2019年08月18日
敦賀市の近代建築探索レポ日記
2019年7月15日に敦賀港へ「護衛艦かが」の寄港による一般公開に合わせ、敦賀市へ行った際にフォロワーさんと敦賀市内の近代建築探索をしました。
ちなみに同日、祖父が下士官時代を過ごした敦賀連隊跡も訪問してきましたが、そちらは別記事にしております。
※敦賀連隊跡探訪レポ日記(祖父の足跡を訪ねて)
敦賀市は昭和20年7月12日の空襲で壊滅的被害を受けてますが、今回探索しましたら意外と戦前の建物が残されていることが分かりました。
まずは護衛艦かがが停泊していた桟橋の近くにある旧紐育スタンダード石油会社倉庫。明治38年。国登録有形文化財。
現在は敦賀赤煉瓦館という観光施設となっています。内部にある敦賀港のジオラマ展示は必見。
赤煉瓦倉庫の近くにあるコンクリート建造物。路駐の車が邪魔!
正面から。草ぼうぼうでよく見えませんが、先ほどの道路側からの姿を見たら戦前はありそうな古さに見えたので。
近隣の方がいたので聞くと、元々はガソリンの保管庫だったそうです。
敦賀港駅ランプ小屋。明治15年頃。
現在は展示施設になっていました。ちなみにすぐそばの敦賀港駅も明治15年築だそうですが、非公開です。活用してもらいたいですが。
敦賀倉庫。昭和8年。赤煉瓦倉庫と共に商業港としての敦賀港の繁栄を伝える建物。
出窓のデザインが可愛らしい。
敦賀倉庫事務所。昭和8年。リフォームされてますが、当時の面影は良く残されています。
汐谷鉄工所。昭和初期頃?当時の姿をそのまま残す下見板張りの建物。
よく空襲で焼けなかったものです。
気になる建物もいくつかありました。
旧大和田銀行。明治25年。敦賀市立博物館となっている旧大和田銀行本店の前身の建物。
路駐の車が邪魔…。この日は前述のとおり護衛艦かがの一般公開が行われた日であり、市内の各所にこういった路駐の車で溢れていました。
アップ。洋風建築に見えますが、背後は町屋造りです。
旧大和田銀行本店。昭和2年。国指定重要文化財。
規模・質共に敦賀市で一番の近代建築。現在は敦賀市立博物館。
玄関部分。
営業室。当時の姿が復元されています。
階段も豪華な造り。
金庫室。
2階貴賓室。重役会議も開かれていたと思います。流石に格式高い造りです。
3階講堂。旧大和田銀行本店は銀行の店舗としてだけでなく、敦賀市民向けに講堂や地下の食堂を開放しており、講堂は市民の催し物や講演会などのイベントにも利用されたようです。
3階講堂に展示されているエレベーター。大正14年製の国産最初期のエレベーターだとか。
日本聖公会敦賀基督教会。この教会ちょっと変わっていて、2階が明治後期築。1階が昭和8年築というもの。元々平屋だったのが昭和8年に1階部分を持ち上げ2階にすることで1階を増築する形になっています。
敦賀市内にはこういった伝統的な町屋のある街並みも残されています。
擬洋風っぽい住宅。
洋館付き住宅。腰壁部分は石張りになっている割と手の込んだ建物。敦賀市内にはまだこういった戦前の洋館付き住宅が残されていそうです。
市街地の南へ。東洋紡敦賀工場クラブハウス。昭和10年。
ハーフチンバーの洒落た洋館です。
かつてはこのクラブハウスの周りには沢山の東洋紡敦賀工場の社宅が建ち並んでいました。この洋館はその唯一の名残。
東洋紡敦賀工場の敷地内には戦前当時の建物も残されています。
敷地南端に残る通用門と思われる門柱。
当時の物と思われる塀。
昭和初期頃の東洋紡敦賀工場を撮影した絵葉書。現在残る塀と同じ物が写されています。
今回の敦賀市の近代建築探索で一番の成果だった建物。事前の下調べでも敦賀市の近代建築を扱ったサイトのどこにも取り上げられていなかった知られていない物件。
玄関部分。この玄関の梁の形は昭和初期の建物によくみられるもの。
内部を窓から撮らせてもらいました。建物の平面プランは戦前の事務所建築そのままに思えます。
個室部分。現在リフォーム工事中でした。戦前の近代建築が再再利用されるのは嬉しいこと。どんな建物に生まれ変わるのか楽しみです。
今回の探索は市街地の中心部をメインに探索したので、空襲を受けた市街地でも思った以上に
戦前の建物が残されていたので、比較的空襲被害の少なかったであろう西側の気比の松原あたりの一帯はまだまだ多くの近代建築が残されていそうなため、次回以降の課題にしたいと思います。