2022年07月

2022年07月30日

第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構探索レポ日記

2022年6月24日、フォロワーさんと舞鶴市の旧軍遺構探索ツアーで、海上自衛隊舞鶴造修補給所に残る旧軍遺構を見学してきました。この場所、昭和20年の終戦の段階で第三十一海軍航空廠の敷地だったそうです。
第三十一海軍航空廠といえば、宮津市栗田半島にある現・関西電力エネルギー研究所と栗田漁港の敷地にあった水上機製造専用の工廠だったことは知られており、私も何度か探索を行いましたが、舞鶴市の東舞鶴軍港内にもあったのは知りませんでした。
※過去に探索した第三十一海軍航空廠関連の記事。
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠官舎・工員宿舎遺構配置図








宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

海上自衛隊舞鶴造修補給所の敷地がかつて第三十一海軍航空廠だったと知ったのは、舞鶴市の公式HPである「舞鶴鎮守府エリア 1945年 舞鶴鎮守府家屋営造物配置図」を見たのがきっかけでした。
以下、このサイトに表記されている情報を元に記事を書いていきます。各遺構の名称は、第三十一海軍航空廠時代の名称で表記します。

第三十一海軍航空廠浜地区工場遺構配置図









※第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構配置図。
この舞鶴造修補給所の敷地となっている第三十一海軍航空廠についてですが、現在、確たる資料が見つけられず、この施設が当時どのように呼ばれていたかも不明です。とりあえず現段階では「第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)」としておきます。

海上自衛隊の隊員さんの案内で敷地内へ。

1.起重機(5トンクレーン)1







ゝ重機。船からの荷物を上げたり降ろしたりする5tクレーンです。白線で旋回範囲を書いてある通り、現役のクレーンです。赤れんがパークからも見えるクレーンです。
P1020696










こちらは現役ではありませんが、呉市のアレイからすこじまにある起重機のクレーンと同じですね。
2.起重機台







起重機台の部分。
3.起重機銘板







操縦室には「製造 昭和16年」の文字が。海軍時代から現役の古参。
ただし、クレーンのアーム部分は見る限り戦後に交換したように見えます。
ちなみに宮津市栗田の第三十一海軍航空廠の開設は昭和18年。この起重機はそれより2年古いため、元々は海軍の別の施設で、昭和18年以後に第三十一海軍航空廠の敷地となったと思われます。

6.啓正式格納庫1







啓正式格納庫。木造の大きな建物です。
7.啓正式格納庫2







啓正式格納庫とは移動式の格納庫のことらしいですが、この建物、移動できるんでしょうか。
8.啓正式格納庫3







内部は当時の鉄骨が残されています。格納庫時代の姿を留める貴重な建物です。
P1330504










対岸の赤れんがパークから見た啓正式格納庫。

4.汽缶場







2消談蟒ね工場(左奥)とさゴ名譟2消談蟒ね工場の写真を撮り忘れていた失態。
5.汽缶場洗面台







汽缶場の洗面台。コンクリート製の長いもの。汽缶場という施設という事で、煤とか色んなものが顔や服に付着したのを洗ったのでしょう。
9洗濯場










こちらは宮津市の栗田半島にある第三十一海軍航空廠工員宿舎街跡に残る洗濯場の洗い場。似たような感じですね。あと、舞鶴市の朝来地区にある第三海軍火薬廠跡にもコンクリート製の洗面台が残されています。

9.事務所か







セ務所としていますが、上記の舞鶴市のHP掲載の配置図では位置が違います。しかし、建物の造り、基礎の煉瓦など明らかに戦前の物。とりあえず事務所の建物と仮定しておきます。
10.事務所か







反対側より。

11.自動車庫







自動車庫。改造されてますが、面影は残されています。

P1050373










舞鶴造修補給所の遺構は赤れんがパークから起重機と啓正式格納庫を見ることができるため、以前からその存在は知ってましたが、他にもいくつか遺構が残されていること、また終戦時には第三十一海軍航空廠の敷地だったことは初めて知る成果となりました。

IMG_4768










ちなみに背後の東山には木造2階建ての司令部建物を丸ごと収めた、巨大な地下壕が残されています。
舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年07月03日

舞鶴平海兵団(現・舞鶴教育隊)遺構見学レポ日記

1.舞鶴教育隊







2022年6月24日に舞鶴市にある舞鶴教育隊を見学してきました。
0.平海兵団001








舞鶴教育隊は元々、旧海軍の平海兵団の敷地でした。舞鶴海兵団は舞鶴鎮守府開庁とともに設立。しかし、大正12年のワシントン海軍軍縮会議により舞鶴鎮守府は要港部へと格下げ。舞鶴海兵団は廃止され、旧舞鶴海兵団の敷地は海軍機関学校の敷地として使用されました。
昭和14年の鎮守府再昇格により海兵団も復活。しかし敷地は海軍機関学校となっていたため、東舞鶴の平地区に昭和15年に新たに設置されました。
舞鶴教育隊戦後001








戦後、平海兵団の敷地はそのまま海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地となり、現在に至ります。
舞鶴教育隊の敷地内には庁舎を始め平海兵団時代の建物が数多く残っていたのは知っていたのですが、施設の性質上、中々見学できる機会がありませんでした。今回、フォロワーさんのご尽力と海上自衛隊の隊員さんの協力により見学する機会を得ることが出来ました。ありがとうございました。
平海兵団歩哨舎跡







2枚目の古絵葉書の端に写ってますが、かつて正門の前には歩哨舎がありました。今でも基礎が残ります。正門も当時の物がそのまま使われています。

舞鶴教育隊(旧平海兵団)遺構配置図









平海兵団遺構配置図。この位置図に沿って紹介していきます。
2.庁舎1







(審な蔀痛槁庁舎。昭和10年代らしいモダニズムデザインの建物。筑波海軍航空基地の本部庁舎に似た感じですね。
3.庁舎2







正面に車寄せを設けた威厳ある造り。
4.庁舎国旗掲揚台













正面上部には国旗掲揚台が残されています。軍艦の艦橋を模した感じに見えます。
5.庁舎内部







玄関内部。階段も当時のまま。

6.自動車庫







⊆動車庫。鉄骨造りの建物です。
7.自動車庫2







現在も車庫として使用されていますが、平海兵団当時の車両より大型化しているため、収まり切れません。
8.自動車庫







内部の様子。
自動車庫背面







背面。

9.水上機格納庫







水上機格納庫。2棟残されています。
水上機格納庫







旧軍の航空機の格納庫自体、多くが失われている中、ここはちゃんと残されているのが貴重。

10.桟橋







せ袈供コンクリートの部分とかに当時の意匠が見えます。

11.覆土式弾薬庫1







ナづ攫芦侈庫。
12.覆土式弾薬庫迷彩







戦後にコンクリート壁が塗り直されましたが、塗装の剥がれた部分に当時の迷彩を確認することが出来ました。

13.弾薬庫1







γ凸庫。やや小高い場所にあります。
14.弾薬庫2







入り口部分。現在は使われていないようです。

15.ボイラー実習室1







平屋のコンクリート建物。開口部を大きく取った特異な建物。
16.ボイラー実習室2







かつて背面部には煙突があったようです。そのため、軍艦の機関のボイラーの実習等を行う施設だったのではと推測。現在はダメコン用の木材を保管する建物として使用。

17.機関講堂1







木造建物。教育隊では機関講堂と呼んでるようですが、当初の用途は不明。しかし規模の大きさからやはり講堂か実習棟だったのでしょうか。
18.機関講堂2







側面から。
19.機関講堂3







反対側から。現在は使用されておらず、内部もかなり痛みが激しく、今年中に取り壊される予定とのこと。

20.烹炊場







木造建物。教育隊では烹炊場と呼ばれ、炊事の演習場だったようです。当初の用途は不明。この建物も今年中に取り壊しとのこと。

21.便所1







便所。
22.便所2







平海兵団当時から便所だった建物で、建物の前半分は現代用に改修されてますが、後半分は当時のままとのこと。
23.便所3







手前の防火水槽も当時の物。
24.便所4







背面から。この建物も今年中に取り壊されるようです。
ちなみに便所の奥に写る白い建物も当時の木造建物で、こちらは今後も使用されるとか。

25.木造建物







木造建物。長大な建物。
26.木造建物2







こちらは今でも使われています。

28.風呂場2







風呂場。正面に屋根付き廊下が付属します。支えの柱は旧陸軍の建物でも時々見る形ですね。
27.風呂場1







背面から。

29.演武場1







演武場。鉄骨造の大きな建物。現在も演武場として使用されています。
30.演武場2







内部を見せてもらいました。鉄骨の小屋組みが凄い。

舞鶴海兵団兵舎










兵舎。現在は建て替えられて現存していませんが、かつては現隊舎の場所に平海兵団時代の兵舎があり、近年まで隊舎として使用されていました。写真は10年ほど前に軍港クルーズ船から撮影したかつての兵舎。

31.戦艦長門主砲弾













舞鶴教育隊の敷地には旧海軍時代のゆかりのものがいくつか置かれています。これは戦艦長門の主砲弾。
32.川内主錨







庁舎の脇には軽巡洋艦・川内の主錨が置かれています。
33.川内主錨







解説板。昭和17年に舞鶴海軍工廠で改装時に外されたもので、昭和52年にここに置かれたようです。
それまではどこにあったんだろう。

今回はフォロワーさん・海上自衛隊の隊員さんのご尽力により、普段は見れない舞鶴教育隊の敷地に残る平海兵団時代の遺構を見ることが出来ました。ありがとうございました。



besan2005 at 11:06|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構
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