2006年11月03日
京都御所の一般公開は・・・
京都御所の秋の一般公開に行ってきました。
毎年、春・秋の一般公開に行っているので何度も見ているのですが、
あの優美な建物と素晴らしい日本庭園を見ると全然飽きないですね。
今日は連休の初日でやや少なめに感じましたが、それでもこの人。
御所内の売店には、秋篠宮悠仁親王殿下の御印「高野槙」をあしらった
グッズが売られ、かなりの人気を博していました。
さて、毎年にぎわう御所の一般公開、じつは江戸時代にも行われていた
というの、知ってました?
実は私も、とあるサイトで見るまでは全く知らない話で、
まさに「へぇ〜」(古いっ)
何でも、年に3〜4回一般庶民に公開されていたそうで、しかもその公開された
季節に応じて「お土産」までもらっていたそうです。今よりサービスいいかもw
節分の日には炒り豆がもらえ、中秋の月見の時には夜間に公開して、
名月を楽しんだそうです。
上の御池庭なんかも、皇族も公家も武士も町衆も一緒になって観賞を
楽しんでいたんでしょうね。このときは身分などという無粋なことは避け、
同じ趣味の合うものどおしで共通の話題を語り合ったり・・・
となんか誇張しているようにも聞こえますが、実は言うとそうでもなくて、
ちょっと話はそれますが、江戸時代、例えば園芸などでは町人も商人も武士も
こぞって品評会に自慢の花を出品し、あれはどーだのこれはこーだの身分関係なく
語り合ったそうです。また、蘭学なども一緒に研究したり舶来の書籍を貸しあったり
していたそうで、かの杉田玄白や大槻玄沢の蘭学研究仲間には、朽木昌綱という
大名まで参加して研究にいそしみ、ともに語り合っています。その証拠に
大槻玄沢の著書「蘭学階梯」の序文は、大名の朽木昌綱が書いています。
学校で習うような厳格な身分制度ではなかったのです。実際「士農工商」もウソですし。
さて、江戸時代の御所の一般公開、今よりかなり緩やかな気がしませんか?
当時は誰もが皇室や御所を身近に感じ、親しみを持っていたのでしょう、
今のようにやたら皇室を敵視したり、皇室ゆかりの寺社や離宮にテロ行為を
働くようなものがいなかった時代、自然と規制も緩やかになり、誰でも御所内に
招き入れて、その時々の季節や行事を楽しもうじゃないか。
そんな気風が見えてくるようです。