2009年09月24日

舞鶴要塞・浦入砲台跡

9月21日と22日に舞鶴要塞跡ツアーとして5つの砲台跡を巡りました。初日は浦入砲台跡と吉坂砲台跡。
まずは午前中に訪れた浦入砲台跡です。

浦入砲台は明治32年に完成した砲台で、現在関西電力舞鶴火力発電所のすぐ裏にあります。
というのも、火力発電所が浦入砲台の敷地を削って作っているので。というわけで、遺構本体も破壊されているのでは…と危惧していましたが。
浦入砲台砲座5道なき道を進み藪をかき分け、斜面を這いつくばって辿りついた先に見えたのは、見事な煉瓦の壁。かつて要塞砲の砲座として使われていたところです。軍の要塞なんだから実用本位でいいのに、半円の角の部分はしっかり隅石で構築するという凝りよう。
浦入砲台弾薬庫外面5砲座跡を下ると、発電所によって削られた法面の崖ギリギリに弾薬庫跡がほぼ完全に残されていました。
関電側が貴重な近代化遺産を残そうと配慮したのか、壊す手間と廃材処理が面倒だからあえて手を付けなかったのか分かりませんが、ともあれ、残してくれたことにはGJ!!
浦入砲台弾薬庫外面4木漏れ日の中にたたずむ煉瓦の構築物は美しい…





浦入砲台弾薬庫内部2弾薬庫内部はどうしても不気味に思えますけどねw
今となってはコウモリの巣。




思ったより砲座と弾薬庫の残りがよく、満足して帰路につこうと
行きとは違う尾根伝いを進んでいくと・・・

P9210023陸軍の石製境界杭発見。
でっかく「陸」と刻まれた立派なものですが、
境界杭自体は粗削りの適当に見えるもの。

ちなみに1mほど離れたすぐ横に「海界」と
刻まれた海軍のものらしき石製の境界杭も。
なんか、陸軍と海軍の意地の張り合いを思わせて面白いw


境界杭を後にし、さらに進むと…

浦入砲台水雷衛所外面アーチ3今までとは作りの異なる煉瓦の構築物が。
入口にはカマボコ状の楕円アーチ飾りも。
これは資料であまり見ない施設。




浦入砲台水雷衛所内部3内部は殺風景だけど、よく見ると入り口部分は内部側が広く外側が狭く作られている。
これは城郭の狭間と同じ効果を狙ってるのか?
しかし、これだけ空いていればあまり意味が無いような…

この楕円アーチの建物、nagaiさんのブログに寄せられたコメントによると水雷衛所ではないかとのこと。
水雷とは、魚雷やら機雷やら爆雷などの海で使う兵器の総称。
恐らくここでは港湾に施設する機雷を担当していたと思われるが、
詳細な資料があればより分かりやすいんですがね・・・
そういえば、歴史群像の「日本の要塞」に近年見つかったという
函館要塞の水雷司令部跡の写真が載ってましたが、
そんな感じの施設だったんでしょうか。

浦入砲台は思った以上に遺構が残り満足。
次は県境の吉坂堡塁跡へ。


besan2005 at 20:07│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

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