2023年12月

2023年12月03日

一條町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市北区大将軍南一条町ある一條町児童公園を探索しました。一條町児童公園は昭和15年11月5日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

54一條町児童公園南門 北区大将軍南一条町 昭和15年11月5日










一條町児童公園南門。
55一條町児童公園南門










階段に手すり状にとりつく形で、門柱部分は丸く仕上げられています。
56一條町児童公園南門










反対側も同じ形でシンメトリーとなっています。
57一條町児童公園南門










南門を公園内から。
58一條町児童公園西門










一條町児童公園西門。南門とデザインは同じですが、こちらは高低差が無いため階段にはなっていません。
59一條町児童公園西門










60一條町児童公園西門










門柱も左右対称のデザイン。
61一條町児童公園西門










西門を公園内から。
62一條町児童公園北門










一條町児童公園北門。こちらも南門・西門と門柱は同じデザインですが、北門には手前にもう一つ門柱があり、右側に公園名の銘板があります。そのため、公園の正門はこの北門だったと思われます。
63一條町児童公園北門










北門を公園内から。
64一條町児童公園北門銘板










一條町児童公園北門の銘板。当時のものかどうかは不明ですが、もしかしたら当初のものかも。
塀はどうやら作り替えられているようです。
65一條町児童公園砂場










一條町児童公園砂場。角は丸く仕上げられ、内部に段があります。
66一條町児童公園砂場










縁は蒲鉾型に仕上げられており古いかも。
67一條町児童公園ベンチ










よく見る一般的な形のベンチ。開園当時のものかは不明。
68一條町児童公園地蔵尊










公園の東端に地蔵尊がありました。京都市内の児童公園内では地蔵尊をよく見かけます。
京都では盛んな地蔵盆があるためか、公園内に地蔵尊を置くことにより、地域のコミュニティの場としての中心的役割を持たせようとしたのかもしれません。

一條町児童公園は遊具等は開園当時と思われるものは砂場が可能性ありという程度ですが、門は開園当時のものが残されており、当初の姿を伺えることができます。


besan2005 at 11:37|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 戦前の都市公園

鹿垣児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市中京区西ノ京西鹿垣町ある鹿垣児童公園を探索しました。鹿垣児童公園は昭和13年5月24日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

※今回の鹿垣児童公園ですが、最初に訪問した時は地域の方々が公園の掃除をされており、写りこみなどで一部撮影ができない箇所があったため、後日撮影しなおしたものも含んでます。
39鹿垣児童公園南門 昭和13年5月24日 中京区西ノ京鹿垣 










鹿垣児童公園南門。
40鹿垣児童公園南門










門柱は丸くした造りで、花壇も備えています。
41鹿垣児童公園南門










反対側にも花壇が付けられ、左右対称となっています。

42鹿垣児童公園南門銘板










鹿垣児童公園南門の銘板。右書きで「児」の字が旧字体なので、開園当初のものでしょう。
43鹿垣児童公園北門










鹿垣児童公園北門。鹿垣児童公園は東側と西側が住宅地で塞がれているため、入り口は北側と南側の1つずつ。
44鹿垣児童公園北塀










北門は南門と違い門柱も塀のような薄さで重厚感はなく、花壇も設置されていない簡素な感じ。
45鹿垣児童公園北塀










鹿垣児童公園の大きな特徴といえるのがこの透かし塀。北塀も南塀も同じデザインとなっており、京都市内の児童公園ではここだけです。京都市内の戦前の児童公園の門柱や塀・柵は公園ごとにデザインに違いがあり中々興味深いものがあります。
46鹿垣児童公園北門銘板










鹿垣児童公園北門の銘板。こちらも開園当初のものと思われます。
北門と南門では、南門の方が意匠的であり、丸太町通に近いことから、南門が鹿垣児童公園の正門的な感じだったのかもしれません。
47鹿垣児童公園地蔵尊










園内には南門側に地蔵尊があります。京都市内の児童公園ではよく見かけます。恐らく京都は地蔵盆が盛んで、地域のコミュニティの場として地蔵盆の中心的場所の役目を果たす目的があったのかもしれません。
48鹿垣児童公園砂場










鹿垣児童公園砂場。北門側にあります。
49鹿垣児童公園砂場










ここの砂場は角隅。しかし縁の蒲鉾型の仕上げや、段を設けていることから、開園当時の可能性があります。
50鹿垣児童公園アーチ脚ベンチ










アーチ脚のベンチ。外側にも持ち送りを作っています。これは開園当時のものでしょう。
これと同じものが西町児童公園にも2つ残されています。
52鹿垣児童公園ベンチ










アーチ脚以外のベンチはシンプルな作りのベンチです。
51鹿垣児童公園ベンチ










別のベンチ。脚の埋まり具合のためか、高さに差があります。
53鹿垣児童公園ベンチ










別のベンチ。これら3つのベンチはコンクリート洗い出しの技法がされており、割と手が込んでます。
※コンクリート洗い出しとは、コンクリートを打設したあと乾く前に表面を水で洗い流し、セメントに混ぜている骨材の砂利の表面を露出される技法。通常のコンクリートの表面より見栄えが良く変化に富むので、建物の腰回りの壁などによく使われる。

鹿垣児童公園はトイレや遊具に古さがあるためいずれ改修の手が入ると思われますが、特徴的な門と塀、ベンチは是非残して活用してほしいです。


besan2005 at 10:45|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 戦前の都市公園

北町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市上京区天神通上ノ下立売上る北町にある北町児童公園を探索しました。北町児童公園は昭和15年10月10日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

32北町児童公園西側北門 昭和15年10月10日 上京区北町










北町児童公園西側北門。北町児童公園は北側・東側・南側を住宅地に囲まれているため、西側のみ2か所入口が設けられています。
33北町児童公園西側北門銘板










北町児童公園西側北門銘板。当初のものかは分かりません。
34北町児童公園西側南門










北町児童公園西側南門。北町児童公園の門柱はシンプルな角柱です。
35北町児童公園西塀










西側の柵。
36北町児童公園砂場










北町児童公園砂場。北町児童公園の砂場は角丸。京都市内の児童公園の砂場には隅が角型と角丸型があります。確証はないですが、角丸の方が古いのかなと。
37北町児童公園ベンチ










ベンチ。よく見る形です。
38北町児童公園ベンチ










もう一つのベンチ。古いですが、戦前か戦後かは分かりません。

北町児童公園は当初の遺構は少ないものの、開園当時の面影を残しています。近年、新たなトイレが造られたり、最近よく見る健康器具的なベンチなどが設置され、開園当初の門柱や柵を残しつつ、より使いやすいように改修された良い事例になっています。


besan2005 at 08:08|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 戦前の都市公園
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