2008年08月31日

永遠に(?)議論の続く古代ロマン

黒塚古墳の月光仮面

 

 

 

今回は歴史の話。
というのも、ちょっと気になる記事が。

「卑弥呼の墓」に60〜70メートル幅の濠 箸墓古墳



邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説もある奈良県桜井市の国内最古級の大型前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ〜後半、全長約280メートル)で、前方部の外側に幅60〜70メートルの周濠(しゅうごう)が造られていた可能性が高いことが、同市教委の調査でわかった。これまでの想定幅の2倍超で、被葬者の強大な権力を示すものとみられる。

 住宅開発に伴い、市教委が5〜7月に箸墓古墳から南西に約70メートル離れた地点で約110平方メートルを調査し、古墳に向かって広がる溝のようなくぼみの跡(長さ約30メートル、深さ最大約1.3メートル)が見つかった。出土した土器から箸墓古墳と同じ3世紀後半に造られたとみられ、水が流れた跡もあることから、古墳の周りを取り囲んだ周濠の可能性が高いと判断した。

 箸墓古墳では過去の調査でも周濠の一部が見つかり、市教委はこれまで周濠の幅について前方部は約30メートル、後円部は約50メートルと推定していた。

 箸墓古墳は宮内庁が皇族の祖先の墓として管理する「陵墓」で、発掘や立ち入りが認められていない。ただ、市教委などが周辺部で調査を続け、内濠と外濠が巡る二重周濠を備えていた可能性が指摘されている。

 箸墓古墳に詳しい奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は「大型前方後円墳の先駆けの箸墓古墳がどう整備されたかを知る貴重な手がかり。今後も調査を積み重ね、全体像を明らかにしてほしい」と話す。
(朝日新聞web8/31日付記事より引用。)

箸墓が卑弥呼の墓だという説や言い伝えは古くからあったことは
よく知られている話です。卑弥呼が亡くなったといわれる年代は
3世紀半ば。箸墓古墳の築造年代は3世紀半ばごろ。
年代的に合う上、国内の前方後円墳の中で最古級(古墳としても最古級)
さらに全長が278mと日本でも屈指の巨大さを誇ります。
3世紀半ばという時代にこれだけの古墳が造れた人物は誰かとなると
自然と箸墓=卑弥呼の墓説が出てくるでしょう。
ただ、やはり決定的な物的証拠が出ないことにはわからないですよね。
あくまで「可能性が高い」というだけ。
ちなみに、前方後円墳に関してはかなり早い段階から出現しておりまして、
原型ではないかという3世紀前半の弥生期の墳丘墓も見つかっています。
また、箸墓と同時期の前方後円墳もいくつか見つかってますので、
箸墓が前方後円墳の始まりというわけではないようですが、規模がケタ違い
ですので、他の古墳や墳丘墓の被葬者とは大きな力の差はあったはずです。
そして今回発見された大規模な周溝。しかも2重周溝の可能性。
やはり・・・と思ってしまいますが、
今のところは「一番可能性がある」としておいたほうがいいのでしょう。
ロマンもありますしねwただ、箸墓は宮内庁管理。主体部調査ができないのが
残念。

ところで、TOPの写真は奈良県の黒塚古墳の現地説明会に行ったときのもの。
1997年に主体部が調査され、三角縁神獣鏡が33面も出土し、
大きな話題になった古墳です。
当日結構早く現地に着いたのですが、すでに古墳の外まで見学者の行列ができ、見学終わるころは古墳から1キロくらい離れていた柳本駅まで行列が
できてました。
黒塚古墳1黒塚古墳2

 

 

 

こんな感じです。で、TOPの月光仮面はというと、古墳の外の
公園でプラカードを持って立ってましたw
当時何か大きな事件があるとその現場にプラカードを持って
何やら主張する月光仮面が出没して話題になりましたが、
この月光仮面も同一人物だったのだろうか。
ま、現在黒塚古墳は国指定史跡となり整備され保存されてますから
願いはかなったわけですね。
黒塚古墳石室

 

 

 

これが当時の石室のようす。手前に銅鏡が置かれています。
見学はグループごとに分けられかなり早足で捌かれましたw

柳本の町では地元の人が便乗して臨時のブースで書籍や弁当を販売。
ほとんどが邪馬台国関連で、中には725(ひみこ)円弁当なんかも。
黒塚古墳の報道記事の載った新聞と抱き合わせで本を売っていたとこもw
まぁ、これらは当時の報道で、魏志倭人伝記載の「銅鏡百枚」と関連付けて
「邪馬台国と関係ありか!?」と報道した
マスコミの影響が十二分にあるわけです。確かに黒塚古墳の年代は
3世紀末から4世紀ごろの比較的古い時期の古墳ではあるのですが、
どうでしょうねぇ・・・

卑弥呼がらみのこの報道記事を読んで、懐かしい写真を引っ張り出した
本日の記事でした。



besan2005 at 20:38│Comments(3) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 遺跡 

この記事へのコメント

1. Posted by 懐畔泥鰌   2008年09月01日 00:15
生の石室って、迫るものがありますね。
銅鏡もしかり。
箸墓古墳は、当時の有力豪族の集合体の象徴だったかも知れませんね。
各地の部族の祭祀器具や象徴が、この当時、ヤマト盆地に集まっています。
古墳の形状も同様ですね。
求心力のある集合体ができつつあったのではないかと、朧気ながら思っています。
倭迹迹日百襲姫命が何方なのかとも思います。

この長蛇の列に、時間を気にせず並んで、ゆっくりと見て回りたいものです。
あぁ、時間が欲しい…
2. Posted by ryu-oumi   2008年09月01日 11:42
貴重な画像拝見。
話がそれますが、魏志倭人伝(魏書東夷伝倭人条でしたけ?)の著者の陳寿の評価が微妙ですね。
3. Posted by べーさん   2008年09月01日 20:58
懐畔泥鰌さん
この臨場感、迫力は実際に現物を見ないと感じられないですね。
学生の頃はあちこちの現説に行きました。こんな感じで遠出して並んだり。
今は中々・・・

ryu-oumiさん
あ、そうでしたっけ・・・
歴史やってるのにその辺はあまり知りませんでしたw

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