2018年04月08日
京都市伏見区・宇治市木幡界隈の近代建築探索レポート
去年12月24日に探索した伏見区と宇治市木幡の近代建築の探索レポートです。
コースは近鉄伏見駅から南下し中書島から京阪で宇治市木幡へ向かい、さらに深草駅から本町通を東福寺まで北上しました。
まずは近鉄伏見駅から京阪中書島までのルート。

M邸。伏見区京町北8丁目。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

タイル張りの洋館で、隅の柱頭飾りや軒周りの装飾が凝ってますね。

洋館部分を見上げ。

実は20年くらい前に同じ洋館を訪ねていました。当時は洋館の右側に日本家屋と門がありましたが今は失われています。それでも家主は洋館の方は愛着があったのでしょう。残していただけたことに感謝です。

ローズ美容院。伏見区両替町13丁目。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前の可能性はあります。レトロな美容院。

Y邸。伏見区銀座町2丁目。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

O邸。伏見区鍋島町。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
ハーフティンバーのドイツ風洋館です。門や庭木で全体が見えませんが、こちらに洋館の全体を見ることができます。一度実際に見てみたいですけどね。

洋館の左は駐車場になってて、スパッと切られた感じになってます。不自然すぎる形なので、後にこんな形で切り詰められたのかもしれません。

さらに南下して酒処へ。月桂冠大倉記念館の界隈は良い雰囲気の街並みです。

蓬莱橋。伏見区南浜町。昭和5年。

RCアーチ橋です。

蓬莱橋の側に昭和5年に建てられた「御大典記念埋立工事竣工記念」の記念碑があります。
蓬莱橋を渡り南下して中書島へ。

新地湯。伏見区南新地。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
中書島駅近くにある銭湯。名前の「新地」は遊郭街のことで、戦前まではこの新地湯のある中書島一帯は遊郭街でした。

その遊郭時代の建物が1件だけ残されています。

花柳という建物で、今は居酒屋として使用されています。

2階建ての和風建築と松をかたどった窓、透かし彫りの欄間が遊郭時代の姿を伝えます。
中書島から京阪宇治線に乗り、宇治市木幡へ。以前から気になる洋館があったので改めて見に行くことに。

I邸。宇治市木幡。大正時代後期。京都府近代化遺産調査報告書掲載。

京アニショップの斜め向かいにある大きなお屋敷の裏手にある洋館で、外壁はさほどでもないけど軒周りの装飾や柱頭飾りが凝ってて以前から気になってました。

表側から撮影。ん???2階の窓に何か・・・?

ギャァアアアアア!!Σ(゚д゚lll) 誰かがこっち見てる!!
・・・良く見たらマネキンの頭でした。本気でビビったぞこの時は。
ともあれ、木幡の洋館を確認したので、そのまま京阪に乗り深草へ。

聖母女学院本館(旧陸軍第十六師団司令部)。明治41年。
国登録文化財になっている有名な建物。厳めしい煉瓦の司令部庁舎は素敵ですが、門の前に復元された歩哨舎にまさに立哨警備員が立ってて、近づくとめちゃ睨まれる…

20年前に撮影した十六師団司令部。この時はまだ築山がありました。

井上治療院。伏見区深草直違町。昭和2年。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
昔見たときは薬局で外壁も白かったなぁ。個人的には今の外壁の色の方が好きですね。

JR稲荷駅ランプ小屋。伏見区深草稲荷御前町。明治13年。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
京都市内では最古級の煉瓦建築。準鉄道記念物に指定されています。

食の企画室(M邸)。伏見区深草稲荷榎木橋町。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

会社の元事務所にも見えますが、個人宅として建てられたものです。

玄関を見上げ。

郵便ポスト。現在もM邸として使用されているのと同時に、企画会社「食の企画室」の事務所としても使用されているようです。

長谷川工務店倉庫。東山区本町。大正初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
伏見区を過ぎて東山区に入りましたが一緒に報告。レトロな門構えの向こうに古そうな建物が見えたので、回り込んで敷地外から撮影。

窓の無い建物で報告書には倉庫となってますが、軒周りに凝った装飾があります。

深草から伏見街道を北上し東福寺駅で終了。丁度昼だったので駅前の大黒ラーメンでお昼にしました。
以上でレポートは終わりますが、伏見区の探索はまだまだ足りないので、また別のエリアを探索したいと思います。
コースは近鉄伏見駅から南下し中書島から京阪で宇治市木幡へ向かい、さらに深草駅から本町通を東福寺まで北上しました。
まずは近鉄伏見駅から京阪中書島までのルート。

M邸。伏見区京町北8丁目。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

タイル張りの洋館で、隅の柱頭飾りや軒周りの装飾が凝ってますね。

洋館部分を見上げ。

実は20年くらい前に同じ洋館を訪ねていました。当時は洋館の右側に日本家屋と門がありましたが今は失われています。それでも家主は洋館の方は愛着があったのでしょう。残していただけたことに感謝です。

ローズ美容院。伏見区両替町13丁目。京都市近代化遺産調査報告書には未掲載ですが、戦前の可能性はあります。レトロな美容院。

Y邸。伏見区銀座町2丁目。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

O邸。伏見区鍋島町。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
ハーフティンバーのドイツ風洋館です。門や庭木で全体が見えませんが、こちらに洋館の全体を見ることができます。一度実際に見てみたいですけどね。

洋館の左は駐車場になってて、スパッと切られた感じになってます。不自然すぎる形なので、後にこんな形で切り詰められたのかもしれません。

さらに南下して酒処へ。月桂冠大倉記念館の界隈は良い雰囲気の街並みです。

蓬莱橋。伏見区南浜町。昭和5年。

RCアーチ橋です。

蓬莱橋の側に昭和5年に建てられた「御大典記念埋立工事竣工記念」の記念碑があります。
蓬莱橋を渡り南下して中書島へ。

新地湯。伏見区南新地。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
中書島駅近くにある銭湯。名前の「新地」は遊郭街のことで、戦前まではこの新地湯のある中書島一帯は遊郭街でした。

その遊郭時代の建物が1件だけ残されています。

花柳という建物で、今は居酒屋として使用されています。

2階建ての和風建築と松をかたどった窓、透かし彫りの欄間が遊郭時代の姿を伝えます。
中書島から京阪宇治線に乗り、宇治市木幡へ。以前から気になる洋館があったので改めて見に行くことに。

I邸。宇治市木幡。大正時代後期。京都府近代化遺産調査報告書掲載。

京アニショップの斜め向かいにある大きなお屋敷の裏手にある洋館で、外壁はさほどでもないけど軒周りの装飾や柱頭飾りが凝ってて以前から気になってました。

表側から撮影。ん???2階の窓に何か・・・?

ギャァアアアアア!!Σ(゚д゚lll) 誰かがこっち見てる!!
・・・良く見たらマネキンの頭でした。本気でビビったぞこの時は。
ともあれ、木幡の洋館を確認したので、そのまま京阪に乗り深草へ。

聖母女学院本館(旧陸軍第十六師団司令部)。明治41年。
国登録文化財になっている有名な建物。厳めしい煉瓦の司令部庁舎は素敵ですが、門の前に復元された歩哨舎にまさに立哨警備員が立ってて、近づくとめちゃ睨まれる…

20年前に撮影した十六師団司令部。この時はまだ築山がありました。

井上治療院。伏見区深草直違町。昭和2年。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
昔見たときは薬局で外壁も白かったなぁ。個人的には今の外壁の色の方が好きですね。

JR稲荷駅ランプ小屋。伏見区深草稲荷御前町。明治13年。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
京都市内では最古級の煉瓦建築。準鉄道記念物に指定されています。

食の企画室(M邸)。伏見区深草稲荷榎木橋町。大正から昭和初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。

会社の元事務所にも見えますが、個人宅として建てられたものです。

玄関を見上げ。

郵便ポスト。現在もM邸として使用されているのと同時に、企画会社「食の企画室」の事務所としても使用されているようです。

長谷川工務店倉庫。東山区本町。大正初期。京都市近代化遺産調査報告書掲載。
伏見区を過ぎて東山区に入りましたが一緒に報告。レトロな門構えの向こうに古そうな建物が見えたので、回り込んで敷地外から撮影。

窓の無い建物で報告書には倉庫となってますが、軒周りに凝った装飾があります。

深草から伏見街道を北上し東福寺駅で終了。丁度昼だったので駅前の大黒ラーメンでお昼にしました。
以上でレポートは終わりますが、伏見区の探索はまだまだ足りないので、また別のエリアを探索したいと思います。