2021年10月

2021年10月23日

京都市・旧新道小学校、宮川町歌舞練場訪問レポ日記

1新道小学校正面










本日は京都市東山区にある旧新道小学校と宮川町歌舞練場を訪問しました。
新道小学校と宮川町歌舞練場は今年度中に取り壊され、跡地はNTT都市開発により大規模宿泊施設及び新歌舞練場を含めた一帯の開発が行われることとなり、旧新道小学校の一般公開が行われていることを知り、解体が始まった隣の宮川町歌舞練場と合わせて訪問することとしました。

2新道小学校










まずは旧新道小学校。現在残る建物は昭和11年から昭和12年に建てられた鉄筋コンクリート造の校舎。近年の少子化・ドーナツ化現象による児童数減少により平成23年に閉校しました。
その後は色んな団体等による再利用がされてきましたが、今回いよいよ再開発による取り壊しが決定しました。

3新道小学校










最近は閉校した小学校や中学校の校舎を再利用したり、もしくは一部保存して別の施設に建て替えという例が良く見られますが、旧新道小学校は全面建て替えとなりこの姿を見ることは出来なくなります。
今回、一般公開という機会を設けて頂いた関係者の方々には感謝です。
では、内部へ。

4新道小学校玄関










旧新道小学校玄関。

5新道小学校玄関タイル










玄関タイル。とても丁寧な仕事ですね。

6新道小学校平面図001













頂いたパンフにある旧新道小学校の平面図。

7新道小学校1階廊下










1階廊下。レトロな木造のドアや窓がいかにも戦前の学校建築といった雰囲気。

8新道小学校1階階段










1階階段。親柱と手摺は人造石かな。1階は入る箇所があまり無かったので2階へ。

9新道小学校2階廊下










2階廊下。
10新道小学校家庭科室










家庭科室らしいですが、キッチン無いですね。

11新道小学校2階廊下










曲がった先の2階廊下。

12新道小学校2階階段










2階階段。学校の階段・・・怪談では、4時44分とかにこの鏡の前に立つと、この世の者ではないものが写ったり・・・が定番ですね。
13新道小学校理科室










階段の先の突き当りにある理科室。

14新道小学校理科室










別角度から。

15新道小学校手洗い場










実験器具とかを洗ってた流し台。
16新道小学校理科準備室










理科室の隣の理科準備室。準備室とか懐かしい響き。
照明に貼られた「残置」の紙がいよいよ取り壊されることを物語ってます。

17新道小学校2階階段










2階階段から3階へ。

18新道小学校音楽室










2階の階段を上った3階のすぐ横にある音楽室。

19新道小学校音楽室










壇上で唄ったり演奏したりするためか、他の教室より教壇が広いです。

20新道小学校音楽室










合唱とかで唄ったりするため、児童側も段が造られています。丁寧な造りです。

21新道小学校3階廊下










3階廊下。

22新道小学校作法室










3階にある作法室。

23新道小学校作法室










格天井に付書院・床の間・床脇の天袋に地袋。違い棚は無いですが、教科書通りの書院造の和室。

24新道小学校作法室襖










作法室の襖。ちゃんと上部に欄間もある。

25新道小学校作法室天袋・地袋










床脇の天袋と地袋。違い棚がないですね。ちん潜りはあるのに。

26新道小学校作法室地袋










地袋の模様はカルタをあしらったもの。
26新道小学校作法室隙間













作法室は他の教室と同じ造りの中に入れ子状に和室を造ってます。
作法室







戦前の学校、特に女子教育ではお茶や生花、作法などの教育が盛んにおこなわれていました。
戦後も茶道部とかか使用していたんでしょうか。小学校の作法教室だと手を抜かずにちゃんと様式にのっとり丁寧に作られた書院造の作法室、しかも格天井という格式の高さ。こういった伝統的な部屋を手かけられるのは京都ならではでしょうが、学校側や職人がこの新道小学校の児童にはちゃんとした格式のある書院造の作法室でしっかり学んでほしいという願いがあったのかもしれません。

新道小学校講堂










校庭に出て講堂へ。
27新道小学校講堂










講堂はだいぶ改装されてましたね。新道小学校の紹介がビデオで流されてました。

28新道小学校講堂










講堂の窓。

31新道小学校校庭










再び校庭へ。かつては児童が休み時間で遊ぶ声で賑わっていたのでしょう。

29新道小学校














30新道小学校













訪問した日はいい天気で、風は寒かったものの、校舎内へは秋の柔らかな日差しが窓から差し込んできました。閉校し児童がいなくなった学校の建物は、他でも感じましたがやはり物寂しい感じがしますね。

続いて隣にある宮川町歌舞練場へ。

32宮川町歌舞練場










宮川町歌舞練場は大正5年に完成した大規模な近代和風建築で、春の京おどりの公演の場として知られていましたが、老朽化と旧新道小学校との一帯の開発により取り壊しが決定。訪問した時はすでに覆いがかけられていましたが、建物はまだ健在でギリギリ間に合いました。

33宮川町歌舞練場










反対側から。3年前の3月にこの一帯を探索し、新道小学校の前も通り写真に収めていたのに、なんで宮川町歌舞練場は写真に収めなかったのだろう…

34宮川町歌舞練場










大屋根部分。新たな宮川町歌舞練場もこの象徴的な大屋根を再現するらしいですが。

35宮川町歌舞練場階段
 









フェンスの隙間から。階段がちらっと見えます。

36宮川町歌舞練場










旧新道小学校の教室から見た宮川町歌舞練場。来年度には宮川町の歴史を伝えるこの象徴的な2つの建物は取り壊され姿を消します。


besan2005 at 20:10|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 学校建築

2021年10月17日

旧亀岡商工会館探索レポ日記

1亀岡商工会館










※11/21、内部の見学をしてきました。最後の内部公開です。

旧亀岡商工会議所内部探索レポ日記

亀岡駅南口にある亀岡サンガスタジアムの南側に半ば廃墟化した古いビルがあります。これは旧亀岡商工会館という建物で、昭和33年に完成した建物。老朽化により2022年2月末までに解体されることが決定しており、戦後建築ではありますが、記録に留めようと向かいました。
元々は保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初(噂では阪急嵐山駅から亀岡市まで沿線を延ばす予定があったとか)でしたが、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用されたとのこと。しばらくはそのまま宿泊施設・商業施設として使用されてたものと思われますが、私が知る限り(20年前)にはすでに半ば廃墟状態だったと思います。
2亀岡商工会館










近年まではテナントが1つ入り、あとは亀岡市関連の団体の事務所として使用されていたようですが、現在はほぼ使われていません。

3亀岡商工会館










亀岡商工会館の看板。

4亀岡商工会館










エントランス。自販機が現役で綺麗なのがミスマッチに見えます。

6亀岡商工会館










近年まで入っていたレストラン。

7亀岡商工会館










現在は看板も蔦に覆われ荒れ果ててます。

8亀岡商工会館










エントランスの照明。

5亀岡商工会館










エントランスの案内板。一応組合などの団体の文字がありますが、どうなんでしょう。もう訂正されずに放置されている気が。

9亀岡商工会館










内部。一応照明は点灯していたので、完全な廃墟ではないようです。

10亀岡商工会館










残存しているテナント名。花屋さんだったのでしょうか。

11亀岡商工会館










背面。元々は宿泊施設としても建てられた建物なのでかなり大きさがあります。
内部には当時の大浴場も残されているようです。※読売新聞記事より

12亀岡商工会館










裏側へ。
13亀岡商工会館










外階段が螺旋階段とは中々洒落てますが、ちょっと怖いかも。

14亀岡商工会館










裏側の2階以上はベランダになっており、かつての宿泊施設としての名残があります。
15亀岡商工会館










1階部分は広い空間で、売店か大食堂の空間だった感じに見えます。現在は希少生物の研究施設(アユモドキ)という張り紙がされていますが、ほぼ物置状態。

16亀岡商工会館













建物を一通り見て後にしました。昭和レトロ感と廃墟感を今に残す亀岡商工会館。あと数ヶ月でその姿を消していきます。

besan2005 at 09:09|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 商業施設

2021年10月11日

豊岡市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年4月28日に探索した際の日記です。
豊岡市は大正14年の北但大震災により豊岡市街は壊滅。関東大震災の例もあり、震災後豊岡市(当時は豊岡町)は震災復興事業として火災に強い不燃の建物を建てていきました。
現在も震災復興事業として建てられた昭和初期の建築物が多く残されています。
41中江種造邸








42中江種造邸







この日探索した近代建築の中に旧中江種造邸だった豊岡カトリック教会がありますが、
すでに独立した記事として書いてますので、こちらを参照してください。
豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記

まずは豊岡市中心街から。
※デジカメで撮影した写真が霞んだ感じで上手く撮れなかったので、スマホで撮影した写真を使ってます。

1豊岡市役所 中央町 昭和2年







豊岡市役所稽古堂(旧豊岡町役場)。中央町。昭和2年。国登録有形文化財。

2豊岡町役場








竣工当時の豊岡市役所。昭和27年に3階部分を増築して今の姿になりました。
3豊岡市役所










玄関ホール。ピアノが置いてあって誰でも弾けます。
4豊岡市役所







同じく玄関ホール。
5豊岡市役所













階段。豊岡市役所は新庁舎建設のため25m曳家して保存されました。


6旧兵庫県農工銀行豊岡支店 中央町 昭和9年 渡辺節建築事務所







旧兵庫県農工銀行豊岡支店。中央町。昭和9年。設計は渡辺節建築事務所。国登録有形文化財。
7旧山陰合同銀行豊岡支店













現在はレストランとして使用。入ってみたかったけど、ランチも中々のお値段で断念w

7京極湯 中央町







京極湯。中央町。旧兵庫県農工銀行豊岡支店の裏手のレトロな銭湯。
7京極湯2







現在は廃業しているっぽいですが、建物はいつまでも残ってほしいですね。
豊岡市のメインストリートである大開通りを西へ。

8アリス美容室 中央町 昭和初期







アリス美容室。中央町。昭和初期頃。
9アリス美容室













塔屋が特徴的な建物。

10大開通りの商店建築 中央町







大開通りの商店建築。昭和初期頃か。

11丸岡ふとん店 千代田町 昭和初期













丸岡ふとん店。千代田町。昭和初期。震災復興建築。

12つるや商店 千代田町 昭和初期













つるや商店。千代田町。昭和初期。これも震災復興建築。
大開通りから南の生田通りへ。

13経済協力会 千代田町 昭和初期







経済協力会。千代田町。昭和初期。
14経済協力会







左側1階部分が切り取られてガレージになっているなど改造はありますが、全体的に当時の姿を留めてます。

15洋館付き住宅の廃墟 千代田町







その隣にある倒壊寸前の洋館付き住宅。昭和初期頃か。
16洋館付き住宅の廃墟







良く残っているなと率直に思いました。かなり傾いてます。
17洋館付き住宅の廃墟







洋館部分。2021年現在、消失を確認。さすがにね・・・

18原邸 千代田町 旧医院か







H邸。千代田町。昭和初期か。

19原邸







現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。

20谷村邸 千代田町 元医院か 昭和初期







T邸。千代田町。昭和初期。装飾に富んだ建物で、元医院だった建物と思われます。
2021年現在、消失を確認。
再び大開通りへ。

21大開通の復興商店建築







大開通りの復興商店建築群。中央町。昭和初期。
22大開通の復興商店建築群







中々洒落てます。
23サルード 中央町













サルード。中央町。昭和初期。

24クロワッサン 中央町













クロワッサン。中央町。昭和初期。小さく可愛らしい建物。
25大開通の復興商店建築 中央町







ブティック・ストーク。大開通りの3棟並ぶ復興商店建築。中央町。昭和初期。

26大開通の復興商店建築 中央町







大開通りの2棟並ぶ復興商店建築。中央町。昭和初期。

27旧但馬銀行豊岡東支店 中央町













旧但馬銀行豊岡東支店。中央町。昭和初期。1階玄関周りに当時の装飾が残されています。
28大開通の復興商店建築







大開通りの和洋折衷建物。中央町。
29大開通の復興商店建築










大開通りの復興商店建築。中央町。昭和初期。モダンな建物。左隣に看板建築が並んでましたが、撮影し忘れ…。
ここから南北の通りである元町通りを北上。

30旧但馬貯蓄銀行 元町 昭和初期







旧但馬貯蓄銀行中支店。元町。昭和初期。和洋折衷の建物。
31旧但馬貯蓄銀行







後に高石医院として使用され、現在は豊岡画廊となっています。

32エンドー鞄 元町







エンドー鞄事務所。元町。昭和初期。スクラッチタイルの昭和初期らしい建物。

33橋本酒造 元町







橋本酒造。元町。昭和初期。全体的に和風ですが、1階腰回りを煉瓦積み風にしたオシャレな外観。

34橋本商店 元町







橋本商店。元町。昭和初期。双子の建物を1つにしてますが、元々は別店舗だったのでしょう。

35服部 小田井町 昭和2年







服部。小田井町。昭和2年。モダンな外観ですが、バルコニー、軒周りの装飾が凝ってます。
36服部







別角度から。
東の細い通りに入り南下。

37まるはSID 元町 昭和初期







まるはSID。元町。昭和初期。元は木和田商店事務所。いかにも昭和初期の建物。

38木和田商店 元町













木和田商店。元町。昭和初期か。銅板張りの商店建築。

39豊岡劇場 元町 昭和初期







豊岡劇場。元町。昭和2年。当時の装飾が現在も残されています。豊岡劇場は2012年にいったん閉館しましたが、2014年にクラウドファンディングによる募金等で再開。現在も映画館として稼働しています。
豊岡市中心街を離れ、南下。
40豊岡高校達徳会館 京町 明治29年







達徳会館。京町。明治29年。兵庫県指定文化財。旧豊岡中学校の本館で、現在は豊岡高校の記念館として保存されています。

以上で豊岡市の近代建築の探索を終了しましたが、参考にした近代建築のサイトに掲載されている建物のいくつかが失われていました。それとは別に確認できなかった建物、撮影を忘れた建物もあり、後日補完の意味を込めて再探索できたらと思います。  

besan2005 at 22:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

2021年10月10日

伊根町・新井崎砲台跡探索レポ日記

新井崎砲台位置図










京都府伊根町にある新井崎砲台跡の探索レポ日記です。
新井崎砲台は舞鶴港の防衛のため、昭和10年に設置された陸軍の砲台で、21センチ加農砲が4門配備され、周辺には探照灯・弾薬庫・営舎などがあり、海軍の監視所もありました。
新井崎砲台













伊根町誌に収録されている新井崎砲台の配置図。
新井崎砲台遺構配置図






新井崎砲台遺構配置図。
現在、新井崎砲台跡地は砲台は新道により削り取られ消失していますが、それ以外の遺構がいくつか残されています。特に砲具庫などの建物が残されているのは貴重です。
1砲具庫










砲具庫。新井崎砲台跡に残されている唯一の木造建物。
2砲具庫










反対側から。
3砲具庫裏










裏側。現在は農機具倉庫になっていますが、当時の建物が今でも残されているのは貴重。
4油庫










砲具庫の横にはコンクリート造の油庫があります。
5井戸










砲具庫・油庫の前にある井戸。これも当時の物。
6井戸の上の境界杭













井戸の蓋の重しに再利用されている「陸」境界杭。
7井戸裏の石積










井戸の裏にある石積擁壁。
8貯水槽










砲具庫の裏に遺棄されたコンクリート製の貯水槽。
12便所










砲具庫の道を挟んだ畑の中にある便所跡の建物。コンクリート造の便所って珍しいかな。
9石積擁壁










10石積擁壁










農道脇に残る当時の石積擁壁。伊根町誌の配置図では、火薬置場や弾薬庫へと通じる道だった感じ。
道をたどって山側の方へ向かうと。
10防三六境界杭










境界杭が倒れていました。
11防三六境界杭










防三六の文字があります。ここから山中に入ると、
13観測所










観測所の跡が残されています。再び集落へ。
14防一八境界杭













防一八の境界杭。
15防一九境界杭













防一九の境界杭。
16陸境界杭










民家裏の畑に倒れている「陸」境界杭。他にも境界杭はありそうです。

※新井崎砲台の南約500mには海軍の新井崎防備衛所がありました。

新井崎防備衛所遺構位置図3










今回裏づける資料を発見し、再探索・記事作成を行いましたので、こちらもご覧ください。

伊根町・新井崎防備衛所 遺構探索レポ日記


besan2005 at 09:19|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年10月09日

桑名市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月21日の探索分の記事です。
桑名市の近代建築と言えばジョサイア・コンドル設計の六華苑が有名ですが、それ以外にもいくつかの近代建築が残されていました。
まずは桑名駅から南下。

1松岡産業資料館 安永 昭和初期










松岡産業。安永。昭和初期頃。
2松岡産業資料館










昭和戦前期らしい中々雰囲気ある建物。ただ、この時はもう使われていなかった感じ。
資料館として使用されていたという話もありますが、不明。
3松岡産業資料館










2021年10月現在、この記事を書くためストビューで確認したら消滅していました。

4松岡邸 安永 洋館付き住宅










M邸。安永。松岡産業の隣にある住宅。
5松岡邸










洋館付き住宅です。

6松岡産業資料館近くの洋館 安永










松岡産業の近くにある洋風住宅。安永。ハーフチンバーの外観。昭和初期でしょうか。

7武藤外科医院 安永 昭和初期










武藤外科医院。安永。昭和初期。木造の割と大きな洋館。
外科医院だから病室もあったのでしょう。

9煉瓦造の三昧










武藤外科医院の近くの墓地にある煉瓦造の火葬場。和泉。
8煉瓦造の三昧 和泉













戦前の物であることは間違いないと思います。墓地内に造られた簡易火葬場は地域によっては「三昧」と呼ばれることも。煉瓦造だし中々良いデザインですが、火葬場という性質上、何となく近づきがたい雰囲気がw 桑名市にはもう一ヵ所墓地内の煉瓦造の火葬場を確認しています。
ここから北上。

10石取会館(旧四日市銀行桑名支店) 京町 大正14年










石取会館。京町。大正14年。旧四日市銀行桑名支店。国登録有形文化財。

11石取会館










現在は展示施設になっています。

12坂本木型木工事務所 京町










坂本木型木工事務所。京町。
13坂本木型木工










昭和初期頃でしょうか。壁面の装飾は社章ですかね。
14鍵助商店煉瓦倉庫 三之丸










鍵助商店煉瓦倉庫。三之丸。明治〜大正?
15鍵助商店煉瓦倉庫










探索していて突然目についた大きな煉瓦建物に驚き。
16鍵助商店煉瓦倉庫










拡大。諸戸邸の煉瓦倉庫並みの規模があります。当初から鍵助商店の建物だったのでしょうか。

17楽翁公百年祭記念宝物館 吉之丸 昭和9年













楽翁公百年祭記念宝物館。吉之丸。昭和9年。楽翁公は寛政の改革で知られる松平定信のこと。
老中引退後に息子の定永が桑名藩主となり、それに伴い、定信の藩士たちが桑名藩へ移封した縁で
顕彰の意味で建てられたもの。国登録有形文化財。

18楽翁公百年祭記念宝物館










鉄筋コンクリート造ですが、全体的に和風のデザインですね。
19楽翁公百年祭記念宝物館










玄関部分の照明の装飾。

20六華苑洋館 ジョサイアコンドル 大正2年










六華苑(旧諸戸清六邸)。桑名。大正2年。桑名市を代表する近代建築。ジョサイア・コンドル設計。国指定重要文化財。
21六華苑洋館










説明不要の名建築ですね。六華苑は初代諸戸清六の4男が自邸として諸戸邸に隣接して建てたもの。
22六華苑洋館










玄関ホール。

23六華苑洋館










1階食堂。
24六華苑洋館










2階階段。
25六華苑洋館










2階書斎。
26六華苑洋館










2階サンルーム。
27六華苑洋館










何度見ても素晴らしい建物。
次紹介するのは六華苑の南にある諸戸邸。初代諸戸清六の邸宅だったお屋敷。
実は諸戸邸の方は長期にわたる解体修復・整備事業で庭園を除き見学不可。あと、解体修復のために現在はその姿を見られなくなってます。
今回は業務で入った際に見せてもらったかつての姿と現在非公開の部分を紹介。

28諸戸邸主屋










諸戸邸主屋。解体修理前の2009年の撮影。明治22年築。
諸戸邸主屋










かつて諸戸家の主屋としてだけでなく、事務所としても使われていた建物。重要文化財。
諸戸邸主屋仏間天井










諸戸邸主屋の仏間の天井。一番格式のある部屋として使用されたようで、装飾を描き、漆塗りに仕上げた豪華な折上格天井。立ち合い時に撮影。
諸戸邸主屋客間










諸戸邸主屋の客間。付書院のある書院造の部屋。

32諸戸邸洋館







諸戸邸洋館。解体修理により蘇った洋館。明治24年築。
33諸戸邸洋館











34諸戸邸洋館










修理前の洋館の姿。黄色は当初の色だそうです。隣接する御殿と合わせて建てられました。御殿の方は写真が見当たらず。

31諸戸邸撞球場







撞球場。明治23年。解体修理後の撮影。
35諸戸邸洋室










諸戸邸主屋付属洋室。
36諸戸邸洋室










明治後期か大正期に増築されたもの。
37諸戸邸洋室内部










38諸戸邸洋室内部










39諸戸邸洋室内部










40諸戸邸洋室内部










内部の様子。
41諸戸邸洋室内部










天井。
42諸戸邸洋室内部










暖炉。この洋室の建物は現在解体修理中で見られません。
29諸戸邸煉瓦蔵










煉瓦蔵。明治28年。諸戸邸は現在長期修理・整備中で、全ての修復が終わるのはだいぶ先になるようですが、完成したらかつての豪奢なお屋敷の姿が見れることでしょう。
最後に偶然見つけた物件。


43大正天皇御銀婚式記念 東方 かつては火の見櫓あり










旭日の文様と「御銀婚式記念」の文字が彫られたコンクリートの建物。

46大正天皇御銀婚式記念










これは大正天皇の銀婚式を記念して建てられたもののようです。
45大正天皇御銀婚式記念










44大正天皇御銀婚式記念










かつては火の見櫓があったようです。
47大正天皇御銀婚式記念










内部は特に何もありませんでした。倉庫に使用されてたんでしょうか。

以上で桑名市の近代建築探索は終了。
実は他にもあるのですが、今回は時間の都合上行くことが出来ず。
特に諸戸家の3つ目の邸宅、諸戸徳成邸が保存運動もむなしく取得の予算等で折り合いが付かず、見ることが叶わず取り壊されたのは残念でした。


besan2005 at 12:26|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

2021年10月03日

小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記(+後瀬山城・小浜城)

去年の2020年6月20日に探索した小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記です。去年の5月に新車に買い替え、せっかくだからとドライブがてらの探索でした。
まずは小浜市。コインパーキングに車を停め、西側から順に探索開始。

1都菓子舗 小浜鹿島 大正15年










都菓子舗。小浜鹿島。大正15年。
2都菓子舗










洋風の要素を持つ和菓子店です。

3高鳥歯科医院 小浜鹿島 大正14年 国登録










高鳥歯科医院。小浜鹿島。大正14年。国登録有形文化財。
4高鳥歯科医院










シャレた装飾のある地方の個人医院。
5高鳥歯科医院










玄関部分の装飾。当時はハイカラな建物の象徴だったんでしょう。

6白鳥会館 白鳥 明治22年










白鳥会館。白鳥町。明治22年。国登録有形文化財。
7白鳥会館










土蔵造の建物に洋風の煉瓦のアーチという擬洋風建築というか和洋折衷というか変わった建物。
明治21年の大火後に薬品製造販売会社の店蔵として建てられたものだそう。

8武藤写真館旧館 小浜竜田 大正13年 










武藤写真館旧館。小浜竜田。大正13年。当時のままの下見板張りの洋館。いい雰囲気。
ここから車で移動して、フィッシャーマンズワーフ方面へ。

9戦前建築か 小浜鈴鹿










途中で見かけた建物。小浜鈴鹿。
10戦前建築か










雰囲気的に、戦前建築で間違いなさそう。
ここから北上。
13日本聖公会小浜聖ルカ教会 千種 明治30年










日本聖公会小浜聖ルカ教会。千種町。明治30年。国登録有形文化財。
14日本聖公会小浜聖ルカ教会













設計はバーガミニー。小さな教会ですが、明治時代建築の貴重な建物。

11旧幼稚園 千種 昭和初期頃か










小浜聖ルカ教会旧幼稚園。千種。昭和初期頃。
12旧幼稚園










小浜聖ルカ教会のすぐ横の建物。旧幼稚園だったらしいですが、元々は司祭の住宅だったのかも。
ここから、南川・北川を渡り、小浜城方面へ。

15大手橋 城内 昭和14年










大手橋。城内。昭和14年。
16大手橋










南川に架かる今も現役の昭和戦前のRC橋。
17大手橋










大手橋の親柱にある竣工年の銘板。

18西津橋 山手 昭和14年










西津橋。山手。昭和14年。
19西津橋










北川に架かる橋で、大手橋と同じ年の竣工。
20西津橋










戦前のRC橋は雰囲気が良くて好きですね。
21西津橋













西津橋の親柱にある竣工年の銘板。

22小浜中学校旧図書館 雲浜 昭和11年 国登録










小浜中学校旧図書館。雲浜。昭和11年。国登録有形文化財。
23小浜中学校旧図書館










旧小浜尋常中学校の図書館だった建物。現在は洗心館という記念館。
ここから北にある住宅街へ。

29宮本邸洋館










M邸。山手。昭和初期か。偶然見つけた大きな洋館。
24宮本邸洋館 山手 大正から昭和初期か










植木の隙間から何とか撮影。相当な規模とレベルの洋館です。
27宮本邸洋館










同じく植木の隙間から。
26宮本邸洋館










門まで近づきましたが、人気が全然ない上に庭も荒れている…。一応表札はありましたが空き家っぽい。門柱はあったけど門扉はなし。
25宮本邸洋館










恐る恐る玄関前まで近づくことに。
28宮本邸洋館










玄関部分。警備会社のステッカーがありましたが、人気が全然ない上、所々痛みも。
一応管理されているようですが、常住されてないのかも。
というわけで、ここまでで退散。それにしても相当な規模とレベルの洋館。小浜市でも有数の近代建築の一つになると思います。
ちなみに今年(2021年)撮影のGoogleMapの航空写真を見たら、庭木が全て伐採され、作業用らしきワゴン車が2台停まってます。もしかしたら解体の日が近いのかも…。

30大下第三歯科医院 山手

 








大下第三歯科医院。山手。気になった建物。

31旧今村家住宅(田村邸) 山手 昭和7年










旧今村家住宅。山手。昭和7年。
33旧今村家住宅










ドイツ風(?)のオシャレな洋館住宅。
32旧今村家住宅










現在は別の方がお住まいですが、大切に住まわれているようです。

34大島邸 山手 昭和初期か










O邸。山手。昭和初期頃か。洋館付き住宅。
35大島邸










洋館部分のアップ。

36洋館付き住宅 山手










O邸の近くにある洋館付き住宅。昭和初期か。この近辺はこの建物を始め、旧今村家住宅、O邸などが集中し、戦前の住宅街だったようです。

小浜市の探索はこれで終了。他にもいくつかあるようですが、郊外にあったりしたので今回はスルー。
ここから西に向かい、高浜町へ。

37旧京都電灯高浜営業所 高浜町宮崎 昭和6年










旧京都電灯高浜営業所。高浜町宮崎。昭和6年。
39旧京都電灯高浜営業所










結構意匠に富んだ事務所建築にしては華やかな建物です。高浜町を代表する洋館。
38旧京都電灯高浜営業所










現在は高浜まちづくりネットワークという観光施設となっています。

40旧山口医院 高浜町事代 昭和8年










旧山口医院。高浜町事代。昭和8年。
41旧山口医院










いかにも戦前の地方の個人医院と言った雰囲気の洋館。しかし、私はこういった医院建築が好きですね。
42旧山口医院













玄関の装飾。独特な模様です。何という模様なんだろう。

43下見板張りの洋館 高浜町若宮










たまたま見かけた下見板張りの洋館。高浜町若宮。
44下見板張りの洋館










昭和初期頃かなぁ。


45旧劇場 高浜町事代










高浜町事代で見かけた大型の木造建物。戦前っぽい雰囲気で気になり観察してましたが、入り口の横にある小窓がチケット売り場のように見え、確証はないけど劇場か芝居小屋だったのではと推測。
ツイッターにてつぶやいたところ、元は「高浜座」という1960年代まで営業していた劇場だったという情報をいただきました。

旧高浜座










城山海水浴場の近くにあるこの旧高浜座。かつては近隣のみならず海水浴客も利用して賑わっていたのかもしれません。しかし今は廃墟状態。いずれ取り壊され町の記憶から消えていくのでしょうね。

以上で小浜市・高浜町の近代建築探索でした。

ここから攻城記録。
小浜市には知られている2つの城跡があります。1つは中世〜戦国期の後瀬山城。もう一つは江戸時代の小浜城。今回、その2つの城跡も訪問しました。
まずは、後瀬山城跡。
後瀬山城










後瀬山城は若狭国の守護大名、若狭武田氏の本拠地で、若狭最大級の中世城郭。山上に本丸等の城域を配置し、麓に現在の空印寺あたりに居館を設け守護所としました。
後瀬山城










若狭武田氏は丹後の守護大名、一色氏との戦いに勝利し、一時は若狭と丹後を支配する大名でしたが、越前の朝倉氏の攻撃により没落。後瀬山城は朝倉氏の支配となりましたが、織田信長との戦いで朝倉氏滅亡後は丹羽長秀が入城しました。
後瀬山城










現在、本丸周囲に残されている豪壮な石垣は、丹羽長秀が改修して造られたものです。
武田氏館跡










後瀬山城の麓にあった若狭武田氏の居館跡は江戸時代の京極氏時代に空印寺となりました。
若狭武田氏館整備図








空印寺の前にはかつて小学校がありましたが、移転により空き地となってました。ここも若狭武田氏の居館跡の一部で、案内板には史跡整備されかつての土塁や水堀・門を復元する予定のようです。

次は小浜城。
小浜城










小浜城は江戸時代初期にそれまでの若狭国の支配拠点だった後瀬山城に代わる城として京極高次により着工されましたが、完成を見ずして松江に転封。代わって入封した酒井忠勝が小浜城の築城を引き継ぎ完成。以後、明治維新まで酒井家が小浜藩の藩主を務めました。
小浜城縄張図













明治維新後は建物は取り壊され、堀は埋め立てられ、本丸以外は完全に失われました。
小浜城










小浜城










それでも天守台をはじめ、本丸の石垣が良く残されています。小浜城に関しては時期未定ですが、三層三階の天守を始めとした復元整備計画があるようです。
猫










小浜城跡で出会った猫さん。今の小浜城を守る城主かなw

小浜町鳥瞰図




最後に昭和8年に吉田初三郎が描いた「小浜町鳥瞰図」。私の所有資料。

おしまい。

besan2005 at 11:34|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 福井県 | 近代化遺産

2021年10月02日

津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

3年前の津市の近代建築探索レポ日記に続いて、その翌日に訪れた一身田町の近代建築探索レポ日記です。
まずは一身田駅に到着。

0一身田駅舎 大正12年










一身田駅。大正12年。レトロな木造駅舎。だいぶ少なくなりましたね。

0一身田駅舎










ホーム側から。

1旧落合運送 一身田 昭和12年










旧落合運送。昭和12年。
2旧落合運送










日通の社屋だったとも。現在はカフェとして使用され、室内も当時の姿が保たれているようですが、朝方に到着したので開店前でした。
まずは本山専修寺へ。
一身田町は浄土真宗高田派の本山・専修寺を中心とした寺内町で、鎌倉時代に専修寺が建立されて以来、室町時代には栄えはじめ、戦国期の兵火により焼失したものの、江戸時代の再建以後、専修寺と一身田町は栄えていきました。現在も寺内町としての雰囲気が良く残されています。

5専修寺山門










専修寺山門。宝永元年(1704)再建。重要文化財。

8専修寺唐門










専修寺唐門。天保15年(1844)再建。重要文化財。

6専修寺御影堂










専修寺御影堂。延宝7年(1679)再建。国宝。

7専修寺如来堂










専修寺如来堂。延享5年(1748)再建。国宝。

専修寺茶所










専修寺茶所。宝暦10年(1740)築。参拝者の接待所。重要文化財。

専修寺鐘楼










専修寺鐘楼。正徳3年(1713)再建。重要文化財。
9専修寺太鼓門










専修寺太鼓門。三層櫓は文久元年(1861)の築。重要文化財。

10専修寺太鼓門










まるでお城の櫓ですね。さて、この専修寺の境内に近代建築があります。
3旧一身田役場 大正4年










高田婦人会館。大正4年。旧一身田役場だった建物。

4旧一身田役場










玄関部分。

無題








この専修寺の境内の奥、賜春館に隣接して煉瓦造らしき洋館があるのをGoogleMapで見つけ、現地で何とか写真に収めたいと奮闘しましたが、どうしてもうまく撮影できませんでした。目視では確認は出来ましたが。専修寺の公式HPの境内図にも何故か描かれず、近代建築のどのサイトも載っていない謎の洋館です。
専修寺を後にし、再び一身田の街へ。

11和洋折衷商店










1階が洋風の商店建築。

12和洋折衷住宅










こちらは何となく洋風に改装されている町屋建築。

13荒木邸 










A邸。平屋の洋風住宅。昭和初期頃。
15荒木邸










反対側から
14荒木邸










拡大。いい雰囲気ですね。

16洋館付き住宅










洋館付き住宅。
17洋館付き住宅













洋館部分。玄関部分も装飾がされ凝ってます。

18一身田郵便局 昭和初期か










何の変哲もない建物。
19一身田郵便局










壁に説明板がありました。それによると元一身田郵便局だったようで、よく見ると軒周りに装飾が残されていますね。

20洋館付き住宅










洋館付き住宅。
21洋館付き住宅










洋館部分の拡大。こちらは和風の要素も入ってますね。

黒門跡










さて、一身田にはかつて遊郭がありました。専修寺の参拝客相手に設立したもので、明治初期には200もの数があったようです。恐らく「精進落とし」として利用したんだと思いますが、寺内町の中に俗世の遊郭があったとは何ともw 写真は黒門跡。

22一身田遊郭














23一身田遊郭










遊郭のあった場所には当時の物と思われる建物がいくつか残されています。
24一身田遊郭













洋風の意匠のある卯建。

一身田の探索はこれで終了。寺内町として知られている町ですが、近代建築も割と残されていました。

おまけ。
25猫の親子










一身田で出会った猫の親子。
26子猫










佇む子猫さん。あれから3年。大きくなっていることでしょう。
おしまい。


besan2005 at 20:36|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産

津市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月27日に探索した津市の近代建築探索レポ日記です。
3年経ってしまいましたが、ようやく記事にしようと思い立ちました。
ちなみに、同じ津市にある久居駐屯地内の歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津衛戍病院の探索レポ日記は過去の記事に書いています。

※歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。

日本一短い駅名である津駅を降り、ここからスタート。

1大橋邸 広明町










O邸。広明町。

3大橋邸










残念ながら工事中で工事用シートに覆われてました。大正〜昭和初期頃でしょうか。

3昭和初期頃の洋館 広明町










近くにある洋館住宅。昭和初期頃。
4昭和初期頃の洋館










中々洒落た洋館です。
津新町まで向かい、そこから東へ。

5アドカフェ 南丸ノ内町










アド・カフェ。南丸之内町。
6アドカフェ










昭和初期頃でしょうか。入ってみたかったけどまだ開店前でした。

8廃墟の洋館付き住宅 南丸ノ内町










洋館付き住宅。南丸之内町。完全に廃墟化してました。

9アトリエンセン 南丸ノ内町










アトリエシンセン。南丸之内町。戦後かもしれませんが、近代建築のサイトで紹介されていたので。
昭和橋を渡り南へ。

10旧安濃津監獄正門 修成町 大正5年










旧安濃津監獄正門。修成町。大正5年。三重刑務所の前に保存されている建物です。
さらに南へ。

11旧今中歯科医院 岩田 










旧今中歯科医院。岩田町。和館の前に洋館が造られた歯科医院。
12旧今中医院










昭和10年代頃でしょうか。自信はありませんが。

13チョコホリック 岩田










チョコホリック。岩田町。だいぶ改装されてますが、腰回りとかに古さを感じます。
南東方向へ。

14日本基督教団阿漕教会 下弁才町津興 大正元年










日本基督教団阿漕教会。下弁才町津興。大正元年。白亜の美しい教会。

15旧伊藤医院 柳山津興 昭和16年










旧伊藤医院。柳山津興。昭和16年。
16旧伊藤医院










いかにも戦前の個人病院と言った佇まい。
17旧伊藤医院










良い雰囲気です。さらに北上。

18伊藤邸 船頭町津興










I邸。船頭町津興。昭和初期か。
19伊藤邸










偶然見かけた洋館付き住宅。ここから津城方面へ。

33津城巽櫓










津城丑寅櫓。その向かいに。

21土屋邸 丸之内










T邸。丸之内町。昭和初期頃か。

22土屋邸










下見板張りの雰囲気ある洋館。ここから近代建築が並ぶ大門町へ。

23洋館付き住宅 東丸之内










向かう途中で見かけた洋館付き住宅。東丸之内町。

24BARBAR横山 大門













BARBAR横山。大門町。軒周りの装飾、玄関周りなどレトロ感満載ですが、今は使用されてなさそう。

25旧四日市銀行津支店 大門 大正11年













旧四日市銀行津支店。大門町。大正11年。以前から知られている建物ですが、
この時はアーケードの撤去後でとても見やすくなってました。現在はオーデン大門ビルとして使用されています。国登録有形文化財。

26百五銀行大門町支店 大門 大正13年










百五銀行大門支店。大門町。大正13年。玄関部分のみ保存されています。

27旧大門百貨店 大門 昭和11年










旧大門百貨店。大門町。昭和11年。訪問した時は取り壊しの最中でした。

28旧大門百貨店










ただし解体工事が始まったばかりのようで、まだ建物は残されていました。ギリギリ間に合いました。

29旧大門百貨店













側面。1階はすでに解体が始まってます。

30旧大門百貨店










窓から見える壁面のタイル。大門百貨店は開業当初は売り場の他に企業の事務室や大食堂がありました。戦後、松菱百貨店となりましたが、松菱百貨店の移転後はパチンコ店や風俗店が同居する場末の雑居ビルとなってしまったそうです。末期は1階部分のみパチンコ店が営業する状態だったとか。もう消えゆく運命だったんでしょうね。
大門町を後にし、安濃川方面へ。

32松田邸










M邸。北丸之内町。洋館住宅。ここが最後の探訪先となりました。
で、その近くで見つけたもの。
電気通信省境界杭













「電気通信省用地」と刻まれた境界杭。電気通信省という聞きなれない官庁に調べてみたところ、戦前の逓信省が戦後に分離され、郵政省とともに設立した省庁であり、昭和27年に日本電信電話公社(現NTT)へと移行し廃止されたわずか3年間のみ存在した省庁のレアな境界杭と分かりました。

津市は今回の探索と久居駐屯地の探索、そして寺内町である一身田の探索も行いました。
津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

besan2005 at 10:56|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 近代化遺産
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