2009年09月24日
舞鶴要塞・吉坂堡塁跡
舞鶴要塞見学ツアー初日午後は、福井県高浜町にある吉坂堡塁跡へ。
舞鶴市内ではないですが、場所は本当に舞鶴市と高浜町の境。
堡塁というのは、湾内に侵入する敵艦艇を迎撃する砲台とはまた別で、直接上陸してきた敵兵を食い止めるための要塞。
まさに堡塁こそが明治の城塞と言える性質を持つ要塞です。
この吉坂堡塁は、福井県側から侵入するであろう敵兵(ロシア兵)
を舞鶴に入れさせないように食い止める前線の砦だったのです。
場所は杉森神社の裏の山。関西電力が鉄塔の管理をしているためか、狭いながらも登山道が途中まで延び、道に迷うことはない…
んですが、かなりしんどいwしばらく上がっていくと途中から幅員が3mくらいある広い道が出現。これこそが堡塁に至る正規の道で、さすが軍が作っただけあって石で擁壁を作る立派なもの。
休みつつ頑張って上がっていくと…
突如現れる門柱。
当時の衛門の跡で、こんなのが残っているのは意外。こういうのって大抵倒壊していると思ってたので。
奥にあったのは、状態の良い弾薬庫跡。
煉瓦の入り口だけでなく、半地下に降りる階段も良く残ってます。
ここは弾薬庫1つと貯水槽らしき施設、
それに指揮所らしき施設が3つ
並んでいます。こちらは貯水槽らしき遺構。
こちらは指揮所か退避所と思われる遺構。
内部はクランク状に作られ、正面の壁には銃眼の窓が。
敵が容易に中には入れないように作ってます。
指揮所らしき内部はドーム状になってました。作りは丁寧だけど内部は狭い。
実は最初に訪れたこの遺構は付属堡塁の跡で、いわば出城のようなもの。付属でこれだけ立派な施設を作ってますから吉坂堡塁はまさに舞鶴軍港防備の最重要拠点だったことが分かります。
付属堡塁を後にし、いよいよ本堡塁へ。
まず見えてきたのが5つ並んだ弾薬庫跡。
もうこのタイプのデザインは共通ですね。
しかし、細部は微妙に違ってたりするのが面白い。
弾薬庫前には階段も残存。
この作りは付属堡塁と同じだが、
敷地の広さは段違い。
内部は各弾薬庫をつなぐ感じでつながっています。弾薬庫内は大きく広い。
こちらは別のタイプの弾薬庫。
内部はちょっと狭い。
吉坂堡塁の各施設は人があまり立ち入らないためか状態がかなり良い。
弾薬庫内部から。
雰囲気抜群。
たしかこの上に砲座と砲側庫があったのですが、写真撮り忘れ…
ところで、吉坂堡塁を見て回って感じたことですが、煉瓦の構築物等が思ったより多くなかったこと。規模の大きさから見たら少々拍子抜けでしたが、それよりも大規模な範囲に土塁を構築し、斜面を削り空濠なんかを設けています。正直そちらの土による防御施設のほうがメインのようにも感じました。
敵の戦艦を相手にする砲台とちがい、斜面を上がってくる歩兵を迎撃する堡塁は土の防御で十分だったのでしょうか。
確かにかなりの長さにわたって築かれた土塁による歩兵の射撃ラインは見事ですが、これを見ていると明治という近代なのに堡塁の防御自体は中世の山城とあんまり変わらないなと。
明治でも中世さながらの防御施設を取り入れているのは
私にとっては意外な発見でしたね。
なんせ、土塁と切岸(斜面を削って崖状にした部分)と空濠なんてまんま中世城郭ですし。知らない人が見たら、中世の城とカン違いするかも。
1日目はここまで。
舞鶴市内ではないですが、場所は本当に舞鶴市と高浜町の境。
堡塁というのは、湾内に侵入する敵艦艇を迎撃する砲台とはまた別で、直接上陸してきた敵兵を食い止めるための要塞。
まさに堡塁こそが明治の城塞と言える性質を持つ要塞です。
この吉坂堡塁は、福井県側から侵入するであろう敵兵(ロシア兵)
を舞鶴に入れさせないように食い止める前線の砦だったのです。
場所は杉森神社の裏の山。関西電力が鉄塔の管理をしているためか、狭いながらも登山道が途中まで延び、道に迷うことはない…
んですが、かなりしんどいwしばらく上がっていくと途中から幅員が3mくらいある広い道が出現。これこそが堡塁に至る正規の道で、さすが軍が作っただけあって石で擁壁を作る立派なもの。
休みつつ頑張って上がっていくと…
当時の衛門の跡で、こんなのが残っているのは意外。こういうのって大抵倒壊していると思ってたので。
煉瓦の入り口だけでなく、半地下に降りる階段も良く残ってます。
それに指揮所らしき施設が3つ
並んでいます。こちらは貯水槽らしき遺構。
内部はクランク状に作られ、正面の壁には銃眼の窓が。
敵が容易に中には入れないように作ってます。
実は最初に訪れたこの遺構は付属堡塁の跡で、いわば出城のようなもの。付属でこれだけ立派な施設を作ってますから吉坂堡塁はまさに舞鶴軍港防備の最重要拠点だったことが分かります。
付属堡塁を後にし、いよいよ本堡塁へ。
もうこのタイプのデザインは共通ですね。
しかし、細部は微妙に違ってたりするのが面白い。
この作りは付属堡塁と同じだが、
敷地の広さは段違い。
吉坂堡塁の各施設は人があまり立ち入らないためか状態がかなり良い。
雰囲気抜群。
たしかこの上に砲座と砲側庫があったのですが、写真撮り忘れ…
ところで、吉坂堡塁を見て回って感じたことですが、煉瓦の構築物等が思ったより多くなかったこと。規模の大きさから見たら少々拍子抜けでしたが、それよりも大規模な範囲に土塁を構築し、斜面を削り空濠なんかを設けています。正直そちらの土による防御施設のほうがメインのようにも感じました。
敵の戦艦を相手にする砲台とちがい、斜面を上がってくる歩兵を迎撃する堡塁は土の防御で十分だったのでしょうか。
確かにかなりの長さにわたって築かれた土塁による歩兵の射撃ラインは見事ですが、これを見ていると明治という近代なのに堡塁の防御自体は中世の山城とあんまり変わらないなと。
明治でも中世さながらの防御施設を取り入れているのは
私にとっては意外な発見でしたね。
なんせ、土塁と切岸(斜面を削って崖状にした部分)と空濠なんてまんま中世城郭ですし。知らない人が見たら、中世の城とカン違いするかも。
1日目はここまで。