2007年07月29日

大正時代の遺跡発掘記事

大正時代の遺跡発掘記事

 


*古写真・古絵葉書展示室ブログからの相互記事です。

考古学ブームの続く昨今、連日のように遺跡発掘の記事が新聞に載りますが、
大正時代にも遺跡発掘の記事が載ることがありました。
私が所有する大正2年2月の神戸新聞から紹介してみます。
*画像をクリックすると大きくなります。



「太古の跡」伊勢より土器発見。一は石器時代遺跡か。
伊勢国渡会郡西外城田村小学校校舎は予て新築中の処、此の程落成せるより運動場の一隅に運動具を建設すべく敷地を発掘中地下数尺の所より土器石斧等を発見せしが古来同地附近には黄金の鶏の塚と云うのがあるとの伝説あるより目下数十名の人夫は盛に発掘中なるが今回発見したる土石器は石器時代の遺物らしいといふ 又同郡四郷村北中村にては両三日前同村丸山の山路を修理中一の古墳を発見し 石廓中よりは刀身、鏃、水晶切子、玉砥石、高杯、提瓶其の他数十点を発掘したるが石廓は長さ二十尺幅三尺八寸ないし四尺五寸あり入口は巨岩を以って覆われあり同所にては去る明治二十三年十月大古墳を発掘したることありて由緒深き土地なるが、右は倭姫命の御陵墓なるべしと伝えられ居れり。


記事によればどうやら縄文時代の遺跡と横穴式石室の古墳の調査の記事のようですね。
記事に神話の話を用いているのがいかにも時代を感じますが、戦前の大正期の
遺跡発掘記事として興味深いものと思います。

besan2005 at 22:05│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 遺跡 

この記事へのコメント

1. Posted by 懐畔泥鰌   2007年07月29日 23:33
仕事で三重県を7年ほど担当していましたので、時間がある限り神社や遺跡を見て回ってました。
度会郡の度会氏は縄文の流れを汲む古来の豪族です。
伊勢神宮の外宮を京都府宮津の籠神社から勧請したのも深い繋がりがありますね。
明治から昭和初期に掛けての建造物は西洋の技術をふんだんに取り入れているのですよね?
物凄く堅牢な造りなのに風情があってゆとりを感じます。
風景に溶け込んで違和感がないというのはデザインの秀逸さなんでしょうね。
2. Posted by べーさん   2007年07月30日 00:17
懐畔泥鰌さん
渡会氏、聞いたことあります。古代氏族一覧みたいなので読んだ事が。
古来伊勢神宮は何度か遷座しています。京都には「元伊勢」とよばれる神社があって、宮津の籠神社と福知山市大江町の元伊勢皇大神社があります。
伝説とリンクする神社や史跡。ロマンですよねー。

>>風景に溶け込んで違和感がないとい>>うのはデザインの秀逸さなんでしょ>>うね。

西洋建築にしろ、日本建築にしろ、名建築と呼ばれるものはデザインに手抜きがなくしっかりしていることで、美しい街並みは一定の様式のデザインで統一された建物の街並みなんです。なので、最近作られた街並みでも、デザインがしっかりしていて統一されていれば美しく見えるわけです。日本の歴史で個人的に思う美しくない街並みは昭和30〜50年代。装飾も何もない無機質のビルが雑多に乱立した時代です。その反動で「ポストモダン」が生まれたわけですね。

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