2019年01月02日

福知山市・陸軍演習陣地跡探索レポ日記

福知山陸軍演習陣地見取り図001









ツイッターでのフォロワーさんより教えていただいた福知山市にある陸軍での演習に使われていたと思われる陣地の遺構群。そこには煉瓦造の城壁に見立てた壁が残されていると聞き、具体的な場所を教えてもらい探索してきました。この遺構に関しては、まず知られていない旧軍遺構であり、私自身初めて知った遺構でありました。上図は帰宅後に記憶を頼りに作図した福知山・陸軍演習陣地跡見取図。思い出しながらの作図なので正確だとは言えませんが、だいたいこんな感じだったと感じていただければと思います。
工兵作業場地図001










昭和3年の地図を見るとこの場所は「旧工兵作業場」と書かれています。
(画像は所有する福知山五万分の一地形図より。)
福知山にはかつて現在の福知山成美高校の場所に工兵第十大隊がありましたが、大正14年に移駐しました。工兵第十大隊が駐屯していた頃は陣地攻略の演習場として利用されていたと思われますが、移駐後の昭和4年の地図には「旧工兵作業場」の表記となっており、昭和戦前期も利用されていたかはわかりません。
1福知山市陸軍演習陣地大穴










当初煉瓦遺構があると想定した場所へ進入すると陣地構築であろういくつかの地形の改変があり、その東側に大きく掘りくぼめた箇所がありました。
2福知山陸軍演習陣地大穴










何の用途で掘られたのかは不明ですが塹壕のようなものだったのでしょうか。
3福知山陸軍演習陣地空堀










先ほどの大穴から東に進むと長細く掘りくぼめた箇所が。いわゆる空堀状になっており、空堀の両脇は土塁となっています。
7福知山陸軍演習陣地空堀










反対側からの撮影。左側が南になります。
4福知山陸軍演習陣地北土塁










北側の土塁。所々切れ込みが入っています。
5福知山陸軍演習陣地南土塁










南側の土塁。道路に面した部分で土塁上から空堀を眺めるとそこそこの高低差があります。
ここの空堀と土塁は日露戦争で悩まされた旅順要塞に見られた要塞や陣地の空堀を想定としたもののような気がします。日露戦争時、突撃により空堀の底に進入して身動きが取れなくなった日本軍に対し、ロシア軍は機関銃を浴びせ次々と倒されていきました。この演習陣地が何時作られたのかは不明ですが、この空堀の底から南側の土塁上に向かって這い上がっていく訓練がされていたのではないでしょうか。
6福知山陸軍演習陣地北通路










空堀の突き当りの端には細い道のような部分がありました。
8福知山陸軍演習陣地通路か










一旦戻り、最初の大穴の西側へ行くと、陣地遺構のある丘陵へ進入できる道がありました。当時の物かは不明ですが、右側の斜面の整地の丁寧さを見るともしかしたら陣地時代に作られたものかもしれません。
9福知山陸軍演習陣地煉瓦壁










先ほどの空堀のある丘陵一帯に目指す煉瓦の構造物があるのではと探索しましたが見つからず、一旦道路に出て北東に向かって丘陵を眺めながら歩いていると丘陵上に何か構造物が。山中に進入して見ると遠くに煉瓦の壁が。目的の煉瓦の構造物に辿り着くことが出来ました。
11福知山陸軍演習陣地煉瓦壁下土塁










煉瓦の構造物は丘陵の最高所に構築され、煉瓦構造物の正面に当たる位置の麓にはコの字に作られた土塁の陣地がありました。
10福知山陸軍演習陣地煉瓦壁










高所にある煉瓦壁。
12福知山陸軍演習陣地煉瓦壁










反対側から。煉瓦壁は南北に2つ並ぶようにに建っています。
14福知山陸軍演習陣地北煉瓦壁










北側の煉瓦壁。
16福知山陸軍演習陣地北煉瓦壁銃眼










壁には銃眼と思われる穴が1つあけられていますが、煉瓦の積み方が丁寧な割に銃眼は雑に開けられています。
17福知山陸軍演習陣地北煉瓦壁穴










何かを取り付けていたらしき4つの穴。
15福知山陸軍演習陣地南煉瓦壁










南側の煉瓦壁。
18福知山陸軍演習陣地南煉瓦壁銃眼










こちらは縦長の銃眼が3つ開けられています。
北側の煉瓦壁の銃眼と同じく雑に開けられています。
あと、何かを取り付けていたような貫通しない穴がいくつか開けられています。
13福知山陸軍演習陣地南煉瓦壁上部










南側の煉瓦壁の上部は屋根のように三角の山型になっており、モルタル塗りになっています。
IMG_0678










煉瓦壁の背後は兵が駐屯できるように周りを削り込み平地に加工した地形になっています。
19福知山陸軍演習陣地個人塹壕か










煉瓦壁のある陣地の前方を守るコの字型の土塁の南には小規模の穴が並ぶ箇所がありました。個人用の塹壕でしょうか?
煉瓦陣地













これらの遺構群をまとめてみると、この演習陣地での攻め手と守り手の位置関係はこんな感じではないでしょうか。青色の攻め手は個人塹壕から飛び出し最初のコの字型の土塁を突破し切岸の斜面を登り切り要塞に見立てた煉瓦壁のある高地を制圧する。オレンジ色の守り手は土塁と高地の煉瓦塀の箇所に兵を配置して攻め手を防ぐ。そんな感じの攻城戦の演習が行われていたのではないでしょうか。
実際に私も麓から最初のコの字型土塁陣地を越え切岸の斜面を登り高地の煉瓦壁の要塞まで攻めてみましたが、二百三高地のミニミニ版みたいに感じました(笑)。ただ、ここが昭和4年の地図では「旧工兵作業場」となっているため、工兵による陣地破壊の演習がされていたのかもしれません。IMG_0689











今回探索した福知山市の煉瓦壁のある演習陣地、ほとんど知られていない遺構で煉瓦の感じから恐らく大正時代までに作られたものと思われますが、昭和4年の地図にこの辺りは「旧工兵作業場」の文字が書かれている以外、使われていた時の記録や実際いつまで使用されていたのかなど具体的な事は分かりません。工兵による陣地破壊の演習はもちろん、長田野演習場にも近いことから、20連隊を初めとした歩兵による攻城戦の演習にも使用されていたのかもしれませんが、記録等は不明でこの遺構に関しての具体的な事は分かりませんし「旧工兵作業場」と書かれているため、昭和に入っても利用されていたかはわかりません。ただ煉瓦壁を始めとした演習陣地の遺構群を見る限り、日露戦争時の旅順要塞の攻略戦を意識したように感じ、当時の要塞への攻城戦に対する軍の考え方を知る貴重な旧軍遺構に思えました。現在は山中に放置された状態とはいえ立地的にも見学しやすい場所ですし、可能なら貴重な旧軍遺構として公園化して保存し説明板等の設置などの整備をして欲しいところですが・・・。

※追記。
国立公文書館アジア歴史資料センターにこの工兵作業場についての資料がありました。
まずは用地買収の件。
福知山工兵隊作業場用地買収の件1













福知山工兵隊作業場用地買収の件2













※アジア歴史資料センター所蔵「福知山工兵隊作業場用地買収の件」より引用。
この資料によれば、明治32年に現在の福知山市長田の民有地を買収したとあります。
となると、この遺構はだいたい明治後期から末期(恐らく日露戦争直後くらい)に作られたと思われますが、この遺構のある場所が買収用地とは少し違うのが気になります。ただ、この資料の買収の土地は次に紹介する「甲地」だった可能性があります。
工兵作業場は大正4年頃に一部が民地と交換となっています。
福知山工兵第10大隊作業場と民有地と交換の件1













福知山工兵第10大隊作業場と民有地と交換の件2













福知山工兵第10大隊作業場と民有地と交換の件3













※アジア歴史資料センター所蔵「福知山工兵第10大隊作業場と民有地と交換の件」より引用。
この資料によれば工兵作業場は甲乙とに分かれており、甲地は兵営から遠く往復に時間を要し、乙地は敷地が広大で作業場内に民有地が介在し、演習上障害となる上に民間人の出入りがあるので、民有地の買収が必要となるが、比較的重要ではない甲地と乙地内の民有地とを交換する条件を出すことにより、乙地内の民有地を取得したいと書いてあります。このことにより乙地の作業場の価値が増大する期待が持てるとも書いてますので、乙地は陸軍にとってそれなりに利用価値を認めていた場所のようです。
今回探索した演習陣地は昭和4年の地図の「旧工兵作業場」の表記から大正4年の民有地交換後も残された乙地の中にあったものと思われます。大正14年に工兵第十大隊は岡山に移駐し福知山には工兵部隊がいなくなりましたので、工兵作業場は「旧工兵作業場」としてそのまま陸軍の管轄地だったのではないかと思われます。


besan2005 at 13:37│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 旧軍遺構 | 京都府

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