2023年06月

2023年06月25日

田原市の近代建築探索レポ日記

14六階建










伊良湖試験場と福江観測所の探索の後、田原市の中心部の近代建築探索をしてきました。

1旧田原町立高等技芸女学校 田原町 昭和5年










旧田原町立高等技芸女学校。田原市田原町。昭和5年。
白亜の中々瀟洒な洋館です。
2旧田原町立高等技芸女学校










現在は田原市民俗資料館となっていますが、残念ながら休館中のまま。

3田原中部小学校 田原町 昭和9年










旧田原町立尋常高等小学校。田原市田原町。昭和9年。
現在は田原中部小学校。大きくモダンな近代的な学校で完成当時は町のシンボルだったことでしょう。
4田原中部小学校










特に正面の円形のファサードが素晴らしい。アーチと柱頭飾りのある意匠的なデザイン。

5内柴邸 本町 大正初期










U邸。田原市本町。大正初期。街中にこんな素敵な洋館がありました。
外壁がピンクの可愛らしい洋館。内部もさぞ素晴らしいことでしょう。
6内柴邸










このU邸には他にも和館とかも併設している大きなお屋敷です。

7旧渡辺外科医院 萱町 昭和初期










旧渡辺外科医院。萱町。昭和初期。
質素ながらも中々いい雰囲気の洋館。診療所だったようで、現在は個人宅。やはり内部が気になる。

8平野歯科医院 萱町 昭和7年










平野歯科医院。田原市萱町。昭和7年。最近改装されたようで、改装前にはあったベランダとかか撤去され、本来と思われる外観に戻されたのは素晴らしいですね。

9崋山文庫 田原町 昭和9年 










崋山文庫。田原市田原町。昭和9年。田原城内にある建物で、田原市出身の永瀬狂三設計。
田原市出身の渡辺崋山の遺品や作品を展示していた建物。
以上、田原市の近代建築の探索終了ですが、

泉郵便局










旧泉郵便局(昭和8年)や
旧福江町役場










旧福江町役場(昭和5年)の2件の近代建築を近くまで行ってたにもかかわらず、見逃していたのが大きな失態でした…
※2件の画像はいずれもGoogleMapのストリートビューより引用。


besan2005 at 20:50|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

陸軍伊良湖試験場・福江観測所遺構探索日記

愛知県田原市にある伊良湖試験場と福江観測所の遺構を探索してきました。
伊良湖試験場は明治34年、陸軍が大砲の実射試験場として開設した施設で、渥美半島の北西の部分に各施設が造られました。現在、有名な六階建の気象塔兼展望塔を始め昭和初期頃に建てられたと思われる鉄筋コンクリート造の建物がいくつか残されています。

伊良湖試験場遺構位置









今回探索した遺構の位置図。

1歩哨舎










(眈ゼ法8園の入り口に移築されています。
3境界石










歩哨舎の横に移設されている「陸軍省所轄地」の境界杭。

2解説版










説明版。
公園内には脱油庫の建物もあったようですが、取り壊されたようです。
次は公園の向かいにある田戸神社へ。

4正門










∪橘隋E銚与声劼了夏餐阿砲△詭臙譟1本だけ残されています。

5信管検査施設兼展望台










信管検査施設兼展望台。
田戸神社の境内に残る遺構。六階建が完成する前は木造の櫓を建て、信管の検査や気象観測をしていたそうです。これは櫓の柱の基礎。
6信管検査施設兼展望台










もう1つ残されています。
7信管検査施設兼展望台










その先にあるコンクリート構造物。
8信管検査施設兼展望台










境内側から。
9信管検査施設兼展望台










内部は空洞になっています。当時の写真を見ると、この上に木造の櫓が建っており、どうやら上から信管を落として作動を確認していたようです。
次に公園の外周を探索。

10コンクリート建物










じ園に隣接した民家の側に残るコンクリートの建物。検査室とも呼ばれています。
11配電室










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公園を後にしていよいよ有名な六階建のあるエリアへ。

12六階建










Φぞ歸齋鹽庫湘磧0卜標仍邯馨谿箙修任發辰箸睛名でシンボル的な建物。
昭和5年の完成で、大砲の弾道・風速・風向きなど観測していました。
13六階建










有名な遺構なので写真では何度も見てましたが、実際に見ると迫力あります。
14六階建










反対から。
17説明版










説明版。個人所有なので無断での立ち入りは禁止。
18内部










なので、入り口から1階内部のみを撮影。階段はしっかりしてそうです。
19機銃掃射痕か










壁面に機銃掃射の痕らしきものがありますが、分かりません。

15電信室










無線電信室。気象塔兼展望塔のすぐ近くにあります。
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渥美半島各所にある観測所や監的所との連絡を行っていました。
16遠景










気象塔兼展望塔と無線電信室の遠景。よく残されたと思います。
しかし、やはりコンクリートの剥離やそれによる鉄筋の露出など老朽化の問題は大きいかと。
ぜひ保存し伝えていってもらいたいものです。
有名なこの建物以外にも周辺に遺構が残されているのでそちらに向かいます。

20検圧所










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21検圧所










向かって左が避害所で右が検査官室。避害所は着弾等での爆風から守るためか、監視窓はスリットになってます。

24弾薬庫










弾薬置場。
23弾薬庫










弾薬庫とは違うものでしょうか。

25器具庫










器具庫。弾薬置場の裏、民家の側にあります。物置でしょうか。

26観測所か










煉瓦構造物。次の目的地、福江観測所へ向かう途中で見かけた怪しい煉瓦構造物。
27観測所か










草に覆われて全体がはっきり分かりませんが、どうも福江観測所や右禅坊観測所と同じ観測所だった可能性があります。
次に福江観測所に向かいますが、その前にどうしても寄りたかった場所が。

28福江小学校










歩兵第441連隊本部跡。現在、福江小学校となっている場所はかつて福江国民学校であり、戦争末期はその福江国民学校に陸軍歩兵第441連隊の連隊本部が置かれていました。 急造の部隊のため、兵舎とかは無く、福江国民学校だけでなく、近隣の学校や民家や寺などを兵舎に充てていたようです。

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歩兵第441連隊は本土決戦に備えて急造された54個師団の1つ、第153師団(護京部隊 編成地・京都)の所属部隊で、昭和20年4月10日に敦賀にて編成された連隊です。5月ごろには渥美半島に進駐して米軍の上陸に備えた沿岸守備隊でした。
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実は私の祖父が最後に配属されたのが歩兵第441連隊で、当時曹長だった祖父は連隊本部付の下士官としてこの地に赴任しました。写真の連隊旗と祖父母の写真(昭和20年)は祖父のアルバムにあったもの。
かつてこの場所で祖父が任務にあたり終戦を迎えたかと思うと感慨深いものがあります。
古写真・歩兵第441連隊 連隊旗・軍旗拝受式(祖父のアルバムより 昭和20年4月頃)
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祖父の遺品の一つの軍用行李。行李に書かれている「護京22653」は歩兵第441連隊のこと。
祖父の遺品の軍装品一覧の記事はこちら

そして最後に向かったのが。

29福江観測所










福江観測所。渥美護国神社の近くにある煉瓦造りの観測所。大正8年完成。
30福江観測所










2階建てで、2階部分は露天の展望台となってます。ここでは監的所の役割や遠距離射撃で砲撃された砲弾の観測を行ってました。
31福江観測所










階段を上がったところの2階部分。
32福江観測所










1階部分は屋根付きで、横長の窓があります。
33福江観測所










内部より。
34福江観測所










2階側の窓。
35福江観測所










観測をしていた横長の窓。
39福江観測所










外側から。
36福江観測所










階段部分の煉瓦壁はわざわざ段々にしています。
煉瓦建築ということもあるのと、入り口のアーチや石造の階段、2階の展望台も併せて中々洒落たデザインをしており、場所が護国神社に近ければ、整備して休憩所とか東屋とかにしてもいいくらいの良い雰囲気の建物に思えます。ちなみに渥美半島の南部の右禅坊にも観測所があり、福江観測所とほぼ同じ形の煉瓦建物ですが、右禅坊観測所の方は屋根が崩壊しており、今回は時間の関係もありパスしました。その他、外浜観測所もありましたが、現在は行けないようです。
37陸軍境界










福江観測所の側にある「陸」の境界杭。コンクリート製。
38陸軍境界










もう一つ、「陸軍」の境界杭。こちらは石製。石製が大正期、コンクリート製が昭和期でしょうか。

これにて伊良湖試験場と福江観測所、そして祖父が最後に赴任した歩兵第441連隊の連隊本部跡の福江小学校の探索は終了。以前から行きたかった伊良湖試験場の六階建だけでなく、祖父の軍隊時代の足跡も辿れる探索となりました。

besan2005 at 12:17|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 愛知県 | 旧軍遺構

2023年06月18日

豊橋市・第十五師団(豊橋陸軍教導学校・陸軍予備士官学校)・周辺陸軍施設探索日記

愛知県豊橋市にある旧陸軍第十五師団とその周辺にある陸軍施設を探索してきました。
陸軍第十五師団は日露戦争時に大陸で編成された師団を豊橋に置くことが決定し、現在の愛知大学の敷地に師団司令部を設置。その周辺に歩兵連隊・騎兵連隊・野砲兵連隊・輜重兵大隊等が置かれました。しかし、第十五師団は大正14年の宇垣軍縮により廃止(後、名古屋にて再編成)。第十五師団および師団と同時に廃止された歩兵第60連隊の敷地は下士官養成学校である豊橋陸軍教導学校となりました。昭和14年には豊橋陸軍教導学校の敷地内に陸軍予備士官学校が設置されました。
戦後、第15師団師団司令部と歩兵第60連隊の敷地は愛知大学となってますが、師団司令部庁舎他、いくつかの建物が残り、周辺の陸軍施設を含め数多くの遺構が残されています。
第15師団司令部遺構配置図









※第十五師団・周辺陸軍施設遺構位置図。
まずは師団司令部のあった愛知大学へ。連絡をしたら見学を許可していただきました。

14第15師団正門










\橘隋石張りの立派な門です。
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敷地を取り囲むコンクリートの塀は豊橋陸軍教導学校時代に造られたもの。
15第15師団庁舎










第十五師団司令部庁舎。明治41年に竣工。木造の庁舎で貴重な近代建築です。宇垣軍縮後は騎兵旅団司令部や陸軍予備士官学校の庁舎として使用され、現在は愛知大学記念館となっています。
18第15師団庁舎










背面。コの字型のシンメトリーないかにも庁舎といった建物。
16第15師団庁舎










玄関。訪れた土曜は休館で入れず…
17第15師団庁舎










窓越しに内部を撮影。階段等当時の姿が良く残されています。

19第15師団機銃廠










B莉集淹嫦諜―鴇魁L声41年築。機銃の整備等を行うための建物で、陸軍教導学校時代も同じ用途で使用されました。
20第15師団機銃廠










外観も当時のまま。棟瓦には陸軍の星章があります。

21養生舎










ね楡擬法昭和2年。豊橋陸軍教導学校時代の建築。屋根には陸軍の星章があります。
かつては第十五師団の偕行社の建物もありましたが、残念ながら10年ほど前に取り壊し。
次は同じ敷地内にある歩兵第六十連隊関連の遺構。

22第60連隊将校集会所










κ睚実茖僑囲隊将校集会所。明治41年築。第十五師団司令部庁舎の裏側にある建物。
23第60連隊将校集会所










明治後期〜末期の将校集会所によく見られる外廊下。
25第60連隊将校集会所










外廊下を歩くと内廊下へと至ります。
26第60連隊将校集会所










内部の感じ。天井に照明の座繰りが残されています。
24第60連隊将校集会所










外の扉の三角破風には陸軍の星章が。屋根瓦にも星章がそのままで、戦後取り外されることが多い中、これだけ残されているのは貴重です。
27第60連隊将校集会所便所










将校集会所には付属屋の便所も残されています。
28第60連隊将校集会所便所










内部も小便器以外は扉など当時の物っぽい。

29第60連隊将校集会所門










将校集会所の前にある門柱。
30第60連隊将校集会所燈籠










将校集会所の前には庭の跡が残されていますが、その一角にある燈籠。
31第60連隊将校集会所通路










将校集会所の敷地に入るコンクリートの通路。敷地を区切る土塁を切った形になってます。

34第60連隊弾薬庫跡










歩兵第六十連隊弾薬庫正門。弾薬庫自体は現在プールになってますが、正門と土塁の防爆壁が残されています。
35第60連隊弾薬庫跡土塁










歩兵第六十連隊弾薬庫防爆壁。

33第60連隊厩舎










歩兵第六十連隊厩舎跡。現在の建物は新しそうですが、もしかしたら基礎周りのみを改修してかつての厩舎の建物を利用している可能性もあります。現在も馬術部の厩舎。

32第60連隊正門










歩兵第六十連隊正門。第十五師団の正門とデザインがよく似ています。

36豊橋陸軍教導学校大講堂










豊橋陸軍教導学校大講堂。昭和2年築。
37豊橋陸軍教導学校大講堂










連隊廃止後の豊橋陸軍教導学校時代に建てられた大きな建物です。現在は愛知大学の体育館。
38豊橋陸軍教導学校大講堂










正面玄関。
39豊橋陸軍教導学校大講堂










持ち送りの金具。建物が大きいので持ち送りも大きいです。
愛知大学構内の旧軍遺構はここまで。次は周辺の旧軍施設を探索。
60第三師団陸軍兵器支廠正門・歩哨舎










第三師団陸軍兵器支廠豊橋出張所正門・歩哨舎。陸軍兵器廠は兵器や弾薬の管理や補給をしていた施設。各師団に支廠が置かれ、師団への兵器・弾薬等の補給任務にあたってました。第三師団陸軍兵器支廠豊橋出張所は第十五師団が設置された明治41年に開設。
61第三師団陸軍兵器支廠正門










正門。
62第三師団陸軍兵器支廠歩哨舎










歩哨舎。目の前を豊橋鉄道の線路が通り、愛知大学側からも門扉が閉まっているため、近づくことができないのが残念。

63第三師団陸軍兵器支廠南門










第三師団陸軍兵器支廠豊橋出張所南門。煉瓦造の門柱。南部中学校の敷地内にあります。

45豊橋憲兵分隊正門










豊橋憲兵分隊正門。
46豊橋憲兵分隊正門










昭和初期頃のものと思われます。ちなみに敷地は現在も交番。

47騎兵第19連隊東門










騎兵第十九連隊東門。門柱は当時のものでは無いかな?外周の土塁の石積擁壁は当時のもの。
48騎兵第19連隊東門擁壁










石積擁壁。外周土塁の前に新たにブロック塀が造られている様子が分かります。

49騎兵第19連隊正門跡か










圧格実莉酋縅隊正門跡か。門柱は新しいですが、
50騎兵第19連隊正門擁壁










51騎兵第19連隊正門擁壁










外周土塁の石積擁壁は当時のまま。外周土塁も当時のまま残されています。
52騎兵第19連隊4築山か










現在は福岡小学校の敷地となってますが、門の奥に築山のようなものが。門の広さと合わせてかつての正門ではと思いました。

53野砲兵第二十一連隊石積み擁壁










洩酲な実萋鷭衆賚隊石積擁壁。敷地は現在時習館高校となってますが、外周に石積擁壁が残されています。

59輜重兵第15大隊正門










雅禄妬実莉集淆臑眄橘隋K橋工科高校の敷地に残されています。

58輜重兵第十五大隊擁壁










轄禄妬実莉集淆臑眄仞冤癖鼻D麺冖腓世辰燭隼廚錣譴泙后3読隊の跡地は学校等になってますが、かつての敷地の出入り口がそのまま使われているため、当時の石積擁壁が多く残されています。

54騎兵第二十六連隊北門










患格実萋鷭熟始隊北門。団地の一角にひっそりと残されています。この団地、ほとんど住人がいないのか、一部の棟は閉鎖。仮に取り壊しとなればこの門柱も撤去される恐れもあります。

55騎兵第二十六連隊正門










㉑騎兵第二十六連隊正門・歩哨舎。騎兵第二十六連隊の敷地だった場所の一部が公園となり、そこに正門と歩哨舎が移築されています。
56騎兵第二十六連隊正門










門柱には木製の看板が掲げられ、その風化具合から当時の物ではと思いましたが、どうやら移設時に復元したもののようです。
57騎兵第二十六連隊歩哨舎










歩哨舎。同じ豊橋市にあった歩兵第十八連隊の歩哨舎や第三師団陸軍兵器支廠豊橋出張所の歩哨舎とよく似た造りです。
愛知大学周辺の旧軍遺構はここまで。ここから北上し、第十五師団の優れた建築を見に行きます。

40第15師団長官舎










サ貘莉集淹嫦陳拘閏法L声45年。洋館と和館が併設する建物。住居建築ということもあってか、華やかな外観です。
41第15師団長官舎










正面玄関。
旧第十五師団長官舎内部4










旧第十五師団長官舎内部3










窓越しに内部を撮影。暖炉等当時の状態で良く残されています。
42第15師団長官舎正門










煉瓦造の正門も残されています。旧第十五師団長官舎は愛知大学の公館として使用されていましたが、現在は使用されておらず空き家状態。豊橋市の指定文化財となってますから取り壊しは無いと思いますが、優れた明治期の近代建築であると同時に数少ない師団長官舎ですので、ぜひ整備して公開してもらいたいものです。
旧第十五師団長官舎を後にし小池駅へと向かう途中。
64陸軍境界杭










㉒「陸軍省所轄地」の境界杭を発見。
64陸軍省境界杭










もう1本見つけましたが、草ぼうぼうな上に私有地っぽかったので遠くから撮影。
ここから離れた場所にある向山町の工兵第十五大隊の跡地へ。

43工兵第15大隊炊事場










㉓工兵第十五大隊炊事場。明治41年。工兵第十五大隊で唯一残されている建物。
44工兵第15大隊炊事場










長い煉瓦造りの建物ですが、半分が個人宅として使用されていました。

以上で第十五師団関連の旧軍遺構の探索は終了。第十五師団司令部・歩兵第六十連隊の跡地にある愛知大学構内だけでなく、周辺の陸軍部隊の跡地にも本来ならば失われてそうな遺構が数多く残されているのが素晴らしいです。次回は同じ豊橋市にある旧陸軍歩兵第十八連隊の跡地にある遺構群の記事を書く予定です。

besan2005 at 08:27|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 愛知県 | 旧軍遺構
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