2022年12月

2022年12月25日

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構探索レポ日記

兵庫県福崎町にかつて大阪陸軍航空補給廠姫路出張所という陸軍の施設がありました。
大阪陸軍航空補給廠姫路出張所は大阪陸軍航空支廠の機材や燃料の管理部門として昭和17年に完成しました。
今回、福崎町の近代建築探索のついでに大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の遺構の探索もすることにしました。ただし、遺構の詳細に関してはあまり分からなかったので、いつもお世話になっています「大日本者神國也」の管理人、盡忠報國様よりアドバイスを得て探索しました。
※大日本者神國也 大阪陸軍航空補給廠姫路出張所
しかし、目当てにしていたいくつかの遺構に関しては確認できなかったり、辿り着けなかったりと未探索に終わった遺構もあり、不完全燃焼な結果に。なので、当記事は探索できた遺構のみ紹介いたします。
なので、詳細な情報が知りたいという事でしたら、盡忠報國様のブログの記事を閲覧される方が良いかと思います。

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構配置図










大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構位置図。
戦後、大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の跡地は町の誘致により養鶏場が完成しますが、杜撰な経営により新たに工業団地となることが決定し、現在は福崎工業団地となっており、その際に主要な遺構はほぼ取り壊されたものと思われます。現在は敷地の中心から離れた箇所や山中に残された遺構が点在する形となっています。

1.正門







\橘隋L渦箸力討稜鴫阿力討忙弔気譴討い泙后L膸イ寮廚残っています。
2.正門







裏側。国旗を掲揚していた金輪が残されています。かつては門扉の金属製の蝶番がありましたが、恐らく戦後すぐに取られたものと思われます。

3.裏門







⇔¬隋B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の遺構では一番知られているもので、正門と違い門柱は2つ残さています。写真は敷地外から。
4.裏門







敷地内から。蝶番が全て取られています。
5.裏門説明板







裏門の脇には説明板が設置されています。

6.コンクリート構造物







コンクリート構造物。裏門の敷地内側のすく近くにある遺構。

7.コンクリート構造物







何の遺構かは不明。盡忠報國様は焼却炉ではと書かれています。

8.土堤







づ敖蕁B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の敷地を区切る境界の土堤。
9.土堤







断面は三角形です。

この他にも山中に乾燥火薬庫の跡が2ヵ所あり、火薬庫基礎や石垣擁壁や貯水槽が明瞭に残っているようですが、向かったはいいものの、進入路が全く分からず断念。 消化不良の残念な結果となりました。
あと、周辺には地下壕もいくつか残されているようです。

besan2005 at 12:15|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

舞鶴市・博奕岬防空砲台遺構見学レポ日記

舞鶴市の博奕岬にかつて明治時代に陸軍により建設された探照灯と太平洋戦争中に海軍が建設した防空砲台がありました。現在、海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっているため立ち入り禁止となっていますが、今回、フォロワーさんの粘り強い交渉により、海上自衛隊の方々の案内のもと、博奕岬防空砲台の遺構を見学することが出来ました。(2022年6月24日見学)。
交渉をしてくださったフォロワーさん、案内をしてくださった海上自衛隊の広報の方々には貴重な体験をさせて頂き、厚く御礼を申し上げます。

さて、博奕岬防空砲台ですが、上記の通り元々は明治33年に陸軍の探照灯が造られていました。その後、演習砲台として使用され、
昭和16年に海軍が敷地を取得。防空砲台として再利用されます。
博奕岬防空砲台 舞鶴海軍警備隊戦時日誌昭和17年10月20日









アジア歴史資料センター所蔵「舞鶴海軍警備隊戦時日誌(C08030485700)」より昭和17年10月20日撮影の博奕岬防空砲台。

博奕岬防空砲台遺構位置図








博奕岬防空砲台各遺構配置図。(管理人作成)

博奕岬防空砲台は昭和17年11月に完成します。
海軍の防空砲台は舞鶴市内に舞鶴湾を囲むように8ヵ所設置され、槇山・浦入・建部山のように明治期の陸軍の砲台を利用したものもありましたが、倉梯山防空砲台のように新たに設置された砲台もありました。
10年前に探索した倉梯山防空砲台のレポ日記。

博奕岬防空砲台は前述の通り海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっており、山頂の博奕岬防空砲台がある場所へと向かう山道の入り口には大きなゲートがあり、立ち入り禁止となっています。今回は海上自衛隊の方々の案内のもと、ゲートを通り向かうことになりました。

1軍道擁壁石垣










舗装路をそのまま登ると明治期の陸軍時代と思われる石積擁壁が出現。灯台へ至る舗装路もかつては軍道だったことが分かります。

2灯台前門柱













舗装路を登りきると灯台が見え、その手前にコンクリート製の門柱が現れます。

20220624_130707







岬の山頂にある博奕岬灯台灯台。最近外壁がリフォームされて綺麗になってますが、大正11年築。

IMG_1766













灯台の近くにある石製の門柱。明治期の物でしょうか。

3指揮所壕










灯台を過ぎさらに進むと、上部に荒廃した戦後の監視所の建物がある箇所に。その下のコンクリートの地下壕がかつての指揮所壕でした。

4指揮所壕










指揮所壕の入り口。

5指揮所壕入り口










指揮所壕の入り口に入ると、奥に木製の引き戸があります。

6指揮所壕内部










内部は物置になってましたが戦時中の当時のままでした。

7指揮所壕脇階段













指揮所壕入口脇の階段。戦時中も壕の上に監視の建物があったそうで、戦後に新たに建て替えたようです。

8指揮所壕脇の柵










指揮所壕の周りを囲むコンクリートの柵柱。

9指揮所壕近くの貯水槽










指揮所壕の近くの貯水槽。

IMG_1813










指揮所壕を過ぎ、しばらく歩くと道が分かれており、下へ下る道の方を進んでいくと、自衛隊の施設だったと思われる半ば廃墟と化した建物が見えてきます。そして、その建物の玄関の前に、

17地下式弾薬庫前高射砲座










高射砲の砲座がありました。8センチ高角砲の砲座と思われます。

10地下式弾薬庫










そしてさらに奥にコンクリートの弾薬庫壕が。

12地下式弾薬庫鉄扉










鉄扉も残されています。開いていたので入ってみました。

13地下式弾薬庫内部










14地下式弾薬庫内部










内部の奥壁は煉瓦になってましたが、どうも元々はもっと奥まであったのを途中で煉瓦で塞いだようにしか・・・。理由は不明ですが。

11地下式弾薬庫前貯水槽










弾薬庫壕前の貯水槽。

16地下式弾薬庫前木造建物










弾薬庫壕前、自衛隊施設に付属している木造建物。これも防空砲台時代の物で、別のフォロワーさんが紹介していた東京湾要塞金谷砲台の看守営舎によく似た造りですしかし、痛みもなく綺麗に残っています。

18埋第五号境界石













再び岬の上の道に戻り、そこから岬の先端に向かって尾根道を進みます。その尾根上に立つ「埋第五號」の境界石。見かけたことの無い珍しいタイプ。

19すり鉢状台座










尾根道を進んでいくとこのようなすり鉢状の台座が現れます。何かを据え付けていたボルトが見えるので、当初は砲座かと思ってましたがどうも違うのではという意見がメンバーから。探照灯は別の箇所にあるので、施設リストから聴音機か高角双眼鏡の台座ではと考えてます。

20すり鉢状台座正門










先ほどのすり鉢状台座の手前にはコンクリートの門柱と柵柱が。柵柱には未だに有刺鉄線が残されていました。

21貯水槽










一旦指揮所壕の場所まで戻り、今度は弾薬庫壕と高角砲座のあった地点の反対側の尾根下へ。
整地した平坦地となっており、小さな貯水槽などがありました。

22有蓋式退避壕










その脇にコンクリート製の半地下式の壕のようなものが。
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現地形を見ると、どうも当時は入り口前はスロープ状となってて、中に逃げ込めるようになっていたっぽいです。退避壕だったのでしょうか。

23電灯室










灯台まで戻り、灯台南東側の岬の最高所にある箇所へ。戦国期の山城の横堀のような土塁が回る道を歩いていくと、明治の陸軍時代の探照灯のあった電灯所に至ります。

24電灯室発電機台座










明治期の砲台の掩蔽部と同じ形ですが、奥に煉瓦の電灯井があるので、明治期から電灯所として造られていたようです。ただ、発電機は改められたのかコンクリートの台座となってました。

IMG_1839










内部から。入口脇に木製の壊れた古い椅子が放置されていました。当時の物でしょうか?

25電灯室井










電灯井。ここから探照灯を出し入れしていました。

26電灯室井上から










電灯所の上。先ほど下から見上げた電灯井の穴が見えます。かつてはどうやら屋根が掛けられていたようです。

IMG_1844










電灯所上部の周辺には探照灯の物らしきガラス片が大量に散乱していました。厚さは1cmくらいある分厚いもので、やや黄色がかってました。探照灯の撤去の際に割れたか破壊したのでしょう。

27電灯室門柱










電灯所を過ぎてすぐの所に立派な石製の門柱が建っていました。明治期の物の様で、この門柱の先も軍道らしき道が麓に向かって伸びているので、かつての正門だったのかもしれません。

28貯水槽か










門柱を過ぎて軍道跡を進むと水槽らしきものが見えました。他の旧軍遺構では見たことの無い造りです。雨水を貯めた水溜でしょうか。

29沈砂槽










さらに下って行くとコンクリート製の水槽がありました。形から恐らく沈砂式の浄水槽だったと思われます。

30発電室










電灯所から伸びる軍道跡を下って行くと灯台に至る舗装路に出ます。舗装路をそのまま下って行くと舗装路から枝に延びる旧軍道があり進むと煉瓦造の発電機室の建物が見えてきます。

31発電室門柱










発電機室の前にも石製の門柱と柵柱がありました。

33発電室










屋根は失われてますが煉瓦の躯体は 良好に残されており素晴らしいです。

32発電室内部










内部には煉瓦造の発電機の台座が残されています。明治期の探照灯時代から発電機室として作られたものです。

IMG_1868










発電機室の背後の一角。燃料を入れていたスペースでしょうか。

IMG_1859













木製の窓枠も残されていました。アーチ部分は丁寧に削って作られたもので木材もしっかりしたもので明治期の仕事の丁寧さが伺えます。昭和戦中期の細工の粗さとは対照的です。

34発電室脇基礎










発電機室の脇にある煉瓦基礎の建物跡。何の施設だったかは不明。

35発電室貯水槽










コンクリートの貯水槽。これは防空砲台時代のものと思われます。

38兵舎跡への石橋










発電機室を過ぎ、軍道跡を進むと石橋がありました。

36兵舎跡への石橋










37兵舎跡への石橋










小さな谷に架けた石橋ですが、石積の擁壁も相まって、まるで庭園のような優雅さを感じますw

39石橋脇の井戸










石橋の脇にある井戸。井戸枠は煉瓦積みでした。

40兵舎跡










石橋を過ぎると見えてくる兵舎跡の基礎。当時使われていた食器類の破片が散らばってました。

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便所跡。どうやら防空砲台時代の物のようです。

20220624_150845







反対側から。

20220624_150818













内部を見ると、やはり戦前のようですね。

今回の博奕岬防空砲台の見学会は、フォロワーさんの交渉により実現したもので、海上自衛隊の協力のもと正式な探索をすることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
というわけで、博奕岬防空砲台のある博奕岬は無許可での立ち入りは厳禁です。
そのあたりの話も隊員さんに聞いたのですが、海上自衛隊の敷地内なので、無断の侵入者があれば当然警ら隊がやってくること、海上自衛隊には逮捕権が無いので厳重注意で済むが、これが海上保安庁となると、逮捕される恐れがある(博奕岬灯台は海上保安庁の管轄で、立ち入り禁止区域)とのこと。
施設自体は老朽化しており現在は使われていませんが、以上の理由で無断進入は厳禁なのでご理解いただけたらと思います。博奕岬防空砲台の遺構に関しては拙い内容ですが、当記事で感じて頂けたらと思います。


besan2005 at 11:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2022年12月18日

村野藤吾の設計・ルビノ京都堀川見学&宿泊レポ日記

1.ルビノ京都堀川外観







2022年12月15日、京都市にあるホテル、ルビノ京都堀川に宿泊を兼ねた見学をしてきました。
ルビノ京都堀川は公立学校関係の宿泊施設として、1972年に完成しました。設計は戦前・戦後のモダニズム建築の大家として知られる村野藤吾。京都市内にある村野藤吾の設計のホテルと言えば、ウェスティン都ホテルや都ホテル京都八条、ザ・プリンス京都宝ヶ池等がありますが、ツイッターのフォロワーさんが、このホテルも村野藤吾の作品だとつぶやいており、興味を持ったこと、さらには来年2023年3月31日に閉館ということもあり、宿泊料金も一般のビジホ程度いう価格もあって宿泊兼見学をしてみようと思いました。まずは外観。ホテルについたのは夜だったので、写真は翌朝の撮影になります。
2.ルビノ京都堀川パルコニー







角のベランダ。
5.ルビノ京都堀川客室棟







客室棟の外観。出窓は村野藤吾が好んだデザイン。
6.ルビノ京都堀川玄関







正面玄関。ここからはホテルに着いた前日の夜の撮影。

7.ルビノ京都堀川柵







玄関横にある柵。これも村野藤吾のデザインでしょうか。
では中に入りましょう。
8.ルビノ京都堀川ラウンジ







玄関ホール脇のロビー。
9.ルビノ京都堀川ラウンジ







この手摺の感じは村野藤吾っぽさが出てますね。
10.ルビノ京都堀川玄関ホール照明







玄関ホールの天井の照明。70年代のモダンさを感じます。
フロントでチェックインして、ホテルの人に許可をもらい、教えてもらいながら館内を探索。
まずは、一番村野藤吾らしさを感じるメインの場所へ。
11.ルビノ京都堀川階段







中央玄関。
12.ルビノ京都堀川階段







ルビノ京都堀川で一番の見所。
13.ルビノ京都堀川階段







3階まで続く赤絨毯の階段はレトロモダンな懐かしさも感じさせます。
14.ルビノ京都堀川階段







上から。
15.ルビノ京都堀川階段手摺







手摺の装飾。
16.ルビノ京都堀川階段







村野藤吾といえば階段。この絶妙なカーブの造作は素晴らしい。
17.ルビノ京都堀川階段







何度も上り下りしてましたw
次も階段ですが、ちょっと隠れた場所の穴場な階段へ。
しかし、ここはより村野藤吾らしさの出ている階段でした。
18.ルビノ京都堀川非常階段







1階から6階の屋上まで続く非常階段。
19.ルビノ京都堀川非常階段







一見、何の変哲もない無機質な階段に見えますが、この手摺に注目。
20.ルビノ京都堀川非常階段







この絶妙な手摺のカーブのデザインはまさに村野藤吾といった感じなのです。

23.ルビノ京都堀川非常階段6階







ウェスティン都ホテルもですが、村野藤吾と言えば階段の手摺と言われるほど、その優美な曲線が言われますが、このルビノ京都堀川の非常階段の手摺もまさにそんな感じ。
24.ルビノ京都堀川非常階段6階







特に最上階のこの手摺の優美な曲線は必見。
25.ルビノ京都堀川非常階段6階







手摺の優美な曲線は、女性らしさを感じるような柔らかな美しさを感じました。
26.ルビノ京都堀川非常階段6階







上から階段をのぞき込む。
28.ルビノ京都堀川非常階段













実際に手摺を伝いながら上から下まで何度か上り下りしてみましたが、階段の踊り場のカーブとかでも誘導されるような感じに伝うことができ、また、持つのに程よい高さと斜度で、美しさだけでなく機能性も考えられている感じでした。まさに機能美。
27.ルビノ京都堀川3階非常階段







十分に非常階段を堪能したあとは、2階と3階のフロアを探索。
まずは2階から。
30.ルビノ京都堀川2階小階段







2階にある小階段。
31.ルビノ京都堀川2階大宴会場前







2階大宴会場前のフロア。奥は吹き抜けになっています。
こちらも手摺が見どころ。
32.ルビノ京都堀川吹き抜け照明







吹き抜けの照明。この下にエスカレーターがあるのですが、封鎖されていました。
33.ルビノ京都堀川大宴会場扉







大宴会場の扉。
34.ルビノ京都堀川2階ロビー







2階ロビー。
35.ルビノ京都堀川2階ロビー







モダンなデザインですが、どことなく和風な感じもします。
36.ルビノ京都堀川2階カウンター







2階の小カウンター。格子の造りがいい感じ。
38.ルビノ京都堀川1階照明







天井の照明も昔のモダンな雰囲気があります。
25.ルビノ京都堀川2階宴会場扉







2階宴会場のガラス扉。こういう模様の入ったガラス戸も見なくなりましたねぇ。
40.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下。
39.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下の鏡台にも装飾が。
41.ルビノ京都堀川2階会議室







会議室の雰囲気もいわゆるレトロモダンさを感じる雰囲気です。
42.ルビノ京都堀川3階ロビー







次は3階へ。3階のロビー。
43.ルビノ京都堀川3階ロビー







3階のロビーは2階のロビーに比べて開放感があります。
44.ルビノ京都堀川3階フロア照明







天井の照明のデザインは、何となくアールデコっぽさを感じます。
45.ルビノ京都堀川和室広間







これは翌日撮影した和室の大広間。実は同じ日に中学校の修学旅行生が宿泊していて、
修学旅行生が出発した後に撮影させてもらいました。まだ蒲団がw
46.ルビノ京都堀川3階チャペル







3階の奥にあるチャペル。ルビノ京都堀川は結婚式場としても使われていました。
47.ルビノ京都堀川3階チャペル







チャペル前の部屋。かつては多くのカップルがここで結婚式を挙げたのでしょうね。
48.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







チャペル前の照明。チャペルらしく華やかな証明です。
49.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







正面の照明も花をモチーフにした華やかなもの。
50.ルビノ京都堀川3階チャペル扉







チャペルの扉。チャペルには入れなかったのは残念。
22.ルビノ京都堀川非常階段階数







さて、本日泊る客室へと向かいます。これは先ほど見学した階段の階数表。
文字がいい感じ。
51.ルビノ京都堀川5階廊下







本日泊る部屋は5階。廊下を歩き部屋へ。
52.ルビノ京都堀川客室







本日のお部屋。部屋はビジホと変わらないシンプルさ。
55.ルビノ京都堀川客室照明







56.ルビノ京都堀川客室照明







しかし、設備の照明にレトロさを感じニヤニヤ。
53.ルビノ京都堀川客室







机や椅子は木目を生かした家具調のもの。
57.ルビノ京都堀川客室椅子















特にこの椅子のデザインは気になりました。
村野藤吾の家具を調べた感じでは木目を生かした家具が多いようで、村野さんの得意とするカーブも家具にはよく取り入れられているようです。この椅子には曲線が少なくどうかなと思いましたが、背もたれの折れの部分が丁寧な造りで、もしかしたらと感じました。どちらにせよ、最近のホテルでは見かけない木製の椅子ですから、開業時からのものの可能性があります。
58.ルビノ京都堀川客室机







机の脚は先に向かうにつれ細くなる造り。村野さんのデザインのテーブルを見ていると似たようなデザインです。ちなみにホテルの方に聞いたら、客室の家具は村野藤吾のデザインかは分からないけど、開業当初からのものだそう。とすると、村野藤吾のデザインの家具の可能性もありますね。閉館後はどうなるんだろう。
54.ルビノ京都堀川客室







ベッドと横の照明装置は当初からのもので間違いないかと。柔らかな木調の調度品に触れながら一夜を過ごします。
59.ルビノ京都堀川客室からの眺め







客室から眺める京都の夜明け。おはようございます。
60.ルビノ京都堀川レストラン







客室から出たあとは無料の朝食(パンと飲み物のみ)を頂くために1階のレストランホールへ。
20221216_082951







照明とかを眺めたり。
61.ルビノ京都堀川レストラン







以前はレストランをやっていたそうですが、今はもう営業していないとか。
4.ルビノ京都堀川玄関







朝食とコーヒーを頂き、ルビノ京都堀川を後にしました。
62.ルビノ京都堀川ルームキー







ルビノ京都堀川の今後についてチェックアウト時にスタッフの方に聞きました。
閉館後は別の施設に使われるかもしれないが、老朽化もあり今後の予定は未定とのこと。
今年で開業50年ですから致し方が無い面もありますが、村野藤吾のデザインがふんだんに見られるホテルが無くなるのは惜しい気もします。これまで戦後のモダニズム建築には全く興味が無かった自分ですが、改めて鑑賞すると、丁寧にデザインされた階段や手すり、内装など見所満載で、さらには懐かしさを感じるレトロモダンな雰囲気に大いに楽しめ満足することが出来ました。
閉館まであとわずか。機会があれば訪れてみてください。


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2022年12月04日

加西市の近代建築探索レポ日記

兵庫県福崎町の近代建築探索を行った同日(2022年12月3日)に、通過点だった加西市の北条町の近代建築も帰りに探索してきました。加西市の近代建築探索は同じ加西市にある姫路海軍航空基地跡の探索や、川西航空機姫路製作所鶉野工員宿舎街の探索時に訪問した建物もいくつかあるので合わせて紹介します。
※翌週の2022年12月10日に新たに確認した建物含めて補足探索をしてきました。後半に追記しています。

西村医院










西村医院。加西市中野。大正〜昭和初期。
西村医院 加西市中野










地方の戦前の個人医院らしい佇まいの洋館。
西村医院2










当時の外観が良く残されていていいですね。

法華口駅 大正15年










北条鉄道法華口駅。加西市東笠原町。大正15年。北条鉄道には他にも古い木造駅舎が残されています。

38.松乃屋食堂 加西市北条町







松乃屋食堂。加西市北条町。
39.松乃屋食堂







昔ながらの激渋食堂の雰囲気が漂う建物。
40.松乃屋食堂







昔のマークの入ったアサヒビールの看板が良いですね。
41.松乃屋食堂







隣には古い日本建築が。壁に古いメニュー表とかあり、かつては料理旅館だったっぽいです。ただ、現在は閉業しているのか、隣の食堂も閉まっていました。

42.植田鉱油店 加西市北条町







植田鉱油店。加西市北条町。
43.植田鉱油店







洋館部分に店名と装飾を施しています。

43.西村医院 加西市北条町







西村医院。加西市北条町。昭和初期頃。
44.西村医院







外観はかなり改装されていますが、一部戦前の洋館の面影が残されています。
うーん、逆光・・・
45.西村医院







背面に回ると当時の面影が少し残されていました。

加西市の近代建築の探索はここまでですが、他にもまだ未探索の建物がいくつか残っていますので、探索が完了したら、この記事に追加したいと思います。

※12月10日補足探索分
探索を行いました翌週の12月10日に補足探索を行いました。事前に把握していた未訪問の物件に加え、公民館建築を含めた新たな物件を把握したため、補完のために再探索しました。

1.法華口駅 加西市東笠原町 大正15年







まずは前回も訪問した北条鉄道法華口駅。加西市西笠原町。大正15年。国登録有形文化財。
2.法華口駅







内部の待合室。綺麗にリフォームされています。
3.法華口駅







別角度から。現在は駅の待合室だけでなく、地域のイベントにも使用されているようです。
5.法華口駅







ホーム下の踏切から。朝焼けに照らされるホームがいい感じでした。
4.法華口駅







駅舎には古い駅名標があります。
戦争末期の昭和20年3月31日、試験飛行のため鶉野飛行場を飛び立った紫電改がエンジントラブルを起こし失速。運悪く法華口駅を出発した列車と接触し列車は横転。12人の犠牲者が出る事故が起きています。
北条鉄道には古い木造駅舎が法華口駅を含めて3つあり、全て国登録有形文化財となっています。
まずはそれらの木造駅舎を巡ります。

6.播磨下里駅 加西市王子町 大正7年







北条鉄道播磨下里駅。加西市王子町。大正7年。国登録有形文化財。
こじんまりとした可愛らしい駅舎。
7.播磨下里駅







正面から。
8.播磨下里駅







背面。後ろの付属屋はトイレ。
9.播磨下里駅







入口部分の待合室。昔のままですが、入り口にドアが無いので冬は寒そう。
10.播磨下里駅







現在は無人駅なので、旧駅員室も待合室として使用されています。
12.播磨下里駅







駅舎にある古い駅名標。
11.播磨下里駅







ホーム。

13.播磨長駅 加西市西長町 大正4年







北条鉄道播磨長駅。加西市西長町。大正4年。国登録有形文化財。
こちらも可愛らしい木造駅舎。
14.播磨長駅







別角度から。
15.播磨長駅







待合室。やはり冬は寒そう。かつてはストーブとか置いてたんでしょうか。
16.播磨長駅







窓口も当時のまま。旧駅員室を見たかったのですが、法華口駅や播磨下里駅と違い、地域の施設として使用されていて、関係者以外立入禁止になってました。
18.播磨長駅







駅舎に付けられた古い駅名標。
17.播磨長駅







ホーム。懐かしい風景。北条鉄道の3つの木造駅舎は、地域の人々に愛され大切にされているのが良く感じ取れました。
北条鉄道を後にして次の場所へ。

19.福住東町公民館 加西市福住 昭和8年







福住東区公民館、加西市福住。昭和8年。
20.福住東町公民館







地区でも良い立地の小高い丘に建ってます。
21.福住東町公民館







背面。外壁は今はトタン張りですか、かつては下見板張りだったのでしょう。

22.旧賀茂郵便局 加西市福住 昭和8年







旧賀茂郵便局。加西市福住。昭和8年。
福住東区公民館の近くにある建物。こちらは外観のオリジナルを保ってますね。
23.旧賀茂郵便局







田舎の小さな集落でも戦前の郵便局は立派なのが多いですね。
24.旧賀茂郵便局







玄関の屋根に掲げられた「賀茂郵便局」の文字が入った棟瓦。
25.旧賀茂郵便局







玄関入口の賀茂郵便局の扁額。貴重な戦前の洋館建築ですが、扉の隙間から内部を覗くと、荷物が山積みになって一杯に…。現在は物置扱いになっていていつ無くなるか分からない感じ。
地区の歴史を物語るとともに、いい建物だから、公民館と同じく利用して欲しいですが。
ここから北条町方面へ向けて北上。

26.旧西村織物工場 加西市北条町 昭和初期







旧西村織物工場。加西市北条町。昭和初期頃。閑静な住宅地の中に当時の建物群がそのまま残されています。これは正門。
27.旧西村織物工場







事務所棟と思われる建物。

28.旧西村織物工場







敷地内側から。
29.旧西村織物工場







工場棟。
30.旧西村織物工場







少し離れた場所に建つ6棟が連続する工場棟。
31.旧西村織物工場







敷地外から。当時の姿をよく留めています。
32.旧西村織物工場







敷地の隅には小さな煉瓦倉庫があります。
33.旧西村織物工場







敷地内から。右手側に鉄扉の入口がありました。燃料庫でしょうか。
旧西村織物工場は現在は使われておらず、どうやら廃墟状態のようです。敷地の塀も道路側はブロック塀で仕切られていますが、正門側やノコギリ屋根の工場棟のある裏側は塀すらなく、正門の脇門も開け放ち状態。朽ちていくのを待つだけのように見えますが、今後どうなるのでしょうか。
ここからは他サイトでは現時点(2022年12月11日)で紹介されてない物件を紹介。

34.東南公民館 加西市北条町







東南公民館。加西市北条町。
35.東南公民館







昭和初期頃の築と思われます。先週訪問した福崎町の井ノ口公民館と同じスタイルの地方の田舎に多い下見板張りの公民館建築。
36.東南公民館







正面。離れた場所には火の見櫓もあります。(撮り忘れ)

37.西谷公民館 加西市西谷







西谷公民館。加西市西谷。
39.西谷公民館







こちらも同じく下見板張りの公民館建築ですが、西谷公民館はペンキが塗られており、華やかな印象を受けます。これも昭和初期かな。
38.西谷公民館







正面。玄関の造りとか見ても井ノ口公民館や東南公民館と同じ感じで、設計者とか同じなのかなと思ったりします。以前探索した加東市・小野市の探索で訪問した公民館建築もよく似た造りで、1つは播磨地域の建築家、内藤克雄が手掛けており、これらの公民館も内藤克雄が関わったりしていたのかもしれません。
40.西谷公民館







裏側。
41.西谷公民館







公民館の裏側には古い倉庫が2棟ありました。
42.西谷公民館







基礎が煉瓦のモルタル塗りの倉庫。感じからして燃料庫だったものでしょうか。
20221210_093656













公民館の側には火の見櫓も残されていました。

43.旧織物工場 加西市畑町







加西市から福崎町へと向かう途中にたまたま見かけた古い木造の洋風工場。加西市畑町。
44.旧織物工場







これは!?と思い慌てて立ち寄ることに。
45.旧織物工場







手前の長大な建物は工場棟だったようで、後ろへ回るとノコギリ屋根になってました。
旧西村織物工場と同じ織物工場だったのでしょうか。
46.旧織物工場







事務所棟と思われる洋館。
47.旧織物工場







中々立派です。外観とかペンキが塗り直されている感じに見えるので、今でもお住まいなのかも。
旧西村織物工場と比べても小規模で、工場棟も2棟しか無いから、元々は敷地が広かったのかと思ってたのですが、戦後すぐの航空写真を見たらどうもそうではないようです。
以上で加西市の近代建築探索は終了となります。

besan2005 at 12:03|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産

福崎町の近代建築探索レポ日記

2022年12月3日に兵庫県福崎町にある近代建築を探索してきました。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

1.旧辻川郵便局 西田原 大正12年







旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。
2.旧辻川郵便局







地方で多くあった洋館の官公庁の建物。
3.旧辻川郵便局







壁の青さが空の青さに映える美しい建物。
4.旧辻川郵便局







正面玄関の飾り。
5.旧辻川郵便局







窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

6.旧大澤医院 西田原







旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。
7.旧大澤医院







中々、モダンな外観です。
8.旧大澤医院







一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、
9.旧大澤医院







遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

10.井ノ口公民館 西田原







井ノ口公民館。福崎町西田原。
11.井ノ口公民館







地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。
12.旧井ノ口公民館







逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。
13.旧井ノ口公民館







正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。
14.旧井ノ口公民館火の見櫓













戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

15.上村商店 福崎新







上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。
16.上村商店













妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

17.志水歯科医院 福崎新 大正9年頃 







志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。
18.志水歯科医院







主屋に付属して洋館が建っています。
19.志水歯科医院







付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科







旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。
21.旧眼科







実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

22.旧眼科







この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。
23.旧眼科







洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。
24.旧眼科







時代を感じる観音開きの縦長窓。

25.旧眼科







26.旧眼科







妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

29.大野酒造正門







歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。
27.大野酒造事務所か 福田







かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

28.大野酒造事務所か







裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

31.大野酒造物置







事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。
30.大野酒造井戸







門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。
32.大野酒造







すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

33.大野酒店 福田 大正期か







大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

34.津川邸 福田







T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

35.旧神崎郡役所 西田原 明治19年 







福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。
36.旧神崎郡役所







いかにも明治の洋館と言った外観。
37.旧神崎郡役所







福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。

※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。
48.福田区公民館 福崎町福田







福田区公民館。福崎町福田。
49.福田区公民館







洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。
50.福田区公民館







敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

51.旧神谷公民館 福崎町高岡







旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。
52.旧神谷公民館







玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?
53.旧神谷公民館







玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。
54.旧神谷公民館







公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。

以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。



besan2005 at 11:27|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 近代化遺産
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