2010年11月29日
福知山衛戍病院の石垣遺構
かつて福知山城の曲輪の一つであった伯耆丸台地は、明治に入り陸軍の衛戍病院が駐屯することになります。
明治期の福知山衛戍病院を撮影した当時の絵葉書。
現在、伯耆丸は公園となり、衛戍病院時代の建物は残っていませんが、衛戍病院を建設するにあたり築かれたと思われる石垣が残されています。
こちらは市役所側の石垣。整然とした落し積みの石垣で、福知山城の頃の戦国〜江戸期の石垣ではないことは一目瞭然です。
切通し側の石垣。
一番下の石垣はより新しい石垣で、近年のもの。明治期の石垣は草に覆われた部分で、最近崩落があり修復されています。
実はここに石垣が築かれた時代を証明する資料が残されています。
石垣の一部に銘板が嵌めこまれており、石垣工事の請負人や施工者、石工の名前が刻まれ、「明治三十五年」の年号も書かれています。
ちなみに、伯耆丸へ上がる坂のふもとに古い洋館が建っています。
この建物の基礎部分に重要な資料が隠されています。
煉瓦の基礎に嵌めこまれている鉄の通風口の模様が陸軍の星マークで、陸軍の建物だったことは間違いありません。断定は出来ませんが、衛戍病院関連の建物だった可能性があります。

現在、伯耆丸は公園となり、衛戍病院時代の建物は残っていませんが、衛戍病院を建設するにあたり築かれたと思われる石垣が残されています。


一番下の石垣はより新しい石垣で、近年のもの。明治期の石垣は草に覆われた部分で、最近崩落があり修復されています。
実はここに石垣が築かれた時代を証明する資料が残されています。

ちなみに、伯耆丸へ上がる坂のふもとに古い洋館が建っています。

