭和初期の住宅か 高槻町











戦前の住宅










K邸の北側にあった住宅。戦前らしい平屋の木造住宅でしたが、今回の探索で取り壊されているのを確認しました。2019年2月2日撮影。

14山中邸 高槻町 昭和初期










Y邸。高槻町。昭和初期頃か。

15山中邸










三角屋根が特徴の洋館。

18洋館住宅 高槻町 昭和初期か










表札無しの洋館。高槻町。昭和初期頃か。2019年に探索した際は〇〇ハウジングの表札があり改修中でしたが、今回確認すると、表札の文字が消えかかってました。ただし、空き家ではないようです。
19洋館住宅










玄関部分。左側には出窓付きの三角屋根の張り出し部があります。

20洋館住宅










庭側から。テラスがあります。


16鎌谷邸 高槻町 昭和初期か










K邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。平屋の小規模な住宅ですが、デザインのしっかりした洋館です。庭木で全体が見えませんが、玄関周りの意匠はレベル高いです。

16横田邸 高槻町










Y邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。見づらいですが、手前側に付属洋館があります。

17横田邸脇の煉瓦塀










Y邸の側にある煉瓦塀。現在Y邸と煉瓦塀の間は駐車場となってますが、かつてはここまでが敷地だったのかもしれません。

21高槻新温泉 高槻町










高槻新温泉。高槻町。現在は廃業していますがレトロな銭湯。

22高槻新温泉煙突










高槻新温泉の煙突。かつては地域のランドマークだったんでしょう。

23変電所










阪急電鉄の変電所。八丁畷町。戦前の建物だと思います。

次に紹介するのは2019年2月2日に探索した工兵第4連隊の遺構。
24工兵第4連隊正門










工兵第4連隊営門。城内町。明治41年頃。

工兵第4連隊営門










工兵第4連隊は明治41年に京都から移駐した部隊で、高山右近で知られるかつての高槻城の跡地に駐屯地が造られました。
25工兵第4連隊歩哨舎













歩哨舎。工兵第4連隊の跡地は現在、高槻市立第一中学校となっていますが、営門と歩哨舎と境界杭が残されています。

23高槻憲兵分遣隊の建物か










マンションの裏の木造建物。城内町。高槻商工会議所北側にあるマンションは、かつて高槻憲兵分遣隊の敷地でしたが、その裏に戦前と思われる古い平屋の木造建物が残されています。かつての高槻憲兵分遣隊の建物の一部だった可能性を含め、ここに紹介。

ここから再び今回の2021年9月23日探索分。
26大阪医科大学 大学町 昭和5年 ヴォーリズ建築事務所










大阪医科大学看護専門学校校舎。大学町。昭和5年。ヴォーリズ建築事務所設計。
国登録有形文化財。以前から知ってましたが、ちゃんと訪問したのは今回が初めて。
27大阪医科大学










建物の周囲は木々に覆われ撮りづらい。扉は閉まっていて中に入れませんでした。

28旧京都帝国大学化学研究所管理棟 大学町 昭和4年










旧京都帝国大学化学研究所管理棟。 大学町。昭和4年。大阪医科薬科大学内に残された建物。
29旧京都帝国大学化学研究所管理棟










周囲で工事がされていて、全体の写真が撮れず。この建物はどうなるんでしょうか。

このあと、最近整備された安満遺跡公園へ。
30京都大学大学院  八丁畷 昭和5年 大倉三郎設計










現在安満遺跡公園となっている一角はかつて京都大学大学院の付属農園で、昭和初期の洋風建築が数棟残されていました。それらの建物のいくつかが安満遺跡公園の施設として再活用されています。
31京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










京都大学大学院 農学研究科附属農場本館。八丁畷町。昭和5年。大倉三郎設計。
雰囲気のある洋館です。
京都大学大学院農園










2017年撮影。本館の前にある植栽は撤去され広々とした感じになりました。
33京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










東側から。
京大農学部










2017年撮影。この頃の方がクラシックホテルっぽい感じで雰囲気ありますが、撮影するには今の方が有難いかも。
32京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










西側から。
36京都大学大学院 農学研究科附属農場本館










西側の出入り口。何気に好きな箇所。
34京都大学大学院 農学研究科附属農場本館階段室










階段も当時のまま。
35京都大学大学院 農学研究科附属農場内部










1階の一室。現在は無料休憩室。
本館2階










※翌日夕方撮影。本館2階。広い部屋です。
本館2階2










講堂か何かだったのでしょうか。
本館階段










2階から階段。
本館踊り場窓










本館踊り場のアーチ窓。

37京都大学大学院 農学研究科附属農場別館










京都大学大学院 農学研究科附属農場別館。昭和6年。
現在は弥生時代の大規模環濠集落だった安満遺跡の展示室。
京都大学大学院農園










2017年撮影。大きな木は伐採され見やすくなってます。この時はやや傷みが目立ちました。
39京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室











38京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室 昭和6年










京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室。昭和6年。収穫した野菜をチェックしてたのでしょうか。
京都大学大学院農園










2017年撮影。だいぶ古さが目立ちます。
40京都大学大学院 農学研究科附属農場別館










本館裏の建物。昭和6年。現在は貸しスペース。
本館裏便所










本館背後のトイレ。最初は新設されたものだと思ってましたが、これも当時のままのようです。

今回は取り壊されるK邸の見納め的な訪問を含めた高槻市の再探索と、過去の探索時の写真を交えた記事にしました。京都大学大学院の附属農場の建物群について、本館は再活用されると思ってましたが、別館含む4棟の建物は壊されると思ってました。それが全て残されたのは英断と思います。2017年までに取り壊された本館向かいの農場研究室他はありましたが、現在もかつての雰囲気が良く残されています。同じ昭和初期の洋館である取り壊し予定のK邸。公園の施設として再活用された京大大学院付属農場の5棟の建物群。近代建築の運命は紙一重だと改めて感じました。

1本館










※翌日、仕事終わりに再び安満遺跡公園に向かい、夜景を撮影してきました。
まるで異国の夜の街角にいるかのような抜群の雰囲気でした。

besan2005 at 21:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 大阪府 | 近代化遺産

2021年09月20日

西脇市の近代建築探索レポ日記


2021年8月21日に兵庫県西脇市の近代建築探索をしてきました。事前の下調べで結構な数の近代建築が残されていることは把握していましたが、実際に探索すると、未チェックの物件も多数存在することが分かりました。多くが西脇市の地場産業だった播州織の工場関連の建物でした。なお、昨今重要文化財に指定された西脇小学校校舎群ですが、時節柄、訪問してもまともに見学出来ないと判断し、今回は見送りました。

まず最初に向かったのは、旧来住邸。
1旧来住邸勉学洋館 西脇 昭和11年










旧来住邸勉学洋館。西脇 昭和11年。生糸商の豪商だった来住家の離れの洋館。主屋は大正時代の建築で、共に国登録有形文化財。現在は西脇情報未来館として一般公開されていますが、この時は休館中。設計者は内藤克雄。小野市・西脇市を中心とした北播磨で活躍した建築家で、先述の西脇小学校の設計をした人物でもあります。

2ときの郷 西脇 昭和11年










ときの郷。西脇 昭和11年。
かつてはT家の洋館だった建物。現在はワークグループ関連の団体が使用。設計は
内藤克雄。

3西脇市消防団第一分団本部 西脇  昭和10年










西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。
4西脇市消防団第一分団本部










かつての名称の消防屯所は消防団の詰所のこと。消防署ではなく消防団の詰所にしてはかなり立派な建物です。
5西脇市消防団第一分団本部










玄関部分のペディメントにある消防団の紋章。設計は
内藤克雄。
ここから杉原川を渡り西方面へ。
6洋風商店建築 西脇










洋風商店建築。西脇。軒周りに装飾があります。現在は空家?
7旧池田薬局 西脇










旧池田薬局。西脇。細い道を挟んだ向かいにある洋風商店建築。現在は廃業のようです。
8西脇温泉 西脇










西脇温泉。西脇。第一分団本部の近くの銭湯。まだ現役のようです。

9岡本洋服店 西脇










岡本洋服店。西脇。全体的に採光部を大きく取った開放的な建物。当時は中々オシャレだった建物だったのでしょう。
さらに西へ向かい、市街地の外れに。

10播州織物工場事務所 西脇










恐らく播州織の工場事務所。木造2階建ての大きな建物。現在は民家。
11播州織物工場 西脇










工場事務所の背面には、当時のノコギリ屋根の工場棟が残ります。
一旦旧来住邸方面へ。
12旧水田産婦人科医院 西脇 










旧水田産婦人科医院。西脇。旧来住邸の西側にある建物。
13旧水田産婦人科医院










ここは診察室のある本館のようです。昭和初期頃でしょうか。
14旧水田産婦人科医院










背面には病室と思われる2階建ての建物がありました。
再び杉原川を渡り、そこから南下。
15高籠商店綿糸布倉庫 西脇 










高籠商店綿糸布倉庫。西脇。以前は手前側に事務所らしき建物があったようです。播州織関連の倉庫だったようです。

16棚倉邸 西脇










T邸。西脇。

17棚倉邸










典型的な洋館付き住宅ですが、付属の洋館は中々良い感じです。

18蛭田理研 西脇 昭和3年










蛭田理研。西脇。昭和3年。大正2年に織布と工業薬品の販売会社として設立した会社。

19蛭田理研










西脇市でも1・2を争う大規模かつレベルの高い洋館です。住宅街のど真ん中にあり、細い路地を抜けると突然現れるこの洋館を見ると度肝を抜かれます。
20蛭田理研










玄関部分。
ここから北上。
21看板建築 西脇










看板建築の町家。西脇。しかし薄っぺらいですね。
22看板建築










正面だと立派なタイル張りの壁面です。
23洋館付き住宅 西脇










洋館付き住宅。西脇。これは戦後建築かも。

24テラサワ文具センター 西脇










テラサワ文具センター。西脇。

25テラサワ文具センター










だいぶ改装されていますが、戦前の建物らしい面影が残されています。

26モルタル塗り洋風住宅 西脇










洋風住宅。西脇。
27モルタル塗り洋風住宅










外壁をモルタル塗りで仕上げています。
28モルタル塗り洋風住宅










外壁も単純に塗るのではなく、変化を持たせた仕上にしています。

29元料理屋か 西脇










元料理屋?西脇。玄関部分の意匠が和風で元料理屋のように見えますが、元々の用途は不明。
30元料理屋か










反対側は増築しているようですね。
31元料理屋か










玄関の持ち送り部分。

32集会所か










町屋建築に挟まれた小さな建物。

32藤井福織布株式会社 西脇










藤井福織布株式会社。西脇。住居の主屋に接続する洋館ですが、洋館部分が事務所になっています。
32藤井福織布株式会社










事務所部分。中々味のある建物です。

33南旭町公会堂 西脇










南旭町公会堂。西脇。今回は訪問してませんが、規模は小さいものの、同じ西脇市内の旧下比延公会堂や大伏公会堂と同じデザイン。
34南旭町公会堂










玄関に掲げられた「公會堂」の扁額。竣工当時の物でしょうか。

35天理教東西脇分教会 西脇














天理教東西脇分教会。西脇。和風建築の横に接続した洋風建物。2階窓の格子が中々良い感じ。

36宇野邸洋館 西脇










U邸。西脇。主屋の隣に建てられている大き目の洋風建築。1階が洋風ですが、屋根が伝統的な入母屋屋根なのが面白いです。

37播州織物工場事務所か 西脇










織物工場の建物。西脇。播州織の工場だったのでしょうか。この建物は事務所棟かな。
38播州織物工場










工場棟。お馴染みのノコギリ屋根。
39播州織物工場










今は稼動していないっぽいですが、当時の木造の建物が良く残されています。

40播州織物工場










これも工場の建物。

41高瀬邸 播州織物工場洋館事務所 西脇










T邸。西脇。当初は織物工場の事務所だったと思われる建物。
42高瀬邸 播州織物工場洋館事務所










洋風の建物で装飾は少ないですが、軒周りとかに意匠が見られます。
43高瀬邸 播州織物工場洋館事務所










持ち送り?の飾り。

44戦前のビルか 西脇










近くの気になったビル。

45森永カルダス販売所 西脇










森永カルダス販売所。西脇。昭和初期くらいでしょうか。当初の用途は不明。

46村上歯科医院 西脇 昭和13年










村上歯科医院。西脇。昭和13年。
47村上歯科医院










西脇市を代表する近代建築の一つ。1階部分が和風になっています。

48村上歯科医院










玄関脇には丸窓もあります。
49旧藤原歯科医院 西脇 昭和初期










旧藤原歯科医院。西脇。昭和初期頃。いかにも戦前の洋館と言った雰囲気ですが、やはり痛みが。かつては左隣にも戦前の洋風商店建築がありましたが、現在は失われています。
さらに北上し、西脇停車場線へ。

50洋館付き住宅 西脇










洋館付き住宅。西脇。見た感じ商店か事務所だったのでしょうか。現在は空家で主屋の方は崩壊寸前。いずれ取り壊されるものと思います。

51洋館事務所か 西脇










洋風商店建築。西脇。元は店舗か事務所だったのでしょうか。

52洋風商店建築か 西脇










その向かいにある洋風の建物。こちらも商店建築だったように思います。

53元播州織物工場事務所か 西脇










住宅地の中にある建物。西脇。背後に工場棟があることから、工場の本館だったと思われます。現在は民家。

54製薬工場跡 西脇










しばらく北へ向かった先にある廃工場。
55製薬工場跡










現在は廃墟となってますが、当時の建物が多数残されています。織物工場かと思いましたが、どうやら製薬工場跡だったよう。
ここから北へ坂を上ります。

56旧事務所建物か 西脇










洋館建物。西脇。昭和初期頃か。元事務所?郵便局に見えましたが、〒マークが見当たらなかったので別の建物だったっぽい。

57美喜亭 西脇














美喜亭。西脇。大正〜昭和初期頃か。
58美喜亭














造りから料理旅館だったようです。織物業で儲けた人たちが宴会してたんでしょうか。全体を写せる引きのアングルが撮影できる箇所に後から気づき、結局こんな写真しか残せず。
美喜亭街灯










玄関前にある照明。美喜亭の文字の横に消えかかった「料理」の文字。意匠を凝らした近代和風の名建築ですが、だいぶ傷んでいます。現在は廃業し民家となっていますが、いずれ無くなりそうな感じです。

59荒木邸 西脇










A邸。西脇。昭和初期頃か。1階部分は改変がありますが、全体的に戦前の洋風住宅の雰囲気が良く残されています。

このA邸の向かいが旧来住邸の敷地の一角。ようやく一周してきました。
西脇市内は事前の下調べで多くの近代建築が残されているのを確認して向かいましたが、探索した結果、参考にした他サイトにも載っていない多くの近代建築が残されていることが分かり、多くの成果を得られた探索となりました。
今回都合で訪問できなかった西脇小学校・
旧下比延公会堂・大伏公会堂・市原駅記念館は後日訪問したいと思います。

旧今田郵便局










古市の洋館付き住宅










旧今田銀行










帰りに丹波篠山市の今田地区・古市地区にある近代建築を探索。
※丹波篠山市今田地区・古市地区の近代建築。
昭和10年代の旧郵便局や明治期の擬洋風建築の旧銀行などを訪問。

玉の助1







お昼は丹波篠山市にある卵かけご飯専門店の「玉の助」へ。
玉の助2







卵は産みたての濃厚な味。卵は食べ放題ではなく5つまでの制限でしたが、3つで十分でした。薬味と合わせて3種類の醤油で食す卵かけご飯は美味しかったです。


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2021年09月12日

舞鶴朝来第三海軍火薬廠工員宿舎街(朝来中地区・吉野地区・鹿原地区)遺構探索レポ日記

工員宿舎街位置図








現在の舞鶴市の朝来地区一帯(日本板硝子工場〜舞鶴高専の奥の谷地)には朝来第三海軍火薬廠という広大な海軍の火薬工場がありました。戦後は払い下げられ、工場や学校、住宅地となりましたが、現在も多くの火薬廠時代の建物や遺構が残されています。特に舞鶴高専周辺の第二製造部は立地からそのまま放置され、多数の遺構が廃墟の状態で残されています。
旧海軍朝来第三火薬廠・空気炸薬成形工場・砲炸薬整形工場
舞鶴朝来第三海軍火薬廠第二製造部遺構探索レポ日記
※過去の記事。10年前の記事なので情報が古いです。近いうちに新たに確認した遺構などを追加して更新します。
また、日本板硝子工場の周辺にもいくつかの遺構が残されています。
舞鶴市・第三海軍火薬廠第一製造部遺構探索レポ日記
今回は新たに確認した工員宿舎街の遺構を探索・調査してきました。

まず向かったのは、朝来小学校の北側にある朝来中地区。ここは昭和22年の航空写真で明らかに第三火薬廠建設に際して区画整理されたような街割りとなっており、以前から目を付けていたエリアでした。
昭和22年朝来中地区・吉野地区












昭和22年米軍撮影航空写真(国土地理院HP公開写真より引用)
実際に現地を探索しましたが、かなりの数の工員宿舎が現存していることが分かりました。
この朝来中地区は舞鶴市の軍用地を示した資料にも、第三海軍火薬廠の研究資料にも未掲載の全く新たに確認出来た工員宿舎街となりました。

朝来中地区工員宿舎街遺構配置図








朝来中地区工員宿舎街遺構配置図。以下のレポはこの配置図に沿って書いていきます。

1朝来中工員宿舎1










工員宿舎街
当時の面影を生かした外観に改修されています。
工員宿舎1










中々いい雰囲気です。

2朝来中工員宿舎2










工員宿舎
民家となり外観の変更はありますが、おおむね当時の面影を残しています。

3朝来中工員宿舎3










工員宿舎
工員宿舎3










こちらは荒れていますが、一部当時の面影を残しています。

4朝来中工員宿舎4










工員宿舎
建物自体は半分に切り詰められているようです。ただ、外観は当時の面影を残しています。


5朝来中工員宿舎5・6










工員宿舎ァΝΑ
外観の改修はされていますが、プランは当時のままのようです。

7朝来中工員宿舎7







工員宿舎
外観・プラン共に当時のオリジナルの姿をよく留めています。

7朝来中工員宿舎8










工員宿舎
切り詰めた宿舎を集会所として利用されています。

8朝来中工員宿舎9










工員宿舎
外観、プランとも一番オリジナルの姿を残している宿舎です。
9朝来中工員宿舎9










反対側から。

9朝来中工員宿舎10










工員宿舎
切り詰めて増築されているため、面影は余りありません。

10朝来中工員宿舎11










工員宿舎
手前の建物に面影が残されています。

11朝来中工員宿舎12










工員宿舎
工員宿舎に次いで当時の面影を残す建物。
工員宿舎12










窓部分。

ところで、この朝来中地区を探索中に住民の方から声を掛けられました。何をしているのかと尋ねられ、第三海軍火薬廠の工員宿舎について記録をしていると話したら、理解をして頂き、貴重な詳細なお話を聞くことが出来ました。
この住民の方(以下、Sさん)も元工員宿舎に現在もお住まいで、奥様はかつてここで生活し、第三火薬廠に通っていたという方です。まず、大浴槽の跡を見せて頂きました。
12大浴場1










大浴槽跡。屋根は戦後に造られたもので、かつては大きな大浴場の建物があったとか。
13大浴場2










大浴槽の内部。かなり大きいです。10人くらいいっぺんに入れそうな規模です。
14大浴場3










現在は金魚や鯉を飼う水槽になっています。手前に浴槽へと入るための段が見えます。
Sさんからこの朝来中地区工員宿舎街について色々とお話を聞かせてもらいました。

〇昭和18年に第三海軍火薬廠が造られ、この朝来中地区工員宿舎街が造られた時、各宿舎に配水をするための貯水槽が山に設けられた。戦後、払い下げを受け住民が生活を始めたが、戦前より格段に水の使用量が増えたために既存の貯水槽では賄えなくなり、市が新たに上水道を設置した。
〇工員宿舎の建物は当初10年持てばいいと建てた大工が言っていたそうだが、70年以上経った現在でも住宅として使用され続けている。恐らく国産材を使っているからだろう。
〇第三海軍火薬廠第二製造部(舞鶴高専とその付近一帯)建設で立ち退きをされた住民の一部が戦後、払い下げを受けた工員宿舎に移り住んだ。
〇朝来中地区工員宿舎街でも一段高い位置(工員宿舎の向かいあたり)には偉い人(下士官か?)の住居があった。
等、貴重なお話を聞かせて頂きました。最後に「いずれ無くなるからしっかり記録を残して欲しい」とおっしゃっていただきました。Sさん、ありがとうございました。
この後、Sさんから聞いた山にある貯水槽へ。
15貯水槽1










貯水槽〜陲吠い錣貶かりづらいですが、見た感じ、開放型ではなくコンクリートで上部も覆った箱型になっているようです。
16貯水槽2










貯水槽◆F韻献織ぅ廚涼水槽が2つ並んでいます。
実は先ほどのSさんより重要な情報を聞いており、朝来中地区から南に約2.5km離れた場所にある鹿原地区も元工員宿舎街で、当時の建物が残っていると聞きました。鹿原地区については全くのノーチェックで、朝来中地区と同じく舞鶴市の資料にも第三海軍火薬廠の調査資料にも載っていない箇所。朝来中地区の調査を終えた後、鹿原地区へと向かいました。

その前に青葉山ろく公園に近い場所にある、吉野地区工員宿舎街へ。
昭和22年朝来中地区・吉野地区












第三海軍火薬廠の調査資料には、官舎となっています。
17吉野地区工員宿舎か










吉野地区には当時の建物と確定できる建物は一切残っていません。唯一怪しい木造の建物がありますが、昭和22年の航空写真を見てもこの場所には建物は無く、移築された建物の可能性があるとだけしておきます。
19吉野地区地下壕










北側の山裾に地下壕(防空壕)が残されています。
18吉野地区地下壕










だいぶ崩落しているようです。
鹿原地区・吉野地区工員宿舎街遺構配置図










吉野地区の背後の山には岡安支城という中世の砦跡があり、戦時中は第三海軍火薬廠を防衛するための防空機銃砲台があり、現在も数基の円形土塁状の砲座が残されているようです。

そして、Sさんに教えてもらった鹿原地区工員宿舎街。
昭和22年鹿原地区












昭和22年の米軍撮影航空写真(国土地理院HP公開写真より引用)
確かに新しく区画整理された箇所ですが、第三海軍火薬廠から割と離れていることから全くのノーチェックでした。
鹿原地区・吉野地区工員宿舎街遺構配置図










実際に探索すると、こちらも多くの工員宿舎が残されていました。今回は比較的当時の姿が保たれている建物を記録しましたが、増改築により大きく改変を受けているものの、工員宿舎の一部が使われている建物を含めると地区の半数の建物が現存していることになります。
19鹿原地区工員宿舎1










工員宿舎
鹿原地区工員宿舎街で一番当時の姿を残す建物。これには驚きました。
20鹿原地区工員宿舎1










裏側。規模、外観、プランとも、朝来中地区にあった工員宿舎とほぼ同じであり、他地域に残る海軍工廠等の工員宿舎とも同じ造りです。
22鹿原地区工員宿舎2










工員宿舎
こちらもオリジナルの姿を良く残している建物。
23鹿原地区工員宿舎3










工員宿舎
外観は改修されていますが、面影は残されています。
24鹿原地区工員宿舎4










工員宿舎
こちらも面影が残されています。
25鹿原地区工員宿舎5










工員宿舎
こちらは外観も当時の雰囲気が保たれています。
28鹿原地区工員宿舎5










反対側の妻側。こちらの方がオリジナルの外観に近いです。
26鹿原地区工員宿舎6










工員宿舎
外観は大きく改変されていますが、プランは当時のままのようです。
29鹿原地区工員宿舎7










工員宿舎
外観は大きく改変されていますが、プランはそのままのようです。ただし廃屋なのか荒れています。
記録をした工員宿舎は以上ですが、他にも増改築により大きく改変はされているものの、工員宿舎の一部が取り込まれる形で現存し使われている建物が多数存在しています。

鹿原地区工員宿舎街










舞鶴朝来第三海軍火薬廠の工員宿舎は現存していないと思ってたのですが、今回の調査で多数の工員宿舎の建物が現存していることが判明しました。さらに、舞鶴市の軍用地を記録した資料にも載っていない未確認のエリアでの発見。大きな成果を得ることができました。現存する工員宿舎は多くが現在も民家として使用されていますが、建設からすでに78年余り。老朽化により近いうちに消えている可能性があります。今回のタイミングで少なからず記録に留めることが出来たのは幸いでした。
貴重な証言および鹿原地区の情報を教えて頂いたSさん、ありがとうございました。


besan2005 at 11:43|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年09月07日

旧美方郡役所

旧美方郡役所










鳥取市内の近代建築探索からの帰宅の途中に立ち寄った建物。
明治27年、七美郡役所として建てられた洋館です。明治29年に美方郡役所となり大正15年まで使用されました。その後は林業事務所等にしようされましたが、昭和62年に現在地へ移築。
旧美方郡役所










現在は村岡民俗資料館まほろばとして使用されています。
旧出石郡役所







同じ兵庫県北部には酷似した明治25年築の旧出石郡役所の建物があります。


besan2005 at 19:28|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 官公庁・役所

丹波篠山市今田地区・古市地区の近代建築。

西脇市の近代建築の探索の帰り、丹波篠山市郊外の今田地区・古市地区の近代建築を探索してきました。
※西脇市の近代建築探索レポ日記は後日。


旧今田郵便局










旧今田郵便局。今田町下小野原。昭和10年代。

旧今田郵便局










最近までカフェとして利用されていましたが、現在は休業中。

古市の洋館付き住宅










古市地区の洋館付き住宅。昭和初期頃?


旧今田銀行










旧今田銀行。古市。明治期。
旧今田銀行










検索しても出てきませんでしたが、地元の有力者が開業した銀行と思われます。
旧今田銀行の情報は近代建築を取り上げた某ブログより。
旧今田銀行










旧今田銀行の建物は擬洋風建築といった感じでしょうか。窓周りが洋風ですね。
旧今田銀行










一見すると町屋か商家風の建物ですが、角に入り口を設けているところが普通の商家建築とは違う点ですね。
旧今田銀行










旧今田銀行の鬼瓦。水の文字があります。防火のおまじないでしょうか。
現在は民家として使用されていますが、明治期の地方の擬洋風建築の小銀行建築として、貴重な存在です。

besan2005 at 19:02|PermalinkComments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産
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