2023年03月

2023年03月08日

京都市役所本庁舎屋上に残る高射機関砲座について。

1.外観全体










武田五一の設計により第1期工事の昭和2年と第2期工事の昭和6年に完成した京都市役所本庁舎。以前は建て替えの話もありましたが、本庁舎の歴史的価値が認められ、免震等の改修により保存が決定しました。その京都市役所本庁舎ですが、あることをきっかけに戦時中に高射機関砲が設置され、その高射機関砲座の遺構が残されていると知りました。

2.資料













所蔵書籍による記載。「語りつぐ京都の戦争と平和」より。これによると、京都市役所本庁舎の屋上にある円形のコンクリート構造物は、高射機関砲の砲座だったと書かれています。また、市内には西大路七条西、深泥池北の京都博愛病院の裏山、将軍塚、伏見区久我に高射砲陣地があり、これ以外にも花山天文台の南にも高射砲陣地があったことが判明しています。
京都市役所は近代建築という観点で何度も公私ともに訪れていましたが、高射機関砲座が残されていることは全く知らなかったため、それについては着目していませんでした。そこで近くですし用事がてら京都市役所へ向かう事にしました。

6.地上から










河原町通り側から見た京都市役所本庁舎。今まで気づかなかったですが、屋上に怪しい円形のものが見えます。

7.地上から










アップにしましたが、1ヵ所が開口しています。今まで新しく作られたタンクかなと思ってスルーしていましたが、これは確かに。近くで観察するために屋上へと向かいます。

16.屋上全体










京都市役所本庁舎の屋上は屋上庭園に整備され、平日であれば誰でも入ることができます。

3.東側砲台










京都市役所本庁舎東側の階段室の塔屋屋上にあるコンクリートの円形構造物。これが京都市役所本庁舎の屋上に残る高射機関砲座のようです。円形のコンクリート構造物は高射機関砲の障壁。
4.東側砲台障壁










拡大。コンクリートの型枠の感じを見ると、最近のものではなくやはり戦前の特徴を感じます。
11.平面図











京都市役所のHPで公開されていた本庁舎実施設計の平面図より引用。高射機関砲座の障壁は円ではなく、螺旋状になっています。これは恐らく開口部の前面を塞いで被害をより少なくするためと思われ、大牟田市の宮浦高射砲陣地の砲座の類例があるようです。
13.西側階段室内部










東側階段室塔屋の内部。屋上の高射機関砲座へと上がる梯子や階段は無いため、外付けの梯子で登ったのでしょう。その梯子が残ってないか探してみましたが、庭園側には痕跡はなく、裏側は入ることができないため、確認はできませんでした。

8.西側砲台










続いては西側階段室塔屋屋上の高射機関砲座。東側にある障壁は西側にはありませんが、円形の砲座は残されています。
9.西側砲台










西側階段室塔屋。
10.西側砲座上空













京都市役所HPの現在の市庁舎整備工事の写真より引用。ちょっと分かりづらいですが、確かに西側階段室塔屋屋上に円形の砲座が残されています。
12.改修前






こちらも京都市役所HPの市庁舎整備基本構想の写真より引用。改修前の京都市役所本庁舎の写真を見ると、本来は西側階段室塔屋の高射機関砲にも障壁があったことが分かります。
市役所古絵葉書001








所蔵の竣工時の京都市役所本庁舎。西側階段室塔屋の上部には何も無く、東側もそれらしい構造物が確認できないことから、本来は無かったものだということが分かります。
13.西側階段室内部










西側塔屋の内部にも屋上に上がる階段や梯子が無いことから、外付けの梯子で登っていたことが分かります。

市役所庁舎の建物を戦時中に防空砲台として利用した例として、大牟田市役所庁舎があります。こちらは高射機関砲座の他に防空監視哨や防空監視員詰所が残されています。恐らく戦時中に後から増築されたものでしょう。京都市役所本庁舎も防空監視哨があったはずだと思いますが、それらしい建物は見当たりません。

14.塔屋













恐らくですが、京都市役所はこの中央に建つ塔屋を防空監視哨及び防空監視員の詰所として利用したのではないでしょうか。高い構造物な上に開口部も小さめで都合が良かったのだと思います。ただし、大牟田市役所の方も中央に塔屋を建てていながら防空監視哨を造っているため、京都市役所にも本来は塔屋とは別の防空監視哨があった可能性もあります。

15.市役所から御所方面










京都市役所本庁舎から京都御所方面を望む。京都市に配置された高射砲陣地は京都市街の防空目的の他に京都御所の防空も重要任務だったのではないかと思われます。
京都市内の高射砲陣地2















最初に紹介した所蔵書籍に記述のある高射砲陣地と花山天文台南の高射砲陣地の場所を配置してみました。※花山天文台南の高射砲陣地に関しては、いつもお世話になっています盡忠報國様のブログ「大日本者神國也」に詳細なレポ記事があります。
右の古写真は国土地理院公開の航空写真より引用。分かったものだけ引用しましたが、はちょっと怪しいかも。
各高射砲陣地の位置を見ますと、市街地もですが、京都御所・梅小路機関区・京都駅など重要施設の防空を考慮した感じに思えますね。

京都市には空襲が無かったと思われがちですが、他の都市みたいな市街地丸ごと焼き尽くす大規模空襲は無かったものの、空襲自体は何度もありました。大きいものでは西陣・馬町・太秦の空襲があります。
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所蔵書籍「語りつぐ京都の戦争と平和」に記載のある体験談では、上京区と中京区の空襲では、高射砲の砲撃音を聞いたとあります。どこの高射砲かは不明ですが、場所的に一番近いのは京都市役所になります。この証言によるなら、防空砲台として機能はしていた可能性はあります。

今回確認した京都市役所本庁舎屋上の高射機関砲座の遺構ですが、京都市役所公開資料を見ますと、障壁がパース図や平面図に描かれており、市側は恐らく理解して保存したように思えます。もしそうだとするなら、是非解説板を設置して欲しいところですが…。
あと、防空監視員や高射機関砲部隊の戦時日誌等の資料による裏付けが欲しいところですので、もし現存しているのならぜひ確認してみたいところです。

besan2005 at 19:25|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

2023年03月05日

京都市右京区嵐山・嵯峨野界隈の近代建築探索レポ日記

渡月橋










日本や世界で有数の観光地、京都市右京区の嵐山・嵯峨野界隈の近代建築を探索してきました。
嵯峨嵐山は神社仏閣や渡月橋など、まさに京都と言ったイメージの観光地ですが、市内中心部より数は少ないものの、洋風建築の近代建築もいくつか残されています。今回はそれらを探索。
まずは、JR嵯峨嵐山駅の南側に位置する嵐山地区へ。

1.嵯峨郵便局 大正10年










旧嵯峨郵便局。大正10年。JR嵯峨嵐山駅の旧駅舎が取り壊された現在、嵯峨嵐山界隈では一番有名な近代建築かも。近年までクラフト工房の店として使用されていましたが、現在はイギリス式の紅茶とスコーンの専門店となっています。

嵯峨駅舎









取り壊し前に撮影したJR嵯峨嵐山駅の旧駅舎。明治28年築の洋風駅舎で、京都市内でも最古に当たる洋風駅舎でしたが、高架駅化工事に伴い残念ながら取り壊し。残っていたら、国登録有形文化財にはなってたかも。
渡月橋方面へ。

2.西邸










N邸。渡月橋の近くに切妻屋根の同じ形をした洋館が並んでいる一角があります。
3.嵐山の洋館住宅群










恐らく戦前に区画整理され分譲されたエリアのようです。
4.嵐山の洋館住宅群










この洋館は建売だったのでしょうか?
5.嵐山の洋館住宅群










多くの住宅は外観が改装されていますが、N邸は当時と思われる外観が保たれています。
6.ベランダ










このベランダの柵は当時の物でしょうか。
6.洋館住宅群の煉瓦










切妻屋根の洋館が建ち並ぶ向かいには赤煉瓦の基礎の板塀を持つ住宅が並びます。こちらも同じ形の住宅が並んでおり、当時の建物と思われます。
ここから少し東へ。

7.早川邸










H邸。2軒の洋館が1つになっている感じに見える住宅。右側の方は表札無しなので空き家のようですが、左側は表札有。しかし、住人かいるようには見えませんでした…
ここから北に上がり車折神社方面へ。

8.六宇洞 写経道場










六宇洞。隣にある報徳寺の関連の建物と思います。写経道場の看板が出てましたが、報徳寺の庫裏かも。
9.六宇洞










建物は寺院風のデザインの中に洋風の要素も含むちょっと珍しい外観。お寺の施設なので寺院風の外観にしつつも、住宅としての性格のある建物だから洋館っぽい外観も取り入れたんでしょうか。
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車折神社は枝垂れ梅が満開でした。
嵐山界隈の探索はここまで。次はJR嵯峨嵐山駅の北側、嵯峨野エリアへと向かいます。

10.HATA邸










H邸。住宅地の狭い道を進んだ奥まった所にある洋館。アメリカンスタイルっぽい外観の洋館です。
11.HATA邸










本格的な洋館で、しっかりとした設計者の手によるものに思えます。昭和初期でしょうか。
設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書には記載がありません。

12.今井邸










I邸。ハーフティンバーのこちらも本格的な洋館住宅。
13.今井邸










こちらも大規模な洋館で、設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書に記載なし。
見た感じは、あめりか屋設計の昭和初期の洋館に思えるのですが。

14.秋山邸










A邸。こちらも昭和初期と思われる洋館住宅。昭和初期に良く使われた丸窓が玄関部分にあります。
15.秋山邸










外観のデザイン的に、熊倉工務店の設計のように思えますが、これも京都市近代化遺産調査報告書に記載は無し。
16.秋山邸










裏側にベランダがあるようです。

これにて阿鷲山・嵯峨野界隈の近代建築探索は終了。嵐山地区は古くからの景勝地ですが、中流家庭向けと思われる分譲地に建つ洋館群が見られる一方、嵯峨野は本格的な大型の洋館が残り、高級住宅地だった可能性が考えられています。嵯峨野の3件の洋館はどれも本格的で、名のある建築家か建設会社が設計しているような印象ですが、どれも京都市近代化遺産調査報告書に記載はなく不明なのが残念です。


besan2005 at 11:48|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 近代化遺産
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