2025年10月
2025年10月27日
旧福井商店(2008年頃取り壊し)

JR二条駅の近くに、かつて古いビルが建っていました。塔屋の丸窓とスクラッチタイルが特徴的なこのビルは、昭和10年に京都府購買販売連合会組合事務所として建てられ、戦後は福井商店の本社として使用された建物でした。2000年代に入りJR二条駅周辺の再開発が活発化し、JR二条駅の南にあった旧京都府食糧営団倉庫を始め、いくつかの古い建物や街並みが消え去り、この福井商店も2008年に取り壊されました。京都に帰還した2001年から新たな職場への通勤でこの福井商店をしばらく見てた記憶がありますが、結局再撮影しないまま姿を消しました。以来、今では気になったらなるべく1枚は撮影するようにしています。
※この写真は1995年〜1997年にブログ管理人が撮影したものです。
春陽堂本社(旧京都市医師会館) (2013年取り壊し)

かつて京都市内には春陽堂という中華レストランのチェーン店がありました。
その春陽堂の本社として使われていた建物が上京区の丸太町智恵光院にありました。
元は大正13年築の京都市医師会館。設計は武田五一。何故かこの1枚しか撮影してなかったのは、
外観が割と控えめな装飾で、当時はそこまで魅力を感じなかったのかもしれません。

所有している竣工当時の京都市医師会館。外観はほぼ変わりません。
春陽堂は2013年に破産。つまり2013年まではこの建物も残っていたわけで、改めて撮影しなおせばよかったと今更後悔しています。
※写真は1995年〜1997年頃にブログ管理人が撮影したものです。
2025年10月26日
旧京都府食糧営団倉庫(1999年取り壊し)

食糧営団とは戦時中に食糧管理法により、政府が食糧の統制を行うにあたって民間の団体を吸収し設立した機関です。食糧営団は昭和21年に廃止されました。
JR二条駅の南にあったこの煉瓦倉庫は大正期までの建築と思われ、おそらく元々は民間の倉庫だったと思われます。食糧営団の倉庫というのも過去に何かの資料を基に書いたのですが、改めて所有している資料を見てもちょっと見つけられませんでした。
撮影時期は1995年〜1997年までですのですでに食糧営団は存在せず、別の企業が使用していたと思いますが、今となっては分かりません。
1999年に全て取り壊され、現在は大規模な団地となっています。
※この写真は1995年〜1997年頃にブログ管理人が撮影したものです。
旧伏見信用金庫本店(2000年頃取り壊し)

伏見区大手筋通りの北、南部町にあった銀行建築です。当初は昭和5年に伏見信用金庫本店として建てられました。伏見信用金庫は明治38年に創業した信用金庫で、1993年に西陣信用金庫と合併して京都みやこ信用金庫となりましたが、2000年に経営破綻し姿を消しました。

この旧伏見信用金庫本店を撮影した1995年〜1997年の時はまだ京都みやこ信用金庫が存在していましたが、すでに建物は使われておらず、植物が建物内にまで侵入している有様でした。
正面にイオニア式の列柱を並べ、入り口には三角ペディメントを設けるなど戦前の古典様式の銀行建築として見応えのある建物でしたが、すでにこの時には長くは無いだろうなという感じが出ていました。
私が京都に戻った2001年には姿を消したようで、おそらく2000年頃に取り壊されたものと思われます。
2025年10月25日
旧陸軍歩兵第六十四連隊関連建物(2000年〜2021年取り壊し)

現在の都城駐屯地は、かつて陸軍歩兵第六十四連隊の敷地でした。
歩兵第六十四連隊は明治41年に設立。ただし宇垣軍縮により廃止され、代わりに歩兵第二十三連隊が終戦まで駐屯します。
私が都城駐屯地を訪ねたときはまだ数多くの旧陸軍時代の建物が残されていました。今回はそれらの建物を紹介します。なお、表記は明治41年に建てられた歩兵第六十四連隊とします。あと、各建物に関してはそこまで詳しくないので、当時聞いたのをそのまま書きます。

演習場(旧練兵場)に建てられた2階建ての木造建築。被服倉庫と聞きました。

反対方向から。かなり大きな建物で印象に残っています。

敷地外から。

別方向から。

横長の木造建築。何の建物かは分かりません。内部に入りましたが、小屋組みが剥き出しでした。

こちらも横長の木造建築。

小さめの木造建築。元の用途を聞いた記憶があるんですが忘れました。
これらの建物は私が京都に戻った直後くらいに取り壊されたようで、記念館となっている連隊本部と将校集会所のみ残される結果となりました。

その将校集会所も2021年に取り壊されました。

他の武骨な連隊本部や倉庫等と違い、列柱が並ぶ華やかな建物でしたが、惜しくも失われ、現在歩兵第六十四連隊の建物は連隊本部のみとなりました。
※これらの写真は2000年にブログ管理人が撮影したものです。
2025年10月23日
京福電気鉄道車折変電所(2000年頃取り壊し)

京都市右京区にある車折神社の北、現在の京福電鉄車折神社駅の北側に煉瓦造の古い変電所がありました。恐らく大正期に建てられたと思われ、撮影当時は現役の変電施設でした。

煉瓦の壁面の一部は大きく開けられ、シャッターが設置されてますが、おおむね当時の姿を保っていたと思います。京福電気鉄道の施設と言えば渦巻マークの社章がついてたりするのですが、この車折変電所には見当たりませんでした。記憶は曖昧ですが、私が京都に帰還した2001年頃にはもう無くなってた記憶なので、2000年頃に取り壊されたものと思われます。現在は変電所自体が無くなり、分譲住宅地となっています。
※この写真は1995年〜1997年頃にブログ管理人が撮影したものです。
九条大宮北東角の洋館(2000年頃取り壊し)

東寺の南東、九条大宮北西角の現在の京都銀行九条支店の北隣にあった古い洋館。窓の上部も意匠的で、ベランダの柱もギリシャ建築風の柱頭だったりと小規模ながら中々立派な洋館でした。ネットで調べると、ドラマのロケに使われたこともあったようでした。私が京都に戻った2001年頃にはすでになかった記憶があるので、2000年頃までに取り壊されたものと思われます。こちらの方がもう少し鮮明で接写した写真をUPされています。自分ももう少し寄った写真を撮れば良かったなと今更後悔。
※この写真は1995年〜1997年頃にブログ管理人が撮影したものです。
右京区有栖川沿いの煉瓦建築(1998年〜2000年頃取り壊し)

もう記憶は曖昧なのですが、京都市右京区の嵯峨から太秦までの区間の有栖川沿いに古い煉瓦建築がありました。JR嵯峨野線より南だったと思います。当時のどの近代建築本にも載っておらず、この辺りを自転車で探索している際にたまたま見つけた建物でした。煉瓦の積み方は正直プロの積み方とは思えない感じで(角が歪んでいる、目地が揃ってないor芋目地、窓の位置が不規則、窓の横の煉瓦壁が上部で切れてる)、よく倒れずにいるなと思ったのと、当時から異様に見えた建物でした。とはいえ、まったくの素人が建てられるはずもなく、おそらく地元の大工さんが見よう見まねで建てたのかもしれません。時代的には大正期頃でしょうか。

この当時はまだ住人がいたようで、テレビアンテナや自転車などがありましたが、明らかに老朽化が進んでいたのと、すでにすぐ側に新たな住宅やアパートが建ち始めており、長くは無いだろうなと当時から思っていました。1998年から3年間に京都を離れてましたのでいつ取り壊されたか分かりませんが、この写真を撮影した1995年〜1997頃のすぐ後に取り壊されたものと思われます。
※これらの写真は1995年〜1997年頃にブログ管理人が撮影したものです。




