2006年02月22日
ある石仏の物語。
今から600年ほども前の昔、とある山に寺院が建てられた。
寺の横には墓地が作られ、名も無い石工によって生を受けた彼は
同じく生み出された仲間とともにこの地に葬られた人々の墓守を任された。
以来、彼は移り行く時代の流れを見守り続けた。
彼に墓守を任せた寺が次第に荒れ果て、人がいなくなり、
ついには彼らを残してその場所から消えうせたこと。
遠方からやってきた権力者がこの場所に城を築くとき、
寺無き後も彼とともに墓を守り続けた仲間たちを連れて行き、
城の石垣の材料にされたこと。
そしてその城が主を失ったとき、城は荒廃し、建物は失われ、
再び木々に埋もれていったこと・・・
それから幾度の季節を経たのであろう。
彼の周りにいた仲間は埋もれ、転がり、自然へ帰ろうとしている。
我々の目の前に現れた彼は黙して何も語ろうとしない。
しかし600年の間、強い意志でその場に留まり続けた彼は
その存在により、言わずともその場で起きた物語を証明してくれる。
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この記事へのコメント
1. Posted by べーさん 2006年02月22日 21:06
まぁ、今日行った城跡の現場なんですけどねw
周りにはこんな感じの石仏や五輪塔という室町期の石塔の部材が散乱してました。こういうのを見ると歴史好きには
たまらないものがありますけどねw
ちなみに、場所は都合によりナイショですが凄い石垣でした。それが山の中にそびえているんだよなぁ。(しみじみ)
周りにはこんな感じの石仏や五輪塔という室町期の石塔の部材が散乱してました。こういうのを見ると歴史好きには
たまらないものがありますけどねw
ちなみに、場所は都合によりナイショですが凄い石垣でした。それが山の中にそびえているんだよなぁ。(しみじみ)
2. Posted by しんえもん 2006年02月24日 22:23
石仏が石垣に転用された例は多いですね。信長時代の二条御所とか。
何て罰当たりなんや。
何て罰当たりなんや。
3. Posted by べーさん 2006年02月25日 12:55
>>しんえもん殿
織豊系の城郭は石仏石塔の転用が多いですけど、ここのは数箇所ですが、
全て石造物のみで作られた石垣というのがありました。
とんでもなくバチあたりですね。
織豊系の城郭は石仏石塔の転用が多いですけど、ここのは数箇所ですが、
全て石造物のみで作られた石垣というのがありました。
とんでもなくバチあたりですね。