2022年05月
2022年05月06日
舞鶴市・愛宕山防空砲台探索レポ日記
※2021年4月11日再探索分追加。加筆修正。
東舞鶴の海上自衛隊舞鶴教育隊の東に標高282m比高差270mの愛宕山があります。中世(室町期)に山頂に泉源寺城が築かれましたが、戦時中に海軍の防空砲台が築かれました。山城関連のブログに泉源寺城跡を取り上げたサイトがあり、そちらのレポを拝見すると山頂の砲台施設は中世の泉源寺城の曲輪を再利用したような感じで、砲台跡やコンクリートの構造物が見られ、どうやら愛宕山防空砲台の遺構が残されていることが分かりました。しかし、あくまで中世山城である泉源寺城跡をメインに取り上げているため、防空砲台の遺構に関してはちょろっと写真に写っている程度。そこで実際に探索し愛宕山防空砲台としてのレポを計画しました。
今回の探索で確認した愛宕山防空砲台の遺構群。同じ防空砲台である倉梯山防空砲台に比べると規模が小さく見劣りする感じではありましたが、それでも各遺構群が多数現存し、また倉梯山防空砲台と比べて防空砲台として探索した人がおらず、知られていない遺構という点でも探索する価値はあったかと思います。
麓から旧軍道と思われる道を登っていくと4合目あたりで削平地に到達します。そこは愛宕山防空砲台の発電施設エリアと思われ、冷却用の水槽・発電機室跡・燃料庫と思われるコンクリート壕が残されています。
冷却水用の水槽。
発電機室の建屋跡。恐らく木造の建屋だったのでしょう。
建屋の中には発電機の台座と思われるコンクリートの台座があり、脇には冷却水を流していたと思われる排水溝があります。
簡易的ですが、発電機室の平面図。
一番山側にある燃料庫壕。愛宕山防空砲台で唯一現存していると思われるコンクリート壕です。
燃料庫壕の内部。ほぼ同じ時期に造られた倉梯山防空砲台と同じ感じの造り。
内部から。
燃料庫壕の上にはコンクリートの構造物があります。
燃料庫壕の上部にある通気口らしきもの。
発電施設エリアを過ぎ、少し上がった場所にあるコンクリートの残骸。
上記のコンクリート残骸辺りから軍道と思われる道が九十九折れで山頂まで続いています。
山頂部の各遺構配置図。
山頂付近の軍道分かれ道。恐らく中世の泉源寺城跡の帯曲輪や城道遺構を再利用していると思われる軍道で、真っ直ぐ向かうとコンクリート壕の残骸と便所跡。右の登り道を進むと山頂に出ます。右の登り道は主郭へと至る虎口への道を再利用したものではと考えられます。
まずはまっすぐの道を進みます。
大量のコンクリートの残骸。明らかに破壊された跡です。
コンクリートの残骸の上にはアーチ状に残るコンクリートの構造物が。
これはコンクリートの壕の残骸ではないでしょうか。別のサイトでは「砲側庫の残骸と思われる」としています。
先ほどのコンクリート壕の残骸の側にあるコンクリート構造物。
便所跡で、未だに便壺が残されてました。
コンクリート壕の残骸の上部にあるコンクリートの構造物。
3つ連なる水槽状の造りのコンクリートの構造物には水を通せる穴があけられていることから、貯水槽ではと思います。下の便所や兵舎等に配水していたのでしょうか。
浄化槽の横にある煉瓦の壁。用途は不明ですが、浄化施設に付随する施設だったのでしょうか。この構造物のものと思われる煉瓦が下のコンクリート壕の残骸と一緒に散らばっていました。愛宕山防空砲台で煉瓦構造物を確認したのはここだけです。
便所跡から西側へ回り込むと穴が2ヵ所開けられた場所に出ます。用途は不明。
先ほどの機銃砲座跡を上がった山頂にあるコンクリートの残骸。ただの残骸ではなく、形が割と保たれており、この場所に何か施設があったことをうかがわせます。
山頂部分にある砲座1。引渡リストにある12cm高角砲座かと。
高角砲座跡の南側にあるコンクリートの円形台座。下部の土が流失して半分浮いた危険な状態となっています。何の台座だったかは分かりません。
砲座2。
砲座2に隣接するコンクリート構造物(2021年4月11日確認遺構)
観測所の遺構ではと思われます。
砲座3。
砲座4。
機銃座。引渡リストの13mm機銃の銃座と思われます。
山頂部から東に進み下がった場所にある遺構(2021年4月11日確認遺構)。中世の泉源寺城跡の曲輪に造られた建物のコンクリート基礎。
泉源寺城跡の曲輪をほぼ生かして建てられた建物跡で、旧軍遺構としてだけでなく、中世の山城跡でもこれくらいのスペースの曲輪なら駐屯できる建物が建てられるという一つの目安になる面白い箇所です。
さらに東に進んだ尾根上にコンクリートの柵柱が並んでいます(2021年4月11日確認遺構)。
柵柱の側に「海界2」の境界杭がありました。これで愛宕山防空砲台の東側の境界を確認できました。西側の境界ですが、谷を越えた西側の尾根上に松ヶ崎防空機銃砲座があったようで、その西端辺りになるのでしょうか。
愛宕山防空砲台の山頂部分はは中世の泉源寺城跡の縄張を完全に破壊して造られた防空砲台ではなく、泉源寺城跡の縄張を最大限利用して造られた防空砲台という所に特色があります。かつて丹後一色氏の居城だった建部山城の遺構を完全に破壊して造られた建部山堡塁とは違い、中世の泉源寺城跡と昭和の戦時中の防空砲台の2つの遺構を観察できる面白い遺構となっています。
2022年05月05日
京都市左京区(哲学の道〜北白川界隈)の近代建築探索レポ日記
2018年2月17日探索分のレポ日記です。今回は京都市左京区の哲学の道を北上し北白川界隈を探索しました。スタートは南禅寺近くから。
岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。
アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。
昭和初期と思われる洋館の住宅。
小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。
K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。
正面から。
戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。
A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。
中々可愛らしい洋館。
桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。
敷地内にある煉瓦の小屋。
旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。
藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。
設計・施工は鴻池組。
敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。
ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。
戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。
T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。
住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。
玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。
U邸。浄土寺下南田町。
小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。
O邸。浄土寺下南田町。
平屋の洒落た洋館です。
M邸。浄土寺南田町。昭和初期。
哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。
窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。
洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。
株式会社なかじま。浄土寺石橋町。
小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。
N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。
T邸。銀閣寺前町。
主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。
レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。
K邸。銀閣寺前町。
中々大きな洋館です。
旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。
昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。
背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。
玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。
元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。
横から。
玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。
旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。
京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。
K邸。北白川小倉町。
植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。
背後から。
表札不明の洋館。北白川小倉町。
C邸。北白川小倉町。
昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。
現在は外国人の方のお住まいのようです。
K邸。北白川別当町。
京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。
O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。
T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。
表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。
K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。
S邸。北白川東小倉町。
昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。
H邸。北白川東小倉町。
庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。
K邸。北白川別当町。
角の入り口は後から作られた物ですかね。
K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。
S邸。北白川小倉町。
小さな洋館が付属していますね。
A邸。北白川小倉町。
白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。
旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。
藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。
旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。
ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。
銀月アパート。北白川伊織町。
昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。
外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。
ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。
玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。
百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。
1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・
これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。
旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。
藤井厚二設計の住宅建築。
2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。
旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。
O邸。岡崎天王町。
下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。
背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。
2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。
以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。
岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。
アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。
昭和初期と思われる洋館の住宅。
小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。
K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。
正面から。
戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。
A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。
中々可愛らしい洋館。
桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。
敷地内にある煉瓦の小屋。
旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。
藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。
設計・施工は鴻池組。
敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。
ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。
戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。
T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。
住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。
玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。
U邸。浄土寺下南田町。
小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。
O邸。浄土寺下南田町。
平屋の洒落た洋館です。
M邸。浄土寺南田町。昭和初期。
哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。
窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。
洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。
株式会社なかじま。浄土寺石橋町。
小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。
N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。
T邸。銀閣寺前町。
主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。
レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。
K邸。銀閣寺前町。
中々大きな洋館です。
旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。
昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。
背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。
玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。
元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。
横から。
玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。
旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。
京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。
K邸。北白川小倉町。
植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。
背後から。
表札不明の洋館。北白川小倉町。
C邸。北白川小倉町。
昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。
現在は外国人の方のお住まいのようです。
K邸。北白川別当町。
京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。
O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。
T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。
表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。
K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。
S邸。北白川東小倉町。
昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。
H邸。北白川東小倉町。
庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。
K邸。北白川別当町。
角の入り口は後から作られた物ですかね。
K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。
S邸。北白川小倉町。
小さな洋館が付属していますね。
A邸。北白川小倉町。
白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。
旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。
藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。
旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。
ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。
銀月アパート。北白川伊織町。
昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。
外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。
ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。
玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。
百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。
1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・
これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。
旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。
藤井厚二設計の住宅建築。
2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。
旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。
O邸。岡崎天王町。
下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。
背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。
2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。
以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。
2022年05月03日
京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
※2021年11月3日分探索の京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記と探索エリアが一部重複しており、同じ建物を取り上げている部分があります。
2018年5月12日に行った近代建築探索のレポ日記で、今回は二条城〜四条〜御所南界隈を中心に一部四条エリアの探索となります。
まず、二条駅からスタート。
K邸。西ノ京職司町。
1階部分が塞がれてますが、元は商店だったんでしょうか。
N邸。西ノ京北聖町。よく見かける洋館付き住宅。
でも、こういう戦前の洋館付き住宅ってちょっと憧れます。
南方面へ。
中西医院。今新在家西町。大正〜昭和初期。
小さいながらも中々いい感じの洋館。
街中の細い道に面して建つ白亜の洋館。当時はランドマークだったのでしょう。
東方面へ。
K邸。宗林町。大正〜昭和初期。
現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。
ふくさの一商。六角町。大正〜昭和初期。
呉服関係の建物のようです。
中々モダンです。
宮内歯科医院。小結棚町。大正〜昭和初期。スクラッチタイルの外壁の洋風の個人医院、京都市内では割と見かけます。
膳處漢ぽっちり。天神山町。昭和10年。以前は呉服商だった記憶。
今は中華料理店となってます。中々のお値段なので入る機会が・・・
旧明倫小学校。山伏山町。昭和6年。京都市内に残る昭和戦前期の小学校建築の中でもひときわ豪華な小学校。特に講堂は必見ですが、イベント事とかでないと見れないのが残念。現在は京都芸術センター。
旧明倫幼稚園。山伏山町。昭和6年。旧明倫小学校の向かいにある建物。建築時期が同じでデザインも似通っているので、同じ設計者かと。
岩瀬歯科医院。東屋町。昭和初期。1階の階段か気になります。
辻医院。車屋町。昭和初期。四条通から東洞院通を北に上がった場所にある洋館。昔から目立つ建物。隣に岩瀬歯科医院の建物があります。
背面。かつてはいくつものテナントが入る雑居ビルみたいな感じだったのでしょうか。デザイン的にも優れた建物なので、残り続けて欲しいです。
S邸。場所失念。洋館付き住宅の大きな建物。周囲にいつくかヒントとなる店や薬局写ってますが、検索しても該当のものが出てこず・・・
T邸。丸屋町。昭和初期。※現存せず。2棟並ぶ洋館。
元々集合住宅として建てられた感じです。
村上開進堂。常盤木町。昭和初期。京都でも有名な老舗の洋菓子店。
京都アンティークセンター。常盤木町。昭和初期。
旧森田牛乳店。指物町。大正14年。割と知られている建物。
白亜のモダンな洋風ビル。壁にあの仁丹の町名標があるのが良いですね。
ニュー大文字。大文字町。昭和初期。
現在はお好み焼き屋さんのようですが、2階の凝った装飾を見ると、かつてはどんなお店だったんでしょうか。
小林裕史写場。行願寺門前町。昭和初期。
中々立派な建物。戦前の写真館はこれだけの建物が建てられるくらい需要があったんですね。
M邸。松本町。昭和初期。
すっきりとした外観の洋館住宅。
タツミ写真館。魚屋町。昭和初期。
先ほどの小林裕史写場もですが、戦前の写真館はどこも立派な建物ですね。今と違い当時はかなり需要があり、地域の主要な施設でもあったのでしょう。
N邸。笹屋町。昭和初期。
2階建てのアーチ窓の中々洒落た洋館。2018年当時は左側に町家がありました。
大久保司法書士事務所。笹屋町。昭和初期。
かつては企業の事務所だったのでしょうか。大きな洋館です。
寿山荘。大炊町。明治29年。
実業家、中江種造の邸宅だった屋敷。敷地内に煉瓦造の洋館があり、隣から少しだけ見れます。
京都ハリストス正教会。明治36年。京都府庁旧本館を設計した松室重光の設計。2021年に重要文化財となりました。
A岡邸。俵屋町。昭和初期。奥まった場所にある洋館。
K邸。天守町。昭和初期。
あめりか屋設計の立派な洋館住宅。
ステンドグラスの窓もあります。
杉島法律特許事務所。壺屋町。昭和初期。大きな洋館付きの住宅。かつては結構な方のお屋敷だったのでしょう。
H邸。左京町。昭和初期。近代建築界隈では有名な建物。
元医院だった気がする立派な洋館。京都市内でも有数の近代建築だけにいつまでも残ってほしいです。
入口の扉も当時の物でしょうか。立派な造りです。
U邸。少将井御旅町。昭和初期。
堂々たる洋館を付属するお屋敷。応接室だったんでしょうね。
二条薬業会館。玉屋町。昭和11年。
こちらも近代建築界隈では知られた建物ですね。
御料理伽。松竹町。昭和初期。
現在は料理店となってますが、以前は何の建物だったのでしょう。商店かな。
嘉祥閣。西方寺町。昭和初期。嘉祥閣は能楽堂のようです。伝統芸能の能楽堂に洋館は面白い取り合わせですね。
高木理容室。東竹屋町。昭和初期。見た瞬間「おおっ!」と思ったレトロ感満載の散髪屋さん。
1階部分の洋風造に2階の和風造の取り合わせもそそられますが、ちゃんと現役なこと、看板も建物に合わせたレトロ感なのが最高。いつまでも続けて欲しいです。
これにて中京区の二条城〜四条、京都御苑南界隈の近代建築探索は終了。中京区は広いのでまだ未探索、未チェックの物件があるので、その辺りも網羅したいところです。
2018年5月12日に行った近代建築探索のレポ日記で、今回は二条城〜四条〜御所南界隈を中心に一部四条エリアの探索となります。
まず、二条駅からスタート。
K邸。西ノ京職司町。
1階部分が塞がれてますが、元は商店だったんでしょうか。
N邸。西ノ京北聖町。よく見かける洋館付き住宅。
でも、こういう戦前の洋館付き住宅ってちょっと憧れます。
南方面へ。
中西医院。今新在家西町。大正〜昭和初期。
小さいながらも中々いい感じの洋館。
街中の細い道に面して建つ白亜の洋館。当時はランドマークだったのでしょう。
東方面へ。
K邸。宗林町。大正〜昭和初期。
現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。
ふくさの一商。六角町。大正〜昭和初期。
呉服関係の建物のようです。
中々モダンです。
宮内歯科医院。小結棚町。大正〜昭和初期。スクラッチタイルの外壁の洋風の個人医院、京都市内では割と見かけます。
膳處漢ぽっちり。天神山町。昭和10年。以前は呉服商だった記憶。
今は中華料理店となってます。中々のお値段なので入る機会が・・・
旧明倫小学校。山伏山町。昭和6年。京都市内に残る昭和戦前期の小学校建築の中でもひときわ豪華な小学校。特に講堂は必見ですが、イベント事とかでないと見れないのが残念。現在は京都芸術センター。
旧明倫幼稚園。山伏山町。昭和6年。旧明倫小学校の向かいにある建物。建築時期が同じでデザインも似通っているので、同じ設計者かと。
岩瀬歯科医院。東屋町。昭和初期。1階の階段か気になります。
辻医院。車屋町。昭和初期。四条通から東洞院通を北に上がった場所にある洋館。昔から目立つ建物。隣に岩瀬歯科医院の建物があります。
背面。かつてはいくつものテナントが入る雑居ビルみたいな感じだったのでしょうか。デザイン的にも優れた建物なので、残り続けて欲しいです。
S邸。場所失念。洋館付き住宅の大きな建物。周囲にいつくかヒントとなる店や薬局写ってますが、検索しても該当のものが出てこず・・・
T邸。丸屋町。昭和初期。※現存せず。2棟並ぶ洋館。
元々集合住宅として建てられた感じです。
村上開進堂。常盤木町。昭和初期。京都でも有名な老舗の洋菓子店。
京都アンティークセンター。常盤木町。昭和初期。
旧森田牛乳店。指物町。大正14年。割と知られている建物。
白亜のモダンな洋風ビル。壁にあの仁丹の町名標があるのが良いですね。
ニュー大文字。大文字町。昭和初期。
現在はお好み焼き屋さんのようですが、2階の凝った装飾を見ると、かつてはどんなお店だったんでしょうか。
小林裕史写場。行願寺門前町。昭和初期。
中々立派な建物。戦前の写真館はこれだけの建物が建てられるくらい需要があったんですね。
M邸。松本町。昭和初期。
すっきりとした外観の洋館住宅。
タツミ写真館。魚屋町。昭和初期。
先ほどの小林裕史写場もですが、戦前の写真館はどこも立派な建物ですね。今と違い当時はかなり需要があり、地域の主要な施設でもあったのでしょう。
N邸。笹屋町。昭和初期。
2階建てのアーチ窓の中々洒落た洋館。2018年当時は左側に町家がありました。
大久保司法書士事務所。笹屋町。昭和初期。
かつては企業の事務所だったのでしょうか。大きな洋館です。
寿山荘。大炊町。明治29年。
実業家、中江種造の邸宅だった屋敷。敷地内に煉瓦造の洋館があり、隣から少しだけ見れます。
京都ハリストス正教会。明治36年。京都府庁旧本館を設計した松室重光の設計。2021年に重要文化財となりました。
A岡邸。俵屋町。昭和初期。奥まった場所にある洋館。
K邸。天守町。昭和初期。
あめりか屋設計の立派な洋館住宅。
ステンドグラスの窓もあります。
杉島法律特許事務所。壺屋町。昭和初期。大きな洋館付きの住宅。かつては結構な方のお屋敷だったのでしょう。
H邸。左京町。昭和初期。近代建築界隈では有名な建物。
元医院だった気がする立派な洋館。京都市内でも有数の近代建築だけにいつまでも残ってほしいです。
入口の扉も当時の物でしょうか。立派な造りです。
U邸。少将井御旅町。昭和初期。
堂々たる洋館を付属するお屋敷。応接室だったんでしょうね。
二条薬業会館。玉屋町。昭和11年。
こちらも近代建築界隈では知られた建物ですね。
御料理伽。松竹町。昭和初期。
現在は料理店となってますが、以前は何の建物だったのでしょう。商店かな。
嘉祥閣。西方寺町。昭和初期。嘉祥閣は能楽堂のようです。伝統芸能の能楽堂に洋館は面白い取り合わせですね。
高木理容室。東竹屋町。昭和初期。見た瞬間「おおっ!」と思ったレトロ感満載の散髪屋さん。
1階部分の洋風造に2階の和風造の取り合わせもそそられますが、ちゃんと現役なこと、看板も建物に合わせたレトロ感なのが最高。いつまでも続けて欲しいです。
これにて中京区の二条城〜四条、京都御苑南界隈の近代建築探索は終了。中京区は広いのでまだ未探索、未チェックの物件があるので、その辺りも網羅したいところです。
京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記
※今回の探索レポ日記は2018年5月12日に探索した「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」と探索エリアが重複しており、一部同じ建物を紹介しています。
古写真・古絵葉書ブログの待賢尋常小学校校舎改築記念の古絵葉書の記事を書くため、旧待賢小学校の写真撮影と先月行われた旧新道小学校お別れ一般公開後の様子を見に、2021年11月3日に二条駅界隈から旧待賢小学校〜旧新道小学校までのルートで探索してきました。
まずは二条駅周辺の界隈。
O邸。聚楽廻東町。
中々立派な洋館付き住宅です。
日本聖公会京都聖三一教会。聚楽廻中町。昭和5年。どことなく和風の教会です。
S邸。聚楽廻西町。
前面に洋館を備えた住宅。窓の上に小さな装飾があります。
ここで引き返し東へ。
N邸。主税町。
擬石造の洋館が前面に建ちます。2階の出窓は後付けでしょうか。
龍宮温泉。主税町。レトロな温泉。戦前かもしれません。
N邸。主税町。
やや改造されていますが、戦前の住宅建築と思われます。門や塀も当時の物っぽい感じ。
横井米穀店。主税町。古い商店建築。
ここで少し戻り南へ。
旧京都市児童院。主税町 昭和6年。
現在は京都市児童福祉センターの建物の1つとして使用されています。昭和初期らしい中々オシャレな建物です。
N邸。主税町。大きな日本建築の角に小さな洋館が付属しています。角に造ったことで一つのアクセントになってますね。別のサイトで紹介された写真には窓に猫ちゃんがいて可愛い写真になってました。
さらに東へ。
タイル張りの洋風商店。主税町。恐らく昭和初期の建物かなと。
日暮荘。主税町。昭和初期頃の洋館付き住宅を宿泊施設としてリノベートした建物。
サイトを見たら当時の雰囲気が良く残されているようです。まぁまぁ手頃なのでいつかは泊ってみたいかなと。
S邸。主税町。こちらも良い感じの洋館付き住宅。
このまま丸太町通を進みます。
旧待賢小学校。藁屋町。昭和13年。今回の目的の1つ。
当時としてはモダンな校舎だったことでしょう。現在はコミュニティーセンター等に利用されているようです。
ここから一気に烏丸通方面へ。なお、今回と探索エリアが被る形の「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」の記事を作成しますので、そちらも合わせてご覧ください。
洋風の倉。冷泉町。コンクリートブロックでしょうか。
中嶋医院。御池之町。
洋館付き住宅の医院ですが、洋館部分が診察室だったのでしょうか。
M邸。下妙覚寺町。見づらいですが奥に洋館があります。
洋風の商店。塗師屋町。
戦後建築かもしれませんが、気になったので撮影。
このまま北方向へ。
ヒカリ美容室。仁王門突抜町。
中々立派な洋館建築。現在は廃業でしょうか。
吉田商店。仁王門町。レトロな洋風商店。
玄関脇にある看板が中々味があって良いです。
杉島法律特許事務所。壺屋町。戦前の洋館付き住宅を再利用したものでしょうか。
H邸。三本木町。
丸窓もあり昭和初期の住宅と思われます。
玄関部分にはステンドグラスの窓も。
玄関上部のステンドグラス。
玄関横のステンドグラス。ステンドグラスのある家って憧れますね。
東方面へ。
N邸。笹屋町。中々立派な洋館。
実は4年前の探索では洋館の左側に日本建築がありました。洋館だけ残された感じです。
大久保司法書士事務所。笹屋町。大き目の洋館。何かの企業の事務所だったのでしょうか。
ここから東へ。
N邸。梅ノ木町。スクラッチタイル張りの洒落た洋館。
ここから一気に三条通方面へ。
梅園三条寺町店。天性寺前町。三条寺町角の喫茶店。以前は洋食屋さんで何度か行ったことあります。今の店になってからは敷居が高くてなかなか入りづらいw
F邸。松ヶ枝町。
元喫茶店でしょうか。新しくも見えますが、京都市近代化遺産調査報告書掲載の建物。
五条通まで下り、旧新道小学校方面へ。
武藤医院。博多町。新しく見えますが、よく見ると玄関周りや壁面の装飾など戦前らしさが垣間見られます。
気になる建物なので撮影。
N邸。博多町。背後に大きな洋風倉庫が建っています。
旧新道小学校はこの時はまだ健在でした。
旧宮川町歌舞練場の方は完全に覆われていました。
古写真・古絵葉書ブログの待賢尋常小学校校舎改築記念の古絵葉書の記事を書くため、旧待賢小学校の写真撮影と先月行われた旧新道小学校お別れ一般公開後の様子を見に、2021年11月3日に二条駅界隈から旧待賢小学校〜旧新道小学校までのルートで探索してきました。
まずは二条駅周辺の界隈。
O邸。聚楽廻東町。
中々立派な洋館付き住宅です。
日本聖公会京都聖三一教会。聚楽廻中町。昭和5年。どことなく和風の教会です。
S邸。聚楽廻西町。
前面に洋館を備えた住宅。窓の上に小さな装飾があります。
ここで引き返し東へ。
N邸。主税町。
擬石造の洋館が前面に建ちます。2階の出窓は後付けでしょうか。
龍宮温泉。主税町。レトロな温泉。戦前かもしれません。
N邸。主税町。
やや改造されていますが、戦前の住宅建築と思われます。門や塀も当時の物っぽい感じ。
横井米穀店。主税町。古い商店建築。
ここで少し戻り南へ。
旧京都市児童院。主税町 昭和6年。
現在は京都市児童福祉センターの建物の1つとして使用されています。昭和初期らしい中々オシャレな建物です。
N邸。主税町。大きな日本建築の角に小さな洋館が付属しています。角に造ったことで一つのアクセントになってますね。別のサイトで紹介された写真には窓に猫ちゃんがいて可愛い写真になってました。
さらに東へ。
タイル張りの洋風商店。主税町。恐らく昭和初期の建物かなと。
日暮荘。主税町。昭和初期頃の洋館付き住宅を宿泊施設としてリノベートした建物。
サイトを見たら当時の雰囲気が良く残されているようです。まぁまぁ手頃なのでいつかは泊ってみたいかなと。
S邸。主税町。こちらも良い感じの洋館付き住宅。
このまま丸太町通を進みます。
旧待賢小学校。藁屋町。昭和13年。今回の目的の1つ。
当時としてはモダンな校舎だったことでしょう。現在はコミュニティーセンター等に利用されているようです。
ここから一気に烏丸通方面へ。なお、今回と探索エリアが被る形の「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」の記事を作成しますので、そちらも合わせてご覧ください。
洋風の倉。冷泉町。コンクリートブロックでしょうか。
中嶋医院。御池之町。
洋館付き住宅の医院ですが、洋館部分が診察室だったのでしょうか。
M邸。下妙覚寺町。見づらいですが奥に洋館があります。
洋風の商店。塗師屋町。
戦後建築かもしれませんが、気になったので撮影。
このまま北方向へ。
ヒカリ美容室。仁王門突抜町。
中々立派な洋館建築。現在は廃業でしょうか。
吉田商店。仁王門町。レトロな洋風商店。
玄関脇にある看板が中々味があって良いです。
杉島法律特許事務所。壺屋町。戦前の洋館付き住宅を再利用したものでしょうか。
H邸。三本木町。
丸窓もあり昭和初期の住宅と思われます。
玄関部分にはステンドグラスの窓も。
玄関上部のステンドグラス。
玄関横のステンドグラス。ステンドグラスのある家って憧れますね。
東方面へ。
N邸。笹屋町。中々立派な洋館。
実は4年前の探索では洋館の左側に日本建築がありました。洋館だけ残された感じです。
大久保司法書士事務所。笹屋町。大き目の洋館。何かの企業の事務所だったのでしょうか。
ここから東へ。
N邸。梅ノ木町。スクラッチタイル張りの洒落た洋館。
ここから一気に三条通方面へ。
梅園三条寺町店。天性寺前町。三条寺町角の喫茶店。以前は洋食屋さんで何度か行ったことあります。今の店になってからは敷居が高くてなかなか入りづらいw
F邸。松ヶ枝町。
元喫茶店でしょうか。新しくも見えますが、京都市近代化遺産調査報告書掲載の建物。
五条通まで下り、旧新道小学校方面へ。
武藤医院。博多町。新しく見えますが、よく見ると玄関周りや壁面の装飾など戦前らしさが垣間見られます。
気になる建物なので撮影。
N邸。博多町。背後に大きな洋風倉庫が建っています。
旧新道小学校はこの時はまだ健在でした。
旧宮川町歌舞練場の方は完全に覆われていました。