2016年11月27日
丹波国天田郡福知山藩領十二村(現・福知山市十二)古文書群一括(暫定版)
現在の福知山市十二地区である丹波国天田郡福知山藩領十二村の近世文書群、いわゆる村方文書群です。
あまりに大量の古文書群のため全く整理しきれていませんが、総重量は7kgあり恐らく300通以上はあるものと思われます。
十二村は近隣の村落とともに山陰街道に面し宿場町に設定されさらに山役や夫米が徴収されており、その代わり他の夫役は一切免除されていたそうで、その免状が多く残されています。
大量のため半分も確認できてませんが、古文書の中で一番古い年号は元禄4年(1691)の物のようです。
ただし、これから調べていくうちにさらに古い年号の古文書が出てくる可能性があります。
十二村の古文書群は元禄期の古文書10数点から明治初期にかけて江戸時代全般に渡っています。
ほとんどが借用証文や免状や譲り渡し状等の証文類ですが、古記録類も含まれていました。
「福知山米〇〇記録」元禄9年(1696)
年貢米等の記録でしょうか。
「新開名寄帳」享保12年(1727)
新たに造られた田んぼの所有者を記した不動産記録。
「五人組御改帳」寛政4年(1792)
江戸時代の村落の隣保制度。どの家がどの組に属していたかを記録したもの。
「重仁(十二)邑今高名寄 丹波国天田郡川口庄」文政9年(1826)
十二村にある全ての田畑の不動産記録。かなり厚さのある写本です。
「郷諸日記帳」文政13年(1830)
十二村のことを記した日記。証文類や名寄帳がほとんどの十二村古文書群において、当時の十二村の様子を知ることのできる貴重な記録かと思います。
「牧村御神様御社建替奉加帳」天保13年(1842)
牧村(現・福知山市牧)にある神社の社殿の建て替えによる奉納品の帳面。
牧地区には現在も存在する一宮神社があり、当社は十二村を含めた立原・野花・上天津・下天津・夷・上大内・下大内の総社で、一宮神社の社殿建て替えに際しての奉納についての記録でしょう。
これは福知山藩領十二村ではなく京都府の船井郡にある大谷村の文書ですが、慶安4年(1651)の年号があり一番古い年号があります。ただし、後年に写された可能性もあります。
船井郡大谷村の者が行うべき神社への儀式について記録したもののようです。
丹波国天田郡福知山藩領十二村の古文書群について、十二村だけでなく近隣の牧村や立原村についても触れている文書も見受けられます。
大量のため確認も整理も中々進まずまた長年折りたたまれて保管されていたため虫害により固着し広げるのもままならない文書も多いですが、近世文書群とは言え福知山市内において数少ない古文書として十二地区の歴史を物語る歴史資料として貴重であることは変わりなく、いずれしかるべき機関にて調査を依頼することも検討しています。
こちらとしても今後確認・整理作業を行い、新たな情報が得られましたらこの記事を随時更新していく予定です。