2007年05月19日

旧愛宕鉄道関連遺構探索

清滝






昨日の買いあさった漫画の記事を書いているうち、物欲にどっぷり浸かった自分に辟易し、心を改め、世俗の穢れを落とすべく京都でも1・2を争う霊峰、愛宕山へ登ってきました。まぁ、実は言うと目的は別にあって心改めるために登ったわけじゃないんですけどねwとはいっても、愛宕山は標高924m。登山口の清滝は標高80m。比高差844m。登山口から山頂の愛宕神社までは距離4km。時間にして2時間あまり。の写真は清滝の風景ですが、愛宕山は多分奥のかすんだ山。 ・・・正直、登山計画はGWに立てていたのですが、このデータを見て取りやめんです。ああ、ヘタレだな。でも、同じ会社の人でGWに登った人に聞いたら意外と登れるそうな。仕事で秘境に近い山城に上ったことのある私としては一度は行っておかねばと決心したわけです。それにどうしても見たいものがあるので。今回はその紹介がメインです。

表参道






愛宕神社への表参道(つまり登山道)はしっかり整備されていて、非常に歩きやすい。それに、3合目・5合目・7合目・・8合目には休憩用の小屋もあり至れり尽くせりです。3合目の休憩所までの階段の連続は確かにきつかったけど、そこからはそんなにつらくもなく、休憩所に腰掛けることなく小休止のみで上がっていけました。正直、道なき道を通り、崖に近い山道を這い上がっていた山城測量に比べれば登山じゃなくてハイキングですな。でも、この上りやすさが人気なんでしょう。結構年配の登山者が上がってきてました。

登山口から約1時間強くらいで8合目の水尾別れに到着。ここから少しだけ上がったところにある「水尾山陵参道」の石碑の向かいの細道が目的の場所へ向かう道。今でこそ山頂へ向かう手段が自身の足のみでしかなく、訪れる人は登山客か参拝者しかありませんが、戦前まではある施設により賑わっていたんです。それは・・・。
愛宕ホテル正面







今から63年前、昭和19年までは愛宕山にケーブルカーが走っていたんです。この廃墟はかつての旧愛宕山鉄道愛宕駅。上記の山道を5~7分ほど進み、いくつか倒木を越えた先、急に辺りが開け、その場所に忘れ去られたかのごとく建っています。建てられたのは昭和4年鉄道が廃止されてから60年以上経ち、かなり風化が進んでいつ倒壊してもおかしくない状態ですが、貴重な近代化遺産なんです。こちらのサイトが非常に詳しいので参考にしてください。
愛宕駅ホームから

 





ホーム側から。昔の人たちはラクチンに上がっていたんです。今は自分の足ののみ。
愛宕駅1階






1階内部。御覧の通り廃墟です。かつては改札とか売店とかがあったのではと思います。壁の腰周りにはタイルが残っています。こういう廃墟だと大抵DQNが花火をして暴れたりとか落書きをしたりとか、毎日がアウトドアな人が住んでさらに荒れたりするんですが、さすがにこんな高い山の上だとわざわざここまで来て暴れようとか住もうとかいう人はいませんので、このようにいい感じで残っているんですね。まさに60年前で時が止まったかのような感じ。
愛宕駅溶けたコンクリ






雨漏りなどのしずくで溶けたコンクリート。歳月がたつとこんな風になるのか・・・
愛宕駅2階

 



 

2階部分。かつては食堂があったそうで、眺望すばらしい食堂として人気だったそうです。今は御覧の通りの荒れ具合。風化激しく床が抜けそうでコワイ。
愛宕駅窓

 

 



・・・現役だった頃、幾人の人たちがさまざまな思いを抱きこの駅を利用したんですね。その賑わっていた頃の駅を我々は知りません。
愛宕駅地下

 

 

 

旧愛宕駅の地下部分。ケーブルカーの巻き上げ機とかがあった場所です。荒れ具合は1・2階に比べまだましかな。

旧愛宕駅横の斜面を見ると、当時のガラス瓶や土瓶が散乱しています。60年以上もそのままになってるんですね。戦前のいい感じのラムネ瓶とか結構あったんですが、全部割れてた。もったいない・・・。

さて、その旧愛宕駅をでて正面にある斜面を登った先にかつて洋風のホテルもありました。それが、旧愛宕山ホテルです。愛宕山ホテルは遊園地だった愛宕遊園内に昭和5年に建てられた洋館のホテルです。
愛宕山ホテル正面

 

 

 

旧愛宕ホテル正面玄関の現状。現在は基礎しか残ってません。紹介サイトのこのページに現役当時の姿がありますが、当時の姿と比べるとあまりの荒廃ぶりに一抹の侘しさを感じます。
愛宕山ホテルロビー跡






玄関ホールと思われる場所。
床にタイルが張られていて中々オシャレだったようです。
愛宕山ホテル外観

 

 

 

斜面側は石積み風になってます。紹介サイトでは石積みと説明してますが、恐らくコンクリート壁の躯体に薄くスライスした石を貼り付けているものと思われます。こういう石積み風のデザインはイギリスの田舎の家にもよく見られるつくりで、恐らく、山荘のイメージを意識したのでしょうね。
愛宕山ホテル入り口の石






入り口にある石の飾り。現役当時はどんな感じだったのでしょう。
愛宕山ホテルロビー






ロビー部分のアーチ。壁にタイルが張られているのですが、細長いスクラッチタイル(縦に溝を切り込んだタイル)で、釉がかけられていました。恐らく常滑辺りの製品で、このスタイルのタイルはF・L・ライトの帝国ホテルの影響か、昭和初期に流行したタイルです。
愛宕山ホテルロビー2






上のアーチから広間方向を撮影。恐らく食堂があったのでは?と思います。山を上がって一息ついたお客さんが(といっても、当時はケーブルカーですが)夕食を楽しんだんでしょうね。
愛宕山ホテル遺物






旧愛宕山ホテルの側の斜面には、当時使われていた食器類や空き瓶が一面に散乱していました。ほとんどが割れたり欠けたりして残念だったのですが、ガラス瓶には「DAINIPPON BREWERY」大日本麦酒。サッポロビールとアサヒビールの前身。戦後に分割されるまでは一つの会社だった)などのエンボス文字があったりして中々面白い。あと、洋食器よりも丼や茶碗などの和食器が多く、和食中心で出されていたようですね。あとガラスコップや白色の化粧瓶も散乱し、まさに「夢の跡」状態。そんな中、ちょっと面白いものを発見。
愛宕山ホテル電球






電球が完品で落ちてました。ホテルの照明に使われていたんでしょう。今の電球と違いガラスが厚め。持って帰ろうかとも思いましたが、やめました。再びこの場所で眠り続けることでしょう。
このホテルのすぐ近くには、遊園公園だった愛宕遊園跡もあり、跡も残ってるんですが、結局写真撮りませんでした。本当に跡しかなかったし・・・
水口屋






旧愛宕山ホテルを後にして、再び登山道の表参道へ向かうことに。その表参道から愛宕駅へ向かう脇道へ入ってすぐのところにある廃墟。「水口屋」という旅館だったそうですが、かつて木造だったという旅館はすでに消えうせ、コンクリートの部分だけ残ってました。
愛宕神社参道






そのまま表参道を進み、愛宕神社へ向かいました。愛宕神社は全国の愛宕神社の総社。火伏せの神で有名で、京都の家には大抵この愛宕神社のお札が貼ってあります。そして、この神社には今から約420年前にある武将が参拝したことでも有名。ただ一つの決意を抱きつつ4度おみくじを引いたその人物とは?もうお分かりですね?あえて人物名を書きませんけどw しかし、この石段は中々ハード。いくら昔の人はタフとはいえ、鎧来てここまで上がってくるのは並大抵じゃないですよ。
看板






参拝を済ませ、戻ろうとしたときに目に入ってきた警告。清々しい気分で参拝を済ませた後にこんな看板を見るのは正直気分悪い。しかし、ここまで書かないといけないくらい登山客のマナーが悪いのも事実。ごく一部なんでしょうが他の看板にもここまできつい書き方じゃないけどマナーの悪さに辟易している感じ出まくりの看板ありました。神社の人もこんなことは書きたくないでしょうしね。皆が気持ちよく登山するためにも、ゴミなどは持ち帰り、入っちゃいけない神域は入らないようにしましょう。あと、煙草吸って一服している人多かったけど、境内内は普通禁煙だろ。書いてはいないが自重しろと。まぁ、一服したい気は分かるけど。山並み

 

 

 


登る前はちゃんと上りきれるか不安だったけど、意外と山頂まで登ることが出来、目的の愛宕鉄道関連施設跡も探索できたし、楽しい登山でした。普段中々かかないいい汗かきましたよ。それにこの絶景。標高920mは伊達じゃないですね。神社の境内のベンチで食べたオニギリおいしかったし。私は7時前から上り始めてたんですが、途中霧が出たりとすごく神秘的。10時半ごろから下山始めたときにはかなりの人が登ってきてました。登ってくる人の多さにビックリ。中には走って登る人も・・・。人気のある登山コースだけのことはあります。ちなみに、紹介した愛宕鉄道関連施設以外にも、愛宕駅まで至るケーブルカーの路線が現存し、橋やトンネルが残っていて、常連や廃線好き・廃墟好きの人たちがその廃線コースを辿って登山したりするそうですが、路線自体はかなり崩落が進んでいて危険な状態。絶対に一人では行かないこと。必ず複数で慣れた人とともに行くか、最初から行かないことをオススメします。私も行ってませんし。

*おまけの話。
あたごとみょうこう前






旧日本海軍の重巡洋艦「愛宕」と今年3月に完成した新鋭イージス艦「あたご」の名前はこの山の名前からとられています。「あたご」は舞鶴が母港だし見に行ったこともあり、なんとなく親近感あり。



besan2005 at 22:00│Comments(5) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 鉄道・交通 

この記事へのコメント

1. Posted by べーさん   2007年05月19日 22:19
山登っていると、自然とすれ違う人と挨拶するんですよね。挨拶されるのもするのもこんなに気分がいいなんて。優等生みたいな感じの書きかたで嫌ですが、この気分は体験するとよく分かりますね。あと、ベテランらしきおじさんとも仲良くなり話が聞けたし。登山という非日常の行為だとこんなにも多くの発見があるのかと、つくづく実感。
2. Posted by 懐畔泥鰌   2007年05月20日 00:33
愛宕山鉄道は単なる保養や娯楽施設が目的だったのでは無いような気がします。
何かを伝えたかったのか護りたかったのかもしれません。
巧く言えませんが、心意気の深さがあるように感じました。
天龍川上流の火の守り神秋葉神社総社は神宮寺との関係でぎくしゃくしているようです。
かの武将の出身地区も担当エリアです。
ガサに最適…。
3. Posted by べーさん   2007年05月20日 01:52
>>懐畔泥鰌さん
てっきり私はレジャー用と思ってましたw参拝客用の需要が中心だったでしょうが、スキー客も多かったようです。(スキー場跡も向かうつもりでしたが、結局分かりませんでした)

かの武将は、私は結構馴染み深いですねぇ。
4. Posted by Riseman   2007年05月21日 20:39
廃墟の写真に、切なさと時代を感じました。

軽井沢に行くと良く廃墟になった別荘とか
跡地とかみかけた記憶があります。

お怒りの看板は本当に怒ってますね。
近所になる奥多摩の方も客のマナーが最低で地元の方々は辟易とされていました。

山登ってて思うのが、昔の人たちは
これをゴリゴリと当たり前のように歩いていたのか?
と思うと尊敬に値します。
5. Posted by べーさん   2007年05月21日 23:39
>>Risemanさん
軽井沢って、戦前からの避暑地なので、私的にはその当時の洋館とか興味あったり。太宰治の斜陽じゃないけど、かつて華やかな暮らしをしていた人たちの名残の廃墟って物悲しいですよね。

昔の人ってなんでこんなに丈夫なんだろと感心します。私なんて、まだ筋肉痛とれないのにw

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