2008年08月05日

権力者が求めた名石

藤戸石

 

 

 


先週の話ですが、とある寺の庭園の仕事に行きました。
これはその庭園にある庭石。



この石を見てすぐ分かった人は、歴史に詳しいか、
日本庭園に詳しい方ですね。
寺の名前はあえて書きませんが、(もうバレているようなものですが)
この庭石はこの庭園の中心をなす庭石で、
数多の権力者によって所望された名石中の名石です。
由来を書いてみますと、

石の由来は源平合戦のころから始まり、
室町時代にはすでに名石となっていたこの石は
最初足利義政の東山殿に置かれ、

次は室町幕府管領細川氏の屋敷。

その次は細川管領の邸宅から織田信長が
足利義昭のために建てた二条御所へ。

信長の死後、豊臣秀吉が聚楽第へ。

その後秀吉が現在の場所へ移して現在に至るわけです。

特に織田信長が二条御所へ運んだ時は、美しい錦で包み、
笛や太鼓を鳴らして運んだそうです。
藤戸石裏側






裏側からの写真。通常の一般拝観では絶対見られない位置。
これも役得かw

現在、細川管領の邸宅も、足利義昭の二条御所も、秀吉の聚楽第も
建物はおろか跡地すら見ることはできません。
せいぜい、記録や屏風絵などから屋敷の様子をうかがう程度です。
この庭石はその豪華な邸宅や有名な権力者の姿を見てきた石です。
そんな石を目の前で見ることができるの言うのは
何とも不思議な気分になりますね。



besan2005 at 21:45│Comments(4) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック (旧版)その他 

この記事へのコメント

1. Posted by 懐畔泥鰌   2008年08月06日 00:46
能で語り継がれていますね。
裏側からの写真は貴重です。
かなり強い激しさのある石ですね。

細川も義昭も信長も秀吉も…そして自分が、今見ているのだと思うと時間を超越した気分になりますね。
2. Posted by ryu-oumi   2008年08月06日 08:19
義政は、将軍をせずに文化人として生きれば才能ピカイチですよね。庭作りをするために将軍になったのかな?

信長&屏風絵からの連想ですが、 狩野永徳 作の安土城金屏風ってまだ見付かっていないのでしたけ?
3. Posted by べーさん   2008年08月07日 06:12
懐畔泥鰌さん
お、さすがにご存知ですね。
そうです。能でも有名ですね。
この庭石に限らず、古建築物などを
みていると、そういう感覚を感じることがあります。

ryu-oumiさん
政治をほったらかし、応仁の乱の時も知らん顔をしていたと批判されること多いですが、同時に現在の和室の基礎ともいえる文化を築いた人でもあるんですよね。
安土城の屏風は本能寺の変後に城とともに焼失していますが、それとは別のものでしょうか。
4. Posted by ryu-oumi   2008年08月07日 09:44
>別のものでしょうか

 ローマ法皇に送った物が行方不明ではありませんでしたっけ?曖昧な記憶なもので・・・

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