2009年11月23日

舞鶴朝来第三海軍火薬廠第二製造部遺構探索レポ日記

第三火薬廠道路11/22の舞鶴の戦争遺跡探索午後の部は、朝来地区の山中に眠る旧海軍第三火薬廠跡の見学。




以前の探索でも旧火薬廠の廃墟を訪れていますが、http://blog.livedoor.jp/besan2005/archives/51284815.html
今回はSさんによる案内で、奥地にある遺構まで見学することができました。
上の写真は、第三火薬廠内に残るかつての廠内道路。ここだけイチョウが生え、路面に落ち葉の絨毯ができていました。現在も幹線だった道路はそのまま残され車でも通れる場所ありますが、いくつかは荒れつつあり、山水等が路面を流れたりしています。
かつては広大な敷地の中に数多くの火薬廠の施設が立ち並び、多くの工員が作業し行き来していたこの場所も、終戦後60年あまり放置され、人が立ち入ることもなくなり、人気もなくただ広い敷地と施設の遺構のみが寂しく点在する姿は何やら物悲しくもあります。

続きから、今回見て回った第三火薬廠の各遺構を紹介。

第三火薬廠覆土式火薬庫2まず案内していただいたのがここ。
突如目の前に現れる巨大なコンクリートの壁に見学者圧倒。倉梯山防空砲台の発電室の壕なんか比べ物にならない。
ここは、覆土式火薬庫と呼ばれる巨大な火薬庫跡。分厚いコンクリートで構築され、その上に偽装として土が盛られています。
「覆土式」というのは、そういう意味。
コンクリートの厚さも1m近くある頑丈なもの。

第三火薬廠覆土式火薬庫内部内部はトンネルのように長細いのですが、とにかく広い。確かにサッカーができそうなくらい広いです。広いうえに真っ暗だから、コンパクトデシカメ程度のフラッシュじゃ、この程度しか撮影できない。



第三火薬廠覆土式火薬庫通風孔火薬庫の最奥にある鉄扉付きの通風孔。
通風孔と言っても、余裕でくぐれそう。






第三火薬廠覆土式火薬庫隙間外壁と内壁の間にある人一人が通れる程度のスキマ。実はこの火薬庫、2重構造になっていて、入れこのようになってます。
nagaiさんによると、壁面の結露による火薬の湿気を防ぐためではとのこと。
なるほど確かに床面の土は今でも乾燥している。

第三火薬廠覆土式火薬庫内部梯子内壁側に取り付けられているハシゴ。
恐らくメンテ用に付けられたもの。
今はサビサビなので、上るのは危険。







第三火薬廠乾燥場外観次の見学場所の乾燥場といわれる遺構。
火薬を乾燥させた場所らしい。
鉄筋コンクリート造だが、何故か外壁は
煉瓦積み。




PB220054内部の様子。床の真ん中に溝が付けられていて、そのあたりの壁がベコベコと凹む。
なんか薄い鉄板で覆われているみたい。





第三火薬廠乾燥場内部ダクト天井には巨大なダクトのパイプが現存。
まさに工場。






第三火薬廠橋1次の場所。火薬廠内の川に架けられたコンクリートの橋。欄干はそっけない鉄パイプ。しかし、この橋の構造がなんか珍しいらしい。nagaiさんに説明してもらったけど忘れたwすんません。



第三火薬廠石張り水路上の橋の上流側には、まるで親水公園の小川のような石張りの水路が。護岸も石垣。
現在は水は流れていないが…というか、現在はこの石張り水路の下を流れているらしい。確かによく見たら、石張りの下から水が流れてきている。なぜコンクリートじゃなく、わざわざ石張りと石垣にしたか・・・。少しでもコンクリートを節約するためらしい。

第三火薬廠貯水槽今でも水を湛える貯水槽。
深さはそんなにありません。
このようなコンクリート製の貯水槽が
火薬廠内に何ヶ所か点在している。




第三火薬廠鉄骨橋2小川に掛かるコンクリート橋。
親柱には銘板も何もなく、手すりも鉄パイプと言う簡素すぎる橋。
まぁ、公道じゃない火薬廠内の橋だから当然かな。
デザインも何もない橋だけど、こういうのも意外と好きだったりする。もちろん、戦前の橋ということが前提だけど。

第三火薬廠鉄骨橋1橋の下部の鉄骨部分。現在のH型鋼ではなく、L型鋼。リベットが武骨な感じだけど、60年放置され続けているため、腐食が目立つ。いずれ落ちそうで怖い。




第三火薬廠歩哨舎上の橋を越えたところの左手奥にある
煉瓦の小さな構造物。
形からしてどう見ても歩哨舎。しかし、立っている位置がなんかおかしい。本当なら橋のかかる道のそばにあるはずなのに…
しかし、歩哨舎の前から奥に伸びる道を発見。進んでいくと、立派な石垣の擁壁と三方を崖に囲まれ行き止まりとなった空間に建物跡を確認。これで歩哨舎の立つ位置に納得。
どうやら、かつてあった奥の弾薬庫へ向かう人を監視していた歩哨舎のよう。橋から道が分かれ、歩哨舎の前を通り、奥の施設(恐らく弾薬庫)へ向かうルート。
しかし、この歩哨舎はなんかしょぼい。連隊なんかにある歩哨舎は
もう少し前が塞がれている。

第三火薬廠トンネル1歩哨舎からさらに奥にあるコンクリートのトンネル。というか、通用門と言った方がいいか。
周りを土塁で囲み、入口はトンネル状のコンクリートアーチにしている構造のものは、他の工廠の爆薬庫などにも見られます。

PB220059上のアーチ門のさらに奥にももう一つコンクリートアーチが。
しかし、ここから先に道はなく行き止まり。Sさんの話では、このアーチ門の間にある空間には建物の跡らしきものが無く、
火薬廠の増設でこのコンクリートアーチを作ったけれども、施設自体を作る余裕はなく、そのまま終戦になったのではとのこと。

第三火薬廠弾薬庫外観別の谷の奥に残る旧爆薬庫の建物。
壁面にある「411」の数字は、戦後接収した進駐軍によって書かれたものだという。




第三火薬廠弾薬庫鉄扉爆薬庫入口の鉄扉。
鉄扉自体はなんか薄く感じるような…
しかし、終戦後だとこんな金物は真っ先に持って行かれるもんだけど、良く残されていたなぁ。






第三火薬廠弾薬庫内部爆薬庫内部。床面には泥が厚くたまり
田んぼ状態。うかつに奥には行けず、
入口手前で見学。
内壁には高い位置まで板がはられています。爆薬庫なのになぜ木の板が?
湿気対策ではとのことですが、危なくないのかな。

第三火薬廠弾薬庫内部電燈天井には電球がぶら下がってるし。
スパークとか漏電とかしたらシャレにならないと思うが、さすがに真っ暗な中で作業はできんので電球くらいは設置したんでしょうね。まさかロウソクというわけにはいかんし。しかし、天井を良く見ると木材による小屋組みが。コンクリートの天井の内側に木の小屋組みで天井を張っているのは、覆土式火薬庫と同じく結露防止なんだろうけど、爆薬庫なのに可燃物多すぎ。

このあと、何度か見ている通称「ロシア病院」こと成型工場を見学。ここには木製のドアや窓枠、当時の部屋名を書いた木の板もあり、より生々しい。
ここは何度も見ているのでスルー気味だったんだけど、奥の方を見ていた方が、山ろく公園にもある海軍マーク入りの消火栓を見つけていて、自分も奥へ行けば良かったと後悔。

今回の探索は、Sさんの詳しい解説による案内と、中々見に行くことができない奥の谷の遺構も見ることができて満足。
旧海軍第三火薬廠に関しては8割がた各場所確認されているそうだけど、山中にはまだ遺構が残っているかもしれません。



besan2005 at 12:05│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

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