2025年12月
2025年12月31日
長浜市の近代建築探索レポ日記

27日土曜日の近江八幡市の近代建築見学会の後は、長浜市へと向かいビジホに1泊。ここ最近のインバウンドでビジネスホテルの宿泊料が爆上がりしただけでなく、そもそも予約すらできなかったけど、先月からの例の件で宿泊代が値下がり&予約が取りやすくなり、約2年ぶりに1泊2日の旅が出来ることに。
出来ればこの状況が続いてほしいなw

泊まったホテルは1泊朝食付で10400円(税込)。しかも、風呂とトイレは別。多分10月までだったら倍以上していたかも。

明けて28日、ホテルの朝食後(この感じ、懐かしい・・・)、探索に出発。

まずは大塚産業の建物。長浜市八幡中山町。

いつの時代の築か分かりませんが、古そうです。

旧いなり湯。長浜市三ツ矢町。

昭和初期築の珍しい完全な洋館スタイルの元銭湯。

壁面に残る「ゆ」の文字。現在は使われていないようで、今後が気になります。

長浜市宮前町の建物。元は何の建物だったのかは分かりませんが、古そうです。

元洋風商店建築。長浜市元浜町。

看板建築かと思いましたが、裏も洋館となってました。

2階正面のステンドグラス。

内部は階段など当時のまま残されているようですが、もぬけの殻状態。一応、新たな用途が考えられているっぽいです。

洋館建築。長浜市元浜町。

元は事務所だったのでしょうか。正面のペディメントが特徴的です。

正面玄関の庇の持ち送り。昭和初期はありそうな気がします。

この洋館の向かいにある町屋。

町屋の両端にモルタルで装飾がされています。

玄関脇にも。

吉川薬留。長浜市元浜町。

看板建築の漢方薬店。

旧大垣共立銀行長浜支店。長浜市元浜町。昭和7年。

現在は海洋堂ミュージアム。まだ開館前でしたが、内部はかなり改装されて面影はないそうです。
正面と背面は当時の面影が残されています。

旧百三十銀行長浜支店。長浜市元浜町。明治33年。

有名な黒壁ガラス館。長浜市の観光名所ですね。

杉養蜂園。長浜市元浜町。戦前の看板建築でしょうか。

洋館付き住宅。長浜市元浜町。

戦前では無いかもしれませんが、気になったので。

現在は黒壁スクエア関連の施設として使われているようです。

魚丸。長浜市元浜町。

屋根の形状など気になったので。

旧長浜開知学校。長浜市元浜町。明治7年。

現在の長浜市立長浜小学校の初代校舎。昭和12年に現在地に移築され百貨店として使用されたあと、保存活用が行われ、現在は飲食店などに利用されています。

オッパ。長浜市朝日町。

正面に「(S)alon Mishimaya」の文字があります。美容院だったのでしょうか。現在は韓国料理店。

長浜武徳殿。長浜市朝日町。昭和6年。

武徳殿は京都の武徳殿を本部に全国に支部として建てられましたが、現存している数は少ないです。
(京都の本部の武徳殿は国指定重要文化財)。

別角度から。

内部。現在も道場として使用されています。

洋館付き住宅。長浜市朝日町。小さな洋館が付属しています。

洋館付き住宅。長浜市朝日町。

こちらは2階建ての立派な洋館が付属しています。

たぶんまだお住まいの方がいると思います。

元個人医院か。長浜市朝日町。

かなり立派な洋館の建物。

目立つ車寄せとドイツ壁が目を引きます。

側面と背面はドイツ壁ではなく下見板張り。

洋館の側に渡り廊下で繋がる平屋の長細い建物があります。

これとよく似た建物を見たことあります。兵庫県朝来市の上垣医院にあった隔離病棟。

※上垣医院の隔離病棟(現存せず)。
位置も建物のプランもよく似ています。この洋館も元は個人医院だったと思われます。

旧長浜駅舎。長浜市北船町。明治15年。現存する日本最古の駅舎建築。
以上で長浜市の近代建築探索となりますが、今回行けなかった建物、チェックしていて忘れていた建物があり、また機会があれば補完していきたいと思っています。
2025年12月29日
近江八幡市・ヴォーリズ記念病院建築群(ツッカーハウス・礼拝堂・五葉館)見学会+近江八幡市のヴォーリズ建築レポ日記

2025年12月27日に行われた、ヴォーリズ記念病院のヴォーリズ建築群、ツッカーハウス・礼拝堂・五葉館の見学会に参加してきました。
まずはツッカーハウスから。ツッカーハウスは大正7年に建てられた近江療養院の本館。近江療養院は当時不治の病と言われた結核の患者のための療養所、つまりサナトリウムでした。

本館には病室やサンルームが設けられ、結核患者が生活していました。当時、このツッカーハウスの前を通る人は口と鼻を押さえて足早に通り過ぎたそうです。

当時、有効な治療方法が無かった結核の治療は、もっぱら綺麗な空気と日光浴で治癒を行う方法が用いられ、このツッカーハウスもかなり開口部が多く設けられています。

ツッカーハウスの背面。

外観はヴォーリズ建築事務所らしいスパニッシュ様式。
ツッカーハウスが使われなくなった後は老朽化が進み、取り壊しの話もありましたが、10年の修復を経て蘇り、国登録有形文化財となりました。

玄関部分。装飾等は無く、すっきりとした内装です。

事務室。かつては暖炉もありましたが、撤去されています。

1階の談話室。

階段手摺もあっさりとしたデザイン。

ヴォーリズ建築ではお馴染みのクリスタルガラスのドアノブ。

2階病室の窓。開口部がかなり多く、結核療養のために採光を多く取り入れる設計だったことが分かります。

塔屋の日光室も名前通り採光で明るい部屋でした。
次に礼拝堂へと向かいます。

礼拝堂は昭和12年にツッカーハウスの背面の小高い場所に建てられました。
キリスト教の伝道者だったヴォーリズにとっては必要不可欠な施設だったのでしょう。

内部は教会建築らしい縦長の平面プランに小屋組みを見せるデザイン。ヴォーリズが多く手掛けた教会建築もこのスタイルです。

礼拝堂の照明。

正面のステンドグラス。礼拝堂は現在も礼拝に使われています。
続いては五葉館へ。

ヴォーリズ記念病院の敷地の奥にある大正7年築の五葉館は、結核患者の隔離病棟でした。
かつては希望館と呼ばれ、ここで療養して回復を目指すためそう名付けられました。

社交室のテーブルと椅子。五葉館は社交室を中心に5つの個室が放射状に配置され、葉のような形の平面プランとなることから、五葉館と名付けられました。

社交室の可愛らしい照明。

個室は採光を考え、3方に窓が配置されています。

こちらはベッドが置かれています。
五葉館も老朽化が進んでましたが、修復されました。
ツッカーハウス・礼拝堂・五葉館の見学後は旧佐藤久勝邸へ。

旧佐藤久勝邸はヴォーリズ建築事務所の建築士だった佐藤久勝が自邸として昭和6年に建てた洋館で、スパニッシュ様式を基調とした山小屋風のデザインとなっています。
旧佐藤久勝邸は後に別の方の所有となりましたが、所有者が無くなった後、取り壊される寸前だったところを現所有者の方が買い取り、修復されて今に至ります。
今回の見学会で内部も拝見させていただきましたが、応接室や2階の寝室、鮮やかなタイルの浴室等、見どころは満載で、特に玄関右手側にある食堂は狭いながらも雰囲気がとても良く、個人的に大好きな空間となりました。
※内部の写真に関してはSNS等へのUPはNGとのことなので今回の記事には載せませんが、外観に関しては通りから見えること、検索したら多くの外観写真が出ることから、外観のみ載せることにします。
今回の見学会はこれで終了ですが、せっかく近江八幡市に来たので、他のヴォーリズ建築を見て回りました。

まずは池田町のウォーターハウス記念館。大正2年築。
3年前の見学会で内部を見学し、写真も撮っていたのに、その写真が見つからない…

ウォーターハウス記念館の隣にある吉田邸。大正2年築。個人宅ですが、こんな洋館に住めるなんて羨ましい。

アンドリュー記念館。明治40年築。昭和10年現在地に移築。元は近江八幡YMCA会館だった建物。
ここも見学会で内部の写真を撮ったはずだが…

旧近江兄弟社ダブルハウス。大正9年築。近江兄弟社の社宅だったそうで、現在は個人宅。

近江八幡市立資料館。明治19年築。元は近江八幡警察署。昭和28年にヴォーリズ建築事務所により改築されたため、明治期の外観の面影は失われています。

旧近江兄弟社地塩寮。昭和初期に建てられた近江兄弟社の独身寮だった建物。

旧八幡郵便局。大正10年築。現在は観光施設となっています。

日牟禮ヴィレッジ。昭和11年築。旧忠田邸。クラブハリエのカフェとして使われていますが、現在は改装のため一時休止で入れず…

ヴォーリズ記念館。昭和6年にヴォーリズが自邸として建てたもの。

旧パーミリー邸。大正13年築。

これもヴォーリズ建築事務所の設計で、近年修復され、事務所兼カフェ&バーとしてリニューアルした建物ですが、何故か貰った近江八幡市のヴォーリズ建築ガイドブックには掲載されず。

載せられない何か理由でもあるのでしょうか?

その旧パーミリー邸の近くにある洋館。

だいぶ外壁に手を加えられていますが、

外観からヴォーリズ建築事務所の設計であろうことが伺えますが、こちらもガイドブックに掲載されず。今回のガイドの方に詳細が聞きたくて写真を見せたのですが、何かスルーされた感じで、触れたくない理由でもあるのでしょうか?

玄関部分には壁泉が。これもヴォーリズ建築にはよく見られます。

壁泉のアップ。この建物も何か有効活用されれば良いのですが。
3年前に撮影したウォーターハウス記念館・アンドリュー記念館、ヴォーリズ記念館の内部写真が全く見つからないのが残念(内部写真はSNSへのUPは不可だったのかも)。
リベンジとして機会があれば改めて見学したいと思っています。
2025年12月24日
2025年12月20日
京都モダン建築祭2024+道中の近代建築見学レポ日記

去年開催された京都モダン建築祭2024のレポ日記です。
京都モダン建築祭2022の記事はこちら。
京都モダン建築祭2023の記事はこちらになります。
2024年の京都モダン建築祭は、今回初公開&昨年見れなかった建物で、パスポート公開かつ撮影OKの建物を中心に回りました。

まず最初に訪れたのは、下京区にある重信会館。昭和5年に建てられた本願寺系の寄宿舎だった建物です。

アールデコを基調とし、和風の様式も取り入れたデザイン。

1階の講堂。

壇上には襖がある珍しい造り。

手洗い場がありました。

窓がいい雰囲気。

講堂に置かれた説明板。設計は竹内緑。

この時は2階には行けませんでしたが、階段が魅力的でした。

階段手摺の透かしは象を意匠化したデザインとなっています。
次に向かったのは先斗町歌舞練場。

鴨川沿いに建てられた大きな建物です。
昭和2年築。設計は木村得三郎で、武田五一が顧問をしております。

外観はスクラッチタイルにナマコ壁を模したデザインのタイル壁。

玄関階段のタイル。

飾り置きの台。先斗町歌舞練場は使われているタイルが豊富です。

券売所。

1階廊下。

エレベーター。

鴨川を望めるテラス。

休憩室。

千鳥模様が可愛い。

劇場2階席から。

劇場1階席から。この時はまだ公開されていませんでしたが、大ヒット作の映画「国宝」のロケにも使われ、今では国宝の聖地として人気だそうです。

舞台の隅にあった屏風。小野小町かな?
次は東山区の京都国立博物館へ。

京都国立博物館技術資料参考館。重要文化財の旧本館(明治古都館)ではなく、敷地奥にあるこの洋館が目的でした。

昭和5年完成のこの建物は、当初は収蔵庫でした。

東山通に面して建つこの洋館は以前から気になってた建物でしたが、今回ようやく内部を見ることが出来ました。

現在は迎賓館的な施設として使われており、照明や内装など豪華な造りになっています。

奥から玄関側方向。

しかし、天井の梁の武骨さが元収蔵庫の面影を残しています。

また、玄関側の階段も元収蔵庫としての面影を残しています。

次は同じ京都国立博物館の敷地内にある茶室堪庵。
元は江戸時代初期に建てられた茶室で、昭和33年に順正創業者の上田堪一郎より
寄贈されたもの。

玄関。

蹲と躙り口。

広間。八畳あり割と広く感じました。
次は北区へ向かいます。

京都復活教会。去年も後悔されていましたが、時間が合わず入れなかったためリベンジ。
昭和10年築。設計はヴォーリズ建築事務所。京都市内の教会建築の多くはヴォーリズ建築事務所が手掛けています。

教会内部。小屋組みが美しい。

教壇。

照明。

尖頭アーチ窓のステンドグラス。

丸窓にはキリストのステンドグラス。
見どころの多い素晴らしい教会でした。

続いては同じ北区の衣笠会館へ。この建物は京都綿ネルの創業者、藤村岩次郎の自邸として明治38年に建てられたもの。

一見、素朴な煉瓦倉庫のような建物にに見えますが、窓部分の角を丸く仕上げたり、軒周りにはデンティルの装飾を施したりと細部に凝ったデザインを設けています。

玄関入ってすぐにある階段。

2階から階段を見下ろす。

2階部屋。

大理石製の暖炉が残されています。

2階展示室。

2階和室。日本の洋館の特徴として、外観は完全に洋館や近代的な建物でも、内部には和室があったりします。
京都モダン建築祭2024で巡った建物はここまで。ここからは京都モダン建築祭の公開建物ではないですが、移動途中で撮影した近代建築になります。

開化堂カフェ(旧内濱架線詰所) 昭和2年。元は京都市電の架線保守の詰所だった建物。

車庫部分の開口部を大きな窓に改装するなどして、上手く使われています。

内浜診療所裏の建物。アーチ窓が特徴的です。

河原町七条角の建物。

七条大橋。現在でも京都市内の幹線道路として多くの車や人が行き来する橋ですが、大正2年完成という鴨川に架かる橋としては最古のもの。112年経った今でもまだまだ京都市内の交通を支えています。

喜多見不動産。東山区にある近代建築。

タイル張りの外観がいい感じですが、現在も使われているかは不明。

Y邸。中々立派な洋館を持つ個人宅。

旧太田内科診療所。東山区の元診療所

小さいですが、玄関の屋根や壁の装飾等、中々凝ってます。

玄関の受付窓。

旧東山区役所。昭和5年築。

アールデコ様式の建物で、現在は京都国立博物館の施設として使用されています。
2025年12月18日
2025年12月15日
2025年12月13日
旧東郷医院の思い出(鹿児島県志布志市 2000年撮影)

鹿児島県志布志市にある旧東郷医院は、大正7年に建てられた洋館の医院建築で、鹿児島県指定文化財となっている貴重な近代建築です。現在はこの旧東郷医院の裏手に新たに「東郷クリニック」として開院していますが(2011年に閉院したようです)、私が訪問した25年前はまだ「旧」ではなく、現役の東郷医院でした。

突然の訪問にもかかわらず、丁度来院者がいなかったためか、当時の院長先生は快く迎え入れてくれ、しかも建物内を自ら案内していただきました。

最後に東郷医院の前で記念写真を撮りましょうか?と話しましたところ、照れながらも応じていただきました。本来なら現像した写真をお持ちすべきだったのですが、この訪問から色々と忙しくて機会が訪れず、しかも半年後に当時勤めていた職場を辞め、京都に帰ってしまったために、ご存命のうちにお渡しすることが出来ませんでした。もし、当時の東郷医院の院長先生のご親族がおられ、この写真データをご希望でしたら、お渡しいたします。
以下、訪問時に院長先生自ら案内していただき撮影した東郷医院の内部です。
※以下の画像は当時撮影したフィルムから再スキャンしたもので、埃が結構ついています。ご了承ください

診察室。窓が多く採光を考えられているようで、明るい日差しが差し込んできます。

別方向からの撮影。診察室のシャンデリアは当時のもの。

受付。受付窓口の装飾も凝ってます。

階段手すり。

階段親柱。

階段を下から見上げる。

階段を上から見下ろす。

2階、階段部分。

2階廊下。天井に使われている板材は6mの一枚板だよと院長先生が自慢げに語っておられました。

2階和室。和室は3部屋あります。

この和室は折上格天井という格式高いもの。

院長先生はこの訪問から2〜3年ほどで亡くなられたそうです。
あれからもう25年経ちますが、今でも院長先生のことは覚えています。
院長先生、その節は本当にありがとうございました
2025年12月07日
旧梅屋小学校(1998年〜2005年取り壊し)

京都府庁の正面通り、釜座通と丸太町通の交差点北東角にあった学校です。
梅屋小学校は明治2年に開校した番組小学校で、昭和5年に鉄筋コンクリート造の校舎が建てられました。
しかし統廃合により1995年に閉校。2005年に跡地が梅屋公園として開園。この写真を撮影したのは1995年〜1998年頃だった記憶がありますので、1998年〜2005年の間に取り壊されたと思われます。京都市内の閉校した学校は最近では地区のコミュニティーセンターやホテルとして再利用されたりしていますが、この梅屋小学校も現在まで残っていたら、別の用途に再利用されたのでしょうか。
※この写真は1995年〜1998年頃にブログ管理人が撮影したものです。
京都モダン建築祭2023+旧明倫小学校見学レポ日記

2年前に行われた京都モダン建築祭2023のレポ日記です。
2022年に行われた初回の京都モダン建築祭のレポ日記はこちらになります。
2023年の京都モダン建築祭は、今回初公開&昨年見れなかった建物で、パスポート公開かつ撮影OKの建物を中心に回りました。

まずは、京都府立医科大学旧図書館。昭和4年に十河安雄が設計したゴシック様式の図書館建築です。

玄関フロア部分。

階段室の尖頭アーチ窓が美しい。

2階階段室。

3階講堂内部。座席に高低差があり、かなり広く見えます。

講堂の座席を下から。

講堂の尖頭アーチ窓。

講堂の演台は凝った装飾がされています。

2階事務室。

玄関部分にはステンドグラスや

モダンな照明が残されています。

次は左京区岡崎にある関西美術院。

明治39年に武田五一の設計で建てられたもので、武田五一が手掛けた現存最古の洋画研究所として貴重なもの。

外観は民家のような和風の外観。

内部は明治期の建物にしては装飾等は無く、それどころか小屋組みすら剥き出しという簡素なもの。

まるで倉庫のよう。

ここは天井が張られていますが、装飾は無し。

照明が点灯しておらず採光のみの明るさのため、場所によっては薄暗かったり。雰囲気的にはこれはこれで良かったりしますが。

続いては、下京区にある顕道会館へ。大正12年に増田清の設計で建てられた浄土真宗本願寺派の事務所的な建物。

洋風の近代建築ですが、和風の要素も随所にみられます。

玄関脇の階段。やや狭めです。

1階ホール。正面奥に演壇と仏壇があります。

階段踊り場のアーチ窓。

2階廊下。

反対側から。

2階ホールも仏壇が置かれている所が仏教関係の建物らしいです。

続いては北区にある紫明会館。昭和7年に十河安雄の設計で建てられた、京都府師範学校の同窓会館。

玄関には変わった尖頭アーチ窓があります。

当時からの照明。

階段室。

階段踊り場。

3階ホール。紫明会館は現在、イベントスペースとなっています。

最後に訪れたのは、現在は京都芸術センターとなっている旧明倫小学校。昭和6年に建てられた小学校で、西館・北館・南館からなり、京都市内に現存する戦前の小学校建築の中でも豪華な造りとなっています。
旧明倫小学校は京都モダン建築祭の公開建物では無かったですが、別のイベントをやっており、中に入ってみることにしました。

西館玄関。

西館玄関。

階段部分。

北館廊下。板張りの廊下が懐かしく感じます。

北館2階スロープ。窓からの光が廊下に写り、美しかったです。

北館1階スロープ。

2階講堂。ここは旧明倫小学校でも天井などの装飾が多く豪華な造りで、必見の場所ですが、イベントが無いと閉まっているため注意。この日はたまたまイベントの準備をしており、お願いして見せてもらいました。

講堂の演壇の装飾も見応えあり。

次は2階の大広間。恐らくかつては作法室として使用されていたもの思われますが、他の学校とは異なり、78畳にもなる大規模なもので、さらに折上格天井という最高格式の書院造の和室にデザインされています。床の間や違い棚も規模がケタ違い。

付書院の組木格子も素晴らしいもの。

違い棚の組木格子の丸窓も豪華なもので、この和室は相当予算がかけられたものと思われます。

次はフリースペースとして使用されている1階講堂。

ここには奉安庫と思われる扉がありました。
これにて京都モダン建築祭2023と、旧明倫小学校のレポ日記は終了。
次は京都モダン建築祭2024のレポ日記へと続きます。






