2018年02月12日
京都市右京区円町・花園・仁和寺・太秦界隈の近代建築探索レポ日記
前回の花園界隈の近代建築に続いて、円町・花園・仁和寺・太秦界隈で探索した近代建築を紹介していきます。※年代は京都市近代化遺産調査報告書を参照しています。

まずは円町界隈から。弁天湯。西ノ京藤ノ木町。大正から昭和初期。
奥に見える洋館が弁天湯。手前の建物が邪魔をしていますが、手前の建物も近代建築。


中々洒落たお風呂屋さんです。ちなみに今でも現役。

M邸。太秦安井東裏町。

京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前だとは思います。
主屋に付属する小さな洋館が可愛らしいです。

T邸。太秦安井北御所町。昭和初期。門の奥に大き目の洋館が見えます。

洋館部分をズーム。庭木で塞がれ良く見えない…

別角度から。このお宅に来た時、家からクラシックの音楽が・・・
古い洋館にクラシック。優雅な朝だなぁ・・・

太秦安井東裏町にある洋館。恐らく元商店でしょう。
京都市近代化遺産調査報告書には未掲載。

今は商店としては使われていないようですが、住まわれてはいるのかも。
続いて北上して花園方面へ。

I邸。花園伊町。大正から昭和初期。
洋館付き住宅ですが、洋館の方もほぼ同じ大きさ。

別角度から。

洋館部分の窓には薔薇と思われるステンドグラスがあります。
近代建築でステンドグラスの窓を見つけると何となく得をしたような気分で嬉しいw

ヘアーサロンイノウエ。花園天授ヶ岡町。大正から昭和初期。
看板建築っぽい散髪屋さん。

1階部分の装飾が凝ってます。窓には今では懐かしいガラスブロックを多用してますが、当時は珍しかったことでしょう。店主の自慢だったかも。

S邸。花園土堂町。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前かと。

かなり老朽化しており廃屋かなと思って玄関へ回ると玄関に大きな看板のような表札が。
もしかしたらよく廃屋と間違われるので大きな表札を掲げたのかも。

K邸。花園土堂町。大正から昭和初期。ベランダ付きの小さな洋館の付く住宅。

小さいですが中々凝ってます。

花園大薮町の洋館付き住宅群。

この一帯にはこういった同じ感じの住宅が何件かあります。
いわゆる規格化された建売住宅だったのでしょうか。

O邸。花園円成寺町。大正から昭和初期。

主屋の前に洋館が付くよくあるスタイルですが、主屋自体も洋風な感じでいわゆる文化住宅でしょうか。主屋の脇の棚も当時のものかも。

I邸。花園天授ヶ岡町。昭和初期。熊倉工務店設計の洋館で、今回最大規模のもの。
スパニッシュの洋館は大きく、門も立派なもの。

別角度から。

別角度から。玄関周りのデザインも素晴らしいものでしたが、奥まっているのでうまく撮れず。

同じ敷地内にはもう1棟、同じデザインの洋館が。同時期だと思います。
これほどの規模とレベルの洋館、文化財クラスのものと思いますが…。
熊倉工務店は戦前の京都で多くの住宅建築を手掛けた会社で、今後、熊倉工務店設計の戦前住宅が多く登場します。ちなみにこのI邸の近くに同じ熊倉工務店設計の京都帝国大学教授・山内得立の邸宅があったようですが、現存はしていないようです。

I邸の北にある洋館付き住宅。龍安寺西ノ川町。
花園を後にし仁和寺方面へ。

宇多野柴橋町の洋館。表札が見当たらなかったのでお名前が分かりませんでしたが、京都市近代化遺産調査報告書に掲載されている物件のうちの1つだと思います。

中々素敵な洋館です。去る際に宅急便が来て配達員が入っていきましたので、現役ですね。
仁和寺界隈はこの1件しか見当たらず。オムロン記念館の方へは向かわずに太秦へ。

S邸。太秦堀ヶ内町。昭和初期。最初見たときは戦後物件と思い一応撮影したものですが、帰宅後に京都市近代化遺産調査報告書を確認したら掲載されていました。

玄関周りは確かに戦前っぽいと言われればそうかも。

Y邸。太秦石垣町。大正から昭和初期。

1階と中2階部分が町屋風の日本建築でその上に洋風の建物が乗る珍しい形。
増築したのでしょうか。

I邸。太秦組石町。大正から昭和初期。和館部分より洋館部分大きい住宅。
中々良い感じの建物なのでもう少し撮影したかったけど、住人の方が洗車をしていたので1枚だけ撮って退散。

F邸。太秦組石町。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、ストビューで見つけて気になった建物。

側面の様子を見て戦前じゃないかなぁと思わせられました。

ギャラリー工房チェリ(徳力邸)。太秦組石町。昭和12年。国登録有形文化財になっている洋館。

ハーフティンバーのイギリス・チューダー様式の洋館はさすがに見ごたえあります。
有名物件だけに多くのサイトや書籍で紹介されてますね。

この洋館は施主の徳力さん自ら設計した建物。イギリスの古い客船の部材を再利用し建てられたため、完成当時でも古く見えたとか。内部も素晴らしく特に2階正面にあるステンドグラスの窓は必見とか。
申し込めば見学できるようですね。
ちなみにこの洋館は小学校の向かいにあり、子供達から「お化け屋敷」と呼ばれていたとか・・・
以上で円町・花園・仁和寺・太秦界隈の近代建築探索の報告は終わり。
次は衣笠から金閣寺・北野界隈の近代建築を紹介予定。

ちなみにこの日は雪が降り積もる日で、探索中も雪が降ってきたりと寒い日でした。
仁和寺の五重塔もこの通り・・・

まずは円町界隈から。弁天湯。西ノ京藤ノ木町。大正から昭和初期。
奥に見える洋館が弁天湯。手前の建物が邪魔をしていますが、手前の建物も近代建築。


中々洒落たお風呂屋さんです。ちなみに今でも現役。

M邸。太秦安井東裏町。

京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前だとは思います。
主屋に付属する小さな洋館が可愛らしいです。

T邸。太秦安井北御所町。昭和初期。門の奥に大き目の洋館が見えます。

洋館部分をズーム。庭木で塞がれ良く見えない…

別角度から。このお宅に来た時、家からクラシックの音楽が・・・
古い洋館にクラシック。優雅な朝だなぁ・・・

太秦安井東裏町にある洋館。恐らく元商店でしょう。
京都市近代化遺産調査報告書には未掲載。

今は商店としては使われていないようですが、住まわれてはいるのかも。
続いて北上して花園方面へ。

I邸。花園伊町。大正から昭和初期。
洋館付き住宅ですが、洋館の方もほぼ同じ大きさ。

別角度から。

洋館部分の窓には薔薇と思われるステンドグラスがあります。
近代建築でステンドグラスの窓を見つけると何となく得をしたような気分で嬉しいw

ヘアーサロンイノウエ。花園天授ヶ岡町。大正から昭和初期。
看板建築っぽい散髪屋さん。

1階部分の装飾が凝ってます。窓には今では懐かしいガラスブロックを多用してますが、当時は珍しかったことでしょう。店主の自慢だったかも。

S邸。花園土堂町。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前かと。

かなり老朽化しており廃屋かなと思って玄関へ回ると玄関に大きな看板のような表札が。
もしかしたらよく廃屋と間違われるので大きな表札を掲げたのかも。

K邸。花園土堂町。大正から昭和初期。ベランダ付きの小さな洋館の付く住宅。

小さいですが中々凝ってます。

花園大薮町の洋館付き住宅群。

この一帯にはこういった同じ感じの住宅が何件かあります。
いわゆる規格化された建売住宅だったのでしょうか。

O邸。花園円成寺町。大正から昭和初期。

主屋の前に洋館が付くよくあるスタイルですが、主屋自体も洋風な感じでいわゆる文化住宅でしょうか。主屋の脇の棚も当時のものかも。

I邸。花園天授ヶ岡町。昭和初期。熊倉工務店設計の洋館で、今回最大規模のもの。
スパニッシュの洋館は大きく、門も立派なもの。

別角度から。

別角度から。玄関周りのデザインも素晴らしいものでしたが、奥まっているのでうまく撮れず。

同じ敷地内にはもう1棟、同じデザインの洋館が。同時期だと思います。
これほどの規模とレベルの洋館、文化財クラスのものと思いますが…。
熊倉工務店は戦前の京都で多くの住宅建築を手掛けた会社で、今後、熊倉工務店設計の戦前住宅が多く登場します。ちなみにこのI邸の近くに同じ熊倉工務店設計の京都帝国大学教授・山内得立の邸宅があったようですが、現存はしていないようです。

I邸の北にある洋館付き住宅。龍安寺西ノ川町。
花園を後にし仁和寺方面へ。

宇多野柴橋町の洋館。表札が見当たらなかったのでお名前が分かりませんでしたが、京都市近代化遺産調査報告書に掲載されている物件のうちの1つだと思います。

中々素敵な洋館です。去る際に宅急便が来て配達員が入っていきましたので、現役ですね。
仁和寺界隈はこの1件しか見当たらず。オムロン記念館の方へは向かわずに太秦へ。

S邸。太秦堀ヶ内町。昭和初期。最初見たときは戦後物件と思い一応撮影したものですが、帰宅後に京都市近代化遺産調査報告書を確認したら掲載されていました。

玄関周りは確かに戦前っぽいと言われればそうかも。

Y邸。太秦石垣町。大正から昭和初期。

1階と中2階部分が町屋風の日本建築でその上に洋風の建物が乗る珍しい形。
増築したのでしょうか。

I邸。太秦組石町。大正から昭和初期。和館部分より洋館部分大きい住宅。
中々良い感じの建物なのでもう少し撮影したかったけど、住人の方が洗車をしていたので1枚だけ撮って退散。

F邸。太秦組石町。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、ストビューで見つけて気になった建物。

側面の様子を見て戦前じゃないかなぁと思わせられました。

ギャラリー工房チェリ(徳力邸)。太秦組石町。昭和12年。国登録有形文化財になっている洋館。

ハーフティンバーのイギリス・チューダー様式の洋館はさすがに見ごたえあります。
有名物件だけに多くのサイトや書籍で紹介されてますね。

この洋館は施主の徳力さん自ら設計した建物。イギリスの古い客船の部材を再利用し建てられたため、完成当時でも古く見えたとか。内部も素晴らしく特に2階正面にあるステンドグラスの窓は必見とか。
申し込めば見学できるようですね。
ちなみにこの洋館は小学校の向かいにあり、子供達から「お化け屋敷」と呼ばれていたとか・・・
以上で円町・花園・仁和寺・太秦界隈の近代建築探索の報告は終わり。
次は衣笠から金閣寺・北野界隈の近代建築を紹介予定。

ちなみにこの日は雪が降り積もる日で、探索中も雪が降ってきたりと寒い日でした。
仁和寺の五重塔もこの通り・・・