2008年02月28日
遠い昔、ここは色鮮やかな花の街だった・・・
つまり、一般的に新地と呼ばれる遊廓街で、
戦前まではこのあたりでは一番といわれていた
遊廓街でした。
戦後、遊廓が廃止されたあと、赤線街として
存続し、売春禁止法が施行された後は
全て廃業し、普通の静かな集落へと変わっていきました。
しかし、現在も当時の遊廓の建物がいくつか現存しており、
中にはかなりレベルの高い意匠の旧遊廓の建物が残っています。
それらの建物は全て一般の住宅となってます。
遊廓の建物は近代の和風建築を代表する建物であることが多く、
また、地元の歴史を知る上でも格好の資料となります。
古い建築が好きな私にとってはぜひとも見ておきたかった場所なのですが、
2度ほど探索したときには、全然別の場所を歩いていたせいか、見つけられず
もう、取り壊されたのかなと思い込んでいたのですが、いくつかのサイトで
探索されている記事を見つけて再訪したわけです。
この旧遊廓街については、過去の歴史の関係から一応地名は伏せますが、
検索すれば具体的な場所がヒットします。
上とは別の唐破風つきの旧遊廓。
こちらは上とは違い改造が少なく、格子窓が残っています。
2棟とも、現存している遊廓の建物では一番大きく立派な建物。
遊廓街の中でも一番の格式があったのかもしれません。
玄関のアップ。唐破風だけでなく、他の部分も結構凝ってる。
壁にはベンガラが塗られているのも、遊廓の建物の特徴。
メインの通りの一番奥に建つ、旧遊郭街で唯一の洋館。
明らかに戦前の建物ですが、遊廓の建物というより、
組合か何かの建物だったような気がします。
まるで城郭の櫓のような大きな3階建ての建物。
これも遊廓だった建物でしょう。
しかし、立派な建物です。改造されてなかったら
もっと見ごたえあったでしょう。
雰囲気のいい建物です。
窓ガラスといい、古びた木塀といい、庭木といい。
これだけで、当時の街並みを思い浮かべられます。
他にも中規模・小規模の遊廓だった建物が住宅として使われています。
当時の格子窓などが残っている建物もありますが、外観が改造されているものを含めたら、8割がた当時の建物が残っていると思います。
遊廓の建物は特徴的です。1階と2階の規模がほぼ同じくらいで、
見た目が頭でっかちに見えます。外観が改造されて、格子窓や高欄が撤去されても、建物の形でわかるんですよね。
探索しているときに、ゴミだしをしているおばさんがいたので話を聞くことに。
でも、さすがに「ここ、遊廓だった場所ですよね?」なんてデリカシーのない聞き方は出来ないので、すぐ近くにある中世城郭から切り出すことに。
中世城郭の場所を聞いて(知ってるけど)、この集落は城下町だったんですか?と切り出したら、
「ここは、昔は、赤線・・・赤線だった街なんですよ」
とやや言いにくそうに話してくれました。そのあと、残っている遊廓の建物を親切に教えてくれ、お礼を言って分かれたのですが、やっぱかつての街の性格からか気にする住人の方もいるのかもしれません。おばさんはそこまでではなかったけど。
なので、最初に書いたとおり地名は伏せておきます。しかし、この場所についてはいくつかのサイトや出版物で紹介されていますので具体的な場所は知る事は出来ます。ただし、この集落は現在は普通の住宅街になっていますので、探索や見学の際は、しつこく写真を撮ったり長い間眺め回したりしないほうがいいでしょう。
私も、1〜2枚さっと写真を撮って、横目で観察しながら通りすぎましたから。
ちなみに、背後の山が中世の城郭跡で公園化されており、当時の土塁や曲輪、堀などが明瞭に残っています。城好きの方にはオススメ。
雑木で覆われていないので、観察しやすい城ですよ。
この記事へのコメント
運転中でカメラも持ってない…。
機会があったら、お見せして、べーさんに判定して貰おうかな等とお勝手に思っています。
鑑定いたしますよw私もいろんな町の
近代建築見てみたいので。