2023年01月
2023年01月29日
富雄丸山古墳・現地見学会レポ日記
造り出し部分の埋葬施設から国宝級の発見があったと大きく報道された、奈良市にある富雄丸山古墳の現地見学会に行ってきました。
富雄丸山古墳は4世紀後半に築造された径109mの国内最大の円墳です。明治時代に墳頂部にある埋葬施設が盗掘され(出土したとされる副葬品は京都国立博物館が所蔵。国指定重要文化財)、昭和47年に埋葬施設が発掘調査されています。今回大発見があった場所は墳丘の裾に近い造り出しの部分から見つかった埋葬施設。ここから国内でも例を見ない盾形銅鏡と巨大な蛇行剣が見つかりました。
国宝級の発見と言われる盾形銅鏡と日本最大の蛇行剣はメディアにも注目され、続々と報道されまし
た。
盾形銅鏡と蛇行剣は保存処理中のため見れませんが、発掘現場の公開が28日と29日に行われ、28日は1400人、29日は3100人余りが見学に来たとか。さすがに注目されています。
私も29日の午前中に富雄丸山古墳の現地見学会に参加してきました。
一般公開の開始時間の1時間前である9時に到着。すでに40人くらい並んでいました。
受付の机に置かれていた盾形銅鏡の実物大パネル。
実際見ると大きく感じます。
蛇行剣の実物大パネル。237cmの国内最大の蛇行剣は実際見るとめちゃデカい。
出土した円筒埴輪。こちらは実物。
富雄丸山古墳の説明板。史跡指定はされていませんが、国内最大の円墳という事で周囲は公園化され保存されています。今回の発見で史跡指定される可能性は十分あります。
いよいよ、発掘現場の富雄丸山古墳へ。遠くに見えるのが富雄丸山古墳です。
墳丘裾部の葺石。
墳丘裾部の円筒埴輪列と葺石。かつては巨大な円墳の全体を葺石で覆い、円筒埴輪を巡らせていました。
U調査区。ここでも大きな発見がありました。
U調査区の鰭付円筒埴輪。そして・・・
湧水施設形埴輪。井戸のような湧水施設を模した埴輪だそうですが、こんな埴輪見たこと無い。
盾形銅鏡と巨大蛇行剣ばかりに注目が行ってますが、この湧水施設形埴輪も大発見。
墳頂部。かつてはここに富雄丸山古墳の主の埋葬施設がありましたが、明治時代に盗掘されました。一部の出土品は京都国立博物館に所蔵され国指定重要文化財となってますが、もし盗掘されていなければどれだけの発見があったのだろうと思うと残念ですね。
そしてこれが今回、盾形銅鏡と国内最大の蛇行剣が出土した造り出し部分の埋葬施設。
粘土槨(ねんどかく)という木棺を粘土で覆った形の埋葬施設です。
粘土槨には盾形銅鏡と蛇行剣の実物大パネルが置かれていました。
現地見学会資料にある出土状況の写真。こんなの出てきたらビックリしますわ。
ちなみに盾形銅鏡と蛇行剣は粘土槨の外側から出土したもので、粘土槨の内部はまだ発掘されていません。これから調査されるとのことで、どんな発見があるか楽しみです。
こちらは2号墳。横穴式石室墳なので、6世紀代まで時代が下ります。
3号墳は盗掘されているようです。
見学を終えた10時ごろには見学者もだいぶ増えてきました。
NHKの取材班も。いずれNスぺで特集して欲しい。
富雄丸山古墳の現地見学会は貴重な発見のあった場所を感じさせるまたとない体験となりました。
今後、粘土槨の調査、そして盾形銅鏡と蛇行剣の一般公開に期待したいですね。
2023年01月22日
姫路市網干区の近代建築探索レポ日記
去年2022年12月29日に行った、たつの市の近代建築探索の翌日、12月30日に行った姫路市網干区の近代建築探索レポ日記です。ちなみにちょうど1年前に姫路市の市街地の近代建築探索を行ってまして、ブログ記事にもしておりますので、そちらもご覧ください。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。
網干商工会館。興浜。昭和15年。
中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。
丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。
旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
毎月2回、日曜日に公開しているようです。
知原眼科。新在家。
大正〜昭和初期くらいでしょうか。
旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。
旧長久医院。余子浜。車が・・・・
別角度から。昭和初期くらいですかね。
旧銭湯。余子浜。現在は閉業。
林商店。余子浜。2階部分が洋風です。
金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。
旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
別角度から。
廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
木造倉庫もいくつか残されています。
旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。
大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
アメリカンスタイルの素敵な洋館。
内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
正面バルコニー。
現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。
旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。
以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。
網干商工会館。興浜。昭和15年。
中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。
丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。
旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
毎月2回、日曜日に公開しているようです。
知原眼科。新在家。
大正〜昭和初期くらいでしょうか。
旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。
旧長久医院。余子浜。車が・・・・
別角度から。昭和初期くらいですかね。
旧銭湯。余子浜。現在は閉業。
林商店。余子浜。2階部分が洋風です。
金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。
旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
別角度から。
廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
木造倉庫もいくつか残されています。
旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。
大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
アメリカンスタイルの素敵な洋館。
内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
正面バルコニー。
現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。
旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。
以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。
2023年01月21日
京都市上京区(御所周辺〜西陣)の近代建築探索レポ日記
2019年5月11日に探索した御所〜西陣までの近代建築探索レポ日記です。一部、それ以前に訪問し現在は失われている建物も合わせて紹介します。上京区は物件が多く今回の記事はかなり長くなります。それでも全ては抑えきれていませんが。
さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。
十両。左京区聖護院山王町。
料理屋さんのようですね。
ここから上京区へ。
旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。
高島医院。俵屋町。
この洋館が診察室だったんでしょうか。
第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。
I・A邸。新烏丸頭町。
洋館付きの住宅が並んでいます。
T邸。松蔭町。昭和7年。
あの藤井厚二の設計です。
吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?
O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。
I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。
京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
2階階段室。
レトロな傘立て。
入り口のドア。
3階階段室。
3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。
N邸。宮垣町。
大きめの洋館が付属する住宅。
旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
玄関のステンドグラス。
この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
離れの建物。倉庫だったかな?
聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。
U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。
I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。
三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。
旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。
S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。
Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。
F邸。扇町。
中々存在感のある洋館です。
K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。
洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。
I邸。藪之下町。
結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。
S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。
洋館住宅。相国寺門前町。
同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。
長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。
京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
入口も当時のままで雰囲気あります。
K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。
バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。
宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。
焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。
旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。
M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。
理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。
Y邸。元土御門町。大正11年。
付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。
S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。
Y邸。一松町。
昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
門は和風なんですね。
キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。
N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。
きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。
F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。
K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。
無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。
M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。
協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。
旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。
旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。
旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。
BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。
昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。
浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。
浄福寺診療所。大黒町。
昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。
洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。
理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。
國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
洋館には凝った装飾が。
M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。
Y邸。末広町。
山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。
西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。
I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。
京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
※京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
※京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記
さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。
桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。
旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。
旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。
旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・
上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。
梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。
みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。
西陣には他にも
京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。
さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。
十両。左京区聖護院山王町。
料理屋さんのようですね。
ここから上京区へ。
旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。
高島医院。俵屋町。
この洋館が診察室だったんでしょうか。
第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。
I・A邸。新烏丸頭町。
洋館付きの住宅が並んでいます。
T邸。松蔭町。昭和7年。
あの藤井厚二の設計です。
吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?
O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。
I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。
京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
2階階段室。
レトロな傘立て。
入り口のドア。
3階階段室。
3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。
N邸。宮垣町。
大きめの洋館が付属する住宅。
旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
玄関のステンドグラス。
この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
離れの建物。倉庫だったかな?
聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。
U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。
I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。
三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。
旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。
S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。
Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。
F邸。扇町。
中々存在感のある洋館です。
K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。
洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。
I邸。藪之下町。
結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。
S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。
洋館住宅。相国寺門前町。
同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。
長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。
京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
入口も当時のままで雰囲気あります。
K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。
バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。
宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。
焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。
旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。
M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。
理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。
Y邸。元土御門町。大正11年。
付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。
S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。
Y邸。一松町。
昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
門は和風なんですね。
キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。
N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。
きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。
F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。
K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。
無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。
M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。
協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。
旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。
旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。
旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。
BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。
昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。
浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。
浄福寺診療所。大黒町。
昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。
洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。
理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。
國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
洋館には凝った装飾が。
M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。
Y邸。末広町。
山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。
西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。
I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。
京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
※京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
※京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記
さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。
桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。
旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。
旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。
旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・
上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。
梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。
みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。
西陣には他にも
京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。
2023年01月14日
旧三井家下鴨別邸特別公開レポ日記
2022年8月の夏の文化財特別公開で公開された旧三井家下鴨別邸へ行った際の記事です。
旧三井家下鴨別邸は1階と庭園は普段から公開していますが、2階と3階は特別公開の日にしか入ることができません。今回は2階まででしたが、行ってみることにしました。
旧三井家下鴨別邸の正門。
旧三井家下鴨別邸の主屋。旧三井家下鴨別邸は元々明治13年に木屋町に建てられていた三井家の別邸を大正14年に三井家の祖霊社のある現在地の下鴨神社南の敷地に移築。増築を行い竣工しました。三井家の祖霊社は明治42年に完成しましたが、その敷地には元々屋敷があったらしく、旧三井家下鴨別邸の移築建築の際、元々の屋敷にあった茶室は残し旧三井家下鴨別邸の茶室としたようで、修理の際に慶応四年の年号がある棟札が見つかっています。旧三井家下鴨別邸は戦後、財閥解体により三井家から国へと移譲。国有地となった旧三井家下鴨別邸は昭和24年に京都家庭裁判所の官舎となりました。平成19年に官舎は廃止となり、平成24年に重要文化財に指定。修復され現在は文部科学省に移管されています。
旧三井家下鴨別邸は江戸時代末期の茶室、明治時代の主屋、大正時代の玄関棟からなる近代和風建築です。写真は玄関棟。ここから入ります。
玄関入ってすぐの所にある洋室の広間。和風を基調とした旧三井家下鴨別邸の中で、玄関両脇にある応接室と洋室広間は数少ない洋風の部屋です。現在はレストランになっています。
1階座敷。旧三井家下鴨別邸の部屋で一番広い部屋。
1階座敷の床の間。
1階座敷次の間。
1階座敷次の間。奥には坪庭が。
坪庭部分。
1階廊下。
1階廊下。
1階座敷の水屋。茶室だけでなく座敷でも茶を立ててたようです。
1階3畳間。奥の板戸の絵は江戸時代後期の画家、原在正の作。
1階座敷の縁側にある蹲。奥の建物が慶応4年の茶室。
蹲。庭園へは1階の縁側から降りれます。
庭園側から見た旧三井家下鴨別邸。こうして見ると大きな建物です。三井家所有時は祖霊社の休憩所として使用されていたようです。
庭園には百日紅や
桔梗や
蓮の花が咲いていました。再び建物へ。
2階座敷。
庭園側は濡れ縁となっており、庭園を眺めることができます。木屋町時代は高瀬川側になってました。
2階座敷から眺める。庭園。庭園は池泉回遊式。
2階座敷の床の間。
2階4畳半間。
2階6畳半間。2階の上には中3階の部屋と3階望楼がありますが、今回の特別公開はここまで。
3階の特別公開も年に何回かあるようです。
2階東側階段の横には浴室と便所があります。
東側階段の手摺。
手摺のデザインは結構モダンなデザインで、大正14年移築時の物かと思います。
脱衣所の洗面台。
2階浴室。ちなみに1階には2ヵ所浴室があります。
2階便所。当時としては珍しい洋式。これも大正期のものでしょう。1階にも3ヵ所便所があります。
洗面台。水回りは近代的な方が使い勝手がいいのか、洋式で統一されています。
旧三井家下鴨別邸は取り壊しの話もあったようですが、近代和風建築としての価値が認められ、修復され重要文化財に指定されたことで、新たな京都観光の1つとして人気となっています。この日も多くの観光客が訪ねていました。
旧三井家下鴨別邸は1階と庭園は普段から公開していますが、2階と3階は特別公開の日にしか入ることができません。今回は2階まででしたが、行ってみることにしました。
旧三井家下鴨別邸の正門。
旧三井家下鴨別邸の主屋。旧三井家下鴨別邸は元々明治13年に木屋町に建てられていた三井家の別邸を大正14年に三井家の祖霊社のある現在地の下鴨神社南の敷地に移築。増築を行い竣工しました。三井家の祖霊社は明治42年に完成しましたが、その敷地には元々屋敷があったらしく、旧三井家下鴨別邸の移築建築の際、元々の屋敷にあった茶室は残し旧三井家下鴨別邸の茶室としたようで、修理の際に慶応四年の年号がある棟札が見つかっています。旧三井家下鴨別邸は戦後、財閥解体により三井家から国へと移譲。国有地となった旧三井家下鴨別邸は昭和24年に京都家庭裁判所の官舎となりました。平成19年に官舎は廃止となり、平成24年に重要文化財に指定。修復され現在は文部科学省に移管されています。
旧三井家下鴨別邸は江戸時代末期の茶室、明治時代の主屋、大正時代の玄関棟からなる近代和風建築です。写真は玄関棟。ここから入ります。
玄関入ってすぐの所にある洋室の広間。和風を基調とした旧三井家下鴨別邸の中で、玄関両脇にある応接室と洋室広間は数少ない洋風の部屋です。現在はレストランになっています。
1階座敷。旧三井家下鴨別邸の部屋で一番広い部屋。
1階座敷の床の間。
1階座敷次の間。
1階座敷次の間。奥には坪庭が。
坪庭部分。
1階廊下。
1階廊下。
1階座敷の水屋。茶室だけでなく座敷でも茶を立ててたようです。
1階3畳間。奥の板戸の絵は江戸時代後期の画家、原在正の作。
1階座敷の縁側にある蹲。奥の建物が慶応4年の茶室。
蹲。庭園へは1階の縁側から降りれます。
庭園側から見た旧三井家下鴨別邸。こうして見ると大きな建物です。三井家所有時は祖霊社の休憩所として使用されていたようです。
庭園には百日紅や
桔梗や
蓮の花が咲いていました。再び建物へ。
2階座敷。
庭園側は濡れ縁となっており、庭園を眺めることができます。木屋町時代は高瀬川側になってました。
2階座敷から眺める。庭園。庭園は池泉回遊式。
2階座敷の床の間。
2階4畳半間。
2階6畳半間。2階の上には中3階の部屋と3階望楼がありますが、今回の特別公開はここまで。
3階の特別公開も年に何回かあるようです。
2階東側階段の横には浴室と便所があります。
東側階段の手摺。
手摺のデザインは結構モダンなデザインで、大正14年移築時の物かと思います。
脱衣所の洗面台。
2階浴室。ちなみに1階には2ヵ所浴室があります。
2階便所。当時としては珍しい洋式。これも大正期のものでしょう。1階にも3ヵ所便所があります。
洗面台。水回りは近代的な方が使い勝手がいいのか、洋式で統一されています。
旧三井家下鴨別邸は取り壊しの話もあったようですが、近代和風建築としての価値が認められ、修復され重要文化財に指定されたことで、新たな京都観光の1つとして人気となっています。この日も多くの観光客が訪ねていました。
2023年01月08日
たつの市の近代建築探索レポ日記
昨年、2022年12月29日に年末年始の休暇を利用して、兵庫県たつの市の近代建築探索をしてきました。
まずは本竜野駅前を探査。
駅前にある商店建築。たつの市龍野町堂本。
角の部分のベランダが良い感じです。
現在は使われていないようですが、元は美容室だったようです。
洋風商店建築。たつの市龍野町富永。
事務所建築かもしれません。
T邸。たつの市龍野町富永。
塔屋のある大きな建物。新しい建物かなと思いましたが・・・
側面の窓がアーチになっていて古さを感じたので、一応撮影。
富永橋。たつの市龍野町富永。多分昭和初期。
富永橋の側にある建物。
ガレリアアーツ。たつの市龍野町富永。揖保川の側に立つ洋風建築。
ツイッターで頂いた情報では元銀行だったとか。
ここから揖保川を渡り龍野城のある対岸の街へ。
揖保川の対岸にある洋風アーチ門のあるお屋敷。たつの市龍野町下川原。
アーチ門部分。中々の門構え。スパニッシュ風ですね。
装飾部分。
通用門の装飾。
3階建ての和風建築。リノベートされています。
大阪屋。たつの市龍野町下川原。洋風の商店建築。
古林医院。たつの市龍野町下川原。
町屋造りの病院。
玄関部分も趣あります。
F邸。たつの市龍野町下川原。楼閣付きの立派な4階建て木造建築。
洋風住宅。たつの市龍野町旭町。この辺りには龍野町遊郭がありました。
龍野町遊郭の建物。たつの市龍野町旭町。まさに遊郭建築といった大きな建物。
置屋建築でしょうか。
正面からでは入りきれないくらい大きい建物。
カネヰ醤油。たつの市龍野町上川原。煉瓦の宇建が中々洒落てます。
カネヰ醤油の工場。煉瓦の煙突が見えます。
近くにある気になった建物。
商店建築。たつの市龍野町旭町。たまたま見つけた建物ですが、中々のインパクトがあり思わず撮影。
全体にタイルを貼っていますが、かなり年季が入ってます。戦後建築かもしれませんが、この古色ぶりは中々のもの。
廃墟の洋風住宅。たつの市龍野町柳原。ほぼ半壊していて、近いうちに姿を消すでしょう。
旧龍野醤油協同組合本館。たつの市龍野町上霞城。大正13年。
たつの市を代表する近代建築の1つ。現在は大正ロマン館として使用され、内部にも入れますが、この日は年末休館で入れず…
M邸。たつの市龍野町上霞城。
かなり立派な洋館付き住宅。
うすくち龍野醤油資料館。たつの市龍野町大手。昭和7年。たつの市を代表する近代建築の1つ。
元々はヒガシマル醤油の本社屋でした。たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の街。
そしてここも年末休館で入れず。29日まではやってて欲しかったなぁ。
ふるさと。たつの市龍野町立町。外観が洋風の小料理屋さん
軒下の装飾。
玄関部分のタイル張り。
洋風外観の住宅。たつの市龍野町立町。2階窓がT邸のようなアーチ窓です。
旧中川医院。たつの市龍野町立町。明治30年。貴重な明治の擬洋風建築。現在はカフェになっていますが、やはりお休み…
旧理髪店。たつの市龍野町本町。洋風の散髪屋さん。
現在は廃業しているようですが、内部を覗くとそのまま残されていました。
写真の店トラヤ。たつの市龍野町川原町。洋館の写真館。
玄関部分が意匠的です。大正期の建物でしょうか。
サイレントリリィ。たつの市龍野町川原町。
現在は雑貨店。大きな窓がモダンさを出してます。
2階の装飾。折り紙の風車のような変わった装飾。
金葉会。たつの市龍野町川原町。何かの会館だったのでしょうか。
川原町公民館。たつの市龍野町川原町。
スクラッチタイルを外壁に用いた昭和初期らしい外観。
ただし、建物自体は木造の看板建築だと分かります。
S邸。たつの市龍野町川原町。
建物の半分が洋館で、半分が和風という変わった建物。
Y邸。たつの市龍野町曰山。明治36年。まるで神戸の北野にあるようなレベルの高い洋館。
明治36年築という古さも貴重。相当な資産家が建てたと思われる洋館。
たつの市の洋館住宅としては一番のレベルの高さかと。
玄関のアーチ窓にいるフクロウの像。内部とかも凄いんだろうなぁとは思いますが、何せ個人宅なので。最近外壁を塗り直しているようで、大切に使われていることが分かります。
旧ヒガシマル醤油第二工場事務所。たつの市龍野町曰山。たつの市の中心街から少し外れた場所にある工場。昭和初期でしょうか。
今は工場としては使われていないかも。
洋風の平屋住宅。たつの市龍野町曰山。ヒガシマル醤油第二工場の近くにあります。
洋室のある町屋。たつの市龍野町曰山。洋室部分は応接室だったんでしょうね。元商家かな。
洋館付き住宅。たつの市龍野町中霞城。玄関部分が良い感じですね。
N邸。たつの市龍野町中霞城。主屋を中心に洋館と洋風の玄関が付属する住宅。
洋館部分。背後の主屋も洋館側は外観が洋風になってます。
玄関部分も洋風。もしかしたら個人医院だったのかも。
ドイツ風の洋館住宅。たつの市龍野町中霞城。塀の奥に本格的な洋館住宅がありました。昭和初期でしょうか。
門も意匠的。やや和風っぽくも見えますが。
門の格子から敷地内を拝見。表札も出ていないため、空き家っぽいです。
数寄屋風近代和風建築。たつの市龍野町中霞城。元料理旅館でしょうか。レベルの高い数寄屋建築がありました。
T邸。たつの市龍野町下霞城。
中々本格的な洋館が付属した住宅がありました。昭和初期でしょうか。
下見板張りの平屋建物。たつの市龍野町下霞城。ちょっと気になった建物。
向かいに建つ和風建築も良い感じでした。
加勢タイル。たつの市龍野町下川原。駅へと向かう途中に見つけた建物。
建物は町屋造りですが、タイル店だけあって本来は漆喰を塗るはずの壁はモザイクタイルでびっしりと貼られています。
1階部分に貼られたモザイクタイルで書かれた「タイル衛生陶器」の文字。
反対側には「KASETILE」の文字。タイル店としての誇りと自信を感じる細工です。
たつの市は播磨の小京都と言われるくらい古い建物が多く残る風情ある街で、近代建築にも多く出会えました。ただ、年末ということで普段なら内部に入れる建物が軒並み休館だったのが残念。龍野城も外観は見れましたが、本丸御殿は入れず・・・。機会があったら今度は入りたいですね。
上にも書きましたが、たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の醤油の街。
その醤油の街たつの市で頂いた「うすくち醤油ラーメン」。たつの市の薄口醤油を使用したラーメンはあっさりかつ醤油の風味や出汁が良く効いていて美味しかったです。
まずは本竜野駅前を探査。
駅前にある商店建築。たつの市龍野町堂本。
角の部分のベランダが良い感じです。
現在は使われていないようですが、元は美容室だったようです。
洋風商店建築。たつの市龍野町富永。
事務所建築かもしれません。
T邸。たつの市龍野町富永。
塔屋のある大きな建物。新しい建物かなと思いましたが・・・
側面の窓がアーチになっていて古さを感じたので、一応撮影。
富永橋。たつの市龍野町富永。多分昭和初期。
富永橋の側にある建物。
ガレリアアーツ。たつの市龍野町富永。揖保川の側に立つ洋風建築。
ツイッターで頂いた情報では元銀行だったとか。
ここから揖保川を渡り龍野城のある対岸の街へ。
揖保川の対岸にある洋風アーチ門のあるお屋敷。たつの市龍野町下川原。
アーチ門部分。中々の門構え。スパニッシュ風ですね。
装飾部分。
通用門の装飾。
3階建ての和風建築。リノベートされています。
大阪屋。たつの市龍野町下川原。洋風の商店建築。
古林医院。たつの市龍野町下川原。
町屋造りの病院。
玄関部分も趣あります。
F邸。たつの市龍野町下川原。楼閣付きの立派な4階建て木造建築。
洋風住宅。たつの市龍野町旭町。この辺りには龍野町遊郭がありました。
龍野町遊郭の建物。たつの市龍野町旭町。まさに遊郭建築といった大きな建物。
置屋建築でしょうか。
正面からでは入りきれないくらい大きい建物。
カネヰ醤油。たつの市龍野町上川原。煉瓦の宇建が中々洒落てます。
カネヰ醤油の工場。煉瓦の煙突が見えます。
近くにある気になった建物。
商店建築。たつの市龍野町旭町。たまたま見つけた建物ですが、中々のインパクトがあり思わず撮影。
全体にタイルを貼っていますが、かなり年季が入ってます。戦後建築かもしれませんが、この古色ぶりは中々のもの。
廃墟の洋風住宅。たつの市龍野町柳原。ほぼ半壊していて、近いうちに姿を消すでしょう。
旧龍野醤油協同組合本館。たつの市龍野町上霞城。大正13年。
たつの市を代表する近代建築の1つ。現在は大正ロマン館として使用され、内部にも入れますが、この日は年末休館で入れず…
M邸。たつの市龍野町上霞城。
かなり立派な洋館付き住宅。
うすくち龍野醤油資料館。たつの市龍野町大手。昭和7年。たつの市を代表する近代建築の1つ。
元々はヒガシマル醤油の本社屋でした。たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の街。
そしてここも年末休館で入れず。29日まではやってて欲しかったなぁ。
ふるさと。たつの市龍野町立町。外観が洋風の小料理屋さん
軒下の装飾。
玄関部分のタイル張り。
洋風外観の住宅。たつの市龍野町立町。2階窓がT邸のようなアーチ窓です。
旧中川医院。たつの市龍野町立町。明治30年。貴重な明治の擬洋風建築。現在はカフェになっていますが、やはりお休み…
旧理髪店。たつの市龍野町本町。洋風の散髪屋さん。
現在は廃業しているようですが、内部を覗くとそのまま残されていました。
写真の店トラヤ。たつの市龍野町川原町。洋館の写真館。
玄関部分が意匠的です。大正期の建物でしょうか。
サイレントリリィ。たつの市龍野町川原町。
現在は雑貨店。大きな窓がモダンさを出してます。
2階の装飾。折り紙の風車のような変わった装飾。
金葉会。たつの市龍野町川原町。何かの会館だったのでしょうか。
川原町公民館。たつの市龍野町川原町。
スクラッチタイルを外壁に用いた昭和初期らしい外観。
ただし、建物自体は木造の看板建築だと分かります。
S邸。たつの市龍野町川原町。
建物の半分が洋館で、半分が和風という変わった建物。
Y邸。たつの市龍野町曰山。明治36年。まるで神戸の北野にあるようなレベルの高い洋館。
明治36年築という古さも貴重。相当な資産家が建てたと思われる洋館。
たつの市の洋館住宅としては一番のレベルの高さかと。
玄関のアーチ窓にいるフクロウの像。内部とかも凄いんだろうなぁとは思いますが、何せ個人宅なので。最近外壁を塗り直しているようで、大切に使われていることが分かります。
旧ヒガシマル醤油第二工場事務所。たつの市龍野町曰山。たつの市の中心街から少し外れた場所にある工場。昭和初期でしょうか。
今は工場としては使われていないかも。
洋風の平屋住宅。たつの市龍野町曰山。ヒガシマル醤油第二工場の近くにあります。
洋室のある町屋。たつの市龍野町曰山。洋室部分は応接室だったんでしょうね。元商家かな。
洋館付き住宅。たつの市龍野町中霞城。玄関部分が良い感じですね。
N邸。たつの市龍野町中霞城。主屋を中心に洋館と洋風の玄関が付属する住宅。
洋館部分。背後の主屋も洋館側は外観が洋風になってます。
玄関部分も洋風。もしかしたら個人医院だったのかも。
ドイツ風の洋館住宅。たつの市龍野町中霞城。塀の奥に本格的な洋館住宅がありました。昭和初期でしょうか。
門も意匠的。やや和風っぽくも見えますが。
門の格子から敷地内を拝見。表札も出ていないため、空き家っぽいです。
数寄屋風近代和風建築。たつの市龍野町中霞城。元料理旅館でしょうか。レベルの高い数寄屋建築がありました。
T邸。たつの市龍野町下霞城。
中々本格的な洋館が付属した住宅がありました。昭和初期でしょうか。
下見板張りの平屋建物。たつの市龍野町下霞城。ちょっと気になった建物。
向かいに建つ和風建築も良い感じでした。
加勢タイル。たつの市龍野町下川原。駅へと向かう途中に見つけた建物。
建物は町屋造りですが、タイル店だけあって本来は漆喰を塗るはずの壁はモザイクタイルでびっしりと貼られています。
1階部分に貼られたモザイクタイルで書かれた「タイル衛生陶器」の文字。
反対側には「KASETILE」の文字。タイル店としての誇りと自信を感じる細工です。
たつの市は播磨の小京都と言われるくらい古い建物が多く残る風情ある街で、近代建築にも多く出会えました。ただ、年末ということで普段なら内部に入れる建物が軒並み休館だったのが残念。龍野城も外観は見れましたが、本丸御殿は入れず・・・。機会があったら今度は入りたいですね。
上にも書きましたが、たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の醤油の街。
その醤油の街たつの市で頂いた「うすくち醤油ラーメン」。たつの市の薄口醤油を使用したラーメンはあっさりかつ醤油の風味や出汁が良く効いていて美味しかったです。