2007年09月24日
中世の庶民に思いをはせる。
東播系の須恵器は、平安末くらいから中世にかけて作られた須恵器の一種で、古墳時代からつづく須恵器の直系ともいえるもので、備前焼などの中世を代表する焼き締め陶器の原型ともいえる器です。
このこね鉢は、現代にもあるすり鉢の原型ともいえるもので、
まだ、櫛目は入ってません。櫛目が入るのは、室町になってからで、
時代が経つにつれて、櫛目が増えていきます。
しかし、東播系のこね鉢には櫛目が入ることはありません。
備前焼や常滑焼・信楽焼は酸化炎で登り窯を使い、高温で焼成するのに対して、東播系須恵器は、古墳時代以来の伝統的な窖窯による還元炎での焼成で作られています。中世の他の窯で有名なのは、石川県の珠洲焼ですね。還元炎とは、窖窯内の酸素を不足気味にし、焼成する方法で、粘土内の鉄分に含まれる酸素も使用されるため、焼き上がりが灰色になる特徴を持ちます。
しかし、窯の発達により、還元炎焼成による焼き締め陶器の製作はすたれ、もっぱら磁器のほうに使用されるようになります。
横から見たこね鉢。
片口になっており、注げるようになってます。
なので、片口鉢とも呼ばれます。
口縁は三角形。口縁部分はやや焦げた感じになってます。
それは、この器が重ね焼による大量生産品で、口縁部分が
一番強く火を受けるため。
底の部分。
底は高台を持たず、ベタ底になってます。
量産品の証ですね。
底にはロクロから切り離したときに付いた
糸きり痕が残ってます。糸きり痕は8世紀ころからの
須恵器にはほとんど付いてます。
また、中世の常滑や瀬戸で大量に焼かれた雑器である、
いわゆる「山茶碗」と呼ばれる素焼きの器も残っています。
今回、この東播系こね鉢を再現するに当たって、
より本物に近づけるために、専門家による
チェックを受けながらかなり苦心されたようです。
その再現度の高さは、実際に手にとって納得しました。
私も仕事柄、結構東播系のこね鉢を見てますが、
焼きの感じや土の質感、造形など忠実に再現されてます。
現代の窯で焼くと、どうしても焼き締めはヘンにテカリがでますが、
(このテカリは拙い須恵器の偽物に結構あります)
ちゃんと抑えられて、須恵器らしい器面になってます。
特に私が注目したのは底の部分。糸きり痕の感じや
底周りのバリなど生々しいくらいリアル。
全体的に整いすぎない造形が条件で、当時の器を再現するためには
必要なことなんですが、中々これが難しいんですよね。
今の道具だとかなり整ったきれいなものが作れるが、
「復元品」だとかえって不自然になる。きれいにできる道具を
使って、拙い造形を再現するのは並大抵のことではありません。
復元品ですが、中世の人々の生活を思い起こさせるすばらしい作品。
まこと氏、ありがとうございました。
こちらからも、お礼を送りますね。
以前お伝えしたように「光る」ものでも。
この記事へのコメント
解説も分かりやすいし、
周囲に、今回の仕事について
説明する時に丸暗記して使いますw
これでも「キレイすぎる」っていう
指摘があったんだよね。
なかなか厳しいですわ。
キレイに作れって修行したからさ〜
だから、踏ん切りがつかなくて。
納期間際に焦って作ったやつが、
一番評価されたりしてて、
苦笑してしまいましたわw
今回のやつは、「神出窯」の
製品をモデルにしてます。
魚住のやつも作ってみたいな〜
お礼とありますが、
こちらから送りたいモノが
もう少しあるんで、
その後でOKっすよw
今度は、こちらも光るモノをwww
嘗て得意先があったので良く通い目にしていました。
百済系と新羅系の流れは直接、陶工が日本に流れたようですが、一旦、伽耶で熟成されたような面も見られますね。
伽耶の人達は初期の弥生系の民族で源日本人に溶け込んだ最初の民族だったような形跡があります。
新羅系の流れも天日矛の伝承がありますね。
どちらにしろ当時に於いては、酸素を遮断し、高温で焼いた硬質の焼き物は画期的な技術だったと思います。
忠実な復元ですか。
凄いな!
今回は、いいもの送っていただいて
ありがとうございます。
本来なら、届いた時点で記事にすべきでしたが、時間が取れなくて。
この記事の文章も端折って書いてるので不十分です。別の方に説明されるときは補足を。
昔のままのものをリアルに作るには当時の道具を使うのが一番いいんでしょうけど、それでは仕事にならないですし、中々難しいものですね。
このあたりでよく見るのは魚住のほうですね。記事には書いてませんでしたが、口縁の作りがちょっと違う。同じ東播系でも地域差はありますし。
光るもの・・・なんだろうw
須恵器の技法は5世紀に伝わりましたが、当時としては画期的な技術でした。それまでは野焼きによる酸化炎での低温焼成のみでしたので、軟質の土器しか焼けませんでしたが、窖窯のおかげで1200度の高温で焼けるようになり、保水性のある硬質の焼き物が焼けるようになりました。
中世の備前や常滑といった六古窯は更に発展した登り窯を使い、酸化炎ながら1300とか1400度で焼いているのでかなり硬質になってますが、もとは須恵器が源流となってます。
昔のやつみたいにガタガタと
回ったりはしないしねwww
神出は、シャープな印象だけど、
魚住は、少しだけ丸い雰囲気ね。
口縁部の処理の仕方は、
そのまま製作法に
関わってくるんだけど、
神出でやってる一手間を、
魚住では省いてると思う。
これは、口縁の形状にモロに出てる。
それついては、兵庫の担当者の方とも
話題になったんだけど。
操業時期からいっても神出が
僅かに古いかな〜って。
自分のブログでネタにするかなwww