2009年11月23日
舞鶴・倉梯山防空砲台
11/23に行われた舞鶴の戦争遺跡見学。午前中は倉梯山の尾根上一帯にある防空砲台の探索。Iさんの案内の元、私を含め4人参加。舞鶴自動車道舞鶴東IC近くの道から上がる道があり、それがかつての旧軍道。馬に引かせる車などを通さねばならないので、幅員は現在の1車線くらいあります。これは、9月に探索した舞鶴市内の各明治期砲台の軍道と同じ。
ふもとに近いところは結構広かったけど、砲台施設に近づくにつれ、明治期砲台の軍道と同じくらいの幅員に。こっちが本来の幅だったのかもしれない。
倉梯山防空砲台は、昭和16年から昭和19年にかけて建設された
要塞としては比較的新しいもの。そのため、明治期の要塞と違い、コンクリートが多用されています。
残りは続きから。
しばらく歩いていくと突如門のように現れる巨大な切通し。まるで鎌倉の切通しのような迫力。この時は濃い霧がたちこめていて、幻想的な雰囲気も醸し出していた。
切通しの手前にあるコンクリートの柵。
切通し前は90°に近い急カーブとなっており、転落防止で設置されたっぽい。
つまりはガードレール。
このコンクリート柵の下には、石垣の擁壁もありました。
近くにあった海軍敷地の境界杭。
「海界」の文字が刻まれています。
明治期の要塞では石製の立派なものだったけど、
こちらは質のあまり良くないコンクリート製。
一番最初に見えてきた壕。退避壕というより、なにかの設備を置いていたような感じ。
そのすぐ近くに巨大なコンクリート構造物が。
正面に回り込む。でかい・・・
コンクリートも分厚く、1m近くあります。
そんじょそこらの爆弾では壊れませんね。
内部の様子。
中央に何かを設置したと思われる基礎があります。Iさんによれば、発電設備があったのではないかとのこと。
なるほど。砲台にとって発電設備は重要施設。空からの攻撃に耐えられるよう分厚い壕で守ってたんだなぁ。
しばらく登ったところにある兵舎跡。
瓦が転がり、かつては瓦葺きの木造兵舎があったと思われる。そこにあった階段。
コンクリート製。
近くには、現在も水をたたえる貯水槽あり。
さらに上って行くと、目の前に現れる煉瓦建築のような遺構が。
ここが今回のメイン。
事前に見た写真では煉瓦造に見えましたが、良く見ると、セメントを煉瓦の大きさに作ったものを積んでいる建物でした。
いわゆるコンクリートブロックなんだろうけど、煉瓦の大きさに合わせたブロックは初めて見た気がする。昭和期にコンクリートブロックの建物ってのは現存したりしてますが、ブロックはもっと大きく、積み方も煉瓦建築とは全然違いますし。
ぱっと見た感じ、煉瓦建築にしか見えないけど、セメント製。でも、目地はちゃんとモルタルで仕上げています。最初に見たときは、煉瓦の代用か?と思ったけど、その後に見た構造物でそうとも言い切れなくなった。
このセメント煉瓦建築の間取りを思い出しながら平面図書いてみました。向かって左上に個室のような部屋。左下にはちょっと広めの個室らしき空間が。右手部分は広い空間があり、柱で分けられていたような感じ。正面入り口と思われる部分がありますが、中央ではなく、左手によっていたような。あと、右手上に裏口のような出入り口がありました。うーん、やっぱ現地で略図を書いておくべきだった。
下の方にあった兵舎跡と比べてしっかりとした立派な作り。
あくまで推測なんですが、司令部とか将校用の宿舎だったのかも。
この場所に落ちていた鉄製の何かの部品。
1cmくらいの厚さで重い。
ネジ穴があり、ネジも1本残っていました。なんの部品かは分かりませんが、防空砲台当時のものの可能性も…
山中に突如現れる廃墟は、コンクリート製とはいえ、壁面の風化具合から、まるで古代遺跡のよう。晩秋の紅葉の美しさもあって、抜群の雰囲気でした。やっぱ山中の探索は草枯れしている今の時期あたりがベストですね。
※このセメント製の煉瓦ですが、質問をした近代建築MLの方から
「セメント煉瓦」というのがあると教えていただきました。
主に小野田市で生産され、寸法は通常の赤煉瓦と同じ。
小野田市ではセメント煉瓦はメジャーで、良くつかわれているとのこと。
似たような煉瓦で鉱滓煉瓦というのがありますが、これは製練所や製鉄所で出る残りカスを固めて作られるもので、当然、大規模な製鉄所などの施設の近くで多く見られますし、逆に近くに製鉄所とかが無いと見られない煉瓦です。
私自身北九州で鉱滓煉瓦を見たことありますが、もっと目が詰まっていて、かなり重いです。そして、もっと金属質な感じでした。
ここのセメント煉瓦はスカスカな感じで持った感じも軽く、脆いです。セメント煉瓦は脆く耐久性が低いので、小規模な倉庫などに使用するらしく、頑丈さが要求される砲台になぜ使用されたのか不明。
こちらに、類例と思われる遺構を紹介したサイトがありました。
http://underzero.net/html/tz/tz_414_2.htm
http://underzero.net/html/tz/tz_396_2.htm
セメント煉瓦建築遺構からさらに進んだところにあった半地下の構造物。コンクリート製に見えましたが、モルタルがはがれた部分の下地には、なんと煉瓦が。なぜここは煉瓦?
nagaiさんによると、JIS規格で、大きさもしっかり統一されていると言う。
半地下式構造物へ下りるための階段。
角部分にある退避用の一角。
中で人がすれ違うためのものかな。
半地下式構造物のすぐ横にある丸い穴。
周りはコンクリートで固めています。
どう見ても砲座。高角砲の砲座でしょうか。この砲座、横穴で隣の半地下式構造物とつながってます。
となると、半地下式構造物は、砲座の指揮所でしょうかね。屋根は無く、恐らく塹壕のような感じだったのでしょう。
その他この砲座の近辺や壕の周りには、複雑に入り組ませた土塁や
土のままの砲座も点在していました。
倉梯山防空砲台の探索では、煉瓦建築だと思っていた建物がセメントだったり、煉瓦が使われていた構造物があったりとさまざまな発見がありました。これまであまり資料の無かった倉梯山防空砲台での探索により、多くの遺構の確認と資料を得ることができたのは、大きな成果だったと思います。
切通しの手前にあるコンクリートの柵。
切通し前は90°に近い急カーブとなっており、転落防止で設置されたっぽい。
つまりはガードレール。
このコンクリート柵の下には、石垣の擁壁もありました。
近くにあった海軍敷地の境界杭。
「海界」の文字が刻まれています。
明治期の要塞では石製の立派なものだったけど、
こちらは質のあまり良くないコンクリート製。
一番最初に見えてきた壕。退避壕というより、なにかの設備を置いていたような感じ。
そのすぐ近くに巨大なコンクリート構造物が。
正面に回り込む。でかい・・・
コンクリートも分厚く、1m近くあります。
そんじょそこらの爆弾では壊れませんね。
内部の様子。
中央に何かを設置したと思われる基礎があります。Iさんによれば、発電設備があったのではないかとのこと。
なるほど。砲台にとって発電設備は重要施設。空からの攻撃に耐えられるよう分厚い壕で守ってたんだなぁ。
しばらく登ったところにある兵舎跡。
瓦が転がり、かつては瓦葺きの木造兵舎があったと思われる。そこにあった階段。
コンクリート製。
近くには、現在も水をたたえる貯水槽あり。
さらに上って行くと、目の前に現れる煉瓦建築のような遺構が。
ここが今回のメイン。
事前に見た写真では煉瓦造に見えましたが、良く見ると、セメントを煉瓦の大きさに作ったものを積んでいる建物でした。
いわゆるコンクリートブロックなんだろうけど、煉瓦の大きさに合わせたブロックは初めて見た気がする。昭和期にコンクリートブロックの建物ってのは現存したりしてますが、ブロックはもっと大きく、積み方も煉瓦建築とは全然違いますし。
ぱっと見た感じ、煉瓦建築にしか見えないけど、セメント製。でも、目地はちゃんとモルタルで仕上げています。最初に見たときは、煉瓦の代用か?と思ったけど、その後に見た構造物でそうとも言い切れなくなった。
このセメント煉瓦建築の間取りを思い出しながら平面図書いてみました。向かって左上に個室のような部屋。左下にはちょっと広めの個室らしき空間が。右手部分は広い空間があり、柱で分けられていたような感じ。正面入り口と思われる部分がありますが、中央ではなく、左手によっていたような。あと、右手上に裏口のような出入り口がありました。うーん、やっぱ現地で略図を書いておくべきだった。
下の方にあった兵舎跡と比べてしっかりとした立派な作り。
あくまで推測なんですが、司令部とか将校用の宿舎だったのかも。
この場所に落ちていた鉄製の何かの部品。
1cmくらいの厚さで重い。
ネジ穴があり、ネジも1本残っていました。なんの部品かは分かりませんが、防空砲台当時のものの可能性も…
山中に突如現れる廃墟は、コンクリート製とはいえ、壁面の風化具合から、まるで古代遺跡のよう。晩秋の紅葉の美しさもあって、抜群の雰囲気でした。やっぱ山中の探索は草枯れしている今の時期あたりがベストですね。
※このセメント製の煉瓦ですが、質問をした近代建築MLの方から
「セメント煉瓦」というのがあると教えていただきました。
主に小野田市で生産され、寸法は通常の赤煉瓦と同じ。
小野田市ではセメント煉瓦はメジャーで、良くつかわれているとのこと。
似たような煉瓦で鉱滓煉瓦というのがありますが、これは製練所や製鉄所で出る残りカスを固めて作られるもので、当然、大規模な製鉄所などの施設の近くで多く見られますし、逆に近くに製鉄所とかが無いと見られない煉瓦です。
私自身北九州で鉱滓煉瓦を見たことありますが、もっと目が詰まっていて、かなり重いです。そして、もっと金属質な感じでした。
ここのセメント煉瓦はスカスカな感じで持った感じも軽く、脆いです。セメント煉瓦は脆く耐久性が低いので、小規模な倉庫などに使用するらしく、頑丈さが要求される砲台になぜ使用されたのか不明。
こちらに、類例と思われる遺構を紹介したサイトがありました。
http://underzero.net/html/tz/tz_414_2.htm
http://underzero.net/html/tz/tz_396_2.htm
セメント煉瓦建築遺構からさらに進んだところにあった半地下の構造物。コンクリート製に見えましたが、モルタルがはがれた部分の下地には、なんと煉瓦が。なぜここは煉瓦?
nagaiさんによると、JIS規格で、大きさもしっかり統一されていると言う。
半地下式構造物へ下りるための階段。
角部分にある退避用の一角。
中で人がすれ違うためのものかな。
半地下式構造物のすぐ横にある丸い穴。
周りはコンクリートで固めています。
どう見ても砲座。高角砲の砲座でしょうか。この砲座、横穴で隣の半地下式構造物とつながってます。
となると、半地下式構造物は、砲座の指揮所でしょうかね。屋根は無く、恐らく塹壕のような感じだったのでしょう。
その他この砲座の近辺や壕の周りには、複雑に入り組ませた土塁や
土のままの砲座も点在していました。
倉梯山防空砲台の探索では、煉瓦建築だと思っていた建物がセメントだったり、煉瓦が使われていた構造物があったりとさまざまな発見がありました。これまであまり資料の無かった倉梯山防空砲台での探索により、多くの遺構の確認と資料を得ることができたのは、大きな成果だったと思います。