2022年11月
2022年11月20日
旧愛宕駅・愛宕山ホテル跡探索レポ日記
火伏の神様で知られる愛宕神社の総本宮、愛宕神社のある愛宕山には、戦前までケーブルカーやホテル、遊園地がありました。

※所有の吉田初三郎作「愛宕嵐山鳥瞰図」昭和5年に描かれている愛宕鋼索鉄道。
昭和5年、愛宕神社の参詣者を目的とした鉄道として開業。現在の阪急嵐山駅から麓の清滝駅までの平坦線、清滝から愛宕山八合目にある愛宕駅までの鋼索線の2つの路線から構成されていました。

※所有の愛宕駅の絵葉書。昭和10年前後。

※所有の昭和4年刊「日本地理大系 近畿編」より、愛宕鋼索鉄道の図版。
愛宕山鉄道の開業と共に、昭和4年に愛宕山遊園地と愛宕山スキー場が、昭和5年には愛宕山ホテルが開業しました。しかし、戦時中の昭和19年に不要不急線に指定され愛宕山鉄道は廃業。ホテルや遊園地、スキー場も閉鎖されました。戦後、再開の計画もありましたが、結局復活することはなく現在に至ります。
現在、愛宕鋼索鉄道の路線跡や愛宕駅の建物、愛宕山ホテルと愛宕山遊園地の遺構が廃墟状態で残されています。実はこの記事を書いている2022年から15年前の2007年に一度探索をし当ブログの記事にもしています。※旧愛宕鉄道関連遺構探索 しかし、当時撮影した写真のいくつかが失われていること、ブログの写真も消えてしまっていることから、15年ぶりに改めて詳細な写真撮影を目的とした探索に赴きました。

朝7時に清滝に到着。15年ぶりの愛宕山登山です。

※所有の吉田初三郎作「愛宕嵐山鳥瞰図」昭和5年に描かれている愛宕鋼索鉄道。
昭和5年、愛宕神社の参詣者を目的とした鉄道として開業。現在の阪急嵐山駅から麓の清滝駅までの平坦線、清滝から愛宕山八合目にある愛宕駅までの鋼索線の2つの路線から構成されていました。

※所有の愛宕駅の絵葉書。昭和10年前後。

※所有の昭和4年刊「日本地理大系 近畿編」より、愛宕鋼索鉄道の図版。
愛宕山鉄道の開業と共に、昭和4年に愛宕山遊園地と愛宕山スキー場が、昭和5年には愛宕山ホテルが開業しました。しかし、戦時中の昭和19年に不要不急線に指定され愛宕山鉄道は廃業。ホテルや遊園地、スキー場も閉鎖されました。戦後、再開の計画もありましたが、結局復活することはなく現在に至ります。
現在、愛宕鋼索鉄道の路線跡や愛宕駅の建物、愛宕山ホテルと愛宕山遊園地の遺構が廃墟状態で残されています。実はこの記事を書いている2022年から15年前の2007年に一度探索をし当ブログの記事にもしています。※旧愛宕鉄道関連遺構探索 しかし、当時撮影した写真のいくつかが失われていること、ブログの写真も消えてしまっていることから、15年ぶりに改めて詳細な写真撮影を目的とした探索に赴きました。

朝7時に清滝に到着。15年ぶりの愛宕山登山です。

八合目付近の水尾分かれを少し上った場所から脇に伸びる道を進めば旧愛宕駅に着きます。
脇道を入ってすぐに表れるコンクリートの遺構。

かつて「水口屋旅館」だった建物の遺構です。

1階は木造で、半地下部分がコンクリートになっています。
かつては参詣客の宿泊で賑わっていたようです。

約1時間で8合目の旧愛宕駅に到着。15年経って体力的にちょっと不安がありましたが、15年前と同じペースで登ってこられました。

15年ぶりの旧愛宕駅。

15年前の2007年に撮影した旧愛宕駅。15年経ってやはり老朽化が進んでいるようです。

初夏に訪れた15年前と比べ、秋に訪問した今回は落葉で駅舎が見やすくなってますが、木もいくつか伐採されているようです。あと、以前は無かった説明板がありました(2015年設置)。

横から。

斜面側から。

斜面側のベランダ下。

ホーム側から。

1階内部。1階は待合室や売店があったようです。

反対側から。

内部は15年前とそんなに変わらないような気がしましたが、床のいくつかに穴が開いてて、地階の機械室が見えた状態になっており怖かったです。

15年前は注目してなかったけど、1階壁の腰回りのタイルが褐色釉をかけた布目タイルで、もしかしたら泰山タイルかも!?と思いましたが、詳細は不明。また調べたいと思います。

階段から2階へ。

階段踊り場から。

15年前の2007年撮影の同じアングル。窓の鉄枠が失われています。

2階から階段を望む。

2階部分。2階には愛宕食堂という食堂があったようです。
2階も老朽化が進み、コンクリートは溶解しかかっており、鍾乳石みたいに垂れている箇所がいくつもあります。

2階窓から。ここは鉄枠がまだ残ってました。

かつては外を眺めながら食事していたんでしょうね。ベランダはちょっと怖くて行けませんでした。

外に出て地下の機械室へ。ここにはかつてケーブルカーのケーブル巻上機がありました。

風雨にさらされる1階・2階と違い、地下の機械室の状態は割と良かったです。

旧愛宕駅は確実に崩壊が進んでいます。ホーム側の柱はコンクリートが崩壊し鉄筋のみで支えている状態に。駅舎が完全に崩壊することはすぐには起きないと思いますが、柱の倒壊や床の崩壊は10年持たずに起きるかもしれません。現在は立ち入り禁止にはなっていないので自由に見学できますが、いずれは立ち入り禁止になるかもしれません。現状でも割と危険かと思います。
次に、旧愛宕駅の向かいから登ったところにある愛宕山ホテル跡へ。

旧愛宕山ホテルの愛宕駅側の玄関部分。かつては自動ドアがあったようです。

玄関ホールのタイル張りの床。

15年前の2007年の時はもっと床のタイルがはっきりと見えてました。
どうやら数年前の台風とかで荒れてしまったようです。

斜面を降り、麓側のホテル壁面。石積風の外壁は15年前と変わらぬ姿でした。

1階部分に上がってきました。

愛宕神社参詣道側の玄関。ここからロビーに通じていました。

奥にある石積みのオブジェ。花を生けた花瓶とか置かれていたのでしょうか。

ロビー内部。愛宕山ホテルは洋室15室、和室1室の小さなホテルでしたが、食堂や浴室も完備し、ホテルからの眺望も良く、宿泊客には好評だったようです。

ロビーにあるアーチ部分。先ほどの参詣道側から入った目の前にあり、この横に別の出入り口もあることから、フロントだったと思われます。

ロビー内部にはタイルが貼られています。施釉された横長のスクラッチタイルで、スクラッチタイル自体は昭和初期に流行ったものですが、ほとんどは素焼きなため、施釉のスクラッチタイルは余りありません。泰山タイルでは施釉のスクラッチタイルを製造していたようですが・・・・

従業員用と思われる出入り口。

ロビー奥の一画。

1ヵ所個室がありました。麓側に面していて、大きな窓付きです。何の部屋だったんでしょうか。

窓から見る景色。かつては木々も無く眺望は良かったことでしょう。

愛宕山ホテルは1階が鉄筋コンクリート造、2階は木造だったようで、現在は1階部分のみが残されています。

愛宕山ホテルの背面。

コンクリート造の建物が独立して建っています。

内部。何の建物だったかは分かりませんが、倉庫とかだったのでしょうか。

愛宕山ホテルの背後には愛宕遊園の跡があり、飛行塔や山上テント村の跡が残されています。

その近くには、大量の陶磁器やガラス瓶の散乱した場所が。

愛宕山ホテルの食堂で使われていた食器が廃業と共に廃棄されたあとだと思います。
食器は和食器や洋食器だけでなく、レンゲも落ちていたので、和洋中のメニューが揃っていたと思われます。残念ながら全て破損していました。もしかしたら、割れていない食器は訪れた人が持って帰ったのかも。15年前は電球が落ちているのを見たことあります。

15年振りに訪問した旧愛宕駅と愛宕山ホテル跡の廃墟。やはり15年前と比べて緩やかに風化しつつあるようです。90年ほど前は多くの参詣客や観光客で賑わった旧愛宕駅・愛宕ホテル跡・愛宕遊園跡。この日は行楽シーズンもあってか多くの登山客とすれ違いました。しかし、旧愛宕駅方面へ行く人はほぼ皆無。参詣道の賑わいをよそに、これらの廃墟群はかつての賑わいの面影を残しつつ静かに山へと溶け込んでいくようでした。
2022年11月13日
京都モダン建築祭・参加建築見学レポ日記

京都市では初の試みである京都の近代建築公開イベント「京都モダン建築祭」が11/11から13日までの3日間、開催されました。クラウドファンディング出資者でもある私は、初日の11日に参加いたしました。
一番見たかった大丸ヴィラのツアーは残念ながら落選。パスポート(1500円)で見れる建物のうち、普段非公開とまだ内部を見たことが無い戦前建物に絞って回ることに。
今回巡ったのは・・・
革島医院・元成徳中学校・旧寺江家住宅・八竹庵・京都ハリストス正教会・平安女学院大学明治館・聖アグネス教会・京都市役所本館・時忘館・京都市京セラ美術館。
まずは、今回一番の目的である革島医院へ。
※今回記事で紹介する建物の内部写真は全て撮影OKの箇所のみです。見学可でも撮影NGの場所は当然載せていません。またSNS等へのUPに関しては、革島医院での事前注意事項を含め、少なくとも私の時は一切言及されていませんでしたので、撮影OK箇所=SNS等へのUP可と判断させていただきます。

まず到着したのは革島医院。昭和11年築の洋館医院で、あめりか屋の設計。
普段内部を見る機会が無いため、今回どうしても見たかった建物。

10時開場の30分前に到着しましたが、すでに20人ほどの待機列が。やはりここが一番の目当ての人が多かったようで。

10時になった時点で先頭から15人ほどだけ整理券を配られ、残りは近くの公園へ移動。そこで、待機列をさらに作ることになったのですが、スタッフさんが不慣れなのか動かない。仕方なく私含めて待機者で列整理をする羽目に。さらに1時間ごとに見学人数の整理券を渡すと言われ、後方の人からこのまま何時間も待てというのかと不満続出。結局、10時40分にすでに並んでいた人に対しては整理券が配られましたが、段取りや対応の不手際が目立ちました。

私の回は11時に入場。事前の注意事項として案内のスタッフさんから説明ありましたが、
〇撮影不可の場所では絶対撮影しないこと。
〇必ず5人1組で行動すること(少しでも外れたら怒られました)
〇荷物は事前に待合室に置くこと
〇室内のものには一切触らないこと(ドアノブや手すりもダメ)
とかなり制約が厳しかったです。確かに痛みは多く、個人宅であるから今回問題起きたら次回からは公開してくれなくなる可能性があるのでピリピリするのは分かりますが、だからと言ってちょっと外れただけで声を荒げなくてもいいのに。正直、スタッフに気を使いながら見学という感じになって落ち着かなかったですね。あと、「私らはただの案内スタッフだから、専門的質問されても答えられない」というのはどうよ?ある程度は頭に入れとくべきじゃないの?
あと、見学時の注意事項で立ち入り禁止箇所や撮影不可の箇所はかなり細かく指示され、見学中もその都度指示がありましたが、SNS等へのUPに関しては一切言及がなかったので、私としては赤字に書いた上記の判断で行かせてもらいます。
まぁ、とりあえずめったにない機会なのでワクワクしつつ内部へ。

玄関部分。腰回りのタイルは布目タイルで恐らく泰山タイルかと。後に書きますが、革島医院の建設に当たり、泰山製のタイルを用いることと書いてありました。

玄関上部の丸窓。

こちらも丸窓。

受付と投薬口。治療費・薬代即納と書いてます。ツケはダメという事ですかね。
戦前からのものでしょう。

待合室。ここで荷物を置くように言われました。

待合室のステンドグラス。アールデコ調。

玄関ホールのタイルの構造物。手洗いだったのでしょうか。タイルは泰山タイルの可能性あり。

1階の階段。

階段の横に診察室と処置室。内部を見せてもらいましたが、撮影は不可。

1階廊下。左の部屋が処置室。つまり手術室。

階段踊り場。

2階廊下。2階は病室になってます。

反対側から。

病室の丸窓。

病室番号。

病室廊下には戦前のものらしい注意書きが今でも。

病室内で自炊してた人がいたのか・・・

病室内1。

ベッド堅そう・・・

病室内2

病室内3。こちらは他と違い収納があります。

角部屋。窓が大きく作られ、採光が多くなるようになってます。サンルーム的な感じだったのでしょうか。
撮影不可でしたが、資料の展示室も見学。建築設計で目に付いたのは「外壁ニ鉄柵ヲ設ケテ蔦ヲ這ワス事」「外壁腰部分ハ泰山製ヲ用ル事」の記述。外壁の蔦は当初から這わせる形だったようで、タイルも泰山タイルを用いるよう決められていたようですね。
ピリピリした中の見学でしたが、貴重な体験が出来ました。

次に向かったのが元成徳中学校。

昭和6年築のレトロな学校建築。

玄関ホール。

受付ですかね。

1階廊下。アーチが良い雰囲気。

1階階段。この階段が良い感じ。

この造形!アールデコでいいのかな。素晴らしい。

階段を登っていきます。

踊り場から。

踊り場のアーチ窓。

階段上から。

階段上がった所の教室の角はなんとカーブに仕上げられてました。凄く仕事が丁寧。
このカーブ、めちゃお気に入り。

2階廊下。

もう一つの階段。

階段の装飾。

3階廊下。元成徳中学校は広々としてゆったり見学できました。
素敵なレトロ校舎、新道小学校が無くなった今、ここはいつまでも残ってほしいですね。

次に向かったのが旧寺江家住宅。昭和10年築。設計・橋本工務店。
以前探索で外観だけはチェックしてたんですが、内部に入るのは初めて。

洋館部分外側。

洋館内部。

洋館内部の別アングル。オシャレですねぇ。

洋館の奥はお座敷になってます。

床の間。

京都の町家らしい坪庭。

通り庭の天井高いなぁ。

おくどさん。今も現役なのかな。素敵な町屋建築でした。

次に向かったのは八竹庵。元紫織庵で旧川崎邸。取り壊しの危機にあった建物。武田五一設計の洋館があり、昔入ったことがあるのですが、再び中に入るのは10年ぶりかも。

のはずでしたが、パスポートとは別に入場料1700円!?うち1000円は文化財としての維持管理費ということらしく分からんでもないですが、さすがに高い・・・。期間中くらいは割り引いて欲しかった。
なのでここはスルー。

お次は京都ハリストス正教会。明治36年築の重要文化財。設計は京都府庁旧本館を設計した松室重光。
中では解説をされてました。撮影不可なので内部を拝見して撤収。
ちなみに京都府庁旧本館も公開されてますが、私は何度も行ってるので今回はパス。

次に向かったのは、平安女学院大学明治館。建物は有名でもちろん知ってましたが、場所柄、中に入るのは初めて。

明治28年築の煉瓦建築。歴史を感じます。

正面玄関のレリーフ。

1階階段。

さすが明治建築と言った華やかな造りです。

1階部屋。

1階のシャンデリア。

階段踊り場。

2階講堂。

天井の造りも凝ってます。

講堂の暖炉。暖炉は各部屋にあります。

3階階段。

3階部屋。

3階広間の暖炉。暖炉のデザインは全部同じっぽいです。

古いオルガン。明治のころからのものでしょうか。

続いて隣の聖アグネス教会へ。明治31年築。設計・ガーディナー。この建物も有名で、何度も外観は見ているけど、中に入るのは初めて。一応、日曜礼拝やクリスマスには入れるみたいですが。

内部空間は広々としていて開放感があり、さすが教会という感じ。

祭壇も広い。

ここの空間、いい感じ。




この日は天気も良く、光が差したステンドグラスがとても美しかったです。
平安女学院大学明治館や聖アグネス教会では学生さんが親切に案内してくれました。ありがとうございました。

続いて京都では聖アグネス教会と同じく煉瓦の教会で知られる京都御幸町教会。大正5年。設計・ヴォーリズ建築事務所。ここは日曜礼拝で自由に見学でき、礼拝後は写真も自由に撮れるので、以前入ったことがあった記憶がある建物。

聖アグネス教会より装飾がシンプルで、ステンドグラスも無いので派手さは無いですが、逆に落ち着いた雰囲気を感じます。

祭壇。

階段。

階段の手摺のこのカーブの造詣がたまらなくいい!

2階へ上ると堂内が見渡せます。
このあと、旧島津製作所のフォーチュンガーデンに行ったのですが、かなり並んでいて断念。

というわけで、京都市役所へ。京都市役所はしょっちゅう中に入っているし、改修前の市議会場の一般公開にも行きましたが、正庁の間はまだ見たこと無かったので。

まずはちらっと市議会場へ。
改修で議長席が大きく造り替えられたんですよねぇ。

こちらは改修前の市議会議場の議長席。やはり重厚な改修前の方が良かったなぁ。

そして目当ての正庁の間へ。

さすが正庁だけあって装飾が凝ってます。
ここから地下鉄に乗り東山で降りて岡崎方面へ。

時忘舎。大正5年。元は竹中精麦所という工場だった建物。

この辺よく歩いてますが、初めて知りました。今はオシャレなカフェになっており、改めて行きたいと思ったり。

高い天井。

元々は応接室だったのかな。

名前のごとく、ここでお茶をしていたら時を忘れそう・・・

オシャレですねぇ。

奥の部屋は和室を改装したっぽい。
今回の一般公開で人気でそうですね。
本来なら取り壊しの予定だった工場がこうしてオシャレなカフェに生まれ変わっているのは素晴らしい。

最後に訪れたのは京都市京セラ美術館。ここもお馴染みの場所ですが、今回の目当ては普段非公開の貴賓室。

貴賓室だけあって流石豪華。和風を基調とした京都美術館なので、貴賓室も天井は格天井になってたりと和風のスタイルを感じます。

この扉のブドウの彫刻が凄かった。

暖房施設も金蒔絵っぽい和風デザイン。
以上で私の京都モダン建築祭は終了しました。
今回初の試みとはいえ、やはり革島医院とかウェストイン都ホテルとかフォーチュンガーデンとか人気ある建物には希望者が殺到し早々に打ち切りになったり、革島医院も土日の見学のやり方で2転3転して混乱を招いたのは大きな反省点だと思います。まぁ私は一通り希望の建物を見れたから良かったですが、遠方から来て見れずに終わった人とかは納得いかなかったでしょう。次回もやるなら、大いに反省して次に生かして欲しいです。私は今回パスした旧西陣織物館や武徳殿、新たに公開される建物があればそちらを中心にめぐりたいですね。あと、大丸ヴィラを次こそは見たい!