2023年08月
2023年08月27日
西脇小学校校舎見学会レポ日記。

2023年8月26日に行われた西脇小学校の校舎の見学会に参加してきました。
西脇小学校は昭和12年に完成した木造校舎で国指定重要文化財となっています。
設計者は内藤克雄。内藤克雄は昭和戦前期に北播磨地域を中心に活躍した建築家で、生涯800件以上の作品を手掛けましした。しかし、老朽化等の建て替えにより現存している作品はごくわずかです。
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今回訪問した西脇小学校も建て替えの話がありました。特に高度経済成長期は利便性を優先する傾向があり、また新築の補助金は鉄筋コンクリート造に限られていたそうで、全国の古い木造校舎は次々と建て替えられていきました。(私の母校の小学校も在校中は木造校舎でしたが、建て替えられています。)
しかし、西脇小学校は保存の道を選びました。しかもただ保存するだけでなく現役の小学校校舎として使用し続けることを目的とし、児童の学校生活にも支障がきたさないよう現代的な改修がされています。西脇小学校は2021年に国の重要文化財に指定。それがきっかけとなり、今まで無名だった内藤克雄が注目され始め再評価へとつながっています。
2年ほど前に西脇市の近代建築を探索した際に内藤克雄の事を知り、以来、兵庫県下の探索の際は内藤克雄の作品を意識するようになりました。
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西脇市の近代建築探索レポ日記
2年前の西脇市の探索では西脇小学校にはどうせ見れないだろうと行かなかったのですが、
今回、見学会の機会を得られましたので参加することにしました。

西脇小学校の校舎は一番手前の第一校舎が昭和9年、第二・第三校舎が昭和12年に完成しました。
3年の時間差がありますが、基本設計は同じです。しかし、とある出来事のために、第二・第三校舎の
一部に設計変更がされました。それは後程。

運動場側から。この日も暑い日でした。

第一校舎のファサード。切妻屋根と縦ラインを強調したセセッション風のスタイル。
これは内藤克雄が設計した他の学校でも見られるデザインです(現存せず)。

玄関切妻部分の装飾。

第一校舎全景。ファサード以外は装飾を控えたデザインです。

玄関車寄の天井に残る座繰り。

第一校舎内部から玄関を望む。

玄関から第二・第三校舎方面。西脇小学校は第一校舎の玄関から第三校舎まで渡り廊下で繋がれた一直線に突き抜ける導線となっており、その中心の通路の左右に各教室などが配置されています。
ちなみにかつては校舎と渡り廊下の間には階段がありましたが、現代に合わせてバリアフリーとなっています。

第一校舎の廊下。私の世代には懐かしさを感じます。
ちなみに手前にトイレがありますが、元々ここにトイレは無くかつては校舎の東端の外にありました。

この第一校舎の横に付属する建物がトイレでした。
まだ水洗ではなく汲み取りだった昔は、臭いの関係で外にトイレが作られていました。
しかし水洗トイレが普及した現在、従来のトイレの配置だと逆に不便となり、各棟の各階の教室の一部を改修してトイレにしています。
ちなみに元々トイレだったこの付属屋も綺麗に改修されて、今もトイレとして使用されています。

反対側から。

第一校舎の教室。一見昔ながらの教室に見えますが、天井部分に空調設備を隠すなど当時の姿を残しつつ、児童が快適に過ごせるよう工夫されています。
昔の教室には先生が立つ教壇がありましたが、現在は児童との距離が出来てしまうこと、先生が足を踏み外す危険もあることから、最近の学校では教壇は廃止されているところが多いそうです。この西脇小学校も同様で、当時の姿を伝えるために2か所の教室のみ教壇を残している以外は教壇を無くしているそうです。

教室の窓から外を眺める。内藤克雄の作品は窓を大きく取っているものが多かったりします。
よく外を眺めていて怒られたっけなぁ。
ちなみに各教室の窓にはカーテンがつけられていますが、これは播州織で再現されたもの。
播州織は播磨地域での主力地場産業ですが、最近は衰退しており、その産業を再興する目的で織られたようです。

次に2階へと向かいます。階段は手すりのみ作り替えてますが、どうも仮っぽい気がします。いずれ当初の姿に復元するかもしれません。

階段の踊り場。結構広いです。ちなみに2階部分の手すりの前にさらに金属の柵が作られていますが、これは児童が手すりを超えて飛び降りて遊ぶのを防ぐためとか。子供ってそういう無茶をしがちですしね。

踊り場の窓が見上げる夏の空。

第一校舎の2階廊下。

窓から第二校舎を望む。

まずは集会所となっている部屋。

元は教室だったのを改修しています。かつての講堂の役割でしょうか。

西端には記念室があります。

記念室の内部。

現在は畳敷きの展示室となってますが、かつては家庭科室だったようです。

西脇小学校の改修後の模型。

記念室前の階段。この上部の梁ですが、第二・第三校舎とは違いがあります。

これが第二校舎の開口部の梁部分。両側に持ち送りがつけられています。これは第一校舎完成した年の昭和9年、室戸台風が発生し近畿地方を中心に大きな被害が出ました。そして第二校舎建設の際、学校や保護者からの要望で開口部の梁を補強する形で持ち送りが追加される設計変更がなされたとのことでした。なので、第二・第三校舎の開口部の梁には持ち送りが追加されています。

で、続いて第二校舎へ。

中庭に百葉箱がありました。これも懐かしい。今の学校って他にもまだあるのかなぁ。

第二校舎2階廊下。第二校舎は1階は職員室や保健室、校長室、2階は教室と図書室があり、部屋の見学はできなかったので、そのまま第三校舎へ。

第三校舎は1階の家庭科室を見学。

かつては理科室でした。確かに机の配置とか見たらそんな雰囲気が。第一校舎2階にあった家庭科室をこちらに移したんですね。現在の理科室は鉄筋コンクリート造の校舎にあると思います。

理科室と言えば隣に実験の器材なんかが置かれている理科準備室がありましたが、西脇小学校にも残されています。

かつては実験器具とか標本とかが収められていた棚は、家庭科の実習で使う調理道具や食器類が収められています。

最後にかつて存在した昭和3年完成の講堂の名残を見に行きます。講堂はかつて第一校舎の南側にありました。各校舎を繋ぐ渡り廊下も当時のもの。

第二校舎の西側の渡り廊下には車寄せがあります。これは校長室や応接室のある第二校舎へ来客を通すためでしょうか。

現在の体育館に講堂の車寄せ玄関部分が移築され保存されています。講堂は現在の木造校舎に先駆けて、昭和3年に内藤克雄の設計で完成しました。

天井裏部分。講堂自体は洋風の外観でしたが、車寄せ玄関は和風の唐破風でした。

講堂に掲げられていた扁額。
西脇小学校の見学会はこれで終了。建て替えの危機がありましたが、多くの方の保存運動や努力で保存が決定し、重要文化財にまで指定されました。しかも西脇小学校の素晴らしいところは、ただ保存しただけでなく、現役の小学校として使用され続けることを前提とした「生きた文化財」であることです。文化庁が指定文化財建築をただ残すだけでなく積極的に活用する方針を取り始めた今、一つの好例としてあり続けることでしょうね。ここで学んで卒業した児童は自慢の母校になると思います。
※西脇市のHPに西脇小学校校舎改修工事竣工式の時のパンフのPDFが公開されていますので、リンクを張っておきます。
西脇小学校校舎改修工事竣工式用パンフレット(表紙・裏表紙)
西脇小学校校舎改修工事竣工式用パンフレット(中面)
2023年08月26日
内藤克雄の作品を訪ねて

※画像は株式会社内藤設計より。内藤設計は内藤克雄の息子様が引き継いでおられます。
内藤克雄は昭和初期頃に北播磨地域を中心に活動した建築家で、北は現在の丹波市、南は姫路市に
わたって役場や学校といった公的機関から病院や商業施設、個人宅まで800件もの数を手がけました。しかし老朽化等で次々と失われ、現存している数はごくわずかです。内藤克雄はこれまでほとんど知られてきませんでしたが、西脇小学校の保存活動と国指定重要文化財の指定により注目され、創業の地であり自宅兼設計事務所のあった小野市では特別展が開かれるなど再評価が進んでいます。
私が内藤克雄の存在を知ったのは2年前に探索した西脇市からでした。
※西脇市の近代建築探索レポ日記
以来、小野市・加東市を探索するにあたり北播磨地域を中心に内藤克雄の作品がいくつか残されていることを知り興味を持った次第です。
※加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)
内藤克雄は色んな顧客の依頼に応える形で設計をしているためか、様々なデザインの建物を残しています。私的には様々な建物の設計を卒なく無難にこなす器用な方だったように思えます。
今回は私が訪問した内藤克雄の作品を市町村ごとにまとめてみました。
※今後追加する可能性もあります。
西脇市








西脇小学校第一〜第三校舎(旧西脇尋常高等小学校校舎)
第一校舎・昭和9年
第二〜第三校舎・昭和12年
国指定重要文化財

旧来住邸勉学洋館。昭和11年。国登録有形文化財。

ときの郷(旧高瀬家洋館)。昭和11年。



西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。



鹿野町ふれあい館(旧比延公民館)。昭和初期頃。
小野市


旧内藤克雄設計事務所。昭和10年。
※現在も息子様がお住まいです、


小野市立好古館(旧小野尋常小学校講堂)。昭和11年。

小野小学校掲揚台。昭和15年。


浄谷公会堂。昭和8年。
加東市

東古瀬公会堂。昭和10年。


長濱良三商店。昭和初期。


旧東条町役場。昭和9年。※現在は個人宅。

中古瀬公民館。昭和初期頃か。
※内藤克雄の設計の可能性がありと考えられるため紹介。

沢辺営農組合格納庫(旧公民館か)。昭和初期頃か。
※内藤克雄の設計の可能性がありと考えられるため紹介。
丹波市




旧柏原町役場。昭和8年。※現在は観光案内所。
私が訪問した内藤克雄作品の建物は以上になります(内藤克雄設計と思われる建物も含む)。
内藤克雄が設計した建物の設計図の多くは現存しているそうです。それ以外にも内藤克雄が設計した建物が残されているかもしれません。また未訪問で現存している建物もあると思います。それらが判明し訪問ができましたら、またこの記事にて追加したいと思います。