2018年07月14日
舞鶴市・下安久弾薬本庫跡探索レポ日記

舞鶴市下安久地区には、かつて陸軍所轄の舞鶴要塞の各砲台へ弾薬を供給するための弾薬本庫がありました。弾薬本庫は匂崎公園(ここもかつて演習用の砲台だった)を過ぎた府道565号線沿いの向かって右手にある山一帯にあり、今でもいくつか遺構が残されています。

弾薬本庫のあった山の手前の海岸に先端が崩れかけた古い石積みの桟橋があります。これはかつて弾薬庫から弾薬を積みだすための桟橋でした。

先の方には、係留ロープを結ぶための石製ボラードが2つ残されています。

旧桟橋は下安久弾薬本庫遺構の中で現在、一番分かりやすく良く残されている遺構かと思われます。
よくこの桟橋で釣りをしている人を見かけますね。

旧桟橋の向かい側、府道を挟んだ場所に民家がありますが、ここが下安久弾薬本庫の正門でした。
山側と田んぼ側の石の擁壁、スロープ、そして正門の門柱は当時の物。

正門から奥に向かって道が延び、現在国際埠頭へと延びる道の切通しの近くの山裾に当時の兵舎等の建物跡の基礎や煉瓦の土台等が残されています(2019年4月27日探索 。後日記事作成予定)。また正門の側にある民家の主屋は当時の営舎と言われています。

コンクリート製のかつての正門の門柱。現在はテレビアンテナが付けられていました。

弾薬本庫のあった山の道路沿いの裾には弾薬本庫時代の石垣の擁壁が残されています。

石垣の隅部分。

石垣には切れ目があり、そこから弾薬本庫のある山に入れたようですが、今では荒れ果て近寄れない。

石が柱状に加工され、側面に穴の開けられた石製のもの。資料では立ち入り禁止のための鉄柵の石柱とあります。

別の石垣の擁壁の切れ目を覗くと奥に建物が見えました。

当時の物と思われる石垣上には古い廃屋がありました。

近づいて撮影。古い建物ではありましたが、下安久弾薬本庫に関する建物かどうかは不明です。



弾薬庫のあった山中には、軍の境界石柱や門柱等の遺構が残されていると資料にはあり、昭和22年の米軍写真にも山裾に大型の建物が写ってたことから、再探索(2019年4月27日 )したところ、山裾の山中にコンクリート基礎の建物や石積擁壁の土塁、煉瓦積みの土台等多数の遺構を確認しました。後日探索レポ日記を作成し報告します。