2023年02月
2023年02月19日
京都市・西七条〜西京極〜西院〜壬生界隈の近代建築探索レポ日記
今回は京都市の西七条から西京極、西院、壬生界隈の近代建築探索をしました。
西院と壬生界隈の近代建築探索については、2019年11月27日に行っており、今回はその補足探索も兼ねていますので、過去記事の方もご覧ください。
※京都市・二条〜西院〜壬生・大宮界隈の近代建築探索レポ日記
JR梅小路西駅からスタート。

第一工業製薬本館。下京区東久保町。昭和12年。

3階建ての大きなオフィスビル。

かっては本館の横に同じ昭和12年築の工場棟と研究棟が建っていました。

工場棟と研究棟が建っていた頃の写真。だいたい20年くらい前。

現在は本館のみ残され、跡地にはマンションが建てられています。
このまま西へ。

K邸。下京区梅小路石橋町。洋館付き住宅ですが、洋館部分が大きく目立ち、主屋は控えめ。門柱も当時の物のようです。

旧工場。下京区西七条中野町。町工場でしょうか。和風の工場棟。

縦に長い建物です。

洋館付き住宅。下京区西七条南西野町。2棟の建物は接続しており、長屋的な構造になっています。

ハピネスハウス。下京区西七条比輪田町。現在は何に使われているか不明。

岩井たばこ店。下京区西七条南衣田町。七条通りには戦前の古い商店建築がちらほら残されていますが、このたばこ屋さんは戦前の文字とかが残っていて中々貴重。

建物の雰囲気も良い感じですね。

壁面にある「たばこ」の文字。軒周りの装飾も良い感じ。

正面にはマークと「印判彫刻」「諸印刷」の文字があり、印刷関係の業務もしていた感じです。
ここから北上し右京区へ。

宝田工業。右京区西京極南庄境町。玄関側の角を丸く仕上げている手が込んでいる事務所建築。

こういったモザイクタイル張りの建物もあまり見なくなりましたね。

現在は使われていないようで空き家状態。良い建物だと思うので、再活用されればいいのですが。

京都西陣文化会館。右京区西京極豆田町。戦後建築の昭和43年(1968年)の築ですが、レトロモダンなその雰囲気が気になって撮影。最近のアパートはポストモダン的な要素が多く、こういった純粋なモダニズム建築のアパートは少なく、やはりレトロな雰囲気を感じます。

かつてはモダンな建物だったこのアパートもすでに築55年。もう老朽化の影響が出ていそうな気がします。まだまだ入居できるようですが、今後どうなるか。

K邸。右京区西京極西川町。主屋に2階建ての洋館が付属する住宅。もしかしたら、商店だったかも。

喫茶リエは洋館の隣にある別の建物。

K邸。右京区西京極西川町。

外観は中々本格的な洋風。なんとなく元医院だった気がします。

立地は三角形の土地に建っているためか、不定形な形です。

旧西京極変電所。右京区西京極畑田町。現在の西京極変電所の横に建つ建物なので、建物の形などから変電所の旧建屋ではと思います。

見た感じは昭和10年代の建築に見えます。取り壊さず倉庫か何かに再利用したのでしょうか。
ここから阪急に乗り西院へ。

京都市農業協同組合西院支部。右京区西院春日町。農協の建物で、春日神社の隣にある建物。

元々は公民館とかそんな感じの建物だったのでしょうか。奥に洋館が付属しています。
次は東へ進み壬生方面へ。

理容那須。中京区壬生森町。外観はシンプルですが、中々味のある建物。

いつまでも現役で続けて欲しいです。

芥川医院。中京区壬生森町。前回訪問済みの建物。理容那須はこの芥川医院のすぐ近くで、なんで前回の探索で理容那須をスルーしてしまったのか。戦前の個人医院の洋館はどれも素晴らしいものが多いです。

芋松温泉。京都市中京区壬生森町。これも前回訪問済み。最近はこういう趣のある銭湯も減りましたね。

翠明荘。中京区壬生森町。芋松温泉の向かいにある古いアパート。向かいなのに何故前回スルーしたのか。

で、このアパートですが、普通のアパートにしては雰囲気がなんか違う。

入口に唐破風が。あと玄関脇に意味深な丸窓とのぞき窓っぽいのが。
これ、遊郭関連の建物じゃないかと。普通、アパートの入口にこんな唐破風屋根は設けない。

近くの通りには遊郭建築っぽい建物が並んでいたり。壬生には確かに壬生寺近辺に遊郭街があったそうですが、ここは少し離れているのが気になります。小規模な遊郭街が゛あったのでしょうか。
ここから二条駅方面へ。

U邸。中京区壬生神明町。洋館付き住宅ですが、戦後かもしれません。
今回の探索はこれで終了。まだ未探索エリアだった西七条〜西京極界隈の物件を把握することができ、前回の探索で見逃した物件も埋めることが出来ました。
西院と壬生界隈の近代建築探索については、2019年11月27日に行っており、今回はその補足探索も兼ねていますので、過去記事の方もご覧ください。
※京都市・二条〜西院〜壬生・大宮界隈の近代建築探索レポ日記
JR梅小路西駅からスタート。

第一工業製薬本館。下京区東久保町。昭和12年。

3階建ての大きなオフィスビル。

かっては本館の横に同じ昭和12年築の工場棟と研究棟が建っていました。

工場棟と研究棟が建っていた頃の写真。だいたい20年くらい前。

現在は本館のみ残され、跡地にはマンションが建てられています。
このまま西へ。

K邸。下京区梅小路石橋町。洋館付き住宅ですが、洋館部分が大きく目立ち、主屋は控えめ。門柱も当時の物のようです。

旧工場。下京区西七条中野町。町工場でしょうか。和風の工場棟。

縦に長い建物です。

洋館付き住宅。下京区西七条南西野町。2棟の建物は接続しており、長屋的な構造になっています。

ハピネスハウス。下京区西七条比輪田町。現在は何に使われているか不明。

岩井たばこ店。下京区西七条南衣田町。七条通りには戦前の古い商店建築がちらほら残されていますが、このたばこ屋さんは戦前の文字とかが残っていて中々貴重。

建物の雰囲気も良い感じですね。

壁面にある「たばこ」の文字。軒周りの装飾も良い感じ。

正面にはマークと「印判彫刻」「諸印刷」の文字があり、印刷関係の業務もしていた感じです。
ここから北上し右京区へ。

宝田工業。右京区西京極南庄境町。玄関側の角を丸く仕上げている手が込んでいる事務所建築。

こういったモザイクタイル張りの建物もあまり見なくなりましたね。

現在は使われていないようで空き家状態。良い建物だと思うので、再活用されればいいのですが。

京都西陣文化会館。右京区西京極豆田町。戦後建築の昭和43年(1968年)の築ですが、レトロモダンなその雰囲気が気になって撮影。最近のアパートはポストモダン的な要素が多く、こういった純粋なモダニズム建築のアパートは少なく、やはりレトロな雰囲気を感じます。

かつてはモダンな建物だったこのアパートもすでに築55年。もう老朽化の影響が出ていそうな気がします。まだまだ入居できるようですが、今後どうなるか。

K邸。右京区西京極西川町。主屋に2階建ての洋館が付属する住宅。もしかしたら、商店だったかも。

喫茶リエは洋館の隣にある別の建物。

K邸。右京区西京極西川町。

外観は中々本格的な洋風。なんとなく元医院だった気がします。

立地は三角形の土地に建っているためか、不定形な形です。

旧西京極変電所。右京区西京極畑田町。現在の西京極変電所の横に建つ建物なので、建物の形などから変電所の旧建屋ではと思います。

見た感じは昭和10年代の建築に見えます。取り壊さず倉庫か何かに再利用したのでしょうか。
ここから阪急に乗り西院へ。

京都市農業協同組合西院支部。右京区西院春日町。農協の建物で、春日神社の隣にある建物。

元々は公民館とかそんな感じの建物だったのでしょうか。奥に洋館が付属しています。
次は東へ進み壬生方面へ。

理容那須。中京区壬生森町。外観はシンプルですが、中々味のある建物。

いつまでも現役で続けて欲しいです。

芥川医院。中京区壬生森町。前回訪問済みの建物。理容那須はこの芥川医院のすぐ近くで、なんで前回の探索で理容那須をスルーしてしまったのか。戦前の個人医院の洋館はどれも素晴らしいものが多いです。

芋松温泉。京都市中京区壬生森町。これも前回訪問済み。最近はこういう趣のある銭湯も減りましたね。

翠明荘。中京区壬生森町。芋松温泉の向かいにある古いアパート。向かいなのに何故前回スルーしたのか。

で、このアパートですが、普通のアパートにしては雰囲気がなんか違う。

入口に唐破風が。あと玄関脇に意味深な丸窓とのぞき窓っぽいのが。
これ、遊郭関連の建物じゃないかと。普通、アパートの入口にこんな唐破風屋根は設けない。

近くの通りには遊郭建築っぽい建物が並んでいたり。壬生には確かに壬生寺近辺に遊郭街があったそうですが、ここは少し離れているのが気になります。小規模な遊郭街が゛あったのでしょうか。
ここから二条駅方面へ。

U邸。中京区壬生神明町。洋館付き住宅ですが、戦後かもしれません。
今回の探索はこれで終了。まだ未探索エリアだった西七条〜西京極界隈の物件を把握することができ、前回の探索で見逃した物件も埋めることが出来ました。
2023年02月12日
奈良市内の近代建築補足探索レポ日記(2023年2月11日)
4年前の2019年1月12日に探索した奈良市内の近代建築ですが、その後記事にするにあたりチェックしたところ、4年前の探索範囲で結構見逃している物件が多くあり、今回改めて補完するため補足探索をしてきました。4年前の探索分の記事と合わせてご覧いただけたらと思います。
※奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
また、有名物件なので何度も見ているけど、いつもスルーしていた建物もこの際なので紹介したいと思います。
今回は近鉄新大宮駅からスタートし、前回探索範囲をなぞる形で回っていきます。

M邸。芝辻町。童話に出てくるような可愛らしい洋館が付属しています。

G邸。法蓮町。住人の方のお名前はとても珍しい名字。庭木の手入れをしている人がいたのであまり近づけませんでしたが、中々レベルの高い洋館です。

背面。窓の先端が尖る尖頭アーチっぽいデザイン。昭和初期頃でしょうか。

洋室付き住宅。法蓮町。

見づらいですが、玄関脇に小さな洋室が付属しています。現在は空家のようでいずれ姿を消しそうです。

D邸。法蓮町。2019年に探索した際に訪問したI邸のすぐ隣の住宅。何故見落としたんだろうか。小さな洋館ですが、前面にドンとあるので存在感があります。

佐保会館。北魚屋西町。昭和3年。奈良女子大学の同窓会館の建物。実は4年前の探索時にこれを見ているのですが、その時は何故か写真を撮らなかった。

H邸。西笹鉾町。奥に大き目の洋館が見えますが取りづらい・・・。

旧南都銀行手貝支店。手貝町。昭和15年。国宝・転害門の隣にある銀行。昭和15年の銀行建築と言えば、RC造のモダニズム建築かもしくは古典建築が主流だったと思いますが、奥に見えている転害門との調和を考えてか、和風の木造建築となっています。近年リフォームされ、転害門観光案内所として使用されています。


旧南都銀行手貝支店と同じ通りに並ぶ洋風の看板建築。

鼓阪小学校講堂。雑司町。昭和11年。転害門の裏、東大寺の敷地に隣接する小学校。そのためか、建物自体はRC造ですが、外観は日本建築。当時から歴史的な景観に関しての配慮があったんですね。

2019年の探索でも訪問した奈良ホテル。辰野金吾設計の名建築は言うまでもないです。

今回訪問したのはこれを見るため。実はこれは防空壕。

宿泊者を空襲から守るために造られた防空壕は、銅鑼で知らせたそうです。

活活亭。紀寺笠屋町。昭和初期頃の洋館住宅を再利用した鰻料理店。

割とリーズナブルな値段で食べられるお店だったようですが、ネットの情報では2020年から休業をしているらしく、私は訪問した際はちょっと荒れ気味で、もう廃業かもしれません。食べログの写真を見ると、1階は和室。2階へ上がる階段はセセッション風の手摺で、是非見たかったですが…。

H邸。高畑町。2019年にも訪問し、記事にも書いてますが、4年前には存在した手前の民家が更地になっており、全体が見渡せる状態になっていました。

スクラッチタイルの門柱・塀柱。高畑町。奥の住宅は建て直されているようですが、門と塀の柱が昭和初期頃の感じに見えるので掲載。

M邸。紀寺町。これと同じような小型の丘屋根の洋館が付属する住宅は、2019年探索時の高畑町のK邸にもありました。

洋館付き住宅群。紀寺町。3軒ほどあります。

M邸。紀寺町。奈良市内の洋館が付属する住宅の洋館は、切妻屋根で妻側を向けているのが多いですね。

イケダ醤油煉瓦倉庫。北京終町。大正10年頃。京終駅へと向かう途中の住宅街にある大きな煉瓦建築。

妻側。

JR京終駅。京終町。明治31年。JR桜井線の駅。

レトロな木造駅舎ですが、近年リフォームされ、駅員室は喫茶店となっています。

ホーム側から。大切に使われているのはいいですね。

京終は「きょうばて」と読みます。由来はかつての平城京の外れという意味。日本でも有数の難読駅名・難読地名ですね。この京終駅から電車に乗りJR奈良駅へ。京終駅から奈良駅は1駅。

旧奈良駅舎。三条本町。昭和9年。RC造の駅舎ですが、外観は寺院の仏塔をイメージした和風の要素のある建物。2001年の立体交差化で取り壊しが検討されましたが、地元住民や観光客から保存を望む声が湧きあがり、2004年に北東へ18m曳家して保存することが決定。2009年に奈良市総合観光案内所としてオープンしました。

内部も和の要素を取り入れたデザインで、天井は折上格天井となっています。現役の頃に行ったことありますが、現在は観光案内所という性格か寺院建築の柱や梁を模したオブジェとかが置かれてちょっと邪魔かな・・・。ちなみに建物内にはスタバもありますので、一息つくにはいい感じの建物です。

H邸。杉ヶ町。

もしかしたら、事務所建築だったのかもしれません。表札は一応ありましたが、上から消されているような感じにも見え、空き家かもしれません。

三条会館ビル。角振町。大正12年。元は帝国実業貯蓄銀行。奈良市の繁華街である三条通りに面するレトロビル。昔から知られている建物で、幾度もテナントが変わり改修もされてきました。現在はうどん屋さんが入っています。

南都銀行本店。橋本町。大正15年。設計・長野宇平治。旧六十八銀行奈良支店だった建物で、三条通りのランドマークと言える建物であり、奈良市を代表する近代建築。

京都市内もですが、20年ほど前はまだ戦前の古典様式の銀行が多く残されていましたが、銀行の合併や再編で10年ほど前から次々と姿を消し、今では貴重な存在となっています。この南都銀行本店は大切に保存されているようです。

日本聖公会奈良基督教会。昭和5年。登大路町。まるで寺院のような教会。奈良という土地に合わせて寺院風の建築で建てられているのが面白いですね。

旧大阪電気軌道富雄変電所。富雄北。大正3年。2023年1月29日の富雄丸山古墳現地見学会に行った際に訪問。保存運動があり、以前はレストランとして再利用されていたみたいですが、現在は再び空き家となっているようで、今後どうなるかが気になります…。
これで奈良市内の近代建築の補足探索は終了。一応把握している建物は廻れたかなと思います(奈良国立博物館は有名すぎるのでスルー)。しかし、まだ場所を把握していない物件が少しあり、また新たな物件が見つかる可能性もあるので、それからまた溜ったら再度補足探索をして追加記事を書きたいと思います。奈良市と洋風建築って中々結びつかないように見えますが、結構残されていたりしますので。
※奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
また、有名物件なので何度も見ているけど、いつもスルーしていた建物もこの際なので紹介したいと思います。
今回は近鉄新大宮駅からスタートし、前回探索範囲をなぞる形で回っていきます。

M邸。芝辻町。童話に出てくるような可愛らしい洋館が付属しています。

G邸。法蓮町。住人の方のお名前はとても珍しい名字。庭木の手入れをしている人がいたのであまり近づけませんでしたが、中々レベルの高い洋館です。

背面。窓の先端が尖る尖頭アーチっぽいデザイン。昭和初期頃でしょうか。

洋室付き住宅。法蓮町。

見づらいですが、玄関脇に小さな洋室が付属しています。現在は空家のようでいずれ姿を消しそうです。

D邸。法蓮町。2019年に探索した際に訪問したI邸のすぐ隣の住宅。何故見落としたんだろうか。小さな洋館ですが、前面にドンとあるので存在感があります。

佐保会館。北魚屋西町。昭和3年。奈良女子大学の同窓会館の建物。実は4年前の探索時にこれを見ているのですが、その時は何故か写真を撮らなかった。

H邸。西笹鉾町。奥に大き目の洋館が見えますが取りづらい・・・。

旧南都銀行手貝支店。手貝町。昭和15年。国宝・転害門の隣にある銀行。昭和15年の銀行建築と言えば、RC造のモダニズム建築かもしくは古典建築が主流だったと思いますが、奥に見えている転害門との調和を考えてか、和風の木造建築となっています。近年リフォームされ、転害門観光案内所として使用されています。


旧南都銀行手貝支店と同じ通りに並ぶ洋風の看板建築。

鼓阪小学校講堂。雑司町。昭和11年。転害門の裏、東大寺の敷地に隣接する小学校。そのためか、建物自体はRC造ですが、外観は日本建築。当時から歴史的な景観に関しての配慮があったんですね。

2019年の探索でも訪問した奈良ホテル。辰野金吾設計の名建築は言うまでもないです。

今回訪問したのはこれを見るため。実はこれは防空壕。

宿泊者を空襲から守るために造られた防空壕は、銅鑼で知らせたそうです。

活活亭。紀寺笠屋町。昭和初期頃の洋館住宅を再利用した鰻料理店。

割とリーズナブルな値段で食べられるお店だったようですが、ネットの情報では2020年から休業をしているらしく、私は訪問した際はちょっと荒れ気味で、もう廃業かもしれません。食べログの写真を見ると、1階は和室。2階へ上がる階段はセセッション風の手摺で、是非見たかったですが…。

H邸。高畑町。2019年にも訪問し、記事にも書いてますが、4年前には存在した手前の民家が更地になっており、全体が見渡せる状態になっていました。

スクラッチタイルの門柱・塀柱。高畑町。奥の住宅は建て直されているようですが、門と塀の柱が昭和初期頃の感じに見えるので掲載。

M邸。紀寺町。これと同じような小型の丘屋根の洋館が付属する住宅は、2019年探索時の高畑町のK邸にもありました。

洋館付き住宅群。紀寺町。3軒ほどあります。

M邸。紀寺町。奈良市内の洋館が付属する住宅の洋館は、切妻屋根で妻側を向けているのが多いですね。

イケダ醤油煉瓦倉庫。北京終町。大正10年頃。京終駅へと向かう途中の住宅街にある大きな煉瓦建築。

妻側。

JR京終駅。京終町。明治31年。JR桜井線の駅。

レトロな木造駅舎ですが、近年リフォームされ、駅員室は喫茶店となっています。

ホーム側から。大切に使われているのはいいですね。

京終は「きょうばて」と読みます。由来はかつての平城京の外れという意味。日本でも有数の難読駅名・難読地名ですね。この京終駅から電車に乗りJR奈良駅へ。京終駅から奈良駅は1駅。

旧奈良駅舎。三条本町。昭和9年。RC造の駅舎ですが、外観は寺院の仏塔をイメージした和風の要素のある建物。2001年の立体交差化で取り壊しが検討されましたが、地元住民や観光客から保存を望む声が湧きあがり、2004年に北東へ18m曳家して保存することが決定。2009年に奈良市総合観光案内所としてオープンしました。

内部も和の要素を取り入れたデザインで、天井は折上格天井となっています。現役の頃に行ったことありますが、現在は観光案内所という性格か寺院建築の柱や梁を模したオブジェとかが置かれてちょっと邪魔かな・・・。ちなみに建物内にはスタバもありますので、一息つくにはいい感じの建物です。

H邸。杉ヶ町。

もしかしたら、事務所建築だったのかもしれません。表札は一応ありましたが、上から消されているような感じにも見え、空き家かもしれません。

三条会館ビル。角振町。大正12年。元は帝国実業貯蓄銀行。奈良市の繁華街である三条通りに面するレトロビル。昔から知られている建物で、幾度もテナントが変わり改修もされてきました。現在はうどん屋さんが入っています。

南都銀行本店。橋本町。大正15年。設計・長野宇平治。旧六十八銀行奈良支店だった建物で、三条通りのランドマークと言える建物であり、奈良市を代表する近代建築。

京都市内もですが、20年ほど前はまだ戦前の古典様式の銀行が多く残されていましたが、銀行の合併や再編で10年ほど前から次々と姿を消し、今では貴重な存在となっています。この南都銀行本店は大切に保存されているようです。

日本聖公会奈良基督教会。昭和5年。登大路町。まるで寺院のような教会。奈良という土地に合わせて寺院風の建築で建てられているのが面白いですね。

旧大阪電気軌道富雄変電所。富雄北。大正3年。2023年1月29日の富雄丸山古墳現地見学会に行った際に訪問。保存運動があり、以前はレストランとして再利用されていたみたいですが、現在は再び空き家となっているようで、今後どうなるかが気になります…。
これで奈良市内の近代建築の補足探索は終了。一応把握している建物は廻れたかなと思います(奈良国立博物館は有名すぎるのでスルー)。しかし、まだ場所を把握していない物件が少しあり、また新たな物件が見つかる可能性もあるので、それからまた溜ったら再度補足探索をして追加記事を書きたいと思います。奈良市と洋風建築って中々結びつかないように見えますが、結構残されていたりしますので。
奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
奈良市内の近代建築探索のレポ日記です。今から4年前の2019年に1度探索を行いましたが、その後改めてチェックすると、結構スルーしている物件が多く、2023年2月11日に補完するための補足探索を行いました。そこで2019年1月12日の探索分と補足探索である2023年2月11日の探索分の2つに記事を分けることに。今回は2019年1月12日の探索レポ日記です。
※2023年2月11日の補足探索レポ日記の記事はこちら。
近鉄奈良駅から移動し、まずは奈良市内の西側からスタート。

M邸。芝辻町。

スクラッチタイル張りの背の高い洋館。軒周りの装飾が良い感じです。

M邸。北市町。これはまた雰囲気のある洋館。

一部改装されていますが、ドイツ風っぽい良い感じの洋館。昭和初期頃。

入り口部分も凝ってますね。ここから北上。

洋館付きの住宅。法蓮町。

洋館付き住宅は割と見ますが、この住宅の洋館は結構大型。腰回りは板張りでデザインも凝ってます。表札が取り外されていてもしかしたら空家かも。

H邸。法蓮町。先ほどの洋館付きの住宅から同じ通りを少し北上した所にある住宅。
洋館のデザインに少しだけ差があるのみで、洋館の外観や規模、奥の主屋も含めてほぼ同じ。一体は分譲住宅地だったんでしょうか。

I邸。法蓮町。1階が洋館で2階が和風建築の和洋折衷住宅。

洋館住宅。多門町。大きく取られた窓が特徴的です。

F邸。多門町。

先ほどのI邸とよく似た造りの和洋折衷住宅です。

T邸。東包永町。洋館自体はそこまで大きくないですが、主屋が小さめで路地が狭いため、大きく見えます。

廃屋の洋館。西笹鉾町。すでに廃墟化しており荒れていますが、結構立派な洋館です。

元は医院だったのかもしれません。昭和初期頃でしょうか。
※2023年2月11日、消失を確認しました。

旧奈良警察学校。西笹鉾町。昭和16年。

元は警察学校という建物ですが、外観は昭和初期の小学校建築っぽいです。

玄関部分の車寄せとかいかにも昭和戦前期といったデザイン。現在は天理教関連の施設として使用。

Y邸。半田西町。

どことなく土蔵っぽい雰囲気を持つスクラッチタイルの洋館。

旧北魚屋町交番。半田横町。昭和3年。現在は案内所として使用されています。

奈良女子大学本館。宿院町。明治42年。

※奈良女子大学の写真は2019年4月30日の一般公開の際に撮影したものです。
女子大の建物らしく、瀟洒で可憐な美しい洋館。国指定重要文化財。

奈良女子大学守衛所。明治42年。

敷地内には昭和9年に建てられた奉安殿が現存しています。

本館1階廊下。

1階部屋。

2階講堂。2019年4月30日の奈良女子大学一般公開の際のレポ日記は改めて別記事にて書きたいと思ってます。

N邸。登大路町。昭和初期頃のかなり大型の洋館。

どことなくスパニッシュの雰囲気を持ちつつも控えめな装飾の洋館は、京都の分譲住宅で多く建てられた熊倉工務店やあめりか屋っぽさを感じますがどうでしょうか。

側面。

アーチ窓にはステンドグラスがありました。

洋館付きの住宅。今在家町。擬石洗い出しの荒壁仕上の小さな洋館が付属しています。

江戸川ならまち店。下御門町。かなり大きなお屋敷を飲食店に再利用した建物。洋館部分は応接室だったのでしょうか。

旧奈良県物産陳列所。登大路町。明治35年。奈良公園内にある和洋折衷の名建築。国指定重要文化財。

K邸。芝辻町。大正14年。

食用細菌の研究を行っていた会社のオーナーの住宅だった洋館。


工場の建物も残されていて、現在はカフェとして使用されています。

旧奈良市水道計量器室。 東之阪町。大正11年。現在は使われておらず、史跡といった形で残されています。


旧奈良監獄。般若寺町。明治42年。貴重な明治の監獄建築。設計は山下啓次郎。奈良少年刑務所の閉鎖により、ホテルとして再活用されることになり改修前の一般公開が2018年11月24日に行われました。

地下や中庭は中世ヨーロッパの古城のような雰囲気でした。旧奈良監獄の一般公開のレポ日記は別記事にしていますので、そちらをご覧ください。
※旧奈良監獄・一般公開見学レポ日記

奈良ホテル 高畑町。明治42年。辰野金吾設計の名建築。

ラウンジ。

階段室の天井。

奈良ホテルといえば、この赤膚焼の擬宝珠が有名ですね。奈良ホテルに関しては
また別記事にしたいかなと。

※2023年2月11日撮影。
奈良ホテルの敷地内には防空壕も残されています。これは補足編で触れます。

ゲストハウスたむら。高辻町。洋館付きの住宅を宿泊施設に再利用したもの。割と手ごろな値段で宿泊でき、この洋館内で手作り朝食を頂けるようで、いつか泊まってみたいかなと。
ここから、高畑町の住宅街へ。

M邸。高畑町。ログハウス風の洋館。

H邸。高畑町。

昭和初期頃の洋館でしょうか。

2023年2月11日の補足探索時に再度訪問したら、前の住宅が更地となり、洋館の全体が確認できるようになってました。

旧足立邸。高畑町。大正8年。洋画家・足立源一郎の自邸として建てられた洋館。昭和3年に洋画家・中村義夫が譲り受け自邸としました。

現在は「たかばたけ茶論」という喫茶店になってますが、開店が14;00からと待っていられないので、敷地外から撮影して終了。

K邸。高畑町。

A邸。高畑町。鎧戸のある洋館。

T邸正門・塀。高畑町。かなり立派な門と塀のある住宅。奥の住宅は最近のものですが、この門の立派さを見ると、かつては相当な洋館が建っていたのかもしれません。

煉瓦塀のある長屋。高畑町。

表札不明の洋館。高畑町。

洋館住宅。高畑町。昭和初期頃と思われる大きな洋館住宅。

表札が外されており、現在は空家のようです。

側面。マントルピースの煙突があることから、内部も手が込んでいそうです。

ステンドグラスもありました。このまま空き家状態で失われていくのは勿体ないなぁ。

洋館住宅。高畑町。もしかしたら戦後かもしれませんが、一応掲載。

洋館住宅。高畑町。2階窓が鎧戸です。

平屋の洋館住宅。高畑町。旧足立邸の向かいにありました。
高畑町を後にし、近鉄奈良駅方面へ。

寛永堂。東向中町。元銀行だそうで、内部に装飾を施した柱が残されています。

これにて2019年の奈良市内の近代建築探索レポは終了。今回探索した範囲で見逃した物件と有名すぎていつも撮影せずスルーしていた建物を含めて4年後の2023年に補足探索を行いましたので、次回はそちらのレポ日記を書きたいと思います。

※建物の性格上、具体的な場所は明かせませんが、奈良市内に明治〜大正期築の大型の洋館の廃墟が存在します。

廃墟化してかなり荒れてますが、外観を見てもかなりハイレベルな洋館と分かります。

室内にはマントルピースやシャンデリアの座繰りが残されており、その豪華さが伺えます。奈良市内の戦前の洋館住宅としては、古さ・規模・デザイン性ともに随一かと思われます。
以前訪問した際のレポ日記を別記事にして書いております。
※奈良市内某所にある明治〜大正期築の廃墟の洋館・探索レポ日記
※具体的な場所はお答えできません。以前、荒らしに近い無礼なコメントがあり、リンク先の記事のコメント欄は閉じています。当記事でも同様のコメントに関しては即削除します。
※2023年2月11日の補足探索レポ日記の記事はこちら。
近鉄奈良駅から移動し、まずは奈良市内の西側からスタート。

M邸。芝辻町。

スクラッチタイル張りの背の高い洋館。軒周りの装飾が良い感じです。

M邸。北市町。これはまた雰囲気のある洋館。

一部改装されていますが、ドイツ風っぽい良い感じの洋館。昭和初期頃。

入り口部分も凝ってますね。ここから北上。

洋館付きの住宅。法蓮町。

洋館付き住宅は割と見ますが、この住宅の洋館は結構大型。腰回りは板張りでデザインも凝ってます。表札が取り外されていてもしかしたら空家かも。

H邸。法蓮町。先ほどの洋館付きの住宅から同じ通りを少し北上した所にある住宅。
洋館のデザインに少しだけ差があるのみで、洋館の外観や規模、奥の主屋も含めてほぼ同じ。一体は分譲住宅地だったんでしょうか。

I邸。法蓮町。1階が洋館で2階が和風建築の和洋折衷住宅。

洋館住宅。多門町。大きく取られた窓が特徴的です。

F邸。多門町。

先ほどのI邸とよく似た造りの和洋折衷住宅です。

T邸。東包永町。洋館自体はそこまで大きくないですが、主屋が小さめで路地が狭いため、大きく見えます。

廃屋の洋館。西笹鉾町。すでに廃墟化しており荒れていますが、結構立派な洋館です。

元は医院だったのかもしれません。昭和初期頃でしょうか。
※2023年2月11日、消失を確認しました。

旧奈良警察学校。西笹鉾町。昭和16年。

元は警察学校という建物ですが、外観は昭和初期の小学校建築っぽいです。

玄関部分の車寄せとかいかにも昭和戦前期といったデザイン。現在は天理教関連の施設として使用。

Y邸。半田西町。

どことなく土蔵っぽい雰囲気を持つスクラッチタイルの洋館。

旧北魚屋町交番。半田横町。昭和3年。現在は案内所として使用されています。

奈良女子大学本館。宿院町。明治42年。

※奈良女子大学の写真は2019年4月30日の一般公開の際に撮影したものです。
女子大の建物らしく、瀟洒で可憐な美しい洋館。国指定重要文化財。

奈良女子大学守衛所。明治42年。

敷地内には昭和9年に建てられた奉安殿が現存しています。

本館1階廊下。

1階部屋。

2階講堂。2019年4月30日の奈良女子大学一般公開の際のレポ日記は改めて別記事にて書きたいと思ってます。

N邸。登大路町。昭和初期頃のかなり大型の洋館。

どことなくスパニッシュの雰囲気を持ちつつも控えめな装飾の洋館は、京都の分譲住宅で多く建てられた熊倉工務店やあめりか屋っぽさを感じますがどうでしょうか。

側面。

アーチ窓にはステンドグラスがありました。

洋館付きの住宅。今在家町。擬石洗い出しの荒壁仕上の小さな洋館が付属しています。

江戸川ならまち店。下御門町。かなり大きなお屋敷を飲食店に再利用した建物。洋館部分は応接室だったのでしょうか。

旧奈良県物産陳列所。登大路町。明治35年。奈良公園内にある和洋折衷の名建築。国指定重要文化財。

K邸。芝辻町。大正14年。

食用細菌の研究を行っていた会社のオーナーの住宅だった洋館。


工場の建物も残されていて、現在はカフェとして使用されています。

旧奈良市水道計量器室。 東之阪町。大正11年。現在は使われておらず、史跡といった形で残されています。


旧奈良監獄。般若寺町。明治42年。貴重な明治の監獄建築。設計は山下啓次郎。奈良少年刑務所の閉鎖により、ホテルとして再活用されることになり改修前の一般公開が2018年11月24日に行われました。

地下や中庭は中世ヨーロッパの古城のような雰囲気でした。旧奈良監獄の一般公開のレポ日記は別記事にしていますので、そちらをご覧ください。
※旧奈良監獄・一般公開見学レポ日記

奈良ホテル 高畑町。明治42年。辰野金吾設計の名建築。

ラウンジ。

階段室の天井。

奈良ホテルといえば、この赤膚焼の擬宝珠が有名ですね。奈良ホテルに関しては
また別記事にしたいかなと。

※2023年2月11日撮影。
奈良ホテルの敷地内には防空壕も残されています。これは補足編で触れます。

ゲストハウスたむら。高辻町。洋館付きの住宅を宿泊施設に再利用したもの。割と手ごろな値段で宿泊でき、この洋館内で手作り朝食を頂けるようで、いつか泊まってみたいかなと。
ここから、高畑町の住宅街へ。

M邸。高畑町。ログハウス風の洋館。

H邸。高畑町。

昭和初期頃の洋館でしょうか。

2023年2月11日の補足探索時に再度訪問したら、前の住宅が更地となり、洋館の全体が確認できるようになってました。

旧足立邸。高畑町。大正8年。洋画家・足立源一郎の自邸として建てられた洋館。昭和3年に洋画家・中村義夫が譲り受け自邸としました。

現在は「たかばたけ茶論」という喫茶店になってますが、開店が14;00からと待っていられないので、敷地外から撮影して終了。

K邸。高畑町。

A邸。高畑町。鎧戸のある洋館。

T邸正門・塀。高畑町。かなり立派な門と塀のある住宅。奥の住宅は最近のものですが、この門の立派さを見ると、かつては相当な洋館が建っていたのかもしれません。

煉瓦塀のある長屋。高畑町。

表札不明の洋館。高畑町。

洋館住宅。高畑町。昭和初期頃と思われる大きな洋館住宅。

表札が外されており、現在は空家のようです。

側面。マントルピースの煙突があることから、内部も手が込んでいそうです。

ステンドグラスもありました。このまま空き家状態で失われていくのは勿体ないなぁ。

洋館住宅。高畑町。もしかしたら戦後かもしれませんが、一応掲載。

洋館住宅。高畑町。2階窓が鎧戸です。

平屋の洋館住宅。高畑町。旧足立邸の向かいにありました。
高畑町を後にし、近鉄奈良駅方面へ。

寛永堂。東向中町。元銀行だそうで、内部に装飾を施した柱が残されています。

これにて2019年の奈良市内の近代建築探索レポは終了。今回探索した範囲で見逃した物件と有名すぎていつも撮影せずスルーしていた建物を含めて4年後の2023年に補足探索を行いましたので、次回はそちらのレポ日記を書きたいと思います。

※建物の性格上、具体的な場所は明かせませんが、奈良市内に明治〜大正期築の大型の洋館の廃墟が存在します。

廃墟化してかなり荒れてますが、外観を見てもかなりハイレベルな洋館と分かります。

室内にはマントルピースやシャンデリアの座繰りが残されており、その豪華さが伺えます。奈良市内の戦前の洋館住宅としては、古さ・規模・デザイン性ともに随一かと思われます。
以前訪問した際のレポ日記を別記事にして書いております。
※奈良市内某所にある明治〜大正期築の廃墟の洋館・探索レポ日記
※具体的な場所はお答えできません。以前、荒らしに近い無礼なコメントがあり、リンク先の記事のコメント欄は閉じています。当記事でも同様のコメントに関しては即削除します。