2010年06月06日

亀岡市東別院町の煉瓦倉庫。

亀岡東別院町の煉瓦倉庫1京都府の亀岡市街から茨木市へと抜ける府道46号線を走っていると亀岡市東別院町へと入りますが、東別院町荒内という地区に煉瓦造の蔵らしき建物が残っている民家がありました。
現在は戦後建築の平屋建物と、この煉瓦蔵しか残ってませんが、写真のお城のような高石垣から分かるとおり、かつては相当なお屋敷だったのではと思われます。
亀岡東別院町の煉瓦倉庫2煉瓦蔵のアップ。煉瓦はイギリス積みで、明治末期から大正期の建築かなと推定されます。
建物のデザインはまんま和風の蔵。
しかし、当時は煉瓦自体が高級な建築資材だったはずで、このような田舎に煉瓦建築が建られること自体珍しく、かつては地主クラスの屋敷だったのではないでしょうか。
現在平屋が建てられている敷地には豪勢なお屋敷やもしかしたら洋館もあったのではと思いますが、今となっては煉瓦蔵と高石垣のみ当時の面影を残しています。
ただ、敷地内に庭園が残されている可能性もありますが、現在も個人の敷地なので確認することは出来ませんでした。

煉瓦蔵も含めて、このお屋敷の素性は全くもって不明です。
現在亀岡市内には、楽々荘とこの東別院の煉瓦蔵の2件しか
煉瓦建築はないと思われ、貴重な存在ですので、
何かご存じの方はご連絡ください。

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besan2005 at 19:09│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 煉瓦 | 京都府

この記事へのコメント

1. Posted by 高  悟万佐   2011年05月29日 00:04
はじめまして
ブログ読ませて頂きました。

私の父は、亀岡市東別院荒内の赤煉瓦蔵が出身です。
3才頃まで、その平屋に住んでいたらしいです。
現在80歳になり高槻市に住んでいます。
その場所を通るたびに「ここはわしの生まれたとこや!わしの先祖はお金持ちやったんや〜」といってました。
昔、先祖が金持ちで、その赤煉瓦蔵で金貸しや、銀行みたいなことをしていたらしいですよ。
高石垣は、蔵のお金を守る為の防犯対策みたいです。
そして、先祖は有名な武士で源氏物語にも登場しているようなのですが。。。
私も、誰か名前が解らず、調べる手段も無く、残念な思いをしています。
逆に何かご存知な事などありましたら、情報ありましたらおしえてくださいますようお願いします。

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