2022年01月
2022年01月31日
姫路市の近代建築探索レポ日記(姫路市街編)

姫路市にある近代建築を探索してきました(2022年1月29日)。今回は姫路市街。姫路市には網干区に多くの良質な近代建築が残されていますが、今回は時間的に無理でしたので次回に。
※2022年12月30日に網干区の探索を行いました。姫路市網干区の近代建築探索レポ日記
まずは駅前の2号線に入り、そのまま西へ。

中国銀行姫路支店。姫路市白銀町。
近代建築のサイトに全然取り上げられてないので、戦後建築だと思います。恐らく昭和20年代後半かと。しかし、戦前の古典様式の雰囲気を残すこの建物のデザインは好きですね。

くにかね商店。姫路市白銀町。看板建築。

ひめしんリース。姫路市忍町。こちらも戦後建築ですが、外壁はタイル張りになってますね。

和洋折衷住宅。花影町。

山陽色素第二工場。姫路市千代田町。昭和6年。かつては川沿いに大規模な煉瓦建物がありましたが、2013年に取り壊され、敷地内の奥に少し残るのみです。


20年ほど前に見学会で行ったときに撮影した写真。立派な煉瓦建築でしたが…。
北上し、姫路城方面へ。

洋館付き住宅。姫路市西新町。

かなり老朽化してますが、一応住人はいるようです・・・
ここから姫路城方面に向かうため東へ。

吉田服装店。姫路市元町。

1階の木製の扉部分や窓部分は古そうです。ただ、正面は新しそう。現代の看板建築かな。

洋館住宅。姫路市龍野町。新しそうに見えます。ただ、センスはめっちゃいい!
ちなみにこの建物の向かいにかつては「澤田医院」というレトロな建物がありましたが、すでに更地になってました。

白鷺橋。姫路市本町。昭和8年。

重厚な石造りの欄干は姫路空襲により高熱を受けボロボロになってます。

反対側。

全体。

親柱の破損状況を見ると、いかに激しい熱を受けたか分かります。姫路空襲の状況を伝える貴重な建造物です。

旧第三十四銀行姫路支店。姫路市坂元町。

煉瓦造の重厚な銀行建築。現在は今井医院として大切に使用されています。

K邸。姫路市坂元町。個人宅ですが、規模も大きく中々立派な住宅です。

かつては事務所建築か商店建築だったのでしょうか。

お食事処すず。姫路市綿町。

レトロな建物の食堂。他サイトの過去の記事を見ると、色んな店舗が何度か入れ替わってます。

旧逓信省姫路電信局。総社本町。昭和5年。

現在は姫路モノリスという施設になってます。

姫路護国神社境内にある石造建物。姫路市本町。トイレかなと思い近寄って見つけた建物。

軒周りのデンティル装飾を見ても古そうに見えました。姫路護国神社は昭和13年創建とのことで、この建物もとりあえず昭和13年としておきます。公式サイト含め色々調べましたがこの建物の素性は分からず。休憩所でしょうか。よく見たら、空襲で破損した痕を補修したような部分も見えます。

姫路カトリック教会聖ザビエル館。姫路市本町。旧陸軍第10師団司令部跡地に建てられている教会。師団司令部の付属建物を流用した可能性を考え、色々調べましたが、どうやら戦後建築のようです。外観は古そうに見えたんですけどねぇ。

旧陸軍第10師団長官舎。姫路市本町。大正13年。こちらは正真正銘の旧陸軍の建物。

オシャレな洋館です。かつては日本建築の主屋が接続していました。

正門の門柱にある木枠の郵便受け。

旧陸軍第10師団兵器庫・被服庫。姫路市本町。明治38年。

現在は姫路市美術館として使用されています。

1枚目の姫路城は、この近くから撮影したもの。さすがに大きいです。
ここから姫路城の北側へ。

K邸。姫路市坊主町。

可愛らしい小さな洋館付きの住宅です。

K邸。姫路市坊主町。大きなお屋敷に付属している洋館。

F邸。姫路市八代町。こちらも大きなお屋敷に付属する洋館。シャッターの目が粗いので、シャッター越しじゃない写真も撮ることは可能でしたが、さすがに不審者過ぎるので断念(笑)

Y邸。姫路市八代町。

白亜の洋館が付属しています。

N邸。姫路市八代町。

可愛らしい洋館が付属する住宅。この辺りは洋館付き住宅が多く存在します。
ここから東方面へ。

町裏浄水場。姫路市八代町。昭和4年。浄水場内に当時の洒落た建物が残されています。
しかし、立ち入り禁止なので、外からフェンス越しにズームして撮影。

管理棟?の洋館。かなりレベルの高い洋館です。

これはポンプ室の建物かな? ここから西中島地区まで北上。

洋風商店建築。姫路市八代町。

旧神戸銀行野里支店。姫路市大野町。古びた掲示板に神戸銀行野里支店の文字がありました。

戦後建築でしょうが、中々雰囲気のある建物。神戸銀行は昭和48年に太陽銀行と合併。その後、太陽神戸三井銀行→さくら銀行となり、現在の三井住友銀行となりました。この旧神戸銀行野里支店の建物は最近までお茶を扱う店舗として使用されていたようですが、現在は空家となってます。

野里通りを北上。洋風商店建築。姫路市大野町。

洋館住宅。姫路市大野町。

旧看板建築。姫路市大野町。野里通りを抜けて西中島地区へ。

A邸。姫路市西中島町。

小さな洋館の付いた住宅。

T邸。姫路市西中島町。中々オシャレな洋館のある住宅。

出窓が可愛らしいですね。琥珀というカフェとしても使用されているようですが、残念ながらこの日は閉まってました。本来なら開いている日だったはずなんですが。洋館の中、見たかったなぁ。

T邸。姫路市西中島町。

こちらも可愛らしい洋館のついた住宅。洋館付き住宅は多いですが、それぞれに個性がありますね。

Harb。姫路市西中島町。スクラッチタイルの洋館。元事務所でしょうか。
再び南下し八代町方面へ。

I邸。姫路市八代町。

こちらも可愛らしい洋館の付いた住宅。

旧田靡製麺本社。姫路市八代本町。昭和7年

現在は縁というカフェとして使用されており、建物の側に改修の経緯を記した説明板があります。

屋根には田靡製麺の社号があります。

洋館付き住宅。姫路市八代本町。

ちょっと奥にあるため一部しか見えないのが残念。

洋館住宅。姫路市北八代1丁目。

旧姫路高校本館。姫路市新在家本町。大正15年。現在は兵庫県立大学のゆりの木会館となっています。

旧姫路高校講堂。大正15年。本館・講堂とも敷地内からの撮影は出来なかったので、外から撮影。
ここから南下。

煉瓦倉庫。姫路市南八代町。

民家の倉のようですが、中々立派な煉瓦の倉です。しかし、窓が全然ない・・・。

M邸。姫路市鷹匠町。庭木で見づらい・・・

S邸。姫路市山野井町。物凄いインパクトのあった洋館。

3階建てというのも珍しいですが、その外観も中々のもの。しかし、どういう様式の建物なんでしょうね。ドイツ風?
ここから再び姫路城の東へ。

勝原薬局。姫路市竹田町。昭和2年。

かなり立派で豪華な薬局。元医院かなと思いましたが、どうやら当初から薬局だったようです。

塔屋部分の棟。

しかし、立派な建物ですねぇ。昔はこの辺りのランドマークだったんでしょう。

旧姫路信用金庫同心町出張所。姫路市同心町。後から知りましたが、以前は姫路信用金庫同心町出張所の建物だったようです。現在は個人宅?

一見新しく見えますが、基礎周りや外壁、柱を見るとかなり古そうです。大正期まであるかもしれません。

元々は姫路信用金庫同心町出張所以前から銀行だったのかもしれません。詳細が気になります。

五軒邸の住宅。姫路市五軒邸。

奥に洋館らしきものが見えます。

T邸。姫路市五軒邸。

姫路市内には洋館付き住宅が多く残ってます。まだ他にもあるかも。

O邸。姫路市五軒町。洋館住宅。門も当時のままのようです。
ここから播但線のほうへ。

サンエス石膏事務所。姫路市神屋町。大きな洋館の事務所です。

ぱっと見、昭和初期とかの建物に見えますが、あるサイトでは戦後すぐの航空写真に見かけないとの情報も。移築してきたのかもという意見ですが…。
これにて姫路市街の近代建築探索終了。朝8時30分に探索を開始して、探索を終えたのが15時。6時間半休みなしのぶっ通しで歩き回ったため、さすがにヘトヘトに。時間とスマホのバッテリーの件もあり、本当は網干区へも行けたらと思ってましたが、さすがに断念。またの機会に回すことにしました。それでも下調べでは見つけてなかった建物を含め、多くの建物に出会えて楽しい探索となりました。
2022年01月25日
京都市南区の近代建築探索レポ日記
4年前の2018年4月28日に探索した時のものです。まずは、京都駅の線路南あたりを探索。

鈴木組。京都市南区八条坊門町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館住宅。

鈴木組社屋の側にある戦前の防火用水の貯水槽。タイルで「用水」の文字を書いてます。

六大新報社。京都市南区戒光寺町。大正から昭和初期。

スクラッチタイルの素敵な洋館。

六大新報社は真言宗関連の出版社。とある用事で内部を見たことありますが、当時のままの階段とか残されてました。
次に当時方面へ。

N邸。京都市南区東寺町。昭和初期。

2階部分に当時の雰囲気が残ってます。

T邸。京都市南区八条内田町。スクラッチタイルの洋館。昭和初期でしょうか。

無表札の建物。京都市南区八条源町。昭和初期。元事務所っぽい雰囲気の洋館です。

O邸。京都市南区唐橋平垣町。大正期。町家建築の背後にある大きな洋館。

こんなすごい洋館が残ってるとは…

遠景から。お屋敷もかなり広大です。

戦前のアパート? 南区吉祥院九条町。

蔦に覆われてしまってます。今でも住人がいるのでしょうか。

A邸。京都市南区東九条烏丸町。昭和初期。洋館付き住宅ですが、洋館部分も大きくベランダ部分も立派な造りです。

洋風のビル。京都市南区東九条烏丸町。閉まっていたので今の用途は分かりませんでしたが、スクラッチタイルと軒周りの装飾で戦前物件と分かりました。

角地に建つビルで、三角形の平面プランになってます。

稲垣医院。京都市南区東九条北烏丸町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館医院。割と知られている建物ですね。
南区では吉祥院界隈は下調べの資料として使用した京都市近代化遺産調査報告書に掲載されてなかったので未探索ですが、もしかしたら残されている可能性もありますので、また探索してみたいと思います。

鈴木組。京都市南区八条坊門町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館住宅。

鈴木組社屋の側にある戦前の防火用水の貯水槽。タイルで「用水」の文字を書いてます。

六大新報社。京都市南区戒光寺町。大正から昭和初期。

スクラッチタイルの素敵な洋館。

六大新報社は真言宗関連の出版社。とある用事で内部を見たことありますが、当時のままの階段とか残されてました。
次に当時方面へ。

N邸。京都市南区東寺町。昭和初期。

2階部分に当時の雰囲気が残ってます。

T邸。京都市南区八条内田町。スクラッチタイルの洋館。昭和初期でしょうか。

無表札の建物。京都市南区八条源町。昭和初期。元事務所っぽい雰囲気の洋館です。

O邸。京都市南区唐橋平垣町。大正期。町家建築の背後にある大きな洋館。

こんなすごい洋館が残ってるとは…

遠景から。お屋敷もかなり広大です。

戦前のアパート? 南区吉祥院九条町。

蔦に覆われてしまってます。今でも住人がいるのでしょうか。

A邸。京都市南区東九条烏丸町。昭和初期。洋館付き住宅ですが、洋館部分も大きくベランダ部分も立派な造りです。

洋風のビル。京都市南区東九条烏丸町。閉まっていたので今の用途は分かりませんでしたが、スクラッチタイルと軒周りの装飾で戦前物件と分かりました。

角地に建つビルで、三角形の平面プランになってます。

稲垣医院。京都市南区東九条北烏丸町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館医院。割と知られている建物ですね。
南区では吉祥院界隈は下調べの資料として使用した京都市近代化遺産調査報告書に掲載されてなかったので未探索ですが、もしかしたら残されている可能性もありますので、また探索してみたいと思います。
2022年01月23日
橿原市(大和八木周辺)・大和高田市・桜井市の近代建築探索レポ日記
2022年1月22日に大和八木駅周辺の橿原市から大和高田市、桜井市の近代建築を探索してきました。
まずは近鉄大和八木駅周辺から。

近畿リテールサービス西大寺管理事務所。橿原市内膳町。昭和16年。

元々は変電所だったようです。

Y邸。橿原市八木町。

大きな洋館付き住宅です。

大きなお屋敷です。

司学舎。橿原市八木町。看板建築の建物。元商店と思いますが現在は学習塾。


八木町には古い商家の建物が残されています。

和洋折衷の住宅。橿原市八木町。

中々良い感じです。元医院とかそんな感じでしょうか。

畝傍高校北館。橿原市八木町。昭和8年。北館と南館が残ってます。戦時中は海軍経理学校橿原分校として使用されたとか。機銃掃射の痕もあるようです。今回は見学許可を得てないので敷地外からの撮影ですが、いつかじっくり見学できる機会があれば・・・

その畝傍高校の敷地にある木造の建物。記念館らしく戦前のものかと思いましたが、昭和61年の復元だとか。

八木町にある住宅群。どことなく洋風の雰囲気。戦前の分譲住宅だったんでしょうか。

JR畝傍駅。橿原市八木町。昭和15年。

JR畝傍駅は紀元二千六百年記念事業で建てられた駅舎。
近鉄橿原神宮前駅も同じく紀元二千六百年記念事業で建てられています。

貴賓室もあったようで、ここがその入り口かなと。

駅舎入口の庇。

内部も当時のまま。

この木造トラスいいですね。今となっては少なくなった昔懐かしい木造駅舎。

旧六十八銀行八木支店。橿原市八木町。昭和3年。

いかにも戦前の銀行建築。現在はレストラン。

日本聖公会八木基督教会。橿原市南八木町。昭和11年。

ロマネスク様式の教会ですが、どことなく和の雰囲気も感じられる素敵な教会。

妻側の装飾。
次に今井町へ。

寺内町として昔ながらの街並みが残されている観光地でもありますね。
そんな中にも洋館が。

H邸。橿原市今井町。

元医院だったそうです。大正から昭和初期頃でしょうか。

旧高市郡教育博物館。橿原市今井町。明治36年。昭和4年からは今井町役場として使用。

現在は今井まちなみ交流センターとして使用。残念ながら2階は閉鎖。
橿原市の探索はここまで。再び大和八木駅へ戻り、大和高田市へと向かいます。

大和高田市最初の探索は、天神橋商店街から。まずはバーバーつちだ。大和高田市内本町。

昭和初期でしょうか。軒周りには波模様があります。

ぜに宗。大和高田市内本町。バーバーつちだの道を挟んだ向かい。

日本聖公会高田基督教会。大和高田市内本町。明治22年。

新しく見えますが、明治22年築とのこと。窓から内部が見えました。

堀江歯科医院。大和高田市本郷町。

昭和初期くらいですかね。洋風建築ですがなんとなく土蔵造っぽい外観。

中央温泉。大和高田市本郷町。まるでお寺か武家屋敷みたいな外観の銭湯。一応営業しているようです。

旧銭湯。大和高田市北片塩町。中央温泉と同じ和風の銭湯。こちらは廃業。

洋風の外観の住宅。大和高田市北片塩町。

Y邸。大和高田市三和町。中々立派な洋館付きの住宅。
ここから再び内本町へ。

旧岡本歯科医院。大和高田市内本町。

町家風の外観ですが、よく見ると歯医者さんだった雰囲気が残ります。

こちらは住居棟でしょうか。

現在の岡本歯科医院も町家風の素敵な外観。

旧産業銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和2年。

堂々たる銀行建築。

現在は企業の社屋ですが、こうして大切に使われていると嬉しくなりますね。

三宅蒲団店。大和高田市内本町。店名と電話番号は当時の物でしょうか。

旧吉野銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和8年。

ロマネスク風の銀行建築。現在は電気屋さんですが、大切に使われています。

旧宮城医院。大和高田市内本町。大正15年。大正モダンな建物です。

宮城医院の文字。この本町通り沿いには多くの近代建築の建物が残されていて楽しい通りでした。他の建物が大切にされているので、この旧宮城医院も何か再利用されて欲しいですね。
大和高田市の探索はここまで。次に今回最期の探索地、桜井市へと向かいます。

櫻林亭洋館。桜井市桜井。駅前にある立派な洋館。

小規模ですがハイレベルな洋館。大正期、もしかしたら明治期まで遡るかも。
現在は櫻林亭という宿泊施設となってますが、隣に「H」の表札がありもしかしたらH邸の洋館だったのかもしれません。

旧吉野銀行桜井支店。桜井市桜井。昭和5年。

最近改修されたようですね。以前の写真見ましたが、今の方がずっと素敵です。
現在はフレンチレストラン。

廃墟の建物。桜井市桜井。かなりボロボロ。元は工場の事務所だったんでしょうか。

元スナックの建物。桜井市桜井。

「1ねん1くみ」というスナックだったようですが現在は廃業のようです。
外壁の下見板張りの感じ、2階のベランダの造りと持ち送りで戦前物件と判断。

桜井高校講堂。桜井市桜井。明治37年。

煉瓦基礎の古い建物。記念館として残されているのでしょうか。歴史ある建物です。

旧藤桜会館。桜井市桜井。昭和16年。

桜井高校の敷地内にある建物。元同窓会館と思いますが、大切にされているようです。

洋館住宅。桜井市桜井。

下見板張りの住宅。昭和初期でしょうか。

日本聖公会桜井聖羅保教会。桜井市桜井。明治40年。

舟津書店。桜井市桜井。駅前にある看板建築。
今回の探索はここまで。ほとんどが割と知られている物件ばかりですが、初見の物ばかりで楽しい探索となりました。

今回時間の都合で橿原市の橿原神宮方面は探索はしませんでしたが、数年前に探索をしたことあります。ただ、その時の写真データを紛失してしまい、再び探索する必要が出てきました。その中でも現在は失われているこの建物の写真だけは残していたのは救いでした。
まずは近鉄大和八木駅周辺から。

近畿リテールサービス西大寺管理事務所。橿原市内膳町。昭和16年。

元々は変電所だったようです。

Y邸。橿原市八木町。

大きな洋館付き住宅です。

大きなお屋敷です。

司学舎。橿原市八木町。看板建築の建物。元商店と思いますが現在は学習塾。


八木町には古い商家の建物が残されています。

和洋折衷の住宅。橿原市八木町。

中々良い感じです。元医院とかそんな感じでしょうか。

畝傍高校北館。橿原市八木町。昭和8年。北館と南館が残ってます。戦時中は海軍経理学校橿原分校として使用されたとか。機銃掃射の痕もあるようです。今回は見学許可を得てないので敷地外からの撮影ですが、いつかじっくり見学できる機会があれば・・・

その畝傍高校の敷地にある木造の建物。記念館らしく戦前のものかと思いましたが、昭和61年の復元だとか。

八木町にある住宅群。どことなく洋風の雰囲気。戦前の分譲住宅だったんでしょうか。

JR畝傍駅。橿原市八木町。昭和15年。

JR畝傍駅は紀元二千六百年記念事業で建てられた駅舎。
近鉄橿原神宮前駅も同じく紀元二千六百年記念事業で建てられています。

貴賓室もあったようで、ここがその入り口かなと。

駅舎入口の庇。

内部も当時のまま。

この木造トラスいいですね。今となっては少なくなった昔懐かしい木造駅舎。

旧六十八銀行八木支店。橿原市八木町。昭和3年。

いかにも戦前の銀行建築。現在はレストラン。

日本聖公会八木基督教会。橿原市南八木町。昭和11年。

ロマネスク様式の教会ですが、どことなく和の雰囲気も感じられる素敵な教会。

妻側の装飾。
次に今井町へ。

寺内町として昔ながらの街並みが残されている観光地でもありますね。
そんな中にも洋館が。

H邸。橿原市今井町。

元医院だったそうです。大正から昭和初期頃でしょうか。

旧高市郡教育博物館。橿原市今井町。明治36年。昭和4年からは今井町役場として使用。

現在は今井まちなみ交流センターとして使用。残念ながら2階は閉鎖。
橿原市の探索はここまで。再び大和八木駅へ戻り、大和高田市へと向かいます。

大和高田市最初の探索は、天神橋商店街から。まずはバーバーつちだ。大和高田市内本町。

昭和初期でしょうか。軒周りには波模様があります。

ぜに宗。大和高田市内本町。バーバーつちだの道を挟んだ向かい。

日本聖公会高田基督教会。大和高田市内本町。明治22年。

新しく見えますが、明治22年築とのこと。窓から内部が見えました。

堀江歯科医院。大和高田市本郷町。

昭和初期くらいですかね。洋風建築ですがなんとなく土蔵造っぽい外観。

中央温泉。大和高田市本郷町。まるでお寺か武家屋敷みたいな外観の銭湯。一応営業しているようです。

旧銭湯。大和高田市北片塩町。中央温泉と同じ和風の銭湯。こちらは廃業。

洋風の外観の住宅。大和高田市北片塩町。

Y邸。大和高田市三和町。中々立派な洋館付きの住宅。
ここから再び内本町へ。

旧岡本歯科医院。大和高田市内本町。

町家風の外観ですが、よく見ると歯医者さんだった雰囲気が残ります。

こちらは住居棟でしょうか。

現在の岡本歯科医院も町家風の素敵な外観。

旧産業銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和2年。

堂々たる銀行建築。

現在は企業の社屋ですが、こうして大切に使われていると嬉しくなりますね。

三宅蒲団店。大和高田市内本町。店名と電話番号は当時の物でしょうか。

旧吉野銀行高田支店。大和高田市内本町。昭和8年。

ロマネスク風の銀行建築。現在は電気屋さんですが、大切に使われています。

旧宮城医院。大和高田市内本町。大正15年。大正モダンな建物です。

宮城医院の文字。この本町通り沿いには多くの近代建築の建物が残されていて楽しい通りでした。他の建物が大切にされているので、この旧宮城医院も何か再利用されて欲しいですね。
大和高田市の探索はここまで。次に今回最期の探索地、桜井市へと向かいます。

櫻林亭洋館。桜井市桜井。駅前にある立派な洋館。

小規模ですがハイレベルな洋館。大正期、もしかしたら明治期まで遡るかも。
現在は櫻林亭という宿泊施設となってますが、隣に「H」の表札がありもしかしたらH邸の洋館だったのかもしれません。

旧吉野銀行桜井支店。桜井市桜井。昭和5年。

最近改修されたようですね。以前の写真見ましたが、今の方がずっと素敵です。
現在はフレンチレストラン。

廃墟の建物。桜井市桜井。かなりボロボロ。元は工場の事務所だったんでしょうか。

元スナックの建物。桜井市桜井。

「1ねん1くみ」というスナックだったようですが現在は廃業のようです。
外壁の下見板張りの感じ、2階のベランダの造りと持ち送りで戦前物件と判断。

桜井高校講堂。桜井市桜井。明治37年。

煉瓦基礎の古い建物。記念館として残されているのでしょうか。歴史ある建物です。

旧藤桜会館。桜井市桜井。昭和16年。

桜井高校の敷地内にある建物。元同窓会館と思いますが、大切にされているようです。

洋館住宅。桜井市桜井。

下見板張りの住宅。昭和初期でしょうか。

日本聖公会桜井聖羅保教会。桜井市桜井。明治40年。

舟津書店。桜井市桜井。駅前にある看板建築。
今回の探索はここまで。ほとんどが割と知られている物件ばかりですが、初見の物ばかりで楽しい探索となりました。

今回時間の都合で橿原市の橿原神宮方面は探索はしませんでしたが、数年前に探索をしたことあります。ただ、その時の写真データを紛失してしまい、再び探索する必要が出てきました。その中でも現在は失われているこの建物の写真だけは残していたのは救いでした。
2022年01月16日
松阪市の近代建築探索レポ日記

2021年12月29日の伊勢市の近代建築探索の翌日30日、宿泊地にしていた松阪市の近代建築探索を行いました。松阪駅の西側市街地一帯を中心に探索。

H邸。松阪市殿町。昭和初期頃かなと思われる洋館。

松阪市内でも一番立派な洋館住宅かも。

下見板張りの洋館。松阪市殿町。大きな洋館ですが、現在は空家。
殿町を一旦離れ、東方面へ。

魚元。松阪市白粉町。

新道公会堂。松阪市大黒田町。

昭和初期くらいですかね。地方の集落でも時々見かけるスタイルの公会堂。

K邸。松阪市大黒田町。

洋館付き住宅が2棟接するように並んでいます。

K邸近くの洋館付き住宅。松阪市大黒田町。

この一帯は戦前に区画整理された住宅街だったのかもしれません。
再び殿町へ。

稲垣商会。松阪市殿町。

元々は個人宅だったのでしょうか。

松阪工業高校資料館。松阪市殿町。明治41年。

元は三重県立工業学校製図室。通称・赤壁校舎。

赤壁校舎のある松坂工業高校の近くには、幕末に紀州藩士が詰めていた重要文化財の御城番屋敷群があります。

下級武士の住まいなので長屋造りですが、武家屋敷らしくちゃんと式台があります。
御城番屋敷は明治以後も旧藩士がそのまま住み続け、現在は藩士の子孫が現在も住みつつ維持に努めています。

御城番屋敷の土蔵。元々は松坂城隠居丸にあった土蔵を明治初期に現在地に移築したもので、松坂城で唯一現存する建物です。

洋館付き住宅。松阪市殿町。御城番屋敷の側にある建物。

料理旅館八千代。松阪市殿町。大正から昭和初期に建てられた大規模な料理旅館。

背面から八千代大広間。八千代は国登録有形文化財となっています。

中井珠算簿記学校。松阪市殿町。

戦後建築の可能性もありますが、昭和10年代のモダニズム建築で良く見られる雰囲気の建物なので、玄関部分のデザインも考慮してここは戦前の建物としておきます。門柱は確実に戦前。
阪内川を越えて北方面へ。

Y邸。松阪市西之庄町。洋館付きの大きな住宅。

洋館部分。応接室だったんでしょうね。

旧鐘紡綿糸松阪工場。外五曲町。大正12年。

現在は松阪市文化財センターの展示施設となっています。

再び阪内川を渡り、松坂城へ。

蒲生氏郷が築いた松坂城は城内に建物こそ残されていませんが、縄張はほぼ完全に残され、かつての威容を感じ取ることができます。その城内にある建物。

松阪市立歴史民俗資料館。松阪市殿町。明治45年。元は飯南郡図書館だった建物。
立派な近代和風建築です。
松阪市は前日探索した伊勢市よりも近代建築の数は少なく感じました。それでも色々な建物に出会えたのは良かったです。ただ、数年前まで存在していた白粉町にあった大正時代の旧松阪水力電気本社の洋館がすでに取り壊されて見ることができなかったのが残念でした。他サイトの写真を見たら、いかにも大正期らしい素敵な洋館だったのに。
ところで・・・・

探索中に見かけたこの怪しげな城。最初に見たときは料理旅館か(アレな)ホテルかと思いましたが、気になるので表側に回り込むことに。

なんと歯医者さんでした。それでも城郭風の表門と唐破風のあるビル。そして背後の天守閣風の建物で、元々は料理旅館とかの別の建物を再利用したのではと思ってました。

現在は廃業され、背後の天守閣風建物は半ば廃墟化してました。で、後程知った事実。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にて紹介されていたようで、それによると、清水歯科の先代の院長さんが戦時中に特攻兵器の人間魚雷「回天」で戦死された長男の供養として建てたもので、「回天山暁ノ城」というそうです。※参照ツイート。
経緯を知るといろんな思いの詰まった建物になるわけですが、すでに廃業され廃墟化が進むこの城、いつまで存在し続けるか分からない状態になってきています。
2022年01月15日
伊勢市の近代建築探索レポ日記
昨年末(2021年12月29日)に三重県伊勢市を探索してきました。まずは近鉄伊勢駅北側から。

山口歯科医院。伊勢市宮後2丁目。

中々意匠を凝らした外観をしています。

建物自体は木造の建物にモルタル外壁で洋風のデザインを造ってますね。
次に東へ向かい河崎地区へ。


河崎地区は昔ながらの町家の建物が今でも多く残されている街並みです。

町家バルという町家を再利用した飲食店の敷地に残されている煉瓦建物。

古いものではありますが、用途は不明です。

T邸。伊勢市河崎2丁目。洋館付き住宅。

見難いですが洋館部分。

巨大な洋風卯建のある町家。伊勢市河崎2丁目。

かなりのインパクトです。

煉瓦倉庫。伊勢市河崎2丁目。

かつての工場か何かの煉瓦倉庫で大正くらいでしょうか。河崎地区を後にし南へ。

I邸。伊勢市吹上2丁目。大正から昭和初期。伊勢市でも屈指の洋館。

別角度から。

左側の洋館。ドイツ風?でいいのかな?

良い建物でした。次に伊勢神宮外宮方面へ。

山田館。伊勢市本町。昭和2年。

外宮参道線に面する大型の近代和風建築。

玄関の唐破風部分。

旧山田郵便局電話分室。伊勢市本町。大正12年。

山田守の設計。スパニッシュ風のオシャレな外観。

中庭部分。現在はレストランになってます。
外宮から西方面へ。

大豊和紙工業。伊勢市大世古1丁目。

古い木造の工場建築が残されています。

工場入口にある石碑。伊勢神宮に和紙を納入していた工場のようです。

神都製紙有限会社事務所。伊勢市大世古1丁目。近代和風建築の建物。

田中病院事務所。伊勢市曽祢。元個人宅だったと思われる洋館付き住宅。

五月園。伊勢市曽祢。

曽祢地区にあった気になる建物。工場の事務所建築でしょうか。

ゴブリ文具店。伊勢市曽祢。

2階部分は改装されていますが、1階部分は当時の面影が残されています。
再び伊勢市駅方面へ。

JR伊勢市駅の跨線橋。

跨線橋の柱が戦前の物と思われる鋳鉄柱でした。

同じ伊勢市駅にあるもう一つの戦前と思われる跨線橋。
次に東に向かい宇治山田方面へ。

近鉄宇治山田駅。伊勢市岩淵。昭和5年。設計・久野節

伊勢神宮の参宮駅として建てられた大きな駅舎。伊勢市を代表する近代建築。

宇治山田駅内部のホール。当時の雰囲気が良く残されています。

この日も賑わってましたが、開業当時も多くの人で賑わってたことでしょう。
戦時中、宇治山田駅周辺は激しい空襲に晒されました。
このまま内宮方面へ。

神都印刷株式会社。伊勢市岩淵。看板建築ですかねぇ。外宮近辺で見た神都製紙の関連会社かな。

神宮徴古館。伊勢市神田久志本町。明治42年。伊勢市を代表する近代建築。

設計は赤坂離宮や京都国立博物館旧本館や東京国立博物館表慶館、奈良国立博物館旧本館を手掛けた片山東熊。いかにも片山東熊らしい宮廷建築です。

神宮徴古館は伊勢神宮の宝物等を展示する博物館として建てられました。

神宮徴古館正面玄関。かつては中央部分にドームがありましたが空襲で焼失しました。

神宮農業館。伊勢市神田久志本町。明治38年。こちらも片山東熊の設計。

神宮農業館は片山東熊作品では珍しい木造建築。

神宮農業館は神宮と農産に関わる展示をしている博物館です。
次に皇學館大学の敷地へ。

神宮文庫。伊勢市神田久志本町。大正14年。

神宮文庫は伊勢神宮が所蔵する図書を扱う図書館。

洋風の外観に和風の千鳥破風を設けた和洋折衷の建物です。

皇學館大学記念館。伊勢市神田久志本町。大正8年。

現在の皇學館大学の前身である神宮皇學館の本館だった建物。

全体的に近代和風建築の建物ですが、一部洋風の意匠が見れます。
いよいよ伊勢神宮内宮方面へ。

神宮道場。伊勢市宇治浦田町。明治35年。伊東忠太の設計で旧神宮司庁。門は閉じてて見れず。

灯りの家。伊勢市宇治中之切町。

昭和初期頃の元郵便局とかだったのでしょうか。棟瓦に〒マークがあります。現在は雑貨屋さん。

2階部分の屋根にある持ち送り。これ、私の実家にある持ち送りと同じもの。

実家の持ち送り。

昭和初期頃に全国的に流行った「文化持ち送り」というものだそう。

ゑびのや商店。伊勢市中之切町。外観の装飾が豊かな看板建築。

おかげ横丁はすごい人でした。赤福本店なんて2時間待ち・・・

もちろん伊勢神宮内宮へも参拝。29日でも人が多かったです。大晦日や元旦はどうなっていたんだろう。

内宮参拝後、再び宇治山田駅へ。ここから翌日の探索地、松阪市へと向かい一泊。
次回は松阪市の近代建築探索のレポ日記となります。伊勢市には湾岸地域の大湊町にも多くの洋館が残されているようで、今年中に探索したいと思ってます。
※翌日探索した松阪市の近代建築探索レポ日記を執筆しました。

山口歯科医院。伊勢市宮後2丁目。

中々意匠を凝らした外観をしています。

建物自体は木造の建物にモルタル外壁で洋風のデザインを造ってますね。
次に東へ向かい河崎地区へ。


河崎地区は昔ながらの町家の建物が今でも多く残されている街並みです。

町家バルという町家を再利用した飲食店の敷地に残されている煉瓦建物。

古いものではありますが、用途は不明です。

T邸。伊勢市河崎2丁目。洋館付き住宅。

見難いですが洋館部分。

巨大な洋風卯建のある町家。伊勢市河崎2丁目。

かなりのインパクトです。

煉瓦倉庫。伊勢市河崎2丁目。

かつての工場か何かの煉瓦倉庫で大正くらいでしょうか。河崎地区を後にし南へ。

I邸。伊勢市吹上2丁目。大正から昭和初期。伊勢市でも屈指の洋館。

別角度から。

左側の洋館。ドイツ風?でいいのかな?

良い建物でした。次に伊勢神宮外宮方面へ。

山田館。伊勢市本町。昭和2年。

外宮参道線に面する大型の近代和風建築。

玄関の唐破風部分。

旧山田郵便局電話分室。伊勢市本町。大正12年。

山田守の設計。スパニッシュ風のオシャレな外観。

中庭部分。現在はレストランになってます。
外宮から西方面へ。

大豊和紙工業。伊勢市大世古1丁目。

古い木造の工場建築が残されています。

工場入口にある石碑。伊勢神宮に和紙を納入していた工場のようです。

神都製紙有限会社事務所。伊勢市大世古1丁目。近代和風建築の建物。

田中病院事務所。伊勢市曽祢。元個人宅だったと思われる洋館付き住宅。

五月園。伊勢市曽祢。

曽祢地区にあった気になる建物。工場の事務所建築でしょうか。

ゴブリ文具店。伊勢市曽祢。

2階部分は改装されていますが、1階部分は当時の面影が残されています。
再び伊勢市駅方面へ。

JR伊勢市駅の跨線橋。

跨線橋の柱が戦前の物と思われる鋳鉄柱でした。

同じ伊勢市駅にあるもう一つの戦前と思われる跨線橋。
次に東に向かい宇治山田方面へ。

近鉄宇治山田駅。伊勢市岩淵。昭和5年。設計・久野節

伊勢神宮の参宮駅として建てられた大きな駅舎。伊勢市を代表する近代建築。

宇治山田駅内部のホール。当時の雰囲気が良く残されています。

この日も賑わってましたが、開業当時も多くの人で賑わってたことでしょう。
戦時中、宇治山田駅周辺は激しい空襲に晒されました。
このまま内宮方面へ。

神都印刷株式会社。伊勢市岩淵。看板建築ですかねぇ。外宮近辺で見た神都製紙の関連会社かな。

神宮徴古館。伊勢市神田久志本町。明治42年。伊勢市を代表する近代建築。

設計は赤坂離宮や京都国立博物館旧本館や東京国立博物館表慶館、奈良国立博物館旧本館を手掛けた片山東熊。いかにも片山東熊らしい宮廷建築です。

神宮徴古館は伊勢神宮の宝物等を展示する博物館として建てられました。

神宮徴古館正面玄関。かつては中央部分にドームがありましたが空襲で焼失しました。

神宮農業館。伊勢市神田久志本町。明治38年。こちらも片山東熊の設計。

神宮農業館は片山東熊作品では珍しい木造建築。

神宮農業館は神宮と農産に関わる展示をしている博物館です。
次に皇學館大学の敷地へ。

神宮文庫。伊勢市神田久志本町。大正14年。

神宮文庫は伊勢神宮が所蔵する図書を扱う図書館。

洋風の外観に和風の千鳥破風を設けた和洋折衷の建物です。

皇學館大学記念館。伊勢市神田久志本町。大正8年。

現在の皇學館大学の前身である神宮皇學館の本館だった建物。

全体的に近代和風建築の建物ですが、一部洋風の意匠が見れます。
いよいよ伊勢神宮内宮方面へ。

神宮道場。伊勢市宇治浦田町。明治35年。伊東忠太の設計で旧神宮司庁。門は閉じてて見れず。

灯りの家。伊勢市宇治中之切町。

昭和初期頃の元郵便局とかだったのでしょうか。棟瓦に〒マークがあります。現在は雑貨屋さん。

2階部分の屋根にある持ち送り。これ、私の実家にある持ち送りと同じもの。

実家の持ち送り。

昭和初期頃に全国的に流行った「文化持ち送り」というものだそう。

ゑびのや商店。伊勢市中之切町。外観の装飾が豊かな看板建築。

おかげ横丁はすごい人でした。赤福本店なんて2時間待ち・・・

もちろん伊勢神宮内宮へも参拝。29日でも人が多かったです。大晦日や元旦はどうなっていたんだろう。

内宮参拝後、再び宇治山田駅へ。ここから翌日の探索地、松阪市へと向かい一泊。
次回は松阪市の近代建築探索のレポ日記となります。伊勢市には湾岸地域の大湊町にも多くの洋館が残されているようで、今年中に探索したいと思ってます。
※翌日探索した松阪市の近代建築探索レポ日記を執筆しました。