2017年10月08日

峯山海軍航空隊遺構 探訪レポート

峯山海軍航空隊地図













京都府京丹後市の大宮町と峰山町にまたがる一帯に戦時中、峯山海軍航空隊(峰山ではない)が存在していました。元々は昭和16年辺りに造られた河辺海軍飛行場でしたが、戦争後半の昭和19年に予科練の訓練隊が移駐し峯山分遣隊が発足。以後、峯山海軍航空隊は予科練の訓練基地として日夜特訓を繰り返しました。
戦後は再び農地となり、近年は郊外の商業地区として再開発が行われていますが、それでも峯山海軍航空隊時代の貴重な遺構が残されており、当時の姿を今に伝えています。
今回、その残された峯山海軍航空隊の遺構を訪ねてきました。
訪ねた各遺構の位置は上記の地図を参照してください。
旧弾薬庫3










最初に訪ねたのは、ジュンテンドーのすぐそばにある旧弾薬庫の廃墟。
畑の側の荒れ地にぽつんと残されています。
旧弾薬庫1










建物の構造は煉瓦造。基本的に煉瓦造は昭和初期には一度廃れていますが、戦時中の軍の施設で復活していたりします。(出水海軍航空隊観測所とか舞鶴朝来第三火薬廠とか)これは物資不足によりコンクリートの供給が不足していたという理由もあったと聞いたことがあります。
あとは、後に紹介する旧油脂倉庫も煉瓦造ですが、もしかしたら湿気を防ぐ理由もあったのかもしれません。
旧弾薬庫2










この旧弾薬庫は昭和20年7月30日の空襲で米軍艦載機の機銃掃射及びロケット弾の攻撃を受け大破し今のような姿になりました。弾薬庫正面左の壁に機銃掃射の跡が残ります。
周辺は大型の商業施設が建ち、この旧弾薬庫もジュンテンドーのすぐそばにあるため、この場所が買収され開発の手が入れば取り壊される危機があります。今に伝える(※私が思う正しい意味での)戦争遺跡として開発の手が入ってもこの建物は遺構として保存してもらいたいものです。
※私が思う「戦争遺跡」は実際に空襲被害を受けた遺構(軍施設・民間施設問わず)を指し、ただ単に軍の施設だった遺構は「旧軍遺構」と呼称しています。全ての旧軍の施設・遺構を「戦争遺跡」と総称し、実際の戦闘が行われていない施設・建物でも旧日本軍に関わるものという理由で全て加害者的に扱おうとする「自虐史観的呼称」に異議を唱えるためであります。
旧燃料倉庫










旧弾薬庫から南東に向かうと民家の中に古い煉瓦造の建物。
旧油脂倉庫と言われている建物です。
この倉庫にも機銃掃射の跡があるそうなのですが、個人宅の敷地内なので、脇の農道からの見学に留めました。
旧格納庫遠景










さらに南東に向かうと巨大な建築物が。これがかつての格納庫でした。
旧格納庫










外観は練習機の出し入れをした開口部を塞ぐなど改変されてますが、木造の骨組み等は当時のまま。
70年以上前の木造の巨大建築が良く残されていたものだ。
現・所有者の会社はこの建物が貴重な旧軍時代の遺構であるとの認識をお持ちで、大切に管理されているようだが、やはり維持費の問題があるようで・・・。
旧格納庫近くの擁壁










旧格納庫の南側にあるコンクリートの擁壁。
航空隊の敷地と民間の敷地を区分けした境界とのこと。
暗渠入り口










旧格納庫の脇には川が流れ、コンクリートの擁壁で護岸されていますが、これも当時からあったもので、格納庫の手前辺りから暗渠化されています。
暗渠道













コンクリートで蓋をされ暗渠化された道は峯山海軍航空隊当時のまま。南西に向かって竹野川の合流まで500mもの長さで現存しています(国道部分は除く)。峯山海軍航空隊は戦後に農地に復旧するため滑走路等の舗装は剥がされましたが、この暗渠道はそのままの方が便利だったのでしょう、撤去されずに残されています。
暗渠道のコンクリートの上にはアスファルトが所々残されており、かつてはアスファルト舗装されていたのが分かります。
旧格納庫近くのマンホール1













そしてその暗渠の上には今でも峯山海軍航空隊時代のマンホールが残されています。
旧格納庫近くのマンホール2










マンホールには海軍の錨マークがあります。
戦後、こういった金属の物は真っ先に盗まれていっただけに、軍のマンホールが現存している例は極めて珍しいです。
峯山海軍航空隊の跡地には今でも当時のマンホールが4つ現地に残されています。
ワークマン近くのマンホール1













国道312号線を挟んだ西側、ワークマンの角を入った住宅地の中の暗渠上にあります。
暗渠は先ほどの旧格納庫前から伸びる暗渠と同じ路線。
ワークマン近くのマンホール2










当然同じデザインですが、こちらは取っ手が無くなってます。今でも開けられることがあるんだろうか。現役で使用されているマンホールは、旧格納庫近くのとこれの2つ。
新町公民館のマンホール










こちらはショッピングモール・マインの北にある新町公民館に展示されているマンホール。

厚みを見たら4cmくらいありました。
マンホール厚さ










残る1つは峯空園にありますが、それは後程。
防火水槽か










住宅街にあるマンホールから暗渠を辿って進んだ先の廃屋の裏にあった貯水槽。航空隊当時の物かは不明だが気になったので撮影。
峯空園のRC橋1










次は峯山海軍航空隊の元隊員が記念に開園した「峯空園」へ。
これまでの遺構は峰山町側にありましたが、この峯空園は大宮町側にあります。
峯空園の入り口には当時のRC橋が現存。
峯空園のRC橋2










橋自体は今でもしっかりしてますが、欄干はクラックが入ったり欠けていたりと痛みが目立ちます。
親柱には銘板がありませんでした。元々取りつける場所もなく、海軍の施設内の橋という理由で最初から橋名を付ける必要は無かったのかもしれません。
峯空園記念碑










橋を渡った先にマンホールを使用した記念碑がありました。先に紹介した暗渠には残された2つのマンホール以外に穴は無かったため、別の暗渠から持ってきたのでしょうか。
水路1













その他、暗渠横の畑の中を通るコンクリートの水路や格納庫前からジュンテンドー背後まで伸びている水路も当時の物。

※峯山海軍航空隊との関連は不明だが気になったもの。
日本通運










峯空園そばの日本通運の入り口にあるコンクリートの門柱か塀の一部らしきもの。コンクリートが古く見えて一応撮影したが、航空隊のものではないだろうなぁ。
ローラー










新町公民館の南、マイン駐車場の北側にある公園にあったコンクリートの整地ローラー(コンダラ)。
コンクリートが古いもので戦後のものや最近のは全部鉄製では?という判断からもしかしたら滑走路整地や飛行場の整備の際に使われたものでは?と思い撮影。ただしあくまで私個人の判断なので違うかも。
煉瓦煙突










峯山海軍航空隊とは無関係だが、すぐ近くに煉瓦の煙突があったので撮影。
もちろん戦前のものでしょう。

峯山海軍航空隊の跡地はショッピングモールやホームセンター、ビジネスホテルも建ち道も拡幅等郊外の商業地区として再開発が進んでいます。その中で峯山海軍航空隊時代の遺構がこれだけ残されているのは奇跡であり、同時に現代の施設と戦時中の遺構が同居するこの場所は不思議な感覚を覚えました。

再開発で常にこれらの遺構は消滅の危機にさらされていますが、峯山海軍航空隊を伝えるものとして、空襲の後を伝える「戦争遺跡」として貴重な存在だけに何とか官民挙げて保存・再整備に取り組んでもらいたいと願うばかりです。








besan2005 at 09:12│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

この記事へのコメント

1. Posted by 三日月猫   2018年03月31日 00:16
5 初めまして。京都という比較的近い位置にこんなに多くの戦争遺跡がまだ残っていたのが驚き。中でもマンホール蓋は、戦後の物資難の折にほぼ姿を消したと言われる中、残っているのはすごく貴重ですね、何とかして、後世に伝えて行かないといけないと思うのですが、国か自治体が動いてくれないとどうしようもないかな・・・
2. Posted by べーさん   2018年04月14日 08:56
三日月猫様

はじめまして。返事が遅れすいません。
記事をご覧になりありがとうございます。おっしゃる通り戦後の金属不足で金属は扉の蝶番に至るまで持ち去られましたが、このマンホールは奇跡的に残されています。恐らく相当重いのと持ち去ると色々と支障をきたすからでしょうね。今となっては貴重な旧軍時代のマンホールです。

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