2022年03月
2022年03月21日
兵庫県丹波市柏原町の近代建築探索レポ日記(柏原藩時代も含めて)

2016年6月に兵庫県丹波市柏原町を探索した時のレポ日記です。柏原町は織田家の柏原藩が治めていた町で、柏原陣屋を始め柏原藩時代の遺構や明治以後の近代建築がいくつか残る情緒ある街です。
まずは柏原藩の藩庁だった柏原陣屋へ。

長屋門。柏原陣屋時代の正門。

柏原陣屋の御殿は文政3年に再建されたものですが、明治維新後に解体され全体の1/5の玄関・式台・書院のみが残されています。



それでも当時の陣屋建物が残されているのは貴重です。
その柏原陣屋の隣にあるのが。

旧氷上第一高等小学校。明治18年。

現在は、たんば黎明館という観光施設として使用されています。

1階廊下。明治期の洋館らしく華やかです。

階段。

2階廊下。

室内の一部は休憩スペースに。

雰囲気もあり、一息つくにはいい建物です。

旧柏原尋常中学校本館。明治30年。

現在は柏陵記念館として保存されています。

正面側は柏原高校の敷地に入らないと見れないので、見るには許可がいります。

旧柏原町役場。昭和10年。

設計者は北播磨地域を中心に作品を残した内藤克雄。
内藤克雄の建物探索に関してはこちらの記事もどうぞ。
※加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)

旧柏原町役場は丹波市役所柏原支所として使用されてましたが、支所機能が移転した後は観光案内所として使用されています。

当時の雰囲気が良く残されていました。
明治以後の近代建築はここまで。ここからはおまけ的な感じで柏原町の名所めぐり。

太鼓櫓。元々、柏原陣屋の大手門近くにあったものを現在地に移築したもの。

織田家墓所。柏原藩の歴代藩主、織田家の墓所です。

市街地から少し離れた場所にあるためか、なんだか寂しい雰囲気でした。

柏原八幡神社。小高い丘の上にある神社。羽柴秀吉が再建させた社殿が残る名刹です。
この神社の特徴は何と言っても境内に鐘楼と三重塔があること。

柏原八幡神社三重塔。文化12年に再建された塔。

柏原八幡神社鐘楼。
明治初期に政府が発令した神仏分離令、そしてそれに伴い広まった廃仏毀釈運動。
古くからの神仏習合により多くの神社の中に建てられた塔や鐘楼といった仏教的建物、神社に付属した神宮寺は廃仏毀釈運動で悉く破壊されていきましたが、この柏原八幡神社は、神社内にあった仏教・経典類は廃棄されることなく全て元神宮寺だった乗宝寺へと移管。三重塔は八幡文庫に、鐘楼は時鐘としてそのまま残されるという全国的にも極めて珍しく円満に神仏分離が進められました。
その結果、現在では貴重な神仏習合の形を残す神社として今に伝わっています。
2022年03月13日
新居家住宅見学会レポ日記

京都市伏見区淀にある新居家住宅の見学会に参加しました。

新居家住宅は大正15年に建てられた洋館付き住宅で、国登録有形文化財となっている住宅です。
現在も新居さんの個人宅で普段は非公開ですが、見学会に参加することが出来たので晴れて内部を拝見することが出来ました。

この新居家住宅の見学会には過去に何度か応募していたのですが、中々抽選に受からず、3回目にしてようやく当選しました。過去に外観だけは見ていましたが。

洋館1階内部。比較的シンプルな内装ですが、雰囲気のある部屋です。
右側の棚の下は物入にはなっておらず、所有者様の不思議がっておられました。

奥のテーブルは後から購入されたものだそうですが、手前の椅子は当時の物だそう。

入り口方面。奥が玄関と和館です。

入口にあるカウンター。これは所有者様が後から設置したもの。照明は当時の物。

入り口部分のアーチ。

暖炉。タイルはなんと泰山タイル。貴重なものです。
次に2階へ。

2階部分。2階の窓にはステンドグラスがはめられています。

別角度から。

南側の窓のステンドグラス。

西側のステンドグラス。ステンドグラスは改修の際に外されていたのを再び戻したのだそう。
洋館は戦時中、久御山町にあった陸軍の航空隊の将校宿舎として使用されていたとのことで、以前は名前入りの服を掛ける棚があったそう。
お聞きした話では、久御山の航空隊が知覧へと向かう際、目立つ緑色の屋根の洋館の上空に来た際、翼を振って感謝の挨拶をして知覧へと向かったそうです。そう、知覧へ…
次に和館へ。

玄関を入り向かって左が洋館、そして向かって右が和館となります。この部屋は表の間。
元々は別邸として建てられたもので、普通は玄関からの導線は廊下へと繋がるのですが、新居家住宅は玄関を上がった取次の間からすぐに洋館と和館の部屋に直結し、来客をもてなすための造りだとか。
来客は近くの京都競馬場の来客をもてなす用途もあったらしいです。当時の競馬は高貴な紳士の社交場でしたので。

床の間。床柱はさすがの四方柾ですが、これだけのお屋敷に対して控えめで、本宅ではなく別邸だからではという理由が考えられるとか。

照明も当時のまま。

障子には矢の意匠が。新居家住宅の和館には矢を用いた装飾が多く見られます。

床の間平書院の欄間。

縁側奥の付書院。縁側奥に造るのは珍しい。
次に離れへ。

昭和12年に完成した離れも書院造風の数寄屋造の部屋ですが、遊郭の意匠を取り入れているため、遊び心のある部屋です。遊郭建築の意匠を取り入れたのは、近くに橋本遊郭があったのもあるのだとか。

向かって右側の天井は網代天井となり、分けられています。

床の間の横には塗り残し窓があり、通常の数寄屋建築や書院造の部屋とは違った造りです。
新居家住宅は元々別邸として建てられ、昭和19年に所有者様の先代が購入されたそうですが、本来は建物を取り壊して小さめの住宅に建て替える予定だったそうです。しかし、平成24年に京都市文化財保護課の勧めにより保存が決定。一部の改修を行い現在はこうして一般公開をする機会を設けるなど保存と周知に尽力されています。
私の実家も大正4年築の古い農家建築ですが、古い建物は今の生活事情から考えると使い勝手は悪く、また維持管理も大変。それを知っているだけに新居家住宅の所有者様の尽力は並大抵のものではないことは分かります。

新居家住宅の見学ついでに淀の河津桜を見てきました。まさに見ごろの満開で多くの人が駆け付け、中には美人のお姉さんをモデルに撮影会をしている人も。

河津桜の見ごろが過ぎた後は、いよいよ本格的に桜の季節ですね。
2022年03月09日
京都市右京区京北町他の近代建築探索レポ日記(公民館建築を訪ねて)
京都市右京区の京北町内に戦前の建築と思われる公民館建築が割と多く、さらに多くが知られていない建物なので探索をしてみようと思いました。
まずは隣町の南丹市から。

神吉診療所。南丹市八木町神吉。旧神吉小学校及時館。

2年ぶりの訪問。あの時と変わらず建っていました。その時の探索レポ日記。
※南丹市・京丹波町の戦前木造校舎&近代建築探訪レポ日記

学校があった当時は記念館として残されていたようで、大正〜昭和初期の建物と思われます。

正面にあるサイレンも当時のまま。
次に今回のメインの京都市右京区京北町へと入ります。

旧宇津郵便局。京都市右京区京北町宇津。

以前から一度見たかった昭和初期の洋館。

隣に現在の郵便局がありますが、やはり存在感はこちらの方が上。

屋根の棟瓦には今でも〒マークが。

建物の脇にはなんと公衆電話室が。これは珍しい。

下熊田公民館。京都市右京区京北町下熊田。

静かな集落の中にある洋館。

水色の板壁が映える洒落た建物。

内部も当時の雰囲気が残されています。

背後の付属屋にある持ち送り。

塩田公民館。京都市右京区京北町塩田。

一部外観が改修されていますが、戦前の雰囲気は残されています。

中々大きな建物。

内部は壁に当時の面影が残されています。

筒江公民館。京都市右京区京北町筒江。

オリジナルの姿が良く残されています。

しかも綺麗に保たれており、大切に使われていることが分かります。

内部も当時の姿がそのまま残されています。

給湯室はさすがに改修されていますが、いかにこの建物が愛されているかが分かります。

下中公民館。京都市右京区京北町下中。

こちらも当時の姿が残されています。


内部も当時のままのようですね。

屋根にはサイレンの櫓が残されています。正午のサイレンとかを鳴らしていたのでしょう。

探索中に見かけた気になる建物。

なんとなく元郵便局の建物に見えますが、詳細不明。

大野公民館。京都市右京区京北町大野。

中々渋い雰囲気の建物。

元々は他の公民館と同じくペンキが塗られていたのかもしれません。

屋根のサイレンの櫓は和風。

内部も当時のままのようです。

京北町内では一番かもしれない周山にある洋館。

他の公民館より意匠に富んでいます。

建物の感じから公民館よりも元役場だったように思えます。
現在は正面に増設された玄関から入るようですが、当時は左右の2ヵ所から出入りしていたようですね。

屋根のサイレンの櫓。他の公民館と違いこちらは洋風。

内部も当時のまま。


当時の付属屋も残されています。

田貫公民館。京都市右京区京北町田貫。

元々は田貫分校という学校だったようです。

背面に当時の面影が残されていますね。

建物の脇には、二宮金次郎像と記念碑がありました。
最後は帰りに立ち寄った南丹市にある公民館へ。

原和田公民館か。南丹市美山町原和田。

戦前かなと思われる公民館。

内部も古そうです。所在地名から原和田公民館としましたが、玄関の額の文字は消えかかっていて読めませんでした。
これにて京都市右京区京北町の近代建築探索は終了。今回はほぼ知られていない戦前の公民館建築をメインに探索しました。他の近代建築サイトでは紹介されていない建物群、公民館に絞った下調べで予想以上に多く残されていることが分かり、大きな成果となりました。他の地域にもまだまだ残されているようで、引き続き探索をしたいと思っています。
まずは隣町の南丹市から。

神吉診療所。南丹市八木町神吉。旧神吉小学校及時館。

2年ぶりの訪問。あの時と変わらず建っていました。その時の探索レポ日記。
※南丹市・京丹波町の戦前木造校舎&近代建築探訪レポ日記

学校があった当時は記念館として残されていたようで、大正〜昭和初期の建物と思われます。

正面にあるサイレンも当時のまま。
次に今回のメインの京都市右京区京北町へと入ります。

旧宇津郵便局。京都市右京区京北町宇津。

以前から一度見たかった昭和初期の洋館。

隣に現在の郵便局がありますが、やはり存在感はこちらの方が上。

屋根の棟瓦には今でも〒マークが。

建物の脇にはなんと公衆電話室が。これは珍しい。

下熊田公民館。京都市右京区京北町下熊田。

静かな集落の中にある洋館。

水色の板壁が映える洒落た建物。

内部も当時の雰囲気が残されています。

背後の付属屋にある持ち送り。

塩田公民館。京都市右京区京北町塩田。

一部外観が改修されていますが、戦前の雰囲気は残されています。

中々大きな建物。

内部は壁に当時の面影が残されています。

筒江公民館。京都市右京区京北町筒江。

オリジナルの姿が良く残されています。

しかも綺麗に保たれており、大切に使われていることが分かります。

内部も当時の姿がそのまま残されています。

給湯室はさすがに改修されていますが、いかにこの建物が愛されているかが分かります。

下中公民館。京都市右京区京北町下中。

こちらも当時の姿が残されています。


内部も当時のままのようですね。

屋根にはサイレンの櫓が残されています。正午のサイレンとかを鳴らしていたのでしょう。

探索中に見かけた気になる建物。

なんとなく元郵便局の建物に見えますが、詳細不明。

大野公民館。京都市右京区京北町大野。

中々渋い雰囲気の建物。

元々は他の公民館と同じくペンキが塗られていたのかもしれません。

屋根のサイレンの櫓は和風。

内部も当時のままのようです。

京北町内では一番かもしれない周山にある洋館。

他の公民館より意匠に富んでいます。

建物の感じから公民館よりも元役場だったように思えます。
現在は正面に増設された玄関から入るようですが、当時は左右の2ヵ所から出入りしていたようですね。

屋根のサイレンの櫓。他の公民館と違いこちらは洋風。

内部も当時のまま。


当時の付属屋も残されています。

田貫公民館。京都市右京区京北町田貫。

元々は田貫分校という学校だったようです。

背面に当時の面影が残されていますね。

建物の脇には、二宮金次郎像と記念碑がありました。
最後は帰りに立ち寄った南丹市にある公民館へ。

原和田公民館か。南丹市美山町原和田。

戦前かなと思われる公民館。

内部も古そうです。所在地名から原和田公民館としましたが、玄関の額の文字は消えかかっていて読めませんでした。
これにて京都市右京区京北町の近代建築探索は終了。今回はほぼ知られていない戦前の公民館建築をメインに探索しました。他の近代建築サイトでは紹介されていない建物群、公民館に絞った下調べで予想以上に多く残されていることが分かり、大きな成果となりました。他の地域にもまだまだ残されているようで、引き続き探索をしたいと思っています。
2022年03月06日
朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記
2018年4月29日の探索分です。
朝来市和田山町の旧糸井中学校・旧糸井郵便局・廃洋館の記事はこちら。
まずは和田山町内。

上垣医院。朝来市和田山町。昭和5年。

田舎の個人病院とは思えない目を引く立派な洋館です。

玄関部分。堂々たるもの。

上垣医院の本館の背後にかつては結核の隔離病棟がありました。10数年前に取り壊し。

本町公民館。朝来市和田山町。昭和初期っぽい洋館の公民館。

旧竹田中学校。朝来市和田山町。現在は工場施設となってますが、本館と校舎が残されています。これは本館。玄関部分の車寄せに戦前の意匠が見られます。昭和初期でしょうか。

校舎の建物。

竹田資料館。朝来市和田山町。竹田城跡の麓にある洋館。元公民館建築でしょうか。

背面。資料館となってますが、中に入れませんでした。

窓から内部を撮影。あまり活用されているようには見えません。

竹田資料館近くの建物。
次に神子畑方面へ。

山口公民館。朝来市山口。大正14年。旧山口村役場。立派な庁舎です。

村役場としては相当なもの。村の自慢だったことでしょう。

神子畑鋳鉄橋。朝来市佐嚢。明治18年。国指定重要文化財。

明治前期の貴重な鋳鉄橋です。

羽渕鋳鉄橋。朝来市羽渕。明治20年。一度洪水により流された後、現在地に移築。

神子畑公民館。朝来市佐嚢。和風の公民館です。

敷地内にある車庫もしくは倉庫は洋風の意匠です。

旧ムーセ邸。朝来市佐嚢。明治5年。生野銀山のお雇い外国人、ムーセの住宅だった建物。

明治20年に移築され、神子畑選鉱所の事務所として使用。現在は資料館として使用されています。

その神子畑選鉱所跡。明延鉱山の選鉱所として明延鉱山が閉山した昭和62年まで稼働しました。

近年まで巨大な建屋が残されていましたが、現在は撤去され公園となっています。

建屋が無くなってもこの迫力は見応えあります。

神子畑選鉱所の近くにある旧神子畑小学校講堂。戦後建築ですが、神子畑選鉱所の歴史を語る上で欠かせない建物。

講堂の脇の運動場には当時の遊具が残されていました。かつては多くの子供で賑わっていただろう運動場も今はひっそりとしていました。
朝来市和田山町の旧糸井中学校・旧糸井郵便局・廃洋館の記事はこちら。
まずは和田山町内。

上垣医院。朝来市和田山町。昭和5年。

田舎の個人病院とは思えない目を引く立派な洋館です。

玄関部分。堂々たるもの。

上垣医院の本館の背後にかつては結核の隔離病棟がありました。10数年前に取り壊し。

本町公民館。朝来市和田山町。昭和初期っぽい洋館の公民館。

旧竹田中学校。朝来市和田山町。現在は工場施設となってますが、本館と校舎が残されています。これは本館。玄関部分の車寄せに戦前の意匠が見られます。昭和初期でしょうか。

校舎の建物。

竹田資料館。朝来市和田山町。竹田城跡の麓にある洋館。元公民館建築でしょうか。

背面。資料館となってますが、中に入れませんでした。

窓から内部を撮影。あまり活用されているようには見えません。

竹田資料館近くの建物。
次に神子畑方面へ。

山口公民館。朝来市山口。大正14年。旧山口村役場。立派な庁舎です。

村役場としては相当なもの。村の自慢だったことでしょう。

神子畑鋳鉄橋。朝来市佐嚢。明治18年。国指定重要文化財。

明治前期の貴重な鋳鉄橋です。

羽渕鋳鉄橋。朝来市羽渕。明治20年。一度洪水により流された後、現在地に移築。

神子畑公民館。朝来市佐嚢。和風の公民館です。

敷地内にある車庫もしくは倉庫は洋風の意匠です。

旧ムーセ邸。朝来市佐嚢。明治5年。生野銀山のお雇い外国人、ムーセの住宅だった建物。

明治20年に移築され、神子畑選鉱所の事務所として使用。現在は資料館として使用されています。

その神子畑選鉱所跡。明延鉱山の選鉱所として明延鉱山が閉山した昭和62年まで稼働しました。

近年まで巨大な建屋が残されていましたが、現在は撤去され公園となっています。

建屋が無くなってもこの迫力は見応えあります。

神子畑選鉱所の近くにある旧神子畑小学校講堂。戦後建築ですが、神子畑選鉱所の歴史を語る上で欠かせない建物。

講堂の脇の運動場には当時の遊具が残されていました。かつては多くの子供で賑わっていただろう運動場も今はひっそりとしていました。
丹波市氷上町・青垣町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築探索レポ日記
兵庫県北部の丹波市氷上町、朝来市和田山町、養父市八鹿町、豊岡市日高町の近代建築の探索をしてきました。
同じ丹波市内の山南町、豊岡市街地の近代建築探索レポ日記は過去の記事にあります。
(丹波市柏原町は記事未作成。探索済み。)
※丹波市山南町の近代建築探索レポ日記
※豊岡市の近代建築探索レポ日記
※豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記
※朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記
まずは丹波市氷上町へ。

香良公民館。丹波市氷上町香良。

典型的な下見板張りの昭和戦前の公民館建築ですね。

2棟ありそこそこ規模は大きいです。

玄関部分の額。その下には当時のものらしい玄関灯が。
綺麗に改修されて大切に使われています。いつもでも残ってほしいですね。
続いて丹波市青垣町へ。

次の目的地へ向かう途中で見かけた古い建物。丹波市青垣町西芦田。

入り口部分に赤い照明があるので、元は消防団の倉庫だったと思われますが、戦前っぽい中々の古さ。
続いて青垣町の市街地へ。

洋風商店建築。丹波市青垣町佐治。小さいですが中々の雰囲気。

酒徳酒店。丹波市青垣町市原。大正4年頃。中々の存在感のある洋風の外観の酒屋さん。

アーチ部分の屋号。
続いて朝来市和田山町の糸井へ。

旧糸井中学校。朝来市和田山町高生田。

廃校となった木造校舎が残されています。

昔懐かしい木造校舎。戦前の築と思われます。

昔は地方の郊外によく見られた木造校舎も数がだいぶ少なくなりました。

校舎の横にある付属屋。

校舎の扉の一部が外されて中が見れる状態だったので覗いてみました。現在は倉庫として使用されているようで、内部は荒れ気味でした。いつまで残ってくれるのでしょうか。
旧糸井中学校を後にしもう少し奥へ。

旧糸井郵便局。朝来市和田山町和田。

昭和初期頃でしょうか。玄関扉には今も「糸井郵便局」の文字が。

屋根の棟瓦には今も〒マーク。

1階屋根の軒下には、文化持ち送りが。実家の家にも使われているこの持ち送り。見かけると親近感湧きます。

伊勢市の近代建築探索で見かけた元郵便局建物「灯りの家」に似た建物ですね。

その旧糸井郵便局の近くにほぼ倒壊している廃墟が。

所々残されている部分を見ると、かつては大きな洋館だったようです。

窓も鎧戸だったようで、相当レベルの高い洋館だったよう。

反対側に回ると木造の大きな倉庫が残されていました。こちらは倒壊してません。

2013年のストリートビューを見ると、すでに2階部分の壁が落ちてますが、まだ形を保っています。
現在はストリートビューに写る扉のある壁が崩れ落ち、階段の手摺がむき出しになってます。

側面。2013年時点は何とか形を保っており、かつての姿を確認できます。感じからして元医院だったのでしょうか。ここ最近の大雨や大雪で倒壊してしまった感じです。かつての姿を見てみたかったですが。
次は養父市へ。

JR養父駅。養父市堀畑。明治41年。

こちらも昔懐かしい木造駅舎。

養父駅の額。

内部も当時のままに大切に使われています。いい雰囲気ですね。椅子に座っていると。何となく郷愁を感じます。
この近くに高田公民館という昭和初期頃の大型の洋館建物がストリートビューに写っており、楽しみに向かいましたが、残念ながら建て替え・・・。
続いて八鹿町方面へ。

JR八鹿駅。養父市八鹿町八鹿。昭和9年。

養父駅と違い洋風の駅舎です。

八芒星の窓がオシャレ。

郡是製糸八鹿工場本館。養父市八鹿町。昭和3年。国登録有形文化財。

角に玄関を設けた堂々かつ美しい洋館事務所。

かつてここには広大な郡是製糸の工場がありました。現在跡地はやぶ市民交流広場となってます。

郡是製糸の施設は本館、門衛所、正門が保存されています。

グンゼ株式会社八鹿工場のプレート。

本館はオリジナルの姿に改修され、交流スペースとして活用されています。

本館事務所のカウンター。

カウンター部分はアーチ型になっており、オシャレ。

奥の個室。事務所内の大部屋は打ち合わせされており撮影できず。

2階も見たかったですが、残念ながら立ち入り禁止。

門衛所も保存されているのが素晴らしいです。今は物置ですが、こちらも何か活用して欲しいですね。

外観は福知山市にある郡是製糸福知山工場の本館とよく似ています。八鹿工場の本館と同じ昭和3年の築ですし、同じ設計者もしくは郡是製糸内に設計・建築を担当する営繕課のような部署があったのかもしれません。
郡是製糸八鹿工場本館を後にし、周辺を探索。

郡是製糸八鹿工場本館の側にある和風の建物。恐らく郡是製糸八鹿工場の工員宿舎だったものと思われます。福知山工場にもかつて同じような建物がありました。

諏訪区公会堂。養父市八鹿町八鹿。こちらも昭和初期でしょうか。

仲町公会堂。養父市八鹿町八鹿。

玄関部分に戦前の建物としての意匠が残されています。しかし、入り口が分かりづらい。

対岸から見た仲町公会堂。割と大きな建物です。

仲町公会堂近くにある洋館。養父市八鹿町八鹿。

以前はクリーニング店だったらしいですが、元々の用途は不明。

屋根は増築されてますが、軒周りの蛇腹装飾は残されています。

玄関部分はペディメントの装飾。結構手が込んでおり、大正〜昭和初期の建物かもしれません。
なんとなく医院とかだったのかなと思ってますがどうでしょうか。

木村写真館。養父市八鹿町八鹿。2階から上にオリジナルの姿が残されています。

1階と2階の間のモルタルにうっすらと「木村寫眞場」の文字が残されています。
次に豊岡市日高町方面へ。

旧水出医院。養父市八鹿町伊佐。

大正〜昭和初期頃と思われる意匠に富んだレベルの高い洋館建築。

玄関の「水出医院」の文字。

素晴らしい建物ですが、空き家状態で荒れてます。何か再活用されればいいですが、狭い集落の中という立地のため、難しいでしょうね。
最後に向かったのは豊岡市日高町。

旧岩中公民館? 豊岡市日高町岩中。

旧日高町役場へ向かう最中に見かけた建物。立地や雰囲気的に元公民館の建物に思えます。

玄関に掲げられた額。恐らく「岩中公民館」の文字が書かれていたと思われますが、現在は消えてしまい判読不能。

ガラス越しに内部を撮影。だいぶ荒れており、現在は使われていないようです。

別方向から。床の間付きの立派な部屋だったようです。

旧日高町役場。豊岡市日高町日置。昭和10年。

現在は江原河畔劇場という施設として再活用されています。旧日高町役場を保存し再活用されているのは素晴らしいですが、内部は扉を除き全て改修され面影が残されていないのが残念。せめて階段とか町長室とかはオリジナルの状態で保存して欲しかった。
これにて今回の近代建築探索は終了。丹波市・朝来市・豊岡市は中心部の探索は以前行いましたが、郊外はまだで、未探索だった養父市と合わせて探索したわけですが、結果、新たに確認した建物を含め結構良い近代建築を見ることが出来たのは成果でした。

ただ、養父市の高田公民館がすでに建て替えられていたのが残念でした。

ストリートビューに写るかつての高田公民館。これを見た時、是非この目で見たいと楽しみにしながら向かったのですが…。まぁストリートビューの撮影時期が2013年でしたし。
同じ丹波市内の山南町、豊岡市街地の近代建築探索レポ日記は過去の記事にあります。
(丹波市柏原町は記事未作成。探索済み。)
※丹波市山南町の近代建築探索レポ日記
※豊岡市の近代建築探索レポ日記
※豊岡市・旧中江種造別邸(現・豊岡カトリック教会)レポ日記
※朝来市和田山町〜神子畑の近代建築探索レポ日記
まずは丹波市氷上町へ。

香良公民館。丹波市氷上町香良。

典型的な下見板張りの昭和戦前の公民館建築ですね。

2棟ありそこそこ規模は大きいです。

玄関部分の額。その下には当時のものらしい玄関灯が。
綺麗に改修されて大切に使われています。いつもでも残ってほしいですね。
続いて丹波市青垣町へ。

次の目的地へ向かう途中で見かけた古い建物。丹波市青垣町西芦田。

入り口部分に赤い照明があるので、元は消防団の倉庫だったと思われますが、戦前っぽい中々の古さ。
続いて青垣町の市街地へ。

洋風商店建築。丹波市青垣町佐治。小さいですが中々の雰囲気。

酒徳酒店。丹波市青垣町市原。大正4年頃。中々の存在感のある洋風の外観の酒屋さん。

アーチ部分の屋号。
続いて朝来市和田山町の糸井へ。

旧糸井中学校。朝来市和田山町高生田。

廃校となった木造校舎が残されています。

昔懐かしい木造校舎。戦前の築と思われます。

昔は地方の郊外によく見られた木造校舎も数がだいぶ少なくなりました。

校舎の横にある付属屋。

校舎の扉の一部が外されて中が見れる状態だったので覗いてみました。現在は倉庫として使用されているようで、内部は荒れ気味でした。いつまで残ってくれるのでしょうか。
旧糸井中学校を後にしもう少し奥へ。

旧糸井郵便局。朝来市和田山町和田。

昭和初期頃でしょうか。玄関扉には今も「糸井郵便局」の文字が。

屋根の棟瓦には今も〒マーク。

1階屋根の軒下には、文化持ち送りが。実家の家にも使われているこの持ち送り。見かけると親近感湧きます。

伊勢市の近代建築探索で見かけた元郵便局建物「灯りの家」に似た建物ですね。

その旧糸井郵便局の近くにほぼ倒壊している廃墟が。

所々残されている部分を見ると、かつては大きな洋館だったようです。

窓も鎧戸だったようで、相当レベルの高い洋館だったよう。

反対側に回ると木造の大きな倉庫が残されていました。こちらは倒壊してません。

2013年のストリートビューを見ると、すでに2階部分の壁が落ちてますが、まだ形を保っています。
現在はストリートビューに写る扉のある壁が崩れ落ち、階段の手摺がむき出しになってます。

側面。2013年時点は何とか形を保っており、かつての姿を確認できます。感じからして元医院だったのでしょうか。ここ最近の大雨や大雪で倒壊してしまった感じです。かつての姿を見てみたかったですが。
次は養父市へ。

JR養父駅。養父市堀畑。明治41年。

こちらも昔懐かしい木造駅舎。

養父駅の額。

内部も当時のままに大切に使われています。いい雰囲気ですね。椅子に座っていると。何となく郷愁を感じます。
この近くに高田公民館という昭和初期頃の大型の洋館建物がストリートビューに写っており、楽しみに向かいましたが、残念ながら建て替え・・・。
続いて八鹿町方面へ。

JR八鹿駅。養父市八鹿町八鹿。昭和9年。

養父駅と違い洋風の駅舎です。

八芒星の窓がオシャレ。

郡是製糸八鹿工場本館。養父市八鹿町。昭和3年。国登録有形文化財。

角に玄関を設けた堂々かつ美しい洋館事務所。

かつてここには広大な郡是製糸の工場がありました。現在跡地はやぶ市民交流広場となってます。

郡是製糸の施設は本館、門衛所、正門が保存されています。

グンゼ株式会社八鹿工場のプレート。

本館はオリジナルの姿に改修され、交流スペースとして活用されています。

本館事務所のカウンター。

カウンター部分はアーチ型になっており、オシャレ。

奥の個室。事務所内の大部屋は打ち合わせされており撮影できず。

2階も見たかったですが、残念ながら立ち入り禁止。

門衛所も保存されているのが素晴らしいです。今は物置ですが、こちらも何か活用して欲しいですね。

外観は福知山市にある郡是製糸福知山工場の本館とよく似ています。八鹿工場の本館と同じ昭和3年の築ですし、同じ設計者もしくは郡是製糸内に設計・建築を担当する営繕課のような部署があったのかもしれません。
郡是製糸八鹿工場本館を後にし、周辺を探索。

郡是製糸八鹿工場本館の側にある和風の建物。恐らく郡是製糸八鹿工場の工員宿舎だったものと思われます。福知山工場にもかつて同じような建物がありました。

諏訪区公会堂。養父市八鹿町八鹿。こちらも昭和初期でしょうか。

仲町公会堂。養父市八鹿町八鹿。

玄関部分に戦前の建物としての意匠が残されています。しかし、入り口が分かりづらい。

対岸から見た仲町公会堂。割と大きな建物です。

仲町公会堂近くにある洋館。養父市八鹿町八鹿。

以前はクリーニング店だったらしいですが、元々の用途は不明。

屋根は増築されてますが、軒周りの蛇腹装飾は残されています。

玄関部分はペディメントの装飾。結構手が込んでおり、大正〜昭和初期の建物かもしれません。
なんとなく医院とかだったのかなと思ってますがどうでしょうか。

木村写真館。養父市八鹿町八鹿。2階から上にオリジナルの姿が残されています。

1階と2階の間のモルタルにうっすらと「木村寫眞場」の文字が残されています。
次に豊岡市日高町方面へ。

旧水出医院。養父市八鹿町伊佐。

大正〜昭和初期頃と思われる意匠に富んだレベルの高い洋館建築。

玄関の「水出医院」の文字。

素晴らしい建物ですが、空き家状態で荒れてます。何か再活用されればいいですが、狭い集落の中という立地のため、難しいでしょうね。
最後に向かったのは豊岡市日高町。

旧岩中公民館? 豊岡市日高町岩中。

旧日高町役場へ向かう最中に見かけた建物。立地や雰囲気的に元公民館の建物に思えます。

玄関に掲げられた額。恐らく「岩中公民館」の文字が書かれていたと思われますが、現在は消えてしまい判読不能。

ガラス越しに内部を撮影。だいぶ荒れており、現在は使われていないようです。

別方向から。床の間付きの立派な部屋だったようです。

旧日高町役場。豊岡市日高町日置。昭和10年。

現在は江原河畔劇場という施設として再活用されています。旧日高町役場を保存し再活用されているのは素晴らしいですが、内部は扉を除き全て改修され面影が残されていないのが残念。せめて階段とか町長室とかはオリジナルの状態で保存して欲しかった。
これにて今回の近代建築探索は終了。丹波市・朝来市・豊岡市は中心部の探索は以前行いましたが、郊外はまだで、未探索だった養父市と合わせて探索したわけですが、結果、新たに確認した建物を含め結構良い近代建築を見ることが出来たのは成果でした。

ただ、養父市の高田公民館がすでに建て替えられていたのが残念でした。

ストリートビューに写るかつての高田公民館。これを見た時、是非この目で見たいと楽しみにしながら向かったのですが…。まぁストリートビューの撮影時期が2013年でしたし。