2024年09月
2024年09月28日
実家で使われている昭和型板ガラス
昭和30年代から50年代を中心に、模様が施された板ガラスを窓や障子や戸棚に使用されるのが流行りました。型板ガラスというロール法で作られた模様入りのガラス板で、各メーカーにより多くの種類の模様の型板ガラスが製造されました。しかし、昭和も後期になると次第に需要が無くなり、現在では国内での製造は終了。昭和中期くらいまでの古い住宅に今でも使われているものくらいしか残されていません。
新たなものが二度と作られないため、今となっては貴重なものになりつつある昭和型板ガラスですが、私の実家は大正4年築の旧家で戦後にガラス戸へと変更したり、両親が生活する離れを昭和40年代に建てたりしているため、今でも多数の昭和型板ガラスが残されています。そんな実家の昭和型板ガラスを記録として販売開始年代順に紹介したいと思います。
昭和型板ガラスの各製品に関しては、こちらのサイトを参考にしました。
「ダイヤ」昭和27年。日本板硝子製。納屋の窓ガラスに使われているもの。
「石目」昭和31年。日本板硝子製。主屋の縁側のガラス戸に使われているもの。
ちなみにガラス戸の鍵は未だにネジ錠です。昔の家はこれでしたね。
「まつば」昭和40年。日本板硝子製。玄関横の表の間のガラス戸に使われているもの。
「こずえ」昭和40年。旭硝子製。両親の離れ屋のガラス戸に使われているもの。
「銀河」昭和42年。日本板硝子製。納屋の窓ガラスに使われているもの。
こちらは台所の戸棚の引き戸に使われている「銀河」の型板ガラスですが、模様も大きいため日本板硝子製ではないかもしれません。
「いちょう」昭和42年。日本板硝子製。主屋の奥の間のガラス戸に使われているもの。
「ちぐさ」昭和46年。日本板硝子製。台所および洗面所・浴室の窓ガラスに使われているもの。
「さくら」昭和46年。セントラル硝子製。今は使用していない外の便所の窓ガラスに使われているもの。
「みどり」昭和46年。日本板硝子製。今は使用していない外の便所の窓ガラスに使われているもの。
こちらは台所の戸棚に使われている「みどり」の型板ガラス。
「ばら」昭和48年。セントラル硝子製。応接間の扉に使われているもの。
「きく」昭和45年〜昭和50年頃。日本板硝子製。元祖父母の部屋の扉に使われているもの。
ごく短期間の製造だったそうです。
「いろり」昭和50年。セントラル硝子製。台所のガラス戸に使われているもの。
「よぞら」昭和63年。日本板硝子製。両親の離れ屋の窓ガラスに使われているもの。
「つづれ」昭和63年。日本板硝子製。最後は私の自室のガラス戸に使われている型板ガラスです。
私が小学生の頃に2階の部屋を改装して私と妹の部屋が造られましたが、その時に設置されました。
実家の自室で過ごしていた時は全く気にも留めていませんでしたが。
実家で使われている昭和型板ガラスは、一番古い物が昭和27年、一番新しいものが昭和63年となっており、型板ガラスは昭和末期まで製造されていたことが分かりますが、平成に入ってからは全く製造されなくなったようです。
最近は昭和レトロブームで昭和型板ガラスが見直され、かつて使われていたり在庫として残されていた昭和型板ガラスを皿として再生したものが人気を博したり、SNSでも昭和型板ガラスを見て回ったり、書籍になったりしています。実家のこれらの型板ガラスが今後どうなるか分かりませんが、できる限り残していけたらと考えています。
新たなものが二度と作られないため、今となっては貴重なものになりつつある昭和型板ガラスですが、私の実家は大正4年築の旧家で戦後にガラス戸へと変更したり、両親が生活する離れを昭和40年代に建てたりしているため、今でも多数の昭和型板ガラスが残されています。そんな実家の昭和型板ガラスを記録として販売開始年代順に紹介したいと思います。
昭和型板ガラスの各製品に関しては、こちらのサイトを参考にしました。
「ダイヤ」昭和27年。日本板硝子製。納屋の窓ガラスに使われているもの。
「石目」昭和31年。日本板硝子製。主屋の縁側のガラス戸に使われているもの。
ちなみにガラス戸の鍵は未だにネジ錠です。昔の家はこれでしたね。
「まつば」昭和40年。日本板硝子製。玄関横の表の間のガラス戸に使われているもの。
「こずえ」昭和40年。旭硝子製。両親の離れ屋のガラス戸に使われているもの。
「銀河」昭和42年。日本板硝子製。納屋の窓ガラスに使われているもの。
こちらは台所の戸棚の引き戸に使われている「銀河」の型板ガラスですが、模様も大きいため日本板硝子製ではないかもしれません。
「いちょう」昭和42年。日本板硝子製。主屋の奥の間のガラス戸に使われているもの。
「ちぐさ」昭和46年。日本板硝子製。台所および洗面所・浴室の窓ガラスに使われているもの。
「さくら」昭和46年。セントラル硝子製。今は使用していない外の便所の窓ガラスに使われているもの。
「みどり」昭和46年。日本板硝子製。今は使用していない外の便所の窓ガラスに使われているもの。
こちらは台所の戸棚に使われている「みどり」の型板ガラス。
「ばら」昭和48年。セントラル硝子製。応接間の扉に使われているもの。
「きく」昭和45年〜昭和50年頃。日本板硝子製。元祖父母の部屋の扉に使われているもの。
ごく短期間の製造だったそうです。
「いろり」昭和50年。セントラル硝子製。台所のガラス戸に使われているもの。
「よぞら」昭和63年。日本板硝子製。両親の離れ屋の窓ガラスに使われているもの。
「つづれ」昭和63年。日本板硝子製。最後は私の自室のガラス戸に使われている型板ガラスです。
私が小学生の頃に2階の部屋を改装して私と妹の部屋が造られましたが、その時に設置されました。
実家の自室で過ごしていた時は全く気にも留めていませんでしたが。
実家で使われている昭和型板ガラスは、一番古い物が昭和27年、一番新しいものが昭和63年となっており、型板ガラスは昭和末期まで製造されていたことが分かりますが、平成に入ってからは全く製造されなくなったようです。
最近は昭和レトロブームで昭和型板ガラスが見直され、かつて使われていたり在庫として残されていた昭和型板ガラスを皿として再生したものが人気を博したり、SNSでも昭和型板ガラスを見て回ったり、書籍になったりしています。実家のこれらの型板ガラスが今後どうなるか分かりませんが、できる限り残していけたらと考えています。
2024年09月01日
舞鶴市・池内公民館(旧池内郵便局)探訪レポ日記
舞鶴市の郊外に中々良い感じの近代建築があることを知りました。
布敷地区にある池内公民館です。
一部増築や改築が見られるものの、おおむね昭和戦前期と思われる外観が保たれています。
特に特徴が表れているのが玄関の車寄せ部分。
派手さは無いですが、柱と梁を強調したデザインと上部のアーチ窓が目を引きます。
車寄せの天井は格天井となっており、和風のスタイルも取り入れられています。
3面に設置されたアーチ窓は明り取り用と思われますが、シンプルながらも良いデザインです。
玄関車寄せには当初の物と思われる古い看板がそのまま掲げられています。
写真では判読できませんが、現地でなんとか「池内郵便局」と読むことが出来ました。
現在は池内公民館として使用され、内部に布敷簡易郵便局が併設されていますが、かつては池内郵便局だったことが分かりました。
ただし、検索しても近代建築を扱うサイトでは全く見かけないなど、資料や情報が全く得られず、近代建築界隈でも知られていない物件のようで、建築年などの情報は得られませんでした。
ただし、外観は典型的な戦前の地方の役場建築・郵便局建築、国土地理院公開の昭和22年の航空写真に写っていることから、ここでは昭和戦前期の建築としておきます。