2005年10月03日

高瀬川源流庭苑(第二無鄰菴)

第二無鄰菴庭園の水の流れ

10/1に紹介しました「廣誠院」の庭園から北に少し歩いたところに
一件の和食のお店があります。広い敷地で、ひと目でただの料理屋さんではない
と直感します。お店の前には説明版が一枚。
そこには、「高瀬川源流庭苑」の文字が。そして門をくぐったところにある
石碑には「第二無鄰菴」の文字があります。
実はこの料理店、もとは明治の元勲「山縣有朋」の別邸だった
「第二無鄰菴」(だいにむりんあん)であり、さらには
江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷があったところなのです。



由来のありげな燈篭

現在の数奇屋の建物と庭園は、山縣有朋の第二無鄰菴時代のもので、
ほぼ当初のまま残ってます。庭園自体は元々あった角倉了以邸の庭園を
改修したものですが、その庭園を改修し、現在のような姿にしたのが
近代における名作庭家、七代・小川冶兵衛です。
小川冶衛兵は、平安神宮神苑を初めとして京都に多くの庭園を
作りましたが、とりわけ、山縣有朋からの評価は高く
後に同じ京都市内に作られる別邸の作庭も任されています。
小川冶衛兵の庭の特徴は、なんと言っても水の流れをふんだんに生かした
池泉廻遊式庭園の一言に尽きます。
小川冶衛兵の代表作はどれも
そのスタイルをとっています。そして、最盛期の小川治衛兵は
日本庭園のスタイルの中に、西洋風の雰囲気を違和感なくに、
そして巧に取り入れていること。

その絶妙な仕事振りが評価され、小川冶衛兵は明治の多くの政治家、財閥などから
依頼されることになります。

ところで、このお屋敷は「第二無鄰菴」なのですが、第二というからには
第一があるはず・・・
それが左京区岡崎にある一般的に「無鄰菴」として知られているお屋敷です。
こちらも山縣有朋の別邸で、作庭はもちろん小川冶衛兵です。
ちなみに、庭園が「高瀬川源流庭苑」と呼ばれるのは、鴨川から引き込んだ水が
この庭園内を流れ、敷地の外に出たあと「高瀬川」になるからです。

*この第二無鄰菴、今は和風飲食店になってますが、庭園は入り口で
見学を申し出れば見せてくれます。しかも、タダ。
料理もさほど高価ではなく、素敵なお庭を眺めながら食事をすることが
出来るのです。お奨めの場所ですよ。

besan2005 at 21:10│Comments(4)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 住宅建築 

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この記事へのコメント

1. Posted by yapoo   2005年10月03日 23:45
恐るべし京都!!
庭園について詳しくはないのですが
庭園の中を豪快に水が流れ
しかもそこを源流とした川があるとは…
写真を見る限り庭で自然を表現するなんてレベルではないですよね。
自然そのものです。
もちろんホントの荒れた自然ではなく
名作庭家の手により自然の美しさと庭園としての役割が
絶妙に合わさったものとなっていて
変な言い方ですが、カッコイイです。

この庭欲しいです、ハハ
2. Posted by べーさん   2005年10月04日 06:22
>>YAPOOさん
鴨川から直接引いているため、
流れの中には砂が溜まり、
小魚が多数泳いでいました。
私もこんな庭が欲しいけど、
手入が大変なんですよね。
一見、自然のままに置いているように見えますが、
庭石一個、草木一つ全てきちんと手入され
管理されてるのです。

しかし、こんな素晴らしい庭園をタダで見れるだけでも凄いことですけどね。
普通なら金を取られますw
3. Posted by yapoo   2005年10月04日 16:55
>>普通なら金を取られますw
おぉ〜写真とはいえ有難いものを拝見させて頂きました♪
小魚が泳いでいるなんて夢の究極ビオトープですね。
いくら名のある方の庭園とは言え
地図まで一変させる(?)このような素晴しいものを造れた時代…すごい時代です。
変なトコに食いつきますが(^^ゞ高瀬川の源流に庭園を造ったのか、庭園を造った為高瀬川が出来たのか…どちらが先なのでしょうか?
歴史ロマンです。。。
4. Posted by べーさん   2005年10月04日 20:19
あ、金を取られるというのは、
「本来なら、これほどの庭園なら
金を取られるのに・・・」という意味で、
ここは一切金を取られません。タダで見学することが出来ますので。

高瀬川は、角倉了以によって江戸初期に作られた
運河で、この第二無鄰菴ももともとは
角倉了以邸でした。
だから、ほぼ同時期なのですが、恐らく高瀬川のほうが先ではないかと思います。

まぁ、現在の建物は山縣有朋の時に建てられた建物で、庭園も8割がた手が入ってますから、
角倉了以時代の面影はほとんどありませんが、
敷地奥の坪庭は、角倉了以時代のものらしく、
作庭が「小堀遠州」だとか・・・

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