2016年05月03日

福知山市・滝山城(中世観瀧寺)跡 言い伝えの寺院跡の遺跡を初確認。

※mixiにて書いた日記をこちらに転載したものです。
レポートに書かれている内容や画像の転載は一切禁止します。

※5/21に再踏査をし、さらなる成果を得ました。詳細なレポはこちらをご覧ください。
福知山市にある言い伝えの大規模中世寺院・中世観瀧寺跡の再踏査

福知山市奥榎原地区に観瀧寺という寺院があります。
福知山でも有数の古刹で福知山城の旧城門を移築していることでも知られていますが、
元々は瀧山という山の山中にあり戦国時代の兵火により全山焼失したため麓に下ったのが現在の観瀧寺と伝えられています。
私が中学生くらいの頃、今は亡き祖父が老人会で貰ってきた福知山市内の古老が書いた言い伝えなんかをまとめた一冊の本の中に中世観瀧寺跡の記載がありました。
地元の古老の話では奥榎原の山奥に不動尊を祀る滝があり、そこから登ったところにかつての寺の跡があり、今でも広い敷地が残っているという。
その記述を読んで別の集落ではありましたが実家からでもよく見える瀧山の高い山を眺め、その山中に眠るであろう言い伝えの寺院跡の遺跡に思いを馳せていました。
あれから20数年、中世山城跡巡りをするようになり、その中世観瀧寺跡への思いも強くなっていきました。
そして今回のGWを利用して確認の踏査にチャレンジしてみようと思い立ったわけです。

3中世観瀧寺跡遠景








中世観瀧寺跡の遠景。といっても大体の方向。
というのも、中世観瀧寺跡は地元の古老の言い伝えでしか情報がなく、市教委も府教委も遺跡を把握していません。
1中世観瀧寺跡観周辺図





京都府が公開している遺跡分布図。赤丸の範囲が中世観瀧寺跡の大体の位置ですが、(多分切れている尾根上の辺りが寺院跡の箇所。)そこには遺跡の記載がありません。
当然ネットで調べても具体的な情報なんて出てきません。
2中世観瀧寺跡天田郡誌資料










所有している昭和11年版の天田郡誌資料に観瀧寺の記載があります。
それによれば、開基は奈良時代の養老年間。奈良時代の宝亀元年(770)に勅願所となり以降は多くの僧坊や尼寺が建ち並び栄えたが、天正13年に兵火により全山焼失し現在の場所に下ったとあります。
中世観瀧寺跡へは前出の本と観瀧寺の寺伝のみ。あとは地元の古老への聞きこみくらいしか手掛かりは無し。
とりあえず目安となる不動尊の滝の場所を特定すべく奥榎原へ。公民館の駐車場をお借りして畑仕事をしていた老夫婦に声をかける。
「不動尊の滝ってどこですか?」「ああ、それなら・・・」「その近くに観瀧寺の跡があると聞いたのですが。」「あるよ。」「滝から50mくらい登ったところかな。」
これで、今まで伝聞でしか分からず実在が半信半疑だった中世観瀧寺跡が実在していることが確定しました。ありがとうございました。
4中世観瀧寺跡への道








教えられた道を進み山に入ると二差路にぶつかります。不動尊の滝と中世観瀧寺跡へは矢印の左方面へ進みます。ちなみに正面の斜面にはかつて存在した榎原鉱山の遺構や精錬後の鋼滓の山が残されていますがそれはまた別の機会に。
5中世観瀧寺跡への道








先ほどの分かれ道を進むと「不動尊の滝」と書かれた古い看板があり、その先の道をさらに進みますが、どんどん山の奥へと進んでいくので動物除けのベルやラジオは必須です。実際、向かっている最中に熊には会いませんでしたが鹿の群れには出会いました。また、途中写真のような沢を超えたりしますのでそれなりの装備は必要となります。
6中世観瀧寺跡への道








先ほどの沢を超えて細くなった道を進むと鎖の手すりがあります。ここまで来れば不動尊の滝まではもうすぐです。
7中世観瀧寺跡不動尊瀧








ようやく不動尊の滝に到着。思った以上に山の奥にあり、徒歩30分近くかかった気がします。
最初の案内板からここまで一切の看板も無くしかも途中道が荒れていたりして不安になりますが。
8中世観瀧寺跡説明版








置かれた古びた説明版。
話ではこの滝からずっと登ると寺院跡があると聞いたのですが、周りは切り立った急斜面で道のようなものは見当たらない。左の斜面を見るとうっすらと道らしき跡が。
・・・これを登るのか。
9中世観瀧寺跡下の急斜面








慎重に道を選びながら必死の思いで這うように斜面を登る。一歩間違えば10数mはありそうな斜面を転落することに。
10中世観瀧寺跡1








死にそうな思いで何とか登っていくと途中から多少道と呼べる跡が。それを辿って登り切ると、そこには思いもよらぬ広大な平坦地が。
2中世観瀧寺跡縄張図番号入り










念願の中世観瀧寺跡に到達したと確信しました。今まで伝聞という存在でしかなかった寺院跡の遺跡を実際に目の当たりにした時の感動。マジで鳥肌が立ちました。まさにパズーの「すごいや!ラピュタは本当にあったんだ!」状態。
ここからは私の拙い見取り図をもとにレポをしていきます。なんせ周知の遺跡ではないし遺跡として認識できる人はほぼ訪れてないので縄張図なんてありませんし。
中世観瀧寺跡縄張図







※5/21の再踏査により縄張図を描き直しました。
写真は縄張図1の箇所。やや広めの曲輪のようになっていて、東側から細くなり土塁状となります。
11中世観瀧寺跡土塁前曲輪2








縄張図2の箇所から東方面を撮影。途中から細くなり土塁となっているのが分かります。
12中世観瀧寺跡基壇3








方形に作られた石組を発見。縄張図3の箇所。大きさ的に祠でしょうか。もしくは古墓。
13中世観瀧寺跡曲輪4








方形石組みのある平坦地を西の端から撮影。縄張図4の箇所。かなり広いです。
14中世観瀧寺跡西方面の曲輪を望む








4の地点から西方面の平坦地を望む。段状に平坦地が続きます。
15中世観瀧寺跡曲輪5








縄張図5の箇所の平坦地。こちらもかなりの規模があります。奥にこれから向かう土塁がうっすら見えています。
16中世観瀧寺跡曲輪切岸6








縄張図6の箇所の切岸。高低差は結構あり今でも鋭く切り立っています。
17中世観瀧寺跡曲輪東方面








6の切岸を下の平坦地から望む。
18中世観瀧寺跡大土塁7








その平坦地内にある大土塁。縄張図7の箇所。かなりの大きさを誇ります。幅と言い高さと言い福知山市内の周知の中世城郭でも見かけないくらいの規模です。
19中世観瀧寺跡大土塁下曲輪8








大土塁の下には平坦地が続きます。縄張図8の箇所。土塁に沿って延びる平坦地は長く広い。
20中世観瀧寺跡大土塁








大土塁の別カット。長く続く土塁がお判りでしょうか。
21中世観瀧寺跡礎石か








平坦地には礎石らしき石もありました。他の平坦地でもいくつか見つけたのでまだ埋もれていることでしょう。
22中世観瀧寺跡大土塁東方面








同じ大土塁を逆の東方面を望む形で撮影。
23中世観瀧寺跡土壇曲輪








縄張図9の箇所の土壇状の平坦地。
24中世観瀧寺跡土壇曲輪9








9の平坦地の上から撮影。周りより高くなっており、お堂か何かがあったのでしょうか。
25中世観瀧寺跡土壇曲輪東方面








9の平坦地から東方面を撮影。
26中世観瀧寺跡西端曲輪








寺院跡の西端の平坦地。縄張図10の箇所。奥には土塁状の高まりがあります。
27中世観瀧寺跡西端土塁か








西端の土塁状の高まりは岩盤が露出していました。縄張図11の箇所。
28中世観瀧寺跡腰曲輪12








戻って9の平坦地の北側の腰曲輪のような平坦地を観察。縄張図12の箇所。
北側にはいくつかの小さい平坦地を確認しました。
29中世観瀧寺跡虎口石列13








方形石組みのある3の平坦地の北側に虎口のようなくぼみがありました。縄張図13の箇所。
寺院跡側には石列もあり、出入り口だったのは間違いありません。
30中世観瀧寺跡北側下段腰曲輪14








写真がブレていて申し訳ないですが、13の虎口の下に広い平坦地がありました。縄張図14の箇所。というのもこの辺りから天候が怪しくなり風も強くなってきてろくに道もない場所への初到達ということもあり不安になってきたのもあって焦ってました。
本当はこの下の平坦地も踏査したかったのですが、そういった事情で見送ることに。
どうやら北側一帯には他にも遺構がある可能性があります。
31中世観瀧寺跡崩落石垣15








中世観瀧寺跡は石垣が多用されていたようで、所々崩落した跡があります。縄張図15の箇所。
32中世観瀧寺跡崩落石垣








崩落石垣のアップ。裏込めらしき礫も見えます。
33中世観瀧寺跡土塁北側曲輪散乱石材16








石垣らしき石材が散乱している平坦地。縄張図16の箇所。右に見える切岸は2の大土塁。
この土塁は先までは踏査してませんがずっと東まで伸びてました。
34中世観瀧寺跡土塁北側曲輪17








石材が散乱している平坦地。縄張図17の箇所。こちらもかなりの規模があります。
35中世観瀧寺跡南側石垣








中世観瀧寺跡が石垣を持つ寺院だったことを証明する遺構。戻るときに見つけたものですが、立派な石垣が残されていて驚きました。縄張図18の箇所。中世以前の福知山市内の遺跡でここまでの規模の石垣を持つ遺跡は見たことがありません。
今回初到達ということと、天候の悪化で確認できなかった箇所や写真もしっかり撮れなかった十分な踏査とは言えない結果になりましたが、今まで地元の人からの伝聞でしか存在を知らず、市教委も府教委も周知していない自分の中では伝説の存在だったある意味幻と言ってもいい寺院跡の大規模な遺跡を発見することができ、感動いたしました。しかし、福知山市内でも有数ともいえる中世寺院の遺跡、これほどの遺跡が公的機関が周知していないのは驚きです。いずれしかるべき機関に報告はしようかと思います。そして、改めて悉皆踏査を試みたいと思っております。
次は他の石垣や石塔類の残欠や古墓が見つかれば大きな成果となるでしょう。


besan2005 at 22:21│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 遺跡

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