2007年11月23日

春日大社の石燈籠が何気にすごい。

春日大社参道

 

 

 


3連休の初日、ちょっと気晴らしに奈良に行きました。
京都からなら近鉄で1時間。結構近いです。
興福寺や東大寺など定番の場所は巡りますが、
必ず立ち寄るのが春日大社。それも石燈籠のある参道です。
それには理由があるんです。
その理由とは、建ち並ぶ石燈籠に刻まれた年号のこと。

 



春日大社の境内には約2000基あまりの石燈籠があるのですが、
そのうちの本殿へ至る参道に室町中期から末期の年号が刻まれた
石燈籠が並んでいるんです。
ほとんどの人は注目しませんが、石燈籠に刻まれた年号や
文字を読み解くのは、中々面白いと思います。
明応

 

 

 

 

 


私が見つけた中で一番古い年号、明応元年(1492年)
年号とおりなら500年前の燈籠。
大永

 

 

 

 

 


大永七年(1527年)の燈籠。
その前の永正年間の年号のある燈籠は結構ありましたが、
私の記憶違いで写真撮り忘れました・・・
享禄

 

 

 

 

 


享禄二年(1529年)の石燈籠。
年号のほかには寄進者などの名前が刻まれています。
天文

 

 

 

 

 


天文三年(1534年)の石燈籠。
天文年間は24年続いた長い年号であり、
室町期までの石燈籠の中では一番数が多かったと思います。
その次は18年続いた永正だったと思います。

これら石燈籠の中には「明治○○年 再興」と刻まれたものもあります。
恐らく元々バラバラになってて放置されていた古い石燈籠を
組みなおして参道に並べたのではないかと思います。
この手の石燈籠は江戸時代のものは良く見かけるのですが、
室町期のもので年号が入っているものはほとんど見たことありません。
ここの春日大社の参道の石燈籠は室町期の年号が
刻まれているだけでなく、室町中期から江戸初期までの
年号を持つ燈籠が一通りそろっていることも重要です。
確認した元号は、「明応・永正・大永・享禄・天文・
弘治・永禄・元亀・天正・文禄・慶長・元和」
(江戸初期以降は省略)
と、文亀以外はほぼそろっているという素晴らしさ。
この一角だけで中世後期の歴史がなぞれます。

室町期というと400年前とか500年前というはるか昔。
建造物はほぼ例外なく重文に指定されるくらい貴重で数少ないもの。
しかし、そんな中でも五輪塔などの石造物は
中世でありながらどの村落にも路傍や墓地・社寺の境内などに
ひっそりと建っています。
中世という時代を知りたいものにとって一番身近な存在なのです。
私は学生のころから中世の石造物に惹かれて、地元の街やら色々
探索しましたが、村落の片隅にひっそりと立ち、ほとんど気にも留められない
存在でありながら500年の時代を経ているというその存在に魅力を感じたんです。その文字の刻まれた石造物自体が数百年の村落や町の歴史を見てきた生き証人ですから。

皆さんももしよければちょっと立ち止まって、石造物に刻まれた文字に眼を
止めてみませんか?400年前や500年前の文字が刻まれた石造物が
こうやって現代の我々の目の前にあり、触れられるのはまさに奇跡的なことだと思います。さらに多く残っている江戸時代の200年前・300年前のものでも同様な気持ちにさせてくれると思いますよ。

おまけ。
手向山八幡宮

 

 



東大寺三月堂の近くにある東大寺鎮守社、手向山八幡宮。
菅原道真が
「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」
と詠んだ場所でもあります。その手向山八幡宮の楼門の前に
校倉倉庫1

 

 

 

校倉倉庫2

 

 

 


このような2棟の校倉造の建物が建っています。
実はこれらは奈良時代の建物で、東大寺の油倉と
経蔵だった建物です。
奈良時代や平安初期の宮や国府などの役所、
大寺院には校倉造の倉庫が建てられ、正倉と呼ばれました。
それら正倉がいくつか集った一角は「正倉院」と呼ばれていました。
現在正倉院といえば、東大寺の正倉院の固有名詞となってますが、
かつては正倉のある一角を指す名称でした。
実際、正倉院にも複数の校倉造の倉があったそうです。

校倉造は江戸時代にも建てられていますが、奈良時代の校倉造の建物が
現存しているのには驚かされます。律令時代のものですからね。
1300年前の建物をこして見ることが出来るのも奇跡的です。
奈良時代の校倉造の倉庫は、ここの他に正倉院と唐招提寺の3箇所のみです。
平安時代のものは、東寺に9世紀の倉庫が1棟残っています。



besan2005 at 19:22│Comments(8) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 遺跡 

この記事へのコメント

1. Posted by こじ   2007年11月23日 21:09
石造物って古い物からは変なオーラが出てますよね。。変な高揚感を感じたりします(それって危ないのか?w)
年号とかは詳しくないので、見たその時にいつの時代のものかは判断できていません。

おっしゃるとおり、何百年も前の石造物が現代に残り、見ること触れる事ができるのは奇跡的なことだと思います。
2. Posted by エビ獲り名人   2007年11月23日 21:57
歴史には本当に浪漫を感じます。それこそわが家の先祖は初代が戦国時代の人らしく、本家は26代程続いています。甲斐武田の家臣に関わる人らしいですが詳細は不明。
3. Posted by べーさん   2007年11月23日 22:11
>>こじさん
学生のころからあちこち色んな中世の石造物を見て回ったせいか、室町中期から江戸時代の元号なら大体どの辺りの時代か分かるようになりました。

私も中世の石造物見るとテンションが上がるヤバい人ですw
近世のは何故かそんなにテンション上がりません。結構その辺にあるからでしょうか。

よく「器物百年経ると魂が宿る」と言いますが、中世の石造物は400年500年風雪に耐えてきていますから、不思議なオーラを発していそうな雰囲気があるのは分かりますね。

それと、近世のものと中世のものでは存在感や発するオーラが違います。室町以前のものの方がオーラも存在感も強いです。
それは、経た年代の長さだけでなく、戦乱の世という時代を潜り抜けたのと、造型自体が近世よりも粗野で力強いからかもしれません。
4. Posted by べーさん   2007年11月23日 22:21
エビ獲り名人さん

ものすごい名家じゃないですか。
しかも、武田の家臣だったとは。
きっと本家筋には貴重なお宝がありそうですね。
5. Posted by ryu-oumi   2007年11月24日 08:47
校倉=ジャパニーズログハウス…
古いものが多いのではなく、古いものが今も保存されているというのが日本の良いところですね。
6. Posted by べーさん   2007年11月25日 11:42
ryu-oumiさん
おお、そういえばログハウス。
校倉造を調べていたらそういう表現をされているサイトがいくつもありました。
7. Posted by 懐畔泥鰌   2007年11月25日 13:24
年に数回は奈良へ行くのですが、天理、桜井、明日香、斑鳩辺りが多いです。
最も関心のある時代が場所を決めていますね。
年初に仕事の担当地域が変わったのとガサへ行く機会が増えて、神社や遺跡も新規開拓?中です。
名もない神社で新たな発見に驚かされています。
8. Posted by べーさん   2007年11月25日 18:02
懐畔泥鰌さん
天理や桜井方面は一昨年くらいに行きましたが、明日香は高校の時以来行ってないですねぇ。
あの頃は古墳や天皇陵を見て回りました。
遠いので中々いけないのですが、また行ってみたいです。

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