2021年11月

2021年11月28日

加西市・川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街探索レポ日記

無題











兵庫県加西市の鶉野の地にあった姫路海軍航空基地の北西側に昭和19年、川西航空機姫路製作所の組み立て工場が完成しました。これが鶉野工場で、姫路製作所にて生産された局地戦闘機の紫電及び紫電改の部品を組み立て、テスト飛行するために飛行場の側に造られた工場でした。
姫路海軍航空基地や川西航空機姫路製作所鶉野工場に関しては多くの情報がネットで上げられているため周知のものでしたが、昭和22年の航空写真を見ると、姫路海軍航空基地及び川西航空機姫路製作所鶉野工場の西側、現在の新生町の場所が明らかに工員宿舎街と思われる区画整理され長屋型の横長の建物が建ち並ぶ一画があるのに気づきました。
昭和22年新生町











※国土地理院HP公開、昭和22年航空写真に写る工員宿舎街。
川西航空機姫路製作所鶉野工場に関してはネットで検索すると結構出てきますが、この新生町のエリアに関しては情報が無く確証は得られなかったものの、ストリートビューで確認した建物の造りは、過去に海軍工廠等で見かけた長屋型の工員宿舎の造りと酷似したものでした。

2第四寄宿舎










※参考・三重県亀山市、鈴鹿海軍工廠関分工場第四寄宿舎。

鈴鹿海軍工廠平田町官舎B-3










※参考・三重県鈴鹿市、鈴鹿海軍工廠平田工員宿舎。
20鹿原地区工員宿舎1










※参考・京都府舞鶴市、朝来第三海軍火薬廠鹿原工員宿舎。

8朝来中工員宿舎9










※参考・京都府舞鶴市、朝来第三海軍火薬廠朝来中工員宿舎。

2年前から目を付けていたエリアでしたが、今回、姫路海軍航空基地の見学会に参加するため加西市に赴く予定が出来たことと、紫電改展示館のボランティアスタッフのおじさんの証言から、このエリアは間違いなく川西航空機姫路製作所鶉野工場の工員宿舎街と確定できたため、探索レポ日記を作成することにしました。
姫路海軍航空基地跡遺構探索レポ日記(2021年6月16日探索)

川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎遺構位置図











※今回探索した川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街の遺構位置図。
工員宿舎街のうち、南側エリアの遺構はは全く残されていませんでした。
しかし、北側エリアはほとんどの建物が残されている上に、何件かは当時の面影が残され、かつての工員宿舎街の雰囲気を感じることが出来ました。
以下、遺構位置図に沿って紹介していきます。写真に写る各建物は位置図で確認してください。

2.全景










川西航空機姫路製作所鶉野工場工員宿舎街の全景。東側から。
1.全景










正面入り口と思われる箇所。北から。
3.工員宿舎1










撮影方向 0貳嵋迷Δ砲△訶貔召猟未蝓
4.工員宿舎2










撮影方向◆この通りの工員宿舎はオリジナルの外観が比較的良く残されています。
IMG_3249










窓に小さなベランダを設けるのも当時の工員宿舎の特徴でもあります。
6.工員宿舎4










撮影方向。南側の部分はいくつか取り壊されています。
5.工員宿舎3










撮影方向ぁ
7.工員宿舎3










窓部分にオリジナルの雰囲気を残しています。
7.工員宿舎5










撮影方向ァ撮影方向△猟未蠅鯣紳仟Δ寮沼Δら撮影。

8.工員宿舎6










撮影方向Α9員宿舎の半分だけ残されてリフォームされています。
13.工員宿舎







撮影方向А撮影方向,猟未蠅糧紳仟Δ寮沼Δら撮影。こちら側は工員宿舎が両側とも良く残されています。
9.工員宿舎7










工員宿舎┳梓僂呂なり改修されていますが、プランは当時のままのようです。
9.工員宿舎8











工員宿舎押6瓩で確認するのを忘れていた建物。ただ、外観は大きく改修されているようです。
今回、韻鉢欧旅員宿舎の確認を逃してしまいました。
10.集会所か










建物魁昭和22年の航空写真にも同じ場所に建物が写ってますが、他の工員宿舎とは規模や造りが異なっています。
11.集会所か










建物海稜慳漫

IMG_3268










建物海慮軸愽分。建物の造り、基礎ともに戦前であることは間違いないと思います。
ここでは集会所と仮定しておきます。

その他、周辺で気になったもの。

IMG_3250











工員宿舎街の北側民家にあるコンクリート塀。戦前の造りの可能性があり、参考として撮影。
IMG_3251










その隣に建つ空き家。戦前の古民家ですが、庇部分の柱の造りが通常の民家にはあまり見られず、どちらかというと軍関係とか軍事工場関連の建物とかに見られるような感じなので、参考として撮影。
IMG_3259










新生町公民館の前にある花壇に転用されたコンクリート製排水溝。戦前の可能性があるため撮影。
素掘り池







工員宿舎街の北側の畑地にある方形の大きな素掘りの池。戦時中のものか分かりませんし、工員宿舎街との関連も不明ですが、気になったので。

新生町に残る川西航空機姫路製作所鶉野工場の工員宿舎群は空き家も目立ち、痛みも目立ってきている建物も多くあります。リフォームされている建物以外はいずれ無くなる可能性があると思われます。

besan2005 at 12:38|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

2021年11月23日

舞鶴市・五老岳防空砲台西尾根遺構探索レポ日記

IMG_2970










舞鶴の観光スポットとして有名な五老岳。舞鶴湾を一望にできるスポットとして現在公園化され、山頂には五老岳スカイタワー等が建てられています。かつてここには海軍の五老岳防空砲台がありました。
※写真は五老岳公園から望んだ建部山。建部山の山頂には明治期の建部山堡塁砲台の遺構があります。
五老岳防空砲台は昭和16年より工事が行われ、終戦時には12.7cm連装高角砲2門、8cm高角砲4門、探照灯や指揮所・待避所・兵舎・弾薬庫・発電所・油庫・各種倉庫などがあり、五老山全体を防空砲台施設とした大規模なものでした。
この五老岳防空砲台は戦後に米軍が撮影したカラーフィルムの映像が残されています。
※米国国立公文書館 情報管理局公開資料


YouTubeにUPされた映像。

8センチ高角砲










米軍が撮影した五老岳防空砲台の12.7cm連装高角砲。
南側砲座と照射指揮所










米軍が撮影した五老岳防空砲台。北側から南側を望む。手前の建物は照射指揮所。奥にあるのが南側の砲座。現在は五老岳公園および電波の中継局となり遺構は滅失しています。

五老岳防空砲台は前述の通り公園化され、五老岳スカイタワー等の観光施設が建てられたため、ほとんどの防空砲台時代の遺構が消滅しています。
昭和22年写真








国土地理院HP公開、昭和22年撮影の五老岳防空砲台
※赤丸が探索範囲。

10.滅失地下壕










20年ほど前までは現在の第1駐車場の遊歩道階段付近に、コンクリート製の地下壕施設が残されていましたが、駐車場の整備により現在は滅失しています。
※『京都の戦争遺跡をめぐる』(つむぎ出版 1996年)より引用。
現在は五老岳防空砲台の遺構は完全に消滅している物と思われましたが、ツイッターのフォロワーさんが探索。西尾根上にいくつか遺構が残されていることが判明。今回私も探索してみることにしました。

五老岳防空砲台西尾根遺構位置図










※探索により確認した五老岳防空砲台西尾根遺構の位置図。
1.平坦地










五老岳公園第1駐車場へ入る手前のカーブ、日本郵政所有のガードフェンスのある敷地の脇に共楽公園へと至る山道があります。そこを進んでいくと西尾根の各遺構が存在します。
まずは西尾根へと向かう階段を下ると現れる平坦地。昭和22年の航空写真にも写っているため、何かしらの施設があったと思われます。コンクリート等の構造物は見当たりませんでした。
2.陶製ケーブル覆い










尾根道の脇に転がっていた陶製のケーブル覆い。
3.陶製ケーブル覆い













恐らく常滑製。土管を半分にしたような形で、地下ケーブルを覆っていたものです。
近くに発電施設があったものと思われます。同じ物を舞鶴市の空山防空砲台の探索時に確認しています。
舞鶴市・空山防空砲台探索レポ日記
舞鶴市・空山防空砲台第一・第二聴測照射指揮所跡探索レポ日記

4.溝状遺構










尾根上を掘り込んだ形の溝状遺構。フォロワーさんによると、さらに西側にあった探照灯を引き出すための溝ではないかのこと。

5.機銃座










溝状遺構の北側にある窪地。

6.機銃座か










同じくもう一つの窪地。フォロワーさんによれば探照灯を防護するための機銃座ではとのこと。

7.発電機室壕










溝状遺構の先にあるコンクリート構造物。
8.発電機室壕










上から。
9.発電機室壕内部










入口は土砂が蓄積し、内部には入れませんが、開口部から撮影すると、奥までは土砂が溜まらず、
良好な状態で残されていることが分かりました。恐らく発電機室と思われます。となると、近くに冷却用の貯水槽や燃料庫が残されている可能性があります。
現在、五老岳防空砲台で唯一現存が確認されたコンクリート構造物です。

フォロワーさんの成果の後追いとなる探索ですが、完全に消滅したと思われる五老岳防空砲台の遺構がまだ現存しているという確認が出来たのは大きな成果だと思います。
※位置図に記している8cm高角砲座跡の確認を今回見落としてました。次回、貯水槽等の確認も含めて追加探索したいと思います。

besan2005 at 20:37|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年11月21日

旧亀岡商工会館内部探索レポ日記

1.外観










今年の10/17に探索した旧亀岡商工会議所。前回は内部には入れず外観のみの見学でしたが、
今回、内部でちょっとした展覧会が内部全体で行われていると知り、更には今回が最後の内部を見れる機会という事で、再び旧亀岡商工会議所へと向かいました。
旧亀岡商工会館は昭和33年に保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初で、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用され今に至ってます。数年前までは半地下の1階に店舗があり、各階の部屋の一部も事務所として利用されていましたが、老朽化が進み来年2022年2月に解体が決定しました。

※前回の探索レポ日記
旧亀岡商工会館探索レポ日記
あれから1ヶ月。一気に冷え込んだせいか、建物の外壁を伝う蔦は赤く紅葉していました。
2.2階案内










正面玄関は2階にあります。玄関エントランスの案内図。
3.2階階段













1階階段。横のスクリーンが特徴的です。
4.2階標識










2階の表示。レトロなロゴです。
5.2階エレベーター










2階の物品運搬用のエレベーター。
IMG_3041










エレベーターのボタン。もう長い間使われてなかったようです。
まずは1階を探索。
6.2階廊下










1階廊下。
7.2階廊下










反対側から。左側は改装されています。
65.2階トイレドア










レトロな「TOILET」の文字があるドア。
8.2階部屋










1階の部屋。やや改装されています。
9.2階部屋










比較的新しく見える机と椅子。ちょっとしたオシャレなホテルの洋室にも見えます。
10.2階部屋ガンプラ










机には何故かガンプラと
11.2階アルペジオ










アルペジオのコミックが置かれていました。
12.2階休憩室










別の部屋の休憩室の表示。保津川観光会館当時の表示でしょうか。レトロな字体です。
13.2階休憩室










内部は廃品とかか放置されかなり雑多になっていました。かつての従業員の休憩部屋だったのでしょうか。
14.2階部屋










1階の小部屋。秋の柔らかな光が差し込んでいます。
15.2階家族風呂










1階には宿泊施設として機能していた保津川観光会館時代の名残を残す箇所があります。
ドアに家族風呂の文字がある浴場。
16.2階家族風呂













こちらは小さめの浴場。
17.2階家族風呂










隣には大き目の浴場があります。
18.2階家族風呂










大浴場の窓。
19.2階家族風呂蛇口










洗い場の蛇口。かつては多くの宿泊客で賑わっていたのでしょうか。
20.2階家族風呂手桶










洗い場にはまだ木製の手桶が残されていました。
21.2階家族風呂










床には外から吹き込んだ落ち葉がもう使われなくなって久しい大浴場の床を彩っていました。
22.2階家族風呂浴槽










浴槽のタイル。今ではもうタイル張りの浴槽も見かけなくなりました。
23.2階家族風呂窓










保津川観光会館時代の姿を色濃く残す家族風呂跡。宿泊客で賑わっていた様子が目に浮かびます。
24.3階階段










続いて3階へ。階段の手摺などのデザインがまさに戦後モダニズムといった感じです。
25.3階階段










中々良い雰囲気の階段。
26.3階窓










3階廊下の窓。保津川が良く見えます。
27.3階窓










見晴らしは良かったのでしょう。
28.3階廊下










3階廊下。
29.3階窓










3階小部屋の窓。
30.3階客室廊下










3階廊下。3階は宿泊客の客室だったようで、廊下を挟んで両側に部屋が並んでいます。
32.3階客室洗面所










廊下の洗面台。こういうのを見ると、かつては宿泊施設だったんだなと感じます。
33.3階客室










旧客室。元々は畳等が敷かれていたのでしょうか。
IMG_3048










木製のドアは当時のままのようです。
35.3階客室窓










旧客室の窓。
34.3階客室廊下窓










旧客室から廊下側の窓を見る。
36.3階客室










別の客室。
37.3階客室窓










保津川が良く見えます。保津川側の部屋の方が割高だったのかもしれません。
38.3階客室窓










亀岡駅側の客室からは新しくできた亀岡サンガスタジアムと去年開業したサンロイヤルホテルが見えます。かつての宿泊施設から今の宿泊施設を眺める。
39.3階客室










客室から廊下側を望む。
40.3階客室










この客室は何か凄いことになってました。
41.3階会議室










3階廊下奥にある大部屋。
42.3階名札










最近までは事務室として使用されていたようです。
不在の文字が寂しく感じます。
IMG_3069










3階角部屋。恐らく和室だったと思われます。
43.4階階段










続いて4階へ。
44.4階階段










4階階段。戦後モダニズムは基本私にとっては範疇外ですが、この階段のデザインは気に入りました。
45.4階階段










この手摺の感じのよさ。しばらく眺めていました。
46.4階和室集会所













4階にある和室集会所。
47.4階和室集会所










和室という性質からか、他の部屋より痛みが大きいです。
48.4階和室集会所










それでもかつては凝った造りだったことが分かります。
天井は船底天井。保津川下りも意識して採用したのでしょうか。
49.4階和室集会所










床の間もあります。
50.4階和室集会所床柱













床柱も杉の絞り柱。結構いい材を使ってます。
51.4階和室集会所室内灯










天井の照明。
52.4階和室集会所縁側










縁側。
53.4階和室集会所室内灯組木










縁側の照明のカバーは組木細工といった凝りよう。
54.4階和室集会所塗り残し窓










床の間の横、平書院は塗り残し窓になってます。
保津川観光会館時代は宴会場としても使用されていたのでしょうか。
数寄屋造と書院造を合わせた本格的な和室です。
55.4階廊下窓










4階小部屋から亀岡サンガスタジアムを望む。
56.4階洗濯場










4階洗濯室。宿泊客の浴衣などを洗濯していたのでしょうか。右のドアは便所。
57.4階廊下










4階廊下。右側は改修されて最近まで使われていたようで、セコムのロックがありました。
58.4階廊下窓から










4階廊下から外を眺める。
59.4階大会議室










4階廊下奥にある大きな部屋。大会議室だったのでしょうか。
60.4階大会議室










何故かぽつんと置かれているレトロな扇風機。部屋自体は綺麗に管理されています。
61.4階小部屋窓










4階窓。
IMG_3088










4階角の大部屋。今はゴミで溢れていますが、かつては宴会場とかだったのかもしれません。
IMG_3087










残された牡丹の部屋名表と思われるもの。ちなみに一般客向けの食堂は1階にありましたが、今回は入れませんでした。食堂へは玄関とは別の入口があり、そこから入って利用していたようです。
62.4階階段













4階までを見学し外に出ます。
63.紅葉










1ヶ月前はまだ青々としていた木々の葉はすっかり色づいてました。
64.遠景










今回の内覧で本当の見納めとなる旧亀岡商工会議所。
約60年間、保津川下りの観光客等を見続けてきたこの建物は、来年2月に姿を消します。


besan2005 at 21:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 商業施設

2021年11月15日

宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠周辺位置図










宮津市の栗田半島にあり、昭和18年に開設した水上機の製造工場である第三十一海軍航空廠。
航空廠の周辺には、第三十一海軍航空廠の工員宿舎や官舎のあった場所がそのまま住宅地となり、
当時の建物が民家として多く使われていたり、跡地もコンクリートの基礎や便所、風呂場、洗濯場など
当時の遺構が多く残されています。

※過去の探索レポ日記
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記
宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記
宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

ただし、航空廠のあった敷地自体は現在、関西電力のエネルギー研究所と農林水産センター海洋センターの敷地となり、航空廠の遺構はほぼ失われていると考えてました。
しかし、他の旧軍遺構サイトや最近得た舞鶴市所蔵の第三十一海軍航空廠の施設配置図を見ると、栗田漁港側と農林水産センター側の間にある丘陵を貫く感じで地下壕があったことが判明。そちらは恐らく残されていると考え、探索を計画しました。
ゲート







栗田漁港前は何度も行ったことあるのですが、このように漁港入口はゲートがあり、関係者以外立ち入り禁止の看板が立てられ、入れないものと思っていました。しかし、毎週土曜日以外は朝8時くらいから1時間程度漁港内で朝市が行われていることを知り、その間なら漁港内に入れる可能性を考え、事前に栗田漁港の事務所に確認を得て、11/14の日曜日早朝に向かいました。
何せ時間の制約があるため時間との勝負。とりあえず現地に6時30分くらいに到着しゲート前で待機。すでにゲートの鍵は開いており、事前の話では鍵が開いてたらゲート開けて入ってもいいと言われたけど、ここは待機(あとで地元の釣り客がゲート前に車を停めて普通に敷地内に入っていることを知る)。7時30分頃、ゲートが開いたので敷地内に入ることに。
第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











今回の探索結果による遺構位置図。まずは今回の一番の目的である地下壕の確認。

2.熱処理地下工場西口遠景










ゲートを通りまっすぐ進んだ突き当りの廃墟化したプレハブの建物の横に地下壕があります。
3.熱処理地下工場西口1










第三十一海軍航空廠地下壕西口。舞鶴市所蔵の施設配置図では熱処理地下工場となっています。
入口はコンクリートで塞がれてますが、結構大きな開口部であり、地下工場となると、内部はかなり広い空間があるのではないでしょうか。
4.熱処理地下工場西口2










上記の入口の北側、農林水産センターの敷地側にももう一つ入口がありました。
2連となっているようです。
隧道式の地下工場となっているため、農林水産センター側にも東口の開口部があるはずですが、農林水産センターの敷地は立ち入り禁止なので確認できませんでした。農林水産センターの敷地には自動車待避壕の記載もあり、そちらも現存している可能性があります。
今回の目的の地下壕入口の確認が出来たので、栗田漁港の敷地内をさらに探索。
5.滑走台










ゲートを通過してすぐの場所にある水上機滑走台。
6.滑走台










昭和22年の写真には、滑走台の背後に格納庫らしい大型の建物が写っています。
7.滑走台拡大










コンクリートが敷かれた滑走台。この部分はかつてのオリジナルと思われます。
詳しい方によると、交互に配置しているのは珍しいとか。

8.コンクリート部分










かさ上げ部分の下に残る当時のコンクリート。骨材は川砂利で、コンクリートの質から見ても当時の物と思われます。

さらに栗田漁港内を探索。
9.材料庫跡










舞鶴市所蔵の施設配置図には漁港の西側に材料庫が3棟あり、基礎等が残されていないか探索しましたが、見つけることはてきませんでした。
国土地理院の航空写真を見ると、昭和60年辺りから埋め立て等で栗田漁港の海側は大きく改変されており、その際に地下壕及び滑走台以外の遺構は滅失したと思われます。
第三十一海軍航空廠の遺構は前述の関西電力エネルギー研究所や農林水産センターの建設によりほぼ失われている中で、熱処理地下工場の地下壕入り口や滑走台が残されていることを確認できたのは一つの成果となりました。特に海側の滑走台は漁港で使用するのに都合が良かったのか、漁港改修の際にも失われず残されたのは奇跡と言っていいかもしれません。

besan2005 at 06:30|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2021年11月07日

池田市の近代建築探索レポ日記

2021年10月13日に探索した大阪府池田市の近代建築探索レポ日記です。
池田市には小林一三記念館はじめ結構近代建築が残っているようで、一度探索をしたいと思い出かけました。ちなみに隣町の兵庫県川西市にも大規模な洋館が残されています。そちらは後日。
まず、池田市の北端から。

2北村邸










K邸。木部町。昭和5年。
1北村邸 木部町 昭和5年










国道173号線沿いにある大きな洋館です。
3北村邸










裏側。
4北村邸車庫










車庫も当時のまま残っています。
国道173号線を南下。

5いけだピアまるセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正14年










いけだビアマルセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正4年
6いけだピアまるセンター










現在はコミュニティーセンターのようです。
7いけだピアまるセンター










車の通りが激しく、中々いい写真が撮れない・・・
国道171号線の西本町の交差点を東へ。

8落語みゅーじあむ 栄本町










落語みゅーじあむ。栄本町。判断に迷いましたが何となく古そうなので掲載。

9旧加島銀行池田支店 栄本町 大正7年










旧加島銀行池田支店。栄本町。大正7年。
10旧加島銀行池田支店










池田市内では稀少な煉瓦建築。
11旧加島銀行池田支店










加島銀行はNHKの朝ドラ「あさが来た」で主人公らが設立した加野銀行のモデルになった銀行ですね。
現在は別企業が使用しています。

12光フォトショップ 栄本町










光フォトショップ。栄本町。角地に建つ看板建築。
ここから商店街へ。

13旧池田電報電話局 栄本町 大正14年










旧池田電報電話局。栄本町。大正14年。

14旧池田電報電話局










スクラッチタイルのビル。近年までNTTが入ってたようですが、現在は空きビルのようです。
次に阪急池田駅の南側へ。

15大野邸 満寿美町










O邸。満寿美町。
16大野邸










マンションの隙間から洋館が見えました。昭和初期でしょうか。
17田中邸 満寿美町










T邸。満寿美町。洋館付き住宅の洋館部分が少し見えます。
ここから西にある室町地区へ。室町地区は阪急が開発した沿線の分譲住宅の1つで、今でもいくつかの近代建築が残されています。

18中野邸 室町










N邸。室町。
19中野邸










洋館付き住宅です。

20猪股邸 室町










I邸。室町。こちらも洋館付き住宅。室町地区の戦前の住宅は、洋館付き住宅がほとんどです。

21山口邸 室町










Y邸。室町。一見最近の住宅に見えますが、
22山口邸













細部を見ると、戦前の特徴が残されています。

23室町会館(旧室町倶楽部) 室町 明治44年










室町会館。室町。
24室町会館 昭和11年大改修










かつては室町倶楽部と呼ばれていた建物。
25室町会館










資料では明治44年築、昭和11年大改修とあり、それが正しいなら池田市でも最古級の近代建築になります。

26本多邸 室町










H邸。室町。
27本多邸










こちらも洋館付き住宅。
28本多邸













洋館部分。
29本多邸










通風孔らしいものがあったのでアップにしてみたら、ただの飾りでした。こういうのもあるんですね。

49岸本邸










K邸。室町。
50岸本邸










こちらも洋館付き住宅ですが、洋館部分が他の住宅と比べかなり立派です。
51岸本邸










洋館部分のアップ。

30坂井邸 室町










S邸。室町。大きなお屋敷です。
31坂井邸










蔵のような外観の洋風建物。内部は居住空間となっているようです。

32別所邸 室町










B邸。室町。

32洋館住宅 室町










建物の奥に見える洋館。室町地区では純粋な洋館住宅ですが、表札無し。BSアンテナがあるから空き家では無いと思いますが。
33洋館付き住宅 室町










無表札の洋館付き住宅。室町。
室町地区には他にも洋館付き住宅がいくつかあったようですが、私が廻った際はその何件かは見つけられず、取り壊されているようです。
室町地区を後にし、再び池田駅の北側へと出て東へ。

35池田泉州銀行本店










池田泉州銀行本店。城南2丁目。昭和27年。戦後建築ですが堂々たる古典様式の銀行建築。
36池田泉州銀行本店










20年くらい前はあちこちで見かけた昔の古典様式の銀行建築。近年はすっかり数が少なくなりました。
ここから北方面へ。

37中西邸 城南1丁目










N邸。城南1丁目。
38中西邸










奥まった場所にあり見づらいです。

39洋館付き住宅 上池田










無表札の洋館住宅。上池田。
40洋館付き住宅













2階建ての大きな洋館が付属しています。

42吉田邸










Y邸。上池田。
41吉田邸 上池田 コンクリートブロック造










大きな洋館が付属するお屋敷ですが、この洋館なんとコンクリートブロック造。
43吉田邸










コンクリートブロック造の建築と言えば、本野精吾と中村鎮。京都に本野精吾自邸や栗原邸、中村鎮建築事務所などが残されていますが、それと同じ造り。もしかしたら2人が設計に関わってたのかも。
※本野精吾邸一般公開レポ日記

そして、小林一三記念館へ。
44小林一三記念館 建石町 昭和12年










小林一三記念館。建石町。昭和12年。阪急グループ創始者の小林一三の自邸の洋館。さすがに豪華です。
45小林一三記念館










庭園側から。内部の居間や階段は豪華でしたが、撮影禁止のようなので外観のみ。ただし、他の部屋はかなり改造されており、それが残念でした。
46小林一三記念館










1階の食堂室は現在もレストランになってますが、要予約のようで断念。
47小林邸洋館










小林一三記念館の南隣にも洋館があります。こちらも小林一三の親族のお屋敷とか。
近代建築の探索はここで終了。最後に池田城を訪城しました。

池田城模擬天守1










池田城は在地領主の池田氏により築城されましたが、後に荒木村重が城主となりました。
どちらかと言えば、荒木村重の城としての方が有名かも。この時はコスモスが綺麗でした。
池田城模擬天守2










そしてこの天守。実際には無かった模擬天守なのですが、木造建築であり、外観も戦国期の雰囲気を出していて中々良い感じです。
池田城模擬天守3










模擬天守は展望台となっています。
池田城模擬天守4










模擬天守2階回廊から。木造であり外観の雰囲気もあって、戦国期の雰囲気を感じることができます。ただし、あくまで模擬天守。本来は無かったことをしっかり周知する看板が無いと勘違いする人がいそうですね。ともあれ、池田市のシンボルになっていることには間違いないようです。

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